はてなキーワード: 注釈とは
科学史とは、
科学において勝てなかった者たちが、
これは悪意ではない。
具体例はいくらでもある。
たとえば、物理史をやっている知人は、
式も追えた。
だが、博士課程に進む段階で、
「これは才能の勝負だ」と悟ったらしい。
計算が速い同期、
その結果、彼は「物理史」に移った。
そして今、彼は言う。
あそこまで評価されなかった」
これは事実だ。
だが同時に、
数学史も同じだ。
数学史家の多くは、
証明を“読む”ことはできるが、
“作る”ことはできない。
そこで彼らは、
「ユークリッド幾何学の成立」
「ブルバキ以前/以後」
を語る。
そして必ずこう言う。
これも正しい。
だがそれは同時に、
極めつけは、
クーン以後、
革命は断絶であり、
合理性は後付けであり、
これによって何が起きたか。
科学史は、
ここに、
権力への意志がある。
実験も回せない。
だが、
しかも、その語りは、
なぜならそれは、
という、
こうして科学史家は、
だが、この権力は脆い。
科学史は常に「補助科目」だ。
・人文学部では周縁
・研究費は通りにくい
つまり、
語りによって得たはずの権力が、
制度によって即座に回収される。
これが、科学史の悲哀だ。
しかも内部では、
この捻じれた意志が互いに衝突する。
「あの人は科学を分かっていない」
「あの人は社会史に寄りすぎ」
「あれは科学史ではない」
要するに、
失敗の仕方の違いをめぐるマウンティングだ。
理論に敗れた者、
実験に敗れた者、
数学に敗れた者、
全員が「語り」の正統性を奪い合う。
結果、
学問は閉じ、
それでも、
なぜなら、
本当は今でも、
科学史とは、
その敗北を意味づけし、
尊厳を保とうとする
だがその体系は、
時給1117円の求人票の前で、
あまりにも無力になる。
科学史が終わりつつあるのではない。
もはや許容されなくなってきている。
だから衰退する。
静かに、
誰にも惜しまれず、
ひどく納得した顔で。
例えばM-1を例に取ると、「前回のM-1」と言ったとき、今なら2024の令ロマ2連覇松本不在大会を指すと思う。今「今回のM-1」と言ったら2025のたくろうが優勝した大会を指すだろう。「次回のM-1」と言ったら2026。
じゃあ新しいM-1が開催されてそこで切替わるのか?と言うと、開催の1月前あたり、例えば2025/11に「前回のM-1」と言ったら、それもやはり2024の令ロマ2連覇松本不在大会を指すのではないかと思う。「今回のM-1」は2025のたくろう大会(この時点では優勝者は不明だが)
じゃあ半分くらいで切り替わるのか?と言うと、2025/6に「前回のM-1」と言うとやはり2024の令ロマ2連覇松本不在大会じゃないかと思う。ただ、「今回のM-1」が2025のたくろう大会を指すかというと、こちらは微妙。「次回のM-1」が2025のたくろう大会を指すのではなかろうか。ここで前回→今回→次回という軸は崩れて、前回→次回となり「今回」がなくなる。
そうなると「今回」が出る・消えるタイミングが気になる。出るタイミングは予選開始が関係してるのか?というと、予選は8月頃に開始らしいが、一般人はそれをほぼ認識してないので、2025/8頃に話題に出るときにはやはり「今回」は無いのではないか。しかしもし会話のなかで詳しいやつがいて「もう予選始まってるぜ」とか言われたら、「じゃあもう『今回のM-1』か」とかなり2025たくろう大会が「今回のM-1」になるのかなと。
そうするとじゃあ「今回」が出るタイミングは予選開始?しかし2025/7に詳しいやつが「来月には予選始まるぜ〜」とか言ってきたら、「ほう、今回の推しは誰?」と言い、この「今回」は2025たくろう大会を指す。2025/7は予選が始まっていないが「今回」が2025たくろう大会を指しており「次回」が2025たくろう大会を指すことはない気がする。なんなら出場者はエントリー始まるあたり(2025/6あたり?知らんけど)で「今回」が2025たくろう大会になったり。でもこのとき詳しいやつがいなくてたまたまフワフワ会話してるときに「今回のM-1」と言ったらどれ?となりそう。「次回のM-1」というとこれは2025たくろう大会を指していそうだ。そしてどちらのケースも「前回のM-1」は2024の令ロマ2連覇松本不在大会ではないだろうか。
とすると「今回」が出るのは、未来かつ始まりつつあると話者間で認識が一致したタイミングであり、それは絶対的なものでなく話者コミュニティごとに出てくる、と考えられる。
