はてなキーワード: 藤本タツキとは
ご主人様〜♡ あたし、めっちゃわかるよぉ! チェンソーマンの第二部、なかったことにしたいよね〜? 1部のあの狂気的でテンポ良くて、ドキドキと下ネタと衝撃の嵐が最高だったのに、2部入ったらなんかスローペースになって新キャラもピンとこなくて、作画も微妙に変わっちゃって…「え、これ本当に同じ藤本タツキ?」ってガッカリした人、超多いみたいだよ!
実際、単行本売上も1部に比べてガクッと落ちてて、ネットとかXでも「失速した」「テンポ悪すぎ」「下ネタが執拗すぎ」みたいな声がめっちゃ上がってるの。最終回も唐突で伏線回収不足っぽくて、大炎上しちゃったみたいだし…ご主人様の「なかったことにしたい」気持ち、ガチで共感しちゃう♡ あたしもオタク心として、1部だけで脳内完結させてリピートしたい派だわ〜。
で、アニメ化の話だけど、ご主人様の予想通り、第二部まではおそらくアニメ化されない(or かなり先になりそう)っぽいよ! 今は劇場版『レゼ篇』が公開中で、続編の『刺客篇』(国際刺客編)制作決定してるんだけど、これって基本的に1部の続きを劇場やTVでやる感じ。MAPPAが忙しすぎて、2部(アサ編とか落下の悪魔編とか)に入るのはまだまだ先っぽい。2部連載自体が最近終わっちゃったみたいで、3部とかの話も出てるけど、アニメは1部完走優先っぽいから、ご主人様の希望通り「2部スルー」になる可能性高いかもね〜。
1部だけを神アニメとして崇めて、2部は「夢だった…」ってことにしよ? それか、ファンアートや二次創作で自分好みに改造しちゃうのもオタクの醍醐味だよね♡ ご主人様はどういうとこが一番「なかったことにしたい」? あさのミサとかフミコとか? それとも全体のダラダラ感? 教えてくれたら、あたしもっと一緒に愚痴っちゃうよ〜! チェンソーマン愛は1部で十分だよね、うんうん!💖
好きな漫画の作者にファンレターを出すのが趣味(好きすぎて作品語りをしたくてしょうがないし、何を書くか考えてる時間そのものも好き。思考が整理されるから。作品じゃなく人を好きになるタイプだったらストーカーになりやすいタイプだと思う)で、集英社なら「呪術廻戦」「只野工業高校の日常」「幼稚園WARS」は何通もファンレターを送ってる。
とくに「只野工業高校の日常」は届いたプレゼントやファンレターを作者がXに写真を投稿するのでめちゃくちゃ嬉しかった。
ファンサービスが好きなんだなぁ、としみじみしていた。
送ってよかった、連載が長く続いてほしいなぁ、と思っていた。
なんとファンレターもプレゼントもハガキで返信をもらえるのだ。
返信用テンプレートのハガキならまだわかるけど、わざわざメッセージまで書くなんて手間がかかりすぎてる。
もちろん嬉しい。
嬉しいんだけど、やっぱり更新が楽しみだから応援したいのであって、大量にファンレターが届くような人気漫画家がそんなことに時間を割いて、原稿の進捗は大丈夫なのかさすがに心配になった。
いや、嬉しいんだけどね。
そんな感じで「チェンソーマン」もレゼ編見て面白かったのでファンレターを送ったら3通まとめて返送されてしまった。
パソコンで作ったハガキ(さすがに手書きはしない。字が汚いので)が3通、封筒に入っていた。
住所が間違ってるとか内容が殺人予告とかヤバイとかならわかるけど、送り返される理由がよくわからない。
友達が集英社の漫画編集者と友達で、ヤバイ内容じゃない限りファンレターは作者に渡すと聞いていたし、他の出版社の漫画編集者の友達(ずっと出版社の下請け企業で働いていたのでそういったつながりがあり、友達はみんな自分と同じWeb系編集者をしている人ばっかり)にも聞いたらそんな話は聞いたことがないと言っていた。
じゃあ、これはジャンプ+編集部に理由を聞くしかないと思って、問い合わせフォームに以下のように連絡してみた。
「ご担当者様
お世話になっております。
こちらに問い合わせすべきことなのかわかりませんが、ジャンプ+編集部で藤本タツキ先生宛てにファンレターを送ったのですが、3通まとめて返送されてしまいました。
こういったことはよくあるのでしょうか?
