はてなキーワード: ハレ晴レユカイとは
他に知っているものがあれば教えて。
できれば3人以上が集まったやつ。
「福耳」を忘れていた。
やはり、知らないユニットがいっぱいあった。
日常風景を背景にした主人公の語りから曲がフェードインするの好き好き大好き
オープニングの最後でポーズとったハルヒがそのままモノクロのロゴになるの好き
蛇足だけど冒険でしょでしょがEDっぽい雰囲気でハレ晴レユカイがOPっぽい雰囲気なところも好き
作中の季節変化に合わせてタイトルロゴの背景色が淡く変化するの大好き
イントロの切り方で微妙にAパートの尺調整してるところも丁寧な作りで好き
本編の進捗に合わせて歌ってるメンツが増えていくのが良い
TARI TARIと似た演出だけど話数が進むとメインキャラクターの絵が追加されていくのが好き。似たような演出多いけど、これは追加されていく絵を描く工程そのものがエンディングアニメーションになってる
季節違いの同じシーンを2ループすることでクラスの仲が深まっている様子を表すのが良い。本編はコメディなのにエンディングは物悲しい曲調でアニメーションもモザイクタッチなのが独特で良い
中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。
ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春の10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れずMDプレイヤー、そしていわゆるiPodに代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオの歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)
世の成人したアーリーアダプターたち(主にApple系コミュニティの人たち)がiPodへ熱狂するそのとき、日本で青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。
もしかしたら年代が10歳前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかったかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのときの学生世代の間ではPSPはiPodと肩を並べ、用途によってはiPodを凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。
何せ「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」くらいなのだ。
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージが現在のオタクのイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。
筆者と同世代のオタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIP」ブームを経て、YoutubeからのBANや動画の違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化を形成できた。
当時の動画の違法アップロードで一番の被害者であった角川書店とドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。
そういった独自の文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみた」である。
そして歌ってみた、踊ってみたの興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイ」なのだ。
先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由がMP3のほか、大画面でMP4動画を再生できたからで、しかもPSPの動画プレイヤー機能はコマ戻しコマ送りが物理ボタンで可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンルで練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソンや電波ソング、ボカロソング、ゲームソング、同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSPを接続しカラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手に字幕を付けてカラオケ用動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンやゲームソングでは無許可で版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画も存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。
稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONYが夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDやPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要をiPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。
多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然。
iPod登場当初その付属イヤホンの品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤー派から揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ。欧米ではそれが普通。付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳し擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホンの品質を引き上げるというお家芸の梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。
