Category: 祭りだワッショイ
Feel Green!
良く晴れた五月の空が戻ってきた9日の仙台。
それでもまだ朝晩は気温が低い。
ウォーキングは、澱橋通を南へ。
地下鉄東西線国際センター前駅。
いつもより少し人が多い。
長沼はいつも通り。
しかし追廻の様子は一変していた。
上のロゴマーク、どこかで見たことがあるなーと思ってたら、NBC Newsに似ている。
仙台市博物館横から移設された、伊達政宗胸像。
毎年西公園で開かれていた、春の植木市と同じく、ガーデニング企業のインスタレーション。
ただ今年はグレードアップしている感じだ。
そう、「第40回全国都市緑化仙台フェア『未来の杜せんだい2023』~Feel green!~」花と杜のフェアが開催されているのだ。
この名前、永遠に覚えられそうにない。市やマスコミは、どう略しているのだろう。
お、一升瓶。
福井の黒龍だ。
ウィキペディアによれば、川内追廻(かわうちおいまわし)は、宮城県仙台市青葉区にある地名。仙台城本丸および三の丸の東側崖下、広瀬川右岸にあり、面積は約7ha。大橋西詰付近に接続する1本の市道以外は袋小路となっている。
1950年代には約600世帯、約4000人が住んでいたが、核家族化が進んだ平成に入る頃には600世帯弱ながら人口は約1/3まで減少した。青葉山公園整備事業を進める市の方針により、2015年(平成27年)時点で居住しているのは3世帯のみとなっていた。
第二次世界大戦後、国は戦争被災者のために国有地に応急住宅を整備した(追廻住宅)。事業主体だった住宅営団の解散後、住民は建物を買い取って生活を続けた。
一方、仙台市は1946年(昭和21年)に青葉山一帯を公園用地とする都市計画を決定し、国と仙台市の間で土地の移転交渉が続けられ、下水道や都市ガス、道路整備などの整備は見合わされた。しかし、1973年(昭和48年)から仙台市は住宅の新築や増改築を容認する方針をとり、1977年(昭和52年)には住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の一般融資が受けられるようになったため新規の居住者が増えて問題が複雑化した。
国と仙台市の土地移転交渉は難航し、住民は国に土地賃貸料を支払って居住を続けたが、2006年には大半の賃貸借契約の契約期間が満了した。2011年3月には集団移転先となる市営住宅が完成したが、一部住民は国に借地権の契約更新を求めて退去を拒否した。
2020年6月に国と仙台市は追廻地区を含む地域を市に対して2025年5月末まで無償で貸し出す契約を結び、2023年の全国都市緑化フェアのメイン会場となる予定である。2022年9月には追廻住宅に残っていた最後の1軒が仙台市の補償に応じて移転に同意したことが発表された(ただし、国が遅延損害金を求めた訴訟が継続している)。
ネモフィラもある。
奥の方は、自治体の出展花壇。
東京都。
岐阜。
福岡。
熊本だ。
併設された、仙臺緑彩館。
青葉まつりの山鉾と、七夕飾り。
土産物売り場には、日本酒も。
伊達政宗の復顔像。
カフェがあったので、アイスカフェラテ。
朝行ったせいで、各日先着100名のトートバッグをもらえた。
こんなやつ。
平日のせいか、がらがらだった。
校外学習の小学生以外の客の半分近くは、ガイドに引き連れられた、スーツの団体だった。他自治体の視察チームかな。
広瀬川の流れまでは少し距離があって、水辺には近づけない。
大橋を渡った。
西公園側にも少し展示がある。
あとはいつもの散歩コース。
こっちのほうがずっと落ち着くなぁ。
約2時間になったウォーキング含め、この日は12,734歩。
健康のため、歩き過ぎには注意しないと。
昼メシは大学病院前の街の洋食屋小伊万里で、オムライス950円。
それでもまだ朝晩は気温が低い。
ウォーキングは、澱橋通を南へ。
地下鉄東西線国際センター前駅。
いつもより少し人が多い。
長沼はいつも通り。
しかし追廻の様子は一変していた。
上のロゴマーク、どこかで見たことがあるなーと思ってたら、NBC Newsに似ている。
仙台市博物館横から移設された、伊達政宗胸像。
毎年西公園で開かれていた、春の植木市と同じく、ガーデニング企業のインスタレーション。
ただ今年はグレードアップしている感じだ。
そう、「第40回全国都市緑化仙台フェア『未来の杜せんだい2023』~Feel green!~」花と杜のフェアが開催されているのだ。
この名前、永遠に覚えられそうにない。市やマスコミは、どう略しているのだろう。
お、一升瓶。
福井の黒龍だ。
ウィキペディアによれば、川内追廻(かわうちおいまわし)は、宮城県仙台市青葉区にある地名。仙台城本丸および三の丸の東側崖下、広瀬川右岸にあり、面積は約7ha。大橋西詰付近に接続する1本の市道以外は袋小路となっている。
1950年代には約600世帯、約4000人が住んでいたが、核家族化が進んだ平成に入る頃には600世帯弱ながら人口は約1/3まで減少した。青葉山公園整備事業を進める市の方針により、2015年(平成27年)時点で居住しているのは3世帯のみとなっていた。
第二次世界大戦後、国は戦争被災者のために国有地に応急住宅を整備した(追廻住宅)。事業主体だった住宅営団の解散後、住民は建物を買い取って生活を続けた。
一方、仙台市は1946年(昭和21年)に青葉山一帯を公園用地とする都市計画を決定し、国と仙台市の間で土地の移転交渉が続けられ、下水道や都市ガス、道路整備などの整備は見合わされた。しかし、1973年(昭和48年)から仙台市は住宅の新築や増改築を容認する方針をとり、1977年(昭和52年)には住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の一般融資が受けられるようになったため新規の居住者が増えて問題が複雑化した。
国と仙台市の土地移転交渉は難航し、住民は国に土地賃貸料を支払って居住を続けたが、2006年には大半の賃貸借契約の契約期間が満了した。2011年3月には集団移転先となる市営住宅が完成したが、一部住民は国に借地権の契約更新を求めて退去を拒否した。
2020年6月に国と仙台市は追廻地区を含む地域を市に対して2025年5月末まで無償で貸し出す契約を結び、2023年の全国都市緑化フェアのメイン会場となる予定である。2022年9月には追廻住宅に残っていた最後の1軒が仙台市の補償に応じて移転に同意したことが発表された(ただし、国が遅延損害金を求めた訴訟が継続している)。
ネモフィラもある。
奥の方は、自治体の出展花壇。
東京都。
岐阜。
福岡。
熊本だ。
併設された、仙臺緑彩館。
青葉まつりの山鉾と、七夕飾り。
土産物売り場には、日本酒も。
伊達政宗の復顔像。
カフェがあったので、アイスカフェラテ。
朝行ったせいで、各日先着100名のトートバッグをもらえた。
こんなやつ。
平日のせいか、がらがらだった。
校外学習の小学生以外の客の半分近くは、ガイドに引き連れられた、スーツの団体だった。他自治体の視察チームかな。
広瀬川の流れまでは少し距離があって、水辺には近づけない。
大橋を渡った。
西公園側にも少し展示がある。
あとはいつもの散歩コース。
こっちのほうがずっと落ち着くなぁ。
約2時間になったウォーキング含め、この日は12,734歩。
健康のため、歩き過ぎには注意しないと。
昼メシは大学病院前の街の洋食屋小伊万里で、オムライス950円。
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