はてなキーワード: 査定とは
いままで 6社ほど経験してきました。
その中で、職種が変わるタイミングがあり「年収が下がる」ということも経験してきました。
いまは IT系技術チームのリーダーとして中途採用の人事面接やってます。
おそらく殆どの日本企業は「前職の給与」をもとに想定年収を洗い出し、
あたりを見ると思います。(某人事労務クラウドの会社の例もありますが一般的ではない)
そのほか「ポテンシャル」もありますが、 中途採用において ポテンシャルを尊重できる企業はほんの一握りだと思います。
では「前職で年収 1000 万」の人が面接に来たとして、自社内年収 500 万ぐらいの人と同等だと感じたらどうしますか?
落としますよね。
このとき、本人と企業の両方に ずっと解決できない問題が存在し続ける可能性があります。
本人は「前職を加味しない客観的な年収査定」がない限り「スキルより年収が高い」ことに一生気づけません。
端的に言うと「お前、年収もらいすぎだろ」と言われないといけない状態です。
ですが、それを言える人いますか?
もちろん、お見送りメールなんかに書くわけが無いです。わざわざ事を荒げる意味がありませんから。
また、転職エージェントに登録しても伝えられるケースは少ないでしょう。
転職活動においては「年収が下がってもいい」を伝えるアプローチが無い限り、どれだけ転職活動をしようとも無駄な努力に終わります。
「自社メンバーの年収が低すぎる」という状態であれば、採用活動をするだけ無駄に終わります。
こちらも社外から客観した年収評価が無い限り、解決することはありません。
保険会社が査定を厳しくするイビルな行動を取るのは、それだけ不正請求をするイビルな契約者が多いということの裏側でしかないんだよな。で、どんな検査器であれ一定数の偽陰性は発生するし、保険の査定でも当然それは同じ。不正請求が多くなるほどに、検出力を上げるため査定が長期化したり、偽陰性(保険金を払うべきイベントが発生しているのに、払わない)を犠牲にして偽陽性(不正請求に保険金を払ってしまう)を抑える体制になっていく。
そもそも保険を使うことになりそうかどうかは契約者側の方がよく分かっていて、使う可能性が高いと思った人だけが契約する時点で保険会社の方が不利な上に、契約した後には保険が使えるならと少し不摂生になったりまでする。だから保険って基本的に契約者の方がそういった優位がある分、査定でガードせざるを得ないビジネスモデルだしさ。
保険会社のCEOが私刑で処されるのが何か勧善懲悪のように称賛されるなら、不正請求をしたりする契約者も何らか罰せられないと不公平だよな。
上司「そんなに残業したのも、年休とって大学行ったのも、学会で受賞したのも、研究所員から勧誘を受けたのも、全部が私のためだっていうの?!
私はそんなこと一度だってお願いしてない!」
増田「っ!」
増田「お、俺は…!」
上司「私は増田君に、部下と一緒に担当業務やってってお願いしたの。
残業しないでってお願いしたの」
増田「言うことを聞かなかったのは、悪かったと思ってる。
でも違う!違うんだよ!俺は…俺のためになんかじゃなくて…
評価したいのに…
話は早めに私に通してって言ったのに…!
それを全部簡単に破り捨てて
私との約束守ってくれないのに、それでも自分のことは評価して欲しいって
そんなのこと言われたって出来ない!出来ないよ!!」
増田「くっ!」
増田「そうだよ
我が社が俺にしてくれたことが、
増田「わからないのも仕方ない…!でも本当だ!俺は我が社に救われた!
本当の話なんだよ!
俺は我が社に、この世界に来て初めて我が社に―」
増田「くっ」
上司「また、何も言ってくれないよね…」
増田「どうして分かってくれないんだよ…
増田「…俺の…」
増田「これまで全部…俺のおかげで、どうにかなってきただろう?!
クソみたいな機器導入してクソみたいな結果しか得られなかったクソデータから有意義な情報を取り出した!