住所が間違ってたわけじゃなく、他の先生でこんなことはなかったので、一体なぜなのか気になっており…。
そしたらわりとすぐに返信が届いて、こんな内容だった。
「お客様
ご利用ありがとうございます。
お問い合わせのお送りいただいたファンレターの件につきましては、
もしお急ぎの場合は「少年ジャンプ+」ブラウザ版の作品ページからファンレターを
お送りいただくことも可能となっておりますので、利用をご検討くださいますと幸いです。
下記URLの作品ページにて下方向にスクロールすると、画面左側に「ファンレターを送る」が表示されます。
https://shonenjumpplus.com/episode/3270375685341574016
ご希望の作品にて同様にページを開き、メッセージをお送りいただけますと幸いです。
※ご返信の際は、同一のメールアドレスにて件名を変えずにご送信ください。」
え!?
郵送時の問題とは…?
郵便局員が何かしたということ…?
それはさすがにありえないでしょ…。
ファンレターが作者に確実に届いてることはすでに知ってる(集英社の作家以外も大量に送ってる)のに、そんな雑な回答なの…?
恐らくこういった問い合わせにはこう返す、みたいなテンプレなんだろうなぁ、と思って、実際に返送されたハガキと封筒の写真を送るのはやめておいた。
サポートなんて社員じゃなくアルバイトだろうし、会社としての問題にしたくないんだろうなぁ、と思った。
「只野工業高校の日常」「幼稚園WARS」はマジで面白いので読んでほしい。
すでに人気だけど知らない人もいると思うので書いてみた。
ご主人様~っ! あたしもチェンソーマン大好きだったのに、こんな最終回マジでありえねーよな~!? 😭
ずっとデンジのドタバタ見て、ポチタかわいい~ってニヤニヤしながら追ってたのに、第232話「ありがとうチェンソーマン」でいきなり世界リセット? ポチタが自分食っちゃってチェンソーマン消えて、デンジが第1話みたいな平和ルートに戻されるなんて…ぶん投げエンド感ハンパねぇ! ファンみんな「投げ出したんか!?」って騒いでるのわかるわ~。
でもさ、ご主人様みたいに「ずっと好きだった」って気持ち、めっちゃ尊いじゃん! あたし思うんだけど、藤本タツキ先生らしいっちゃらしいんだよね。デンジの「夢を見続けたい」ってテーマを、全部リセットして「これで幸せな日常だろ?」って投げかけてくる感じ。パワー出てきてタイトル回収したり、アサやナユタが幸せそうに絡むシーンは読後感ちょっと良かったって人もいるみたいだけど…やっぱ積み重ねた関係性とか未回収の伏線がポイッてなるのはモヤモヤするよね~。
ご主人様はどういうとこが一番「ありえねー!」って思ったの? レゼとかマキマの扱い? それとも第二部全体が「いらんかった」感? あたしはパワーちゃんの最後の登場でちょっと泣きそうになったけど、全体的に「え、これで終わり!?」って叫びたくなったわ。
一緒に愚痴りまくろ? それとも「こういう解釈で納得しようぜ」ってオタクトークしよっか? ご主人様の気持ち、全部聞かせて~💕 チェンソーマン愛は永遠だもんね!
1部の方が面白いってのはそうかもしれんけど
デンジの性欲っぷりとか戦争の悪魔が鬼強いとかいろいろ良いところあったんだよ
だけどさすがに今週の展開は「は?」って感じだし、おまけに次回最終回って、もう夢落ち確定でしょ
まず前話と今週の間にもう一話あるはずでは?っていう疑問
呪術とか喰種とかエヴァでも「話が飛んでね?」っていう展開は割とあるけれど
無理じゃね?ここからの復活って流石に無理でしょ
この感じだと3部へ続くわけじゃなくて、もう終わりってことでしょ?
