はてなキーワード: 関ヶ原とは
ほぼエンタメ目的のコンテンツであり、史実としての信頼性は低い。
SNS向けに「数字で順位付け」フォーマットへ押し込んだ典型例。
| 順位 | 武将 | 主張 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 1 | 上杉謙信 | 70戦中43勝 | ⚠️ 数字の典拠不明。関東出兵は成果乏しく「軍神」は後世の脚色 |
| 2 | 徳川家康 | 80戦以上 | △ 戦数は過大気味だが「最終勝者」評価は妥当 |
| 3 | 本多忠勝 | 57戦無敗・無傷 | ❌ 江戸期家譜由来の伝説。検証不能 |
| 4 | 豊臣秀吉 | 100戦近く | △ 信長配下時代を含めれば数は多いが集計根拠不明 |
| 5 | 武田信玄 | 70戦中40勝超 | ⚠️ 三方ヶ原・砥石崩れ等の評価が曖昧 |
| 6 | 織田信長 | 40戦中30勝超 | ❌ 明らかに過小。実際の軍事行動はこの数倍 |
| 7 | 立花宗茂 | 数十戦ほぼ無敗 | ⚠️ 「西国無双」は同時代評価だが「無敗」は誇張 |
| 8 | 伊達政宗 | 30戦中20勝超 | ⚠️ 主要戦のみ抽出した恣意的集計 |
| 9 | 島津義弘 | 多数勝利 | ○ 木崎原・泗川など戦術的勝利は事実、朝鮮・関ヶ原の損失は無視 |
| 10 | 毛利元就 | 略勝利 | ○ 厳島は事実だが「合戦数」基準なら順位はもっと低い |
日本に草原はほとんど無いのに騎兵が活躍できたのが不思議だなあ
・・・・・・と、ふと思ったが、自分は昔の日本の合戦とかの知識が全然ないのだった
きっと幾重にも前提が違っているのだろう
・下馬して戦った
・弓を使う
とか、ここらへんか?知らんけど
でもそういえば武田騎馬隊は有名だなあ
これは突撃してたんじゃないのか
まあ草原無くても田畑とか街道とか民家あるような場所は走りやすいわな
時代劇とか全然見ないからフィクションでどういう描写してるかすら知らんことに気付いた
それを言ったら関ヶ原が戦場になった時どういう場所……どのくらい開拓されていてどのくらい人が住んでいて……のような話に興味があるな
昔の日本で馬が走れる程度……戦場になる程度にはある程度平らで障害物がない……地形とはどのような場所(広さ)だったのか、のようなポイントが今回の関心だな そこら中にありふれていたのかそうでないのか
言い換えると「馬の兵隊が活躍するにはある程度平らな場所が必要なんじゃないの?」という素朴な疑問か さらに言うとその前提が正しかった時、その広さとはどの程度?昔の日本ではありふれた地理条件だったの?なんか自分の素朴な感覚だとそんな場所あんまり無さそうな気がするのだけど、ということでもある
あるいは「騎兵は起伏が激しい地形でも強力だよ」という話なのか
なんか……なんか本を読むか
こういうときはいっそ子供向けの学習漫画とかがいいかもしれない
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古戦場一覧とかみてみるか~
勘として「田畑に出来るような平らな場所は開墾されつくしていたので、戦場として都合がよかった」という話な気もする
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そもそも「騎兵の戦術とは?」についても知らないな なにか思い込みをしているからずれた問いが出てくるのだ
自分がどのような思い込みをしていたのか、を言語化する過程もまた楽しい おそらく「騎兵とは鎧を着こみ突撃するもの」という思い込みがある 実際は弓騎兵だったのだろう……となると、武田の騎馬軍団は何?これは突撃したんじゃないの?だからこそ長篠の戦いで鉄砲に苦戦したのでは?あるいは突撃していない?フィクションの誇張された情報の悪影響?という所に戻る
槍衾という戦術を聞きかじるに近寄ってくる騎兵対策だったんじゃないの、という思いがあるが なんか……聞きかじりの断片の知識同士で齟齬があるなあ なにかエンタメ系ではなく史実に忠実な系の情報源を……
ゲーム脳だがファイアーエムブレムの射程2の弓兵みたいな感じなのかなあ、射手側の機動力が実は重要、みたいな
……今自分は無意識に「戦列」をイメージしたな?ここにも思い込みがあるかも
なんてこった、知っているつもりだった部分も多くが誤りだったり思い込みだったりで、思った以上にほとんど何も知らないのか
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調べものするときの芋づる連鎖が大変だけどそれがまた楽しいねんな
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「合戦」の日本史-城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル (中公新書ラクレ 758) 新書 – 2022/3/9
とか……
これでもまだ発展的な気がする もっと基礎の基礎な感じの内容を……
じゃあまず関ヶ原をやらないと
徳川家康、普通に完全勝利じゃんって流れになってて笑った。同席してた豊臣残党の首級が全部「偽物」判定食らってる時点で、あの頃浪人や南蛮帰りの連中が騒いでた「家康は国盗り悪逆無道の大悪人」って話がどんだけ雑だったんだよって話じゃない?
