はてなキーワード: 疑惑とは
裁判長が上司の権力を利用してみずからの所属する部の若い事務官と性的な関係をもった例(2件あり、1件はもみ消され、1件は裁判官の退官に至った)
「裁判長が権力を濫用して性的関係を…」裁判官の世界は「ハラスメント」だらけ!?…“法の番人”であるべき裁判官の信じられない「実態」(瀬木 比呂志) | 現代新書 | 講談社
民事裁判教官「女性裁判官は生理休暇(※大嘘)があるから迷惑!!」
「女性裁判官は生理休暇などで休むから、他の裁判官に迷惑をかける。女性弁護士も迷惑をかける点では同じでしょう。僕も合議体(3人の裁判官で裁判をするチーム)にいたとき、なかに女性がいて迷惑しましたね。地方裁判所の所長クラスが、そういう点で一番迷惑するんですよ」
女性裁判官のために正確に記しておくと、後に最高裁判所事務総局で調べたところ、女性の裁判官で生理休暇をとったという人は、それまで一人もいないということであった。
(2ページ目)「他の裁判官に迷惑」「夫の足を引っ張る」「成績が同じなら男性を採用する」…女性弁護士が暴露する“非常識すぎるパワハラ” | 文春オンライン
川嵜義徳裁判官「女ごときが裁判するな!!!盾突く男はいじめ抜く!!」
「自分は任官志望であるが、女性でも裁判をするのは十分可能だしそういう偏見をもってはおかしい」と発言した男子修習生に対し「そういう考えをもつ奴はいじめてやる」
昭和51年の30期前期修習で発生した,女性司法修習生に対する司法研修所裁判教官等の差別発言問題(教官等の弁明が正しいことを前提として厳重注意で終了した事件) | 弁護士山中理司のブログ
司法研修所幹部・裁判長「セクハラセクハラ!!!抗議されても絶対にやめるものかwwww」
1990年代末ころ
担当裁判長や司法研修所幹部による第51期、第53期、第54期女性修習生に対するセクハラ行為・発言疑惑(差している傘の中に入り、手を握り、肩を抱き、抗議してもなかなかやめなかったなど)
「裁判長が権力を濫用して性的関係を…」裁判官の世界は「ハラスメント」だらけ!?…“法の番人”であるべき裁判官の信じられない「実態」(瀬木 比呂志) | 現代新書 | 講談社 (2回目)
ロシア軍のベテラン爆発物処理班の主人公はISと戦うシリアで地雷処理のインストラクターを務めていた。現地の気のいい仲間たちに対して温かくも厳しい態度で訓練を課していたが、ある日現地民の女とイチャイチャしてたところ基地のど真ん中で大爆発が起きほとんどの部下を喪ってしまう。失意の彼はしかし現場での地雷撤去が忘れられずロシア政府が支援するシリア軍に同行。彼の地雷処理の旅が始まる。
みたいな話。
ちなみに、マッドマックス怒りのデスロードの原題とはなんも関係ないです。
それでさぁ、欧米列強連合の末席に位置するJAP LANDSの人間としては設定が草生えすぎて。
まぁロシアはもともとアサド政権支持だったからロシアで作られた映画的には何もおかしくはないんだろうけど、こっち側の価値観としてはアサド政権 is evilって感じだったから主人公たちが支援する正義のシリア政府軍がテロ組織や反政府組織と戦うぜ!って設定はさすがに草生える。貞操逆転世界かよ。
お行儀がよくて”西欧側の”倫理的な人類はこの時点でもう見る価値ない映画だなって思うと思う。
なーにがフューリー・ロードじゃい。お前らロシアの道程自体がフューリー(憤怒の)・ロード(路)じゃい!ちなみに原題はPalmyra(主人公が目指す都市の名前)で、英題はOnce in the Desert(砂漠にて)。実際問題、映画の中でフューリーなロード要素全くないからこれは配給会社が悪い。
で、映画自体の出来はどうだったかって言うと、普通に面白いんだよね。
特にあらすじにも書いた基地の真ん中で爆弾が大爆発するシーンはマジでよくて。遠景での大迫力の爆発シーンから、ド派手に吹き飛ぶ兵士たち、まき散らされた鉄球でトラックが穴だらけになって中の人たちは貫かれて死亡し、飛び散った破片で脚は吹き飛び、吹っ飛んだ兵士が戦車の砲塔にぶつかってへし折れ、転がってきた車に兵士が押しつぶされる。この世の地獄じゃ(ノブ)というのをきっちりしっかり見せてくれていてサービス精神満点で非常に良い。