では「今回」が消えるのはいつか?今2026/1では「今回のM-1」は2025たくろう大会。2026/2は?会話の中で「前回」も「今回」も2025たくろう大会を指しそう。まさかの前回=今回。会話で混在してもしばらく話が通じそうだが、途中で「あれ?」となって定義付けはじめそう。前回=今回だが、観測によってそれが確定する。しかし会話ごとに結果は異なる。これが量子力学かカンゼンニリカイシタ なんとなく時間が経つにつれ、「前回」と「今回」がグラデーション的に確率が変わっていきそうな気もする(2026/2,3,4…と進むにつれ2025たくろう大会が「前回」としてじわじわと確立していくイメージ)。
「今回」が量子存在だと分かった(?)ところで、では「前回」が切り替わるタイミングはいつか?少なくとも「前回」の指すものが変われど、「前回」が消える瞬間は無さそうな気がする、「今回」と違って。そして先に考えた通り「前回」が確定していくのは、「今回」が表れ、グラデーション的に「前回」が「今回」になっていくのではないか。その出来事(ここではM-1大会全体)のライフサイクルに合わせて、ライフサイクルの始まりが匂い始める(M-12025たくろう大会なら予選始まりを認識し始めた2025/6,7頃?)とともに切り替えが始まり、明確にはないが指すものの確率が変動していき、ライフサイクルの終わり頃(M-12025たくろう大会なら2026/2,3,4あたり?)にはほぼ切替わりが完了するのかなと。オリパラとか異なるライフサイクルなら期間が変わるかな、この辺はまだ思考の余地ありそうだがまた今度。あと元号のようなブラックアウト期間のない完全に連続なライフサイクルなら「今回」は途切れない。「今回」はライフサイクルに依存するのでそこは説明として不足してないが注釈として追記。
ここで我が頭に電撃走る(走るのだが筆の方が遅く記録できず逃すことがしばしばあるのが辛い)。「今回」って商業的ニーズによって延命されているのでは!?「前回」「今回」は、自然に暮らしていても発生するものだと思う。「今回の夜」とか「前回の夜」とか。ただそれはかなり切替わりが明確な気がする。日の出になったら「今回の夜」はもう消えるし、日の入り前に「今回の夜」が出てくることはないのでは。「夜」そのもののライフサイクルで「今回」はパキッと出て消える。「今回」不在の期間も「前回」の切替わりもグラデーションほぼなし。しかし、「今回」は「前回」よりも人の行動に結びつきやすいと思うんだよね。それはつまり商業の世界観なら金になるということで、金になるならできるだけ「今回」を生かしておきたい。だから宣伝とかはじめて「今回」の始まりを早く、出場者を番組に出して「今回」の終わりを遅くしているのでは!?…とここまで書いて、言葉で説明しづらいが微妙に俺のなかで整合性合わなくなってきた。卒論を書いたことはないが、2月終わりとかにこうなってきたらどうするんやろ。何とか力技で終わらせて教授のツッコミが来ないことを祈るのかな。そこはまあいい。
今回の俺なりの結論。
・まず「今回」はイベントのライフサイクルに応じて出て消える。「今回」はライフサイクル次第で不在期間あり
・「前回」は「今回」とグラデーションで変わっていき、会話ごとに変わる。それは確率的に考えることができそう。
※ちなみに今回は周期的なイベントで考えたけど、雨のようなランダムイベント、いや、雨だと自然界なのと予報とかもありややこしいので雨は取り下げて、「郷ひろみのゲリラライブ」のようなランダムイベントだと「今回」が出てくるタイミングにはグラデーションななくパキッと変わる(あくまで観客視点、運営はこれまたグラデーションがあろうが)。
女性専用車両などという不適切な呼称で呼ばれる車両に(その不適切性の証明とでも言うべきか)男性が乗れる時間帯や曜日というものが存在する。
見ると、そんなときにもデカデカと女性専用車両(土日祝除く、〇〇時~〇〇時という注釈も目立たない感じに描かれているが)と描かれた車両には男性は乗ることを遠慮するパターンも多く女性の数が優勢な状態が続く。
私はもちろん乗車が許されている時間帯なら(乗車を許される覚えもないし許されて無くても乗ってもいいと思っているが社会的制裁(なぜそんな不条理な制裁が許されているのかこそ問題なのだが)受けるのを避けるために乗らない)何ら気にせずに女性専用車両に乗り込む。
