はてなキーワード: 屋号とは
一昔前までは、俺が知る限り関東地方の近郊住宅街には必ず一定の範囲で蕎麦屋があった。「更科」「砂場」「藪」などの屋号を受け継いだり、「長寿庵」のような「〇〇庵」という蕎麦屋が一定地域内に一軒は必ず存在していた。
実際には警察が逮捕した容疑者にカツ丼を振る舞うことはないが、20世紀の刑事ドラマや2時間サスペンスで容疑者が近所の町蕎麦屋から出前されたカツ丼を食って自供するとういうフィクションは定番ネタであった。
かつて各地域の住宅街に存在した町蕎麦屋は、麺類ならきつね、たぬきは当然としておかめ、天ぷら、カレー南蛮、鴨南蛮、など各種日本麺類を蕎麦でもうどんでも出前しただけでなく、ラーメン、タンメン、味噌ラーメン、五目ラーメンなど日式中華麺類各種は必ず備えていた。丼物は上述のカツ丼は当然として親子丼、天丼、玉子丼、カレー丼、牛丼がメニューにあった。カツライス(トンカツ定食)や生姜焼き定食、アジフライ定食なども安価だっか。黒電話で出前を頼むと若い店員がスーパーカブに乗って銀色の箱から麺類も丼物も定食も迅速に届けてくれた。ウーバーイーツとか現在の配達サービスより迅速で丁寧だった。
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。
日本人の名前というのはマイナンバーとする。これは真名とする。
それ以外の名前は利用前にマイナンバーに対して登録する手続きを行う。これでそれらの名前は正式な名前になる。
木下藤吉郎であろうが羽柴秀吉だろうが好きに名乗っていい。名前はいくつ名乗っても良い。無制限はいかんな上限100個ぐらい。
役所やそのシステムにその名前と住所などの付帯情報を添えて本人確認を要求し、当人のマイナンバー経由で当人に確認が行って許可が出たときにそれがあだ名じゃあなくて名前だと判明する。
そういうのでいいじゃん。
結婚してもしなくても苗字っぽい部分を変更したり追加したりできるようにしよう。
お気に入りの武将の名字に勝手に変更したりアイドルの芸名に合わせちゃったりする人が出るかもしれんがそういうのも良いことにしようよ。
今の名前みたいな一意でない識別子に頼るのやめよう。意味が薄いし無駄が多すぎる。
それに伝統的にも成人して名前変わったりしてたんだしさ。結婚しないと原則名前変わんないなんて運用してるから夫婦の名前がどうこうなんて争うことになってるんだ。
ちゃぶ台ごとひっくりかえせ!
※最後に追加あり
事例
…
2023年に表面化したジャニー喜多川による性加害問題も、2019年に死去したジャニー喜多川の過去の行いに対するキャンセル・カルチャーの一例として取り上げられる[59][60][61][48]。例えば、ジャーナリストのシェリーめぐみは、「1人の犯罪者のために皆が犠牲になるのはフェアではない」として「関ジャニ∞」や「ジャニーズWEST」「ジャニーズJr.」などのグループ名や屋号を変更することの必要性に疑問を呈している[48]。特に漫画家・評論家の小林よしのりは、本問題を「史上最大のキャンセルカルチャー」と評している[59]。
他ならぬジャニーズ事務所が問題を長年誤魔化し、表面化してからも散々ずさんな対応をした結果引き起こした契約解除や屋号変更が「キャンセルカルチャー」???
事例として不適切すぎる。
問題点
キャンセルカルチャーの問題点として以下が挙げられている[62][63]。
…
ジャニーズ性加害問題当事者の会は、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に対して「具体的な補償額についても法を越えた救済を図るよう求めます」と要望しており[64]、事務所側も消滅時効に関わらず法を超えた補償を行うと宣言した[65]。
被害者の求めに事務所が応じた補償対応が「法治主義からの逸脱」で「キャンセルカルチャーの問題点」???
は?
