はてなキーワード: 最終回とは
ブラッククローバーの最終回が残念だったのは、作中で差別や社会階層の問題を提起しながらも全くの放置で終わったからかな。
例えばジャンプの有名どころだと
ドラゴンボールは悪のブウを無垢な子供として生まれ変わらせ、悟空がその師匠になって終わった
幽遊白書は無秩序な殺し合いではなく一定のルールの下でトーナメントをやって穏健派の鬼がトップに立った
NARUTOは一応最後は五影会談で終わり、武力行使の前に平和的な手段で問題解決を図る方向性を示した
チェンソーマン1部は幼い子供として生まれ変わった支配の悪魔を主人公が引き取った
ヒロアカは子供に対する個性カウンセリングなど、犯罪を未然に防ぐ制度を増やした
呪術廻戦は罪を犯した迷惑呪詛師に向き合って更生を促す主人公の姿で終わった
どれも足りないながらも社会や敵対者に対してどう向き合うかが描かれていたと思うんだけど。
それに引き換えブラクロの最後はマジで主人公が魔法帝になった「だけ」なんだよね
魔力の無い奴がと言われても、作中で反魔法というのは誰よりもチートな最強技になっているから
腕っぷしが強い奴が普通にトップに立っただけで何の意外性もない。
最後も攻めてきた相手を普通に迎え撃っていて、争いはなくならなそうだし。
徹頭徹尾そういう漫画ならまだしも、エルフ編の頃はちゃんと敵とも対話が出来ていたのでどうしてこうなったかなーって感じ。
最終回ではハーフエルフの子供達が入団試験を受けるようだけど、それだけなんだよね。
あの終わり方ならエルフ編の後でタイマンしてそのまま最終回で良かったんじゃない?っていう。
魔法帝と国王が別にいて、今の国王は無能で差別主義者の嫌な奴なんだから普通は改心するなり代替わりするなりしそうなものなのに、それも無し。
「結局、アスタはただ魔法帝になっただけで、階級制度を打ち破ったり王国を変革したりする姿は見られませんでしたね」という指摘をした海外読者が全肯定ファンから集中砲火で叩かれていたけれど、もっともな指摘だと思う。
非女性向け作品(少年漫画や一般向け作品など)を原作とする二次創作BLの勢いについて、過去と現在の比較や変化の傾向をまとめます。
非女性向け作品とは、「ジャンプなど男性読者が多い媒体」や「登場キャラクターがイケメンばかりではないもの」「カップリング消費がメインではない作品(例:『鬼滅の刃』)」と定義します。
衰退が囁かれる一方で、特定の非女性向け作品は依然として強力な勢いを維持しています。
結論として、非女性向け作品の二次創作BLは、かつてのような一極集中の爆発的な勢いは見えにくいものの、「ホームジャンル」として定着した安定ジャンルと、多様化・分散した中規模ジャンルが並立しており、必ずしも衰退しているわけではなく、その「形」が変化していると言えます。
超かぐや姫!は売り出し方が気に食わなく、なんとなく忌避していたのだが、信頼している友人がお勧めしてきたので視聴することにした。
普通に面白かったし、終盤の方はなんなら泣きながら視聴していた。
監督自身が長編映画の制作をあまり経験していないという背景もあるのだろうが、その辺の話は一旦置いとくことにする。
全体の感想として、全てがあまりにも舞台装置的であり、人間の心の深い葛藤というものは確かにあまり感じられなかった。
しかし、葛藤や反発の描写を重くすればするほど作品の消費カロリーも増えていく。
この令和の時代に、エンタメ映画の文脈でそれをするのは悪手なのではなかろうか。
少ない心理描写リソースの中で象徴的な親殺し(親から与えられた物語からの離脱)は行えていたし、全ての人間関係の描写をそういう記号だと思えば咀嚼できるだろうと思う。
竹取物語、推し活、Vtuber、MMO的VR、百合、親殺し、CGDCT、クリエイター、ビートセーバー、女装男子、Crazy Raccoon、表情描写のサンプリング、ミュージカル、ドラえもん最終回...
