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【記者発365】(52) 過去の自分を否定した校長

キャリアの終盤を迎えた校長がこんなセリフを口にするとは、驚きだった。「正直、自分の今までの教育は間違っていたのではないかと思うのです」。昨年11月下旬にあった校則に関するシンポジウムでのこと。発言したのは、愛知県立足助高校校長の谷上正明さん(58)だった。若者の自己肯定感が他国と比べて低いことに危機感を抱いたという。その一因として校則を挙げた。嘗ての谷上さんは、頭ごなしに生徒をきつく叱ることもあった。生徒の自主性は二の次。「恥ずかしながら、よく言っていました。『わがままを言うな』『先生の言うことを聞け』と」。谷上さんが初めて教壇に立ったのは1980年代後半の足助高。「まさに“ビーバップハイスクール”でしたよ」。当時の人気漫画宛ら、リーゼントにボンタンの不良が幅を利かせていた。教師に刃向かうのは当たり前で、連日のように校舎の窓ガラスが割れた。そんな生徒達を規則で縛った。そうしなければ、校内の秩序を保てなかったからだ。理想と現実のギャップに悩み、「もう辞めよう」と何度思ったことか。だが、6年に及ぶ足助高校での勤務が終わる頃には、規則を押しつけるやり方が染みつき、何の疑いも持たなくなっていた。時は流れ、ツッパリやヤンキーは学校から消えた。生徒に優しく、友人のように接する同僚もいた。だが、谷上さんは毎朝正門に立ち、生徒達の髪の色や身だしなみに目を光らせた。「生徒は寄って来なかったです。でも、誰かが“嫌われ役”にならなければ。自分がそうなろうと思っていました」。そうした自分のやり方に違和感を抱くようになったのは、前々任地の高校でのこと。伸び伸びした校風の進学校で、生徒の自主性に任せている先生も多かった。谷上さんはここでも“嫌われ役”に徹した。ところが、学年主任として3年間指導した生徒は、どこかひ弱だった。甘やかされているようにも見えた前後の学年の生徒と比べ、「学力が伸びきらない。人前に出たり、意見を言ったりすることもあまりしたがらなかった」と振り返る。

校則という細かなルールで縛ることで、自ら道を切り開く逞しさを、生徒から奪っているのではないか。そんな疑問が芽生えた。行動を起こしたのは、初任地の足助高校に校長として戻ってきた2年前だった。年度末ぎりぎりで異動を言い渡され、「足助かぁ」と思った。落ち着いた雰囲気に変わったと聞いてはいたが、違う不安があった。高校のある町は人口減少が加速し、少子高齢化も進む。学校も定員割れが続き、年々生徒集めが難しくなっていたからだ。「新たな学校の魅力を打ち出せないか」。そこで目を付けたのが校則だった。NPOが主導し、生徒主体で校則について考える『ルールメイキングプロジェクト』に参加しようと考えていた。着任早々持ちかけたが、教員の反応は鈍かった。「『何言っているんですか?』という感じで。未だそのタイミングじゃないのかな、と思った」。数ヵ月後に、生徒が自ら課題を設定し、解決策を探る探究学習に力を入れ始めたところで、今度は教員からプロジェクトの資料を手渡された。NPOが掲げる目的の一つが“探究学習の促進”だったからだ。その日のうちに申し込みを済ませた。昨年度からプロジェクトに参加。生徒の提案で、許可制だったアルバイトは届け出制になった。教員や保護者と対話し、双方が納得した上での変更だった。生徒たちは躊躇せず、人前で意見を言うようになってきた。ただ、「学校が荒れるのでは」という周囲の不安が一掃されたわけではない。全校生徒に活動が広がらないもどかしさも感じる。新たな学校の魅力づくりは緒に就いたばかりで、挑戦は続く。校則はどうあるべきか――。冒頭のシンポジウム終盤、司会者が投げかけた質問に、谷上さんはこう答えた。「最低限でいい。学校は子供達が安心して生活できる場。それ以上でもそれ以下でもないと思っています」。こんな発言を、嘗ての谷上さんが聞いたらどう思うだろう。校長室のドアは「寒くなければ、フルオープン」。生徒が直談判にやって来ることもあるんだとか。 (中部本社報道センター 田中理知)


キャプチャ  2024年1月4日付掲載

テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

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