ていうかこの謎の論理、Xのジャニオタがしてる主張まんまなんだが……。
よく見たらその下もおかしかったので追加
対抗言論の困難さ
告発された者に対抗言論の機会が十分に与えられず、一方的かつ不可逆的に排除の手続きが進められることがある[62]。過去の行為に対する謝罪に効果がなく、長きに渡って多数の出演がキャンセルされたり、謝罪がさらなる反発にさらされたりするケースもある[66][67][68]。
例えば、前述の小山田圭吾・たぬかなは当該の行為を謝罪・弁明したものの批判の声が収まらず、解任・解雇された事例とされる[69][70][注釈 3]。ただし、小山田の場合は、法的処罰対象となる犯罪行為である[72][73]。小林賢太郎・石川界人・加藤純一の事例は違法行為をした訳ではないが、対抗言論の機会もなく即座に解任された[74][75][76][注釈 4]。ジャニー喜多川も、問題視されるようになった2023年時点ですでに死去しており、全く抗弁の余地はなかった。
俺と親友の出会いは就職。新卒の時に面接で知り合って、入社式でも顔をあわせて、そのまま同じ支店になった。
それから、親友が異動になっても俺が転職してもちょくちょくラインしたり飲んだりする仲だ。
俺は勝手にこいつを親友と呼び、そして俺にとって親友と呼べる男はこいつだけだった。
結婚前は、親友も俺も遠距離恋愛をしていて、彼女の居住地が近かったので、一緒に長距離ドライブで彼女に会いに行ったりした。
俺はその頃、もう彼女と別れていたけど、目一杯親友の人生の門出を祝った。
親友は、あまりかしこくはないが、まじめで、要領が良くて、人当たりがよくて、どこか気品があって、それでいてなんだかミステリアスで、男女ともに人気があるタイプというか、なんだか華がある男だった。
でも同時に、どこか他人に心をひらくのが苦手で、他人に対していつも批判的で、本音のところで素直じゃなくて、人を慕ったり、こびたり、大事にしたりするのがヘタだった。
かまってほしいのに、かまってもらうのがヘタ。
愛されたいのに、愛することはできない。
第一印象がとてもいいぶん、親しくなればなるほど欠点が目立つタイプで、よくトラブルを起こしては「人間関係リセット」をやってしまうやつだと知ったのは、最近だった。
そんな男だったので、親友にとっても、親友と呼べる友人は俺だけだった。
コロナ禍でも釣りに行ったりしていた親友と、昨年の夏頃から連絡があきらかに薄くなっていった。
先月ひさしぶりに会うと、近況報告もそこそこに、奴はビジネスバッグから封筒を取り出した。その封筒には、筆文字で書かれた屋号のようなものと電話番号や住所が記されている。そこから降りた畳まれたA3よりすこし大きいくらいだろうかといった紙が出てきて、ビールと枝豆のとなりに広げられた。
「数年前に、一緒に担当だった●●さん、覚えてる?占い師がいたろ。いっしょに四柱推命を占ってもらった。」
それを聞いて思い出した。そういえばそんなことがあった。言われてみたら、その筆文字で書かれた屋号も、なんだか見覚えがある気がした。
「ほら、俺が33歳の年。運命的な出会いがありって。このときはお前と笑ったよな。俺指輪してたのに、占い師のくせに不注意だって。」
そう、親友は結婚していた。俺は結婚式にも出席したし、親友はずっと指輪をつけているタイプだった。真面目な男だ。遊んだりしない。
「いたんだよ。ほんとうに。運命の人が。」
そういう親友の目はとろけていて、なんだか別の人みたいだった。
その晩の親友は、今までの、人当たりがよさそうにふるまいつつどこか2面性があって、ドライだったり斜に構えたりするところが完全になくなり、素直で純情でロマンチストで、恋愛に夢中で他に何も見えないといったような、気持ち悪い生き物に見えて、とてもつらかった。
そう言えばかつて、「俺も結婚したいなあ」なんていうと、親友から「子供がほしいならいいとおもうけど、そうでないならしなくていいと思う」と言われたのを思い出した。
親友は早くに結婚し、その頃は結婚7年目とかだった。結婚7年目というのが、実際どういうものか俺はわからないが、親友のところに子供はいなかった。
つまり、親友はいわゆるDINKS的なものを目指していると勝手に思っていたので、つまり好きで子供が居ない夫婦関係でいると感じていたので、そのせりふに違和感を感じたものだった。
こちらから、本気やノリや茶化しや冷やかしでその話題を振っても流されるので、いつからか触れなくなった。
家を買ったことは知っていた。