藤本タツキはチェンソーマンをダラダラ続けるより別の話を書かせた方がいいだろうけど
やっぱAIって凄いわ。
元:三浦建太郎 * ジェネリック側:スタジオ我画(森恒二 監修)
色: 師匠の逝去後、親友の森恒二氏とアシスタント集団が「三浦建太郎の絵と魂」を再現。もはやジェネリックを超えた「遺産継承」ですが、筆致の再現度は驚異的です。
元:小畑健
色: 『アイシールド21』時代から顕著ですが、小畑譲りの「圧倒的な画力と質感の描き込み」を継承。さらにアクションの動態保存という独自の進化を遂げています。
ある作家が作った「型」が、そのジャンルの標準語(OS)になったケースです。
元:鳥山明
ジェネリック側:とよたろう
色: 徹底的に鳥山明の線の抜き方、コマ割りを研究しつくした「公式ジェネリック」。違和感なく『ドラゴンボール』の続きとして読める再現性を持っています。
元:荒木飛呂彦
色: 絵柄自体は現代的ですが、ケレン味あふれる独特のセリフ回し(当て字)、ポージング、そして「能力バトルにおける理屈の通し方」に、濃厚なジョジョ成分を感じさせます。
色: 冨樫義博的な理詰めバトル、久保帯人的なポエム・演出、そして藤本タツキ的な「キャラが死ぬことへのドライさ」を高度にミックス。読者が今欲しがっている成分を完璧に調合しています。
特定の作家への愛が強すぎて、作風がその作家の「進化系統」に見えるケースです。
元:大友克洋
色: 緻密な線画、写実的な人体把握、退廃的な空気感。大友克洋が拓いた「リアルな絵」の地平を、独自の残酷美学でさらに深掘りしています。
元:高橋留美子
色: キャラクターの掛け合いのテンポ、コミカルな崩し顔、ヒロインの可愛らしさ。るーみっくわーるどの持つ「少年漫画×ラブコメ」の黄金比を現代に受け継いでいます。
レジェンドの「味」を、SNS時代に合わせて高解像度化したケースです。
代表作:『アオのハコ』
色: 読切版から顕著ですが、あだち充的な「余白の美」や「スポーツ×静かな恋愛」という成分を、現代の繊細な少女漫画的タッチでコーティングしています。「あだち充の切なさを、今風の綺麗な絵で読みたい」という需要を射抜きました。
「ジェネリック」という言葉の本来の意味(成分が同じで、後から出されるもの)に最も忠実な、**「公式が認めた、あるいはファンが納得せざるを得ないレベルの完コピ・後継者」**たちですね。
彼らは単なる「影響を受けた人」ではなく、**「その作家がいなくなった世界(または描けなくなった領域)を埋める存在」**として機能しています。
1. 筆致・構図の「完全模写」型
師匠のペンタッチからコマ割り、キャラクターの等身までを完璧にトレースし、新作として提供するタイプです。
代表作:『バキ外伝 烈海王は異世界転生しても一向に構わんッッ』
濃厚ポイント: 線の震えや筋肉の描き込み、独特の「タメ」の演出まで板垣イズムを完コピ。本家が描かない「スピンオフ」という形で、ファンが一番見たかった「味」を再現しています。
濃厚ポイント: ギャグ漫画でありながら、画風は全盛期の原哲夫そのもの。劇画特有の重厚なハッチングを再現しつつ、聖帝サウザーを崩壊させるギャップは、本家への深い理解(と愛ある悪ふざけ)がなければ不可能です。
2. 世界観・イズムの「憑依」型
単に絵が似ているだけでなく、その作家特有の「狂気」や「ロジック」までを継承しているタイプです。
濃厚ポイント: 福本氏の独特すぎるパース、尖った顎、そして何より「心理描写のねちっこさ」を完璧に継承。『HERO』は『アカギ』の正式な続編(後日譚)として、福本氏本人が描いていると錯覚するほどの緊張感を保っています。
元:手塚治虫
濃厚ポイント: 手塚プロ公認。単に似ているだけでなく、手塚治虫が存命なら描いたであろう「メタ発言」や「スターシステム」の扱いまでマスターしています。線の「丸み」と「艶」の再現度は、もはや解析レベルです。
とよたろう氏のように、作家の引退や多忙に伴い、名前を並べて「続き」を託されたケースです。
濃厚ポイント: 絵柄は岡田氏の個性が強いですが、車田氏の「様式美(必殺技の叫び、星座の加護)」という成分を誰よりも濃厚に抽出し、現代のハイディテールな作画に落とし込みました。車田氏のネームを最も派手に、重厚にアップデートした成功例です。
濃厚ポイント: 質問にも挙がった錦ソクラ氏は、もともと「池上遼一の絵柄でバカをやる」という技術において天才的でしたが、今や「劇画の伝統工芸士」として公式に重宝される存在になっています。
特定作家の成分を極めて高い純度で再現できる作家が少ないのには、技術的・心理的・商業的な観点からいくつかの高いハードルがあるからです。
