2024年
2024年も残り数時間、いや数十分で終わろうとしている中
皆様いかがお過ごしでしょうか?
2024年は~~
なんて書こうものなら、お前2023年も何も書いていないじゃないかとお叱りを頂戴しそうですが
我がブログは左程閲覧者も居ないので気にせず2024年の事を。。。
本年は出撃回数がそこそこ多かったもののほとんどが上越線
しかも上越線で何撮ってるの?
てSLでもなければECでもなく
EH200の夜戦がほとんど。そしてムービーです。
なかなか土日の日中、並びに平日の日中に撮影に出向けず、夜な夜なEH200の撮影に励んでいる次第。
陽の長い季節に、明るい時間帯に撮影できる2071レ、6082レ、6083レを如何にいつもと同じ区間で、いつもと違う構図
で撮影するかが撮影時のチャレンジ目標。
そんな楽しみで過ごしている中、185系のリレー色復活以降ほとんど北関東へ来ることのなかったC1編成が
北関東へ足を延ばし始めてきたことに、どこかのタイミングで撮影したいとの思い。
200番台ではないもののとても懐かしいカラーで、小学生の頃によく見ていたのを思い出します。
当時カメラなんて持っていなかったのでこの目で焼き付けていた、リレー色からEXP185カラーへの変遷の頃
14連の185系が混結だったりリレー色のみだったり。幼心にしっかりと焼き付けられていました。
吾妻線の入線は撮影に出向けず悔しい思い。
その後すぐに両毛線へ入線するとのことからすぐに撮影計画を!
とはいえ、ムービーやりたい、スチルやりたいと両刀となると悩む悩む
あそこかな?あっちかな?
と日の出時間を加味しながらのポイント選び
結局、スチルは1か所、ムービーは2カ所という選択に。
長年育った新前橋界隈で陽のある時間に撮影したかったものの
それが叶わぬのは心残りではあるが、新前橋の車庫をゆっくりゆっくり出てくるリレー色185系は懐かしさそのものでした
2024.10.27 Nikon D5 Nikon AF-S NIKKOR70-200mm F2.8G ED VR II ISO1000 1/1600sec F4.5
↓動画はこちらから
4K動画 【185系C1編成】 ふるさとへ おかえり! リレー号色!新前橋出庫~
それでは次のブログはいつになるか・・・・
は私の気分次第ではありますが、皆さんよいお年をお迎えくださいませ。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
2024年は~~
なんて書こうものなら、お前2023年も何も書いていないじゃないかとお叱りを頂戴しそうですが
我がブログは左程閲覧者も居ないので気にせず2024年の事を。。。
本年は出撃回数がそこそこ多かったもののほとんどが上越線
しかも上越線で何撮ってるの?
てSLでもなければECでもなく
EH200の夜戦がほとんど。そしてムービーです。
なかなか土日の日中、並びに平日の日中に撮影に出向けず、夜な夜なEH200の撮影に励んでいる次第。
陽の長い季節に、明るい時間帯に撮影できる2071レ、6082レ、6083レを如何にいつもと同じ区間で、いつもと違う構図
で撮影するかが撮影時のチャレンジ目標。
そんな楽しみで過ごしている中、185系のリレー色復活以降ほとんど北関東へ来ることのなかったC1編成が
北関東へ足を延ばし始めてきたことに、どこかのタイミングで撮影したいとの思い。
200番台ではないもののとても懐かしいカラーで、小学生の頃によく見ていたのを思い出します。
当時カメラなんて持っていなかったのでこの目で焼き付けていた、リレー色からEXP185カラーへの変遷の頃
14連の185系が混結だったりリレー色のみだったり。幼心にしっかりと焼き付けられていました。
吾妻線の入線は撮影に出向けず悔しい思い。
その後すぐに両毛線へ入線するとのことからすぐに撮影計画を!
とはいえ、ムービーやりたい、スチルやりたいと両刀となると悩む悩む
あそこかな?あっちかな?