最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BA型ドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。
続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBA型ドライバーを何と2基も搭載したリッチなモデルで、BA型ドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点をカバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップを採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップを採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。
しかしこれら評価の高いイヤホンは学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンがレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。
しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYのイヤホン「MDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかしMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BA型イヤホンへの想いは募るばかりであった。
それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBA型イヤホンも買えるようになりBA型イヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオからは距離を置いていたが、何故かふと近年話題の中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術の進歩と大量生産により当時憧れだったBA型イヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格で販売されているではないか。
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。
最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品。価格は約1万円。
AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBA型ドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオの世界。
その音の傾向はBA型ドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声し無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代のイヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトなサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。
ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホールの残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。
本当に鳴りがハイレスポンス&タイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲーム「プロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認。
現代のポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。
ハイレスポンスなBA型ドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBA型ドライバー複数基を多連装することで欠点をカバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBA型ドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ。
それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックなイヤホンである。
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。
VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。
VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング。
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初に再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。
音楽制作でミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要なボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルはボーカル、ブラスはブラス、ストリングスはストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドをフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカの表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽が世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的なコントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。
欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA型構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。
同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品だから。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合はハウジング筐体デザインの違いや販売価格を吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。
筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・。
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在の株式会社Finalが販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスがサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップのサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。
Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成はBA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。
前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲「微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックやベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ「魔法先生ネギま!」からオープニング曲「ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。
別に勝利宣言したいわけではないんだけど、おそらく今回の参院選は今後の〝表現〟に対しての評価が決定的になる分水嶺にはなると思う。
今回の参院選は18歳参政が始まった以降の子たちが本格的に参政できる選挙なわけで、彼ら彼女らは今後の若者文化へ強く影響を与える世代だ。
2006年4月、オタク界隈は1つの大きなミームを経験した。いわゆる「ハレ晴レユカイ」ブーム。
このハレ晴レユカイの影響度は物凄く、当時の表現を借りて言えば、当時の中高生はネットだけでなくリアルでもサブカルチャーを楽しむという青春を送った。
もしかしたら世代が少し上だと信じられないかも知れないけど、昼食時に放送委員が好きな音楽を流して良い制度がある中学校高校では昼食時にハレ晴レユカイだけでなく様々なアニソンが流れるという激変が起こったんだ。
信じられない?当時なにが起きていたか当時学生だった私が語ろうじゃないか。
私よりも世代が上の先輩の皆さんにも友達とカラオケに行くというシチュエーションがあったと思う。
もちろん私の世代でも友達とカラオケに行ったんだけど、カラオケに行く場合に持ち出していた定番アイテムがあったんだ。
それがSONY PlayStation Portable、通称PSP、つまりモバイルゲーム機だね。
2004年に登場したこのモバイルゲーム機は口コミで学生の間でどんどん普及していった。
当時はiPodなどが登場して注目を浴びていたんだけどiPodになくてPSPにある機能がゲームが好きな男の子だけじゃなくゲームに興味のない女の子にも刺さった。
もしかしたら今の時代ゲームに興味のない女の子と口にしたら怒られてしまうかも知れないけど、PSPの特殊性はゲームソフトを所有してないのにPSP本体だけは持っているという普通に考えればおかしな状況を生み出してしまったことにある。
ここでいうゲームに興味のない女の子でも持ってるPSPとは、つまりゲームに興味のある女の子だけでなくゲームに興味のない女の子ですらPSPを持っていたということ。
そして何故PSPが学生の定番アイテム化してしまったのか?と言えば、PSPはパソコンから動画を取り込んで再生できる機能があったからなんだ。
このPSPのパソコンから動画を取り込んで再生できるという機能は学生のカラオケ遊びを激変させる。
実はPSPには赤白黄ケーブル(RCAケーブル)が別売されていて、この赤白黄ケーブルをカラオケ店のディスプレイへ接続することによりDAMやJoyサウンドへ配信されていない楽曲を再生しカラオケ店で歌うという文化が興隆したんだよ。
先輩方の中に学生時代はカラオケへよく行ったという思い出がある人ならばPSPのこの機能の衝撃は十分に伝わると思う。
音源をどうするのか?という疑問にも答えよう。
PSPのカラオケ活用の前夜、ネット上では1つの文化が興隆していたんだ。それが「ねとらじ」と「ニコ生」なんだよね。
ねとらじとニコ生では配信者がリアルタイム放送を行うんだけれど、そこで配信者が歌うということがあったんだ。
その影響でニコニコ動画には通称「ニコカラ」という歌詞字幕付きオフボーカル音源がアップロードするユーザーが多く居て、なおかつ、わざわざニコカラにするのだから既存のカラオケサービスでは配信されていない楽曲が多かった。
そんなニコカラをダウンロードしPSPに保存してカラオケ店に持っていって歌う、これこそPSPに人気が出た理由であり、ゲームソフトを持ってないのにPSPは持っている状況を生む理由だった。
更に言えばニコカラを検索するとヒットするのは当時のカラオケサービスであまり積極的に配信されていないアニソンやゲーム音楽、そしてネタ曲、電波ソングが多く、多感な時期の学生はそのぶっ飛んだ曲調や歌詞へ影響を受けた。
もしかした多少サブカルチャーに詳しい先輩であるならば同時期に登場する「ボーカロイド」にもアタリを付けているかも知れないけれど、まさにその通りでカラオケサービスで配信されていないボカロ曲はPSP経由で歌われた。
まだまだあるんだ。
PSPは動画を取り込めて再生できるが、更に言えば動画再生機能も秀逸でボタンを押して動画のコマ送り・コマ戻し・A-B再生なども出来たんだよね。
この機能はダンスを練習する際は振り付け確認で非常に役立つ機能であり、ハレ晴レユカイが学生の中で広まっていく事になる。ここでハレ晴レユカイに繋がるんだ。
私たちはサブカルチャーを歌い、そして踊ってきた世代。
ネットでリアルで「歌ってみた」をして「踊ってみた」をして学生時代を過ごした世代。
