はてなキーワード: 余震とは
自分は非常に乗り物に酔いやすいのだが、一口に乗り物酔いと言っても、経験上、大まかに4パターンぐらいに分類できると思う。
景色を目で追ってしまうことで起きる乗り物酔い。3D酔いはこのパターン。映像酔いとも言うらしい。
自分の場合、映画やプラネタリウムで上映される映像の画面全体がスクロールするだけで一瞬で酔える。
(今は知らないけど昔のディズニーランドのスペースマウンテンとか最悪だった記憶がある)
何なら調子悪いときは、自転車を漕いでいるときに、カーブや右折/左折時に景色を目で追ってしまってもダメ。
景色を目で追わない。目をつぶる。目をつぶれないときは、動かない1点を見つめる。例えば窓ガラスの汚れを見つめるとか、バスだったら車内の設備を見つめる。長年悩まされて来たが、3Dゲームの映像の真ん中に動かない1点が出てくるアレの応用。
遠くを見ろと言われるが、自分は遠くを見る程度ではだめだった。
多分だけど、山道で酔うパターンもこれだと思う。景色を目で追わなければ大丈夫なんじゃないかな点…。先日、ちょっとした丘とカーブをバスで超えないといけないときは、これで乗り切れた。バスの中の柱とか前方の椅子をずっと見つめてた。もっと険しい山道で試したい気持ちもあるが、失敗したときに悲惨なので試したくない。誰かやってほしい。
自分は振動で酔わないので良くわからない。すみません。ただ、世の中には振動で酔う人もいるらしい。対処方法として、バスならエンジンの近くに座らないようにすると良いらしい。何も具体的なことが書けず申し訳ない。
これは速度による恐怖感で、心理的な不安から酔いが来ている気がする。非科学的で申し訳ない。
自分の場合は新幹線が駄目。周囲に新幹線で酔う人なんて極少数派なので正直恥ずかしい。特に、東海道新幹線のぞみの東京行きの浜松〜新横浜あたりはやたら全力出してくるの何なの!?!?あれで高頻度で酔う。
あとは以前、調子悪いときに横須賀線に乗って軽く酔ったことがあるな……駅間で速度出しすぎなんだよね……でも似たような区間を走るはずの東海道線は全然平気だったんだよなーなんでなんだろう。
乗り物酔い止めの薬+睡眠ちゃんと取る+ごく軽食を1〜30分程度前に摂取する(ゼリーとかビスケットとか)で乗車する。
※ 酔いにくくするためと、万が一酔って吐いてしまっても影響を最小限にしている
酔い止めも、眠気が強く出るタイプを買って、乗車中は寝て過ごす。
新幹線に乗る機会がそこそこ多いので、毎回酔い止め飲んでるけど、これを長期間続けて脳に影響等は出ないんだろうかと思う。本当は五苓散が効いてくれれば良いんだが、試した感じだとプラシーボ的な効果しか自分には無さそう。
出張の移動日は酔い止めの影響で、正直仕事にならない。会議とかボーっとして上の空。泊まりなら翌日は平気だけど、日帰りだと全然パフォーマンス出ないので、出張の意味が無い。
新幹線で食べ物を食べられる人がうらやましい……自分も新幹線で駅弁とか食べたい。
※ 酔い止めがちゃんと効いている間で目が冷めている間は、読書やスマホ視聴ならいける。
飛行機がこれ。以前、乱気流に巻き込まれたときは機体が高頻度に上下して死ぬかと思った。
飛行機は酔い止めを飲んでもそこそこの確率で酔う。どうすれば良いんだろう。自分的に解決方法はない。ただ、飛行機は滅多に乗らないのであまり気にしてない。
これは視覚+浮遊感の合わせ技なのかな?船に乗る機会が無いのでわからない。短時間のフェリーとか観光船ならあるけど、内海だったし揺れなかったのでそのときは全く大丈夫だった。釣りで船に乗る場合だったら、多分酔って死ぬと思う。アネロンとか飲めば平気なんだろうか?