と日の出時間を加味しながらのポイント選び
結局、スチルは1か所、ムービーは2カ所という選択に。
長年育った新前橋界隈で陽のある時間に撮影したかったものの
それが叶わぬのは心残りではあるが、新前橋の車庫をゆっくりゆっくり出てくるリレー色185系は懐かしさそのものでした
2024.10.27 Nikon D5 Nikon AF-S NIKKOR70-200mm F2.8G ED VR II ISO1000 1/1600sec F4.5
↓動画はこちらから
4K動画 【185系C1編成】 ふるさとへ おかえり! リレー号色!新前橋出庫~
それでは次のブログはいつになるか・・・・
は私の気分次第ではありますが、皆さんよいお年をお迎えくださいませ。
あけぼの回顧録【Vol.6】
2009年の撮影回数
年間通してもたったの12回
今では考えられない
今でも出撃回数は低減してるがこのころの出撃数と言ったら・・・
どうして少なかったのか?
当時の交友関係?
なんだろう・・・
晩年まで残っていた"ゆとり"や"浪漫"など追っかけたくなる被写体が減り
EF65Pもいなくなり
何を撮ればいいのか?という模索期間の中で
車にドはまりしていたことも出撃回数の少なさに拍車を掛けていたのだと思う
思い返せば
大馬鹿野郎である
日常を切り取る
いや、毎日走っている被写体の大切さに気が付いていなかったのが
とても情けないと、HDDの中の写真を漁っている度に振り替える年の
フォルダであった
この年に何があったか?
自分の数少ない出撃回数のフォルダだけ見ても衝撃的だ
EF81青森釜と田端釜が交互に運用していた"寝台特急あけぼの"の翌年
高崎に配置されていたEF6437とEF6438が長岡へ転属
なんと"寝台特急あけぼの"の定期仕業に就くという大事件の年
"寝台特急北陸"が廃止になりその後上記2機も高崎へ再転属の
流れになりたった1年だけの限定運用となっていた
何度もいうが数少ない12回の出撃数の中で
EF6437のあけぼの撮影は1回
EF6438のあけぼの撮影は2回
とどうしようもない結果となった
で、そのEF6438
当時高崎のEF64-0の残党として残っていた4両のゼロのうちの1機
EF6437がぶどう色に塗り替えられているのに対し原色を留める釜
そんなのが花形仕業に就いていた
その38号機が2022レ運用に就くその日
ちょっと前に見た第二利根川橋梁を走る"あけぼの"を俺も撮りたい!
との思い一心で夜勤明けに出撃したのを覚えている
デジタル一眼レフの発展期に入っていた当時、暗所性能なんて
今ほどではなく、SSもギリギリてか被写体ブレは起こしている
そんな写真になってしまったがこの地でこの釜でこの列車を
撮れたことだけは、いや撮りに行った自分だけは褒めてあげたいと思う
撮影時刻はAM4:38 夏至直前で陽は伸びていたとは言え
段丘の谷間に位置する当地で陽が当たるはずもなく
微かに朝陽の色にそまる青い車体がブルトレの存在感を
際立たせる素晴らしいシチュエーションとなった。
2009.6.19 EOS40D SIGMA 70-200mm f2.8 EX HSM ISO1600 1/800 f2.8 上越線
年間通してもたったの12回
今では考えられない
今でも出撃回数は低減してるがこのころの出撃数と言ったら・・・
どうして少なかったのか?
当時の交友関係?
なんだろう・・・
晩年まで残っていた"ゆとり"や"浪漫"など追っかけたくなる被写体が減り
EF65Pもいなくなり
何を撮ればいいのか?という模索期間の中で
車にドはまりしていたことも出撃回数の少なさに拍車を掛けていたのだと思う
思い返せば
大馬鹿野郎である
日常を切り取る
いや、毎日走っている被写体の大切さに気が付いていなかったのが
とても情けないと、HDDの中の写真を漁っている度に振り替える年の
フォルダであった
この年に何があったか?
自分の数少ない出撃回数のフォルダだけ見ても衝撃的だ
EF81青森釜と田端釜が交互に運用していた"寝台特急あけぼの"の翌年
高崎に配置されていたEF6437とEF6438が長岡へ転属
なんと"寝台特急あけぼの"の定期仕業に就くという大事件の年
"寝台特急北陸"が廃止になりその後上記2機も高崎へ再転属の
流れになりたった1年だけの限定運用となっていた
何度もいうが数少ない12回の出撃数の中で
EF6437のあけぼの撮影は1回
EF6438のあけぼの撮影は2回
とどうしようもない結果となった
で、そのEF6438
当時高崎のEF64-0の残党として残っていた4両のゼロのうちの1機
EF6437がぶどう色に塗り替えられているのに対し原色を留める釜
そんなのが花形仕業に就いていた
その38号機が2022レ運用に就くその日
ちょっと前に見た第二利根川橋梁を走る"あけぼの"を俺も撮りたい!