この映画は、全体的に記号と小ネタとミームのパズルのようになっている。
マリオの映画がファンを喜ばせる小ネタ満載であったように、小さな内輪ネタが集まって大きなものになったのが超かぐや姫!であると感じた。
あと、超かぐやの主人公に対して「恵まれすぎ」「ハイスペすぎ」と言うのは、悟空に対して「強すぎる」と言うのに近く、あまり意味のある批判ではないと感じた。
現代の人間として描かれているからこそ比較してしまうのだろうが、あくまでファンタジーの主人公であり、物語を動かすための装置として見るべき存在だと思う。
漫画の最終回で突然意外なカップルが成立して話題になった時に、必ずと言っていいほど「恋愛が主題じゃない漫画の恋愛成立に関して文句を言うな」という人が現れるけれど
なんで主題じゃないと語っちゃいけないの?
主題じゃなくても銃の描き方だの料理の描き方だので喧々諤々するのがオタクなのに、こういうふうにいちいち言論統制しようとするのって恋愛くらいだよね
ていうか恋愛が主題じゃない漫画でも話の途中で丁寧に恋愛を描いている作品は沢山あるし、
本当に主題じゃないならそれこそドラゴンボールみたいに途中でさくっとくっつけておけばよくない?
漫画の最終回で恋愛が成就した際に、片想いを指して「フラグ」と呼ぶのに違和感がある。
恋愛におけるフラグって普通、両想いになりそうな、つまり感情が双方向に向き合いそうな描写を言うのであって、
例えばBLEACHの一護と織姫なんかは一護に好きな人は特にいなかったので、「矛盾はしていない」止まりであって、けして「フラグがあった」ではないと思うんだよなぁ。矛盾はしていないので叩こうとは思わないけれど、分類としては片方からの片想いだった鬼滅の刃の童磨としのぶなんかと同じだと思うので
そりゃあ自分も、推してるヒロインの片想いが最終的に実ったら嬉しいと思う事もあるけれど、それをもって「フラグはあった」はおかしいと思う。
片想いだけでフラグだと言い張るのなら、じゃあ主人公が女キャラ複数から想いを寄せられてるタイプのラブコメは誰とくっつこうがフラグはあったねで納得して文句言うなって話だし。
それともラブコメ枠は除くというなら、鬼滅の刃でしのぶが童磨とくっついても納得するのかと。
ていうか「フラグ」という言葉そのものが、好感度を自由自在に管理できる恋愛シミュレーション系のゲームを前提にしているみたいで
今日発売のジャンプGIGAでブラッククローバーが最終回を迎えた。ジャンププレスでも濁されていたのでまだしばらく続く可能性も考えていたが、結局最終回で良かったらしいね。
巷では最高の最終回だと絶賛されているし、確かに客観的に見ればそうなんだと思う。
客観的にはそうなのは分かっていても、自分個人としてはそうは思えなかったってだけで。それが悲しい。
個人的にはどっちが魔法帝になるとかは割とどうでもよくて(アスタとユノには思想の大きな差はないし、あの国において権力を握っているのは魔法帝ではなくて国王)、
最終回になって初めて確定したカップルの組み合わせがある事が辛い。それも別の組み合わせの方が早くから描かれていたのにそっちにはならなかった事。
「推しカプがくっついたから最高の最終回!」と叫ぶのは良くても、「地雷カプがくっついたから最悪の最終回!」と叫ぶのは許されないんだよなぁ。納得いかない。
カップルの成立を最終回発情期という言葉で揶揄する風潮は本当に大嫌いなんだけど、最終回や酷い時には単行本描き下ろしでいきなり確定させる風潮もまた大嫌いなんだよな。恋愛が重要じゃないならそもそも描かなきゃいいのに、恋愛の過程を描かずに結論だけはしっかり描くパターンが多過ぎる。
近年ジャンプ本誌で最終回を迎えた呪術廻戦や僕のヒーローアカデミアでは最終回ではまだ濁して単行本最終巻でようやく確定させるという鬼畜な真似をしていたのでそっちの心配もしていたが、ブラクロはさすがにそれはしなかったようだ。