現場でのことだってそうだ!俺がいたからどうにかなった!言われたことすらやらない奴言ってないことする奴やることなすこと全部間違える奴みんなまとめながら仕事振ってケツ持って育てながら始末書も解決策もルーチンも全部こなした!
俺がいなけりゃもっとひどいことになってた!
全部全部全部!みんな俺が!俺がいたおかげだ!
お前は俺に貸し切れないだけの借りがあるはずだ!!!」【息切れる】
上司「そう…よね…
終わりにしましょう…」
査定-1「…!」
私ね…期待…してたの
他の…普通の優秀な人と同じように、淡々と目の前の業務をこなしてくれるんじゃないかって…」
増田「そんなのムリだ…
そんなことしてりゃ、本当に必要なデータもとれなければ我が社の目標も達成できない、いちいち許可取ろうとしたから一ヶ月も放置されて結局自費で数十万出して諸々やってんだいちいち課長が俺が聞いてないからって本社からの仕事依頼すら弾かないでくれよそうだよそりゃ本社の所掌業務だよでも本社の奴らにこなす能力がないんだよ責任もおいたがらねぇんだよだから仕方ないんだよこの辺境のペーペーに責任なすりつけながらでもそれでもおれはこれが未来に残る遺産として最善だと思ってるんだこれでも我が社は最高だよ科学に向き合うだけ成果が出る最高の職場だよ前職なんて溶液と溶媒の取り違えを指摘しただけでここは研究室じゃないんだと机叩かれたんだほんと我が社には感謝しとるよだから俺はちゃんと本来業務を与えられた職責以上の水準でこなした上でこの仕事を業界の権威がやってくるあのシンポに自費で行って見せつけてコネ作って発信していくのがためになるって思うんだ縦割ってたら永遠に進まず埋もれて没落してくんだそれは世界のためにならないんだ俺は俺に命じられた使命を守ってるんだそれが我が社のしいては国民のしいては上司あんたのためにもなんだってだからこの使命は上司の命よりも重いって倫理教育でも何度もされてんだよ知ってんだろだから目の前のあんたはただサビ残する俺を見逃せばいいんだよ俺らには労基適応されないの知ってんだろだからいいから黙って全部俺に投資し…」
増田「あっ……」
就職氷河期の頃、仕事が楽しいなんて言ってる奴はやりがい搾取された惨めな敗北者だと皆が言い合っていた。
やりがい搾取された奴らが意識の高さからダンピングを繰り返し、それによって労働者全体の待遇が悪化するという言説が世間を飛び交っていたのを今でも覚えている。
就職に失敗し続けた俺はそういったダンピング野郎をとことん憎んでいたし、ようやく入った会社で自分がボロ雑巾みたいに使われるのもソイツらのせいだと思っていた。
転職市場に熱が戻ったタイミングで、俺は公務員に転身することに成功した。
これでもう安心だと信じていた。
公務員になってから、俺が仕事にやりがいを感じたことも、やっていて良かったと思ったことも一度もない。
前職の頃でさえも時折は「俺達が消えても他のサービスが生まれてくるだけだけど、それでも俺達が全滅したらこういったサービスが市場から消えるから皆困るんだよな。たとえばド田舎の商店街でしょーもないスーパーが全部消えたら、醤油が切れてることに気づいた婆さんが車を1時間走らせて郊外のスーパーやデパートを目指すことになったりするわけだ。つまり、競合他社がいるからって俺達の存在価値が0かっていうとそうじゃないんだ」と自分を慰めることは出来た。
今は違う。
俺達が消えたら一つの市民サービスが丸々消滅するのは分かりきっているし、それが必要な人にとっては致命的な時さえあると分かってるのに、この仕事をやっていることを通じて社会の役に立っていると信じることが全く出来ない。
公共サービスっていうのは大部分の人からスレば行政からの押し売りによって行われているものでしかない。
