Posted in 12 2006
Posted
on
カルロス・ルイス・サフォン『風の影(下)』(集英社文庫)
今年も年末恒例の『ア・ラ・カルト』を観る。十分笑わせてもらったのはいつもどおりだが、親子ネタが夫婦ネタに変わるなど、ここ数年では一番内容の変化が大きいか。まあ、それはよいとして、ちょっと気になったのは、レギュラーキャストがことのほか疲れている印象を受けたこと。セリフを噛むのもいつもより目立ったし、ダンスの後もきつそう。通常は一日一回の公演だが、本日は二回公演ということもあって、スタートが早かったのも影響したか。とりあえず年齢的な理由が一番だとは思うが、ちょいと心配です。
その帰りに電気店でコンポを購入する。これでも昔はステレオに凝っていたのだが、いつしかそういうものに手間暇をかけるのが面倒になってしまい、とにかく最近の我が家のオーディオ事情は惨憺たるものだった。だからといって今回凄いオーディオ装置を買ったのかといえばそんなことはなく、コンパクトでDVDも観れて、そこそこ迫力ある音が出てくれればOKという程度。ものはKENWOODのAX-D7。一応ネットで下見をして、後はお店で実際に音を聴いての決定。これでも十分、楽しめます。
カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』の下巻、無事読了。
主人公ダニエルは古本屋の息子。その十歳の誕生日に、父に連れて行かれたのが「忘れられた書物の墓場」だった。ダニエルはそこでフリアン・カラックスという見知らぬ作家の書いた「風の影」という小説に出会う。たちまちダニエルはその本に魅了され、作者のことを調べ始めた。だが、詳しいことはほとんどわからず、しかもカラックスの小説を処分して回っている謎の男の存在を知ることになる……。
堪能した。一言で言うならガツンとした読み応えのある小説。しっかりとした主食になりうる密度の濃い物語である。本書の良さはいろいろあるが、まずその点を忘れてはならない。
そして、その大きなポイントとして挙げられるのが、こってりとした表現力と構成にある。例えば執拗な登場人物の心理描写であったり、現実と過去の出来事があたかも融合しているかのような錯覚に陥らせる書き方であったり。印象としては、一時期人気を呼んだラテンアメリカのマジックリアリズムの諸作品、ガルシア=マルケスとかを読んでいるような感じに近い。著者が最初から意識していたのか、はたまたスペインという同じラテンの血がそうさせるのか。
本書はよく「ミステリでもあり、恋愛小説でもあり、青春小説でもある……」という言い方をされる。それは正しく言えており、とにかく本作はさまざまな要素を孕んだ小説なのである。そして著者がすごいのは、それらエンターテインメントとしての十分な要素を盛り込みながら、なお小説家としての挑戦・試みを忘れてはいないことだ。それらが渾然一体となったからこそ、このようなダイナミックな傑作が生まれたのである。
その帰りに電気店でコンポを購入する。これでも昔はステレオに凝っていたのだが、いつしかそういうものに手間暇をかけるのが面倒になってしまい、とにかく最近の我が家のオーディオ事情は惨憺たるものだった。だからといって今回凄いオーディオ装置を買ったのかといえばそんなことはなく、コンパクトでDVDも観れて、そこそこ迫力ある音が出てくれればOKという程度。ものはKENWOODのAX-D7。一応ネットで下見をして、後はお店で実際に音を聴いての決定。これでも十分、楽しめます。
カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』の下巻、無事読了。
主人公ダニエルは古本屋の息子。その十歳の誕生日に、父に連れて行かれたのが「忘れられた書物の墓場」だった。ダニエルはそこでフリアン・カラックスという見知らぬ作家の書いた「風の影」という小説に出会う。たちまちダニエルはその本に魅了され、作者のことを調べ始めた。だが、詳しいことはほとんどわからず、しかもカラックスの小説を処分して回っている謎の男の存在を知ることになる……。
堪能した。一言で言うならガツンとした読み応えのある小説。しっかりとした主食になりうる密度の濃い物語である。本書の良さはいろいろあるが、まずその点を忘れてはならない。
そして、その大きなポイントとして挙げられるのが、こってりとした表現力と構成にある。例えば執拗な登場人物の心理描写であったり、現実と過去の出来事があたかも融合しているかのような錯覚に陥らせる書き方であったり。印象としては、一時期人気を呼んだラテンアメリカのマジックリアリズムの諸作品、ガルシア=マルケスとかを読んでいるような感じに近い。著者が最初から意識していたのか、はたまたスペインという同じラテンの血がそうさせるのか。
本書はよく「ミステリでもあり、恋愛小説でもあり、青春小説でもある……」という言い方をされる。それは正しく言えており、とにかく本作はさまざまな要素を孕んだ小説なのである。そして著者がすごいのは、それらエンターテインメントとしての十分な要素を盛り込みながら、なお小説家としての挑戦・試みを忘れてはいないことだ。それらが渾然一体となったからこそ、このようなダイナミックな傑作が生まれたのである。