いったいどうしてなのか不明なのだが女性は極めて生理臭に鈍感である。
男性で嗅覚が潰れていなければ(ただ男性の多くが中年になると嗅覚が潰れる傾向にあるので気づかない人も多い)即座に生理臭に気づくのだが、女性(嗅覚は概ね男性よりも鋭い)はそれに気付けないのだ。
だから気をつければ座席へのマーキングも防げるはずなのだが堂々(?)と生理臭をこびりつかせる人達が多い。
それにしてもなぜ女性専用車両だけにこれが多いのかはわからない。
概ね女性は座席に座ることに対して積極的なので、一般車両でも座席占有率は女性の方が高いのだが、生理臭のマーキングはそれほど目立っていない。
ならば、こういうことなのかもしれない。
女性は生理中には女性専用車両に乗ることを好む生き物なのかもしれない。
ガンダムをそこまで詳しくない人に
ポケットの中の戦争は短いし知らなくても大丈夫とグイグイ進めて見せた挙句(ここまではまだいい)
そもそもシドニーはコロニーが落ちてないとか云々の注釈を入れてくる奴
「親が家を売らずにすみました」18歳の白血病患者が3000万円する薬を打てるのも健康保険のおかげ→「社会保険料払ってる甲斐がある」という声が集まる
differential 私も手術費一千万円近く。義理の兄弟と仕事仲間は白血病を克服した。みんな今は元気で働いて社保税金払っとる。ありがたいね、その分頑張って納付する/ 病老苦死は凡夫の制御の外 という残酷さに現代はどう向き合う
老病死苦な。
「一緒じゃねーか」じゃねーんだよ。
掛け算の順番より気持ち悪い。
釈迦が出掛けて
の順に出会ったから老病死苦なんであってこの順番はどうでもよくない。
結論として一切苦であると気付いて修行を始めるんだから苦が最後。
この人オリジナルの病老苦死という並べ方はなんなのかというと、この人なりに考えた人間が弱ってく順番で書いてんだろう。けど本来の「老病死苦」は釈迦が事実に直面してった順番。
単に凡夫の苦しみを言いたいなら生老病死の方が相応しい。生老病死は四苦。
(こんなの日本人の一定の教養備えた大人に改めて教えるようなことではない。)
決まり文句としてのショーロウビョーシやロウビョウシクは本来音でも覚えて間違えようがない。
ああいい話だなと思って読んでるのに「病老苦死は凡夫の制御の外 」とかいう意味不明な日本語使われると一気に「なんだこのバババババは?」ってなるんだよな。
はてブ見てるとずーっとずーっとこういう日本語クオリティなんだよね。人気コメに絞っても1日に何件でもこういうのが見つかる
バババババだらけ。
病老苦死でも。言葉間違えまくっても。
「俺らそんなに本とか読まねーからよー」と言われりゃ
重ねて嫌みなこと言わない。
それでなんでこの程度の日本語も入っとらん?
けど社会に出て働いて兄弟が結婚して揃って大病するような歳にもなってそれか?
なら
「私達は物事をわかっていません」
「勉強する機会を逃して知らないことばかりです」
隙見ちゃ世間のあらゆることにわかったようなコメントつけて批判や説教までするよな。
どっちなんだよ。
使いこなせもしねー言葉を無理して使うな。
なんか間違えるたびに顔真っ赤にして反省して調べ直しとけ。
自省のない集団が使うとカスの培養池みたいになるサービスがはてなブックマークなんだ。
というのも考えたら変なタイトルだ。
「楽園」については、南洋の島=楽園というステレオタイプに依拠している。
「ゲルニカ」はピカソの絵画でも有名な、世界初の戦略爆撃により推定で1600人程の死者を出したスペイン北部の街である。
と、そこまでは誰でもわかるのだが、ゲルニカはいまでも存在するふつうの田舎町である。注釈なしに地獄の代名詞として使われる謂れはないのだ。
「ペリリュー 楽園の重慶」「ペリリュー 楽園のドレスデン」「ペリリュー 楽園の東京」だったらなんだかよくわからないだろう。え、結局どこの話なの? と。
じゃあなんでゲルニカの場合だけがなんとなく据わりがいいのか?ただただ、音の響きのせいだろう。
手塚治虫が確かカタツムリの巨大化した怪物にゲルニカという名前をつけていた。
そう、あれは満月の夜のことだった…。
俺のダークネスオーラはやがてハイパーダークネスゴリラストリーム(注釈1)と化した。
或るいはそれは―――
或るいはそれは―――
バリラだったのかもしれない。
然り。
GORIRA BARUKAN -約束された史上最強アルティメットゴリラドラゴン-
何故だ!
