【今月のバカ経営者】(02) おとり広告問題を無かったことにしたいスシロー社長の“あきんど魂”
1月下旬、『FOOD&LIFE COMPANIES(F&LC)』が運営する回転寿司チェーン大手の『スシロー』で、客の少年が醤油さしを舐める、回ってくる寿司に唾を塗る等の迷惑行為を撮影。SNS上に投稿された動画が拡散され、大炎上した。同月31日には、東証プライムに上場するF&LCの株価は4.8%下落。時価総額が約168億円減少した。少年はSNS上で猛烈に批判され、弁護士の橋下徹や“尾木ママ”こと教育評論家の尾木直樹等、多くの著名人も苦言を呈した。スシローに対し、少年や保護者からの謝罪等を受け入れず、刑事事件化と徹底した賠償請求といった断固とした対応を求めた。また、『ツイッター』では“#スシローを救いたい”というハッシュタグが登場。同情的な声援が集まり、実業家の堀江貴文や人気YouTuberらがスシローで飲食する様子を動画で公開。これらに対してスシローの公式アカウントは、『あきんどスシロー』社長の新居耕平名義で「涙がでるくらい感謝の気持ちでいっぱいです」等と投稿。当該ツイートは2月15日現在、5500万件以上閲覧され、45万件以上の“いいね”が押されている。だが、問題の発端はスシローの行き過ぎた無人化や、省人化が安全面や衛生面を蔑ろにしたことだとも言える。これらについて、F&LCコーポレートコミュニケーション部の田中氏に質すと、「お客様との信頼関係を基にして成り立っておりますので、このような件が発生したことは重大な問題である」と回答した。
まるで、少年の問題行為によって顧客との信頼関係が損なわれたかのような言い分である。だが抑も、スシローは昨年6月、いわゆる“おとり広告”を掲載したとして、消費者庁から再発防止を求める措置命令を下されている。更に、7月には開催期間が不明な“生ビール半額キャンペーン”の広告を掲載。顧客を混乱させ、批判が殺到した。消費者との信頼関係を蔑ろにしていたのはスシローであり、一部客の迷惑行為があったからといって、堂々と応援される立場にはない。極めつきは、新居社長による「涙がでるくらい感謝の気持ちでいっぱい」云々の“感動ツイート”である。前述の田中氏にこのツイートの意図を質すと、「スシローを応援する内容の書き込みが増えている中で、率直に感謝の意をお伝えしたいという気持ちで発信した」と回答。だが、自分達にとって都合が悪い“おとり広告”や“生ビール半額キャンペーン”の批判に対しては、隠れるように自社ホームページ上でお詫びを掲載したのみである。SNS上でどれだけ批判の集中砲火を浴びせられようとも、「素直に謝罪の意をお伝えしたいという気持ちがなかった」と判断されても仕方あるまい。同情的な世論を商機と見たような利益至上主義が透けて見える。“お客様との信頼関係”と言うなら、先ずは社長自ら、おとり広告で顧客との信頼関係を傷付けた詫びを発信するのが筋だろう。
2023年4月号掲載
まるで、少年の問題行為によって顧客との信頼関係が損なわれたかのような言い分である。だが抑も、スシローは昨年6月、いわゆる“おとり広告”を掲載したとして、消費者庁から再発防止を求める措置命令を下されている。更に、7月には開催期間が不明な“生ビール半額キャンペーン”の広告を掲載。顧客を混乱させ、批判が殺到した。消費者との信頼関係を蔑ろにしていたのはスシローであり、一部客の迷惑行為があったからといって、堂々と応援される立場にはない。極めつきは、新居社長による「涙がでるくらい感謝の気持ちでいっぱい」云々の“感動ツイート”である。前述の田中氏にこのツイートの意図を質すと、「スシローを応援する内容の書き込みが増えている中で、率直に感謝の意をお伝えしたいという気持ちで発信した」と回答。だが、自分達にとって都合が悪い“おとり広告”や“生ビール半額キャンペーン”の批判に対しては、隠れるように自社ホームページ上でお詫びを掲載したのみである。SNS上でどれだけ批判の集中砲火を浴びせられようとも、「素直に謝罪の意をお伝えしたいという気持ちがなかった」と判断されても仕方あるまい。同情的な世論を商機と見たような利益至上主義が透けて見える。“お客様との信頼関係”と言うなら、先ずは社長自ら、おとり広告で顧客との信頼関係を傷付けた詫びを発信するのが筋だろう。
2023年4月号掲載
【ある銀座ママの回顧録】(02) 外務省の経費で大臣更迭に天下り
