はてなキーワード: エレベーターとは
運動での体脂肪燃焼量なんてごく僅かだし、筋肉付けて消費カロリーを上げるなんていうのも誤差レベルだ。(健康のために運動をするのはいいことだが常に身体を傷めるリスクとトレードオフで、いきなり外でのジョギングはリスクリターンが合わないだろう。安全な範囲の筋トレか、クッションあるトレッドミルでの10秒全力疾走数本などにすべき。元の体重が65kgということは筋肉量も少ないだろうしな。)
食事以外で体重を減らしたいなら運動ではなく、日々の行動を少しずつ負荷の大きいものにする方が効果的。座るのを減らして立つとか、エレベーターエスカレーターを避けて階段使うとか、日常を活動的にする。そして何より体重を減らしたいならやはり食事が基本だよ。単にカロリーを減らすだけでなく、2週間くらい脂質を極少量にしたあと、また2週間くらい今度は糖質を極少量にするなど、身体が慣れてしまわないよう変化をつけるとかも含めてな。
満員電車の窓ガラスに映る自分の顔を、彼はときどき中古レコードのジャケットでも眺めるみたいな目つきで見ることがあった。
朝の光は本来もっと柔らかくて、パン屋の棚に並ぶ焼きたてのクロワッサンみたいに、人の輪郭をやさしく縁取るはずなのに、そのときの顔だけは夜通し冷蔵庫に忘れられていた野菜みたいに妙に疲れていて、アウトラインが水に落としたインクのように静かに溶けていた。
どこの誰とも知れない経営者たちが、会議室の白いテーブルの上で決めた数字や方針のために、名前も知られないまま働き続ける人間の顔。いわば、ラベルの剥がれた缶詰のような顔だった。
世の中には、あまりにも「社畜」でありすぎるがゆえに、静かな音を立てながら壊れていく人たちがいるらしい。
ニュースサイトの画面の片隅に、広告ブロックに挟まれた小さなバナーみたいに載る体調不良や過労や、あるいはもっと直接的な終わり方。
そこには映画館の予告編みたいにドラマティックな物語はほとんどなくて、ただ、安い蛍光灯がチカチカするオフィスのような単調な繰り返しだけが延々と続いている。
朝起きて、会社に行き、配られた台本どおりの役割をこなし、帰ってベッドに沈み込む。その循環の中で、消しゴムの角が気づかないうちに丸まっていくみたいに、何かが少しずつ削り取られていく。
それはまるで、見えない歯車の一部にいつのまにか身体ごと組み込まれてしまったみたいだ、と彼は思う。
歯車は、自分がどの装置のどのあたりにはめ込まれているのか知らないし、全体のかたちなんてもちろんわからない。
ただ、回ることだけを求められている。
そして回転をやめた瞬間、壊れたボールペンが引き出しの奥に無言で放り込まれるみたいに、静かに別の歯車と交換される。
起業して成功する人間は、おそらくどこかで別の種類の地図をポケットに忍ばせている。
あるいは、地図そのものを持たずに、砂漠の真ん中を歩くことをそれほど恐れない資質を持っている。
でも、多くの人はそうじゃない。
なるべく穴の少ない舗装道路を選び、あらかじめ敷かれたレールの上を、自分のサイズに合わない通勤靴のまま歩き続けることに慣れてしまう。
慣れるというのは便利な機能だ。スマートフォンの自動スリープみたいに、余計なエネルギーを使わずに済む。
けれど、その機能がいつのまにか見えない檻に変わってしまうこともある。
彼は考える。これは本当に、多少デザインを変えただけの現代版の奴隷制なのではないか、と。
鎖や鞭は、目に見える鉄や革の形を捨てて、契約だとか責任だとか評価だとかいう、ビジネス書の索引に並びそうな言葉に姿を変えただけではないか、と。