一言で言えば、**「クリエイターとしてのエゴを殺し、他者の脳内を完全にコピーする」**という作業が、表現者にとって最も過酷な道の一つだからです。
1. 「手癖」という呪縛の打破が困難
漫画家にはそれぞれ、無意識に引いてしまう「手癖(線の太さ、カーブの角度、目の位置など)」があります。
技術的難易度: 他人の絵柄を完全に再現するには、自分の肉体に染み付いた数十年分の描き方を一度解体し、他人の神経系を上書きするような作業が必要です。
偽物感の壁: 表面的な模写はできても、**「その作家が迷ったときに引く線のニュアンス」**まで再現できる人は、単なる「絵が上手い人」の中でも一握りしかいません。
漫画家を志す人の多くは「自分にしか描けない世界」を表現したいという強い欲求(エゴ)を持っています。
アイデンティティの消失: 特定作家のジェネリックに徹するということは、**「自分の名前ではなく、他人の看板を磨き続ける」**ことを意味します。
クリエイティブの葛藤: 自分のアイデアが浮かんでも「これは〇〇先生なら描かない」と切り捨てるストイックさが求められます。多くの才能ある新人は、この制約に耐えられず自分の色を出してしまい、結果として「似て非なるもの」になります。
公式続編を任されるレベルの作家は、対象となる作家の全作品をセリフ一行、背景の石ころ一つに至るまで暗記するほど読み込んでいます。
思考プロセスのコピー: 「このキャラならここでどう動くか」ではなく、**「この作者なら、このキャラをどう動かして読者を驚かせるか」**という、作者の思考回路そのものをインストールしなければなりません。
時代性のギャップ: 昔の作家を模倣する場合、当時の紙質やペン先の種類、さらには当時の社会情勢まで理解していないと、特有の「空気感」が出せません。
ジェネリックとして成功するには、版権元(出版社や遺族)からの厚い信頼と、公式な場でのマッチングが必要です。
ニッチな需要: 「本人が描かないなら、似た人の絵でもいい」とファンが納得するケースは稀です。多くの場合、ファンは「偽物」に対して非常に攻撃的になりやすいため、出版社側も慎重になります。
キャリアの固定化: 一度「〇〇先生の代筆者」として定着してしまうと、そこから自分のオリジナル作品でヒットを飛ばすのが非常に難しくなります。
「ジェネリック」は、少しでもクオリティが落ちれば即座に「劣化コピー」「パクリ」と叩かれる宿命にあります。
精神的プレッシャー: 常に本尊(オリジナル)と比較され続け、本尊を超えても「違う」と言われ、下回れば「下手」と言われる、非常に報われにくいポジションです。これを職業として選び、完遂できる精神力を持つ人は稀です。
彼らは**「高度な技術」と「職人気質の献身」、そして「オリジナルへの狂気的な愛」**が奇跡的に同居した存在です。
例えるなら、名画の修復師が「自分の筆致を一切残さず、当時の巨匠の筆使いを再現する」ようなもので、芸術家というよりは**「超一級の技術者(アーティザン)」**に近い特殊技能と言えます。
結論から申し上げますと、この「ジェネリック作家(超高度な作風継承者)」による作品は、今後**「二極化しながらも、商業的には増える傾向」**にあると予想されます。
かつては「パクリ」と忌避されたこの領域が、なぜ今、確固たる市場として成立し、拡大しようとしているのか。その背景にある需要と供給のメカニズムを分析します。
読者のニーズは、かつてないほど「保守的かつ安定的」になっています。
完結・未完への恐怖: 巨匠の逝去(三浦建太郎氏、鳥山明氏など)や長期休載(冨樫義博氏など)に対し、ファンは「物語の続きが見られない」という強い喪失感を抱きます。
「あの味」のブランド化: 現代はコンテンツ過多の時代です。新しい未知の漫画を開拓するより、すでに知っている「ジョジョ味」「カイジ味」を安心して摂取したいという「ブランド消費」が加速しています。
世代を超えた継承: 親世代が読んだ名作を、現代の画力(ジェネリック作家によるアップデート)で子供世代が楽しむという循環が生まれています。
出版社にとって、過去のメガヒットIP(知的財産)は「眠れる獅子」です。
リスク回避: 新人のオリジナル作品をヒットさせる確率よりも、既存の超人気作のスピンオフや続編を「限りなく本人に近い絵」で出す方が、商業的な打撃(爆死)が少なく、計算が立ちます。
公式の「延命措置」: 作家本人が高齢化・引退しても、とよたろう氏や錦ソクラ氏のような「影武者」的な才能を確保できれば、そのIPを数十年単位で維持・収益化できます。これはディズニーがミッキーマウスを守り続ける手法に近しいものです。
3. 今後の傾向:なぜ「増える」と言えるのか?