とは言え、変な組み合わせでもドラゴンボールのトランクスとマイなんかは別に平気だったんだよな。原作の最終回自体は終わっているけれど、他に相手役候補がいるでもなかったし。
最終回でいきなり確定して叩かれてる組み合わせでも、鬼滅の刃の伊之助とアオイやNARUTOのチョウジとカルイは平気だったので
多分、
・最終回で初めて確定する
の両方が揃うと無理なんだと思う。
なのでフリー同士で特に支障がない組み合わせが叩かれていて、片方の片想いだけはあった組み合わせがフラグがあったと正当化される風潮に納得がいかない。
自分的には全然受け入れられる組み合わせが世間で叩かれて、受け入れられない組み合わせが祝福される現象が辛い。
もっともヒロアカの場合、組み合わせ自体が嫌いなんじゃなくて雑誌の最終回で答えを出さずに単行本で不意打ちするというやり方に引いたのでまた違うんだけど。
ブラクロの場合もこの漫画単体でどうこうよりも、ジャンプの嫌な伝統を感じて無理なのかもしれない。
少年漫画でもジャンプ以外だとそうでもないんだけど、ジャンプは本当に最終回で突然決まるパターンが多いんだよねー。経験則。
まぁ、作り手の側から見たら、カップル成立をギリギリまで引っ張る動機は分かる。ドラゴンボールみたいなのはそれをやってもファンが離れないという自信があるからできる事で、そんな作品は滅多にないんだろう。ギリギリまで読者を引き付けて金を搾り取りたいという心理は分かるよ。
ラブコメじゃない少年漫画において、誰と誰がくっつくかなんてどうでもいいと言われれば確かにそう。
自分が少年漫画、というかジャンプ漫画に向いていないのは分かる。良い読者じゃないのは分かるから、あまり深入りしない方がいいんだろう。
上記のドラゴンボールや鬼滅みたいに大丈夫なパターンも稀にあるから、事前に確認してから読むべき。
ヒロアカと呪術の教訓からはどうしてもこの手の少年漫画を読むならば最終回間際ではまだ早すぎて、明確に最終回を迎えて単行本最終巻が出てから初めて読むようにした方がいいんだろうなー。10年は長いけれど、だからこそその長い時間の思い出を最後の最後で台無しにしたくない。
ヒロアカの方は組み合わせ自体は初期からずっと好きだったので、叩かれてるのにも乗れないし。普通にエピローグの5話のうちでくっつけてくれれば良かったのに。
恋愛関係を確定させるなら早い段階で!最終回で確定させるならせめて他の相手役候補がいなかったキャラで!を守ってくれる作品が好きだが、今後もジャンプ作品の多くはそうならないだろう事は分かる。
タイイチのラブコメだと安心して読んでいたさむわんへるつにさえ、最悪の騙し討ちをした呪術の作者が絡んできたせいで不穏な気配が漂ってくるのが辛い。
つくづく最終回発情期という言葉を作った空知を恨む。こんな変な言葉が出来たせいで、却って作品に対する不満を言いにくくなってるじゃん。
この言葉を作った銀魂はブラクロと違ってGIGAですら終わらず見苦しかったが、結局最終回でも主要人物の恋愛関係は一切確定されず、今でもファンを維持している。少なくとも恋愛関係に関しては好ましいと思う。
あと、最終回に関しては、海外の人が「アスタはただ魔法帝になっただけで、階級制度を打ち破ったり王国を変革したりする姿は見られませんでしたね」と発言して叩かれていたけれど、それも分かるんだよなぁ。ただ、カップル成立への不満があると、そういう批判も何もかも説得力がなくなってしまう現象が辛い。
男キャラと女キャラが混合のゲームをプレイして「男キャラ邪魔、イラネ、消せ、男キャラ出すな配布すんな運営殺すぞ」ってやってる男、本当にインセルばかり。「俺×女キャラ」妄想してて、男キャラを間男認定して異常に憎悪しているインセルばかり。
少年漫画などの別に女性向けでもなんでもない作品の読者・視聴者になりつつ「ヒロイン邪魔、イラネ、消せ、最終回発情期許せない、作者は異性愛主義者」ってやってる女、本当にフェミばかり。BL無罪の腐ェミや、女性向け無罪のTL・夢小説好きのダブスタツイフェミばかり。
