はてなキーワード: 排泄物とは
住宅街を歩いていると料理の臭いはすることがあるのに排泄物の臭いを感じた経験はない。
排泄物の方が臭いの強度は強いと思うし、たまには消臭スプレーとかしない奴もいると思うんだが、料理が窓に面したリビングに置かれるのと違って、個室で奥まったところにあるという物理的な距離の効果の方が大きいのか。
dorawiiより
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新生児を遺棄したのがバレて捕まる系のニュースあるが、あくまで純粋に空想科学的な興味として考えたとき、
このような物体的証拠としての嬰児についてそれが嬰児あるいは嬰児の一部であるという情報を完全に消滅させる現実的な方法はあるのだろうか?
つまり分子レベルでバラバラにすればその分子一つ一つからはもはやそれが嬰児の一部であるという情報は求められないし、そのような情報が乗った物体はなくなるだろう。
しかしそんなことは溶鉱炉に入れるとかもってしても難しいのではないか。
肉の部分は食べてしまって、骨も骨粉にして何かに混ぜたりして食ってしまう。
すると嬰児だったものは身体の一部、骨粉すらまた骨になるだろうし、排泄物にも嬰児、というよりその排泄をした人以外の生物のDNAの一部とみなせるようなものは情報として残っていないのではないか?
よくわからんけども。
dorawiiより
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高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童 Permalink | 記事への反応(1) | 18:05
ほぼ毎日夢を見る
夢を見ている最中に起きるので、直前まで見ていた夢をほぼハッキリ覚えている
ほぼ悪い夢で良い展開がない
学生時代なんてとっくの昔に終わったのに、小中高の(あまり好きじゃなかった・嫌いだった)クラスメイトや部活の知人が出てきて、私が嫌な思いをする
学校に遅刻する!体操着忘れた!練習が十分じゃないのに本番になってしまった!テスト範囲の勉強が一切わからない!みたいな焦り・どうしようという不安が基本
この前の朝は「クラスのいじめっ子の彼女にそうとは知らずに軽口を叩いてしまい、いじめっ子に土下座して泣きながら謝る夢」を見た
今日の昼寝は「舞台上で楽器の演奏をする際に自分だけ練習不足でオロオロして、皆は完璧に楽しそうにできている夢」を見た
まあこういう夢を見るだけならましなんだけど、体が現実に直結することがある
例えば夢の中で嫌なことをされて「やめて!やめてってば!」と必死で振り払う瞬間に目が覚めると、起きていることに気づかずそのまま「やめて!」と夢の続きを現実で叫んでしまう
夢の中で病気になって苦しくて咳き込んだり嘔吐したりしているときに目が覚めると、その続きで咳き込んだりオエエと喉が締まって吐きそうになって最悪の寝起きになる
トイレの夢もよく見るけど、排泄だけは何故か起きない
ちなみにトイレの夢は漏れそうなのに便器が血や排泄物でめっちゃ汚い、用の足し方が不明な形の便器、
トイレの施設そのものが汚い、みたいな感じで、素直に排泄できたことがないので、脳がストッパーとして機能しているのかもしれない
胃カメラで麻酔使った時に医者に「心地良い夢を見る方が多いです」と言われたのに、隣の部屋に騒音がうるさい住人が引っ越してくる夢を見た
これは学生時代の夢ではなく結婚して旦那と一緒に住んでいる現在の設定の夢だったので珍しく、新鮮ではあった
学生時代の夢を見る原因はわかってる
当時しんどくて不登校になったこともあり、記憶力はいいので当時のことをよく覚えていて、未だにフラッシュバックして叫んでしまうほどだ(フルリモートなので仕事中に叫べてしまう)
そんなしょっちゅう思い出してしまうんだから夢にも色濃く出てくる
そしてなぜだか忘れていた端役のクラスメイトも夢に出てくる→余計に思い出す→もっと夢に出るのループだ
現実が不幸というわけではない。仕事も大きな悩みはなく、理解のある優しい旦那がいる
旦那には「精神科とか行けば?」と言われるが、「悪夢を見るんです」って言ったら「悪夢を見ない薬」を出されるのか?夢ごときで病院なんか行っていいのか?と思ってしまう
煮沸だけでは殺せない細菌(芽胞)やウィルス、寄生虫もいるので除菌処理はしっかりやった方がいい。