3/11のときに余震で軽く酔った。東北に近いわけでもないんだけど……。
自分の場合、酔うといっても吐いたことがあるのは小学生の時ぐらいで、それ以降は吐くことは無かったので、それは不幸中の幸いなのかもしれない(死ぬ気で我慢しているとも言う)。
ある日、大地震が起きた。思えば、あの日の朝はいつもと違って強い風が吹いていた。気象庁のWebサイトで見た通りに天気は晴れ、しかし空はやけに不穏な雰囲気を漂わせていた。
朝からなんだか落ち着かない気分で、東急線に乗って職場のある渋谷に向かった。とりあえず混んでいる電車の中でイヤホンをしてSpotifyで音楽を聴いていたが、心のざわつきは収まらなかった。渋谷のスクランブル交差点を歩いていると、その時突然、全てが崩れ始めた。
大地がぐらぐらと揺れ、周囲のビルのガラスがパリンと割れる音が響いた。パルコも109も震えていた。すぐに近くのカフェで避難しようと思ったが、人々の混乱でまともに歩けなかった。目の前で桜丘町のビルが崩れ、周囲の景観が一瞬で変わり果てた。
パニックになった人々の叫び声や泣き声が耳をつんざく。LINEで家族や友人に連絡を取ろうとしたが、繋がらない。携帯電話のアンテナ表示が消えかけていて、これは現実なんだと改めて実感した。
地震が収まった後も、不安は消え去らなかった。ニュースサイトを更新する度に新しい被害報告が並ぶ。新宿、池袋、品川、ごく広い範囲で甚大な被害が報告されている。特に目黒区の青葉台や目黒川沿いの地域はひどい有様だった。自分の住む中野も、大丈夫だろうかと心配になる。
日が暮れた頃、ようやく電波が戻り、友人や家族とのやり取りができるようになったが、安堵の気持ちと同時に恐怖が蘇る。自分の働く会社も、被害甚大で営業停止との連絡が来た。無事だったことは幸いだが、今後の生活は一体どうなるのだろうか。
それから数日が経ったが、未だに余震が続いている。その度に心臓が凍る思いだ。行きつけのコンビニも棚が空っぽで、生活必需品が手に入らない。全ての日常が根底から覆された。
かつての当たり前の日常を取り戻せるのか、それとも全てが変わってしまうのか。未来が見えなくて、不安ばかりが募る。もう一度、穏やかな日々が戻ってくることを、心から願っている。けれども、この大地震が残した傷跡は、簡単には癒えそうもない。
七尾市の状況はこんな感じだそう。↓
「早く家を調査してもらわないことには…」 能登の自治体、罹災証明の発行まだ3割台 生活再建のネックに:東京新聞 TOKYO Web 2024年2月20日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/310377
七尾市は名古屋市から応援を受け調査態勢を強化。16日時点で1万3840件の申請があり、交付率は38%。当初は3人1組6班態勢だったが、2人1組の最大12班にし、1班で半日に4件しかできなかった調査を、1日で30件程度まで増やした。
おそらくは・・・そもそも申請に対応するキャパがないがとにかく調査を進めて明らかに崩れている家をまず認定せねばならない。
このことは新潟市で今取り上げられてる。新潟市こうした情報を取りまとめて出せるが、七尾市あたりは全然それどころではないと思う。
地震 新潟市の住宅の被害認定めぐり290件余の再調査申請|NHK 新潟県のニュース 03月08日
https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20240308/1030028654.html
市によりますと被害の認定は屋根や外壁など外観の被害を調べる方式で行いましたが、再調査にあたる2次調査を求める申請が先月までに299件、提出されたということです。
2次調査は住宅の室内に入って天井や床の状況を調べる方式で行われ、被害の認定が下がることもあり得るということです。
市は、国の指針に基づいて調査を進めてきたとしたうえで「2次調査を求める声があることを国にも伝えたい。調査を迅速に進めるとともに判定結果を丁寧に説明していきたい」とコメントしています。
このように外観で判断してとにかく調査をして認定を進める方針は、以前から国から示されているという。正確には知らないが、これだろうか。
災害に係る住家被害認定業務 実施体制の手引き 平成29年3月内閣府(防災担当) P.12