何年か前の話です。某外務大臣が失言から失脚するという出来事がありましたが、私は偶々裏側を知ることになりました。事件が起こる1ヵ月前。外務省職員のAさんが私のお店でマスコミ関係者を何人も引き連れて飲みに来ていました。Aさんは要職に就いていて、いつも経費での飲食でした。因みに、外務省・経済産業省・財務省は交際費がふんだんに使えます。「これさ、オフレコだけど、××大臣が○○って言ったんだよね。こっちは本当に困るよ」とニヤニヤしながらヒヤッとするようなことを言いました。マスコミ関係者は仕事の付き合いも兼ねているので、勿論「どういうことですか?」と食いつきます。これに対してAさんは、丁寧にレクチャーをしました。オフレコの筈が、何故か最後のほうは、各社がネタ被りをしないように配慮までしていました。案の定、次の日の新聞一面は××大臣のことがこれでもかというぐらいに書き散らかされていました。こういう場面は、銀座でお店をしていると多々見ることがあります。“ニュースは現場ではなく密室で作られる”ものなのです。大きな野心と出世欲を心の奥に秘めているAさんでしたが、残念ながら省内の出世競争に敗れてしまいました。しかし、転んでもただでは起きないのがAさん。直ぐにシフトチェンジをし、省の経費を最大限に活用して、自分の為に根回しをするようになりました。暫くするとAさんは、外郭団体の役員に収まり、その後も数々の団体を渡り歩いていました。数社の退職金の合計額は億を下ることはなかった筈です。
政治関係のお仕事をしているBさんは、来店する度に高級シャンパンを何本も開けて、どんちゃん騒ぎをする方でした。お会計はいつも3桁です。個人名義のブラックカードでスマートに支払いを済ませます。60代を超えているのに午前様になることもしばしばで、とても元気な方です。私のお店だけでなく、他のお店にも通っているみたい。「よくお金が続くな」と思っていました。ある日、ふと気になってBさんの名前をインターネット上で検索してみると、これでもかというぐらいネガティブな情報で溢れており、逮捕歴もあるみたいでした。とはいえ、毎回カード払いでツケ等はしないので、「まぁいいか」と自分に言い聞かせました。それから暫くしてBさんが来店すると、相変わらずの様子。その日は、係の女の子の肩に手を回して口説いているようでしたが、“太客”なので、彼女はプロとして嫌な顔を見せることは一切ありません。でも、来店して2時間以上経つにも拘わらず、お酒が一向に減っている様子はありません。というか、殆どグラスに口をつけていない。何だか違和感を持ちつつ、Bさんのテーブルに着きました。そうしたら、目が全く笑っていない…。話に耳を傾けると、どうやら女の子を使ってお客さんの情報収集をしているようでした。閉店後、勿論、私は女の子達に「余計なことは喋らないように」と促しました。今日もBさんは銀座のどこかでどんちゃん騒ぎをしているのでしょうか。
2023年4月号掲載
政治関係のお仕事をしているBさんは、来店する度に高級シャンパンを何本も開けて、どんちゃん騒ぎをする方でした。お会計はいつも3桁です。個人名義のブラックカードでスマートに支払いを済ませます。60代を超えているのに午前様になることもしばしばで、とても元気な方です。私のお店だけでなく、他のお店にも通っているみたい。「よくお金が続くな」と思っていました。ある日、ふと気になってBさんの名前をインターネット上で検索してみると、これでもかというぐらいネガティブな情報で溢れており、逮捕歴もあるみたいでした。とはいえ、毎回カード払いでツケ等はしないので、「まぁいいか」と自分に言い聞かせました。それから暫くしてBさんが来店すると、相変わらずの様子。その日は、係の女の子の肩に手を回して口説いているようでしたが、“太客”なので、彼女はプロとして嫌な顔を見せることは一切ありません。でも、来店して2時間以上経つにも拘わらず、お酒が一向に減っている様子はありません。というか、殆どグラスに口をつけていない。何だか違和感を持ちつつ、Bさんのテーブルに着きました。そうしたら、目が全く笑っていない…。話に耳を傾けると、どうやら女の子を使ってお客さんの情報収集をしているようでした。閉店後、勿論、私は女の子達に「余計なことは喋らないように」と促しました。今日もBさんは銀座のどこかでどんちゃん騒ぎをしているのでしょうか。
2023年4月号掲載
テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済
【永田町LIVE】(07) 菅義偉氏、一転して人気弁士に…派閥重視の岸田首相と対峙、“非主流”次の一手は?