オートクレーブ(クレープではない)や高濃度の次亜塩素酸ナトリウムなどでしっかり処理してから食すべき。
病原菌をCRISPRで破壊して有益菌だけ残すことで安全で効果的になる。
実は人間の腸内には約100兆個以上の微生物が住んでいる。総重量は脳と同じくらいで約1〜2kg。
元々体内にあるものを循環させるだけなので発想としては永久機関に近い。
ファナモは無味無臭の無機物で、第一世代はそのまま廃棄される想定だが、
第二世代は燃料や肥料などにリサイクルされ、第三世代は栄養価を含めた食料としての構想もされている。
また、亜流ではあるがファナモを使用した性交も考案されている。
なので、うんこを介した性交や食事も将来的には普及する可能性がある。
今回の小学館マンガワン事件では、被害者女性への批判がほとんど出なかった。
これまで性犯罪被害を訴える女性には、「気持ちよかったはずだ」「被害者が誘ったのだろう」「断ろうと思えば断れたはずだ」といった言葉が浴びせられてきた。そういうことを言ってきた人たちに聞きたい。今回の事件を見てまだ同じことが言えるか。
被害者は15歳から3年間、教師という立場の人間に少しずつ支配され、逃げられない状況を作られた。その上で性的暴行だけでなく、排泄物を食べさせられるという行為まで強いられた。今もPTSDと解離性障害に苦しんでいる。
「断れたはずだ」と言う人は、この状況のどこで断れたと思っているのか。「気持ちよかったはずだ」と言う人は、排泄物を食べさせられることのどこに快楽があると思っているのか。
今回批判が出なかったのは社会が賢くなったからではなく、あまりにも異常な内容で、さすがに批判する言葉が見つからなかっただけ。それは一歩前進だが、決して手放しで喜べるものでもない。
しかし、一つだけ言っておきたい。
今回の事件で多くの人が初めて理解したはずだ。追い詰められた人間が逃げられないということを。権力を持つ人間に支配された人間が、断れなかったということを。
その理解は、排泄物が含まれていない事件にも同じように当てはまる。性的暴行だけの被害者も同じ構造の中で同じように逃げられなかった。
次に性犯罪被害者が声を上げたときまた同じ批判をするつもりなら、今回の事件を思い出してほしい。あなたが「断れたはずだ」と言おうとしているその人は、今回の被害者と同じ状況に置かれていたかもしれない。
薬屋のひとりごとの納税版の人って2024年1月に子供を産んでたのか。
「ほっぺパンパン手はしわしわ」って、あまりにも酷い言い草だけど、子供の性別はどっちなんたろうね。
(あの絵を商業作品としてお出しできるくらいだから、美的感覚が相当鈍いのだろうか…。)
お子さんの性別がどっちにしろ、この人はお子さんが将来高校生になって、変態教師に性行為を強要されて排泄物を食わされても平気なんだろうか。
ま、生まれたばかりの我が子の容姿に対してこんな最低最悪の侮辱をしてしまうくらいだから平気そうだね。
入院前日まで仕事をするも集中力がなく、前倒し予定の原稿が終わらない。
お子生まれる。
民事賠償訴訟の判決の記者会見がマスコミ記事になって、みんな初めて「こんな酷い内容の事件があったんだ」と知ったわけだよね?
一連の事件では、漫画家は一度逮捕されていて、被害者との行為の写真の存在でもって児童ポルノ禁止法違反のみ有罪となり罰金刑を受けていたが、さらっと調べた限りは、逮捕の時も罰金刑の略式命令が出た時も報道記事は無かった。
ネット配信していないだけで、北海道ローカルメディアでは数行のベタ記事くらいは出ていたかもしれないが、ちょっと待って、これ漫画家以前に高校の教師(講師)が生徒に手を出した事件だよ?、もともと小さなベタ記事で終わらせていい事件ではないでしょ(その記事も見つかっていないが)
これが公立高校の教師だったら、北海道教委が記者会見するレベルの不祥事であり、大々的に全国ニュースにもなっていたはず。今まで報道されてこなかったのは私立高校ならではでは(私立高校無償化が来年度から始まって、今後維新を始めとする教育民営化勢力によって公立高校がどんどん潰される予定だが、そうなるとこういう事件が報じられなくなることが多発するんだよ)。
それはそうと、重要なのは事件について全国的に報道がなかったことなんだ。民事訴訟の判決記事が出るまで、事件の中身は外野は誰も知らなかった。
では誰がどこまで知っていたのか。
編集者と編集部は漫画家の逮捕は知っていただろう、では容疑事実も知っていたのか?
被害者から賠償訴訟を起こされた、原告の主張はどこまで知っていたのか?