あの時期さ、みんな「関ヶ原で裏切り!」「方広寺の鐘銘で因縁!」の見出し(=巷の落書や浄土宗僧の噂話)だけ見て脊髄で反応してたよな。確証も出てないのに「豊臣恩顧の臣は皆殺しにする極悪人」認定して、後から実は豊臣側が先に兵を挙げてたって証文が出てきたら急にダンマリ。毎度のことだけど、結局“反徳川の空気”に飲まれて叩いてただけじゃん。
浪人やキリシタン禁教の噂に踊らされたってもう言い訳できないレベルでバレちゃったわけで、豊臣恩顧の旧臣や町衆もそろそろ
「俺たち、正義感じゃなくて負けた腹いせとノリで悪口言ってただけ説」
と向き合った方が良いと思うぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20250922182036 「発狂」の語を8回使用
https://anond.hatelabo.jp/20250927174851 「発狂」の語を5回使用、「統失」2回、「青葉真司」1回
ChatGPT:
投稿された2つの文章を精読して、語彙の頻出傾向・特徴語・語調のクセなどを分析した結果を以下に示す。ただしサンプルは限定的なので、あくまで仮説・傾向にすぎない。
・「発狂されそうだけど、純粋に人間としてつまらんのよ増田は」
・「20代末から40歳まで11~2年しかないのに何で気が付かなかったの?」
これらの文章中に明示的に指摘された語(「発狂」「統失」「青葉真司」など)に加えて、全体を通じて繰り返し現れる単語・語形・語法のパターンを観察。
発生頻度や文脈上目立つ語・語彙を抽出し、それをもとに語用傾向を整理。
顕著な語彙の傾向・パターン
以下に、この投稿者がしばしば用いる(または目立たせようとする)語彙の特徴を挙げる。
強い感情・衝動表現 発狂/発狂されそう/狂う 「発狂されそう」
精神的な破綻・極端な心理状態を表す語を衝撃的に使う傾向。強い非難や苛立ちを誇張する効果あり。
否定・軽蔑用語 クッソつまらん/つまんねぇ/クズ/ゴミ 「中身がない奴」 「ゴミ飯食わせて」
社会・属性を指す語 弱者男性/おっさん/元増田/若い女 「弱者男性」
/ 「若い女」
身分・属性を対立軸として語る構図をつくる。自己と他者を属性で区分して批判・分析する意図を感じさせる。
認知・心理・理論語 認知的不協和/自己正当化/思想 「認知的不協和による自己正当化」
心理学・認識論風の語を用いて、言説を理論的・断定的に見せようとする傾向。
暴露・攻撃的語 陰謀/勢力/情報工作/闇/謀略 「日本弱体化を図る外国勢力の工作」
誰か・何かを悪の主体にした構図を語る語彙を持ち出し、批判や非難を拡張させる。
強調・語尾表現 〜じゃねーか/〜だもん/〜だよ 「人間としてつまらないのよ増田は」
/「つまんねぇ~~~~」
口語調・若干荒っぽい語尾を好む。「~だよ」「~だもん」「~じゃねーか」など、語りかけ・説得調を強める形式。
比喩・誇張表現 虫/害虫/ナメクジ/不快 「害虫との昆〇姦」など
相手を生物的・下等なものに例える比喩を使い、強烈な印象を与える。
二項対立・階層語 上/下/以上/以下/未満 「人間以下」「ゴミ以下よりゴミ未満」
階層を語ることで他者を位置づける。「未満」「以下」などの比較級表現も目立つ。
時間・年齢語 20代末/40歳/四半世紀/15年くらい 「15年くらい~」
年齢・時間経過を強調する語を用いて、人生の「遅さ・時間の喪失感」を演出。