どっちも性転換したら同じようになってそうというか、魂の双子という気がする。どういう容姿をしているんだろう。やっぱり、気持ち悪い顔をしているんだろうか。DNAのせいで生まれつき変な顔をしていて、同性に負け続けてきたから、同性を異常嫌悪するようになるんだろうか。
・「漫画が上手い」というしゃらくせえ
クリエイター気取りの消費者の言葉を吹っ飛ばしてくれる「絵が上手い」「この作者にしか描けない絵柄」「漫画が上手い」が当たり前の上での「忖度なく読み手自分の心のひだから共感・興味を引いてくれる」
・安野モヨコ作品、あまりに「女」の感情とか社会での立ち位置に肉薄しすぎてしばらく他の漫画が読めなくなる(なお主人公のお金周りと恋愛脳周辺がバフかけられているのは見ないものとする)
すべてが社会生活のなかでうっすらみえるがそこを直視すると色々嫌になるから見ないようにしてるのを抽出してオモロくして分かりやすく的確に予想を超えてお出ししてきてくれる
・一番ショック(よかった)だったのはフクちゃん息子が
「カヨはわかってくれると思ってたのに…!」から童貞捨てたあとのカラッと感の切り替えがですね…
・最終回の海、よすぎ
・軽率に百合百合ゆうのはよくないがフクちゃんと主人公の関係は当たり判定なんじゃないでしょうか 作者さんのインタビューで「2人はつるむ時はつるむけど、ずっと連絡取ってベットリ一緒タイプの友達ではない」ってあってなお良い〜ってなった その各々の人生を生きてるうえでのたまに並走/交差する人生ってのがこの歳になると旨味を感じるから…
鬼滅の最終回にウゲッとなる声が未だにあんまり聞こえてこないのが本当不思議
「子へ孫へ受け継がれる命!」みたいなやつ
最終回から何年も経ってるのにさ、未だに映画入ればそれなりに人入るんでしょ?
まじうげーーーー
っていまどき流行らないでしょ
というかハッキリ言って女性差別
さんざん我々を苦しめてきた保守的な価値観と家族観を真っ向から打ち出した鬼滅が
令和の時代に子供から大人まで熱狂的に支持されていたのは恐怖だった
最終巻で「子供が5人いる」とわざわざ加筆してあった
「多産」で愛情と幸福度を表現する価値観が古臭いというか昭和の亡霊そのもの
これを小学生がキャッキャ言って読んでるのが…ね…
「長男だから我慢できたけど」と言って小さな家父長してた主人公まで人気キャラだったし
こういう刷り込みが将来どう影響してくるのか不安でしょうがない
ハニレモは今月最終回でした
アニメで推しの子を追っている友人がネタバレを嫌がるので、ネタバレ回避のために嘘の推しの子の最終回(小説版)をAIに書いてもらいました。
東京スカイツリーは、夜の闇を切り裂くように変形を始めた。
だがその数日前――。
あるテレビ番組の収録スタジオ。スポットライトが眩しく照らす中、アクアとカミキヒカルは並んで立っていた。共演を終えたばかりの二人は、スタッフの拍手に包まれながら控室へと向かう廊下で、ようやく二人きりになった。
カミキヒカルは、にこやかな笑顔のまま、ポケットから一通の封筒を取り出した。
「アクア君。明日は僕の誕生日パーティーなんだ。ぜひ来てくれないかな? アイの話……もっと深く、語り合いたいんだよ。」
彼は封筒を、そっとアクアの手に押しつけた。厚みのある高級紙の手触りが、アクアの指に冷たく伝わる。
アクアは無言でそれを受け取った。
次の瞬間――。
封筒を両手で掴み、力任せに引き裂いた。びりびりという音が廊下に響き、破片が床に散らばる。
アクアは破れた紙片を握りしめたまま、冷たい視線を突き刺した。
「お前を殺す。」
その言葉だけを残し、アクアは踵を返して歩き去った。背中が遠ざかる。廊下の照明が、彼の影を長く引きずる。
カミキヒカルは床に散らばる破片を見つめ、ゆっくりと笑みを浮かべた。
そしてその夜。
『アイの真実を知りたいのか? 決闘といこうじゃないか。クリスマスイブの夜、東京スカイツリーに来い。』
『了解した。』
――クリスマスイブの夜。
東京スカイツリーは、夜の闇を切り裂くように変形を始めた。