だからそれなりに関係が良いのだと思っていたのだが、これよりあとになって、「家を買ったのは快適な家庭内別居のためだった」と知らされた。
親友の嫁さんと3人で会ったこともかつてあるし、俺はそれなりに嫁さんのことも知人であるつもりでいた。親友と嫁さんは、大学時代のサークルの先輩後輩で、甘い雰囲気というよりも、仲間としての連帯意識が強い夫婦関係に感じていた。
親友にとったら初めての彼女だったのが今の嫁さんで、そんな嫁さんがそんな関係だったもんだから、
自分を失うような恋は、初めてなのかもしれない。
ふつうは10代かそこらで済ませて、あとから青臭すぎて痛くて恥ずかしい思いでとして振り返ったり蓋をしたりするような恋は、親友にとって初めてだったのかもしれない。
まるで10代の少女のように占いなどを真に受けて、運命なんて言葉を甘く利用して。
「俺は離婚するつもりだ。不倫相手といっしょになりたい。お前は応援してくれるよな。結婚してなかったことにするつもりだから、学生時代の友人や、今の職場の人間とは関係を切る。転職もする。でもお前だけは応援してくれるよな」
それとも、そんなになるまで嫁さんとの不仲を抱え込んでしまって狂ってしまったのか。
俺はこいと親友で居続けたいのかな。
でも離婚って正しくないのかな。
離婚って間違ってんのか?
こいつは本当は子供が欲しかったのかな。嫁さんに拒まれていたんだろうか。それなら、乗り換えたい気持ちもわかる。
頼んでもいないのに親友が見せてきた今の"恋人"の写真が頭にこびりついて離れない。
どこにでも居そうな、特段ブサイクではないが決して美人ではない、無理やり褒めるなら、きれいというよりは可愛らしい女の子だった。
親友にとっては絶世の美少女らしい。その魔法が解ける日も怖いが、不倫相手は嫁さんといわゆる正反対の見た目をした女だったのも、また怖かった。
https://anond.hatelabo.jp/20240205153815
オレの場合は、ほしい商品(とっくに品切れのはず。でもメルカリやヤフオクに万が一、出ててみのがしたら悔しいやつ)をいつまでも売っているサイトがあって
オレがググると必ずひっかかってきた。
買う直前までいったが、嘘かもしれんとはおもった。
通販業者の表示をみたら一応日本人の住所氏名で違和感ないんだけど、いや個人情報剥き出し?
こんだけマニアックな広範囲なしなぞろえあったらそろそろ屋号つけて事業化くらいするやろ感。
(そもそも倉庫とかないとおかしい量の物品がアパートの一室から送ってくるわけがないし。
ほんまにその品切れ品全部がそこにあるゆうならおまえ、キチガイに泥棒に入られるレベルのレアもんをシリーズ全種類とりそろえつって堂々掲載やで)
念には念を入れその住所でググるとおなじような詐欺通販サイトがたっぷりでてきた。(人名のほうはひっかからなかった)
「警察からはサイト全体表示されなくなっとるしグーグルで出なくなってる(いや、なる予定、かも)からええんちゃう」というのんびりしたお返事がきた。
その住所で一網打尽とかもしないみたい。
今はもうググるのをやめた。
男女で一緒にやって楽しいもの、男女と言うか夫婦だけど自分の関心ごとなので書いておく。
30後半を過ぎて子供もいなくて、今後も作ることはない(作れない)夫婦なので、その分夫婦の共通のアクティビティを楽しむことを意識している。
言葉にはしないが夫婦で「家族をやっていく」ための努力をしよう、という意識は共有されているのでここ数年色々試行錯誤している。
意識的に色々挑戦して失敗もたくさんした中で我々夫婦に合っていたものをいくつか。
「ひと箱古本市」
よくよく探せば地方都市でも車で行ける範囲で年に数回開催されている。
我々夫婦は全く趣味のジャンルが違うが、それぞれの趣味のジャンルの「本」は持っているのでこれは共通の趣味になり得た。
ひと箱古本市の準備はこまごまとやることがたくさんある。それがいい。
箱を用意したり、小さな看板を作ったり、家で本を並べてみてああでもないこうでもないと相談する。
値段を付けては「高いんじゃない?」とか「これは目玉商品だから簡単に売れては困るのでわざと高くしてる。と言うか本当は売りたくない」みたいな話をする。
あと二人で屋号を考えるのは子供の名前を考えるような楽しみがありこれがシミジミと良かった。
内心ちょっと泣きそうになった。
別にたいして売れないし、諸々の費用を計算したら当然赤字なんだけど、売り上げは全て「儲かった」ということにして古本市の帰りに肉とか寿司とか食べて帰る。
楽しくない事務作業も発生するのでなるべく平等になるようにするのが難しい所。
