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外国人の姓名の表記について調べてみる
以前に、『書評七福神/編著『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』の記事で、「シーラッハ, フェルディナント・フォン」という索引での表記は誤りで、「フォン・シーラッハ, フェルディナント」が正しいのではないか?という文章を書いたことがある。するとTwitterで、某評論家が「シーラッハ, フェルディナント・フォン」が正しいのだと言ってきた。こちらも正しいかどうかは不明だったので「ご教示乞う」旨を書いていたし、意見として聞くにもちろんやぶさかではないのだが、単純に文面が失礼なのである。おまけにこちらの文章をちゃんと読んでいる気配もないし、大学教授もやっている割には説明が下手。町でチンピラに絡まれたようなもので、こういうのは相手にするだけ時間の無駄なので、そのままうっちゃっておいたことがある。
ただ、肝心の「フォン」は、姓なのか名なのか、どこで区切るのが正しいのか、疑問は残ったままである。
前出の某評論家は「前置詞だからとかなんとか書いてはいたが、それではまったく説明が足りていない。文句をつけるならその根拠を述べるぐらい当然だと思うのだが、そんなこともできない教授に教えられる学生が不憫で仕方ない。
というようなことがあってからはや数年。先ほどシーラッハの新刊が出たことで、その件を思い出し、あらためてドイツ語の「フォン」について調べてみようと思いたった。そして、ようやく答らしきものが見えたので、ここに少しまとめておこう。海外の小説を読む人には、少し面白い話にもなっていると思う。
参考にしたのは以下のあたり。特に西澤秀正氏の「西欧人の前置語を伴う姓について」はそのものずばりの内容で大変参考になった。これは国立情報学研究所が提供するデータベースから検索したもの。また、「図書館員のコンピュータ基礎講座」はコンピュータでの目録作成業務をする際の規則をいろいろとまとめたもので、これも実に参考になる。『日本目録規則』は言うまでもなく図書館における目録作業の指針となる原則・方法を成文化した、目録や索引づくりの最終兵器である。
つまり図書館の目録作成における規則をもとにしている。
西欧人の前置語を伴う姓について,西澤秀正
file:///Users/funakiyukinobu/Downloads/honanwjc_kiyo-06-04.pdf
※直接リンクが飛ばないため、上のURLをコピペしてご覧になってください。
図書館員のコンピュータ基礎講座,人名(西ヨーロッパ),
https://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/ref/pname/w_europe.html
日本目録規則/セクション3個人・家族・団体/第6章個人
https://www.jla.or.jp/Portals/0/data/iinkai/mokuroku/ncr2018/ncr2018_06_201812.pdf
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前提として、ヨーロッパには複合姓やミドルネーム、前置語を含む姓など、非常にイレギュラーな姓名が多数存在していることがある。現在の日本人には基本的に姓と名が一つずつ、姓名の順で並んでいるだけだが、皆様ご存知のように海外は事情が違うのである。
アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle
ジョン・ディクスン・カー John Dickson Carr
S=A・ステーマン Stanislas-Andrè Steeman
いくつかミステリ作家を挙げてみたが、これも知らない人はどこで姓と名を区切れば良いのか、なかなか難しいところだろう。そこで各語の詳細をつけてみる。
アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle(名・姓・姓)
ジョン・ディクスン・カー John Dickson Carr(名・ミドルネーム・姓)
S=A・ステーマン Stanislas-Andrè Steeman(複合名・姓)
これでだいぶわかりやすくなる。複合名やミドルネーム、また、コナン・ドイルのように姓が二つ並ぶ珍しいパターンもあるが、いずれも原則として姓の最初の部分から表記されればよく、どれが姓でどれが名かわかれば、取り扱いはさほど難しくはない。基本的には何れの国の事典、辞書、書誌情報でも以下のように記載される。
コナン・ドイル, アーサー Conan Doyle, Arthur
カー, ジョン・ディクスン Carr, John Dickson
ステーマン, S=A Steeman, Stanislas-Andrè
さて、問題は前置語を含む姓である。