との思い一心で夜勤明けに出撃したのを覚えている
デジタル一眼レフの発展期に入っていた当時、暗所性能なんて
今ほどではなく、SSもギリギリてか被写体ブレは起こしている
そんな写真になってしまったがこの地でこの釜でこの列車を
撮れたことだけは、いや撮りに行った自分だけは褒めてあげたいと思う
撮影時刻はAM4:38 夏至直前で陽は伸びていたとは言え
段丘の谷間に位置する当地で陽が当たるはずもなく
微かに朝陽の色にそまる青い車体がブルトレの存在感を
際立たせる素晴らしいシチュエーションとなった。
2009.6.19 EOS40D SIGMA 70-200mm f2.8 EX HSM ISO1600 1/800 f2.8 上越線
115系2連その2
2連の115系
最初の頃はとても撮りづらいとしか感じておらず
特に狙って撮るようなことはしていなかった
それも、群馬県内を走っていた107系の2連が、これまた撮り辛い被写体だったっから
尚更・・・
いや、撮りやすい、撮り辛いではなく
私のイメージが湧かなかっただけなんだと思う。
実際に撮っていくと
あんなのも!?
こんなのも!?
と写欲が湧く湧くww
きっと路線そのもののロケーションもあるんだとは思うけど
しなの鉄道の、ましてや軽井沢ー小諸間よりも
群馬県内の各所の方がよっぽど撮りやすいシチュエーションだったはずだけど(汗
きっと撮らないと行けないんだという思いに
撮りたい構図が増えてきたんだと
そう思うことにする
さて、そんな2連で"これは最高だった!″といったポイントがこちら
架線柱の中にピッタリ納まる2連
アオル構えで空を見上げる
雲一つない小春日和の信州路に
赤と灰色の風景に溶け込みづらい"しなの鉄道″カラー
これを撮った後には、もちのろんだが、、、湘南色やスカ色が撮りたかったわけで有る
このポイントのこの光線が
この季節限定に近く
行ける日に、行ける時間に撮りたい色が走らない・・・・
1年待ってようやく訪れた大チャンス!!
現地に来てみたら足回り草ボーでどうにもならず
彼らは引退していきました。
撮りたい構図で撮りたいものが撮れず
今のところしなの鉄道での後悔は"これ"である
あーやだやだ。。。
2020.2.1 Nikon D5 NikonAF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED ISO200 1/1600sec F5.6 しなの鉄道
最初の頃はとても撮りづらいとしか感じておらず
特に狙って撮るようなことはしていなかった
それも、群馬県内を走っていた107系の2連が、これまた撮り辛い被写体だったっから
尚更・・・
いや、撮りやすい、撮り辛いではなく
私のイメージが湧かなかっただけなんだと思う。
実際に撮っていくと
あんなのも!?
こんなのも!?
と写欲が湧く湧くww
きっと路線そのもののロケーションもあるんだとは思うけど
しなの鉄道の、ましてや軽井沢ー小諸間よりも
群馬県内の各所の方がよっぽど撮りやすいシチュエーションだったはずだけど(汗
きっと撮らないと行けないんだという思いに
撮りたい構図が増えてきたんだと
そう思うことにする
さて、そんな2連で"これは最高だった!″といったポイントがこちら
架線柱の中にピッタリ納まる2連
アオル構えで空を見上げる
雲一つない小春日和の信州路に
赤と灰色の風景に溶け込みづらい"しなの鉄道″カラー
これを撮った後には、もちのろんだが、、、湘南色やスカ色が撮りたかったわけで有る
このポイントのこの光線が
この季節限定に近く
行ける日に、行ける時間に撮りたい色が走らない・・・・
1年待ってようやく訪れた大チャンス!!
