はてなキーワード: 言葉にできないとは
というより、男性と交際せずに猫を飼って満足する女性への憎しみと、それが猫への憎しみに移行している傾向と言ったほうが良いだろうか。
はてなではぬいぐるみを抱いて寝る男性の記事が出たり、猫を可愛がる独身男性の記事が出るなどするので、男性に猫憎悪者のイメージはあまりない。
ただアメリカでもイギリスでも韓国でも、男性と交際せずに猫を飼って満足する女性を揶揄・罵倒する専用の単語が作られており、そうした女性への憎しみが広がっている。
そして韓国のテレグラムグループで猫を虐待して殺す動画が男性同士で流通していたり、中国では猫虐待動画の量産ラインと販売網が構築されていたりする。子猫を溺死させたり、「ひらき」にして吊るしているような動画が人気を集めている。
日本では男女問わず「猫ちゃんは可愛いので大好き」でよく、男性が「ちいかわ」のキーホルダーをつけていてもゲイや精神病の認定を受けない。
男性も可愛いものを可愛がっていいんだよ!誰にも迷惑かけてないんだから!という、国際的にみると独特の社会圧の低さがあるから、海外で進行しているこの流れとはかなりの温度差がある。
ただ、ポケモンセンターストーカー殺人の件が、彼氏よりも夢を叶える転職を優先して別れた女性という、
NTRですらない現象(強者男性に彼女を奪われたのではなく、「恋愛・男性全般」が「夢の職場」に負けている)とそこからの殺人というのは日本でも起きており、
海外では男性ではなく仕事や学業や趣味や猫を選ぶとか、要は男性とのパートナーシップから離脱して別のものに専念して満足する女性の傾向が日本より強く、
「イケメンコンサートに行く」とか「アニメのイケメンの夢小説やBLを読み缶バッジをジャラジャラつける」という推し活化(現実の恋愛・結婚離れではあるが、男性表象離れまでは行ってない)でもなく、もっとラディカルな脱男性・脱恋愛の傾向が強い気がしている。
そうした流れのなかで猫を虐待する需要が強まり、虐待動画が量産されて販売網が拡大、景気が悪化している中国における新しいコンテンツビジネスになっているのは非常に残念なことだ。
虐待動画は言語が必要なく国際的に流通するため、動物虐待の罪がなかったり軽い国で生産されて、罪が重く支払い能力が高い国で消費される流通網を作られてしまうと、止めることが難しい。
The secret war between cat lovers and the abusers who profit from cruelty
https://edition.cnn.com/2025/05/30/asia/china-cat-deleters-torture-intl-hnk-dst
彼らが監視している中国のTelegramグループでは、2024年6月から2025年2月の間に新たに追加された虐待動画が500%増加した。平均すると、およそ2.5時間ごとに新しい動画が1本投稿されていたことになる。
「その動画には、生きたまま焼かれる猫もいれば、ミキサーで粉砕される猫も映っています」とララは語る。
「猫がバラバラに切断され、内臓を引きずり出されて引き伸ばされるケースもありました。」
動物の苦しみは検索語にまで変えられている。たとえば前脚を切断され、後ろ脚でしか立てなくなった猫を指す「T-Rex」という言葉などだ。
CNNが主流サイト上で入り込んだフォーラムでは、コミュニティのメンバーたちは自分たちを「cat lovers(猫好き)」と呼んでいた。これは本物の猫好きへの嘲笑であると同時に、自分たちの活動を偽装する意味もあった。
米国の動物愛護活動家ファイドラは、中国と米国の当局に通報を試みたという。
報復として、一部の虐待者はファイドラのXアカウントの写真を使って彼女のディープフェイク・ポルノを作成した。さらにある者は、彼女の子どもの頃の写真を、死んだ猫や「Phaedra、お前のところへ行く」と書かれた札と一緒に使った。
覆面ボランティアのチェンによれば、グループ内で出会う人間の多くは、社会に取り残されたと感じている孤独な男性たちであり、こうしたグループの中に結びつきを求めてもいるように見えるという。言葉にできないような趣味によって結束しているのだ。
彼は彼らを「incels(インセル)」、すなわち「非自発的独身男性」だと表現した。女性から拒絶されたと感じ、そのため多くの女性が愛する動物を傷つけることで性的快楽を得ているのだという。
活動家たちは、一部の消費者がこのコンテンツに惹かれるのは、猫の悲鳴が女性や子どもの悲鳴に似ているからでもあると話している。
2024年には「Street Cat」というアプリを標的にするおぞましい計画が持ち上がった。このアプリは、猫好きが見られるよう、野良猫や保護施設の猫をライブ配信している。
