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JALにはステータス制度があり、ステータスを獲得すると、空港ラウンジサービス、優先搭乗、空席待ちの優先権、預け手荷物の優先返却などの特典が受けられるようになる。たくさん飛行機に乗っている人は上客として扱いますよというサービスである。
このサービスは1年毎に実績がリセットされてしまう。しかし、JALグローバルクラブ(JGC)という制度があり、一度入会すると毎年年会費だけでJGCを維持でき、年会費を払い続ける限り上記特典を得ることができる。
このJGCに入会するために必要な条件が、以前はFLY ON ポイント(FOP)を一定数貯める、またはそれより少ないFOPと一定の搭乗回数が必要いずれかというものだった。FOPはマイルに応じてポイントが貯まるため長距離路線やファーストクラス、ビジネスクラスなどの上級クラスに乗ることで少ない回数で必要ポイントを貯めることができた。
2024年1月、JALのLife Status という制度が始まり、JGCの入会資格がLife Status Point(LSP)を一定貯めるというものに変更になった。LSPは、飛行機の搭乗だけではなくJALカードの決済やJALモバイルの契約などJALグループの利用でも貯める事ができるため、飛行機に乗らなくてもJGCの入会資格を得ることができるようになった。一方、飛行機に乗ってLSPを貯めるには、国内線では搭乗回数、国際線では一定の距離ごとのポイント付与となった。FOPの頃と違い、上級クラスに乗るメリットは薄れ、普通席、エコノミークラスに乗る方が効率が良くなった。当然、普通席でひたすら回数を乗るために短時間で済む短距離路線に乗るようになる。JALグループでは次の乗り方をすることで1日に12便の飛行機に乗ることができる。
那覇→宮古→多良間→宮古→石垣→与那国→石垣→宮古→多良間→宮古→石垣→宮古→那覇
※わかるとは思うが、宮古は岩手県宮古市ではなく宮古島である。
このように1日ひたすら飛行機に乗り続ける様を修行に例え、修行を行う人は修行僧と呼ばれる。
このLSPであるが、JGCの入会資格だけでなく、JGCの入会資格よりも上位グレードではマイル無期限化などもありLSPを貯めるメリットが大きい。
2023年の運賃制度変更で、乗継運賃が変更になった影響もある。これは、東京→那覇→宮古と乗る場合、以前は東京→那覇の運賃+那覇→宮古の運賃だったものが、東京→那覇→宮古で東京→宮古の運賃として扱われるようになった。これでも2回搭乗扱いとなる。
いやいいもんなんだと思うよ、
海外旅行に行くって話きいたら、楽しそうだな〜と思うし、色々興味持って話聞くよ。
でも海外に行ったことないって言うと「もったいない!!人生損してる!どこいく?」って言って、しつこく誘ってくる人、そこそこいるじゃん。国内旅行に2回行ったら次は韓国行こう!バリ島行こう!って。
今Xでタイに電車見に行って、タクシーぼったくられて一晩で帰ってきた人が超叩かれてる。まあダサいってことなんだろうけどさ。
旅行ガイドの最初のページに「スリに注意!」とか「人種差別がある場合も」とか書いてあるだけでもう行きたい気持ちゼロになるんだけど。
行きたい人のことはもちろん否定しないよ!でもいかない自由というか、人生損してる!行くべき!いこう!っていうのやめてほしいんだよな。
死ぬなら日本で死にたいし、大金払って怖い思いは一切したくない。飛行機に詰め込まれて移動するのもイヤだ。同じお金を払って余暇を過ごすなら、日本の温泉宿とか、ディズニーランドとかで安心安全に過ごしたいんだよ。もっというとフェリーで離島とかもイヤだ。何かあってもすぐ帰って来られないじゃん。
ダサくて小心者で結構だけど、友人と気まずくなるのだけが嫌だな。やんわり断るんだけど、何回も何回も何回も誘ってくる。一度友人2人と旦那、3人から別々に日程を抑えられそうになった。何が悲しくて、海外経験1回しかないやつと5泊でフランスいかないといけないんだ。危険すぎる。金と生命の危機。憂鬱がMAXになった結果、子供産むことにした。今は海外旅行にはしばらく無理だねって誘われなくなって、本当に安心してる。ありがとう息子。
もちろん息子には制限するつもりはないよ!
まあ嘘なんだけど、なんで人類って地下じゃなくて安易に上に開拓したんだろな?