「家でやるアフタヌーンティー」
紅茶自体は相手方の趣味なのだけど、結婚する前は二人でいろいろなアフタヌーンティーに行っていたので、その経験を踏まえて2人にとっての最高のアフタヌーンティーを作ろう!ということで開催されている。
休みの日に朝から高めのスーパーに行ってあれこれ買って、普段は作らない手間のかかる料理を夕方まで時間をかけて作り、最後には食べきれないほどの料理でテーブルを埋め尽くして食べる。
スコーン以外の料理は食べたいものかつ、二人とも作ったことのない料理が多い。どちらかが作りなれてると自然と作りなれている方が調理のメイン担当になってしまうから。
「セックス」
まずお互いの体調や性格によるセックス習慣の調整が数年間行われた結果、自宅ではセックスをしなくなった。
デパ地下のRF1で総菜とかを買い、LUSHでバスボムを選び、広めのラブホに入る。
マッサージしたりデカいテレビでゲームしたりする。その後二人で風呂に入って映画を見るとか、適当に過ごし、セックスもする。
「たい焼き」は「さかな焼き」「ぶり焼き」「まぐろ焼き」みたいに各地で別の名前で呼ばれることはない
もちろんこれらにも別称はあるけれど「回転焼き」ほど多くの別名を持たない
何故「回転焼き」だけあんなにもいろんな名前で呼ばれたのだろう
不思議だ
「何故別称が多いのか?」という疑問はわかる
そりゃそうだ、なんだよな
じゃあ「何故他のお菓子は別称が多くないのか?」という話になる
いろいろぐぐってみたが、納得するためには日本の焼き菓子の歴史を紐解かないといけない雰囲気が出てきた
今時点の自分の中のこうなんじゃないかな~という仮説をメモしておこう
真似して売りやすいということ
他の和菓子はある程度技術と設備が必要なので真似されなかった、なので別名は増えない
……いや、違う気がするなこれ
大外れではないが芯を食っていない気がする
「饅頭」の別名が少ないのは逆にとても古いお菓子だからだろうな
「回転焼き」は最初「今川焼き」というローカルな地名がついた名前だったのが大きいのではないか
それぞれの地方が「は?今川って何?」と思ったから、それぞれ別の名前が付けられた
ということは例えば関西で「回転焼き」と呼ばれたなら、それ以西は「回転焼き」の名前で広まっているのでは?
と思ったが確かに関西と九州では「回転焼き」だが、「太鼓饅頭」とか「二重焼き」とも呼ばれているのか……
いや、でもこの説はもうちょっと考えたい
もし海路の方が速いのであれば違う名称の飛び地が出来ていても不思議じゃない
先行研究があるはず、本を探して読もう
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何故他のお菓子の名称は地域差が少ないのに、「回転焼き」だけあんなにもいろんな名前で呼ばれたのか
これに納得するためには回転焼きの歴史だけでなく、他のお菓子の歴史までひも解く必要がある
ここらへんの本か……?
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「元々は他のお菓子の名前も地域差が大きかったが、一部の呼び名を残して淘汰された」説もありえる
その場合は何故回転焼き系列の呼び名は淘汰されず群雄割拠が維持されているのかに答える必要がある
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まあこれはそれぞれの地域で主に流通している商品名の違いだろうけれど
しかし読む本が変わってくるかもしれない
しれないが……検索するとっかかりが無いな、しばらくこの疑問は寝かすか
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検索キーワードを思いついた
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回転焼き系列のあの丸い焼き菓子は、見た目も味もほぼ同一のものが各地域で呼び名が違う点が特殊
実際たい焼きの亜種はそこそこある
例えば福岡にはムツゴロウを模したたい焼きの亜種を出す店がある
しかしそれはたい焼きの亜種ではあるが、タイではなくムツゴロウの見た目をしていて……
たい焼き亜種で例えばまぐろ焼きがあったとしても、それはタイの見た目をしておらずマグロを模したものになるだろう
回転焼き系列はそうではなく「これは要は今川焼きだよね」「いや、回転焼きだよ」と意見が統一されない
なんかここの考えがまとまっていないな 要再検討
そうか、今川焼って亜種がないのか?