引っ越して一月もしないうちにやってくるNHKの集金者と同類の存在であり、「うちはNHK見ないんで受信料払いたくないです」と言っても「テレビがあるなら払わないと駄目ですよ。受信料は義務ですよ市民」と語ってくるのと同じかそれ以上の邪悪さを持って、あらゆる行政サービスを丸ごと一括で押し売りして、そのランニングコストを税金として徴収している。
もちろん、俺の給料の何割かだって税金として収めることになるし、自分の給与明細を見るたびに「使ってないサービスがクソほどあるのにこんだけボラれるのキツいなあ」と感じてしまう。
不条理なほどのボッタクリサービスを押し売りする行為に加担しているだけではないかという疑問を頭の中でグルグルさせながら働く日々に、労働の喜びなんてものはない。
公務員という仕事には公務員という仕事にしかないしんどい所が確実にある。
たとえば「業績が良くなったから給料が突然ドカンと増えた。自分がそれに貢献したことになったのでボーナスが沢山出た」なんてことはありえない。
ボーナスの半分は半年間かけて積み立てた分が払われるだけで、もう半分の査定についてはやらかしまくった奴と完璧に貢献した奴との差は倍もない。
つまり、普通のやつが40万なら、やらかしまくっても35万ぐらいだし、最高に評価されても45万ぐらいでしかなく、頑張ったことによる差は号俸の昇給という形でのジワジワでしか得られないということだ。
頑張ったことに対してその実感が薄れないうちに結果が返ってくるというのは脳の報酬系にとって大事なことだが、公務員という仕事にはそれがない。
むしろ「コイツならこれぐらい負荷かけても平気なのか。じゃあ仕事増やしたろ。仕事増えた分が回らない?なんで?俺を舐めてんのか?今更他の人に振れないから休日に出てこいよ」という最高にファックな結末が待ってるだけでさえある。
やる気が湧いてくるかどうかという点だけで考えれば、あれほどブラックだった前職の方が数倍はマシだったように思える。
ネットにいると世間ではブラックと言われるITや飲食の人間が「仕事楽しい!やりがいがあります!」みたいに言ってるのをよく見かける。
世間でブラックと言われているわけじゃない業界の人だったらもっと高い頻度で「なんだかんだ仕事って面白いよね。少なくとも感謝して貰えたり社会貢献してたりする感じはある」だの「仕事自体はつまらんが自分の技術を磨くことにゲーム的楽しみはある。もうちょい上手くなったら転職でもするわ」みたいな感じで日常や人生に希望を見出している。
俺にはない光だ。
黒澤明の例の映画が題名に「生きる」を選んだことの意味が何となくわかってくる。
公務員という仕事をしている連中が軒並み概ね「死んでいる」からこそのネーミングだったのだ。
海外のリメイク版タイトルは「LIVING」であり、つまりは世界共通の概念として公務員は生きていないということだ。
前職での苦しみから心が折れ、とにかく生き延びたい一新で公務員へと転職した俺だったが、待ち受けていた人生はリビングデッドとしてのものだったわけだ。
泣けてくる。
とにかく生きられればいいと思っているだけの奴は生きる屍としての余生が待っているってことか。
辛い。
公務員の定年は伸びているから俺はあと30年ぐらいはこの何も楽しくない仕事を片付けるだけの日々を送ることになる。
毎年、職場にやってくる後輩の1割ぐらいが辞めていくが、そのたびに思うのは残った9割の奴らはなんで辞めないのだろうかという疑問だ。
ここは墓場だぞ。
いい大学を出たような奴らが何を血迷ったのかこんな所に自分の人生を埋めに来る理由が全く理解できない。
高卒で入った連中が「うひょひょwww高卒のボクチンに東大卒の先生が論破されちゃうの本当哀れwwwこの仕事でこれだけは凄い楽しいのよねwww」とルサンチマンを拗らせているのを見れば、お前らのようなちゃんとした人間が来るべきじゃないって分かるだろ!