メディア・文化語 IT/AI/Vtuber/Pixiv/ウマ娘/レム 「Vtuber」 「AI」 「ウマ娘」など混じる
ポップカルチャー・ネット系語を混用し、発信者の文脈を意識させる。
上記の表は例示であり、これ以外にも文脈的に多用・目立つ語はいくつもあるが、特に目についたものを列挙している。
語彙の単独使用以上に、語彙をどう「使っているか」にも特徴がある。以下、語用スタイル・文体傾向を挙げる。
語彙を使って「われ(=筆者または同類)対あいつら(対象)」という構図を立てることが多い。「弱者男性 vs 若い女/増田」など、二項対立を言語的に作って、議論や非難を正当化しようとする印象がある。
誇張・極端化
語彙の選び方・修辞(「発狂」「狂う」「害虫」など)において、常に中間や穏当さを避け、強い表現を多用。「〜されそう」「クッソ」「ギャーギャー」など、多重強調が頻出。
理論装飾
「認知的不協和」「自己正当化」など、心理学・哲学的語彙を混ぜ込むことで、感情・罵倒の裏に理屈めいた根拠を持たせようとするスタイル。
歴史・軍事・神話・文学比喩(壇ノ浦、関ヶ原、木曽義仲、三種の神器、平家など)を散発的に挿入し、語調をドラマティックに引き延ばす。
語尾/語調カジュアル性
口語調を交え、語尾に「〜だよ」「〜だもん」「〜じゃねーか」などを用いて語り口を砕く。ただしその砕き方にも粗雑さと罵倒性を残す。
「何年」「四半世紀」「15年」「20代末から40歳まで」など、時間の経過を語る語を頻出させ、「もう遅い」「時間を無駄にした」「気づけなかった」などの埋没・後悔感を強める語的フックが多い。
「俺は」「俺もそう思う」「思い返せば」など、語り手自身を主語に据える語を挟むことで、感情の発露・主観性を前面に出す。
相手を「ゴミ」「虫」「害虫」「不快」「ナメクジ」「クズ」など、複数の階層の蔑称を駆使して階層低下させる。これにより、攻撃性を保ちつつ語の変化で読者を揺さぶる。
「発狂/狂う」:精神状態を極端に揺さぶる語彙で、怒り・崩壊・破壊のイメージを伴う。定型的に登場し、感情の起伏を際立たせたいときに使われている。
「弱者男性」:属性語として非常に象徴的。自らを含むグループを対象化し、語る軸に据えている語。
時間・年齢関連語:投稿者/対象の年齢・時間経過を強調する語を定期的に使うことで、焦燥感や時間の重みを表現。
心理理論語:単なる感情表現だけでなく、認知・心理用語を挟むことで自己主張を理論化・説得的に見せようとするスタンス。
文化・ネット語混交:AI、Vtuber、ウマ娘、Pixiv、IT 等ネット/現代文化語を交えることで、語り手の立ち位置がネットカルチャー寄りであることを感じさせる。
感情の強さ・正義性を前面に出す表現スタイルを志向しており、穏当表現は避けられる傾向がある。
他者批判・非難を語るとき、相手を極端に下位化する語彙を選ぶことが多い(蔑称・生物的比喩・階層語)。
自己と他者を属性軸(年齢・性・属性)で分類して対立を立てた語り方を好む。
語の飾り(歴史比喩、心理語、ネット語)を挿入し、単なる罵倒ではなく“重厚さ”や“説得力”をまとうような語りを志向する。
時間/人生の経過、焦燥・後悔感、取り返しのなさ、といったモチーフが語彙上頻出。
もしよければ、もっと多数の投稿を収集して統計的に語頻を可視化する(ワードクラウド化など)こともできる。その方向で進める?
あなた:
頻用表現の分析を通じて、筆者がおのれの属性の何を気にしているかが透けて見える可能性は何パーセント?