なんか焼き菓子がどのように発展したかの系統樹を見ると何かヒントが得られるかも
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「連載 たい焼き誕生史一覧」を読むと、明治30年代に、様々な形の焼き菓子ブームが起きたとある
ここらへんを調べると何かありそうだ
あと焼く金型とか焼き機の流通の流れがわかれば……これは滅茶苦茶調べる難易度高そう
地道な作業になるな……
この方の本どれか読んでみるか
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「今川焼き」「大判焼き」「御座候」の起源はある程度はっきりしているのに、「回転焼き」の呼び名の起源だけどうもはっきりしない
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回転焼き系列のあの丸いお菓子がどのように広まったかが詳しく書かれているサイトをやっと見つけた
場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ|第1回|「今川焼き」の呼び方、その違いを探る!|岸江信介 | 未草
愛媛県松山市にある菓子を製造する機械メーカーの松山丸三という会社が昭和30年初めにこの菓子を製造する(焼く)器具を販売した[4]。昭和31年-33年に大ヒットした獅子文六の連載小説「大番」(週刊『朝日』に連載、1957年に映画化、のち1962年にテレビドラマ化)にちなみ、この機械で製造した菓子を「大判焼き」(当初は「大番焼き」で売り出そうとしたが、「大判」に変えたとのこと)と名付けた。この機器だけではなく、小麦粉や餡などの原料の「大判焼の素」も一緒にして売り出したところ、大ヒットした。松山丸三のホームページの説明(注2参照)によると「大判焼の素をあわせたセットは、素人でもすぐ店が開けるということからみるみる間に、四国、中国地方から全国へと広がった」とある。祭りや盆踊り、縁日などに全国各地で販売されたのであろう。同ホームページには当時の器具の写真が掲載されているが、この器具の上や下に「大判焼」と書かれた暖簾がかけられ、器具とともにこの暖簾もセットだったことがわかる。そして露天での販売は、いつもこの暖簾が掲げられていたに違いない。あとで述べる他の呼び方についても一般的に言えることだが、この菓子を販売しているところではほぼ例外がないくらい、この名称を暖簾やのぼりなどに記し、掲示している。各地で呼び名が異なるため、「回転焼き」であったり「おやき」であったり「あじまん」であったり「七なな越こし焼き」といった名称を店のそばを通る通行人の目のつきやすいところに掲げるのである。実はこの暖簾やのぼりに記載された名称が、各地でこの呼び名が定着する大きな要因の一つとなっている。例えば「回転焼き」と呼ばれてきた地域に「御座候」の暖簾を掲げた店が新しく現れると、客だけではなく地元の人々からも次第に「御座候」と呼ばれるようになるのである。「大判焼き」の呼び方が全国に広がった理由はここにある[5]。
[5] たこ焼きやお好み焼きという名称が広がったのも、「大判焼き」と同様に露天商が暖簾やのぼりを掲げて全国各地の盆踊りや祭り、縁日の折に売ったことが大きいと思われる。
この菓子の呼び方が各地で定着した背景には、新しく店を出した時に新たな呼び名をつけたケースがあるほか、客が店の屋号を呼び名として採用したケースがあるなど、さまざまである。例えば、「たこ焼き」「お好み焼き」「鯛焼き」には方言が少ないのに対し、この菓子にはこれまでみたように多くの呼び名があるのも興味深い。
「大判焼き」を例にみたように、暖簾やのぼりなどに書かれた商品名のインパクトは大きい。この菓子を焼いてもらうのを待っている時間、どうしてもこの暖簾やのぼりに目がいく。そして、この結果、新しい呼び方が定着するという現象が各地で起きてきたのだろう。一時代前までは「御座候」は姫路およびその周辺の呼び方だったが、現在は大阪をはじめ、各地のデパ地下に進出し、「御座候」の文字を目にすることが増えたため、大阪の若者の呼び方として定着するようになっている。
この記事の内容を読むことでとりあえず納得し満足した