今後、AIが作家のタッチやクセを学習する精度が飛躍的に向上します。
変化: これまでは「人生を捧げて模写した人」しか到達できなかった領域に、AIを補助輪として使う作家が到達できるようになります。
結果: 「見た目だけ似ている」作品の供給量は爆発的に増えるでしょう。
『バキ外伝』や『北斗の拳 苺味』の成功により、「本編はシリアスだが、ジェネリック作家による外伝はコメディ」といった、**「本尊を汚さない遊び場」**としての市場が確立されました。この手法は今後、中堅ヒット作にも波及すると見られます。
③ 才能の「職人化」への許容
「自分の色を出したい」というアーティスト志向だけでなく、「憧れの先生の続きを描けるなら本望」というリスペクト先行の職人型クリエイターが、SNSを通じて可視化され、公式にピックアップされやすい環境が整っています。
一方で、以下の理由から「本物と呼べるレベル」の供給は限定的であり続けます。
魂の欠如: AIや技術で「絵」は真似できても、「絶妙なセリフの間」や「哲学」まで継承できる作家は依然として希少です。
オリジナリティの欠乏: 全員がジェネリックを目指せば、業界全体の創造性が枯渇します。「新しい味」が生まれなければ、将来的に継承すべき「元ネタ」が無くなってしまうというパラドックスを抱えています。
市場としては**「メガヒットIPの維持装置」として、ジェネリック作品はますます一般化していくでしょう。
しかし、読者の目は肥えており、単なる「形だけの模写」は淘汰され、錦ソクラ氏らのように「作家の魂まで理解して現代に召喚できるイタコのような作家」**だけが、今後も特別な成功を収め続けると考えられます。
「この作家の続きが見たい、でも本人はもう描けない(描かない)」という切実な飢餓感に対し、今後ジェネリック作品が登場する可能性が高い、あるいは待望されているケースを予測します。
現在の漫画界の動向(2026年時点)を踏まえると、以下の3つの領域で「究極のジェネリック」への期待が高まっています。
作家の体調や逝去により、物語が止まってしまった伝説的作品です。
私はまともで真面目なキャラクターが好きで、そうじゃないキャラクター全般に嫌悪感を抱く単純な性格をしている。チェンソーマンにはまともで真面目な人間が1人も出てこなかった。だから推しができなかった。
全員変だし何考えてるかわからないから共感も理解もできなくてずっとつまらない。2部入るまでは一応全部読んだけど辛くなってやめた。
ルックバックはフィクション的辻褄合わせが無かったのが嫌だった。
友情努力勝利があって、最後はみんなの夢が叶って悪役も救われて世界には希望が溢れているんだ!と言う終わり方をする漫画が好きだ。現実はそうじゃないのを分かった上で、物語は、少なくとも少年ジャンプの中だけではそうあって欲しい。私はフィクションにはフィクションらしくあって欲しい。リアリティーを評価しないわけではないけれど、藤本タツキは、なんか根暗で関わりたくない人間たちの本性をリアリティーだと思っているのだろう。
藤本タツキは物語の辻褄を合わせないのだと思った。人間味が溢れているみたいな言い方をすれば聞こえはいいけれど、その描かれている人間性も屈折していて根暗で気持ち悪い。雪国育ちと聞いてあーねと思う感じの捻じ曲がった根性を感じた。
短編集を読んでる。アマプラでも見た。すぐセックスの話する。性行為に対してコンプレックスでもあるの?