このシーンだけでも見る価値ある。
それ以外にもお仕事映画としても楽しくて、序盤の地雷処理レクチャーシーンもいろんなタイプの起爆装置を解説してくれていて知識欲的にも嬉しいし、ちゃんと途中での爆弾解除シーンとそして最後のシーンにも生きてくる。ジャイロ起爆装置強すぎるだろ。地雷以外にもブービートラップから自爆ベストといろんな種類の爆弾を見せてくれて、その処理方法も多岐にわたる。装甲車型のロボットで全部爆発させながら道を確保するとかは、そういうのあるんやなぁって興味深かった。
まぁ主人公のジジイがそういうキャラって設定だから飲み込むしかないとしても単独行動しすぎ、命令無視しすぎでそんなわけある?ってのはぬぐえないんだけど、作中でも「地雷処理ってのは常に自分だけしか頼れるものがない作業なんだ」ってのが繰り返し登場するので、まぁ、テーマとリンクしてはいるんだろう。実際、やりすぎて任務を解除されるし。つーか、単独で自爆テロ犯を制圧するっていうご都合展開自体はこいつも軍人だからいいとして、その自爆ベストを勝手に持ってきて危うく爆発するシーンはさすがにアホすぎて。
あとは主人公が妙に執着している現地民の女がいるんだけど、見てるこっちからすれば基地の爆発こいつが犯人やろ!としか思えないので主人公もその疑惑を確認するために追いかけてるんだろうと思いきや、現場で拾った彼女の携帯の家族動画見てニヤニヤしてるし、再会した後に普通にセックスしちゃう。お前発情しとっただけなんかい!
ここが一番よくわからんかったな。
主人公が国に残してきた娘とすれ違いながらも通話するシーンが結構登場して戦場と平和な日常の対比がされていて、それ自体は別にうまく行ってなかったんだけど、終盤に娘が「こっちには戦争はない」って主人公に語るシーンがあって、今の情勢から見たら笑っちゃうと同時に、4回地雷解体に失敗して指も3本吹っ飛ばされても戦場でしか生きられない主人公と平和な日常を享受する一般市民の断絶を感じてちょっとエモかった。
終盤、話は現地で誘拐された主人公の元教え子の救出に移っていくんだけど、最終的に人質交換になり生きて彼の身柄を貰い受けるが自爆ベストを着せられていた。機構的に解除ができないので主人公がそのベストを預かり、教え子を逃がし爆死する。そして、そんな目にあっても教え子は再び地雷処理のために現地に戻る。主人公の別名「already(すでに爆発している)」を継いで、というのも戦場でしか生きられない地雷爆破中毒者の連鎖と、そんな目にあっても正義のために戦う人たちがいるというプロパガンダの両方をうまく兼ねていて意外に脚本も頑張っていた。まぁ主人公のガバを取り返せるほどでもないけど。
あと、ズイーンって効果音と共に高速ズームバックして基地や遺跡、戦場の全景を移す演出が8回くらい登場して笑っちゃう。お気に入りなんやろなぁ。
まぁそんな感じかな。
ロシアが支援するシリア政府軍とかいう西欧倫理観的にバカアウトな部分をとりあえず見ないものとすれば普通に楽しい戦争アクション映画だった。完全に個人的に惜しい点があるとすれば俺がハート・ロッカーを見てないか見ても一ミリも覚えてないので、地雷処理のプロが戦場に心を残してしまった作品としての到達度の比較ができないところくらいかな。でもたぶん、あっちは監督の趣向からしてもエンタメアクションとかじゃないと思うから前前別物だと思う、知らんけど。
フィクションなのか?w
石田さんから暴行を受けた後、私は後輩と一緒に学食に逃げ込みました。しばらく二人で話をした後、後輩は帰宅し、私は図書館に向かったと記憶しています。当時、警察に通報する発想はありませんでした。
図書館で会ったクラスメート数人に事件を目撃したかどうか尋ねましたが、目撃者はいませんでした。帰宅後、有満さんから謝罪のメールがあった気もしますが、正確には覚えていません。謝罪自体がなかった可能性もあります。
キャンパスでの再会
翌日か数日後、キャンパスで有満さんと再会しました。私は石田さんの名前やサークル名を尋ねましたが、有満さんは「知らない」と答えました。確かATPだったかもしれない、とも言っていた気がします。