被害者の話で一番ショッキングな内容は、「排泄物を食べさせられた」ことを含めて数多くの変態的行為を高校生が教師にさせられていたという点だ。
しかし刑事司法で有罪となったのは児童ポルノ禁止法違反の罪だけである。しかも裁判無しの略式命令の罰金刑。
漫画家は社会人として逮捕勾留された経緯や結末を仕事先である編集部に説明はしても、有罪になっていない高校生との変態的性行為について自分から話すことはしないだろう。
「児童ポルノで罰金の略式命令」という話だけだと、「るろうに剣心」作者と同じである。あっちは略式命令が出て数カ月後に連載再開している。
前例があるので、それだけ説明されたら出版社が連載再開を認めてもおかしくはない。
問題は、編集者が示談交渉に同席した時に、どこまで踏み込んだ説明を加害者、被害者双方から受けたか、であるが、これは今後予定される第三者委員会の調査で明らかにされるだろう。
性加害事件の全貌について報道は今まで全くなかった。誰もが知らなかった。
もし最初の逮捕で、ちゃんと報道されていれば。高校が記者会見を開いて第三者委員会の調査などをして全容発表していれば。SNSでも大きく炎上して、週刊誌等が深堀りして凄惨な性加害も報じられ、その時点で、講師が漫画家であることが明かされ、小学館も即座に連載停止して漫画家を出入り禁止に出来たはずだ。
この事件は、被告は『自分は何もしていない』とは主張しておらず、
という立場を取っていたんです。
・『排泄物を食べさせた』
被告が強く争ったのは、
裁判所はそれを退けて、
冤罪主張をする人はよく『全部嘘なんじゃないか』と言いますが、被告本人が法廷で被害事実の大部分を認めていて、しかも笑いながら平然と陳述していたことまで判決文に書かれているので、
『全部被害者の嘘』という主張はかなり難しい状況です。
◦ 「排泄物を食べさせた」「屋外全裸撮影をした」「グリセリン浣腸をした」など、具体的な行為自体はほとんど認めていた(争わなかった)。
◦ 「同意があった」 → 行為は原告の自由な意思に基づくものだった。
◦ 「違法性がない」 → 暴行・脅迫はなく、強制性交等罪・強制わいせつ罪は成立しない。
◦ 「因果関係がない」 → PTSDなどの精神的損害は、行為とは無関係(または原告の既存の問題)。
• 被告(加害教師)と学校法人の立場:被告は個人として1100万円支払い命令。学校法人(恭敬学園)は請求棄却(免責)。
• 理由:被害行為の多くが授業外・課外時間・校外 で発生し、職務(授業)と密接に関連しない私的関係 と認定されたため、使用者責任(民法715条)は生じない。
• 刑事法的に(事件当時=2023年改正前) 「暴行または脅迫を用いていない」「被害者が反抗を著しく困難にされるような状態ではなかった」 → 強制性交等罪・強制わいせつ罪は成立しない。 (だから児童ポルノ所持でしか立件されなかった)
• 民事法的に(不法行為・民法709条) 「原告は性的行為に同意していた(真剣交際だった)」 → 違法性阻却事由(違法性を阻む事情)があるので、不法行為は成立しない。 仮に成立するとしても、損害との因果関係はないので賠償責任はない。
被告は 「事実(何をしたか)は認めるが、法的責任(違法性・損害賠償義務)は否定する」 という、民事裁判ではよくある部分認諾・争点絞り込み戦略を取っていました。
• グルーミングによる同意の無効 教員の優位性・30歳の年齢差・被害者の未熟さ・自己肯定感の低さを悪用して
• 因果関係の認定 行為とPTSD・解離性同一性障害の間に相当因果関係があると明確に認定。
• 反省の欠如を慰謝料増額の根拠に 法廷で笑いながら陳述し、「彼女自身に対しては特に思うことはありません」と述べた態度を問題視し、慰謝料を1100万円まで引き上げた。
被告が取っていたのは、 「事実レベルでは認めるが、法的評価レベルでは全力で争う」 という典型的な民事防御戦略でした。
これは冤罪主張(「何もしていない」)とは全く異なり、 「やったことは認めるけど、違法ではないし、損害も発生していない」 という、かなり高度な法的ポジションです。
ある漫画家が教員として勤務しながら凄惨な強要を行っていたというニュースが世間を騒がせているが、こうした歪んだ関係性は、決して遠い世界の出来事ではない。私の妻もまた、学生時代に当時の教員と秘密の関係を持っていた経験がある。彼女から当時の話を詳しく聞き、その内実を分析していくと、そこには地位の差がもたらす特異な心理構造が浮かび上がってくる。
教員と学生、あるいは上司と部下といった、明確な権力勾配が存在する関係において、高い地位にある者が自分自身に自信を持てない場合、ある種の中毒的な疑念に苛まれることになる。それは、「相手が愛しているのは、地位という仮面を被った自分なのか、それとも剥き出しの一個人としての自分なのか」という問いだ。この疑念を打ち消し、真の愛を確認しようとする欲求が、セックスの内容をエスカレートさせ、加虐的な方向へと駆り立てるのである。
つまり、相手に対して「人外の要求」を突きつけ、相手がそれに耐えて応える姿を見ることで、「これほど不条理な要求を受け入れるのは、地位ではなく私個人を愛している証拠だ」と確信しようとするのだ。受ける側もまた、その過酷な要求に応えることで、自らの愛の深さを証明しようとしてしまう。妻の話を聞く限り、支配される側が相手の振るう強大なパワーそのものに惹きつけられてしまう側面も否定できない。
もちろん、排泄物を強要するような行為は論外であり、到底容認できるものではない。しかし、極端な地位の差がある関係において、自らのアイデンティティを過剰に意識する者ほど、こうした「尊厳を削り合う形での愛の確認」という不幸な罠に陥りやすい。物事の機微に気づかない愚か者であれば、そもそも悩みもせず、何も気にすることはないのだろう。だが、人間としての自意識を抱えながら、その仮面の下で愛を渇望する者は、時としてこうした破綻した結末を選び取ってしまうのである。