■ アジア2次予選は4連勝中W杯の2次予選はここまで4戦全勝。独走態勢に入っている日本代表は11月19日(火)にパナソニックスタジアム吹田でベネズエラと対戦した。11月19日(火)にアジア全域で2次予選が開催されたが日本はお休みだった。日本の入ったF組はミャンマー vs モンゴル、キプロス vs タジキスタンの試合が行われたがミャンマーが1対0でモンゴルに勝利しており、キプロスとタジキスタンの試合は1対1の引き分けに終わった。
日本は「4-2-2-2」。GK川島(ストラスブール)。DF室屋(FC東京)、DF植田直(ブルージュ)、DF畠中(横浜FM)、DF佐々木翔(広島)。MF橋本拳(FC東京)、MF柴崎岳(ラ・コルーニャ)、MF原口(ハノーファー96)、MF中島翔(FCポルト)。FW鈴木武蔵(札幌)、FW浅野拓(パルチザン・ベオグラード)。今回は初戦と2戦目で招集メンバーを大きく入れ替えており、MF南野(ザルツブルク)などはメンバーから外れている。
ベンチスタートになったのはGK中村航(柏)、GK権田(ポルティモネンセ)、DF荒木(広島)、DF進藤(札幌)、DF三浦弦(G大阪)、DF車屋(川崎F)、MF山口蛍(神戸)、MF井手口(G大阪)、MF大島僚(川崎F)、MF古橋(神戸)、FW永井謙(FC東京)、FWオナイウ阿道(大分)の12名。DF進藤、DF荒木、MF古橋、FWオナイウ阿道の4人は初招集となった。MF井手口とMF大島僚の2人はともに久しぶりの代表復帰となった。
■ 前半のみで4失点試合の立ち上がりこそほぼ互角だった前半8分に左サイドからクロスを入れられるとFWサロモン・ロンドンにヘディングシュートを決められていきなり先制ゴールを許した。さらに前半30分と前半33分にもFWサロモン・ロンドンに決められてしまう。FWサロモン・ロンドンは前半33分の時点でハットトリック達成となった。さらに前半38分にもMFソテルドに決められて4失点目。前半だけでまさかの4ゴールを食らった。
4点を追う日本は後半開始からDF植田直とFW鈴木武蔵を下げてDF三浦弦とMF古橋を投入する。MF古橋は代表デビュー戦となったがMF古橋の投入で流れは少し良くなった。後半10分にはMF中島翔、後半11分にはFW浅野拓、後半21分にはDF室屋にチャンスシーンが訪れた。後半20分にはMF橋本拳とMF浅野拓を下げてMF山口蛍とFW永井謙を投入。後半は日本が相手ゴールに迫る回数が多くなった。
後半24分に途中出場したFW永井謙のパスを受けた同じく途中出場のMF山口蛍がミドルシュートを放つと相手選手に当たってコースが変わってゴールイン。MF山口蛍は代表通算3ゴール目。2016年のW杯予選のイラク戦の劇的なゴール以来の代表戦でのゴールとなった。さらに点差を詰めたかったが1点止まり。1対4で大敗を喫した。前半での4失点というのは65年ぶりと報道されている。ショッキングな大敗となった。
■ 1954年のインドネシア戦以来の失態調べてみると「前半だけで4失点」を喫したのは1954年5月1日に行われたインドネシア戦以来になる。フィリピンのマニラで行われたアジア大会の初戦になるが前半だけで5失点。トータルでは3対5で敗れている。このときに日本代表を率いていたのは竹腰監督になる。竹腰監督は後に日本サッカーの殿堂入りを果たしているが「第二次世界大戦後の日本サッカーの復興に大きく貢献した人物」として知られている。
初めて日本と韓国が国際試合で対戦したときに相手の韓国代表の監督が「もし負けたら玄界灘に身を投げろ」と選手に叱咤激励したエピソードは日本に対する韓国サッカー界の並々ならぬ思いを示すものとして今でも頻繁に語られる有名な話になるが「史上初の日韓戦(2連戦)が行われた次の試合」が前半だけで5失点を喫した1954年5月1日のインドネシア戦になる。65年ぶりの出来事になるがまさかまさかの展開だった。
インドネシア戦のメンバーを見ると「ベルリンの奇跡」と言われる1936年のベルリン五輪のスウェーデン戦での大金星に大きく貢献した伝説のストライカーの川本泰三さんがスタメンで出場している。川本泰三さんは1914年1月17日生まれなのでこのとき40才。大ベテランだった。川本泰三さんはアジア大会の2戦目のインド戦でもスタメンで出場しているが「この試合が最後の代表戦の出場になる。」と考えられる。
このときのインド戦で記録した「40歳106日」というのが日本代表の歴代の最年長出場記録になる。2位は1995年に記録したMFラモス瑠偉の38歳181日。今回のベネズエラ戦でスタメン出場したGK川島は36歳244日。これが歴代3位になる。前半のみで4失点なのでGK川島にとってはつらい試合になったが4失点ともに彼の責任とは言い難い。3度もW杯でゴールマウスを守っているが「歴史に残る名キーパー」である。
■ 1954年あたりに活躍した選手というと・・・。ベネズエラ戦については「ひどい試合だった。」というしかない試合になったので65年前の話を続けるとインドネシア戦に出場している川本泰三さん以外の有名な選手というと平木隆三さんがいる。名古屋グランパスの初代監督であり、殿堂入りも果たしている。2009年に亡くなっているが1964年の東京五輪のときは主将だった。怪我のため東京五輪のピッチに立つことは出来なかったが主将としてチームを引っ張った。
アジア大会の2戦目のインド戦では長沼健さんがスタメンで出場している。1994年から4年間に渡って日本サッカー協会の会長を務めたことは良く知られている。W杯初出場ならびに自国でのW杯開催を目指していた時期の会長であり、当時は批判を浴びるケースも多かったが日本サッカーの発展に大きく貢献してきた人物である。先の玄界灘のエピソードで有名な日韓戦の初戦で先制ゴールを決めているのが長沼さんになる。
ということで65年前というと日本サッカー界の歴史を作ってきた人たちが選手として出場している。1954年というのは昭和29年になるがこの年に行われた国際Aマッチは韓国戦・韓国戦・インドネシア戦・インド戦の4試合のみ。4試合で0勝3敗1分けという成績だった。その前年の1953年の国際Aマッチは3試合のみ。さらに前の1952年は年間で1試合のみとなる。「惨敗を喫しても致し方ない時代だった。」と言える。
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