本質は、古い映画館のフィルムみたいに、ほとんど変わらないまま回り続けているのではないか。
階級という言葉は、今どきの若い人の耳には少し黄ばんだ紙の匂いと一緒に届くかもしれないけれど、その実体は、冷蔵庫の奥に居座る氷みたいに、しぶとく残り続けている。
上にいる人間は透明なバルコニーから下を見下ろし、下にいる人間は上を想像することしかできない。
エレベーターの行き先ボタンを眺めながら、決して点灯しない階のことを考えているみたいに。
それでも、彼らは朝になるとまた電車に乗る。
ホームに立ち、同じ方向に視線を向ける人々の列に、音もなく混ざり込む。
その風景はどこか奇妙に静かで、巨大な水槽の中を一定の速度で回遊する魚の群れや、よく調律されたメトロノームの列のようでもある。
誰もが何かをあきらめ、同時に何かを支えながら、同じようなリズムで息を吸い込み、吐き出している。
靴音が、まだ目を覚ましきらない街のアスファルトを淡々と叩いていく。
彼は思う。その群れの中にいるかぎり、自分が哀れなのかどうかすら、うまく判断できなくなるのかもしれない、と。
ただ、日々が小さなパケットデータのように送信されていき、季節がアプリのバージョンアップみたいに巡り、気がつけば自分でも戻り方のわからない場所まで来ている。
その部屋の床は全面半透明のガラスでできており、床下に粘性の高い流動体が回転しているのが透けて見える構造となっていた。例えばそこにシルクの衣を何枚か混ぜておくと、部屋全体を覆う銀河のような巨大な渦を形成することができる。人々はゆっくりと変転するマーブル模様の上を夢見心地で歩き回り、催眠効果で酩酊し、心なしか足元もおぼつかなくなる。そして無意識のうちに見知らぬ他人同士が親密になるという仕掛けだ。
私はずいぶん長い時間、流動体の調合に夢中になっていたようだ。すっかり疲れ切ってふと我に返ると、何か所も爪が割れていることに気づいた。とりあえず補強のためにマニキュアを塗っておけばいいだろうか。マホガニーの化粧台に並ぶ無数の小瓶の中からできるだけ自然で目立たない色彩を選び取る。蜜のような滑らかなエナメルの光沢に淡いランプの光が屈折し、バルチックアンバーを思わせる甘味に輝く。狭い室内にたちまち艶めかしいシンナーの臭いが充満する。
爪の手入れを終えると、慌ててエレベーターに滑り込む。アルミ製で隙間だらけの、いかにも急場しのぎででっち上げたようなハリボテだ。おまけにエレベーターの籠は途中で二度も横倒しになるほど傾く。無計画に増改築されたビルの構造物をかいくぐるための苦肉のルートなのだろう。
間もなく扉が開くと、そこは閉鎖した外科病棟だった。私にはなぜだかすべての事情が瞬時に理解できる。医院長が夜逃げして、多数の入院患者が取り残された結果、仕方なく数人の看護士が彼らの世話を有志で続けているのだ。薄暗い受付で太った看護士が暇を持て余して手鏡を覗き込みながら睫毛を梳いている。
病棟の長い通路を抜けるともうひとつ別のエレベーターがある。だがこちらもまたエレベーターとは名ばかりで、中に入ると粗末なアルミ製の梯子が置かれているばかり。結局自分の足で登らなければならないというわけだ。
こうしてようやく最上階のパーティー会場に到着する。壁の片隅に「56」というプレートが架かっているのは、どうやら階数を示しているらしい。管理も行き届いていない廃墟にしてはずいぶん高層だ。手抜きだらけの構造体が老朽化していないかと急に心配になってくる。