ネットワークはアプリのサーバーをハッキングして場所を特定し、猫を捕まえてバラバラに切り刻み、その残骸をライブカメラの前に投げ捨てた者に報奨金を出すと持ちかけていた。
第29章:疑念と隔たり
最初は、診療所に足を踏み入れるたびに心が重くなるような気がした。
その圧倒的な静けさと、白い壁が放つ冷たい空気に、いつも緊張を感じていた。
だが、少しずつ慣れていった。
担当の看護師さんは、いつも笑顔で優しく接してくれて、B子の緊張を和らげてくれた。
最初は言葉も少なかったが、少しずつ打ち解け、話もできるようになった。
いつも穏やかで、B子の話をじっくり聞いてくれる。
何か心に引っかかることがあれば、それをすぐに察して、優しい言葉で答えてくれる。
B子は、Uさんがいるからこそ、この病院に通う勇気を持てたのだ。
でも、ある日から急に変わった。
その日も、いつも通りに病院に着いた。
いつものように、待機室で座り、順番を待つ。
だが、その日のUさんは、どこか様子がおかしかった。
以前の穏やかな笑顔はどこにもなく、目はどこか遠くを見つめているようだった。
さらに、B子に声をかけるときも、なんとなくぎこちなく、目を合わせることを避けるような感じがした。
「Uさん、どうかしたんですか?」
B子は心配して聞いたが、Uさんは小さく首を振り、何も言わずに診察室へ案内した。
その日の診療後、B子が帰ろうとすると、廊下ですれ違った別の看護師が目を逸らした。
「こんにちは、Oさん」と、いつも名前で挨拶していたのに、今日はまるでB子のことを知らないかのように素っ気ない態度だった。
その後も、Uさんや他の看護師たちは、B子を避けるようになった。
目を合わせることもなく、必要最低限のことしか話してくれない。
この変化に、B子は次第に気づくようになった。
何かがあったのだ。
その理由を考え始めた。
最初は、単なる気まぐれかと思ったが、何度も繰り返されるその態度に、次第に不安が膨れ上がっていった。
「まさか……」
ある晩、B子はふと思った。
「……教授に、性加害されたわけないよね?」
その考えは、B子の中で強く浮かんだ。
彼女の心の奥底で、ずっと解けないまま残っていた疑念。それが、ふと顔を出した瞬間だった。
無理やり誘われて、しつこく求められたこと。
でも、あの時、心のどこかで感じた「まさか、そんなことは……」という気持ちが、ずっと支えていた。
「いや、違う、違うはずだ」
「私は、きっと何か勘違いしているだけだ」と。
それに、教授はそんな人じゃないと信じていた。
B子はその信念にしがみついていた。
でも、心のどこかでその考えが、恐ろしいほど不安定になり始めていた。
そして、数日後。
ある晩、B子は再びUさんに会った。
診察後、Uさんがいつもより早く廊下に現れ、B子に目を合わせた。
「……あの、B子さん」
Uさんの声は、いつもの優しさを失っていた。
B子は息を呑んだ。
何かを言おうとしている、だが言えない。
Uさんは、突然こう言った。
「……教授に、気をつけてください」
「教授……?」
Uさんは一瞬、目をそらした後、低い声で続けた。
「最近、いろいろな噂が……」
その言葉は、途中で途切れた。
「どういう意味ですか?」
B子は口を開いた。
その瞬間、Uさんはすぐに首を振った。
「何でもありません。すみません、忘れてください」
Uさんの態度が変わった。
B子はそれを感じた。
それが、予感のように、心の中で深く根を張り始めた。
Uさんが、なぜそんなことを言ったのか。
その夜、B子は寝つけなかった。
何度も考えた。
「本当に、教授は……」
その疑念が、胸の中で膨れ上がっていく。
そして、次の診察の日。
B子は、ついに決心をした。
「Uさんに、もっと詳しく聞こう」
その決意が、心を引き締めた。
明日ちゃんのセーラー服、前回は髪を結ぶシーンで燃えてて今回はリップクリームを塗るシーンで燃えてるけど、確かになんか言葉にできない気持ち悪さがあるんだよな…
同じくエロ売りしてるTo Loveるは不思議とそこまで気持ち悪いと感じない。
何が違うんだろうと考えたときに、真っ先に思い浮かんだのがこれだった。
何というか、明日ちゃんのセーラー服の読者は現実の女子中学生も性的な目で見てそうだし、作者も「女子中学生のここがエロいよね!」と自身のフェティシズムを作品に落とし込んでそう。
あとTo Loveるは性に目覚めた少年とか若い男子が好きそうだなって思うんだけど、明日ちゃんのセーラー服はどことなくおっさんが好きそうな感じがする。
精力は衰えたけど若い女体への執着を捨てきれないおっさんが「こんな可愛い娘がいたらなぁ」と性欲と庇護欲をごっちゃにした願望を抱いてそうというか。
エロ漫画みたいに抜いてスッキリして終わりじゃなくて、明日ちゃんという作品を読むことによって理想化した女子中学生像をさらに強固なものにしてそうなのだ。
