はてなキーワード: 明日とは
友達が9月ごろ農業アルバイトにいったんだけど、不合理だから(あそこだけ?)もうやらないって。
・クソ暑い(35度くらい)のに○○の苗を植え付けさせられてこれ絶対明日には枯れる、てか枯れたから二度目の植え付けだっていってた、金もらっても無駄な仕事って心が疲れる
・休憩室は用意されてたけどクーラーがなくて外と大差なかった、塩分と水分も持参できないのに用意がなかった
・なぜか一人だけおやつもらったけど(初心者ゆえ?)、そんなことよりクーラーつけろ
っていってた
今は都会で就職しなおすべく免許とりにいってるし、そのあいまに宅配業者の朝仕訳バイトとか入れて(これはこれで寒くて足腰に来るとか)がんばってる
こういうのもネガキャンっていうのかもしれないけど、自分でいろいろ探してる子で自分も手伝ってるんだけど、管理がいいところは管理がよすぎるゆえの苦しみもあるようで難しそう
仕事が朝から夕方まで立て込んでて、寿司買って帰りしなに子どもの発熱の連絡が来て、明日は自宅保育なもんだからさっきまで前倒しで明日の仕事をしてた。
気づけばもう40歳。ここ1ヶ月は目の回る忙しさで全然誕生日を噛み締める余裕もなかった。今ようやく、子どもたちが先に食べたケーキを一人つまんでる。
生活保護を受けている重度のうつ病(長時間の外出が出来ない等)の28歳女です。
一応フルリモートなら働ける気がしたからずっと就活を続けてきたんだけどもう生活保護受けて7年。
最近ぽっきり心が折れた。
うつ病と糖尿病と子宮腺筋症で毎月の医療費を算出すると2.5万。
下手に手取りが20万以下のワープアで働くぐらいなら働かないほうが得かもしれないと気づいた。
障害等級が現在3級で生活保護で控除をもらえないから医者に相談して2級相当に悪くなっているから診断書を書いてくれと言おうと思う。
もう私は働きたくないし働ける場所もないらしい。
今年はどんな年だったかと振り返ると、とにかく蕎麦を多く食べた年だった。
健康診断の数値対策で昼ごはんを蕎麦に変えて、最初は義務感だったけど、今は蕎麦を食べないと落ち着かない。
私の母は私が小学生の時に在日韓国人と結婚した。父の母にあたる女性の韓国の戸籍があやふやだとかでずっと帰化がかなわずにいるので、父は通称名として母が名乗っていた苗字を使っている。実のところその苗字は母が離婚時に子供を思ってそのまま残しておいた前の夫のものだから、この夫婦はどちらも生まれつきの苗字を名乗っていないことになる。
帰化に関する相談は何度か両親から受けたが、それにあたって子供である我々の苗字まで韓国名に変更される可能性があるなんて話は一度たりとて聞いたことがなかったので非常に驚いている。
両親は知っていたのだろうか。知っていても再婚時の事情を鑑みれば、あるいは父が職場から自分が在日と知られることを非常に恐れていたことから考えて、本名として韓国名を選ぶ意思は全くないから言うまでもないと思ったのかもしれない。
私の苗字は出生時から山田(仮)であった。佐藤(仮)であった母は最初の夫と結婚して山田(仮)となり、山田花子(仮)として私は生まれた。
母には夫であった山田(仮)との離婚に際して私を佐藤花子(仮)とする選択肢があったと思うが、彼女は子供の事情を鑑みてそうしなかった。非常に感謝している。
今元増田のブコメにいくつかついているように「お前は両親が結婚した時点で半分山田で半分佐藤なんだから佐藤になるのは当然だろ」などと言われたところで納得できなかったと思う。私は生まれた時から山田(仮)だ。佐藤(仮)だったのは母親であって私ではない。母親の血を半分引いているのは事実でも、母親の苗字まで半分引くことを了承したわけではない。
現在の父が子供の事情や気持ちなど考える気のない強権的な人格で、韓国人としてのアイデンティティを大事にしており、にも関わらずなぜか帰化を選んで家族全員に韓国名を名乗らせるような男であった場合、自分も元増田の娘さんと同じ目に遭わされていたかもしれないと考えると、その世界線の自分が非行に走らず精神も病まずに生きていられた自信は全くないし、その世界線の自分は生涯親を許さなかったと思う。
とりあえず増田とその娘さんに対して「娘さんは半分朴なんだから当たり前だ」「朴と結婚した時点でそれを望んだんだろ」などと人に言うような頓珍漢な人間は明日にでも親が離婚して、強制的に母方の苗字を名乗る羽目になったらいいと思う。半分母方姓の人間なんだからそこに生まれた自己責任ですよね。
この時期の大掃除の時期には大活躍みんな大好き温かいお湯を求めてバケツに汲んでいくんだけど、
みんなどんどんじゃぶじゃぶ使っていくから
お湯の赤いところをひねっても蛇口お湯が出ない時があるお湯枯渇問題あるのよね。
まあそれはそれで、
この時期静的なシーズンの事柄のイベントなので仕方ないんだけど。
でもよ!