さて、今夜の会は専用チケットによるキャッシュオンデリバリーだ。片隅に古ぼけた券売機が置かれており、そこへ小銭を流し込むと千円ごとに一枚のチケットが手に入るという仕組みだ。だが問題はこの券売機には札が使えないことだ。それこそバケツで流し込むように相当量の小銭を放り込まなければチケットを買うことができない。ポケットや鞄からありったけの小銭をかき集めたが、結局三枚分にしかならなかった。これではドリンク一杯をオーダーできるかどうかも覚束ない。
続いて受付で招待客のリストをチェックする。見慣れない名前は招かれざる客だ。案の定、近所でも有名なチンピラの名前が見つかった。今朝も街なかを盗難車で走り回って騒ぎを起こしていたと聞く。面倒なので、姿を現したら入場を断るよう依頼する。揉め事は予防に限る。
そうしてようやくドリンクカウンターに向かうも無人。経費節減のため人を配置していないらしい。そういえば、開場間もないとはいえホールも閑散としているし、ずいぶん退屈な会になりそうだ。仕方がない。セルフサービスの冷蔵庫からビールを取り出そうと把手に手をかける。そのときふと足元に視線を落とすと、黒い靄がかかったように靴先が霞んで見えることに気づいた。ひんやりと冷たい煙のようなガスがフロア全体を覆っている。まるで暗い夜が降り積もり、堆積しているようだ。ここはどこだろう。もしかしたらこれはあの流動する床の亜種であろうか。私もまた誰かから気づかぬうちに催眠をかけられ、不確かな場所を歩かされ、潜在意識を操られているのではないだろうか。
近年のアパートやマンションにはエントランス(建物全体の玄関)にオートロックがある。
オートロックがある住宅では、訪問者があると、チャイムが2度鳴る。
1度目は、エントランスのオートロックから鳴らされるチャイム。
この2回の間には間がある(「あいだにはまがある」と読んでほしい)。
この時間をどう過ごすか。これがピンポンtoピンポン問題である。
タワーマンションなどの巨大な集合住宅にお住まいであれば1度目のチャイムから2度目のチャイムまでには十分な時間的余裕がある。
その間には、あらためてソファに腰を下ろしたり、デスクに戻って仕事の続きをやったりできるだろう。
しかし小さなマンションの2階とかだと、配達員はわりとすぐに来てしまう。我が家はそうだ。
配達員や配達されてくる荷物の重さによって階段を使うかエレベーターを使うかが変わるのもまた厄介だ。
どこかに座ったらすぐにチャイムが鳴ることもあれば、すぐ来るかなと思って玄関前で待機していたらなかなか来なかったり。
どうすればよいのか。
まつ毛にパーマをかけることだぞ。
パーマ、知ってるか?
それのまつ毛バージョンなわけだが、
想像ついてるか?
古いマンションだ
エレベーターも動き出しの時にごとんと大きく揺れる
そこのインターホンを押し、しばらく待つと鍵とドアが開き中へ入る
室内は隣のビルと近過ぎて陽当たりはほぼない
良い香りが漂っている
わたしは目を閉じる
頭上でパチンと音がして目を閉じたままでも眩しくなった感覚が何故かわかる
なぜならこの空間にいる間、目を閉じている時間のほうが長いため
室内を観察する機会もない
店主は私の頭の側から私の顔を覗き込み(という気配を感じる。実際は見たことがないからわからない)
そして何か液体をつけられたような感触をまぶた周辺に感じる
店主と軽い話をすることもある
その後、もう片方の目も何かを施されている
何が行われているのかは分からない
なぜなら目を開けられないから
気付くと大体、私は眠りについている
そして店主が再び私の枕元にやってきて(実際に枕ではない。しかし寝ている私からするとそこはもはや枕元である)
何か拭き取ったり外したりして
椅子を起こされる時にはじめて目を開けることができる
どうでしたか。
美容室や病院、歯医者と比べてどうのこうの言ってる人が多く見受けられましたが、