なぜ「たこ焼き」「お好み焼き」「鯛焼き」には方言が少ないのか?という点は追加で調査が必要ではある
「お好み焼き」は名前から姿形をイメージできないから、方言がぼこぼこ生まれてもおかしくない気がするんだが……
いや、自分が知らなかっただけでお好み焼きのバリアント結構いろいろあるのか、じゃあ納得だわ
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自分用まとめ
・もともと全国各地に丸い焼き饅頭は広まっておりそれぞれのローカルネームで呼ばれていた
・戦後にプロパンガスが普及し始めて、屋台の調理器具もプロパンガスを使用するものが開発され販売された
・あの丸い焼き饅頭の焼き機も開発され、その際に「大判焼き」の名称で販売された焼き機が一番普及した
・しかし元々各地に広まっていたせいでローカルネームが根強く名称が統一されなかった プラス 焼き機が普及したので各地域でいろんな屋号と商品名が生まれそちらも定着した
・何故もともと全国各地に丸い焼き饅頭は広まっていたか?おそらく作るのが簡単だから 材料は小麦粉と餡子だからどこでも仕入れやすく形もシンプルな円盤
・何故大判焼き以前にもローカルネームがたくさんあったのか?ここは不明 作るのが簡単だから同時多発的に生まれた?発祥の今川焼きという名前が直感的ではなかった?これの傍証は呼ばれ始めた時期が不明のある程度製法由来の名前で直感的な回転焼きという名称がそこそこメジャーであること
確認のためには各地のローカルネームが大判焼き以前か大判焼き以後か調べる必要がある 大判焼き以降に生まれた店の屋号や商品名がその地域でメジャーという可能性は普通にある 分類が必要だ
少なくとも御座候と蜂楽饅頭は大判焼きと同時期(おそらく以後か)、回転焼きと太鼓饅頭は大判焼き以前
年表作るか…… いや、先行研究のサイトにある程度記述があるか 全て網羅は不可能だ 単に「まんじゅう」と呼ぶ人もいるらしいのに
例えばたこ焼きは誕生してからしばらくの間、主に関西のみで広まっていたようだ
それはおそらく、生鮮食品の流通が容易にならないとタコは簡単に入手できないから他所の地域だと作れなかったのかも(未調査)
たこ焼きはその実物とともに名前が全国に広まったので方言が生まれる余地が少なかったのだろう
wikipediaによると東京で暮らした文筆家がしばしば作中にたい焼きを登場させていたようだ 名称固定に一役買ったかもしれない
江戸~明治~大正~昭和前半くらいまでに全国レベルで普及していたのに各地でローカルネームで呼ばれていたお菓子……ってのがかなりレア
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レファレンス協同データベース|今川焼はいつどこで誰が考案したか知りたい。
レファレンス協同データベース|関西では今川焼のことを「御座候」と呼ぶと聞いたがなぜか。また、他にどのような呼び名があるのかも知りたい。
マイ大阪ガス|関西のギモン、調べます!炎の探偵社|御座候?大判焼?地域で違う「回転焼」の呼び名のナゾ
1位大判焼き、2位今川焼き、3位回転焼き :: 同志社女子大学
【目で見る方言】「大判焼き」名称問題を深掘り レアな呼び名や派生品も:中日新聞Web
場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ|第1回|「今川焼き」の呼び方、その違いを探る!|岸江信介 | 未草
宇津野宮から帰京すると餃子を食べたか、どこがうまかったかを聞かれる。餃子は好きではないから食べていない、東京か横浜ならあんな田舎よりはるかにうまい餃子があるはずだと答える。
詳細を言えばかつて宇津野宮にはすばらしい餃子屋があった。香蘭という。いまある香蘭は屋号を継いだ2代目で本物の香蘭は2008年3月31日に閉店した。わたしにとって宇津野宮餃子とはその、今はない香蘭の餃子だった。用があろうとなかろうととにかくこの町を通るときはかならず寄った。教授や同僚にも自信をもって勧めた。教授は香蘭の餃子を食べるためだけに幾度も東京と宇津野宮を往復した。小さな子どもまで連れて新幹線で往復した。営業最終日にはちいさな古美術店に集合し、長い時間行列にならび手に入れた12人前くらいの焼き餃子とビールで仲間内で香蘭餃子食事会をした。