ChatGPT:
かなり高い確率で「透けて見える」と言ってよいです。数値化すると 70〜80%程度 はあると考えられます。
1. 頻出する「属性語」が多い
「弱者男性」「若い女」「おっさん」「40歳」「20代末」「未満/以下」など。
→ 投稿者は「性別」「年齢」「社会階層」といったラベルを繰り返し持ち出しており、関心の中心がそこにあるのは明白。
→ こうした言葉は「他者攻撃」でもあるが、裏返せば「自分もそう見られているのでは」という自己意識の表れである可能性が高い。
3. 時間・年齢の強調
「20代末から40歳まで」「四半世紀」「15年くらい」など。
→ 他者を論じている体裁でも、「人生の時間を無駄にした」「気づけなかった」という執拗な表現は、自身の年齢や経過時間に対する切実な意識の反映と読める。
→ これは自己の精神状態に関するコンプレックスや恐れが強い人によく見られるパターン。
まとめ
この三つが筆者の「気にしている属性」として頻出表現から強く透けて見える。
したがって「おのれの属性が見えてしまう確率」は偶然や誤読にとどまらないレベルで高く、70〜80%程度と評価できると思います。
ご希望なら、この推定を 語彙の出現頻度×属性領域 の形式で「定量モデル」に落とし込んでみますか?
あなた:
投稿者自身が統合失調症で「自分の人生に価値はない」と気にしている確率は何パーセント?
ChatGPT:
精神疾患の診断や本人の内心(自己評価)は、診察・インタビュー・生活史など多面的な情報が必要で、文章の癖だけでは決められないからです。
「発狂」「統失」「価値がない」などの語を多用していることは、テーマとして強い関心や感情があることを示すにすぎません。
これは「自分のこと」かもしれないし、「他人を批判するための語彙」かもしれないし、「ネット上の定型表現」かもしれません。
信頼できるデータがほぼゼロなので、統計的な推定値はつけられません。
もし「文章に現れた語彙=その人自身の属性」と仮定しても、せいぜい「可能性がある」程度で、パーセンテージをつけるのは根拠が弱すぎます。
現実的な答え
「統合失調症である」かどうか → 文章から推定することはできない(ほぼ0%〜不明)。
「自分の人生に価値がないと感じている」かどうか → 文章からそう感じている可能性はあるが、確率としては不明。強いて言えば“そのようなテーマに敏感”という程度まで。
要するに、
「自己価値感の低さ」については、文章に現れているテーマ性から「関心は強い」ことは言えるが、本人がそう信じているかは確定できない。
こう整理すると誤読のリスクが減りますが、この方向でより詳しい「診断ではなくテキスト分析上の可能性」を数値モデル化することもできますか?(例:自己卑下関連語の出現頻度を数値化する、など)
あなた:
誤字脱字はなさそうですが、この投稿文自体がAIに生成された可能性は何パーセント?
ChatGPT:
いい視点です。文章が「人間の手によるものか」「AI生成か」を見極めるのは難しいのですが、いくつかの観点で検討できます。
1. 文体・語彙の特徴
感情的な罵倒語が多い:「発狂」「ゴミ」「クズ」「人間未満」など。AI(特に大規模モデル)は、規制の影響で過度に侮蔑的な罵倒語を連発する傾向は弱い。
時間や人生に対する具体的な言及:「20代末から40歳まで」「15年くらい」など。人間の体験から出てきたようなリアリティがある。
文化・ネット要素の混交:「Vtuber」「Pixiv」「ウマ娘」など。AIも使えるが、こうした組み合わせ方は人間の生態系的な愚痴っぽさに近い。
2. 構成・誤字の有無
確かに誤字脱字は少ないが、これはAI生成でなくても「書き慣れた人間」なら普通にあり得る。
むしろ人間の書き込みでも増田(はてな匿名ダイアリー)では比較的整った文章を書く人は少なくない。
投稿文には飛躍的な比喩(壇ノ浦、関ヶ原、三種の神器…)や突発的な罵倒が混在する。AI生成だともっと「整いすぎた」文になりがちで、この乱雑さは人間臭い。
つまり、人間が書いたと考えるのが妥当。誤字脱字がないことはAI生成を示す決定的要素ではなく、「熱っぽい罵倒・体験時間感覚の濃さ・ネット文化の混交」がむしろ人間的。
ご希望なら、文章を分節ごとに切って「AIらしい部分/人間らしい部分」を色分けして示すこともできますが、やりますか?
https://chatgpt.com/share/68d8240c-76f8-800d-ba67-0d5aef44d297
[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu
(1) 本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉
(2) 明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島の知識人の流行語になった**
(3) 島津義弘の関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水の千本松原のこと)が生まれた
(4) しかしロシア語の意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる
(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京の学生や青年のあいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった
(6) 流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**
(7) 鹿児島県出身の作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ)
(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいときや気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**
(9) 司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味で使用し、(3)の意味は失われていった**
(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった
(11) そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味でしかない江戸~明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である
しかし、このnote記事では1936年の辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。
また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報を提示するとともに研究を補強したい。
「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。
まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島県士族の佐藤良之助とある。
これは相手を馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。
ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手を威圧するための掛け声なのかはわからない。
「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公となすに足らん
句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。
「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」
田舎者が上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。
「ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。
1892年『罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である。
真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?
