fc2ブログ
2021.06.24

215系

D0112.jpg
2021/4/26 東海道本線 早川~根府川
NikonD850 AF-S70-200/2.8FL


185系と同じくして21年春改正にて定期運行を終了した215系。
1編成で1000席を有するオール2階建て車両の平成のマンモス電車でした。
215系と言えば快速アクティーが浮かびます。幼少の頃、父と東京へ出かけた時はわざわざ215系を選んで乗ったこともありました。
普通電車のボックス席が窮屈に感じる体躯に育ってしまい、215系もまた窮屈な空間の印象がありました。
湘南ライナーの一部は215系でしたが、500円払うなら30分待ってでも185系を選んでいましたね。笑
(座席の質やMT54サウンドに酔いしれたい気持ちが強く、最後まで撮るのも乗るのも185でした。)

思えば215系の写真が殆ど手元にありません(^^;
引退後ふつふつと「撮っておけばよかった………」と、ならないのが私の215系観。笑
約半年前にEH200撮影ついでに中央線で215系も撮り納めの気で構えてみましたが、なんともしっくり来ず。
撮った後の感動よりも、撮る前の意気込みが8割を占める腰の重たい人種なことを痛感しました。
好きな人には申し訳なく蔑むつもりは毛頭ないのですが、来たら撮るくらいの距離感な被写体だったと思ってます。
この日もそうで、たまたま廃車配給に備えた疎開回送が来ると地元の先輩に教えてもらって撮ったもの。
通常営業だと撮れない時間帯・走行区間なこともありとても新鮮でした。
第一編成のNL-1が長野に配給されたようで、残すところNL-2編成のみとなったようです。
この編成はNLいくつなのか分かりませんが、折角良いロケーションで撮らせてもらったのでここに記録として残したいと思います。

Posted at 21:27 | 電車 | COM(0) |
2021.06.16

江ノ電305F 藤が谷の超望遠

一つの路線、一つの形式、或いは一つの被写体を、あらゆる角度から年間を通して追いかけてみよう!
好きを貫いた先にしか見えない写真があることに気付いたのが、大体10年ちょっと前のお酒が飲めない年頃のことでした。
地元を走る江ノ島電鉄は自転車でも行ける距離にあって、そういう経験値を積む場所としては最適でした。



D0095.jpg
2019/6/16 鵠沼~柳小路
300形305F
NikonD850 AF-S200-500/5.6E


そんな汗水垂らして自転車で駆け回ったときに見つけた撮影地です。
当時の機材は135フィルムのF80DかF5だったと思います。
中古で買ったマニュアルフォーカスレンズを、家に転がっていた肩掛けバックに詰めて出かけていました。
今では自宅に自転車すらありませんが同じことはしたくないし、体力的にできないでしょうね。笑

江ノ電は一文では語りきれない程濃厚で魅力あふれる路線だと思います。
正しくは語れるほど通えてないので偉そうな口が利けないというのが本音ですが、、、
全体で言うと広々と撮れる場所は限られていて、収まりの良い場所はネットでよく見る場所になってしまいます。
閑静な住宅地を縫うように走る姿もまた魅力ですが、江ノ電の顔こと古豪の300形を渋く仕立てるにはシンプルに決めたい気持ちもあります。
ここもまた住宅地ですが、沿線の庭や林が背景となりスポットで使える撮影地となっていることに気付きました。
しかしそう簡単に撮らせてもらえません。
北寄りに太陽が上がる日の長い時期でないと順光にならない制約があり、自ずと梅雨の晴れ間を狙う形となり、同時に早起きも課せられます。
単純に晴れる方が珍しいですし、晴れたから行ってみても305が来るとも限りません。動いていなかったり後ろにくっついていたこともありました。
圧縮構図故にパンタの処理が難しいのは当たり前なのですが、建物の影はもっと厄介です。
通う内に順光の時間帯の中でも影が抜ける時間帯も考慮しなくてはならないことが分かりました。