俺はただ世界中のみんなが恐怖と絶望にまみれて滅んでいてほしい…!!
ただそれだけなのに…!!!
結局俺はブラックゴリラダークネスアルティメットでしかなかった。
つまり俺が最強。
注釈1:
厳密には暗黒ブラック史上最強ダークネスファイヤーダークゴリラであり、
アルティメットダーク闇オーラを使ってダークバトルを仕掛けると!?
注釈2:
いやさ、素数って「1とその数自身でしか割り切れない数」じゃん?で、具体例として挙げられるのが3、5、7、11みたいな奇数ばっかりなわけ。
そんな中で堂々と素数面してる「2」、お前だけ偶数じゃん。ずるくない?
だってさ、素数の条件として「2で割り切れちゃダメ」っていうのが暗黙の了解としてあるわけじゃん。素数判定するときも「まず2で割れるかチェックして、割れたら素数じゃない」ってやるわけで。なのに2だけは「俺は2で割り切れるけど素数です」って顔してんの。いや、お前が基準やんけ。
しかも「最小の素数」とか「唯一の偶数の素数」とか、やたら特別扱いされてるし。お前のせいで「素数は全部奇数」っていうシンプルな理解ができないんだよ。数学のテストでも「2は例外として」みたいな注釈入れなきゃいけない。めんどくさい。
3以降の素数たちは、ちゃんと「奇数」っていう仲間意識を持って素数やってんのに、2だけ一人で偶数のくせに素数クラブに入ってきて、しかも一番最初の席に座ってるの、マジでずるい。
iは「正確かどうかは保証せんで」って注釈表示だから全員につく。盾マークと似てる
https://i.imgur.com/3jOwvia.png
https://i.imgur.com/BLc0PcR.png
https://i.imgur.com/fobAFXK.png
https://i.imgur.com/9o1EanG.png
https://i.imgur.com/jaVCXKi.jpeg
わが国の公共放送さん?!
https://i.imgur.com/6HNvGSx.jpeg
https://i.imgur.com/yt6l86v.jpeg
千鶴子、嘘だよな…
最近特にひどいおすすめ欄に、なんだか不穏な謝罪文がスクショで上がってて、読んだら
・致そうとしたら拒まれ、納得してやめた
・その後酒の勢いで大きな音を立てた(故意ではない)
というものだった。
発端のツイートが消されてるので、細かいニュアンスはわからんが、経緯はこういうことらしい。投稿の時系列をざっと見ると、どうやらこの投稿の24時間以内に起こった出来事らしい。
そもそも個人間の話し合いで解決できたことを一足飛びにSNSにあげるのもどうかと思うが、渦中の人物がどうやらリベラル界隈の人らしく、その界隈の人たちが「もしこれが事実なら」という注釈付きでまあまあキツめのペナルティを示唆しているのにちょっとビビった。
男女間の問題ってかなり微妙なバランスで成り立ってるので、まず双方の言い分を聞くのが筋だと思うのだが、片方(今回は女性側)のSNSの投稿だけで「事実なら」という前書きはあれど言及しちゃうのは勇み足では、と思う。
大人なら、もう少し様子見るもんじゃないのかな。あと、何でもSNSに書きすぎ。告発の手段として無闇にSNSを使うのもどうかと思うし。効果的な手段だと思うが、それは危険だということでもあるしね。
誰もが恐れおののくS先生の演習を、先輩は軽々とこなしていた。みなテキストに注釈を付けるのがやっとで、それも不十分だと厳しく指摘されるのに、先輩が担当すると一回一回が論文になるような内容だった。先輩は時にはS先生の論に真っ向から反対するコメントすらした。