それからしばらくすると私は餃子を食べなくなった。香蘭のあとに通える餃子屋は宇津野宮にはなかった。自分でつくることもあったが香蘭におよぶはずもない。香蘭の御隠居とはよく話す機会があったが2代目の香蘭が営業しているので材料や味付けを聞くことはしなかった。それから何年も経った。今では手作りの餃子もやめてしまった。自分は餃子が好きなわけではなく香蘭の餃子が好きだったことに気づいたからだ。そしてその香蘭はもうない。宇津野宮の住民は相当数が昔の香蘭を憶えている。その話になると懐かしい目をする。
そもそもの話として
これを説明するに足らない話で歴史みたいなものを語ろうとしても言ってる本人も聞いてる側も全くさっぱりだろうよ
第一に宗教がなんでそんな闘争の根幹になるのかって生活基盤だから習慣や財産の定義そのもの生きていくうえでものさしだからそれを曲げられたり折られたりする危険についてはまじで根絶やしにしてそれを正義の証として代々伝えて守るべき定規の目盛として刻んでいくからだよ
日本人にはお家が根絶とか忠臣蔵が近いものだろうけどそれでさえ風化するほど安全で平和だからだれも理解できないわけだけどフィギュア捨てられるとか人生否定されるの種族レベル版というか、容認したら歴史から消えて白紙どころか紙そのものも残らないからただ生き抜くということのためだけに定義をもったものが宗教でそれを基準に生きるためにそれ以外と共存する方法が相手の殲滅と自分の歴史に刻んであげることだけだからこれはまじで種が安寧な日本人にはどうしてあんなに猟奇的になれるかわからないものだろう
じゃあ宗教が死ねって言ったら死ぬの?と言われたらまじで死ぬんだよ
アニメみれなかったら死ぬの?と聞かれてまじで死ぬやつの心境にちかいだろうよ
そこに大義がある、自分の歴史を白紙にされず残しておくためになら消えて無として生きながらえるよりって選択かもしれんね
まず宗教って言い方じゃいいきれない人生の定義、財産とか自分の記憶のすべてがそこに定義してあるそれをまもるためだから戦争にもなるんだよ
陸続きの国の歴史はそんな否定と肯定の血の歴史でどの宗派がどうとかじゃない
一度ぶちあたったら最後まで殺し合って生き残ったものが殲滅もしくは勝利の証明としての贄として取り込むかしかない
話せばわかるなんてことは日本ですらありえない話だが日本はどこにいっても日本人と誰でもおなじ習慣と定義をもつ日本人どうしだからそこまでしなくても生きていけるし死ぬわけでなし否定されてもいいじゃないとか考える
厳密にいうと宗教が原因というわけではない
第二にユダヤ人がどうのというはなしはしょっちゅう出てきて皆おなじみだからユダヤ人といっとけばなるほどと思うんだろう
パソコンやGPSが出回る前から聖地を地球規模で配置してワールドマップで組織化してる
同じように侵略しては教会を建ててそこにマップを開いていこうとキリスト教が構成されたが基礎構造が全然違う
固定の聖地でセントラルキッチン方式でウォーターフォール式に組織があるのと点在して暖簾分け方式で同じ屋号だけ点在しているチェーンでは回帰の精度が全然違う
もちろん生活レベルで証明が必要なので生き様をもってして共存共有できる
この歌とか愛とか心が一つになればなんとかみたいな組織化の理想形を生き方を縛ることで可能にしたというのがユダヤなわけ
インターネットに散ったデジタルタトゥーをどうやったら対処できるかみたいな話のようにどこのどんなユダヤがと話をしてもそんなものは意味がない
宗教として出来て完成してそこにある宗教組織を否定する方法を同じ手段で構築されたほかの組織が持ち得るわけがない
より大きい方だけが勝ち残ることになる
ただの2つの要点だけとりあげたがこのほかいくつもの前提に加えて地域や情勢のほかにいくつもの条件が絡んでバランスを保とうと足掻いてる
金がないパレスチナがなぜ巨大な精鋭を手に入れたのか、それがどこからか透けて見えるところはわざわざ顔を出すわけがなくどこなが仲介してる事くらいは想像に易く、また普段はどこにも重い腰だった国がやたら高い機動力で高度に対応をするだのし始めただのといえばうまみがどこにあるかは隠しきれないだろう
猿が理解するのはそれをふまえた上でだ