https://www.bousai.go.jp/taisaku/pdf/saigai_tebiki_full.pdf#page=20
a) 地震による被害 地震により被災した住家に対する被害認定調査は、第1次調査・第2次調査の2段階で実施します(調査棟数が少ない場合等においては、第1次調査を実施せず、第2次調査から実施することも考えられます)。 第1次調査は、調査棟数が膨大となり、余震による二次災害のおそれがある等の地震災害の特性を踏まえ、外観の損傷状況の目視による把握、住家の傾斜の計測及び住家の主要な構成要素(外観から調査可能な部分に限る。)ごとの損傷程度等を目視により把握するものです。 第2次調査は、第1次調査を実施した住家の被災者から申請があった場合に実施します。第2次調査は、外観目視調査及び内部立入調査により、外観の損傷状況の目視による把握、住家の傾斜の計測及び住家の主要な構成要素ごとの損傷程度等の目視により把握するものです。 被災住民に対しては、上記のように2段階で調査が実施されること及びその意義について十分周知することが必要です。
明かに住めない立ち入れない家の持ち主は早く認定が降りて助かるが、自分は助かったと表明するわけがないし、当然不満を抱えた人の意見がどんどん溢れてくる。
こうしたことを明らかにしても何も救いにはならないとは思うが、とにかく地震で膨大な家屋が損壊するという天変地異はそのくらい文明社会の限界を超えるものなのだろう。
最新の情報をお伝えするわね。
私の今の鍋のベーナーの中身なんだけど、
鶏の水炊きです。
なかなか良いルーシーが育って来ているの。
そんで、
このお鍋の色々なベーナーの中の美味しい出汁が出たルーシーでこれおでんできんじゃね?って思ったのよね。
昨年末の手回し微塵切りきで必殺ワサを修得してタマネギスープにドハマり暮らしていたんだけど、
作るのは良いけれど
大量に出来てしまって食べるのに逆に辛い日々、
結経鍋のベーナーの季節のシーズンになっても
なかなか鍋もできなくそれに伴っておでんももっての他なのよね。
でようやく空いて鍋が空になったところに最後今シーズンラスト鍋のベーナー鶏の水炊きキメようと思っていま実行中であるの。
まだ牛筋買ってないので、
良い牛筋があれば適当に煮る下ごしらえするんだけど何せ手間よね。
まだやってない実行には移せてないのよね。
でさ、
思うんだけど
最近の牛筋って柔らかすぎない?
圧力鍋で下茹でするんだけど、
そして煮るんだけど
そして焼いてさ食ってさ!って
ちょいと木の葉では隠さないけれど
最近の牛筋って煮込めば煮込むほど無くならない?
牛筋の存在感がなくなの!
昔の牛筋はとにかく固くて固くて、
よく祖父とかは牛筋で出来た玄翁で釘打っていたのを覚えているんだけど、
そのぐらい昔の牛筋はそれはそれは牛筋たる所以!
いくら煮ても固くていや逆に充分な食べ応えをかましていたのに、
今の牛筋はゆとりなのかさとりなのか煮すぎなのか、
とにかく柔らかいのよね。
柔らかく仕上がって良いけれどある程度の限度の限界の煮るポイントを超えてしまうと儚く消えていくの。
私がいつも言っている、
バブを握りしめながら湯船に浸かって、
世界を救いきれなかった悔しさで、
儚く消えていく残された無念のその少女のその思いの如く
握りしめたそれは湯船の中で溶けて無くなっていくバブにその少女の思いを重ねて見つめる感じと同様に
鍋の中でベーナーの牛筋は煮過ぎると儚く消えていくのよ。
牛筋みが救いきれなかった穴あきお玉でも影も形も現さない感じで掬うことができないのよ。
煮るということを覚えてから煮れば煮るほどそう言う煮物は美味しくなる
てーてっててー!て
あのねるねるねるねのお婆さんが伝承の煮る術を私に教えてくれたならば、
その煮る煮る煮るね!の煮すぎれば煮すぎるほど食材は無限に旨くなると思っていた時代があったの。
でもある程度の臨界点を超えると
出汁の利いたルーシーのスープの中で溶けて無くなってしまうのよ。
これは衝撃よね。
無限に煮れば煮るほど煮物は美味く美味しくなると思っていたから。
だからある程度の限度を境目にして
つまり
そうよコスモがあるの!
おでんに取り組まなくては!って思ったのよね。
牛筋は煮込みすぎ禁止ステッカーをちゃんとおでこに貼ってから充分に注意して下処理するわ。
でも次マーケット行った際に
良い牛筋がありますように!