金属の軋む音が響き渡り、巨大なアンテナが腕部に、展望デッキが胸部コクピットに、全体が白銀の巨体へと姿を変える。スカイツリー型決戦ロボ「スカイ・ノヴァ」――アクアがその操縦席に座り、拳を握りしめた。
対する東京タワーは赤く輝きながら咆哮を上げ、鉄骨が展開し、巨大なロボット「タワー・インフェルノ」へと変貌を遂げた。コクピットに座るカミキヒカルは、狂気じみた笑みを浮かべていた。
クリスマスイブの夜、東京ドームの空を二つの巨人が舞う。決闘の舞台は、すでにB小町の解散ライブ会場として準備されていたドームそのもの。観客などいない、ただ二人の復讐と憎悪がぶつかり合うだけの戦場だ。
タワー・インフェルノのビームがスカイ・ノヴァを襲う。アクアは機体を翻し、肩部からミサイルを連射。爆炎が夜空を染める。
互角の激闘。スカイツリーの最新構造材が優位に働き、アクアが一時的に押し込む。だが――
「甘いな!」
カミキヒカルの叫びとともに、東京タワーが急接近。都庁ビルの巨大な壁面が磁力で引き寄せられ、合体を開始した。都庁のガラスとコンクリートがタワー・インフェルノの背中に融合し、超巨大二段変形形態「メトロ・デストロイヤー」へと進化。パワーと装甲が爆発的に増大する。
「新しさだけでは勝てん! 俺の執念は、こんな東京の歴史そのものだ!」
メトロ・デストロイヤーの巨腕がスカイ・ノヴァを地面に叩きつける。アクアの機体が軋む。コクピットの警報が鳴り響く。
「くっ……!」
その瞬間、三つの光が夜空を切り裂いた。
「福岡・ららぽーとから緊急発進! RX-93ff νガンダム、星野ルビー、出るよ!」
白いνガンダムが、ロングレンジ・フィン・ファンネルを輝かせて急降下。ルビーの熱い声が響く。
「お兄ちゃんと出会った九州のガンダムで! 絶対に負けないんだから!」
続いて、金色の輝き。
「ちょっと待ちなさいよ! こっちは上海のドラマロケから直行よ! フリーダムガンダム、有馬かな! 重曹で磨き上げたレールガン、受けてみなさい!」
上海金橋のララポートから飛来したフリーダムガンダムが、ドラグーンシステムを全展開。かなの気迫がビームを加速させる。
「ユニコーンガンダム、デストロイモード! MEMちょ、いきま〜す! 配信準備はバッチリ! お台場から宇宙の果てまでバズらせるよ〜! フジテレビさんもよろしく〜!」
お台場のユニコーンガンダムがNT-Dを発動させ、赤い角を輝かせて突入。MEMちょの軽やかな笑いが戦場を明るくする。
「みんな……来てくれたのか!」
「お兄ちゃん一人に全部背負わせるなんて、許さないよ! 私たちは推しの子なんだから!」
四機連合の猛攻が始まる。νガンダムのロングレンジ・フィン・ファンネル、フリーダムガンダムのレールガン、ユニコーンガンダムのビーム・マグナム、そしてスカイ・ノヴァのスカイ・ストライクが同時に炸裂。しかし、メトロ・デストロイヤーはそれを全て受け止め、逆に四機を圧倒し始めた。
「無駄だ! アクア、そしてルビーよ、アイを独占するお前たちはいらない!」
カミキヒカルの声がドームに響き渡る。歪んだ愛が、巨体の全エネルギーを解放する。
その時――
東京ドームの上空に、突然、光の粒子が集まった。
誰もが息を呑む中、死んだはずのアイドル・アイが、「サインはB」の衣装を纏って浮かんでいた。完璧な笑顔。誰もが知る、あの「推し」の姿。
「カミキヒカル、あなたが私を殺した真犯人であることはわかってるよ。歪んだ愛情とはいえ、それも愛情の形の一つだよね。だけど、アクアもルビーも私の大切な子供達だよ。」
アイの声が、優しく、しかし力強く響く。
「アイ……!? お前は……死んだはず……!」
アクアの瞳に、炎が宿った。
ルビーがνガンダムのロングレンジ・フィン・ファンネルを全開に。
「完璧で嘘つきな君は!」
「アイは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!」
四機の全エネルギーが一点に集中。スカイ・ノヴァの最終奥義「ホシノ・フィナーレ」が炸裂した。