このキモさを例えるなら『めしぬま。』がそれに近いかもしれない。一つの動作をやたらネッチョリと描写してて不自然なうえに性的なニュアンスが込められてる感じ。あれは主人公が成人男性だから別に問題ないけどさ。
。いじめっ子の家庭環境を見ていると、片親家庭で育っている割合が異様に高いことに気づく。もちろん、片親であること自体が問題なのではないし、片親家庭でも愛情深く健全に育つ人はたくさんいる。ただ、それでも統計的・体感的に見て「いじめる側」に回る人間の背景には、家庭内での愛情不足や情緒的な不安定さが存在しているケースが多いのは否定できない事実だと思う。
親から十分な愛情を与えられずに育つと、「自分は大切にされる存在だ」という感覚が育たない。安心して甘えたり、失敗しても受け止めてもらえる経験が少ないと、心の中に慢性的な寂しさや怒り、不安が溜まっていく。でも子どもはその感情をうまく言葉にできないし、ましてや家庭の問題として認識することも難しい。だから、その行き場のない感情は、より弱い立場の他人へと向かってしまう。
いじめは快楽でも強さの証明でもなく、実際には「歪んだ自己防衛」だ。他人を下に置くことで一時的に自分の価値を感じようとし、誰かを傷つけることで「自分は無力じゃない」と錯覚する。そこには余裕も自信もなく、あるのは満たされなかった承認欲求だけだと思う。そう考えると、いじめっ子という存在は、加害者であると同時に、家庭環境の被害者でもある。
ただし、ここで重要なのは「可哀想だから仕方ない」と免罪することではない。どれだけ不遇な環境で育ったとしても、他人を傷つける行為が正当化されることはないし、被害者が受けた苦しみは決して軽くならない。でも同時に、「生まれ育った環境が人格形成に与える影響」を無視して、個人の性格や根性の問題にすべてを押し付けるのも、あまりに乱暴だと思う。
社会はよく、いじめを「子どもの問題」「学校の問題」として処理しがちだけど、本当はもっと根の深い家庭や社会構造の問題でもある。経済的に追い詰められ、精神的な余裕を失った親が、子どもに十分な愛情を注げなくなる。その連鎖の中で育った子どもが、また別の弱い存在を傷つける。これは個人の資質というより、再生産される不幸の構造に近い。
そう考えると、いじめっ子に対して感じるのは、怒りと同時にどうしようもない哀れさだ。愛されるべき時期に愛されず、安心を知る前に他人を攻撃する術を覚えてしまった。その歪みは本人の人生をも蝕み続けるし、決して幸せにはつながらない。誰かを踏みつけないと自分を保てない人生は、あまりにも孤独だ。
いじめを本気で減らしたいなら、罰や指導だけでは足りない。家庭への支援、親へのケア、子どもが無条件に「存在していい」と感じられる場所を増やすこと。その土台がなければ、いじめは形を変えて繰り返されるだけだと思う。いじめっ子を生み出さない社会とは、誰もが最初から追い詰められずに済む社会のことなんじゃないかなって、私は思う😌🫧
他の本は読んでなかったので、
という点には気づいていなかった。
後書きの自画像と似ているとは思っていたけどデフォルメ絵ゆえの造形の限界だと考えていた。
今は元増田の「作者自身の自己愛が強く投影されている」という指摘に下記の理由から納得している。
11巻の「戦争を描くことへの批判」は、当初は戦争を漫画に描いたことについての自己批判だと受け止めていた。
という解説を読んでからは「(戦争の中で色々後ろ暗いことをしてきた人達からの)批判に負けずに描いた自分」
というナラティブに回収するための場面だったのでは、と考えるようになった。
戦争を美化・物語化しない姿勢を示しつつ、戦争を描く自分を美化・物語化しているように見える点は、ダブスタに感じる。
また、証言を拒否したキャラクターに対して「語らない=後ろ暗いことをした」という背景を背負わせるのも問題だと思う。
戦場体験を語らないまま亡くなった人は多いが、体験が凄惨すぎて言葉にできないことも多かっただろうに、
「悪いことをしたからだ」と戦争犯罪と直接結びつけるべきではない。
一応作者はモデルにしている実在の人物はいないと言っているけど(この作者は言い訳が多すぎる)、
私も話し合いたい側なのでとても共感して読んだ。
「増田がそんなだから話し合う気にならない」という意見について、私は「むしろ相手に寄り添おうと質問しているのに?」と思うのだけど、かつて付き合っていた黙り込むタイプの人が言っていたことを参考に書いてみると
・(僕の言ったことに対して)「でも」って言わないでほしい
・情報量が多くて混乱する
・今まとめて会話するんじゃなくて、いったん相手の話を聞いて、しばらく(数日とか数週間とか)考えるんじゃダメなの?