そうお星様に願うわ。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の前の商店街の喫茶店だけど和食モーニングもありー
いつもだいたい鮭か鯖かの2つで
その鯖が焼きたては焼きたてでじゅうじゅう皮目が焼き弾けていて
うわ!美味しそうな焼き具合ションテンが爆上がり朝の焼き鯖定食!っていただいてきたところよ!
魚の脂がじゅうじゅう鳴っているのはションテンが上がる美味しい合図よね!
ごちそうさまでした!
御湯沸かして置いたままだったので、
朝の見頃の60℃!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2024年は1月1日の能登半島地震、1月2日の飛行機事故、最悪の事態で年が明けしました。
東日本大震災同等の大型地震で甚大な被害により、230人以上の方が亡くなられました。
お亡くなりになられた方に心よりお悔やみ申し上げます。
余震も続いている状況なので、二次災害に遭われないことを願います。
現地の自衛隊員の方々の支援活動をテレビニュースで拝見しています。
行方不明者の捜索活動、ライフラインの復旧活動に尽力されている様子を見ると頭が下がります。
早急に、水道、ガス、電気が復旧して一日も早く普通の生活が出来ることを願います。
被災者の皆様引き続き頑張って下さい。
ボランティアの方も災害に遭われないように行動を気を付けて下さい。
細川徳生
今回の地震についての雑感その1。俺は石川県金沢市の人間。金沢は本震と余震で揺れは酷かったが、海沿い以外は大きな被害は出てないらしい。
Twitterで、パヨクの二流言論人が好き勝手な事を書き連ねているのを見て、心底その金に魂を売ったような卑しさにうんざりした。またへずまりゅうや山本太郎の被災地訪問が叩かれていたのも、まあ茶番だなと思った。知名度のある人間が数名来たところで、励まされこそすれ迷惑になどなるはずがないだろう。また馳さんへのバッシングにも大してリアリティーを感じなかった。馳さんも特段、致命的な失態を犯したわけではない。
別に、腹が立ったわけではない。いちいち感情を割いている余裕がなかったのだ。外野というのは、どこまで行ってもリアリティーのない他人事なのだなあとつくづく実感した。東日本大震災や熊本地震の時に、Twitterをやっていなくて良かったなと、これほど思った事はない。
そして自民党のお偉い方は、不祥事の後始末と権力争いに忙しくて、ド田舎の災害なんぞに気を回す時間は惜しいらしい。災害対応など片手間でやってるようなもんだ。こういう連中がこれからも不祥事と権力争いを続けるなら、次の災害の時もまた片手間対応だろう。
だからと言って、馳に入れた石川県民が馬鹿だったとも思わない。彼は少なくとも形上は自民党ではなく、維新の推薦で選挙に出た人間だ。それに、「人ではなく党で選べ」というのは国政の理屈だ。都会は知らないが、田舎はただでさえ人が少ないのだから、いくら気に食わない党であっても、信頼できる人間がその党にいるなら「党より人」でその人間を選ぶよりないんだ。逆に聞くが、石川が自民党以外の人間を選んでいれば、今の中央政府の馬鹿騒ぎも収まっていたのか?それを自己責任だと言うなら言えばいい、俺たちはそいつらから救いの手を乞おうとは思わん。
とりとめのない話になったが、2本目は書くかどうか分からん
行政がよくやっている労災の講習会みたいなので、必ず紹介される労災がある。
助けに行った人もダメになるやつ。
地下ピットとか謎の縦穴に入っていった人が酸欠とか硫化水素で倒れて、それを見てた人が助けに行ったらその人も死んじゃう、2次災害。
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen_pg/SAI_DET.aspx?joho_no=100734
今回の地震でも、ボランティアにそういったことが起こる可能性はあったと考えている。
実際に東日本大震災でも復旧作業中の余震で亡くなった方はいるし、今回もある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8f1cee0d65d60227c7baa485f8b0527f7d11b34
大きな地震があると「今後一週間は大きな揺れに注意」みたいなことをテレビなどで伝える。
これは、どれが本震でどれが余震なのかは後になってみないとわからないからだ。
実際にはなかったけれど1月4日頃に本震が起こる可能性は誰も否定できなかった。