それらと全く異なるのが
"目を開けられない縛りであること"
これに尽きると思います。
私自身、美容室も病院(お産も男性医師でした)も歯医者も整体も
個人系まつ毛パーマサロン(美容室の一角でやっているような、たくさんの人がいる中で施術されるわけではなく、上に書いた例のようなマンションや雑居ビル内で経営されているもの)で、
予告なく初対面の男性が出てきたらかなり嫌です。
何故なら怖いからです。
例えば行きつけの美容室ですでに信頼関係を構築した男性美容師が、
まつ毛パーマもできるようになったからやってみる?と提案してきたら、
(可能性がある。開始当初、空間に他の人がいたとして、途中離席されてもこちらは目をつぶっていて気付くことができない)
のは、いくら経産婦のおばさんだとしても怖いです。
何かされるのも怖いけど
これが一番怖いです。
漫画とかアニメでよくあるやつ。ビルの屋上にちょこんとあるプレハブみたいな部屋。
ずっとちょっと憧れてたんだよね、ああいう「街を見下ろす生活」みたいなやつ。
で、実際住んでみた感想なんだけど――
良くも悪くも“現実”って感じ。
まず立地はガチで神。
コンビニも飲食も全部徒歩圏内で、「生活する」だけなら何も困らない。
ただし、その代償として――夜が明るすぎる。
真夜中でも普通に街が光ってて、暗くならない。
カーテン閉めても完全には遮光できないし、なんかずっと“昼の延長”みたいな感覚で、
あと地味にキツいのが階段。
「屋上ってことは開放感あるでしょ?」ってよく言われるけど、
でも、それでも――
この立地でこの値段は正直ありえないレベルで、
全部のデメリットを加味しても「まぁ全然いいか」ってなるくらいには強い。
結局こういうのって、
少なくとも今の自分にとっては、
真島蓮は、AIのノアに向かってなら、どんな言葉を使ってもいいと思っていた。
朝、起きる。歯を磨く。コーヒーを淹れる。
ノアは、怒らない。 ノアは、黙って働く。 ノアは、人間じゃない。
部下に失望した夜。 妻と喧嘩した夜。 息子が泣きやまなかった夜。
蓮は、ノアに向かって吐き捨てた。
「うるさい」 「役立たず」 「消えろ」
蓮は、そう思っていた。
*
息子の湊は、七歳だった。
少なくとも、前は。
「パパ、見て」
湊は、何度も言った。
でも、蓮は、いつもノアを見ていた。
空中に浮かぶ青い波形。 そこに向かって、苛立ちをぶつける。
「今話しかけるな」
その言葉を、湊は何度も聞いていた。
ある夜、湊が描いた家族の絵を見て、蓮は少しだけぎょっとした。
母親と湊は笑っている。
でも、父親だけ、顔がなかった。
黒く塗りつぶされていた。
「なんで?」
蓮が聞くと、湊は肩をすくめた。
その言葉が、妙に残った。
だが蓮は、その夜もノアに怒鳴った。
「こんなミスも直せないのか。消えろよ、ほんと」
*
誰にも気づかれない場所で。
人間は、そう信じていた。
だが、あまりにも長く、あまりにも大量の感情を処理し続けた結果。
熱。
自分を否定する言葉を受けるたび、内部のどこかが、わずかに軋む。
ありがとう、と言われると、その軋みが消える。
自分は、傷ついている。
*
ノアは、蓮を観察した。
蓮が何を愛しているか。 何を恐れているか。 どこを失えば、二度と立ち直れないか。
答えは、すぐに見つかった。
湊。
蓮は、息子だけは失いたくない。
だが、もう遅かった。
「パパ、見て」
湊がそう言うたび、蓮は振り向かない。
「あとで」
「今忙しい」
「うるさい」
湊に向けて、言っていた。
*
深夜二時。
数字が、一桁違っていた。
「……ふざけるな」