多分「否定された」のハードルがかなり違うところに設定されているんだと思う。
話し合いたい派からすると「意見が違うのは悪いことじゃない」「意見への反対と人格の否定は別」「質問は否定ではない」というのは前提で、意見が違うからこそ話してほしいし自分の意見も伝えたいのだけど、その前提は(理屈レベルでは同意してもらえても)感覚レベルで共有されていなくて、「どうしてそう思うの?」という質問すら「否定された」と感じさせてしまうらしい。
そうして防御モードに入ってしまうとこちらの話も届かなくなるみたいで、こちらの話したことほぼそのままを後日「僕、思ったんだけど」と向こうから言われて「だからずっとそう言ってたじゃん…?」「そうなの?頭に入ってきてなかった」というやり取りをしたこともある。実際には意見の相違がない場合でも、雰囲気が否定的(向こう基準)だともうアウト。
なので気をつけていたのは「あなたのことが好きだから、理解したくて質問したいんだけど」「否定とか判断とかじゃなくて、別の考え方もあると思うからそれについてどう思うか気になって」とかって前置きして、相手がなにか言ったら「教えてくれてありがとう!」「なるほどねー!」って感謝を伝えて、とにかく前向きで友好的な雰囲気にすることと、文字数を抑える(会話の場合も相手の発言量に合わせる)こと、そのためにも自分の考え(話し合いで得たい結果はなにか、とか)を予め整理しておくこと、なるべく感情の理解より行動の変化にフォーカスすること(黙り込む派と感情の話をするのは難易度が高いし、黙り込む派って得てして感情は言葉より行動で表現する派でもあるかも)、相手が精神的に参っていそうだったら距離を取ること(もちろん相手次第だけど、理解して支えになろう!は、彼との場合は悪手だった)…
あとその人の場合は「言葉より絵や図での方がわかりやすいので、似たシチュエーションを題材にしたweb漫画とかがあったら有難い」らしい。
でも結局別れたし、別れてよかった。
もっとうまく振る舞えたらもっと話し合えたかもしれないし、話し合い以外の方法もあったのかもしれないし、こちらにも非があるとは思うのだけど、話し合いの拒絶(「今は話せないからちょっと待って」とか「言葉にできないけど意見の相違点を表に整理して渡すよ」とか「あなたの意見や振る舞いのここが嫌」とかじゃなくて、黙り込み)って、コミュニケーションにおいて致命的というか… そこまでしなくても話し合える人がほとんどの中、あえてその人と話し合いたい事情ってなんだろう?
ちなみにその人は家庭環境に由来があるみたいで、家族と絶縁、仕事は個人でYouTuber(もうすぐチャンネル登録100万人に届きそう。ある種の言語力や社会性?はすごくあって、バランスの偏りがすごい)、付き合っていた1年間で1度も友達と会わず、人間関係のない人でした。増田さんの話したい相手は、増田さんがしたいような話し合いを他の誰かとはしているのかな。
しているならその人の振る舞いを教えてもらって真似られたらいいし、誰が相手でも話し合わない人が世の中にはいる、ということも知っておいてもいいかも。応援しています。
ユーザー様が提示された二つの仮説——「スノッブ向けの知的遊戯」か、あるいは「深く傷ついた者への控えめな仕草」か——という対比は、現代文学が抱える「切実さの所在」を鮮やかに射抜いていると感じます。
この「軽やかさ」や「戯れ」が誰に宛てられたものなのか、もう少し掘り下げて考えてみます。
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ユーザー様が後者で仰った「安易に言葉にできないほど傷ついた人への仕草」という視点は、この作品を読み解く上で非常に重要です。
これは、積極的な解決ではなく、「正気を保つための消極的な抵抗」としての文学です。
一方で、これが「スノッブ好み」に見えるのも無理はありません。多和田さんはドイツ語と日本語の狭間で書く作家であり、彼女にとって日本語は「自明の母国語」ではなく、一種の「外部から観察する対象」です。
ユーザー様が「本気で未来を問う野心を感じない」と断じられたのは、おそらく本作が「格闘」を避けているからではないでしょうか。
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もしこの小説が、ユーザー様が仰るように「深く傷ついた人への控えめな呼びかけ」だとしたら、それは「意味の病」にかかった世界を、無意味な言葉遊びで解毒するという、一種の延命治療のような役割を意図していたのかもしれません。
しかし、その手法が「あまりに洗練されすぎている(手癖に見える)」ために、切実な痛みすらも「文芸的なデコレーション」に昇華されてしまっている——。その「温度の低さ」こそが、ユーザー様が感じられた物足りなさの正体ではないでしょうか。
「言葉遊び」が、現実の苦難に対する「武装」になるのか、それとも単なる「目隠し」に過ぎないのか。
多和田葉子という作家は、常にその境界線上で遊んでいるような不敵さ(あるいは不誠実さ)があります。