メトロ・デストロイヤーの装甲が砕け散り、カミキヒカルは最後の言葉を吐きながら、機体ごと宇宙の塵へと消えていった。
「アイ……俺は……お前を……」
「……終わったんだ。」
――大晦日。
B小町の解散ライブは、東京ドームを埋め尽くす観客の熱狂の中で史上最高の大盛況で幕を閉じた。星野ルビー、有馬かな、MEMちょの笑顔が、ステージを永遠に輝かせた。
また、それぞれの今後の活動を宣言する形でファンに再会を誓った。
戦いの傷で入院中のアクアの病室に、黒川あかねが医学部受験の参考書を抱えて現れた。
「ありがとう、あかね。こんな雑用を頼んでしまって申し訳ない。」
「テレビで見たアイは……嘘か本当かわからないことを言うアイドルだった。カミキヒカルもアイに翻弄されてしまったのかな。だけど、アイが俺とルビーに『愛してる』と言ってくれたことは嘘じゃないと思う。」
あかねは優しく微笑んだ。
「そうね、真実はわからないけどキレイな嘘も必要かもしれないね。」
「ところで、俺たちは戦いの中でアイの姿を見た。配信された戦いの映像を見たけど、どうも幻覚ではなさそうだ。俺にはなぜアイがあの戦いに現れたのかわからない。」
あかねは少し照れくさそうに、髪を掻いた。
「あれはね、私が苺プロにお願いして東京ドームをハッキングしてもらったんだ。ホログラムとプロジェクションマッピングでアイの姿を再現して、私がアイの声をあてたんだよ。私の演技力も捨てたものではないでしょ。」
病室に静かな笑いが広がる。
あかねが去った後、アクアはベッドに横になり、アイと過ごした日々を思い浮かべた。母の笑顔、ルビーとの約束、そしてこれからの未来。
「アイは死んでしまった。病に苦しむ人々を応援する、いや推すために……もう一度、俺は医者になる。」
「推し」はもういない。
エロゲ黄金時代にそこそこエロゲーをやり込んだ人間なら「あーあったねそういえばそういう作品」と思い出す様なあるメーカーの作品群がある。
そのメーカー自体は2000年代後半には解散したのだが、代表作を書いていたライターは確認できる限り2010年代頭までライターとして活動していて、そこから忽然と姿を消していた。
もう2000年代の流行オタク業界の話なので、こういうことはよくあることなのだが、往時にはそこそこ活躍していたオタク界隈の中である種名声があった名物クリエイターで、今では足を洗ったのか、消息知れずの人たちは結構いる。
当時流行っていた学園物で、どこか2000年代のネット/アキバ界隈特有の、あのゆるい開放感のある自由な雰囲気でのコメディが得意で、とにかく優しくて面白くて「楽しい」、ノーテンキな世界観が心地よかった。
そのメーカーは音楽に特に定評があり、ライター謹製の作詞と、2000年代のオタク系音楽特有のフュージョン、ニュージャックスイング、コンテンポラリーR&B系の透明感ある音楽と相まって、いい感じに肩の力抜いたふざけた歌詞とあっていて、未だに思い出の音楽としてXなどでも結構話題に上がるくらいだ。
そんなわけで、今でもXやyoutubeを探せば、そこそこ音楽や作品を評価して名前が結構上がるくらいには、まだファンも多いライターだった。
数週間前、ゲームwikiを見ていてふとその懐かしいタイトルの記事があるので目を通していた。内容は、ハッキリ言って1から10まで覚えているのだから見る必要もないかなと思っていたのだが。
そこで、あるURLが目に付いた。
15年近く消息不明だった、そのライターの消息が分かった瞬間だった。
クリックして読んだ先の作品は、25年も前に完結したライターの代表作シリーズの続編兼ある種の最終回の様な短編だった。
あの時代の空気も雰囲気もそのままに、主人公やヒロインや悪友キャラ達が再開し、再び「面白い物を探して」、青い空の向こうへと歩き始める物語
あの頃と何もかも変わらない、古い友人というか、昔よく言った店がまだやっているような安心感とノスタルジーを覚えた。再びあのキャラや時代に出会う事が出来て、嬉しかった。