青春の中にマンガがありアニメがありゲームがある世代。
そんな私たちは大人になった。
大人になった私たちには参政権がある。私の青春を守るための投票が出来る。
今の子たちは配信者っぽいYoutuberとかボカロっぽいVtuberに夢中みたいなので私は当時を思い出して今の子たちの青春も守りたい。
別に逆張りするつもりは無かった。ただ、周りほど熱狂的にはならなかった
鬼滅の刃も同じ。いや挙げた2作品とは比べ物にならない人気だがやはり乗れない。別に嫌いなジャンルとか言う話じゃないが、個人的には目新しさも無いしアニメの作画が~言うけど凄いとは思うけどそこ止まり
自分の感性の正当化なのかもしれないが、鬼滅の刃にハマらないと駄目な同調圧力はとてつもないと思う。それこそワンピースを優に超えている。本当に面白いと思い、好きなキャラを応援するのは良いと思うし、企業がタイアップして儲けるのだって正当な行為だ。ただ、本当にムビチケの売上や書籍の売上ほどファンが居るのだろうか
運動会で鬼滅の刃を応援でさせられるって話があったが何か分かる。ハレ晴レユカイやもってけセーラー服だって踊られただろうが、大半のファンはONにまで好きなものが入ってきて欲しくないんだよ
でも鬼滅の刃はそれが許されない。生活の中まで入り込んできて嫌う人を見下す免罪符になりつつある。オタクより一般人の方が顕著だ
自分は鬼滅の刃を好んで読んだり観ることは無いとは思うし、ファンをバカにする気も無いが、出来ればさっさと最終巻発売されて下火になってほしいと密かに思っている
昨晩、中村明日美子を読み終えて天井を眺めていると、ふと、女装してみたくなった。そう言われても困るだろうが、してみたくなったのである。中村明日美子の儚げで線の細い青年や、くりくりした目の少年が女装をしていたら、そう思うのもしょうがなくはないだろうか。
無論、俺が女装したところなど見ても誰も喜ばないだろう。俺は面長で、がっしりとしたいかつい顔だ。ついでにひげも濃く、退勤時に顎を撫でればジョリジョリしている。それならまだしも、俺の容姿を褒めてくれた人間などいない。以前、初対面の女から、勝手に「よう田村!」と呼ばれたほどである。不細工の実例として出された麒麟の田村氏に対して失礼であり、俺にも失礼である。
俺の周囲で女装した人間は何人かいるが、よく覚えているのは二人だ。一人は大学のサークルの男で、余興としてボディコン姿でハレ晴レユカイを踊った。なかなかにキレのある動きで、女装以前にそっちのインパクトのほうがすごく、顔立ちも整っていたのでさほどの違和感はなかった。もう一人は男子校の中学の友人で、確か友人グループで模試の成績が一番悪かった奴が女装をする約束だった。幸か不幸か、メイド服を着る羽目になったのは小柄で丸顔の少年で、メイド服がよく似合っていた。ちょうどそこにいた肩幅のある剣道部が、メイド少年をお姫様抱っこしたら場が大いに沸いた。探せばその時の写真はどこかにあるかもしれないが、結局そのメイド服は誰が持ち帰って以来、行方知れずだ。
さて、何で女装のまったく似合いそうのない俺が、そんな真似をしたくなったのか、晩の紅茶と菓子を前に腕を組んで考えてみたのだが、結局のところ俺は無条件で愛されたいらしい。ただ美しいというだけで仲間内から崇拝されたり、高貴な身分のお方から寵愛されたりしたいのであろう。理由がわかってみればなんということはない、単純なことである。おじさんはかわいくなりたいのだ。甥っ子や姪っ子が、俺の部屋に積んであるぬいぐるみの手足を引っ張ったり、顔面パンチを食らわせたりしたときに、「うわあああん!」「ぎゃああああ!」などとアテレコして遊んでやるのも、根っこは同じだろう。俺はふわふわの熊ちゃんになりたいのである。
性自認が男性であるのに、突然女装に目覚める中年男性がいるのも、あるいはこうした理屈なのかもしれぬ。となると、電車ですれ違った女装おじさんというのも、全く理解できない存在でもなさそうである。
最初に言っておこう、私はVtuberグループ『ホロライブ』のファンであった。
そもそも、Vtuberからではなくニコ生も年代柄よく見ていたし、その中で感じていた生身の人間と言う致命的な欠点(そもそもニコ生を見るようなオタクは生身の人間が嫌いで二次元キャラが好きなのだからこれは致命的である。エロ同人のくっそキモい竿役の種付おじさんの方がテレビで持て囃されるハリウッドの誰々だとかジャニーズの誰々よりもまだ見ていられるほど、生身の人間嫌いである)を克服したVtuberと言ったものを高く評価している。
ホロライブもそんな生身の人間と言う弱点を克服したVtuberコンテンツに関わる一つの企業である。しかし、そのホロライブがここ最近立て続けに炎上している。個人的にそれはある程度、予想できた。それはタイトルにもなっているにわかオタク集団であることに起因する。
ここから、一部、いわゆるVtuberの中の人と言うV界隈のタブーについての言及もあるのでご了承いただきたい。
ホロライブの炎上と言ったら、真っ先にあがるのが無許可配信のことだろう。しかしだ、そもそもゲーム実況というもの自体がグレーなものであり、「黙認ベース」なのだ。アンチはこの黙認ベースに焚き付けたが、この黙認ベースは何もおかしくはない、そもそも著作権法第百十二条にて文句を言えるのは権利者だけと定められており、企業が示すガイドラインも一定の基準にしか過ぎず、ガイドラインを守っていても訴えることもありうるし、その逆、守ってなくても企業のさじ加減で黙認されるのだ。それに、実際、企業が行動を起こすかと言うと厳しい、他もやっているのにどうしてこの企業だけと言われたら、それが無罪ということにはならないが、減刑、著作権法は差止めと賠償なので、賠償額の減額、もしかしたら先例はセーフなのだから差止めも限定的になってしまうかもしれない。更に、追加するならば一度公開された著作物は自由に使われるのが原則としてあり、それだと大手しか生き残れないからフランスの音楽家たちが暴動を起こしたのが著作権の始まりであり、無断使用が悪いのではなく、文句を言われたら金払えと言うのが基本だ。
さて、この原則に則るのであれば任天堂やその他企業は黙認していたのだから無許可だろうと問題はない。黙認していたから。
そう、黙認していない企業、というよりは作品がある。そう、大神ミオが配信して削除された『ゴーストトリック』だ。
このゴーストトリックは、他の作品と違い黙認していた何てことはない。発売されて1年後、ゲーム実況界隈では当時、実況は発売してから1年は実況してはならないと言った暗黙の了解があり、案の定、逆転裁判のスタッフが作成したゲームとあり、発売から1年後の2011年には実況が多く上がった。