ここで前置詞ではなく前置語とするのは、姓を構成する語は前置詞だけとは限らず、接頭語や定冠詞も含むからである。米英加豪などの英語圏の標準目録規則『英米目録規則、第2版』ではprefixと表記されており、この訳語として、『日本目録規制』では前置語という語が使われている。複雑な姓のない日本では該当する言葉がもともとないのだが、欧米諸国ならではの概念である。
欧米諸国では国によって、それぞれ特徴的な前置語がある。フランスではdeやla、ドイツではvon、オランダではvan、イタリアではdaなどがよく目にするところだ。意味合いもいろいろあって、貴族を意味したり、出身を意味したりとかバラバラである。そもそもの品詞も前置詞であったり定冠詞であったりという具合。
問題は、それらを索引などで表記するとき、どう扱うかについてなのだが、あまりにも国によって文化や事情が異なるため、ぶっちゃけ確固たる決まりがないようだ。要はその作家の出身国や活動している国の習慣に合わせているという。
たとえばリリアン・デ・ラ・トーレ(Lillian de la Torre)という作家がいる。ミステリや怪奇小説好きの方ならよくご存知だろうが、これを索引に置くと、日本ではデ・ラ・トーレ,リリアンとするのが普通だ。デ・ラ・トーレが姓、リリアンが名を表す。これが他国ではどうかというと、
イギリス、アメリカ、イタリアなど……de la Torre, Lillian
フランス、ドイツなど…………………la Torre, Lillian de
スペイン、オランダなど……………Torre, Lillian de la
これは驚きませんか? ヨーロッパ各国では普通に統一されていると思っていたけれど、実はここまでバラバラなのだ。この理由として、deは主に貴族出身を表す前置詞、laは女性形定冠詞(Torreが女性名詞なので)であり、この定冠詞や前置詞をどう位置付けるかが、国によってさまざまだからである。
そこでフェルディナント・フォン・シーラッハのフォン(von)だが、そもそもvonは「~の、~出身」を意味する前置詞で、貴族の称号として姓の一部に付けられていたという。ドイツ語圏にまだ姓が無い時代、領主が自らの領地名を名乗っていた名残りなのだ。ちなみに前置詞ではあるが、その実は貴族を表す敬称のような意味合いも強く、そのため当時はフォン抜きで姓を呼ぶことは失礼にあたり、必ず「フォン・◯◯◯」と呼びかける慣わしだったらしい。
しかし、その後、ドイツで貴族階級が廃止され、vonは本来の意味を失い、単に姓の一部として残っていく。つまりvonが形骸化したわけだが、これも調べてみると、他の国ではここまで形骸化した例は珍しいようで、たとえば「ド・ゴール」というフランスの大統領がいた。「ド」も貴族出身を表す前置詞なのだけれど、フランスでは現在でも必ず「ド」をつけたまま「ド・ゴール」と呼び、「ゴール」とは呼ばない。
したがってvonはあくまで姓の一部であり、その意味ではフェルディナント・フォン・シーラッハの姓は本来「フォン・シーラッハ」であり、記載は「フォン・シーラッハ,フェルディナント」とするのが正しい。
しかし、先に書いたように、貴族出身を表すvonの意味が形骸化し、かつ法律上も意味がなくなってしまうと、もともと前置詞としての意味があったvonは別にいちいち姓に付けなくてもいいんじゃね?という意見が大きくなり、次第にvonを姓から外して使うことが増えてくるようになったらしい。
だがその後も依然として、ドイツにおける表記についてのルールは制定されず、現在でも表記の揺れがあるままらしいが、とりあえず方向性としてはvonを無視する方向で動いているのは確かなようだ。
実際、電話帳や索引などではvonの後に続く部分を基準にしての記載となっている。現在のドイツでの表記はひとまず「シーラッハ,フェルディナント・フォン」でよいということになる。
では日本ではどう扱うか。これは先の欧米諸国の表記を鑑み、『日本目録規則』で「西洋人名中の前置語の扱いは、その著者の言語の慣習に従う」とした。
具体的には以下のとおりである。
・前置語は名のあとに置く
・アフリカーンズ語、英語、イタリア語、ルーマニア語 (deを除く)においては、姓は前置語からはじめる
・フランス語、ドイツ語、スペイン語においては、冠詞または冠詞と前置詞の縮約形だけが姓の前に置かれる
これらを踏まえると、フェルディナント・フォン・シーラッハの索引等における表記は、現在は「シーラッハ,フェルディナント・フォン」とする方が適切ということになる。
ただ、注意すべきは、vonの意味合いが形骸化し、情報として処理する際の扱いやすさ等を考慮して、索引表記上は名の後に含めるが、姓の一部であることは間違いないので念の為。
※以上が調査結果であるが、もちろんこれで万全ではない。より確かな情報をお持ちの方はぜひともご連絡ください。