ポット!
お湯を沸かしてお茶を飲むポットあるじゃない。
電気ポットの!
みんな大事に使ってくれて美味しいお湯を沸かせるって大評判なのよ!
てへ!
でそれはそれでみんなにお湯を飲むお湯を提供するのはいいんだけど、
そうよ、
冬なので温かい飲み物を求めてこちらも給湯器ばりにお湯を使いがち。
電気ポットの湯量は、
私がケチって
自分の家庭用で使う分は1人なのに3リットルのものを求めてしまっていて。
でも私がその2リットルは少ない!って教訓を活かしてこそ買った自分の家の3リットルの電気ポットは大活躍!
大容量のその迫力のある湯量で鶏ハム、
茹で鶏的な鶏ハムね!
それも一時期凝っていて大量生産して食べていたルービーのお供に最適ピッタリマッチングの鶏ハムおつまみは好評いま飽きて全然作ってやってないけれど、
その2リットルは少なすぎる湯量に反省を活かして買った3リットルは大正解!
いや大容量!だったの。
一斉に群がってみながお湯を求めたら一気にみんな飲んじゃうようで
それぞれなにのお茶とかヒーコーとか飲んでるか分かんないけど、
あっと言う間に無くなっちゃうのよね。
お湯が!
だから私がホッツ一息、
いや違った!
ほっと一息ホッツを飲もう!ってなると!
お湯が空っぽなの。
お湯がないの!
もー私がまたお湯を入れる準備のために水を入れなくちゃイケないジョーカーを引いてしまった電気ポットのなんかカードゲームに見立てて何かそんな損カードを引いてしまうような気がしてならないけれど、
まあ逆に考えたら
お水をいれて気分も入れ替える給湯室のホッツ一息のホッツ!
だからお湯がないつーの!って
そんな一呼吸入れようと思ってないお湯に
今見やすいように
その目盛りの中に赤いボールが入っていて
今のただいまの湯量が一目瞭然感満載で沸いているそのお湯の湯量が分かっちゃうわけじゃない!
目盛りの湯量が分からなくとも、
目盛りが太くなって分かりやすく何℃かって分かりやすくなる太さになるじゃない。
今の湯量が
赤いラインで太く記されているので一目瞭然の赤!
もうあんまりこんなことに熱を上げていると私の体温が上がってしまうわ!
目盛り誰も見てないのかしら?
誰も水をポットに補給してくんないのなんでだろう?って思うの。
毎回毎回私はそのカードゲームに見立てて言うところの損するカードを引いたような気分で
給湯ボタンを押すと、
こぽこぽこぽってお湯が空振りする音が空しく給湯室に響くの!
くー!
私はめくったカードをひっくり返したらその絵柄は
蛇口からお水が出ている様を電気ポットに補給しているイラストで、
まさにこのカード出た!って
もうタロット占いの人にこのカードの意味は?って尋ねてきいたときに
「そのカードは電気のポットの中の水が無くなったので水を補給するカードね」って言うじゃない。
そのまんまだわ。
私が聞きたかったのは、
そういう見たままのありのままのレリゴー的な話を聞きたいんじゃなくって、
私はその電気ポットにお水補給してねのカードが何枚集まってるのかしら?ってぐらい毎回毎回私このカード引いているような気がするわ。
お水がいっぱいになって電気ポットをまたコンセントに繋げてプラグオン!
また湯沸かしモード突入!衝撃に備えろ!ってはならないけれど、
電気ポットの横に置いてある、
電気ポットの中身が空っぽになったからまた水を補給してくださいの絵柄のカードを戻してカードを混ぜてきるの。
そしてまた夕方よ!
お湯無し西部戦線異状なし!