正直江ノ電の運用はよくわかりません。
10年前に調査してみましたが6運用の内ほとんどは半日単位で差し変わるので、性格上諦めちゃいました。
今はTwitterや有志の参考サイトによって気軽に当日の撮影がしやすくなりましたね。
…なんてのは言い訳で、しっかり追ってる人はちゃんと把握できてるようです。単純に勉強不足でしたm(_ _)m
どうやら休日の朝夜は単行で運転する運用が多いらしく、狙うなら週末の方が都合が良いみたいです。
それからはこの6月の時期になると週末の朝さえ晴れれば出撃を繰り返すことにしました。
何年も通っている内に嗜好も変化していき、単純な0角度よりも少し奥で切って側面のバス窓を覗かせる構図が理想になりました。
2019年には自転車時代から使っていたMFの400単から機材を更新し、構図に自由の利く200-500mmで挑戦しました。
友人の運用調査のおかげもあり、10年目にしてようやく理想の画角、立ち位置、影の抜けたタイミングで305を決めることができたのです。
2年前の本日を思い出した1枚をどうぞ。

2021.06.12

岩宿築堤 駆け出しの一枚

F024-1.jpg
2013/9/17 両毛線 桐生~岩宿
444M 115系高崎車T1037+3両
PENTAX6x7 165mmF2.8


改めて群馬は遠い地です。
湘南新宿ライン一本で高崎まで連れて行ってくれますが、片道3時間以上かかりますので遠征と呼んでも良いくらいです。
自動車免許を取るまでは友人の車の助手席で日中は道案内をし、帰りは白目を向いて意識を失うが定番でした。(←大変失礼)
裏を返せば誰かが車を出してくれないとお前は115系を撮らないのか?そんな意志で狙いの写真は撮れるのか?はたまた撮り逃していることすら気付けないのでは?そう詰められかねません。
友人や仲間、先輩・後輩と鉄するのは実に有意義で楽しいものです。しかしシャッターを切るのは自身の指な訳で、少なくとも私は『私が撮りたいから撮る』に違いありません。
自分一人で行動したら効率と体力の面でどこまで撮れるのか、挑戦の意を含めてリュックにポジとデジのカメラを詰めて遠い群馬に向かいました。

午前のお目当てはビギナーらしく当日始発で間に合う6連運用444Mから。
地図で見ると顕著なのですが、両毛線は小山から高崎まで3つの山(ΛΛΛ)を描く様な路線です。
日の出から日の入りまで満遍なく日が当たり、山影に飲まれるような場所も少なくてすっきりとした田園風景の写真が撮れるのが魅力です。
結果として手持ちの写真の8割形は岩舟・大平下界隈になってしまいましたが、この日の午後は吾妻線と上越線に出向く行程でしたので桐生より手前で撃つことにしました。

当日は台風一過で終日安定したピーカン晴れでした。
「山に入らなければカジュアルな靴で良いっしょ(^^)」・・・着いて早々、浅はかな考えを痛感することに・・・。
現地は水抜きをされたとは言え、台風が過ぎた翌日の畦畔な訳で、安定した青空に対し不安定な足場となっていたのです。
歩く度に粘土質な土が足にまとわりついて気付けば厚底ブーツになっていました。笑
以後私は基本的に鉄をするときは汚れても良い服装かつミドルカット以上のトレシューで出かけるようになりました。
ヤブ蚊も大量発生し短パンで行ったのも失策でした。血はくれてやるからファインダー覗いてる時に耳元で喚くのやめてくれないかなー!?このっ!パンてめっ!パン
待ち時間がやたら長く感じましたが、無事6連の湘南色115系がやってきました。
ほっぺが痒いのでさっさと撤収!

続きを読む

Posted at 08:00 | 高崎車 | COM(0) |
2021.06.09

青髭 分水の夜桜

この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力


Posted at 08:00 | 新潟車 |
2021.06.05

センゴシ 鹿島貨物を北浦橋梁で

F036.jpg
2010/5/8 鹿島線 延方~鹿島神宮
77レ EF65 1054+コキ
NikonF80D AiZoom80-200/4S


6月5日にちなんでEF65の日として過去のカットを掲載します。
この頃は釜鉄でした。特に貨物が好きで始めた趣味でしたので、ティーンだった私は電車に興味はほぼ示していなかったと思います。笑
特急電車ならまだしも、鈍行の普通電車を真面目に撮る人なんてよほどの変人だった時代ですね。