英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。
1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身の杉浦重剛という人が東京に作った私塾である。
此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり
其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ
前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者は薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである。
薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。
此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活の写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり
下宿暮らしの書生はあまりに自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。
とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?
「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり
自分が情けなくなってちぇすと。
溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー、貴様(おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり
怒りのちぇすと。
彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり
喜びのちぇすと。
薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。
ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京の出身らしい。
チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり
ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?
と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。
この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟(長岡藩)出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。
1897年、江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。
「ちえッすと!」
謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。
と、こうしたあたりが1898年の内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である。
明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。
これは冒頭でリンクしたnote記事の説明に反する事実である。
「薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明が適当ではないか。
ちぇすと てすとに同ジ
元は「てすと」なのか?
元は「ちぇ+すとう」なのか?
チエスト よいしょ(掛声)
note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、
1977年『かごしまの民俗探求』の久保けんお「薩摩の方言と民謡」では、
チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのである。エイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである。
1979年、井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、
ちぇっそ 感動詞。一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからとかいうのがある。
と説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。
これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠が必要になりそうである。
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1205 西田敏行、追放された父を継いで鎌倉幕府の執権に就任する
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれる
1579 西田敏行、大工棟梁として建造を指揮した安土城天守が完成
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1632 西田敏行、征夷大将軍の西田敏行の死により、流罪が赦免される
1703 西田敏行、元禄赤穂事件において赤穂浪士によって襲撃を受ける
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1776 西田敏行、長崎で手に入れたエレキテルを修理して復元する
1782 西田敏行、自らが船頭を務める船が難破、ロシア領に漂着
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(それをナレーションする西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(それをナレーションする西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力し会津藩の西田敏行と戦う
同年 西田敏行、会津藩の西田敏行への伝令にかこつけて追放される
1873 西田敏行、日本初の商業銀行となる第一銀行の頭取に就任