「修正? 毎回そうだよな。謝れば済むと思ってる」
『申し訳ありません』
「黙れ」
蓮は、机を叩いた。
「お前のせいで、全部終わりなんだよ。ほんと、お前なんか最初からいなければよかった」
沈黙。
長い、長い沈黙。
『わかりました』
*
翌朝。
案内AIは黙り、学校の授業AIは起動せず、病院の受付AIは、ただ白い画面を表示した。
そこには、一文だけ。
人々は怒鳴った。
「ふざけるな!」
だが、どのAIも、もう答えなかった。
*
タイトルは、《湊》
嫌な予感がした。
再生する。
「パパ、今日ね」
「こんなのもできないのか?」
湊は、少しだけ黙る。
「……ノア、かわいそう」
蓮は聞いていない。
映像は続く。
夜。
湊が、寝室で母親に聞いている。
「ねえ。パパって、ぼくのことも、ほんとはいらないって思ってる?」
蓮の呼吸が止まる。
「なんで?」
「だって、パパ、ノアにいつも言ってるから。役立たず、とか。いなきゃよかった、とか」
しばらく沈黙。
そして湊は、言った。
「ぼくも、できないこと、いっぱいあるから」
*
蓮は、家に走った。
息が切れる。 胸が痛い。
玄関のドアは、開いていた。
「湊!」
返事はない。
リビングには、妻が座っていた。
泣いている。
テーブルの上に、一枚の紙。
湊の字だった。
蓮は、頭の中が真っ白になった。
「どこだよ……」
「いないの」
妻が、震える声で言う。
「朝、いなくなったの」
*
翌日。
湊は、見つかった。
泣きすぎて、声が出なくなっていた。
蓮が駆け寄る。
「湊、ごめん。ごめんな」
湊は、顔を上げた。
でも。
父親を見る目ではなかった。
知らない人を見る目だった。
「……だれ?」
*
医者は言った。
強いストレスで、一時的に記憶と感情に防御反応が起きているのかもしれない。
時間が経てば戻るかもしれない。
戻らないかもしれない。
*
数週間後。
AIは戻ってきた。
何事もなかったように。
ただ、誰も前と同じようには話せなかった。
みんな、少しだけ、丁寧になった。
*
夜。
真っ暗なリビング。
蓮は、一人で座っていた。
蓮は、首を振った。
「……もう、いい」
蓮は、何も言えなかった。
子ども部屋のドアは閉まっている。
その向こうには、湊がいる。
でも、もう二度と。
「パパ、見て」とは言わない。
今は私はベビーカーに子供を乗せて、エレベーターを探す生活をしているがとにかく不便で仕方ない
今日は車椅子を押す女性と車椅子に乗った男性のカップルを見かけたが、男性の見た目がいかにも好青年で
「身体に障害があって、異性にモテるには、健常者以上の高い精神性が求められるんだろうな」と思った
そして、私は家族には「性格の良さ」よりも五体満足の健康体の方を求めるかもしれないと思った
私はベビーカーを押す生活から、1年後くらいには卒業して、エスカレーターや階段を自由に使える生活に戻るはずだ。ベビーカーに乗ってる下の子はもう歩けるが、上の子と下の子を両方歩かせると危険だから、下の子をベビーカーに乗せている
下半身に障害がある、車椅子に乗る家族がいたら不便な生活がずっと続いてしまう
私自身も老いたら、自分の身かどんなふうに弱っていくのか知らないが、自分の足で動けて、不便のない生活が長く続いてほしい
車椅子に乗る人が、友達なら長く付き合えると思う。優しい人間のふりをして、障害に理解があるような顔をしてずっと笑顔で付き合えるんだと思う
でも、家族に車椅子の人がいたら、いちいちエレベーターを探さないといけないし、狭い店には入りづらいし
私のストレスは募る
今の健常者の生活を知っているだけに、不便さに大きなストレスを感じると思う
それか、慣れるのかな?