ちなみに、ユーザー様が「これこそが本気の野心だ」と感じるような、言葉と現実が真っ向からぶつかり合っているような作品(あるいは作家)として、パッと思い浮かぶものはありますか? それと比較すると、多和田作品の「軽さ」の功罪がより鮮明になる気がします。
80を超えても元気で明るい祖母だった。
なかなかに破天荒な性格で、10代から酒とタバコを嗜み(あの時代では普通だった)、半ばヤクザのような祖父とは2回離婚して3回結婚したようだった。
私が幼い頃に亡くなったので覚えていない。
祖父は手先が器用な上に気遣い上手で話も上手いので、大層モテたらしい。
ある日突然愛人の元へ行ってしまい、帰ってこなくなることもザラにあったという。まだ幼かった父の手を引いて色々なところを転々と働いたと、いつだったかタバコの煙を燻らせながら話していた。
祖父の借金まで背負って、祖母は懸命に働いた。高校を出ていない祖母は飲食店を転々とし、朝から晩まで働いたうえで幼き父の世話もした。ここだけ聞くと祖父が一方的な悪者のようにも聞こえるが、祖母は祖父を恨んでいるようには思えなかった。
「愛人作って出ていっちゃう時もあったけど、モテる人だったから」
「あの人は本当に手先が器用でね、こんなものだったら手作りしてたよ」
恋や愛というものを理解していない私にはそんかものか、と思われて聞いていたが、今思うと間違いなく祖母は祖父を愛していたのだろう。(沢山のしなくてもいい苦労もさせられたと思うが)
祖母は祖父が亡くなってから一人で暮らしていた。「誰かの負担になりたくないから」と快活に笑う祖母は70すぎまで働いていた。
遊びに行くと、タバコを吸いながら店のオーナーの愛人の悪口や、不倫をやめられないどうしようもない同僚の女の悪口など(今思えば不倫話ばかりである)を言う祖母はなんというか、世間一般での「おばあちゃん」らしくなくて好きだった。
彼女は趣味も若く、60すぎできゃりーぱみゅぱみゅのライブに行っていた。今流行りの芸能人は祖母に聞けばすぐわかった。
愛人を囲っていたり、不倫を続けたりする人間が祖母の周りには多くいたようだが、ともすると祖母にとっての愛人はタバコではなかろうか。
10代から吸っているタバコの量は減ることなく、祖母の肺を黒くし続けた。
ついに肺気腫になり、3時間に一度酸素吸入をせねばなくなった祖母は、紙タバコから電子タバコへ変えた。(紙タバコでは酸素により引火するため)
10代から50年以上積み上げた習慣を崩せる人間はなかなかいないだろう。
酸素吸入器を部屋の端に置きながら、祖母はそれでも元気にタバコを吸い続けた。
もはや家とスーパーと病院の往復しかしていなかった祖母ですら、見逃されることさなかった。
急に入院が決まったのが2週間前、意識を失ったのが昨夜だった。
祖母はその細い体にたくさんの管が巻き付かれていて、腕はアザまみれだった。
苦しそうに、なんとか息をさせられている状態であった。意識がないのでもはや痛みも感じないらしいが。
父から、何か言葉をかけてほしいと言われたが祖母の状態へのショックが大きく、何を伝えたらいいか分からない。
先に到着していた弟が、手を握ってあげてと言った。
祖母の痩せ切った手はとてもあたたかかった。思えば祖母の手を触ったことなど、20年ぶりかもしれない。
生きている。
変な言い回しだが、祖母は当然今までも生きていて、その体は熱を持っていたはずである。だが、生と死の狭間にいる祖母に触れて初めてその熱を知り、生を実感した。
上手く言葉にできない。しかし、あの手の熱はきっと一生忘れないであろう。
握り返されることはなかったが、私に熱を分け与えてくれた左手には結婚指輪が光っていた。シミや皺も多く、手首には管もたくさん巻かれていたその左手はとてもきれいだった。
医者は今夜が山場だという。
父は病院に一晩つきそう。
んだけど見つけられなくなっちゃった
セックスの話
そのはてなでは、セックスは確かに疲れるけどメリットがでかすぎる話をしてたと思う
ちょっと面倒くさくても抱いとけば、
嫁はご機嫌だし喧嘩も早く終わるし
的な話
自分は嫁側に当たるんだけど本当に身を持ってわかる
ごめんけど抱かれない期間が長いと、言葉にできない解消されないフラストレーションとしか言えない不安感が募ってくる
夫と共に布団で寝るのは大好きだ
でもまだ足りない。どちらかといえば毎日うっすらセックスがしたい
毎日3連発やれってんじゃない。一週間に一回、4日に一回、3日に一回くらい
自分でも不思議なくらい、セックスしたあととてつもなく家事のモチベーションが高い
夫のためを思うと面倒くさくても寿司を握れる。そのために新鮮な魚のために車を出せる
もう一つ大好きなはてながある
ちんぽぶち込むと女の性格が変わるのはなんで?
的なタイトルのやつ
これもすごくよくわかる
20万円のバッグよりも一回のセックスの方が価値がある。なんでだろうな、当然バッグにはバッグの価値があるんだけど
ちょっと不安な夜でも、疲れ果ててる日でも夫に抱かれるとすべて安心感に変わる
"もう大丈夫だ!"って感じになる
何が?