そう言いたい気持ちを堪えて後輩を指導する人生をあと30年続けるんだ。
辛い。
俺だって後輩に「何やってるのか分かってきたらこの仕事も楽しいと思うよ」ってイキりたかった。
世の中の普通の仕事で普通に存在意義があって普通にビジネスをしてて普通に論理的で普通に競争原理が働いてる会社のサラリーマンが当たり前みたいに感じている「なんとなく分かってくれば楽しい」という感覚と無縁すぎる。
分かれば分かるほどにブルシットの奥深くへと頭を突っ込んでいく以外の結末が存在しない。
キチガイのフリをして飛び切り楽な部署に飛べばいいなんて話じゃないんだ。
既にそれをやってる連中が「キチガイのフリ選手権〇〇県大会決勝戦」を日夜繰り広げている場所に行ったら本当に頭がおかしくなってしまう。
逃げ道がない。
滅茶苦茶頑張ってるんだからもっと沢山あってもいいだろとは思うが、残業代を平気でチョロまかされていた頃と違って最近は残業代が出るおかげでかなりマシになった。
休日出勤してるのに残業代も手当も出ないことは相変わらずあるし、まともに倍率補正の計算がされているとは思えないけど、それでも給料はかなり増えてきてる。
今の仕事を飛び出して日雇いの引越バイトなんかをするよりは、今の事務所で毎日絶望感に押しつぶされそうになるのを必死にこらえている方が給料はいいだろう。
休日まともに取れなくて毎年有給を捨ててはいるが、基本的に(8割方の)土日は普通に休めているから、週休6日を基本としているような所よりは人間らしい暮らしが出来てる。
現代人が得られる待遇としては中の下ぐらいだが、それでもあくまで中の下ではあるので「待遇がめっちゃ悪いんです!」と言って転職しに言っても「まあ君のスキルが低いからだよね」で一蹴されると思う。
つまり、俺が転職するならその理由は「この仕事なら仕事の中に希望を見いだせると思うんです!」という大学時代に勉強をちゃんとしてこなかった新卒の自己PRみたいなものになるわけだ。
俺は思わない。
じゃあ俺が来て雇ってくれるようなまともじゃない会社で働いて「仕事って面白いな」と感じられるのだろうか?
分からない。
まともではないが俺とは気質があっている会社だったら俺は仕事をちゃんと楽しめると思う。たとえその過程で残業代のちょろまかしがあっても「まあ仕事楽しいしな」で割り切れるかも。
でもそれは本当に運によるものだ。
人生を運試しに賭けるには歳を取りすぎた。
仕事にクソほど意味も面白みも見いだせないだけで、待遇自体は中の下だ。そして俺には外の世界でアピール出来るようなスキルはない。
今いる職場だったらITオンチの老人たちに「エクセル壊れた?ちょっと見てもいいですか?あっ、ここの数式がベタ打ちに置き換わってるんすねー。他からコピペしてきたんで治ってますよ」とやるだけで「いやー増田くんにはいつも助けられてるなあ」みたいな評価が受けられなくはないが、外においてはマクロもろくに組めん奴が「エクセルなら出来ます」と言ったら詐欺師扱いだろうな。
うん、とにかく、俺は転職するにはあまりにも無能で、そして人生を再びルーレットに突っ込むにはチキンで、最低限プラスαの給料はもらっているんだ。
ここから抜け出せないままであと30年働いて、ボロボロになった体で何かが出来るわけでもなく老眼と難聴と腰痛のせいでまともに楽しめる趣味もないからと近所の銭湯でダラダラと時間を潰して過ごすんだ。
しんどいぜ。
これが人生なんだな。
公務員なんてやってたらこうやって地下室の手記の劣化コピーみたいな意味不明な言葉を書き散らしてるだけの人生しか待ってないんだ。