山間部の孤立地帯って常識的に考えると地震による土砂崩れ等で孤立してるわけで、余震の続く中で救助活動するのって二次災害に繋がりやすい相当なリスクだよね。もちろんある程度のリスク管理はされてるだろうけど、普通に建設工事してても毎年数百人の単位で人が死んでるのにこの非常時だとそれも限定的だよね。
当事者の爺婆にそこまで考えろとは言わないけど、爺婆のお気持ちに寄り添うためのコストを真の意味で負担させられているのは誰で、気軽にお気持ちに寄り添えと主張することが政本当に治的に正しいのかは考えた方がいいよね。あ、それとも自衛隊が嫌いな方々でしたか、それなら余計なお世話でしたね。
・陸の孤島になると復旧に時間がかかる、1週間分くらいは備蓄しておきたい
・備蓄しても家が崩れたら取れない
・海路は港が使えなくなる可能性もある(今回はだいぶレアケースだったらしいけど)
・直下型、周期によっては今でもビルが倒れるほどの揺れが有り得る
・ボランティアが必要かどうかはよく調べる、特に公的情報を見る
・ボランティアをする際には自分の衣食住は自分で賄う必要がある(これは東日本大震災でよく見かけた話)
・古着は要らない
・1次避難所(体育館など)のイメージが強いが、1週間くらいで2次避難所に移動する人が多い
・学生は一時的に被害の少なかった地域に移動して勉強するケースも有る
・仮設住宅の期限は2年
その他
こういうとネトウヨ!といわれそうなのでまず言っておくが、政府批判を辞めろ、とか言うわけじゃない。
なんで辞めるのかっていったら、もう不毛な議論にしかなっていないから。
メリットデメリット両方あって、「こっちがいい!」「こっちが悪い!」とか正直決められないんよ。
山本太郎の現地入りも政治家が主導できるみたいなメリットはあるけど、外部の人間が自分から要救助者になりに行くようなもの(特に山本は松葉杖や車いすが必要だった)で、余震で転んでケガ悪化して…というデメリットがある。
「個人のボランティアを控えろ」も、人が来なくて渋滞しないからその分自衛隊・救急・警察など救助のフェーズで必要なリソースを速やかに奥能登へ送れる、ただしデメリットとして避難所での支援は遅れる。
ヘリや自衛隊もありったけぶち込めばたくさんの人が早く助かるメリットがあるけど、陸の孤島になりやすい奥能登の特性を考えるとかえって遅れたり、救助を急いだ結果ヘリが墜落して二次被害になるデメリットがある。
これだけメリットデメリットがあるから、こっちがいいんだー!とか言ってられないんよ。
挙句の果てには「政府や石川県は原発事故を隠している!だから来るなと言ったんだ!」だとか「渋滞はデマ!政府の初動が遅かったことをごまかすために、渋滞を言い訳にしたんだ!」という陰謀論まで流す始末。
渋滞云々、「一分一秒も無駄にできないのに、このタイミングで来られて事故られたらマジでシャレにならないから来ないで」と言う話なのにねぇ。
よく言えば政治に熱心な方々、悪く言えば場をひっかきまわしたい奴、とにかく特定の政党をこき下ろしたい奴、そういう奴の言うことを信じて拡散しちゃう奴。
こいつらが暴れまわっていてもう見ていられない。
被害が落ち着いたら、今回の対応の検証も必要だけど、正直これも不毛になりそうなんだよなぁ…
だって現状見てたら「俺の考えが絶対正しい」バトルにしかならないだろ。
「もっと救援をぶちこんでればみんな救われた!!!」「いいや!むしろ混乱が起こり、救えるものも救えなくなっていた!」って具合にな。
正確に情報を精査すると
「奥能登では道路状況がよくなく、また余震が続いているため、二次災害を防ぐために一般ボランティアはまだ来ないよう県がお願いしている」
なんだけど、これを少しずつズレた捉え方をして反論してる人がたくさんいる
主張
・金沢市あたりでは渋滞は発生していないからボランティアに行くべき
→ これは若干は合ってるが、金沢市では物資や人手は足りているのでは。避難者数は1万人。
・「石川に来るな」と言う意味ではないからもっと奥能登以外にはボランティアに行くべき
→ まず「石川に」と言ってない。奥能登以外も募集してないってことは不足がないってことだろ
・歩いていけばいいだろ
→ プロは現地入りしている
ちなみに「石川渋滞はデマ」派に対して反論する奴らも大体馬鹿で
なんか、馬鹿と馬鹿が間違った議論をずっと続けてウロウロしてるみたいな状態に名前ほしい
2ch時代はスレ民の中に数人まともなやつが居るとガラッと空気が変わるんだけど
(だから下手なこと言えなかった、袋叩きにされるから、言う前に裏取りする癖がついた)
馬鹿の特徴として「調べない」「ソースが誰かのツイート」ってのがあると思う
あと陰謀論をほんとによく見かける、前からこんなに多かったっけ?自分がフィルタされてるのを見てるだけ?