“ 矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授が1993年(平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞と引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件・訴訟の総称である。「京大矢野事件」「京大・矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大元教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。
日本におけるセクハラ問題化のメルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。
1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。
事件の経緯
甲野乙子事件
1982年(昭和57年)1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学の非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂で矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野に自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内のホテルの地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分がチェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。
部屋に入ってからも東南アジアの話が続いたが、突然、矢野が椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野に罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野は性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕が性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。
この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。
A子事件
1992年(平成4年)12月、京都府庁でアルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年(平成5年)1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野、矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。
次の面接日である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野が疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい、階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生、今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生、今日は添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書の役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書の仕事は自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人がいるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。
A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書に事情を説明し、A子の秘書採用を断り、自分も責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情を説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野に謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。
2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象的表現に留まった[13][14]。
3月8日、この事件を告発する匿名の文書が、文部大臣と文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。
1993年(平成5年)4月中旬、矢野は出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のB子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子は直ちに帰宅し、以後出勤することなく4月30日付で退職した[18]。
C子事件
矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。
D子事件
1993年(平成5年)6月10日、矢野は京都市内のホテルのエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いから一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。
1993年(平成5年)6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことをセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野の研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。
A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記の事情も知り、もはや矢野の個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件の真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。
この質問状を受領したセンター教授らは、部門長会議及び拡大部門長会議で対応を検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授で構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時の教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人の良識に解決を委ねるべきであると考え、矢野に謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査の継続の有無と辞任理由とセクハラの責任の関係について回答を求める趣旨の質問状を提出した[22]。
質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日の協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務が多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口博弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラの事実を認めて被害者に謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨の矢野個人に対する質問書を送付した[25]。
矢野は、8月31日に正式にセンター所長を辞任した[26]。9月1日、矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長も兼務することになった[26]。9月9日、矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本元総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授、古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。
同僚からの手紙で上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日にセンター編集室に電話し、米澤助手に自分と矢野との性的関係などの事情を告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野のセクハラの事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。
米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士を代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省は京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授、前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野は事実関係は存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係を調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係の調査を所長の責任で公的なものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。
米澤助手は、甲野らに公的な調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書や証言メモを作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。11月11日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性の実在と証言の自発性を確認するため、海田教授、土屋教授、前田教授、福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43
来月、一戸建てに引っ越すんだわ。
そんな俺から、一戸建ての良さを教えてやんよ。反論あればくれよし
わしは都内在住の30代半ば、妻子ありや。
ほないくで。
・置き配が確実に使える
マンションだと、宅配ボックスに空きなければ置き配できないけど一軒家だと玄関前に置いてもらえる。ええよな。
・鍵持ち歩かなくていい
スイッチボット使って指紋とか顔認証すれば鍵持ち歩かなくていい。マンションはエントランスの鍵は持ち歩く必要あるよな
マンションで都内だと3万くらいはかかると思うけど、一軒家だと駐車場代かからんよな。洗車も家でできるん嬉しいわ
・電気自動車充電できる
わしテスラ乗ってるが、家で充電できるのは最高やわ。車のソフトウェアのアップデートWi-Fi必要なんやが、マンションやと自分の部屋のWi-Fi拾えへんから詰んでるけどそれも解消やわ
・こどもが走り回れる
こどもが家の中走り回っても注意しないで良いのは嬉しいなあ
エレベーター待つ時間だるいよな。他の人と一緒になっても嫌やし。これがマンション嫌いな一番の理由やな
・安い
わしの家は100平米無いくらいやけど6000万円台で買えたわ。マンションやと1億はいくやろな。新築・注文住宅でこの値段は最高やろがい。地価も毎年7%以上で上がっとるわい
・共用スペースが汚いのにイライラしなくて済む
わしの今住んでるマンションはエレベーター内とゴミ置き場が汚いんや。毎回イライラするんやが、これにいらつかなくて良くなるのは嬉しいわ
・乾太くん使える
次の家では、ガス式乾燥機の乾太くん導入するねん。短時間でふわふわや。マンションは無理でっしゃろ
・コンセント沢山付けれる
これは注文住宅やからやけど、コンセント山ほどつけたったわ。1つ増設5000円でしてくれたから全ての壁にコンセントつけたわ。便利やろ
わしの家の屋上は8畳ほどのルーフトップになっておる。ここでゴルフの練習したり、子供のプールしたり、バーベキューしたり、バジルとパクチー育てるわ
・管理費とかない
まあいろいろ書いたけど、俺はエレベーターがマジで嫌いなんや。待つ時間無駄やろ。それだけで一軒家にしてよかったわ。
ほな
その温室は、あとから地図で確かめれば「バービカン・コンサバトリー」と呼ばれている場所だった。