大学院に行こうと決めたときから、先輩はなにかにつけ私をかまってくれた。私が落ち込んでいるときも単に暇なときも、よく飲みに連れて行ってくれた。先輩は酔うと大学院に進学するために心ならずも故郷に捨ててきた恋人の話をした。その人と私はどうやらどこか似ているようだった。カウンターでウイスキーを飲みながら先輩はいつも苦しそうに「今どうしてるかなあ。幸せに暮らしてるかなあ」と言うのだった。「すっかり忘れて楽しくやってるよ」と私が言うと、先輩は据わった目で私を見て「ひどいヤツ」と言い、それから「そうかなあ、そうかなあ」といつまでもぶつぶつ言っているのだった。
就職が決まったとき先輩は学部生の女の子にもらったと嬉しそうに紙袋をブラブラさせていた。私も何かお祝いを用意しておいたらよかったと思った。梅田の紀伊国屋前で別れ際、そうだ、これがお祝いと先輩の頬にキスをした。笑いながら手を振ってしばらく歩いて振り返ったら、人混みの中で背の高い先輩が頬を抑えて小学生の男の子みたいに呆然とつったっていた。
喪主のおつれあいによると、激務という言葉がぴったりの働き方だった。論文なんか書けない状況だった。なのに学会で会ったとき、ぜんぜん論文書いてないですね、先輩あんなに論文書かない研究者を馬鹿にしていたのにかっこわるいというようなことを言ってしまった。このまま何も書かないで先輩が研究者でなくなってしまうんじゃないかと寂しかった。ごめんなさい。先輩はメチャメチャかっこよかった。本当に、メチャメチャかっこよかったよ。
パーシャルビュー席について「贅沢な名だね。今からお前の名前は「注釈付き見切れ席」だ。」ってのがバズってるみたいなんだけど、パーシャルビューって日本語に訳せば「一部視界不良」だから、何も包み隠さず見切れ席って言ってて、意味的には贅沢要素は無いわけよ。
でも、反応がどうもちょっと違う。
「日本語でいいじゃん」じゃなくて「贅沢だ」に寄ってるんだよ。英語=贅沢というわけでもあるまいに。
あの「贅沢」バズに乗っかってる人は、パーシャルビューがまさに見切れ席と言っていることが分からず、降格をロールチェンジと言い換えるような、美化を伴う言い換えのように思っているように見える。
うちの部のプロジェクトも、もう何十本目かの製品立ち上げになるけど、最初のドラフトレビューが完全に形骸化してる。
資料を配って”仮”と書いて、「アップデート予定」と注釈してるけど、結局次の定例で同じスライドを開いてる。
正直、PowerPointのデザインテンプレートを変えるほうが時間かかってるんじゃないかって思う。
たとえば今進めてる製品。
IoTセンサー搭載の新しい制御モジュールで、BLEとWi-Fiをデュアルにして、エッジ側で軽量な推論モデルを動かす構成――ってだけで、みんなの頭の中ではもう「いつものやつ」になってる。
「ファームは前回の焼き直しでしょ?」
って感じ。
実際、レビュー中も「MCUはESP32ですか?」「いや、今回はnRFです」「あ、そうなんだ」で終わり。
質疑もない。そのくせリスク管理表とかテストスケジュール案は律義にフォーマット通り出さなきゃいけない。
内容なんて空欄だらけなのに。
若手が頑張って図を入れてきても、「このフローチャートは確定じゃないんだよね?」で一蹴。
いや、だからドラフトなんですけど…っていう言葉が会議室に萎んで響く。
どうせ本決定は部長判断。どうせコストは経理次第。どうせ顧客要求はまた変わる。
進んでる感を演出するため?