だが、それもリンクから15年の間何をやっていたのだろうと、探してみると、失望へと変わっていった。
惨めな氷河期世代のオッサンやニートだとか、他責思想丸出しのテンプレのようななろう主人公や療育放棄された頭の病気の様な悪役令嬢、そんな判で押した様なテンプレなろう系ばかりの作風ばかりになっていた。
どこかの素性不明の本でとってつけたような兵站論や物流論、軍事理論の講釈を垂れて粋がるバカ主人公
スラップスティックとただの奇行の区別もつかない悪役令嬢が、〇狂いじみたことを喚きながらトー横のメンヘラの様に暴れまわる頭の病人の様な主人公
貰い物のチートだとか、現代知識で無双をして、ヒロイン以外同性の友人すら出てこないあまりにも惨めな主人公
そんなものばかりだった。人気はそこそこあったのかもしれない、だが、そこにはなぜこんなメンタルでまだシャバにいられるのか、という様な煮詰まった読者欄に生息するなろう系の負け組オタクばかりがテンプレを評価する蟲毒だった。
子供のころ、石の裏をひっくり返して蠢く虫や蛞蝓を見たような気分を思い出した。
唯一救いがあるとすれば、書いていたライター当人も何か思うところがあったのか、2020年に入る前には活動を停止していることだった。今となっては作品はどこかのブログや魚拓でサルベージされた場所でしか見ることはできない。
あの時代の市場規模の中で活動していたのだから、ネットで言われるなろう系市場が実態と以上乖離して「儲からない、将来性がない」というのを体感的に察知して筆をおいたのか、それとも何か別の理由でもあるのか、あまりにも現実と乖離したなろう系オタク達に心が侵食される様な苦痛を感じて逃げ出したのか、それは今となってはわからない。
それは、世界というものがひどく狭く、しかし同時に、どこまでも広がっているかのようにネットで、秋葉原で、オタク界隈で、個々の若者たちの人生で感じられた2000年代という時代の産物である。
日常は終わることなく続き、青春は一瞬でありながら、画面の向こうの主人公やその親友やヒロインたちも、そして画面を見る側の当人たちには永遠に似た手触りを持っていた。
いわば、ぬるま湯の様な富裕な日本の穏やかな時代の産物だった。
何より哀しかったのは、なろう系を書いている以外で、かつて自身が手掛けた作品群の続編や外伝の様な短編を書いているときだけは、その感性や才能が色鮮やかに蘇っているところだった。
それは、失われていたはずの完成が色鮮やかに息を吹き返す、セピア色の黄ばんだ写真が綺麗にあの頃の青春の空気と、匂いと、青空と、温度が戻ってくる様な感触に思えた。
そこには、成り上がりや美少女や承認欲求を求めて銃や刃物を手に他人を殺傷する極悪人の様ななろう主人公はいない、他人が落ちていくのを「ざまあ」と笑うあまりに惨めななろう主人公も悪役令嬢もいない。
書類の数字で講釈を垂れながら、見ることもない兵隊や一般人を「致し方ない犠牲」と平気で切る血も涙もない人非人の様な、なろう系主人公もいない
まるで場末のキャバ嬢か、脳に何らかの寄生虫でも入ってるかの如く主人公をマンセーマンセーと褒め称えて股を開くヒロインもいない。
そこにあるのは、ただ、あの頃と変わらぬ「人間」たちであった。
あの頃と何も変わらない、他者や世界を逆恨みすることなく、加齢で余裕がなくなって承認欲求と劣等感で精神がおかしくなって認知が歪んでいるわけでもなく、
心が歪むことなく、いつまでも続く「終わらない文化祭」のような毎日と、静かに流れる「なんとなくぬるま湯の様な優しい世界」で、また面白い事を探して次は何をしようか、と仲間やヒロインと探して軽口を言い合って青空の下を歩いていく、
「さあ、また旅に出よう、あの青い空しか見えない、青い階段を上がれば出口だよ」
「結局俺達は、まだ何も見てないんだな」
「だってそうだもの、"見る"キミがいてこその世界だからね。だからもう一度世界を見て回ってきてほしい。」
「そうかもね、それだけ君を信用しているということさ。おっと、僕は遅れてから行くよ、そろそろ時間だ。また会おう。」