ここで重要なのは、有満さんは石田さんと同棲していたにもかかわらず、名前や高校名やサークルを知らないと言ったことです。これは事実上あり得ないことで、矛盾した発言でした。石田さんと有満さんは平成23年3月頃にmixiを通して出会ったと聞いています。九大の合格発表日以降に石田さんが有満さんに連絡を取った形だと思いますが、有満さんが石田さんの名前や高校名などのプロフィールを知らないということは考えにくいです。
当時、石田さんは普段から有満さんに「ほかの男と話したり連絡先を交換したりするな」と言っていたようで、私と話していることが許せなかったようです。有満さんから謝罪は少しだけありましたが、英語の小テストが始まるためチャイムと同時に教室に入っていきました。
また、有満さんは石田さんが束縛してくることを周囲に満足気に話していたようで私はその感覚を理解できませんでしたが、突っ込まずにいました。
当時有満さんのメールアドレスには「jj」という文字列が入っており、それは「じゅんじゅん」という石田さんの前に交際していた男性の名前です。石田さんはそれを嫌がり有満さんに早くメアドを変えるように促していたそうです。有満さんも嬉々としてメアドを変えていた記憶があります。とにかく石田さんは有満さんに対する執着が強く、メアドにも拘るくらいですから私が有満さんと少し話していただけで暴行してきたのも納得できます。
数カ月後の情報
数カ月後の平成23年冬、石田さんを知っていそうなAさんと出会い、暴行を受けたことを話してみました。Aさんは石田さんの髪型や服装をピタリと言い当て、私は「ああ、その人です」と答えました。
Aさんからは次のような話も聞きました。
「噂で聞いていたがほんとに九大にいるんだね、知らなかった」
石田さんに逮捕歴があるかどうかは不明ですが、少なくともAさんからそのように聞き、私は「逮捕されてんのかよ、やっぱり危ない奴なんだな」と思ったのを覚えています。このAさんとの会話で「石田」という名字を知り、下の名前を知ることなく14年15年が経過します。もしくは石田侑矢とフルネームを聞かされていましたが下の名前は忘れた状態でずっといました。
https://researchmap.jp/y_ishida
公式情報では、石田さんは東筑高校を卒業したと記載されています。そのため、高校中退や逮捕歴についてはAさんの話が誤りである可能性もあります。
有満さんの反応
有満さんの兄は家族に暴力を振るう人だそうで有満さんはそのことを非常に嫌っていました。石田さんの暴行を間近で見た後も「ドン引きしました」と話していました。ただし、石田さんの逮捕歴の有無について知っていたかどうかは不明です。
石田さんに仮に逮捕歴がなくても、高校時代に暴力で問題を起こしていたことは、少なくともAさんの話によると事実であるようです。
#常磐大学#大学教員#暴行#東筑高校#暴力#准教授#法学部#更生
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2026-03-10
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2001~2002年にテレビ朝日で放映された特撮ドラマ番組「仮面ライダーアギト」。
その25周年記念展が今日から行われている。昨日は、その前夜祭番組が放映された。
その番組の終盤で、かつてメインキャストの一人であり、現在は芸能界を引退して飲食店に勤務している、ある一般人男性がサプライズとして登場した。
XなどのSNSでは、彼の登場を喜ぶ声がほとんどで、好意的な意見ばかりであった。
彼は2014年頃から恋人にDVを振るったり、また別の恋人の預金を数千万円も使い込むなどのスキャンダルを抱えていた。
当時所属していた人気歌唱グループからの脱退はおろか、芸能界引退にまで追い込まれたのである。
そういった事がありながらも、彼は縁に恵まれたようで、飲食店の店長を任されるまでに至った。
今回のサプライズ登場も、多くのファンから「待っていました」とばかりの声が飛び交っている。
しかし、ここで考えておきたい。
DVは傷害罪に該当するし、恋人の預金の使い込みも詐欺罪や窃盗罪に該当するだろう。
当事者同士で和解が成立しても、事実が無かった事になるわけではない。
人気が続いていれば許されるのだろうか?