そりゃ上は無限に見えるし石積み上げるだけでいいから楽なんだけど
空飛ぶ車も昔感覚ならではの発想な気がするわ
田舎 → 田んぼや山があって、車で1〜2時間くらいでそこそこ大きな街に行けるような場所。コンビニはあるし、ネットも普通につながる。のんびりした雰囲気だけど、生活インフラは最低限ある感じ。
僻地 → アクセスが極端に悪い、医療・買い物・学校などが島内にほとんどない、台風シーズンは本土と完全に遮断される、本土に行くのに船や飛行機で何時間もかかる…みたいな「孤立感」が強い場所。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
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まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
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正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
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そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。
航空会社ってどうやって作るんだろ
まず飛行機置くところないじゃん
空港と契約してメーカーから飛行機買って契約した空港まで飛ばしてねと最初に指示しとく感じだから会社内に飛行機離着陸できるところ用意しとく必要はないのかな
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260119083340# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaW3UtQAKCRBwMdsubs4+ SL39AP9TtIGGADK34YY1b16p5ts5QADmKGbYcMPpyjn061O9ggD/RCuXCzswk6fa KKIR3bzX70s5WRMGVsnp2bZ6B7NjOQA= =05nj -----END PGP SIGNATURE-----
博多に関してはそれなりに古い街なんで探せば見るべきところはある。
目的もなくぶらぶら歩くのが好きって人にとっては面白いんじゃないかな。
なんかかんだで九州各県の美味いものは福岡市内に集まってるので、食べ物目的なら福岡市内だけで概ね満足できると思う。
福岡県内の観光地や他県の観光地に行くにしても、福岡を拠点に目的地へ向かう方が宿泊含めて楽。
九州の交通網はいかに福岡に接続するかを目的に整備されてるので、下手に目的地に直接向かうより便利で費用も安上がりで済むことが多い。
飛行機で福岡行ってそのまま目的地まで移動して観光、福岡で一泊して翌日お土産買って帰るってな感じ。
個人的に福岡県内でおすすめなのは柳川の川下り(お掘り巡り)。
船頭さんの当たり外れはあるらしいけど、俺が行ったときはすごい良かった。
うなぎのせいろ蒸しも美味かった。
自分が「すごいな」「いいな」と思った場所の写真は、大抵、既に先に誰かが撮影していてXとかインスタに上げてたりする。
定番の撮影スポットは、ググれば簡単に調べれる。で、「ネットで見た画像を自分も撮りに行く」だけになる。
・桜の名所なんて尚更沢山ある
にわかだし、ど素人だけど、学祭の頃から写真撮影は好きだった。
デジカメが普及し始めたばかりの頃、フィルムカメラにハマってて、その時、デジカメはまだフィルムの画質に及ばなかった。フィルムの現像は手間なので、当時、設備の面では、カメラはハードルが今よりも少し高かったように思う。今、そのハードルが低くなったのは、良い面ではあると思う。写真も立派な芸術なので、その参入障壁が低くなった。iPhoneでも、結構きれいに撮れるんだよ。フルサイズのミラーレスには敵わんけど(フルサイズの画質を知ってからはフルサイズしか使ってない)。
あと思うのは、撮影技術もだけど、今は、デジカメの現像技術、正確に言うと画像修正が必須になってる気がしている。
X、インスタ、Ganrefとかで評価されてる写真って、そんな感じ。
報道じゃないから、事実の正確な描写というより、絵と同じで、見た印象、色彩、構図、そういうのが大事なのは分かる。だから、RAWで撮って、Lightroomとかで調整するのは変だとは思わない。風景をそのまま写真にしただけだと、記憶の景色とは何か違う。
しかし、それにしても、フォトレタッチ技術の差がものを言うのって、なんかもやもやして、気持ち悪くて仕方ない。
自分は、修正は、あまりしないことにしているのだが、これも、おっさんくさい古い考え方なのだろうか。
でも、写真はその時の光の加減で写り方が全然変わるものだから、修正しようがしまいが何かしらの加工っぽいものがされるものではあるのだけど。
言いたいことは要するに、感動できる写真を撮るのって難しいんだな、ってことだ。
人間の愚かさと優しさ、自然の厳しさと美しさを対比するような素晴らしいドラマだったわけで。
小説が原作の映画やドラマは多くあるが、もし「北の国から」が小説だったら全くヒットしなかっただろう。
あて書きの脚本だからこその役者達の自然でリアルな芝居と、想像を上回るような北海道の雄大な映像、実際に年月を重ねるある種の大河ドラマだからこそ「北の国から」は成り立つのだ。当時の役者および制作陣の凄さを感じる。
TOEICの世界で飛行機が常に遅れるのと同じように、「北の国から」の世界では、かかってくる電話はだいたいバッドニュースである。特に祝い事のシーンでの電話は間違いなく悪い話だ。
あまりに悲劇ばかり起こるので、途中から逆に展開が読めるようになってくる。
裏テーマとして因果応報とかがあるのだろうか?にしても、さすがにやりすぎだろ!と思う。
時代背景もあるのだろうが、いかにも男が描く女って感じでこの点だけはちょっとモヤる。女の人生、他にもネタあるやろ。
おそらく結婚観が今とは違うのだろうな。女の人生のゴール=結婚であり、選択肢がなかったのかもしれない。
れいちゃん(横山めぐみ)から始まり、トロ子(裕木奈江)、シュウちゃん(宮沢りえ)、結(内田有紀)と、ザ・清純派から強い女性へとヒロイン像がどんどん変わっていくのが時代を反映しているようで非常に興味深かった。
特に宮沢りえのかわいさには度肝を抜かれた。95秘密は宮沢りえのかわいさに目を奪われすぎてストーリーがなかなか頭に入らなかった。
増田は世代的に、宮沢りえが一世を風靡したというふわっとした情報しか知らなかったのだが、完全に理解した。あれはみんな写真集買うわ。
もし令和の今、新作が出るとしたらどんなヒロインになるのだろう。
五郎がどんどん聖人になっていく。このドラマの語り手は主に純だが、主人公はあくまで五郎なのだろう。
男手一つで2人の子供を育て、子離れし、最終的には自分の生き方を確立し、生き生きと過ごす。
五郎はすがすがしいくらい、現代社会の対極で自然と共に生きようとする。消費もしないし情報量の多さも求めない。当然お金もそんなにない。なんなら貧乏だ。でも、豊かなのだ。
あんな風に生きたいし、あんな風に歳をとりたい。五郎さん、あなたは素敵です。
五郎の生き方に憧れ、富良野への移住者が大量発生したのも頷ける。なお、あまりに自然の厳しさにその多くが尻尾を巻いて逃げ帰ったというのも北海道出身の増田にはよくわかる。
・蛍がお母さんの電車を追って走るシーン
・泥のついた1万円札と純の旅立ちと尾崎豊
・純が風呂を沸かしながら富良野に帰っていいか五郎に聞くシーン
・やるなら今しかねえ
・誠意って何かね?
・蛍と正吉の結婚祝いの宴
・草太兄ちゃんの死に純が牛舎で泣いてるとこ