現地に来てみたら足回り草ボーでどうにもならず
彼らは引退していきました。
撮りたい構図で撮りたいものが撮れず
今のところしなの鉄道での後悔は"これ"である
あーやだやだ。。。
2020.2.1 Nikon D5 NikonAF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED ISO200 1/1600sec F5.6 しなの鉄道
風前の灯
2018.8.1 Nikon D4 Nikon AF-S NIKKOR70-200mm F2.8G ED VR II ISO100 1/10sec F8 しなの鉄道線
クモハ×クモハで組成された115系
東日本地域ではしなの鉄道が最後の活躍の場となり
北陸新幹線の延伸とともにJR東日本から追加の転属もあり
末期は合計7編成配属していた。
甲信越地区で多く活躍していたクモハ×2の115系
加速が馬鹿みたいに早いイメージ
そして煩いイメージ
そんな煩い115系、SR1系の増備に伴い活躍の場を大幅に
失い現在は2編成のみ・・・
花形の運用?として夕方の戸倉発で5連を組まれ
最後の活躍をしています。
SR1系も増備がされ続ければいつ営業から退くかわからない
2連の115系、現存しているS21,24編成共にしなの鉄道オリジナルカラーでは
あるが時間を見つけては撮影+乗車していきたい。
幼少期の思い出
駅の階段を降りプラットフォームが見えた時
そこに着雪したまま居座る車両がいた
「雪も降っていないのに、どこから雪を持ってきているんだろう?」
幼少期感じていたのはそんな程度の感じ方
しかし、周りにいる車両がみんなオレンジだの緑だの
みーんな同じ色している中で
青い線だったり赤い線だったり白い車体に細い線が走る奇抜な車両は
107系やモントレー色の165のそれとは違う斬新さが幼心に強く思い出として残っていた。
駅構内に落ちている雪はみんなこいつが持ってきているのか?ととんだ勘違いまでする始末・・・
カメラも何も持つことはなく、両親に連れられて駅に来た際にタマタマ見かけるそんな車両だった。
写真を撮るようになって各種鉄道雑誌の中で見る昔懐かしの思い出の色は自分の手で撮影
することはできなんだろうな。なんて思いつつ。
キハ40系列でこの色に出くわした際にはたった数回見たことしかない色にも関わらず
懐かしさを覚え撮影していた。
そんな中新潟の115系がすべて長野車に置き換わったのちに復活したのが長々と前述している色
“一次新潟色”だった。
結局そんな思い出の車両であってもなかなか撮影には出向けず大宮出場の最後の機会に
撮影することができたので地元と新潟県内で撮影し私の中で一次新潟色とお別れしたのであった。
2021.6.8 SONY α7Ⅱ SONY Planar T* 85mm F1.4 ZA ISO3200 1/1250sec F4 上越線
そこに着雪したまま居座る車両がいた
「雪も降っていないのに、どこから雪を持ってきているんだろう?」
幼少期感じていたのはそんな程度の感じ方
しかし、周りにいる車両がみんなオレンジだの緑だの
みーんな同じ色している中で
青い線だったり赤い線だったり白い車体に細い線が走る奇抜な車両は
107系やモントレー色の165のそれとは違う斬新さが幼心に強く思い出として残っていた。
駅構内に落ちている雪はみんなこいつが持ってきているのか?ととんだ勘違いまでする始末・・・
カメラも何も持つことはなく、両親に連れられて駅に来た際にタマタマ見かけるそんな車両だった。
写真を撮るようになって各種鉄道雑誌の中で見る昔懐かしの思い出の色は自分の手で撮影
することはできなんだろうな。なんて思いつつ。
キハ40系列でこの色に出くわした際にはたった数回見たことしかない色にも関わらず
懐かしさを覚え撮影していた。
そんな中新潟の115系がすべて長野車に置き換わったのちに復活したのが長々と前述している色
“一次新潟色”だった。
結局そんな思い出の車両であってもなかなか撮影には出向けず大宮出場の最後の機会に
撮影することができたので地元と新潟県内で撮影し私の中で一次新潟色とお別れしたのであった。
2021.6.8 SONY α7Ⅱ SONY Planar T* 85mm F1.4 ZA ISO3200 1/1250sec F4 上越線