『千葉都市モノレール』が乗り入れる千葉市郊外のJR都賀駅前。先月21日の夕暮れ時、車から降り立った自民党の菅義偉前首相(※右画像の中央左、撮影/李舜)を待っていたのは、ロータリーを囲むように詰めかけた400人程の聴衆だった。割れんばかりの拍手の中、街宣車の上へとよじ登ると、「菅さん、頑張って!」と声援が飛んだ。照れくさそうな笑みが、菅氏の顔に浮かんだ。菅氏が訪れたのは、県議選の自民党候補の応援の為だった。新型コロナウイルス対策、不妊治療の保険適用、携帯電話料金の値下げ――。マイクを握った菅氏は、首相や総務大臣時代の自身の実績を一つひとつ、噛みしめるように列挙した。「どうでしょうか、皆さん」と呼びかけると、再び拍手が湧き起こった。演説を終えた菅氏の元へは、多くの聴衆が押し寄せた。「皆様の元に菅前首相が参りますので、押し合ったりしないで下さい」とのアナウンスが流れる中、菅氏はロータリー沿いを200メートルほどゆっくりと歩きながらグータッチを重ねた。「あれだけ人が集まるとは思わなかった。自信になったよ」。菅氏は後日、周辺にこう語った。首相として世論と自民党内の激しい反発を受けた菅氏は、2021年10月、追われるように政権の座から去った。追い打ちをかけたのが、翌2022年7月の盟友・安倍晋三元首相の急死だ。「何もかもやる気がなくなっちゃった」。当時、周囲にそう語ったこともある。落ち込み方は激しく、一時は健康不安説すら流れた。そんな菅氏に脚光が集まったのは、岸田文雄政権の迷走が要因だ。『世界平和統一家庭連合』(※旧統一教会)問題等で岸田政権への批判が強まるにつれ、インターネット上で岸田政権との対比から菅政権の実績を評価するコメントが相次いだ。
退陣から約1年半。菅氏の立場は党内随一の“人気弁士”へと一変した。統一地方選では各陣営から応援依頼が殺到。菅氏は多忙な日々を送り、千葉市の演説後も北海道や愛知県等を回った。演説は自身の実績の列挙が中心で、岸田政権を評価することもない。それでも多くの聴衆が押し掛けるケースが目立つ。自民党関係者は、「あれだけ人を集められる政治家はいない」と口を揃える。「菅氏を核に非主流派が結集すれば脅威になる」。政府関係者はこう漏らす。政権にとって“不気味な存在”にもなった菅氏の今を追った。先月30日夕、国会内の菅義偉前首相の事務所を訪ねたのは岸田首相だった。岸田氏がこの場で菅氏に明かしたのは、政府の“異次元の少子化対策”の叩き台に、出産費用への公的健康保険適用の検討を盛り込む方針だった。出産費用の保険適用は、菅氏が先月初旬から打ち上げた案だ。「良いアイデアですね」。岸田氏が持ち上げると、菅氏は「取り入れてくれてありがとうございます」と謝意を述べた。菅氏には首相時代、不妊治療の保険適用を主導し、実現させた成功体験がある。菅氏の事務所には、保険を適用して不妊治療を受けた家族から感謝の手紙も数多く届けられた。出産費用の保険適用も、この延長線上にある。岸田氏が“丸呑み”したのは、菅氏への配慮からだ。岸田氏は菅氏の動向を気にかけており、首相就任以来、菅氏と度々面会している。先月の面会は8回目。前回の2月6日の面会では、岸田氏は『日本銀行』新総裁人事について「迷っている」と吐露してみせた。「菅氏が政権に対して何か仕掛けてくるのではないか、と不安に思っている」。閣僚経験者は首相の心情を解説する。菅氏は1月10日発売の月刊誌『文藝春秋』2月号のインタビューで、自民党の派閥の弊害を指摘し、岸田派(※宏池会)会長として派閥会合に出席する岸田氏を、「派閥政治を引きずっているというメッセージになって、国民の見る目は厳しくなる」と批判した。