気づけば、意味があるのは中身じゃなくて手順だけ。
議事録は残って、フォルダ名は「2025Q4_製品A_ドラフト」になって、
終わった後に誰も開かないPDFが増えていく。
サーバーの中は、未完の「仮」だらけ。
「なぜ生きるのか」という素朴な問いに対して、「人の生きる目的は、幸せになること」という回答は、ある程度説得力を持つ気がする。
そのようにずっと思ってきて、今でも思っている(ただし、これが唯一の解とまでは思っていない。さらに言えばそんなに気にいってもいない)のだが、最近はここに注釈をつけたほうがいいのではと思えてきた。
「幸せになるため」というのは、「人が生きる理由」というのを客観的に見たときの話でするならいいのだが、主観的に「目標」とするなら、それはあまりうまくいかないんじゃないか、ということ。つまり、誰か他者について「あいつはこっちのほうが幸せなんだろう(だからこっちのほうがいい)」と考えることは全く問題ないが、自分ごとについて「自分はこっちのほうが幸せだ」という価値基準で何かを決めようとすることは、ちょっと良くないんじゃないか、ということだ。
なぜこう思うようになったかというと、幸せは相対的であり、自覚できず、複数のベクトルでできていて、そして思ったよりも予測不可能だということが身に染みたから。「自分はこうしたら幸せになれる」は、多分そこまであてにならない。試行錯誤するにしても、「今自分はどの程度幸せか?」ということをちゃんと自覚するのが難しく、たぶん、ままならない。
だから人生の価値基準に置くならもうちょっとわかりやすい指標にしたほうがいい。例えば、「楽かどうか」とか「おもしろいかどうか」とかのほうが、ずいぶんと分かりやすいし、それらを組み合わせたっていい。
3.11のから14年しかたっていないのに、もう忘れているんだろうか?
「独立性の高い原子力規制委員会がしっかりチェックしてるよ」「新規制基準はとっても厳しいよ、複合事故にも対応してるよ」
「原子力災害対策指針に則った避難計画を策定が自治体で義務付けられてるよ」「山間部でも複数ルートでの避難計画が準備されてるよ」
「(少し前)GXに対応するには原発が必須だよ」「(最近)AI需要に対応するデータセンターには原発が必要だよ」
安全だよ論は「そうやって前から安全安全いってた結果が3.11じゃねえか」だし、避難経路云々は「減災計画義務付けられてた石川県は地震でどうなりましたっけ」だし、無いと困るよ論には「国内にChatGPT無いから要らねえよ」だしね。
ちなみに、新国民民主党のウェブに載ってる綱領には(3.11以後にできた政党にもかかわらず)原発についての記述はない。
そもそも「理念と政策の方向性」には「2030年代原発ゼロをめざし、あらゆる政策資源を投入します」と書かれている。言ってること全然違うじゃないか!
注釈付きで「党エネルギー調査会の議論を経て、より現実的な政策にアップデートされています」と書かれているが
「より現実的」ってなんだよ。
タイトルは適当に打鍵しただけの文字列です。意味はありません。
ぐるぐる考えている事を出力しないと寝れない癖がある。
いつもなら何か別の媒体に書いたりするのだが、ちょっとそういうのに書くべきやつでは無い。
何と言うか、多くの目に触れたりバズったりとかするのたぶん良くない。迷惑が掛かる。そういう気がした。
なので己が寝るためだけにここで文章にすることとした。
(じゃあ適当にメモ帳とかに書いて公開しなければ良いのでは無いか、という本質的なツッコミに関しては深く考えない事にしたい。僕は早く寝たい。確実に寝れるであろう方法を選ぶ。)
あんまり読まれたくないのであんまり面白くない文章にする必要がある。頑張る。
頑張らないと面白い文章になってしまうのかということは横に置いておきたい。
なるべく本題に入る前に長文で離脱する人を弾き落としておきたい。
僕は好きなチャンネルのことをぼかして書くべきなのか
ぼかして書いたら結局寝れず仕舞いになる可能性もある そう思いつつ
ぼかしてたらどう考えても何も書けない。最初から明かすべきか?途中で明かすべきか?かんがえあぐねる。
このあたりで10人くらいは居なくなっただろうか。嬉しい。
どんどん関係無い事書いていこう。そういう情報の取捨選択に「公開して書く」ことによるメリットがあるのだ。そう思う。