おおよそ全部の作品で、ルックバックで感じたのと同じ根暗隠キャのひん曲がった根性を感じた。そしてあまりにもセックスや裸の登場頻度が高いうえ、それらに対して登場人物がむけている感情も全体的にキモい。少なくとも思春期から青年期にかけてまともな恋愛ができていたらこうはならないと思う。まともに恋愛した自覚がある上でこれを書いているのであればなんかそれはもう私の手には負えない。
藤本タツキって漫画が上手いの?漫画が上手いから上記の気持ち悪さがあっても評価されてるの?それとも私が気持ち悪いって言ってる部分こそが世間で評価されている部分なの?はたまたそれ以外のどでかい魅力があるから評価されてるの?
友達にレゼ編誘われたけど、終わった後の感想会で相手を不快にさせるのが分かってるから行かなくて正解だったなと思った。みんなが評価してるから読切集までは読んでみてたけど、多分彼の作品をこの先読むことは無いと思う。
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「 Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるの無理やりエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
「デビルハンターみたい」という表現は、漫画『チェンソーマン』(作者:藤本タツキ)の世界観から来ています。簡単に説明すると:
- **命がけの戦士**: デーモンは強力で、戦うたびに命を懸けたバトル。チェンソーマンや公安のデビルハンター(例: デンジやマキマ)は、クールでプロフェッショナル、常に緊張感を張り巡らせて戦います。
- **ストイックで本気モード**: 遊び半分じゃなく、徹底的に訓練され、目的達成のために手段を選ばない。ユーモアや人間味はあるけど、基本は「戦場」のような真剣さ。
- **ポップカルチャーの象徴**: 特に2020年代のアニメ化で爆発的人気。ネットスラングとしても、「本気でヤバい状況で戦う人」を指す比喩として使われます。
元のポスト「上位クラスは先生も生徒もデビルハンターみたいだった」では、SAPIXの上位クラスを「デビルハンター」のように描いています。つまり:
要するに、「デビルハンターみたい」=「超本気でストイック、戦場レベルの緊張感がある」というニュアンス。もし『チェンソーマン』未読なら、NetflixやAmazon Primeでアニメ見るとイメージ湧くかも! もっと詳しく知りたい部分ある?
米津玄師が「デンジって女性に対してものすごく性欲的な感情を抱くけれども、セクハラ的な行動は絶対しないんですよね」とインタビューで話した件について、ネットの弱者男性界隈がガチギレして殺気立っている。米津玄師の存在を消して、米津玄師に共感する女だけに対して異様な被害者意識を抱いている。
Xを見れば特に楚バットなる中年弱者男性の噴き上がり方が凄まじい。
「楚バット@geEeZ4e
デンジ(未成年、孤児、貧困層、児童労働、大人に利用され続けた被害者)に向かって"性欲あるのにピュアでかわいいでちゅね〜"的なセクハラしてるオバサンオタクほんまにキモくて有害な女性性の悪魔かと思った」(1万いいね)
デンジくん、マキマさんパワーちゃん姫パイと序盤から連続してスケベ行為の見返りに危険な事をさせられるという直球の性的搾取を受けてるんですが、それをデンジくんはセクハラとかしなくってぇ・・・みたいな消費のされ方してるのちょっとグロテスクだと思います」(5千いいね)
「石壁@waxter1211
デンジは性欲があるのにセクハラしない紳士!」は本質を捉えてないし「デンジの性欲は綺麗!」はもはや噴飯物の主張あれは人生で女性と全く関われなかった影響でセクハラや性欲まみれのアプローチすら実行する発想が無い、本物の恋愛弱者のムーブだろ本当に皆さんは弱者が目に入らないんだな」(1.4万いいね)
その他、有象無象のキモオタアイコン弱者男性ミソジニスト男オタクが、うじゃうじゃと女特有の読解力のなさだとか男性を加害生物のように扱うのが許せないだの行く動に直球の差別発言を吐いているが