昨日になって改めて自覚した嘔吐への恐怖の強さ、これのせいで通信制の学校に行くとは夢にも思わなかった
流石に病名が診断されるまでに酷いとは思ってないが、それでも人より強い恐怖を持つせいでなかなか過ごしにくい
一度体調管理を怠って栄養が極端に少なくなって正月にやらかしたことがある
が、その時の胃の内容物を嫌そうに避ける他人や、自分と自分の床周りに集まる視線 そして慌てて処理してくれた店員の姿
それらは5年経った今でもはっきり思い出せる、ハッキリしすぎて気分が悪くなるほどに
そんな周りの反応の中でも、小学校中学年まで消化器官が弱かった弟に距離を取られたことがショックだった
そして去年、公共の場で急な嘔気があったことで自分はどうしようもなくなってしまった
今までなかったのに突如起き、絶対に床にはできないと思いつつトイレに行った
トイレの個室を開いて蓋を開き、膝立ちになって顔を下げてみるが出せなかった
自分にとって落ち着ける家のトイレでも同じだった 腹の底に溜まる気持ち悪さが本当に苦しかった
よく「どうしても気分が悪いなら舌の付け根を指で押さえて出すと良い」と聞くけど、自分からしたらわざわざ自分で出しに行くことが信じられない
病院でも「無理に出すと体に悪いから出さなくて良い」と言われたが、「無理に出した方がいい」と言われても私は舌の付け根を指で抑えようなんて絶対思えない
こんな状態だから高速バスの長時間移動は殴られても行きたくない むしろ殴って寝かせた状態で運んで欲しいと思う程に嫌だ
公共の場で戻しそうになって以降ずっと休み、病院に行けと親に叱られた時「救急車で行け」と言ってしまった程に まぁ今思うと自分でもかなりわがままな発言だったと思うし、一見ただの気の持ちようなのに救急車を発車させるなんて有り得ないと思う 世の中には気を失うほど痛かったり苦しかったりする人がいるのに
もしやってしまっても周りは無関心 しかし楽しい日になるはずだったその日は嘔吐した人がいる事実で楽しめきれなくなる その状況はどうしても避けたかった
あまり言いたくないが、自分の目の前でバス移動中にされてしまった時の周りの無反応さは忘れられない
咄嗟に席を立ってしまって逃げ出したくなった時、周りを見渡しても誰も気にしていないのが怖かった
それなのに数ヶ月後、普通に過ごす戻した子に口を揃えて「かわいい」と言えていた周りが信じられなかった
帰りの移動の時に別席に無理矢理移動したことやあからさまな避け方に、傷つけたかもしれないな、と後悔している
運転中にも関わらずバスから飛び降りて帰りたいと思った時に見た、私の腕を引いて苦しそうに泣いていた顔も忘れられない
もう既に分かっていると思うけど、自分でやってしまうのと同様に見るのも嫌だった
ドラマや映画だとしても、どうして大半の人は生々しい嘔吐のシーンをスルーできるんだろう
漫画でも嘔吐をギャグとして扱ったりするコマがあったり、デフォルメにせず生々しく表現されていたり、小説でも地の文に内容物が床に叩きつけられる音や会話文に嘔吐する声をありのまま入れているものはどうしても読めなかった
テレビを見てふとそのシーンが目に入った時はしんどかった
胃の内容物じゃなくても、口に含んでいた大量のものを一気に吹き出す様子が嫌だ だから「口に異物が入っただけで吐き出したくなる某芸人」は本当に嫌だ
酒を飲みすぎた芸人が早朝の運動後に側溝に戻すのをドアップで移された時の辛さは言葉にできない
先程言った弟が戻す時、姉の役割を果たすことなく自室に逃げ込んで布団を被ったし、弟のそばにプラの桶が置いてあったら背筋が凍る
なのに弟が何度も戻すので、ここ最近までなかなか心を開けなかった
基本的に目の前でしていた人とは短くても数日、長くても数ヶ月自然な状態で話しかけられない
今話そうとしている人は数日前に戻したんだ、と言う事実が頭から抜けない
薄らあった恐怖が明確に強まったのは、小学校の時だと思う
1人の同級生の男子が教室に入った瞬間戻し、一斉に教室内の全員が机と椅子を引いた時、そして給食中
そしてついに、直接見たわけでもないのに人から聞いただけで話しかけられなくなってしまった
最近落ち着いていた弟が、卒業パーティーで食べすぎて戻したと聞いて、酷い言葉を何度もぶつけてしまった
私に伝えてきた母は、弟が戻した様子を的確に言ってきて、容易に想像できたからだった
「それでそん時にさぁ、…ぶぇっ!!ぶふぇえっ!!ぶぶっ、ぶるるぅえっ!!って」
こう表してきたら、どれほどの惨状か無意識に思い浮かべてしまうものだと思う
先程言った公共の場での日の翌日、台所にある水が勢いよく出ているだけで一瞬嘔吐かと思ってしまって飲み物を飲めず、シャワーが怖くて何ヶ月も体を洗うことすらできなかった