10年来のお付き合いをいただいてる先輩に連れて行って貰いました。
今でこそ10年来と言えますが、当時はまだ半年も経ってなかった気がするのですが、無理言って自宅でお泊りさせてもらって実質マルヨ鉄でした。
"センゴシ"こと1054号機はPFの中で最も好きだったナンバーで、引退を近付いていることから2010年は意識して撮影していました。
新鶴見にもEF210が配属され少しずつPFにも廃車が発生した頃ですが、まだまだ主力の形式で仕業数も相当数ありました。
数ある運用の中でも関東圏で単線路線の貨物を楽しめる鹿島貨物運用はとりわけ特別でしたね。
千葉の末端と言いかけましたが、撮影している場所は霞ケ浦なので茨城県です。
スマホもない、免許もない、金もない!だけどやる気と元気だけは有り余ってる訳で、行きたいけど難易度の高い憧れの線区でもありました。
特にこの77レは7時過ぎには鹿島サッカースタジアム駅に着いている運用でしたので、気軽に立ち寄れる場所でなかったのは明白です。
センゴシの写真の中でも外せない思い入れの強い一枚なのです。続きを読む

Posted at 10:54 | EF65 | COM(0) |
2021.06.02

Thankyou GUMMA 115 ep.15 終幕

D0074.jpg
2018/3/21 新前橋駅
回9749M 115系高崎車T1032編成
NikonDf AF-S50/1.4G


高崎駅まで最後の乗客を無事送り届けた115系は、寝床である高崎車両センターに戻ります。
引き上げ線に入り、そのまま一旦停止をしたか怪しい速度でずるずると進んでいきます。
最後の最後に撮りたかった新前橋駅にしかなかった2種類の惜別ポスターと絡めることにしました。
ピン甘&微ブレという『イベント時に駅先でとりあえず参加してみた』程度の意志の弱い一枚になってしまいましたが、現像でそれらしく気取ってみます。。。

実はこの写真の中に115系が6編成写っています。探せますでしょうか。
このポスターは10日くらい前から掲示されていましたが、引き上げ線に入る運用が存在しなかったためラストランでしかチャンスがありませんでした。
信越線コースの出区の方がじっくり撮影できたらしいですが、読みが甘かったです。
何度もしつこく書いて申し訳ないのですが、最終日は本当に実力の半分も発揮できず読みも外れてダメダメでした。
現像で遊べるデジタルに助けられました。ポジとデジでハイブリッドに撮影していたのは理に適っていたと思います。
回送幕の方がそれらしい一枚になった気がしますが、おそらく一日限りの復活種別幕故、切り抜いたものを貼り付けたのでしょうね。

この後ももちろん駅を出て跨線橋に行き、裏にまわって乗客の目が届かないところまで見学に行きました。
残念ながら障害物が多く露出も厳しいため写真に残すのは難しいと判断し、長居はせず一礼をして現地を立ち去りました。
同行した友人らは電車で帰るそうなので新前橋で解散し、私は単独で家に戻ることに。
当日の気疲れや今まで溜めていたであろう疲れがどっと溢れ、途中のSAなどで3,4回ピットインを繰り返し仮眠をとりました。
なんと家に戻ったのは24時を大幅に超えてそろそろ辺りが明るくなるような時間帯でした。
「ああ、終わってしまったんだな」・・・そう考えるだけでハンドルを握る力が入らず、アクセルを踏み込む力もありませんでした。
自分でも笑ってしまうくらい、体の自由が効いてませんでした。
明日からの自分はカメラを握っているのか、当時は何も考えられませんでしたね。
それだけ熱中していて燃焼しきった証でもあるのですが、それは3年経った今だから客観的に言えるものでしかありません。



惜別シリーズ『Thankyou GUMMA 115』の公開は以上となります。
たった数日分の写真に3ヶ月も掛かってしまいましたが、末期の姿を画と文で伝えられ、何より振り返ることができて満足です。
次の章は廃車回送のまとめに移ります。

続きを読む

Posted at 08:00 | 高崎車 | COM(0) |