EF65 1001 FINAL RUN
2007/12/24 東海道本線(貨物線) 横浜羽沢~相模貨物
3075レ EF65 1001+コキ
NikonF50 SIGMA70-300/4-5.6
大凡16年前、新鶴見機関区の主力機関車EF65形1000番台のトップナンバーである1001号機が引退を直前にして"FINAL RUN"と称したHMを掲出しておりました。
約3週間かつ1end側のみでしたが、一度だけ撮影できたのがこちらの写真になります。
当時は東海道線を走る貨物運用がそこそこ残っており、3363-3362レ、3461-3460レ、そして3075-3074レと、述べた全ての列車をHM掲出期間に一巡していたのが印象深いです。
とは言え新鶴見から始まる運用が多く、素人には予測が難しい訳です。稲沢エリアなら目撃の後に行けば撮れるのでしょうが、当時は運転免許も持っていない子供だったので地元で見送るのが手一杯でした。
特徴機が多く居たこの時代は、なぜかクリスマスにネタ釜が東海道を走るという傾向があり、今年のクリスマスプレゼントはきっと…と、K52氏と地元駅で昼くらいに合流して冷たい風を浴びながら自転車を漕いだ記憶があります。
今までの傾向から「きっとPF1001は来てくれるだろう!」という当てずっぽうであり、実際に踏切に辿り着くまでは半信半疑でした。
確信に変わったのはその混雑度。クリスマスの件は地元民の都市伝説なので笑、まさかこんなに貨物を狙う人が居るとは思いませんでした。
既にキャパオーバーなほど大盛況で、周りに聞くまでもなく皆様の狙いは同じと言うことでした。
有難いことに当時の知り合い氏に場所を分けていただき、苦しい体制ながらも晴天順光下で列車の被りもなくPF1001の終末を見届けられました。
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EH200 1 検査明け
2019/1/20 高島線
86レ EH200 1+タキ
NikonDf AF-S85/1.8G
DE11 2003追悼記事で触れた大宮入場回送にて、EH200形1号機も同時に入場となりました。
廃車はないでしょうが笑、19年1月に出場したのにもう・・・?という気持ちで困惑してます。
再び綺麗な姿を拝めるのでしたら今の機材でしっかり焼き付けたいところです。
(上記の写真と前後の写真が失敗したので救済されたい)
DE11 2003
新鶴見機関区に暫く活動をしていない残りの3機もいずれは大宮に送られ番台消滅となることでしょう。
2022/2/24 相模貨物駅
DE11 2003+HD300/EF6627
NikonZ9 AF-S500/4G
私が鉄を始めた頃は茅ヶ崎常駐交換(死語)なんてものが夕方にあって、松尾踏切あたりでDE11同士が離合していたような淡い記憶があります。
2452レ(死語)や逗子甲種(死語)などもありましたが、そこから間もなくして更新化工事で延命されました。
同じく延命していくDE10と同様に更新色化は免れず、防音機構のカバーが重厚さを感じて好きだったため色合いがプラスチックのような質感になってしまってからは好んで撮ることはありませんでした。
新鶴見の(ハイブリッド)ディーゼル車にHD300やDD200が投入され、旧式のDE10/DE11の数を減らしていく中でしぶとく残っていたDE11 2000。
本当の末期になってから185系と同じように、当たり前すぎたけど・・・消えるのは寂しいなと思える車両の一つになっていました。
幼少期の頃を思い返すと、自転車を与えられ行動範囲が増え、見たことのないゴツいDE10(DE11)が近所でウロついているのを知ったのは衝撃でした。
あの頃は父の影響で写真より模型で、当然こんなニッチでマニアックな釜を製品化する模型メーカーもおらず、じゃあ自分で制作してみたいと思って観察することもありました。
実際は思うだけで金銭的な現実やら面倒くさがり屋な妄想野郎でしたので、脚力と根性でどうにかなっていた写真の方が向いていたというオチです。笑
2003号機だけちょっと帯が太くて特徴機扱いをされていましたね。
意図して撮ったことはありませんでしたが、相模貨物によくいたので同じく引退が間もなくであったEF66 27と絡めて。
やわたのはちまん俯瞰
重さはなんと約1400g!カメラバッグからさっと取り出して手持ちで撮影なんてのもメーカーの想定にありそうです。
位相フレネルレンズ採用故の軽さですので、様々な(特に悪い意味の)環境で撮影する鉄道にはあまり向いてないかもしれませんね。
そう言えば私も600単を使用していた時期がありました。
その名もAi Nikkor ED 600mm F5.6。AFもないVRもない、三脚使用大前提の細身のバズーカです。
重さは約2800gでしたので、PF600単の倍ということになります。技術の進歩は驚異的だと思いますが、それよりも入手した価格の10倍くらいする方が驚異的・・・。笑
2017/11/3 信越本線 安中~群馬八幡
126M 115系高崎車6両
NikonDf Ai*ED600/5.6
群馬八幡駅は高崎市八幡町にあり、来年で100周年を迎えるそうです。
人の出入りが多い駅でもなく高崎駅から近い割には地味な印象ですが、高崎だるまで知られる少林山達磨寺があり、上野國一社八幡宮も特徴の一つに挙げられます。
上野國一社八幡宮は通称『やわたのはちまんぐう』と呼ばれるそうで、なんだか頭痛が痛くなってくるような言い回しですね。