またお湯がない!
も!もしかしてお湯を入れる際に1枚引かなくてはいかないこのカードはもしかしてまさか!?
私はドキドキしてみると
わーい!ホットココア飲んででいいカードだ!わーい!ってなったの!
そのラッキーココアホットカードでここをカップに装填して準備万端!
お湯を注ごうとしたら
また空しくもこぽこぽと空振りの音がするお湯が出ないやつ!
嫌な予感がして見てみるとお湯が空っぽなのよ!
なにー!
私は私の中のお湯が沸きそうだったけど
ラッキーココアホットカードでよっしゃー!ってなっているので、
私の中のお湯がこれ以上沸くことはなかったけれど、
じゃあなんでお湯がないのにラッキーココアホットカードが出るのよ?って
そうこうしていたら、
お湯が沸いて私が引いたカードのラッキーココアホットカードでホットココアを飲めるようになったの。
で、
電気ポットを電気ポット専用洗浄剤で洗っておいてくださいね!ってカードを引いてしまったの!
なーにー!
なんたるちゃー!
運が良いのか悪いのか。
ポット洗浄中!って封印のお札をポットに貼って間違って誰かが洗浄中の水を飲まないようにするのが私の役目。
ポット洗浄中!
運が良いのか悪いのか
ましてやこの電気ポット洗浄してねのカードも引いてしまうとは。
とほほを越えてしまうわ。
まあ年末年始の行事的なイベントだしシーズン的にもポット洗浄剤で洗浄してもいい時期なのよ。
私は早速錠剤を入れて、
間違ってそのお水を誰かが飲まないようにポット洗浄中のお札を貼って封印よ!
この封印と解けるのは私だけ!
うふふ。
これ小っちゃくて食べやすくって食べ応えもあって最近好きかも!
朝の温活にもピッタリよ。
忙しい朝に持ってこいよ。
たまには果物売り場も真面目に見てみようかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これは俺しか言ってない事だが、オーストラリアは必ず分断する。
現在オーストラリアでは先住民族(アボリジニ及びトレス海峡諸島民)の人口爆発が起きている。
2014年に国が出した試算によると、2026年に90〜95万人になるだろうとされていたので、予想を遥かに上回るペースである。
先住民族の多くは貧困者で、国は彼らの為に数多くの支援をしてきた。
しかし特に昨今、人口増加からか、その支援について考え直すべきと叫ばれるようになった。
最大野党である自由党党首のダットンは昨日、記者会見時に掲げる旗から先住民族のものを外すと発言し物議を醸しているが、それも先住民排除の流れの内だろう。
彼らへの支援をやめるというのは、彼らを貧しい境地に置き続けるのと同義である。
そして分断へ…という寸法よ。
さっきアルバイト終わった。今は家にいる。今日ちょっとおかしなことがあったのだ。当方はフリーター。
夜7時過ぎだったかな?とある男性客が来店した。家系ラーメンのチェーン店なんだが、狭い出入口に食券機がある。アナログタイプで、音がデカい。
注文終わると、そのお客さんがのっそのっそとカウンター席の方まで来て、当方が食券を見たんだよ。そしたらさ、
「餃子5ケ」
注文は以上だった。ラーメンがねえじゃん、ラーメンがさ。なんか頼めよ。
こんなのは2年以上も勤めて初だった。
しかもトッピングのほうれん草、ラーメンもないのにどうやって出したらいいんだ??