もしくは十分な謹慎期間を設ければ?
更生していると判断されれば?
先のサプライズ登場の男性については、SNSでの多くの好意的な意見から見ても、「禊は済んだ」ように思われる。
では彼が許されるのであれば、
特殊詐欺の受け子役として警察官に扮しキャッシュカードを騙し取った「元俳優」や、
番組の共演者と不倫の疑惑があり、未成年飲酒により出演中の番組を途中降板した「元女優」も、
いずれは許されるのだろうか?
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
https://www.asahi.com/articles/ASV4N7H8NV4NUTFK005M.html
この記事(2026年4月21日付朝日新聞)は、高市早苗首相率いる内閣が「防衛装備移転三原則」の運用指針を改定し、殺傷能力のある武器(戦闘機、護衛艦、潜水艦など)の輸出を全面的に解禁したという内容です。
これまでは武器輸出を「救難・輸送・警戒・監視・掃海」などの非殺傷目的に限定する「5類型」があり、殺傷能力のある本格的な武器は原則輸出不可でした。これを撤廃。
◦ 武器(殺傷能力あり):防衛装備移転協定を結んでいる17カ国への輸出を可能に。
◦ 戦闘中の国への輸出:原則禁止だが、「我が国の安全保障上の必要性」で特段の事情があれば例外許可。
戦後日本の「武器輸出三原則」(1967年)→事実上の全面禁輸(1976年)→条件付き解禁(2014年安倍政権)という流れからのさらなる転換。
公式には「防衛装備移転の促進」と位置づけられていますが、記事では中国側の批判強化や人権・透明性への懸念も指摘されています。
要するに、日本が「平和主義に基づく武器輸出抑制」から、積極的な防衛装備の国際移転へ大きく舵を切った政策変更です。防衛費増額(5年間43兆円規模)と並行した「防衛力抜本強化」の一環と言えます。
自衛隊の装備調達を巡る取引先(主に川崎重工業、三菱重工業など大手防衛企業)との癒着問題は、たびたび表面化しています。
• 海上自衛隊の潜水艦修理契約で、川崎重工が下請けとの架空取引で裏金(2018〜23年度だけで約17億円規模)を捻出し、乗組員にゲーム機・ゴルフバッグなどの私物や業務用品を提供していた問題(2024〜2025年に発覚・監察)。不正は40年近く前から続いていたとされ、監督官と企業の「なれ合い」や利益圧縮のための水増しが背景に指摘されています。
• 過去にも山田洋行事件(2007年頃、商社経由のキックバック・天下り疑惑)など、官民の密接な関係が問題になったケースが複数あります。
防衛装備品の高コスト体質(維持費が購入費を上回るケース多数、円安・資材高での単価上昇)や、サプライチェーンの弱体化(企業撤退相次ぐ)も長年の課題です。
ただ、この武器輸出解禁自体は、国内調達の癒着問題を直接解決するものではありません。
輸出が増えれば、企業にスケールメリット(量産効果)が生まれ、単価低下や技術維持・利益向上につながる可能性。防衛産業の疲弊(低利益率・撤退リスク)を緩和し、結果として自衛隊への安定供給を間接的に支える狙いがあります。国際共同開発(例:日英伊の次期戦闘機)も加速しやすくなります。
輸出解禁は「売る」話で、即座に自衛隊の装備質・量を向上させるわけではない。国内の調達改革(コスト監査強化、競争導入、癒着防止のガバナンス)が不十分なまま輸出を増やせば、問題の温存や新たな利益誘導リスクも指摘されます。世論調査では反対が多数派という指摘もあります。
全体として、この決定は安全保障政策の大きなシフトですが、効果を上げるには並行して国内調達の透明性向上や癒着根絶が不可欠です。防衛予算が膨張する中、国民の税金が適正に使われ、実際に抑止力向上につながるかどうかが今後の焦点になるでしょう。癒着問題は構造的で根深いので、監察や制度改革の継続的な強化が求められます。
トランプのインサイダー疑惑は前々から指摘されていたことで、今更感がある