この時期にニコニコで実況を見ていた層はわかるだろう。ゴーストトリック、逆転裁判一斉削除事件だ。そもそも逆転裁判も権利関係は厳しく、定期的にプレイ動画は削除されてきた。このゴーストトリックも例に漏れず、すぐに削除された。
このことは当時、実況動画を見ていた層は記憶に今でも残っている、「逆転シリーズの実況は権利関係が厳しいからNGである」と。そして、逆転シリーズをメインにしていた有名実況者の何人かは引退を余儀なくされたので鮮明に覚えている。
さて、大神ミオのゴーストトリックの無許可配信に戻ろう。先述の通り、著作権法では黙認が原則であるが、ゴーストトリックはそもそも黙認されていないアウト中のアウトな作品である。そんなの知らなかっただけだろ!と言う声もするだろう。確かに警察や裁判に知らなかったは通用する(と言っても減刑だが)。だが、知らなかったのだろうか?それはそれで問題なのだ。
大神ミオの中の人であるメイアン氏は2008年から活動しているニコ生主、歌い手、“ゲーム実況者”である。私も歌い手が嫌いだったのでユーザーとして確認はしていなかったが、ピクミンと大神は当時観ていた記憶がある。そして、デビューこそ2008年だが活動は2010年~2012年が最も精力的に行っていた。
2010年~2012年…… そう、逆転シリーズ、ゴーストトリック一斉削除が行われていた時期ドンピシャである。当時、ランキング上位の動画も権利者削除され盛り上がっていたのだが、同時期に最も精力的に活動していた実況者がこの事件を知らないことはありうるのだろうか?ありえない、と結論付けることはただの憶測でした無いので、あくまで「配信を禁止されていると知っているゲームを無断配信した」と言う疑惑にとどめておく。あくまで以下、知らなかったと言う体で話すとし、とりあえず大神ミオのゴーストトリック無断配信のことは一旦切り上げる。
ここまで、徹底的に書いたからわかるだろうが、この無断配信の件を受けて私はホロライブの箱推しをやめた。
ここからは、タイトルのにわかオタク集団ホロライブについて解説する。
ホロライブのゲーム配信や雑談配信を聞いているとよく違和感を覚えることがあった。例えば最近の例だと、猫又オカユがペーパーマリオを実況しているときに既プレイだと言っているのにも関わらず「こんな展開あったっけ?」や「昔だから覚えてない」と言う発言がしょっちゅう出ていた。まあ、たしかに10年以上前に遊んだゲームの内容を覚えているかと言われたら……結構覚えている。まあ、記憶の問題は置いておくとして、この展開や覚えてないと言う場面、当時CMで嫌というほど流れたシーンやラスボス戦のシーンなのだ。(こういう言い方はあまり良くないが)真面目にゲームやってたら忘れないシーンだ。
それ以外にも現在、赤十字無断使用問題で燃えている白上ふぶき、日頃の配信から30代くらいのオタクみたいな発言をしているが、なにか突っかかるところがあると思っていた。それが確信に変わったのがクトゥルフ神話TRPGの配信である。自身の発信力も顧みず、間違ったルールを堂々とルールブックに書かれている通りと宣言し、結局修正はしなかった(心理学のシークレットダイスについての発言)。
他にも企業案件での動画なのに他社版権作品(鬼滅)のなりきりを突然始める大空スバルなどでわかった、ホロライブはオタクコンテンツが好きなのではなくコンテンツをコミュニケーションの手段としか捉えていないにわかなのだと。
コンテンツをコミュニケーションの手段として捉えることは悪いことではないし、むしろ良いことだ。しかし、ここで問題なのはコミュニケーションの手段“としか”捉えていないライバー集団ということだ。
わかりやすく例えるならば、航行の文化祭で「クラスみんなでハレ晴レユカイやもってけセーラーふくを踊ろう!」て意見を出してクラスをまとめ上げる女子だ。そして、オタクくんにも理解あるよアピールをする女だ。本物のオタクが文化祭で催し物に参加せず、机置き場になってる準備室で仲間内でアニメやゲーム、漫画について語り合ってるところ、遊んでいるところに突如現れ、私はお前みたいなオタクにも理解がある、その漫画とゲーム知ってるし、クラスのみんなも分かってくれるから一緒に催し物を回ろうとか言ってくる糞女だ。良くてポプテピで目の敵にされてるサブカルクソ女だ。
奴らは、その漫画、ゲームと言ったコンテンツを見ていない、そのコンテンツに理解のある私が好きなのだ。コンテンツの名前しか知らないし、その名前もゴールデンタイムのクッソつまらないバラエティー番組のパチンコのCMで知ったとかそういう奴だ。
ホロライブのライバーは一部の例外を除きそう言ったにわかオタク、サブカルクソ女の集まりだ。青春をアニメ、ゲーム、漫画に費やし、好きなことを生命活動よりも追求するオタクに取って最も忌避すべき対象だ。敵対勢力だ。
数少ない例外は、マリン船長とぺこら、ルーナくらい(フレアはオタクであることを隠そうとして隠れきれてないオタク臭するけど配信頻度的に私が詳しくない)だろう。マリン船長は声優と生身の人間が嫌いな私には理解できないところもあるがガチのオタクだ。年代的にギリギリであろう作品も名作とあらば実際にプレイしてみて、ハマっている。コミュニケーションよりも自分の好き語りが優先されるガチのオタクだ。ぺこら、彼女も夢女子として一度ハマりだすと止まらない。やめろというが、夢かたりしててアッアッアッとなる感じが正真正銘のオタクだ。ルーナ、ジャンルはたこ焼きとあまり私は理解がないが彼女はガチだ。ぽこしゅけとしてニコ生時代の彼女を知っている人ならわかるが、記念日に家族との食事の約束をたこ焼き食いてぇと言う理由でドタキャンして突如たこ焼き生配信を始めるレベルでのオタクだ。たこ焼きについては知らないが、オタクとは好きなことをとことん追求するものだ、このムーブはオタクそのものだ。
さて、こうしてみるとにわかオタクとした白上や大神ミオなどとの違いがよく分かる。オタクとなっている少数のライバーは好き語りに徹しているが、(特に白上ふぶきは顕著)好き語りと言いつつ、語りではなく紹介なのだ。同意を求めたり、返しを求めている。語れよ。
以上、にわかオタク集団ホロライブだ。そんなにわかオタクでオタクくんに理解のある陽キャだから、本物のオタクとのズレが表面化してきて、そういった似非オタクを集めた結果、黙認されていないゲームの無許可実況、情報漏洩、赤十字無断使用のように調べたらそれが駄目だとすぐに分かるようなことに対して、オタクの基本である即調べるができていないことが露呈し、今の大炎上になったのだろう。
ネットにおいて単芝表現が嫌われ始めたのはいつ頃でしょうか?みなさんはわかりますか?