そのうえ、このミントグリーンの作業着の男性客はな、な、なんと……無料サービス券(まくり券って呼ばれてる)を出して、「うずらの卵5個で」とか言い出した。
店長に相談したら、やっぱりダメだってさ。それから時間が経って、店長が餃子5ケのお皿に、一緒にほうれん草トッピングを乗っけて、俺がその人のところまで持っていったら……
すでにご飯を食べ始めていた。うちは白米食べ放題のお店だ。質の悪い米だけど、学生なんかがよく食べている。
それを、その作業着のおっさんは、すでにショウガの切り身と、豆板醤とニンニクとか色々混ぜてさ、水飲みながら、丼にして食ってたよ。
もうすぐ2杯目のところだった。
こいつやべえ……と思ってアルバイトしてたんだが、結局その人はご飯3杯食べて、お会計は470円ポッチだった。
その人が帰った後で、「あいつやべえwwww」ってアルバイト仲間で盛り上がっていた。そしたら、
「客のこと笑うなや、考えて喋れ!!」
まあ、いいけどさ。あのお客さん、ルールは守ってたし。ラーメンを頼まずに、ラーメン用の無料サービス券でうずらの卵を食べようとしてたこと以外は。
たまにアルバイトしてると、こういう面白いことがある。明日もアルバイトである。面倒で憂鬱なこともあるけど、ちょっと増田に書き込んでみた。
みんなも、こんな経験はないだろうか。圧倒的に非常識だったり、圧倒的に規格外なお客さんの経験談があったら聞かせてほしいな。
たぶんしたほうがいいこと
→本当に難しい。自分にも誠実でありたいし、自分にも嘘は吐きたくないのに
→とても怠惰なのに変なところで真面目であろうとする?ので、ずっとこのギャップが自分を苦しめている
・朝起きたらラジオ体操する
→やるとたしかに頭も冴える感じがする。明確にやるメリットを実感しているのに
→外寒くて大変だけど。最近元気がないので、意識しないと本当に外に出なくなっちゃう
→ひきこもっていると、なにかをやる気持ちが少しずつ減っていって、さらに滅入ってしまいそう
→いつでもできるのに、いつもやらない。鍛えておかないと近々身体が壊れて後悔しそうなのに
・ガムを噛む
→これはすぐできる。気がつけるかどうかなだけなので、いま噛みはじめた
→ガム噛むと頭のまわりが良くなるかもしれない
→顔についた肉や顎の下の肉が気になる…
→元気がないとゴミを出せなくなるけど、今週からまたちゃんと捨てる習慣戻せそう
・何かを使い終わったら、あるべき場所に置く
→空箱はそうなった時点で、段ボールは届いて中身を出した時点でつぶしてまとめよう
→豆乳パックは空になった時点で潰して洗って干そう
→朝ベッドから起きたら、ベッドを綺麗にしよう。寝るときベッドが綺麗だと自分を褒めたくなるよね
・毎晩入浴する
→翌朝にまわさない方がいい。特に冬は身体を温めてからベッドに入りたいし
・朝起きたら顔を洗う
→出かける必要がない日であっても、習慣としてやっておいたほうが良さそう
・早寝早起きする
→なんか寝るのが怖くて先延ばしにしたくなっちゃうけど、強い意志と勇気を持とう
→なんも予定なくても毎朝決まった時間に起きて、ちゃんと午前中を過ごそう
・毎日2食は食べる
→元気がないと何も食べずに一日が終わってしまう。そうしているともっと元気がなくなっちゃいそう
→冷凍食品とか買い込んでおいて、もっと食べるハードルを下げよう
→思考が停滞したままにならずにすむかもしれない
→自分は行動が伴わないので、すべきことをやろうとか、変わり映えないことばっかなのだけれど…
→毎日ちょっとは自分と向き合って、自分の中にある何かを吐き出した方が、自分は気が楽になれると感じているのかも
・毎週末映画を観る
→なにか心動かされるような経験を増やしたい。元気がないと何もやりたいこと楽しいことがないんじゃないかと思っちゃう
→どんな登場人物がいてどんなストーリーだったか定期的に思い出したりしたい
・なにもしないをする
→すべきじゃないことをするくらいだったら、なにもしないでいたほうがいい
→瞑想するということなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない
→いまは底から2段階くらい上に登れた気がしており、何十分となにもしないでいると、ちょっとはすべきことをする気力が湧く
すぐにはできない(いまはまったくしたくない)けど、またしたいと思えるようになりたいこと
・毎週どこかしら車で出かけたい
→夏になったら100キロとか離れたところにもドライブ行けたらいいな
・創作活動をしたい
→どうせできないやりきれないみたいな気持ちを乗り越えたい
→思い返せば昔は本当にただやりたいからやるだけで、できるかやりきれるかなんてどうでもよかった
→積んでる本を減らしたい。これは元気があったときから積みっぱなしなんだけど…
・いろんなゲームをしたい
→ゲームは覚えたり考えたりの連続で、頭を柔らかくする作用がある気がする
→フレンドと一緒に話しながらゲームがしたい
・部屋の大掃除をしたい