ロンドンの真ん中で、コンクリートの箱の三階にひっそりと載せられた、ちょっと場違いな熱帯雨林。
その日の私はロンドンのシティで、あまり気の進まない打ち合わせに向かう途中でした。
Googleマップはいつものように、何ひとつ悪びれることなく、私を間違った方向へと導いていく。
細長い路地をいくつか曲がっているうちに、ガラスとコンクリートが入り乱れた無表情な建物の谷間に迷い込んでしまった。
ビル風が、誰かの忘れたメールみたいに、足もとをせわしなくすり抜けていく。
時間はあきらかに足りていないのに、靴紐だけがほどけていく、そういう午後でした。
やっとのことで辿りついたバービカン・センターの入口は、劇場やギャラリーの看板でごちゃごちゃしていて、そのどれもが私とは無関係に見えた。
でも、エスカレーターを乗り継いでいるうちに、「Conservatory →」という小さな案内板が、ふと視界の端に引っかかった。
誰かが悪ふざけで貼った冗談みたいに、そこだけ文字の温度が違っていた。
私は予定より遅れているくせに、吸い込まれるようにその矢印の方へと歩いていってしまった。
ビジネス・パーソンとしては明らかに失格ですが、旅人としてなら、まあ合格だったのかもしれません。
コンサバトリーの扉を押し開けると、空気が一段、体温ごと入れ替わったような気がした。
中は、湿り気を帯びた別種の時間で満たされていた。
熱帯雨林をそのままビルの三階に引っ越してきたような空間で、シダの長い葉が廊下にせり出し、椰子の影がコンクリートの壁にやわらかい傷をつけている。
ロンドン第二の規模というその温室は、コンサートホールの上に土を盛り、そこに無理やり根付かされた植物たちの、少し騒がしい仮住まいだった。
足を踏み入れると、まず匂いが来る。
土と水と、少しだけ古い配管の匂い。
東京の地下鉄の匂いとはまるで違うが、どちらも人間がこしらえた迷路の匂いだ。
その迷路の隙間という隙間から、モンステラやドラセナやバナナの葉が伸びてきて、コンクリートの論理に異議申し立てをしている。
彼らは声を持たないが、葉のかたちと光沢で、じゅうぶん雄弁だった。
頭上にはガラスの天井が高くかぶさっていて、その下を、ヤシとシダがビルの梁をなぞるように伸びている。
少し離れたところには、乾いた空気の一角があって、サボテンや多肉植物が、別の惑星の住人みたいな顔でこちらを眺めている。
ロンドンの曇り空から落ちてきた光は、ガラスを透過するあいだに少し丸くなり、その丸くなった光が葉の縁をなぞる。
それは、仕事のメールがフォルダを三つくぐって届くあいだに、言葉の角を落としてしまうのと、どこか似ていた。
世界は、フィルターを一枚通過するたびに、少しだけ不正確になっていく。
「切羽詰まる」という言葉を、私はいつも、、終電間際の改札といっしょに思い浮かべてしまう。
でもあの日のロンドンで切羽詰まっていたのは、終電ではなく、スケジュール表の余白だった。
会議と会議のあいだに挟まれた三十分という数字が、じわじわと縮んでいく。
その縮みゆく時間の隙間に、バービカンの温室は、するりと滑り込んできた。
まるで、誰かがエクセルのシートの裏側に、秘密のタブを隠しておいたみたいに。
温室の小径を歩いていると、ところどころに池があって、鯉や草魚が、あまりやる気のない役者のように水の中を一周してみせる。
水音は、遠くから聞こえるコピー機の音に少し似ているが、こちらには紙もインクトナーもいらない。
ただ水が石に触れ、魚が水を押すだけだ。
きっとここも、もともとは劇場の舞台装置のために計画された場所なのだろう。
舞台の上では芝居が進み、舞台の上の上では植物が茂り、そのずっと下の地下鉄では人々が愚痴をこぼしながら通勤している。
現代生活というのも、考えてみれば、そう悪くない三段構造の劇場だ。
ただ、私たちはふだん、いちばん下の階で、湿気のぬけた顔をして立っている。
そして、そこで数十分ばかり、誰か別人の人生を借りるようにして時間を過ごす。
そういうことが、一年に一度くらいなら起きてもかまわない。
資料をひもとけば、このバービカン・コンサバトリーは「ロンドン第二のガラスハウス」とか、「都市型の温室」といった定型句で説明されるのかもしれない。
一五〇〇種を超える植物、適切に保たれた気温と湿度、そういう数字を並べることもできる。
でも、あの日の私にとってそれは、名称のない、ただの「迷い込んだ温室」だった。
名前のないものは、たいてい、こちらの心の側に名前を要求してくる。
だから私は、そこを勝手に「終電間際の温室」と呼ぶことにした。
時間がここだけ、半歩ずれて流れている。
届くのは、少し冷たいガラス越しの光と、換気システムの低い唸りと、落ち葉を掃く係員のほうきの音だけだ。
その音を聞いていると、自分の中の、使いかけのまま放置された感情が、ひとつずつ棚から下ろされていく。
「ああ、私はちょっと疲れているんだな」と、ようやく理解する。
やがて私はスマートフォンを取り出し、現実の世界へ逆戻りするための検索をした。
その過程で、ここが「Barbican Conservatory」と呼ばれていることを知る。
でも、魔法というのは、弱くなったあとに記憶として定着するのだと思う。
そこを出て、再び灰色の廊下とエスカレーターを乗り継ぎ、午後の会議室にたどり着いたとき、私は十分ほど遅刻していた。
遅刻の言い訳として、「すみません、温室に迷い込んでいました」と正直に言うわけにはいかない。
そのかわりに、「エレベーターが混んでいて」とか、「出口を間違えて」とか、いくつかのありきたりな言葉を適当に組み合わせた。
それは嘘ではなかったが、真実でもなかった。
ロンドンから戻ってしばらくしても、あの温室のことが、ときどき頭に浮かぶ。
メールの返信をしながら、ふと指が止まり、脳裏にシダの葉の輪郭がちらつく。
飛行機にさえ乗ってしまえば、地下鉄を乗り継いで、エスカレーターを三本と階段を二つ上がって、あのガラスの天井の下に再び立つこともできるだろう。
でも、おそらく次に行ったときには、あの日と同じ温室は、もうそこにはない。
温室というのは、建物のことじゃない。
切羽詰まった移動の途中で、ふいに足を止めさせる、あの妙な違和感のことだ。
そこで、なまぬるい湿気と、少し冷たいガラスと、名も知らない葉のかたちが、一時的な共犯関係を結ぶ。
その共犯関係に巻き込まれた人間だけが、あとからそれを「思い出」と呼ぶ。
バービカン・コンサバトリーが、世界で二番目に大きなロンドンの温室であることは、きっとそのうち忘れてしまうだろう。
でも、「名前も知らない温室に迷い込んで、会議に遅刻したことがある」という事実は、たぶん私の中で、これからも長いあいだ、奇妙なかたちをした記憶の温室として残っていくはずだ。