私はわかりません。
最近は文字数制限のあるツイッターの台頭以降、単芝が叩かれることは少なくなったように思えますが、単芝で検索をしてもそれらが叩かれる対象であったことはよくわかります。
少し昔の事を思い出してみます。
携帯電話の進歩やmixiやモバゲーやGREEなどのSNSの流行、また2chにおいてはニュー速vipが大きく流行っていて中川翔子やVIP STARなんかも出たくらいの時期でした。前後してハルヒも流行して若年層のオタクが急増、ハレ晴レユカイのブーンなどから2chネタに触れる人も多くいました。
この頃wを半角で打ち込む「半芝」は叩かれていました。
それは携帯電話において英語モードにしてwを撃つと半角になるため、モバゲーやGREEなどのPCを持っていない中高生に人気のコンテンツでは半芝が多くなり、そこから「携帯厨」と呼ばれたりもしました。
当時2ch内ではIDの末尾がPCと携帯でOと0に区別されていた板があったためそれが原因で煽られる事もあるくらいに、携帯厨から生まれた半芝がたくさんありました。
しかしこの頃でも単芝は叩かれている風潮はなかったように思います。
私はその後ニコニコ動画が流行り始めた事が単芝が嫌われる事になった原因ではないかと考えています。
ここからは私の考察なので事実と違うところもあるかもしれません。
2chにおいてもニコニコ以前より「wwwwwっうぇwwwっうぇwwwwww」のようにwを連打する表現はありました。
しかしニコニコ動画が2006年に始まり、コメントの弾幕によりテンションがあがりやすくなり、当時ニコ厨と呼ばれた者の間ではwを連打する事自体が面白いかのように、笑っていないところでも連打する事例が増えました。(例:こんにちはwwwww)
動かない長い文章を読む事に慣れて動画にコメントがリアルタイムで流れる事に慣れていない2ch勢は、文章を読む事に慣れていない音と動きの文化であるニコニコ勢と文化の違いから対立する事が増えました。
2ch勢は草を生やしまくるニコニコ勢に呼応するように草の数を減らし、単芝を使用する事が増えました。
その後、ニコニコが大きく力を伸ばしていくにつれてニコニコを受け入れられない「老害枠」の2ちゃんねらーが「単芝」と叩かれるようになったのです。
というのが私の考察です。
皆様はどう考えますか。
「私はこう考える」「実際はこうです」など何かありましたら教えてください
私は1990年生まれで高校の時にリアルタイムでハルヒやニコニコ動画に出会った男性です。あまりアニメ全般については詳しくありませんが、私の経験の限りにおいてハルヒについて語ってみます。
ハルヒは当時の印象では「わけがわからないが、とにかく新時代のすごいアニメ」という作品でした。一つ一つの要素を見ると取り立てて珍しいものではないのですが、それらをアレンジするセンスと細部のクオリティがずば抜けていたと思います。
まず、日常系学園ラブコメと高度なSFとを融合させたアニメが珍しかったことは記憶しています。当時の私はスクールランブルやあずまんが大王にハマっていましたし、エヴァンゲリオンやカウボーイビバップも大好きでした。しかし、両者の世界観が融合するような日常系アニメがあり得るとは思ってもいませんでした。その後六畳間の侵略者やニャル子さんなど似たような作品が出てきましたが、少なくとも当時の私にとっては斬新な世界観でした。
もちろん作画も素晴らしかったです。これについて私はほとんど語れませんが、日常系萌え作品であれだけぬるぬると人物を動かしたことには驚きました。それまではロボットや飛行機をどれだけなめらかに動かすのかについては意識してきました。しかし美少女の手足や顔を実写のように丁寧に動かすことについては、ほとんど注目していませんでした。明らかにキャラクターの日常的身体動作を美しく作画する流れは、けいおんやその他の萌えアニメに繋がっていったでしょう。
また、ブログや2chなどでの考察が盛んになったのもこの頃でした。ハルヒは謎が多い設定や話数シャッフルなど、視聴者の探究心を刺激するギミックが多数仕掛けられていました。当時のアニメブログ上では考察記事や参考書籍の一覧があちこちで見られ、2chでは解釈を巡る論争が白熱していました。その後、シュタインズ・ゲートやまどマギでも同じような光景が繰り広げられることになります。
さらにはニコニコ動画やYoutubeの「ハレ晴レユカイを踊ってみた」動画が社会現象になりました。この流行に高校生や大学生の社交的な人々の多くが参加したことの意味は大きかったです。これによって電車男以来続いてきた、社会におけるオタク文化容認の流れが加速することになったと思います。深夜に放送している萌えアニメが、陰気なオタクが見るものから「(女性も含めた)普通の」中高生も楽しめるものに変わる転機でした。
2000年代の京アニは、Key作品のような男主人公ハーレム物から、らき☆すた、けいおんのような百合日常物へと変化していきました。それは2000年代から2010年代にかけてアニメの潮流がエロゲ的な物からラノベ・きらら的な物、オタク的な物からサブカル的な物、男性作家原作から女性作家原作へと変化する動きと重なっているように私には見えました。そういったアニメ界の地殻変動の結節点に存在していたのがハルヒであり、90年代文化の終焉と10年代に続く新たな文化の始まりの両者を象徴するアニメだったのではないかと今にして思うのです。もしかするとハルヒのこうした両義的な立ち位置がフォロワーの少なさに影響しているのかもしれません。
ちなみに2010年前後の私は一連のアニメ業界の流行の変化を「男性向けアニメの少女マンガ化」だと漠然と感じ、個人的にそのことを嬉しく思っていました。というのも私はエロゲに象徴されるようなハーレム系作品が苦手で、少女漫画や百合が大好きだったからです。けいおん以降の百合アニメ全盛のこの10年間は私にとってアニメの黄金期でした。今後、ハルヒやその前後のアニメの潮流は、どのように分析・批評されるのでしょうか?近い内にどなたかが『10年代の想像力』を書かれる日を楽しみにしています。
再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠
p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒ』シリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。
大ヒットした作品には「総決算」タイプと「新開発」タイプがあると考えている。
すなわち、過去の流行を上手くまとめたものと、新しい流行を提示するものである。
80年代・90年代のジュブナイルSFや超能力ものをベースに、
きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒ』である。
西尾維新のように、萌えを理解した上で過去の作品を換骨奪胎するのではなく、
ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。
Web小説でVRMMOものを流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、
『ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。
ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、
『ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、
直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。
ちなみに『ハルヒ』フォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。
難しい問題だ。
アニメ化前から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。
「スニーカー文庫のエース格」とは言えても、「業界を代表するエース」ではない、といった感じか。
第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態。
『憂鬱』は当時の2chの人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。
『消失』は同じく2chの人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。
ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、
(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。
勘違いされることが多いが、アニメ『ハルヒ』放送時(2006年4月〜7月)には、まだニコニコ動画(2006年12月12日〜)は存在しない。
「ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月〜9月)のほうが適当だろう。
『ハルヒ』の場合、本編を動画サイトで視聴するというよりも、「ネットで話題になったシーンだけを確認する」という使い方がまだ多かったのではないか。
当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。
(このあたりは個人的にYouTubeを敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)
その視聴体験をみんなで「共有」したという点については、ニコ動(のコメント機能)の果たした役割は大きいと考える。
2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである。
はてなダイアリーが2003年1月。livedoor Blogが2003年11月。アメーバブログが2004年9月。FC2ブログが2004年10月。Yahoo!ブログが2005年1月。
2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。
「カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。
また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察や話題の拡散を手伝うこととなった。
(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である)
ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブームも2005年くらいか。
ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである。
アニメ『ハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。
自主制作映画を完璧に再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏。
時系列シャッフルや公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。
2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランドが確立されて以降は、
他のアニメでも異常に作画のクオリティがアップしていったことだし、
やはりアニメ『ハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。
アニソンあるいはキャラソンについては、2005年のアニメ『ネギま』の主題歌『ハッピーマテリアル』の影響が最大で、
『ハルヒ』の「ハレ晴レユカイをオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。
ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、
『ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。
1997年にアニメ『スレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、
世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、
2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。
それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。
つまり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。
とはいえ『ハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である。
あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。
やはり外的な要因に求めるべきだと思う。
京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…
これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか。
あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。
これだけは間違いない。