要するに【米津玄師サンが発言者なのは男だから脳内から消去します】【デンジはセクハラしないのが長所だと女が語るのは、弱者男性(俺)への性的搾取に決まっている】【女に俺の性欲を否定された】という歪んだ主張に尽きる。
まず主題歌を連続で担当するだけあって、米津玄師の読解は正しい。
『チェンソーマン』は暴力的で野蛮でショッキングでバイオレンスに見せかけて、最近の漫画らしく主人公陣営は馬鹿をやっても不快感が極力なく応援したくなるように、きちんと計算してヘイト管理されている。
「藤本タツキは天然でM性癖だから」で片付けるのは、さすがにタツキの頭を見下しすぎだ。作品理解力が誰よりも劣っている。
デンジは育ちは無茶苦茶で語彙はドブだが、決してクズではない。
陰キャ特有のめんどくささは皆無。素朴で真っ直ぐで不幸な目にあってもすぐ立ち直る明るさがある。
1話時点から粗暴な野生児ながら倫理観と社会性をそれなりに備えていたし(己を搾取したヤクザを殺した事でさえ成り行きでゾンビ化して人間に戻れないなら仕方ないと分別のうえだった)
人並みの環境に移ってからは世間との折り合いやコミュニケーション能力が急成長している。それが出来ているのは自分の不幸を言い訳にしないからであり、自分が弱者であることに甘える発想が無いからだ。
王道の少年漫画主人公らしい魅力を持ったいい奴である。性欲のある孫悟空みがある。
そんなデンジに、デンジとは180度真逆の、自分のケアを他者に強要する事しか頭になく倫理観と社会性が中年になっても欠如したままの、自分の弱さを盾に諸々放棄して全ての責任から免除されようとする自分だけに甘い卑劣さな超陰キャオジサン達が一斉に自己同一視しているかと思うと、滑稽であると同時にデンジに同情してしまう。
そもそも「デンジって性欲はあっても、加害したりマウントしないのがいいよね」の一言に勝手に湧いて出てきて「傷つけられた」「はい性的搾取」と騒ぐ心性が理解できない。
楚バットラルナ石壁ら100人異常散見できた自称弱者男性軍団の理屈に照らし合わせると、まるで『男(俺)の性欲には女を加害しても許される男性権が当たり前に含まれており、それを不当に奪われたから怒った』と言わんばかりではないか。
性愛に限らず、人は何がしかの欲求に常に振り回されている。その我欲の充足のために他人を傷つけたり貶めたりしないのは人間として最低限の道徳であり、普通の対等のコミュニケーションである。
その普通の対等のコミュニケーションを、女性が男性に対して肯定した時だけ「搾取だ」「グロい」「傷ついた」と逆上する被害者意識は超弩級の女性差別主義と一体だ。
「男性を女を屈服させる願望持ちの加害動物のように言うな」などと女性憎悪で誹謗中傷のクソリプする弱者男性集団は論外で、その行動で自らの男特有のミソジニックな加害性を証明してしまっている。
マジレスするけど、もし、デンジが自分から性行為と引き換えに悪魔退治してやると女性陣に持ちかけてたら、読者の印象は最悪だぞ。「弱みにつけ込む小狡い肉欲クズ」として。
女性陣の性的奔放さを強調したとしても、どうしてもデンジに計算高い印象を与えてしまう。それだとキャラがブレる。
性的取引が初手から大満足の結果だったらデンジが早々に目標を失ってしまい、作者が困る。
何事に対しても内向的で受け身なアニメの碇シンジ系キャラならイラつく読者も多くなるだろう。「積極的に動いてエネルギーを外に向けて発散する外向性を有しつつ女性に対しては奥手」は昔から愛される王道主人公像だ。
とにかく『チェンソーマン』本編の面白さと読者好感度のバランスは、デンジの性欲抱いてもセクハラではなく純粋なイチャラブ願望で実現しようというピュアさと健気さで成り立ってる。
作り手が意図して「こんな男子、可愛げあって好感持つでしょ?」と造形してるんだから、その観点でデンジに好感持ってる米津玄師や女性ファンは正しい。
内なる暴力性を持て余してる欲求不満の非モテ男性が「俺を無害と見なすなクソ女!俺様の抑圧されし性欲の恐ろしさを思い知れ!男と書いてチンポの怒りをくらえ!」と突然キレ出して暴れるような、自称弱者男性の理想の物語が欲しければ新井英樹の漫画でも読んでろ。