「◯◯はやくやれよ!」←もうやってる
みたいなのが散見される、馬鹿は情報がいつの話かも見ないし調べもしない
これははてなーでもよく見かける
___
蛇足だけど
「奥能登では道路状況がよくなく、また余震が続いているため、二次災害を防ぐために一般ボランティアはまだ来ないよう県がお願いしている」
って、一個でも認識がずれると簡単に反論できてしまうネタなんだ
・道路状況がよくなく → この認識が抜けて、自衛隊の数が足りないと主張してしまう
・余震が続いてるため → この認識が抜けて、奥能登の孤立地域以外は安全と思いこんでしまう
・二次災害を防ぐため → この認識が抜けて、ボランティアが今すぐ必要という認識が勝つ
特に量の感覚とか、タイミングの感覚とか、誰がどの立場で言ったかみたいなのは本当に抜ける
だからこういうネタは馬鹿の炙り出しとして非常に優秀(同時に議論がぐちゃぐちゃになってカオスになる)
ただ、世の中こういう情報を正確に読み取れない人は結構な割合でいるので
うっかり間違った行動の支持者が増えることもある
それを狙って敢えてそういう行動をする人もいる
なのでカオスは終わらない
情報を正確に読み取れなくても、変な主張しないという選択を取ってる賢い人は大勢居るんだけどね
無知の知だね
ラノベみたいだけどラノベみたいな文章で公式が声明出してるんだわ
https://twitter.com/tobeofficial_jp/status/1744343194320699461
※当時一般車両が原因で石川では渋滞が発生し、県知事が来訪を控えるよう強く要請
※ヤマザキパンなど国や県の要請により石川入りするのはよいが芸能事務所であるTOBEに要請が来ると思えず、その記載もなし
※1/3-1/6の期間のうち、自分たちの食事、眠る場所、トイレなどの記載がなく不透明
※この期間は余震が続く可能性が高く、自分たちが二次災害に巻き込まれる可能性あり
やったことは善行かもしれないがこれを美談にしてはいけないと思ってるし、称賛しているのはTOBEの一部ファンだけで安心した。
2016年の熊本地震では熊本から阿蘇を経由して大分を結ぶ国道57号線が崩落し、かなりの不便を強いられた。とはいえ、熊本から阿蘇へはミルクロード経由で行くことは出来たので阿蘇の孤立は避けられた。また、阿蘇から大分へ抜ける道は通常通り通行することが可能であった。震災から数日後には阿蘇から近い大分県内のホームセンターでは災害対策用品が品切れになっていた。大分県内のガソリンスタンドで給油する熊本ナンバーの車も目にした。震災後の阿蘇市内では自衛隊が活動していた。ミルクロードわきでも自衛隊が小規模ながら野営をしていた。熊本地震はいわゆる前震が4月14日(木)に起きた。前震とはいえ余震もひどく、避難所に行ったものの居続けることは無理と悟り、夜中の3時頃には熊本を経った。本震は16日の深夜1時頃に発生し、その時は既に熊本にいなかった。阿蘇大橋が落ちたとの情報が入ったのは覚えている。その後は職場の連絡網が回ってきて無事を確認したりした。15日は一旦熊本に帰っていたのでタイミングが悪ければ被災していたかも。阿蘇大橋の崩落で巻き込まれた学生さんは亡くなられた。それが自分だった可能性はあった。14日の前震で避難したという人は少なからずいた。直接の被害はなくともあの余震の中で過ごすことは無理だった。