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ということで、今後は当サイトの「カテゴリー」内の著者名についても、随時、このルールで変えていく予定である。また、現在、姓を()表記にしているが、こちらも今後は図書館の目録表記に倣い、「, 」(カンマ)で区切ることにしたい。修正に時間がかかるので当面は混在してしまうがご容赦くだされ。
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Comments
ネットの古書店でボアゴベを検索すると大抵売りに出てるのが『鉄仮面』ですね。なかには『世界探偵小説全集 第四巻 ボアゴベイ集』というのがあり、私も買いましたが、買ってみるまで作品のタイトルが分かりませんでした。見ると「海底の黄金」と訳されていますが、原題は「マタパンの宝石」です。
これとは別に、ポプラ社から「世界推理小説文庫」という子供向けの全集があって、その中に乱歩が訳した『海底の黄金』があって、これも買いましたが、この原題はたぶん「名なしの男」だと思います。
どちらも潜水夫が登場します。さらに涙香は『海底の重罪』と訳した本も翻訳してますが、これも潜水夫の話みたいです。ボアゴベは海底に沈んんだ宝をめぐって起こる犯罪物が好きなんでしょうかね。
地元の図書館では国会図書館の本をパソコンによって閲覧出来て、ポプラ社の「世界推理小説文庫」を読むことができます。
Posted at 21:08 on 09 13, 2023 by ルル
ルルさん
ちょっと調べてみたらボアゴベの作品はこれまで20作ほど訳されており、今も読めるのは『鉄仮面』と『死美人』ぐらいのようです。そのほかの作品を集めるのは大変そうですが、ぜひ面白いものがあったら教えてください。
『死美人』は涙香に加え乱歩の手も入っていますから、内容がどこまで改変されているのかという懸念はありますが、そのおかげでむしろ原作よりは面白くなっているんでしょうね(苦笑)。
この二つぐらいは私も読んでおきたいものです。
Posted at 11:14 on 09 11, 2023 by sugata
ボアゴベ
「鉄仮面」は学生時代に昔集英社文庫で涙香の漢字ぎっしりのものを読みました。今ならそんな気力はないです。その後長島良三さんが訳した3巻物を買いましたが、未だに読んでないです。
他には古書で「マタパンの宝石」や「海底の黄金」を、また江戸川乱歩が訳した「死美人」を読みました。「乱歩はこんなに面白い小説を訳したんだから、エログロばかり書かないで、もっと参考にすればいいのに」と思ったものでした。
Posted at 21:19 on 09 10, 2023 by ルル
ルルさん
おお、ボアゴベがお気に入りなのですね。私は『乗合馬車の犯罪』ぐらいしか読んでいなくて、恥ずかしながら『鉄仮面』すら未読です。ただ、『乗合馬車の犯罪』は同人本なので、ネット古書店で気長に探すしかないかもしれません。
ちなみにデュ・ボアゴベ du Boisgobey のduですが、これも姓につく前置語で、貴族を表すdeと定冠詞のleが合わさって、duになっています。
Posted at 21:39 on 09 09, 2023 by sugata
デュ ボアゴベ
私は黒岩涙香が多く翻訳しているボアゴベが好きです。
このブログの人名リストに「ボアゴベ」で探しても見つからなくて、でも『乗合馬車の犯罪』が載っているのになぜだろうと思ってよく見たら、「デュ ボアゴベ」だったのですね。ちなみにネットの古書検索で『乗合馬車の犯罪』が売られていたので、そのうち買おうと思っているうちに、売り切れとなってしまいました。
Posted at 15:12 on 09 09, 2023 by ルル
杣人さん
ブログ記事のカテゴリー順のためにここまで調べることになるとは思いませんでした。
まあ、ほとんど趣味ですから(苦笑)。
Posted at 09:32 on 09 03, 2023 by sugata
ポール・ブリッツさん
シーザーもややこしいですね。フルネームは「ガイウス・ユリウス・カエサル」ですが、
確か「名前・氏族名・家族名」だったはずです。
苗字の表記ルールを適用する以前に、どれが名でどれが姓かを知るのがまず大変です。
Posted at 16:23 on 08 21, 2023 by sugata
勉強になりました。ややこしいですね……。
読んでいたとき、ブレイクの「野獣死すべし」に出てきたいじわるクイズ「ジュリアス・シーザーのミドルネームは?」というやつが頭に浮かんだであります。欧米人も欧米人で閉口してるのかもしれませんね(笑)。
Posted at 13:58 on 08 21, 2023 by ポール・ブリッツ
ルルさん
「海底の黄金」と「マタパンの宝石」の題名が錯綜しているのは、私も調べていて気になっていました。「名なしの男」も含め、なんでそんなことになったのでしょうね。とはいえ、私たちもネットがなければ、こういうこともわからなかったと思いますし、当時の方の苦心が偲ばれますね。
Posted at 22:07 on 09 13, 2023 by sugata