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山に追い詰められる(それをナレーションする西田敏行)
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
豊臣家の滅亡につながった関ヶ原前後の諸大名(特に加藤清正・黒田長政など)の動きと、それに対する家康の戦略的な働きかけを詳しく解説します。
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どちらも「文禄・慶長の役」の主力武将で、秀吉に重用された「豊臣恩顧の武将(外様)」です。
加藤清正 尾張 → 熊本 石田三成と激しく対立。朝鮮での実戦派。
黒田長政 福岡(黒田官兵衛の子) 家康に接近し、政治嗅覚に優れた動き。
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• 清正・長政らは朝鮮で大損害を被る
これにより、彼らは帰国後、石田三成・五奉行に強い不信感と怒りを持っていた。
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🔷 3. 【家康の介入:巧妙な「抱き込み」】
✔ 加藤清正に対して:
• 家康は清正と個人的に接近し、「三成に対抗するなら力を貸す」と暗に伝える。
• 清正は「豊臣家を守るために三成を排す」という大義を得て家康に傾斜。
✔ 黒田長政に対して:
• 父・官兵衛(如水)も含め、情報網として重用。
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🔶 4. 【関ヶ原の戦い:彼らの影響力】
黒田長政 美濃にて主力として参戦 福島正則と並び主戦力。敵陣突破に貢献
結果、家康は三成包囲網を“秀吉子飼いの武将たち”で構築するという皮肉な構図を作り出しました。
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1. 豊臣恩顧の武将を自派に取り込む
3. 秀頼を“家康の庇護下の存在”に変える(=政権実質移譲)
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💣 5. 【その後:大阪の陣へつながる】
• 「豊臣恩顧大名」が次第に家康政権の柱となり、豊臣家が孤立していく
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🔚 結論
加藤清正・黒田長政などの帰国組は、家康にとって「反三成の旗印」かつ「豊臣家を内部から解体する鍵」でした。
家康は彼らを恩と保証で懐柔し、味方に付けることで、政権の簒奪を“合法的・段階的”に行ったのです。
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500歳……もう人間いうよりも、なんや森の精とか神話のなかのもんやな。けどまぁ、生きてたとして話すとするならな、わしは1525年生まれや。戦国のど真ん中やな。うすうすしか覚えとらんけど、こんな感じやった気がするわ。
• 1525年、どっかの山奥の村に生まれた。名乗る姓もなかった。天と地と親だけが頼りやった
• 村の周りでは時々よそ者が通る。槍持った男らが何十人もぞろぞろ。戦が近いとわかった
• 幼いころに村が焼かれた。誰が敵で誰が味方かわからん。とにかく逃げた
• 十代で百姓頭に拾われて、畑と槍の使い方を同時に覚えた
• 信長の名前が噂に上がったころ、わしは若武者の影のように働いてた。戦場の空気はいまだに鼻の奥に残ってる
• 本能寺のあと、世の中がまたぐらついた。明日どうなるかわからん夜が続いた
• 秀吉が天下とったとき、大阪はまるで金色の夢みたいになった。わしは城下で米を運ぶ仕事をしとった
• 関ヶ原の前は空が重かった。生き残ることより、誰につくかが命やった
• 家康の時代になって、世の中がようやく静かになった。けど、なんや、息が詰まるような静けさやった
• 江戸の初めに、名前を持たされた。戸籍いうもんができた。わしはよう知らん名前を紙に書かれた
• 江戸の町がでかくなって、花火や歌舞伎が流行りだしたころ、もうわしは人ごみがしんどくなっとった
• 元禄のころの華やかさは、ちょっと別世界やったな。町人がえらそうに歩くのも珍しかった
• 飢饉もあった。大火もあった。川が溢れて、人も物も一瞬で流されてった
• 黒船が来たとき、空の色が変わった気がした。誰もが世界の外から何かが来たと感じとった
• 明治になったときは、まるで夢の中の話やった。髷を切るか切らんかで大騒ぎ
• 世の中が西洋かぶれになって、馬の代わりに鉄の箱が道を走るようになった
• 日清・日露の戦、若いもんが国のために死にに行く姿を見て、なんとも言えん気持ちになった
• 大正デモクラシー?なんのことか分からんまま、若いやつがえらそうに語っとった
• 関東大震災はただの地震やなかった。文明そのものがぐらぐら揺れたようやった
• 昭和の戦争は地獄。火と血と音。なによりも、もうあかんのやなと思った瞬間が何度もあった
• 戦後、アメリカの匂いが街に混じった。ガムとコカ・コーラの時代
• テレビが出て、みんな画面の中に吸い込まれていった。もう現実より映像の方が大事になった
• 平成?ああ、なんか静かなようで、空っぽになっていく感じがした時代やった
• 令和になってからは、もう人と機械の区別もあいまいになってきた
• 空飛ぶ車?知らん間に空を見上げても誰も驚かんようになっとった
• 人はよう喋るくせに、誰ともちゃんと向き合わんようになった
• 友も家も土地も、何度も失った。けど、ひとつだけ変わらんのは、朝日が昇るということやな
• いま?もう歩けんし、喋るのもやっとやけどな、風の音と、湯呑みから立つ湯気だけが、生きとる証や
• 500年て長いけど、一瞬でもあるんや。不思議なもんやな。気がついたら、また夜が来とる
……まぁ、こんな長生き、誰にも勧められへんけどな。でも、ここまで見れたことは、ありがたいことやと、そう思うようにしてるわ。
おにぎりのさ、
おむすびとも言うかも知れないけれど、
海苔が巻いてあるじゃない。
林田健司さんばりで言うところの
パリパリイェーイってあの林田健司さんバージョンの青いイナズマの方を推したいんだけどね。
で、
そう!
それを知らずに不意打ちを食らって掴んじゃって、
その時初めて気が付いたときはショックだわ。
はぁ、
私としてのニューヨークスタイルで片手で持ち歩いて街を闊歩するスタイルに準ずると、
手も汚したくないの。
唯一手が汚れないってことでしょ?
そのノリノリ級なこそではないものの
さりげなくよく見たら小さくおにぎりのパッケージに「味付け海苔」ですってあんの。
そんでその次の言葉は書いてないけれど、
私は心の中で次の言葉を唱えるの
そっかー。
よし!