1月18日放送のラジオ番組では、防衛費の一部を増税で賄う政府方針にも「議論がなさ過ぎた」と苦言を呈した。こうした一連の発言は注目を集め、菅氏はポスト岸田の有力候補にも取り沙汰された。菅氏は一時、岸田氏と共に宏池会にも所属したが、政治主導を志向する菅氏と、宏池会の伝統を重んじ霞が関との関係を重視する岸田氏の路線は、根本から異なる。2009年に同派を離脱し、無派閥となった菅氏は3年後、第二次安倍政権で官房長官を務めた。当時の安倍晋三首相は一時、岸田氏を二階俊博氏の後任の自民党幹事長に交代させる案を模索したが、それに反対したのが菅氏だった。
【気候変動のリアル】(13) パキスタン洪水、国土の3割が浸水…途上国で繰り返される災禍
異常気象や海面上昇等、気候変動による“損失と被害”を補償する為の仕組み作りを巡って、先進国と途上国の対立が続いている。問題の根本には何があるのか。この夏、人口の15%にあたる3300万人が被災したパキスタンの大洪水から考える。 (取材・文/ニューデリー支局 川上珠実/科学環境部 岡田英/ニューヨーク支局 八田浩輔)
「洪水があった時のことは忘れたくても忘れられません」。パキスタン北西部、カイバルパクトゥンクワ州の州都ペシャワル郊外の集落で、オートリキシャ(※自動三輪)運転手のサイド・レーマンさん(24)が嘆いた。インダス川支流のカブール川沿いにあるこの集落は、8月末に大洪水に見舞われ、400世帯のうち、レーマンさんの自宅を含む多くの住宅が浸水した。本紙助手が先月上旬に訪ねると、多くの家々の壁は崩れ、水没して壊れた冷蔵庫や、ガラスが割れた鏡台等の家財道具が外に置かれたままだった。レーマンさんも家族と避難したが、家の前に止めていた生活の糧であるリキシャは流され、牛乳を売る為に飼っていた牛2頭も死んだ。「これから生活を立て直すのは並大抵のことではありません」。レーマンさんは途方に暮れた。パキスタンでは、雨期が始まった6月中旬から各地で洪水が起きた。気象当局によると、8月の降水量は全国で平年の3.5倍近く、過去60年で最多だったという。これまでに全国で約1700人が亡くなり、住宅約200万戸が損壊。『世界銀行』によると、被害総額は400億ドル(※約5兆8800億円)と推計される。シェリー・レーマン気候変動担当大臣は、「今夏の洪水で国土の3分の1が浸水した」としている。広い範囲で水が引いておらず、衛生環境の悪化でマラリア等の感染症が流行する。レーマンさんが暮らす集落では、多くの住民が生活再建の難しさを語った。雑貨店を営むワサル・カーンさん(40)は、「店の商品は浸水し、自宅も損壊した。14年前に借金をして店を始め、やっと借金を返し終えたところだったのに、再びお金を借りるようになりました」と肩を落としていた。
一帯は、約2000人が亡くなった2010年の洪水でも被害を受けた。建設現場等での日雇い労働で生計を立てているワカール・カーンさん(43)は、「前回の洪水では元の生活に戻るまでに10年かかりました。今は洪水のせいで仕事もなく、生活を取り戻せるのはいつになるのかわかりません」と不安を語った(※左上画像は雨期の洪水で被災した人達の避難所。『ロイター通信』提供)。「パキスタンの温室効果ガスの排出量は世界全体の1%に満たないのに、世界で最も気候変動の影響を受ける国の一つになっている」。ナワーズ・シャリフ首相は、先月18日にイスラマバードで開いた気候変動の関連会合で、そう強調した。シャリフ氏は、「北部山岳地帯では過去20年で氷河湖の融解による洪水が3倍に増えた」と指摘する。