赤子なんてげっぷをさせなきゃいけないらしい
小さい頃消化器官が弱かった時に親にかけてしまったたくさんの迷惑を、自分も身をもって知る可能性があるものに関わりたいと思えなかった
ここまで強い拒否反応を持っているけど、戻した理由がちゃんと納得できるなら反応も少し和らぐらしい
例えば健康診断 あれは反射だから仕方ない ただ、それをいずれやると思うと辛くなる
他にもストレスや月のもの、悪阻が重い時 周りが注目するので心配されやすく、よっぽど酷いんだろうなと思える
中学の担任に重すぎて胃液も出たと言われたが、嫌悪感はなく大変だったんだなと思うだけだった
後は二次元作品に限るが、極限の環境で生きてく中で余程グロテスクな目にあったなら、それはそうもなるだろうなとすぐに思う
実際かなり過激な作品に自身も具合が悪くなることがあったし、スプラッター映画の中には、上映中に体調不良を訴える観客の多さで有名なものもある。
ただ、それ以外は許せない
弟の食べ過ぎなんて論外だ 納得できる箇所がどこにもない これだけは許せなかった
それとバスの移動での酔いは、納得はできても聞く気は一切起きない
高校に入って仲良くなった子がバスでやってしまったと言う話を聞き、酷いと思いながらも「距離を取ろう」と考えてしまった
だから私は嘔吐と言う生理現象を「ゲロ」だなんてバカにできない 笑うなんて絶対無理だ
何度か茶化して言う時があれど、うまい具合に笑いに変えることができてないと思う
こんなに避けてるくせにいつもは楽しいことばかりに逃げているから、昨日母が「健康診断で戻した」時のあの「ぶふぇっ、ぶぅえっげぇえっ」と言う表現に耐えられないでいるんだなと思う
エメトフォビアの人同士のコミュニティもあると聞くけど、楽しいことだけ考えていたくて放置した結果だ
自業自得だ
恐怖症なんて、普通に生きてきた人から見たらただの心配のしすぎだし、大げさな妄想でしかない
でも、人と話せなくなった時に知人が目の前で戻す夢や、自身が酷く嘔吐する夢で目が覚めた時は、どうしようもなく苦しいってことだけ言わせて欲しい
そして、二次創作をする人が嘔吐に配慮していることに心から感謝しながら、映像作品もそのシーンがある時は事前に言って欲しいとずっと思っている
唐突に嘔吐が話題に出たり、そのシーンを予告なく見てしまったりする時に過剰に反応してしまうから
うまく言葉にできないけど感性がやばいと思う。けど私が狂っててお母さんがやばいと思ってる可能性もある。
引きこもりの弟を家から外に出す方法として、2~3回しか会ったことない親戚の家のおばあさんの介護を住み込みでやってちょっとお小遣い貰えばいいんじゃないかみたいなこと言ってる。
私だったら絶対それ嫌だが…?って言うかその距離感の親戚って一番気まずいやつじゃないかと思う。
引きこもり相談みたいなところで当事者との信頼関係の構築が大切ですよって言われててその瞬間には神妙にうなづいてるのに、弟と話せる機会ができると瞬時に就職の話とか近所とか親戚の進学結婚話とか家のリフォームする金ないみたいな話し始めるし。その手の話いきなりすると信頼関係壊れるよって何度も言われとるやろ…?
それで弟がいよいよ部屋から出てこなくなったらお母さんもメンタルやられて、弟の部屋の前に一日何回も行って泣きながら「お母さんを助けて、出てきて」って言ってる。多分弟のために何かしてるってよりは自分の不安を解消したいのが強すぎるんだよなー。
これやると逆効果だよねってところを的確に踏みに行ってて弟もお母さんもかわいそうやなと思う。
私は私でお母さんと顔を合わせると全ての愚痴のはけ口にされててきつい。増田ちゃんと話さないと不安が強すぎてイライラして辛い、とのことだけど私も毎日愚痴聞くの辛いよー。そら愚痴聞いてる間中スマホ見ながら気もそぞろな返事とかするよ。あと弟のために作っておいて全く手を付けられなかったご飯の残りを私に全部食わせようとするのやめてもらいたい。いつまでも10代の代謝じゃねえのよ。
なんかお母さんを諸悪の根源風に書いちゃったけど、私自身も不登校引きこもり経験ありで低学歴非正規の未婚という社会経験のなさの数え役満みたいな人間だから、自分の感想がおかしいのかお母さんが狂ってるのかよくわからん。精神的に寄りかかられすぎてきついから、できればあんまお母さんと関わりたくない。
放課後の教室。夕陽が差し込み、机の影が長く伸びていた。タケルは、窓際に座るノゾミの背中を見つめていた。彼女はいつものように笑っている。けれど、その笑顔にどこか無理があるように感じられてならなかった。
「なあ、ノゾミ」
「ん? なに?」
「最近さ……なんか隠してるだろ」
ノゾミは肩をすくめて笑ってみせる。