TACOは元々トランプの発言で下がってトランプの発言で元に戻る相場(所謂いってこい)をタコスの皮みたいな相場だと表現したことに由来する
トランプがいつ発言するのか知っていれば、売りでも買いでも負けることはないのだから儲かるに決まっている
ただ、以前はここまで露骨にやっていなかった
お金儲けではなく、トランプは別のものに関心を示していたからだ
トランプはノーベル平和賞を受賞するんだとわーわー騒いでいたけど、今になって思えばノーベル平和賞に相応しい大統領として言動を律していたのではないかとすら思う
じゃあ、どうしてトランプは自身がノーベル平和賞受賞に相応しいと思ったのか
トランクの首にノーベル平和賞という鈴をつけたのは誰かというと、恐らく安倍晋三だ
しかし、ベネズエラのマチャドにノーベル平和賞のメダルを貰い満足したのかタガが外れてしまい、今このようになっているように思える
「文系がIT系のほにゃらら(プログラムとかアプリ開発とか)やってみました」系の記事を読むたびに思うんだけど、普通のそこらの開発やSEやる上で、理系も文系も関係ないと思うんだよな。
そら先端の、例えば新規の深層学習の本体書きますとか、そういうレベルの開発なら理系にアドバンテージあるだろうけど、広く一般に求人かかっているようなアプリ開発レベルで、文系も理系も関係ないだろって毎回思う。
むしろごく普通の高校レベルまでの教育とか、物を調べる技能とか、PDCAを回すサイクルの早さとか、もっと露悪的に言っちゃえば「机に向かう態度のあり方」とか、そういうレベルが必要とされる職業だろ、と。
更にもっと言っちゃうと、日本の文系っていう選択そのものが、「なにかを調べて論理的につきつめて思考や情報を整理していくこと」が苦手な、面倒で、そういうのやりたくない人の、逃げ口上みたいになってるんではないか? っていう疑惑がうっすらある。個人的には「アホか! とんでもねぇわ! 文系にだって、いいや文系にこそ情報の整理や分析や体系化必要だろ!」って思うし、学問の素養の問題として要求能力が劣るなんてことはないとも思っているのだけれど、なんか世間のうっすらとした認識がそういう逃避になってるように感じる。
加えて言うと理系選択したやつにだって、そういう能力が劣る、他人の書いたもの(教科書でも論文でも)を写経するのが得意なだけのクズってのはいるぞ。
幼い日に父親を脳腫瘍で亡くした主人公は母一人子一人で頑張っていたが、最近母には中国系の恋人ができウキウキで気に入らない。ある日、母親はカレシと2人でコロンビアに旅行に行くことに。ティーン真っ盛りの主人公はこれ幸いとパーティー三昧。あっという間に時は経ち、2人の帰国の日になり空港に2人を迎えに行くもいつまでたっても降りてこない。2人が止まっていたホテルに電話すると、荷物を全部置いて出て行ったとのこと。2人に何が起こったのか。PCの中の大探索が幕を開ける。
まぁ、よくできてたわね。
前作はPC内だけで話が進むギミック系映画の良作として有名だけど、今作でもその部分は活かした上で、とにかくミステリというか謎解きゲームとしての脚本の強度が異常に高い。
ギミック系映画としては前作はプログラマおじさんが主役だったけど今作ではゴリゴリのデジタルネイティブのティーンが主役なのもよい。冒頭の母親失踪までの間のくだらないSNSの乱用シーンで彼女がどういうカテゴリの人間なのか、そして彼女がどれくらいSNSを使いこなしている人間なのかをテンポよく説明してて良い。
そしていざ両親が行方不明になり、そこがコロンビアでFBIにも捜査権がないとわかると積極的に母親のGoogleアカウントにログインを試み、それに失敗するとその彼氏のアカウントにログインを試みる。そしてログインのために彼のSNSを片っ端から開き、最もセキュリティが緩そうなサイトのコールセンターにパスワードを失くしたと電話をかけ、本人確認の質問にSNS上の情報をつなぎ合わせて回答しまんまとパスワードを聞き出し、そのパスワードを使って彼氏のGoogleアカウントを割ることに成功する。