今年4~5月には記録的な熱波に見舞われ、南東部のジャコババードでは5月半ばに最高気温50℃を観測した。インドの科学者は、「人間の生存可能な限界が試されている」と例えた。今夏の大洪水に気候変動がどれほど作用したかについての研究は続いているが、欧州の研究グループは、被害が大きかった南部では温暖化の影響で降水量が50%増えた可能性を指摘した。集落で気候変動について尋ねると、「教育を受けていないのでわからない」と首を傾げる人が多かった。喜劇俳優のビラルさん(29)は、「ソーシャルメディアを見て、この洪水は気候変動のせいだと言われていることを知った。他の国々にパキスタン政府への支援をお願いしたい」と訴えた。住民達は、この先も被害が繰り返されることを懸念する。日雇い労働者のヌールラさん(45)は、「夏になると毎年のように酷い雨が続く。また洪水が来るかもしれないと思うと、とても怖い」と語った。「再び洪水の被害に遭うのが恐ろしくない筈がありません。でも、私達に他にどこに行けと言うのでしょう」。ビラルさんはそう言うと、溜め息を吐いた。気候変動のリスクは、インフラが脆弱な地域に暮らす人々ほど大きくなる傾向にある。環境NGO『ジャーマンウォッチ』(※本部はドイツ)は、台風や洪水、熱波等気象災害の影響を受けた国や地域のランキングを毎年公表している。人口当たりの死者数や、GDP当たりの損失額等を基に分析した最新の報告書(※2021年)によると、過去20年間に世界で最も大きな被害を受けたのは、カリブ海に浮かぶ人口約330万人のアメリカ自治領プエルトリコだった。2017年の大型ハリケーン『マリア』による死者は3000人近くに上り、今年9月にもハリケーンの影響で全土が停電する等、被害は甚大だった。2位以下はミャンマー、ハイチ、フィリピン、モザンビークと続き、パキスタンは8位だった。上位を占めた10ヵ国・地域のうち7ヵ国は、世界銀行が定義する低所得国・中低所得国にあたる。ランキングからは、温暖化の原因であるCO2の排出量が少ない貧しい国ほど大きなダメージを受け易い構造的な問題が浮かび上がる。「全ての主要な排出国、企業に対し、これまでに出た(気候変動による)被害に対処する資金の提供を求める」。海面上昇等気候変動の影響を受け易い途上国58ヵ国で作るグループは、先月16日に発表した共同声明でそう訴えた。
「洪水があった時のことは忘れたくても忘れられません」。パキスタン北西部、カイバルパクトゥンクワ州の州都ペシャワル郊外の集落で、オートリキシャ(※自動三輪)運転手のサイド・レーマンさん(24)が嘆いた。インダス川支流のカブール川沿いにあるこの集落は、8月末に大洪水に見舞われ、400世帯のうち、レーマンさんの自宅を含む多くの住宅が浸水した。本紙助手が先月上旬に訪ねると、多くの家々の壁は崩れ、水没して壊れた冷蔵庫や、ガラスが割れた鏡台等の家財道具が外に置かれたままだった。レーマンさんも家族と避難したが、家の前に止めていた生活の糧であるリキシャは流され、牛乳を売る為に飼っていた牛2頭も死んだ。「これから生活を立て直すのは並大抵のことではありません」。レーマンさんは途方に暮れた。パキスタンでは、雨期が始まった6月中旬から各地で洪水が起きた。気象当局によると、8月の降水量は全国で平年の3.5倍近く、過去60年で最多だったという。これまでに全国で約1700人が亡くなり、住宅約200万戸が損壊。『世界銀行』によると、被害総額は400億ドル(※約5兆8800億円)と推計される。シェリー・レーマン気候変動担当大臣は、「今夏の洪水で国土の3分の1が浸水した」としている。広い範囲で水が引いておらず、衛生環境の悪化でマラリア等の感染症が流行する。レーマンさんが暮らす集落では、多くの住民が生活再建の難しさを語った。雑貨店を営むワサル・カーンさん(40)は、「店の商品は浸水し、自宅も損壊した。14年前に借金をして店を始め、やっと借金を返し終えたところだったのに、再びお金を借りるようになりました」と肩を落としていた。