→誰かを部屋に呼べるくらい綺麗にしたい。誰も来ないけど…
・ヒトカラにいきたい
→下手だけど歌うこと好きだったのにな
イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理「調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、
プロジェクト・ワタン事務局、2024年6月、2024年9月3日。
http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf
特に男の子は、小中学校で直面する言葉の壁や人種差別的な経験もあって、しばらくすると学校を退学し、高校にも進学しません。思春期以降、18 歳になる前から、父親や親戚と一緒に家屋解体の仕事に就く者もいます。一方、仮放免の女子は、男子に比べて働く機会が少ないので、どんなに困難があっても教育の場に残ろうとします。「学校をやめたら、結婚するしかない」と蕨のカフェで勉強していたクルド人女子高生 2 人は口を揃えて言いました。
また、学業が非常に優秀だったり大学卒であったりしても、仮放免者の就職を保証するものではありません。ビザがなければ教育もほとんど役立ちません。例えば、映画『東京クルド』に登場するラマザンというクルド人青年は、専門教育を受けたものの、ビザの発給を待つ間仕事が見つからず、家屋解体の仕事を始めました。のちにビザを取得したのですが、今も家屋解体の仕事を続けています。おそらく親族関係のなかで働くことが、彼に安心感を与えているのかもしれません。同様に、シリア出身のクルド人青年も、大学を卒業し日本で修士号を取得したにもかかわらず、現在、家屋解体の仕事に従事しています。
先月(2022 年 6 月)、大変痛ましい一家離散のケースに遭遇しました。あるクルド人高校生が、学校での差別や言葉の壁から「トルコに帰りたい」とずっと両親に訴えていました。トルコに戻りたい一心で、彼は学校の試験も白紙答案を提出し、わざと成績が悪くなるようにしていたと父親から聞きました。その結果、彼は学校を辞め、母親は泣く泣く息子を連れてトルコに帰国しました。
(中略)その家族は、日本が幼い子供たちを追い出し、一家の崩壊につながったと考えています。母と息子はトルコに戻りましたが、父親は政治的、経済的な理由で日本に残ったからです。日本で働いて得たお金でトルコの家族を養わなければならない父親は、今、川口の小さな家で一人、家族を恋しく思いながら、先行きの分からない生活を送っています。
マフキャン人と心ならずも共生を余儀なくされている他地域出身のクルド人もいます。マフキャン人が家屋解体業を営んでいるため、他地域出身のクルド人はマフキャン人の雇い主に雇ってもらうことが多くなります。仮放免のクルド人は、他の業種で仕事に就くことができないため、マフキャン人と一緒に働くしかなく、彼らとうまく付き合っていかなければなりません。時には男女関係から生じる問題や、ハラスメントや不倫事件、労使間の緊張から、コミュニティの男性同士の喧嘩、家族間の問題が起こり、共同体から個人が排除されることもあります。
マフキャンの出身ではないあるクルド人青年は、「マフキャン人同士で争ってもしばらくすれば和解するが、自分が彼らと争うとなると行き場がない。だから、私たちはとても注意しなければならない」と語っています。
労働災害で障害を負い、再就職できなくても、仮放免のクルド人は、健康保険に加入できないため何の保障もありません。それがもうひとつの不安感につながっていきます。あるクルド人労働者は、「若いうちに一生懸命働いてお金を貯めておけば、もし自分が障害者になったり、明日死んだりしても、子どもたちが飢えることはないだろう」と語っていました。また、高齢で病気を抱える仮放免者は、年金の保障がないため飢餓に直面しています。心臓疾患のある仮放免のクルド人は、マフキャン部族の親戚の経済的支援を受けて家族を養っています。つまり、日本に暮らす高齢のクルド人が安心して暮らせるのは、日本政府ではなく、マフキャンの部族主義、氏族、親族関係のおかげなのです。そのため、当人はつねにクルド社会内部のバランスを観察し、争いに与らず、必要に応じて強者の側につくようにしています。
今日、この会場で私の話を聞いてくださっている日本のみなさまに申し上げます。毎日、前を通っている家の中で悲惨な事件が起こり、子供が虐待され、女性が暴力を受けていると想像してください。その家の前を通りかかるだけでは、何が起こっているのかは分からない。しかし、虐待の被害にあった子どもや暴力の被害にあった女性がその家の窓から外を見たとき、あなたの姿が目に入るのです。その窓の前を通り過ぎるとき、あなたは楽しそうに笑っていることもあるでしょう。その家の中で起こっている悲劇を知らないのだから、あなたには責任はない。しかし、その家で起こっていることを誰かに言われてもなお無関心でいれば、暴力を振るう加害者の共犯者になってしまいます。