和歌山城(日本100名城 No.62)
言わずと知れた徳川御三家、紀州徳川家55万5千石の居城です。
江戸城、水戸城、名古屋城は登城したので御三家の城としては最後になりました。
和歌山市駅から徒歩で向かい、和歌山城公園の入り口まで15分くらいだと思います。
天守は昭和10年に国宝に指定されたものの和歌山大空襲で焼失とのことで惜しいことです。
現在の天守は鉄筋コンクリートによる外見復元です。
姫路城、松山城と並んで三大連立式平山城に数えられています。
一の橋から大手門を通っていざ登城・・ではなく、ここから出ました。
明治時代に倒壊した大手門、昭和58年に復元とのことです。
斜めにかかった屋根付きの橋は御橋廊下、藩主の生活の場である二の丸と能舞台や茶室があった西の丸を繋ぐもの。
藩主が移動するのを見えないようにするために壁、屋根付きになっています。
傾斜があるのはかなり珍しい構造だと思います。
ちょっと面白いのが石垣で、刻印のある石が2000個以上あるそうです。
真ん中の四角が3つつながったようなのが刻印で、40種類以上見つかっていて、これを探すもの面白いです。
この周辺だけでも10種類以上はありました。
広い城址は見どころが多いし、アップダウンもあるので全部見て回るのは時間と体力が必要です。
この日に歩いた歩数は16600歩でした。
なお現在残されている城跡は最盛期の4分の1ほどの広さだそうです。
江戸城、水戸城、名古屋城は登城したので御三家の城としては最後になりました。
和歌山市駅から徒歩で向かい、和歌山城公園の入り口まで15分くらいだと思います。
天守は昭和10年に国宝に指定されたものの和歌山大空襲で焼失とのことで惜しいことです。
現在の天守は鉄筋コンクリートによる外見復元です。
姫路城、松山城と並んで三大連立式平山城に数えられています。
一の橋から大手門を通っていざ登城・・ではなく、ここから出ました。
明治時代に倒壊した大手門、昭和58年に復元とのことです。
斜めにかかった屋根付きの橋は御橋廊下、藩主の生活の場である二の丸と能舞台や茶室があった西の丸を繋ぐもの。
藩主が移動するのを見えないようにするために壁、屋根付きになっています。
傾斜があるのはかなり珍しい構造だと思います。
ちょっと面白いのが石垣で、刻印のある石が2000個以上あるそうです。
真ん中の四角が3つつながったようなのが刻印で、40種類以上見つかっていて、これを探すもの面白いです。
この周辺だけでも10種類以上はありました。
広い城址は見どころが多いし、アップダウンもあるので全部見て回るのは時間と体力が必要です。
この日に歩いた歩数は16600歩でした。
なお現在残されている城跡は最盛期の4分の1ほどの広さだそうです。
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