助けてくれ。
この本、日本社会における最初の出版は1993年らしいけれど、正直今まで知らなかった事を後悔した。
はっきり言って2024年の今現在にも問題なく通じるし、日本社会は社会主義であった事など一度もなく、会社主義社会であったとの印象を強くする。
大沢 真理 著
ノーベル経済学賞を獲った、男女の経済格差に関する研究があったけれど、少なくとも日本固有の問題に関してはこの本の方がずっと的確だと思う。
年齢に伴い広がる男女の賃金格差について結婚や出産に伴うM字カーブというお約束「ではなく」、知的熟練という概念と査定という制度に基づいて説明している点が説得力高い。
企業は男が重要な仕事をしているから賃金を上げるのではなく、男の賃金を上げたいから重要(とされる)仕事をさせるんだ。
でなければ看護師のように人の生命身体に関わる重要な業務の賃金が低い説明が付かない。
それとパートタイム労働についても実質的には週5日で正社員と変わらない時間を労働していながら低い待遇に抑えられる、まさに身分制度である事を鋭く指摘しており
最近モラハラ気味の妻から車の維持はコスパが悪いから売れとの指示がきた。
そういった話はよくあるだろう。
最近は平日に車に乗ることはなくなったので、確かに金銭面からみたコスパは良いとは言えない。
都内では、タクシー、レンタカー、カーシェア、電車、レンタサイクル、キックボードシェアと交通手段はたくさんある。
駐車場と保険、車検を月平均に鳴らすと3~4万はするであろう維持費は、上記の交通手段で移動した場合、上記交通手段での移動の方が安くなるだろう。(あくまでうちは週末に使うことがメインだったから)
そしてこう "コスパ" という言葉をしきりに使う人(妻含め)がいるが、コスパってなんだろう?とふと疑問に思った。
コスパとは、コストパフォーマンス(cost performance)の略で、支払った費用に対して得られた効果や満足度、つまり「費用対効果」を意味する言葉です。 「コスパが良い」とは、支払った金額に対して期待以上の成果を得られたときに使います。たとえば、お手頃な価格でバッグを購入したときに、想像よりも使い勝手が良かった・丈夫な作りだった場合などは満足感を得られるため、コスパが良いと言います。 「費用」は金銭だけでなく時間・労力・精神的負担なども含まれ、「パフォーマンス」は、作業なら結果、工業製品なら性能、食べ物なら味、ファッションなら材質・デザイン性、人間関係なら他人から得られるものなど、様々なことに使われます。
表示される。
確かに支払った費用に対して、週末にのみ使う金額だとコスパは悪く感じてしまうことはわかるだろう。
ただ、「費用」には、金銭だけでなく時間・労力・精神的負担も含まれてるということに気がついた。
だが、苦労や精神的負担という面からみると、コスパはとても良いんじゃないかと思った。
電車移動での待ち時間・急な雨での予定変更・カーシェアを予約できない時・カーシェアを予約できたけど、急に使えなくなった時などの精神的な負担やそれをカバーする労力・自転車では遠いけど、電車・バスでは行きにくく、カーシェアやレンタカーなどでは、駐車場に置いとく時間が長く勿体無いというところに行く時の時間、そしてそういうところに行くことの体験は、圧倒的に車を維持することのコスパは良い。
これを妻に説明しても理解できないだろう。なんといっても自分で運転しないんだから....