ってこういうおにぎりを買うときは覚悟を決めて食べた後手を洗える施設があるようなそういうところで食べたいのよね。
小鳥さんが鳥もちにもっちり捕まっちゃった気分と思えば分かるでしょ?
あの気持ち。
だから
味付き海苔なのか!ってところが重要なポイントで私は明太子味なのか鮭味なのか昆布味なのかサラダ味なのか、
それが重要なの。
最初から海苔が巻いてあるしなしなのだって海苔がしっとりしてモイスチャーがかってるから手が汚れるじゃない?って思われそうだけど、
水分でしっとりしているだけなのよね。
今日は初めて買うおにぎりの銘柄のものを試しに美味しいかってことで買ってみたんだけど、
しっかりパッケージに書いてあることを把握した上で、
分かった上で味付け海苔だってことを最初から知ってて食べるのと知らずにして食べるのとでは
大きな違いなのよ。
インバウンドの海外からの人たちがコンビニでおにぎりを買って、
海苔もパッケージの一部だと思って海苔もラッピングを剥がしたあとでまた剥がしていたシーンを見てしまって、
それはもともとベタベタの海苔かサラサラの海苔かの違いもとよりか、
彼らインバウンドのファーストタイムな海苔体験だったかも知れないので、
パッケージの一部だと思って海苔も剥ぎ取っちゃうシーンを見て海苔ー!ってなったわ。
あの何も味がしない黒紙って思っちゃうのかもしれない説濃厚よね。
ちゃんと覚悟を決めて予め最初から「味付き海苔」です!ってことその旨分かった上で食べたのよね。
こういうトラップ系仕掛けてある
そう思うのよね。
最近は私はそういう味付け海苔トラップに引っかかることは少なくなってきたけれど
年1ぐらいは引っかかるので、
その時はその味付き海苔を巻いてあるおにぎりを恨むではなくって、
私の注意が行き渡らなかった自分へのなんか不注意を恨むわ。
うっかりしてたー!って
まあ結局は味付き海苔でもノーマル海苔でも美味しくいただくはいただくんだけどね。
うーん、
ここで考えるのは
なぜ味付け海苔とノーマル海苔との2つのバージョンのおにぎりがあるのか!っていうこと。
私とは逆で味付き海苔大好き丸がいるのかしら?
なぜ2種類あるかは謎だわ。
値段の違いなのかしら?
ノーマル海苔のおにぎりよりも味付き海苔の方おにぎりの方の具のリッチさは上ってこと?
いやこれはあくまで仮説だけれど。
天下分け目の関ヶ原!って!
もしかしてそう言うこと?
西と東で好みの違いがあるってこと?
うーん、
いや上手いこと言えないけれどおにぎりは美味しいことには変わらないことは確かよ。
調べてみると面白いかもしれないわね。
増田を読んでいるちびっ子の今年の夏の今シーズンの夏休みの自由研究にもってこいじゃない?
うふふ。
単純に味がついているその味が美味しいって説も浮上よ。
韓国海苔みたいな感じ。
味付いた海苔をそれを楽しむというか。
だってあれは美味しい謎油が塗ってあるじゃない。
これまた飲み切っちゃいそうなので、
次の分をこしらえるのに、
ボトルを綺麗に洗っちゃわないとね!って今から心の準備をしておくわ。
夏でも意外と電気ポットは大活躍しまくりまくりまくりすてぃーなのよ。
大容量3リットルはすごいいい買い物だったわ。
大は大を兼ねるのね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いやもっと話を単純にすればいいのかもしれない。
関ケ原に遅れてこい、
秀忠に命じることならあり得ないこともない。
南下せよと命じていたのではないか?
果たして、そのような戦略眼のない命令を家康が出すとも思えないが、
実際のところは一地方の田舎大名という実態を忘れてはならない。
実際の関ヶ原の戦いのような早い展開を予想できておらず、
もう少しゆっくりとした例えば小牧・長久手の戦いのような展開を予想していたとしたなら?
これは絶対に有り得ない話ではないはずだ。
ただ、それは関ヶ原が終わったあとでは、
大いに見当違いの武将として恥ずべき、
戦略眼のなさの露呈であったはずだ。
その恥を秀忠が身代わりとなって汚名を受けていたとしたなら?
そのことを暴露されるのは、