そしてGoogleアカウントが割れたことで、彼が使用するあらゆるサービスにアクセス可能になる。パスワードが分からなくてもパスワードを忘れた場合はこちら、でGmailに新パスワードが送られてくるからだ。こうして彼女は母親の彼氏の使用するサービスから彼の軌跡と裏の顔を知るようになる。
このあたりの柔軟さはいかにもデジタルネイティブ世代のSNS感だなと思うし、パスワードの使いまわしは辞めようねという制作陣の強い啓蒙の姿勢を感じる。
謎解きゲームとしての強度という話だと、パーティ三昧した主人公は母親を空港に迎えに行く直前まで眠りこけてしまっており家はめちゃくちゃ。なのでギグワークサービスを使って家の片づけを雇う。という展開が冒頭である。それがその後、コロンビアで母親が泊まったホテルの監視カメラ映像を確認する必要が出たがFBIはあてにならず映像が消えるまでに時間制限がある、というときに同じギグワークのコロンビアで展開するサービスを検索し、そこで人を探し雇って見に行かせる、という展開につながっている。
他にもパーティーでスマートウォッチを忘れて帰ったアンポンタンが出てくるけど、そのスマートウォッチもちゃんと後半で生きてくるし、母親が何するにしてもsiriに頼むというデジタルポンコツエピソードが冒頭に出てくるけど、それが最後の大逆転で作用するし、ウザいくらい過保護なのにも意味がある。とにかく出てくる情報に無駄がない。
一方でテーマ性としては1でもフィーチャーされていた「自分が見ている相手とネットの中の相手は同じ相手なのか」という部分から絶妙にズラしてさらに規模を大きくしているというのは偉大な1に挑む続編として意気やよし。
サラっとネタバレすると、彼氏はもともとはネット上で名前を変えてロマンス詐欺を繰り返す詐欺師だったが逮捕さていたネット上で誰でもなかった人間だし、なんなら母親は証人保護プログラムで名前も過去も変えた人間だった、そして死んだと言われていた父親は薬中のDV野郎で刑務所にぶち込まれていた。
登場人物の多くが「知っている人間ではなかった」ことが母親の失踪とその真実に迫る中で次々に明らかになっていく。そしてそのことがゆえに、恋人同士の失踪が、ロマンス詐欺からの誘拐に変化し、さらには恋人を利用した意図的な失踪へと疑惑が変化していくという、小さな謎が解けるごとに本流の謎が大きく変化していく形式は上本当によくできていると思う。
DV夫による連れ去り被害とか証人保護プログラム問題とか現代的なテーマも配置されていて隙がないよね。
細かい謎解き用のピースの配置に余念がなく、さらには大きな話の流れとしてもダイナミックで無理がない。そして小さな謎が回収されてみれば別にそれはそれで問題なくて、というような迷路に意図的に作られた行き止まりみたいなものもちょこちょこ配置する余裕。PC場でだけ話が展開するというギミックを除いても脚本の強度が本当に強く良くできてるなと思った。
まぁ、1と同じでこいつ24時間facetimeつけてるな、どんだけナルシストやねんと思う部分はあるがさすがに映画という形式上、主人公の顔が本当にぜんぜん映ってなかったらさすがに画が持たないよなとか思う部分がなくもない。あと、コロンビアのギグワークおじさんとのけんかパートはさすがにとってつけた感すごすぎて、なにこれってなった。
前作でも登場したネットの名探偵たちの無責任な方言の数々や積極的に消費しようと群がってくるマスメディア。今回はネトフリで見たんだけど作中でネットフリックスの担当者が映像化にご興味ありませんかって電話かけてきてて笑ったし、最後の最後、どうやって助かったの?というところを後に作られた再現ドラマでちょっと派手に見せてくれるのも楽しいし、映画の冒頭で前作も同じ再現ドラマで配信されているという展開があるのもニクい。
そんな感じかな。