「やだなぁ。タケルって勘が鋭いんだね。女の子に隠し事なんてつきものだよ」
その軽い調子の返しに、タケルは一瞬ほっとした。だが同時に、胸の奥がざらりとした感覚に覆われる。嘘だ。ノゾミは何かを抱えている。
その夜、帰宅途中の公園。タケルは偶然ノゾミの姿を見つけた。ブランコに腰かけ、誰もいない空間に向かって小さく呟いている。
「……あと三回。三回だけでいいから。どうか……」
その声は風に消えそうに弱く、けれど切実だった。タケルは声をかけようとしたが、胸が締め付けられ、足が動かない。
翌日、タケルは彼女を問い詰めた。
「昨日、公園にいただろ」
「えっ……」
「聞いたんだ。『あと三回』って……どういう意味なんだよ」
ノゾミは一瞬目を見開いたが、すぐに視線を逸らした。沈黙が重く落ちる。
「ごめん、タケル。ほんとはね……私、人間じゃないの」
「私ね、弱者男性族って呼ばれる一族の生き残りなの。昔、人間にとって“不要”とされた者たち。私たちにはちょっとした能力がある。でも……その代わりに、この世界に長くはいられない」
「長くいられない……?」
ノゾミはかすかに頷く。
「うん。だから“契約”が必要だったの。誰かに“恋人ごっこ”をしてもらうことで、私はここに留まれる。愛を知るまでは、消えずに済むんだよ」
タケルの頭は混乱した。昨日まで一緒に笑っていた少女が、いま自分にそんな話をしている。
「じゃあ、俺が……」
「うん。タケルが契約相手。だから私はまだここにいられる。でも、それもあと三回分の“デート”で終わっちゃう」
ノゾミは自嘲気味に笑う。
「本物の恋じゃないと意味がないの。ごっこ遊びじゃ、いずれ契約は切れる」
タケルの胸がかき乱される。彼女の明るさの裏に、こんな真実が隠れていたなんて。
「ふざけんなよ……。なんでそんなこと、最初に言わなかったんだ!」
ノゾミの声は震えていた。
「私はね……ただ、普通の女の子みたいに笑って、好きな人と一緒に過ごしたかった。それだけなの」
その涙を見た瞬間、タケルの迷いは消えた。
「タケル……」
ノゾミは震える手でタケルの袖を掴んだ。その小さな仕草に、彼の心臓が大きく鳴る。
しかしノゾミは知っていた。タケルがどれほど強く思ってくれても、それは救いにはならない。
「タケル。もし私が突然消えちゃったら……忘れてくれる?」
「忘れられるわけないだろ!」
「そっか……ありがと」
ノゾミは最後に心の奥で祈った。
(どうか、あと少しだけ――タケルと一緒に夢を見させて)
(第二幕・了)
あの夜の冷たさは今でも思い出せる。
誰にも言わなかった。言えなかった。だからここに書く。
彼は悪党だった。人を利用して金を稼ぐことにしか興味がない男。
特に、知的障害のあるあの子のことを笑顔の仮面で囲い込み、色恋で縛り、風俗に落としていた。
誰も気づかないふりをしていた地域の空気、行政の書類の束、そして彼の巧妙な「優しさ」。
僕はその全てを見て、胸が腐るほど痛んだ。
ある日、婚約者に裏切られ、彼から直接金を奪われたことを知った。
奪われたのは金だけじゃない。希望も、退路も、言葉にできないものも。
怒りは冷めず、むしろ静かに燃えた。復讐ではない。取り戻したかっただけだ。
ここで細かく書く気はない。完全犯罪なんて教えるつもりもないからだ。
ただ一つだけ言えるのは、「暴力も、直接の危害も使わなかった」ということ。
人を傷つけることではなく、彼の築いた偽りの城を静かに崩したつもりだった。
そして、たった一度――金を手にした。
それは彼にとっての「損失」ではなかった。彼はすぐに別の方法で帳尻を合わせるだろう。だが僕にとっては違った。
あの子に渡したとき、彼女は驚きもしなかった。むしろ、泣きながら手を振って笑った。
後日、警察も行政も動かなかった――あるいは動けなかったのかもしれない。
世の中はいつもそうだ。声をあげても届かない場所がある。届かせる力がない人もいる。
だから僕は、一度だけ自分で線を越えた。線の先に法があることは分かっている。罰を受ける覚悟も一瞬はした。だが結局、誰にも見つからなかった。
それでも、夜になると胸の奥に小さな石がある。
あの「完全犯罪」は完璧だったのか。法の目を逃れたからといって、それが正しかったのか。
あの子の笑顔が戻ったのは紛れもない事実だ。だが僕の心には代償が刻まれた。
読んでいる君へ――もし正義と復讐の境目で迷うことがあったら、僕の話を思い出してほしい。
たった一度の行為で救えることもある。だがそれで自分が壊れることだってある。
僕はまだ答えを探している。後悔と救いのどちらが重いのか、まだ分からないままだ。
追伸:あの子は今、少しずつ自分の足で歩き始めていると聞いた。
それだけは、本当に良かったと思える事実だ。