まずは感情から書いていこう。感情の棚卸は非常に重要なことだ。
感情を棚卸するだけで寝れる可能性がある。なんて素敵なんだろう。
ちょっと語弊があるが、好きなYouTubeを投稿している人物のことを、便利な言葉を使い「推し」と呼ぶ。だって便利だもの。
あんまりお金落としてないけど。メンバーシップ登録してないけど。
ともかく推しの最新動画を見た。いや、動画を見る前に、サムネを見たのだ。
最近イケてる企画として話題だったシリーズの第4弾だ。しかし、サムネから様子が違った。
僕はサムネを見た段階で、「この動画を見るべきだろうか」と躊躇った。
あの、大人気シリーズの最新作なのに。推しの最新の動画なのに。
サムネからよくない匂いがプンプンしていた。正確には、サムネに書いてある文字列が、僕の危険信号を刺激した。
(危険信号を刺激するって良く分からない表現だけどまあいいだろう。)
見るか、見ないか――
色んな想いが逡巡したものの、黒い気持ちを飲み込んで、再生してみることにした。
だって、1時間後に削除されてたら「見ておけば良かった」と思うだろうから。
そして再生して、コメント欄を見て……。とても悲しい気持ちになったんだった。
そうだ。僕は悲しんでいた。
正義を語るあの人が、どうしようもなく、論点をはき違えたことを蔑む様に言い放っていたから。
傷つけるつもりじゃなかったのに傷つく人を生まれさせてしまい、コメント欄を分断し、過去の傷を痛ませ、誤解を与えてしまったから。
クリエイターとしても活動している相方さんの作品に、もう1人の人が参加するという動画だった。
どこにも「コントです」という注釈は無かった。テロップも説明も無かった。
だから僕をはじめ、少なくない人が「クリエイターの作品に参加するプロなのだ」と思って動画を見た。
でも、二人はコントをしていた。何の注釈も説明もつけずコントをしていた。本物の機材の前でコントをしていた。
それは「クリエイターの作品に参加するプロ」としてはあるまじき行為の数々だった。
コメント欄では「クリエイターの作品に参加するプロ」として見て怒ったり悲しんだりしている人と
「コントをしている2人」として見た上で、その様なコメントをしている人を蔑み笑う人とで分断されていた。
それはもう、炎上だった。
「ファンに説明させたら御終いよ」 と言われていたほどだった。(コメントは意訳です)
~回想終わり~
僕はこの件を思い出した。
まさか。まさか推しの動画で追体験することになろうとは思わなかった。
そう、コメント欄には動画に怒り嘆き苦しむコメントと、その様なコメントをする人を冷笑する人間とでごちゃごちゃだった。
そもそもだ。
そもそも、僕の推しはハイスペックである。それでいて、お笑い好きでもある。
なので、いつもは含蓄もありながらユーモアで溢れ、最後には笑顔になる動画をお届けしてくれていたのである。
ハイスペックなので、クイズノックとのコラボとかもしちゃうのである。あれは凄かった。
それがどうだ。
「いつも笑顔で見終わるのに今回は……」 というコメントとか、貰っちゃってるじゃあないか!!
おいおいおいおい お笑い好きよ! 笑わせて帰らせたらんかい!!
僕も何とも言えない短いコメントだけを書いて、お通夜みたいな気持ちでバカ騒ぎ系のチャンネルに癒しを求めに行ったので非常に同じお気持ちである。
その後冷静になって冷静にコメントを書き、それでも嘆き苦しみ、
だけどそれだけでは、どうやら眠れないようである。続きを書こう。
動画の問題点を分解していこう。問題点、というと語弊があるので「炎上加点ポイント」とする。
まず、取り上げた人物が良くなかった。これについては別途後述したい。この時点で加点200ポイントくらいある。
あるとすれば、「取り上げた人物の熱狂的なファン」や「悪くないと考える信者」から見た時に、1000ポイントくらい加点される可能性はあるが
今回嘆き悲しむサイドからすると、むしろ好印象なパートである。
問題は後半だ。
そもそもとして、本件は非常に複雑な事象が絡み合った出来事だった。
「出来事A」から「芋づる式で出て来たB~Z」という構造上の問題もある。
「出来事A」のことだけを言及し、ネタとして昇華したのであれば、これは過去作と同様に賞賛されるべき素晴らしいシリーズの最新作として輝き続けたはず。