一帯は、約2000人が亡くなった2010年の洪水でも被害を受けた。建設現場等での日雇い労働で生計を立てているワカール・カーンさん(43)は、「前回の洪水では元の生活に戻るまでに10年かかりました。今は洪水のせいで仕事もなく、生活を取り戻せるのはいつになるのかわかりません」と不安を語った(※左上画像は雨期の洪水で被災した人達の避難所。『ロイター通信』提供)。「パキスタンの温室効果ガスの排出量は世界全体の1%に満たないのに、世界で最も気候変動の影響を受ける国の一つになっている」。ナワーズ・シャリフ首相は、先月18日にイスラマバードで開いた気候変動の関連会合で、そう強調した。シャリフ氏は、「北部山岳地帯では過去20年で氷河湖の融解による洪水が3倍に増えた」と指摘する。今年4~5月には記録的な熱波に見舞われ、南東部のジャコババードでは5月半ばに最高気温50℃を観測した。インドの科学者は、「人間の生存可能な限界が試されている」と例えた。今夏の大洪水に気候変動がどれほど作用したかについての研究は続いているが、欧州の研究グループは、被害が大きかった南部では温暖化の影響で降水量が50%増えた可能性を指摘した。集落で気候変動について尋ねると、「教育を受けていないのでわからない」と首を傾げる人が多かった。喜劇俳優のビラルさん(29)は、「ソーシャルメディアを見て、この洪水は気候変動のせいだと言われていることを知った。他の国々にパキスタン政府への支援をお願いしたい」と訴えた。住民達は、この先も被害が繰り返されることを懸念する。日雇い労働者のヌールラさん(45)は、「夏になると毎年のように酷い雨が続く。また洪水が来るかもしれないと思うと、とても怖い」と語った。「再び洪水の被害に遭うのが恐ろしくない筈がありません。でも、私達に他にどこに行けと言うのでしょう」。ビラルさんはそう言うと、溜め息を吐いた。気候変動のリスクは、インフラが脆弱な地域に暮らす人々ほど大きくなる傾向にある。環境NGO『ジャーマンウォッチ』(※本部はドイツ)は、台風や洪水、熱波等気象災害の影響を受けた国や地域のランキングを毎年公表している。人口当たりの死者数や、GDP当たりの損失額等を基に分析した最新の報告書(※2021年)によると、過去20年間に世界で最も大きな被害を受けたのは、カリブ海に浮かぶ人口約330万人のアメリカ自治領プエルトリコだった。2017年の大型ハリケーン『マリア』による死者は3000人近くに上り、今年9月にもハリケーンの影響で全土が停電する等、被害は甚大だった。2位以下はミャンマー、ハイチ、フィリピン、モザンビークと続き、パキスタンは8位だった。上位を占めた10ヵ国・地域のうち7ヵ国は、世界銀行が定義する低所得国・中低所得国にあたる。ランキングからは、温暖化の原因であるCO2の排出量が少ない貧しい国ほど大きなダメージを受け易い構造的な問題が浮かび上がる。「全ての主要な排出国、企業に対し、これまでに出た(気候変動による)被害に対処する資金の提供を求める」。海面上昇等気候変動の影響を受け易い途上国58ヵ国で作るグループは、先月16日に発表した共同声明でそう訴えた。
【WEEKEND PLUS】(351) 東芝ショック&社長辞任の舞台裏…外資からの提案の背後には“国有化”の狙いが潜んでいた!