高崎だるまと115系のカットも挑戦しましたが、地域の特徴を活かした写真も欲しくなります。
八幡宮の参道は南側の旧中山道まで続き、18号バイパスからは大きな鳥居がよく目に入ります。
しかしながら道路からの撮影では鳥居と電車を絡めるには距離が離れすぎています。本殿も入れて圧縮できないものか。上から圧縮できないものか。
600単がなければこの発想には至りませんでしたし、画として納めることは難しかったのは間違いありません。
辿り着いた山道からは遠くからでも異彩を放つ鳥居がピンポイントで望めます。画角右下には八幡宮の看板も写り込み、あとはここに朝の6連の連結面を通せば完成です。
季節感はあまり感じられないと思います。晴れ写真を優先した結果です。
境内には桜がありますが、満開の時期は車体側面に光が回りません。また、冬場は建物の影が伸びてコントラストが強くなりすぎてしまいます。
故に稲架掛けが終わり紅葉が始まる前の、終わりの見えない多量の年間撮影リストの"合間"もしくは"補完"として訪れました。
ですが!実は撮影日の11月3日は八幡宮の秋祭りでして、八幡=たくさんの旗ということで普段は掲げられていない祭事の旗が横並びしているのがちょっとした特別感です。
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横川駅 YOGISHA
明日は休みにしようとしたのですが、目当ての列車が走りそうになかったので急遽代休取り消し・・・。
近い将来の撮影のチャンスを少しでも広げるため、勤しむとします。
2017/12/23 信越本線 横川駅
160M 115系高崎車T1041+T1040編成(後撃ち)
NikonDf TAMRON15-30/2.8
高崎地区に115系が居た時の思い出が少しずつ瓦解しているようです。
一つ目は高崎駅にある駅そばが10月8日に閉店となりました。
駅構内や構外にはうどん・そば店があるようですが、やはり駅そばと言えばプラットホーム上にあるジャパニーズソウルファーストフードでしょう。
ちなみに1番線及び2番線に115系が入る運用は限られており、記憶が正しければ私は絡めて撮影していなかったと思います(^^;
しかし電車移動の際、特に湘南新宿ラインで高崎に到着し、上越線や吾妻線への乗り換えの合間に利用したことがあったので寂しいですね。
フタt…二つ目は横川駅中線の用途廃止。19年には運用上で夜間留置車両がいなくなり、枕木で塞がれております。
架線は残されているので、合理的排除と言ったところ。
上記の写真の頃は107系が毎日留置されておりましたが、現在はレールは錆び、枯草に覆われているようです。
そして三つ目は月夜野クラフトビールの販売終了。月夜のびーどろパークの廃業による影響だそうです。
別日ではありますが同じく160Mを見送ったあと、YOGISHAに乗って高崎まで乗り鉄をしました。
同行した地元の知り合いの粋な計らいでSLデザインのクラフトビールの差し入れ。私は横川駅で釜飯を差し入れ。訂正します、飲み鉄でしたね。笑
見送った160Mの折り返しが安中あたりですれ違うのでそれも計算に入れていたのですが、水分不足で酔っぱらってしまって『自身がガラスに反射した』『115系か判別不能な』『ブレブレ写真』を撮ったのでした。
・・・半永久的と思われたものも、景気や方針で簡単に変わるものですね。
記録写真を全面押しとしてはいませんが、記憶を画に納めるのが写真とも言えますので、懐かしめる時点で全ての写真は記録をベースとしたものなのでしょう。
もちろん115系はもう居ませんから。
こちらの写真はシラフです。意図してブラしています。
ヨコカル廃止から20年が経った節目でした。この日限りではありますが、夜が賑やかな横川駅と言うのは気持ちが昂りました。
不定期回送-17
2022/5/20 彫刻の森~強羅
モハ2形108
NikonZ9 AF-S300/2.8VRⅡ
"登山鉄道"ですから当然山を登る路線で、俯瞰撮影地も沢山あるように感じるかもしれませんが、乗ってみると分かるのですが空が思いの外狭いです。
殆どが駅から歩くのは至難の場所ばかりで、電車移動の方々にはあまり縁がないのが箱根登山鉄道の俯瞰写真という認識です。
ここも車で上がれるところまで上がり、山奥のピンポイントの隙間から…と言うほどは大変ではないのですが笑、検討違いの場所で迷っていた私にはリーダーS氏にご紹介いただかないと辿り着けない場所でした。
これから1,2,3連とそれぞれやりたい場所やるべき場所がある訳で、この冬から再開発※をしなければなあという所存。
『108の日』よりモハ2形108号の単コロでした。
モハ1形・モハ2形 三車之轍
2019/5/11 出山(信)~大平台
モハ1形103-107+モハ2形108
NikonD850 TAMRON70-210/4
『登山の日』の103。この番号はやっぱり特別だったと感じています。
開業100周年を見届けて勇退したサンナナことモハ1形103-107号。
彼が消えてからしばらくの間、朱色が3両連なることはありませんでした。
この5年くらいは手持ちの機材や撮り方がガラっと変わったように思えます。
世の中は常に流動的で、同じチャンスなんてやってこないのが当たり前。有為転変。揺れる船すら楽しむ人生が良いに決まっています。
さて、箱根登山の顔が、姿が、間もなく蘇ります。
私は今の機材や立場でどこまで遊び尽くせることでしょうか。