「ああ、また、どこかで」
このやりとりの中に、彼等と俺達と、そしてあの時代の世界のすべてがある。
ああ、彼等や彼女らだけが、永遠に続く様な錯覚でなく、本当に永遠の中にいるのだ。
青い階段を昇りつめた後に広がった青空と夏の街を一望できる白いビルの屋上の景色が広がり、
主人公は持っていた腕時計だけを青空に向かって放り投げる、そしてこう言った
ああ、それは時間というしがらみからさえ自由になるために離脱するという意味する行為なのだと、俺は感じ取った。
現実と時間という世界から、本当に旅立ってしまったのだ、「永遠」の方へと。
その当時の古参ファンが感想に古い友人を訪ねる様に感想欄に現れていた、それはまるで、亡き友の家や墓を訪れるように…なろう系オタクは誰一人といない、その落差があまりに悲しいと俺は感じた。
なろうやカクヨムに続きが書かれた時点で、本当に彼等は「死んでしまった」のだろう。とすると、続編は全て主人公が死んだ先に見た夢の中を、俺達が追体験しているだけなのかもしれない。
別のタブで開いているyoutubeで再生している、あの頃の作品の主題歌は、きっとあの時代と彼等への鎮魂歌なのだろう。
気の抜けた明るい歌詞が流れている、だがそれは、本当に永遠の世界へと旅立っていってしまった彼らと彼女たちの、あまりに悲しい鎮魂歌だった。
それは、明るさを装いながら、すでに失われた時代とその中に生きた人々と、あの日の世界にとらわれ続けた俺をひそやかに弔っている。それは同時に、青青の時代とそこに生きた彼らへの静かな挽歌でもあった。
彼等はすでに旅立っている…きっとそれも、帰ることのない永遠の方へ。
彼等は帰らぬ旅へ出た。
彼等はすでに去った。
次の「面白い事」…青い鳥を探して、帰ることのない旅路へと赴き、時間の流れから離脱した。
――去ったのだ。
青い鳥を探しに、
二度と帰らぬ道へ。
そして今、彼らはもはや、
「とある科学の超電磁砲」は好きで、アニメは見てたしマンガも新刊が出たら買ってた。
その「とある科学の超電磁砲」がこないだ最終回を迎えたんだけど、なんと連載19年間だと。
おれの記憶が確かなら、「とある魔術の禁書目録」を始めて知ったのは20代だったとおもうんだけど、おれ今40代の半ばだよ。
子どもはもう2人いるし、なんなら上条さんとか御坂よりも歳上なわけ。
もちろん好きなコンテンツが長く続くのは嬉しいし、べつにとあるシリーズだけが長寿コンテンツってわけでもない。たぶんワンピースのほうが長いんじゃないか?
だけど、いつまでこれやんの?って気持ちにもなる。早く終わってくれ、結末見せてくれっていう気持ちもあるからさ。
ガルパンとかリゼロとかオーバーロードとか幼女戦記とか咲とか銃夢とかブラックラグーンとかドリフターズとか他にも色々あるんだけど、終わりが見えそうで見えないコンテンツは作者が筆を持てなくなる前に結末見せてほしいものよ
登場人物たちの多くは欲望に突き動かされて行動し、結果悲惨な結末を迎える。
またエロとグロが狂言回しのように出てくるので、そういった展開ばかりが続く本作を、短時間で読破すると流石に頭が重くなる。
何かとネットミームに登場することが多いし、連載中にところどころつまみ読みした話数などで面白さは理解しており、いつかは読破したいと思っていた作品だったがようやく願望を叶えることが出来た。
博士のタイムマシンの伏線は流石に作品の世界観の中で突拍子感が過ぎたのか活かされることはなかった。
(王道的展開としては、主人公が過去に戻って独裁者になったのでは?という疑念を読者に抱かせる方法論などもあったろうが)
(あるいは単に二人がエスケープする先として時代が異なる場所へと向かうなどというラストもあり得た)
その他、何かと未消化感を抱かないわけではないが、二人が出会うまでを描くのがこの物語の本筋であるという作者の考えや、では最終回を迎えさせないためにイタズラに母をたずねて三千里のようなことをするのも違う、というのも同感だ。