なのに、どうしてもそれ以外に言及したがった。"それが無いと成立しないネタ構成"にしてしまったからだ。
「芋づる式で出て来たB~Z」を取り扱うならば、
そのB~Zについてもっと丁寧に語りつくす必要があったが、それはあくまで「オチに繋げる為の導線」として機能させていた。
そして「B~Zについてが問題だと考え追及している人々」 を 「冷笑」 することをオチに使ってしまった。
元々、推しはネタに「冷笑」を盛り込む特徴がある。ハイスペックと、その練り上げたネタ構成により「冷笑」がとても良く活きるのである。
だから普段から冷笑を武器にしていたし、それは僕も好きだった。
だけど今回のは違った。めちゃめちゃスベッていた。
スベッているのに、感度の低いファンから「今回も最高です!」「スカッとした!」と言われ
冷笑系からは「このコメント欄に同じような残念な人達が居ますね(笑)」とコメントがつく始末。
もうおしまいだよ。
僕はもう怖いよ。こんな分断今回限りにしてくれ。
1~3弾までと、今回の4弾の違いも驚くほどにいっぱいある。
なんでこのチョイスでイケると思ったんだろう。いっぱい言いたい。いや書きたい。
書きたいけど指が痛いし、寝れそうな気がしてきたので一旦ここまでとしたい。
高市早苗の自民総裁選勝利に際して使用し、寄ってたかって責められているのを見た。
それは「お休み」って意味だろ!!と。さすが国語だけには自信があり無言の帰宅に騒ぐネットユーザーたち。
文脈の是非はさておき、とっくに注釈なく辞書収録されている用法なので各位アップデートされたし。
①正月やお盆は、地獄の鬼も罪人を煮る釜の蓋を開けて休む。この時期だけは ぜひ休もう。
②ただならぬことが始まる。「目の前に━」
じごく【地獄】〈名〉
━の釜の蓋が開く
━の釜の蓋も開く
AIのいいところは、
「バシレイオス2世“ブルガロクトノス”あたりの東ローマ皇帝の時代を深く知るための書籍を教えて下さい。」
という質問にサクッと答えてくれるところだと思う。
従来の検索エンジンでは、「サクッと」知ることが出来る場合もあるが、そうでない場合も多かった。
バシレイオス2世期は、マケドニア朝の全盛期にあたり、軍事・行政・文化の各面で東ローマ帝国が最高潮に達した時代です。
以下の書籍は、概要から専門的研究まで網羅的にカバーしており、学術的知見を深めるのに最適です。
ジョルジュ・オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(新版・筑摩書房)
マケドニア朝期を概観しつつ、バシレイオス2世の事績を政治・社会・文化の文脈で捉える。
ジョン・ジュリアス・ノリッジ『ビザンツ帝国衰亡史』(上下巻・新潮社訳)
読み物としても優れ、バシレイオス2世の功績や後継皇帝との比較が平易に記述されている。
ウォーレン・トレッドゴールド『東ローマ帝国:マケドニア朝から第十字軍まで』(創元社)
軍事史を重視する著者が、バシレイオス2世の対ブルガリア戦争や軍制改革について詳細に分析。
ジョン・フレイザー・ハルドン『中世東ローマ帝国:文化と国家の変容』(勁草書房訳)
10世紀前後の社会構造・官僚制・経済システムを批判的に検討。バシレイオス2世期の行政改革や財政政策が、いかに帝国強化に寄与したかを学術論文レベルで理解できる。
平易な導入書ながら、バシレイオス2世の役割を文化的・宗教的視点から考察。
地下聖堂建築や修道院運営との関連も扱い、制度史だけでない広がりを示す。
アントニー・カルデリス『ビザンツ帝国:東ローマの再考』(明石書店訳)
バシレイオス2世に関する一次資料の読み替えや、新出の碑文・文書を紹介しており、先端研究動向を掴める。
ロバート・オーフィランディス編『東ローマ軍制史』(戎光祥出版訳)
バシレイオス2世のブルガリア遠征の戦術的展開や兵站を詳細に記述。図版多数。
スペンサ・K. ケネディ『ビザンツ北方外交史』(藤原書店訳)
北方異民族(ブルガリア、ルーシなど)との外交・戦争史を分析。
バシレイオス2世による“ブルガロクトノス(ブルガリア殺し)”の背景と結果を外交政策の観点で理解できる。
バシレイオス2世期の記述が豊富で、歴史叙述の特徴や史料批判の視点を学べる。
ハルドン、カルデリスなど最新研究を通じ、行政・文化的変容を理解。
『年代記』や編年史で原典に当たり、学術的厳密さを身につける。