最近よく聞くコスパは、金額面だけみている傾向が強い。しかし、車が本当にコスパは悪いのか?一旦考えると金銭面ではコスパが良いとは言い切れない面もあるが、
精神的には心を貧しくしているのではないか?と考えるようになった。
心の貧しさが、節約していきたいという発想になっている可能性もある。
(月の固定費(駐車場や保険などの維持費など)に対してその金があれば他のことに回せるじゃんとの意見も言っていたので)
モラハラ気味だから、表面的なことしか見てないので、とりあえず攻撃したいだけかもしれない。
定量的に妻に伝えるのは難しいだろう。人の仕事道具すら売ろうとする人だから心に余裕がないと思う。
そもそも妻は私が正しい的な人で何を言っても聞かないから、車を手放す方向でさっさと済ませた方がこちらの精神的な負担も少ない。
でも、色々しらべてコスパという言葉の定義からは決してコスパが悪いとは言えないというのは自分の中では認識をもてた。
子供に対しても、色々な体験をさせるには車がないと行きづらい場所もある。そういう体験・経験を月3~4万できるのはお得ともとれる。
と、コスパって便利な言葉だなと思いつつ、車を売るための査定している。
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若干背景を書いとくと
以下は陰謀論者とのやり取りです、陰謀論者の特徴を上げてください
Aさん
査定がそういう設定になってる根拠は?って話に何も返せてないよねそれ
陰謀論者
増税の功労者が財務省で出世するってのは大人の常識だろ。歴代財務三役の経歴を調べるまでもなく、「増税=勝ち、減税=負け」という認識で装置が動いていてそれが元凶だとあらゆる財務省出身者があらゆる場所で公言してるの知らんのか。大組織でちゃんと働いた経験がある人間なら誰でも理解できるし身に覚えがある理屈だよ。それを説明されないとわからないというのは、まあそういうことだ。
主張が具体的な証拠に基づいていない、あるいは証拠の引用が曖昧であり、「大人の常識」「誰でも知っている」などの表現を用いて論拠をぼかします。
特定の組織や立場に対して断定的な言い方をし、「すべての〇〇がそうである」といった一般化をします。また、他者にもその「事実」を当然のように受け入れるべきだと圧力をかけます。
具体的な根拠を問われた際に、直接答えず、話題をずらしたり相手の理解力の問題に話をすり替える傾向があります(例:「ちゃんと働いた経験があるなら誰でも理解できる」)。
主張の裏付けとして自分の経験や「常識」といった漠然とした権威に依存し、他者の意見や疑問に対しては高圧的に応じます。
頭の整理がてら今からどのルートを行けばいいのか悩んでるのでアドバイスを貰えると嬉しい。
【経歴】
2023年夏頃
一律昇給や査定で年収500になるがストレスによる散財や無意味なローン(エステや情報商材、スクール等)により借金総額が300万程度になる(恋人はこれを知っているが家族は知らない)
2023年冬頃
2024年春頃
首が回らなくなり任意整理
毎月8万ずつ返済を行い完済に3年程度かかる予定
2024年冬(今)
2028年(将来)
このあたりで結婚はしたいが、今の恋人の職種の関係で地方移住の可能性が高い
【ルート1】
そのまま順当に完済。今の仕事を続ける。
今都内23区に住んでいるため固定費が高く、貯金ができないことや給与査定で落とされた場合に生活が回らなくなる可能性がある。
職場から1.5時間程度の範囲であれば都内から出て家賃を落とすことも可能。毎日マストでの出社でないので多少出勤に時間がかかっても許せるのはありがたい。
デメリットはいつ自分のメンタルに限界が来るかわからないので退職、地元に撤退する可能性を拭えないこと。
【ルート2】
今の生活を続け月に3万程度の貯蓄を目指す。
このままいけば何とか毎月黒字には出来そう。
デメリットは来年6月の査定で想定しているより給与が落ちた時に生活ができなくなる可能性がある。
【ルート3】
給与は5〜10下がるだろうが固定費を削れるため生活は問題なく出来る。
メンタルの問題として掛け合えば出社頻度を落として実家に戻ることは可能ではある。
デメリットはもし給与を落として個人再生をかける場合実家に裁判所から封筒が届くことと、転職する場合の提示給与が落ちてしまうこと。出社できないことによる仕事上やコミュニケーションのスキルが落ちること、恋人と遠距離になること。
【ルート4】
デメリットは短期退職が2回続いてしまうことと実家で肩身が狭いまま将来についてまた悩む必要が出てくること。
現状ルート1or2で考えていて、来年6月の査定状況がわかるまでなるべく引っ越せるように貯金しておくのが最善だと考えている。