創立146年目を迎える名門企業で異常事態が起きている。4月14日、『東芝』の車谷暢昭社長(※右画像)が同日付で全ての役職を退くことが発表された。同月7日にイギリスの投資ファンド『CVCキャピタルパートナーズ』からの買収提案を明らかにしたばかりだったから、急転直下、謎の辞任劇だ。2018年4月に東芝の経営トップに迎えられた車谷氏は、直近の2年間で営業利益を3倍以上に伸ばし、念願だった東証一部への復帰も果たす等、一定の成果を残したとの見方もある。だが、車谷氏が推し進めてきたのは、主に固定費削減を中心としたリストラ策だ。収益の柱だった半導体メモリ事業の売却を余儀なくされた東芝にとって、次なる収益源の確立が急務だが、その成長戦略を描くまでには至らなかった。実は、就任当初から車谷氏の振る舞いには、社内外から違和感を訴える声が上がっていた。2018年11月、車谷氏肝入りの中期経営計画の発表会見が開かれたのは、六本木の高級ホテル『グランドハイアット東京』。出席した記者から「何故こんな華美な会場を選んだのか?」と質問が飛んだ。債務超過に陥ったばかりの企業トップとして、その姿勢が疑問視されたのだ。サイバーフィジカルシステム(※CPS)テクノロジーカンパニー、チェンジエージェント――。何かにつけカタカナ語を連発する車谷氏を冷ややかに見る向きも、社内にはあった。2015年に発覚した粉飾決算の際には、西田厚聰氏ら歴代社長が、目標未達の部門長に対し、“社長チャレンジ”という名目で、常軌を逸した業績改善を求めていたことが判明した。こうした事態を繰り返さない為、上級管理職を対象として定期的に社長に対する信任調査が行なわれていたが、直近の調査では、上級管理職の過半数が車谷氏に対して“不信任”と回答していた。
筆者が東芝の異変を感じたのは、『日本ゼネラルエレクトリック(GE)』会長や『リクシル』会長兼CEOを歴任したプロ経営者の藤森義明氏が、東芝の社外取締役に就任してから数ヵ月後のことだ。投資ファンド関係者から、こんな声が聞こえてくるようになった。「経営トップの車谷社長と、経営を監視する立場である社外取締役の藤森氏が夜な夜な飲み歩いているが、あれは許されるのか?」。2人が足繁く通っていたのは、西麻布の交差点に程近いワインバー・X。一見様お断りの紹介制で、藤森氏が馴染みにしている店である。車谷氏が『三井住友銀行』に勤めていた頃から昵懇の間柄だった2人は、2017年にCVC日本法人で“同僚”となった。同年2月、藤森氏がCVC日本法人の最高顧問に就任すると、その3ヵ月後には車谷氏が同社の会長兼共同代表となったのだ。頭取レースに敗れた車谷氏が銀行から宛がわれたグループ企業トップの処遇を嫌った為、藤森氏が呼び寄せたという。そして、車谷氏が2018年4月に東芝の会長兼CEOに抜擢されると、その1年後に藤森氏が社外取締役に就任。今度は車谷氏が東芝に呼び寄せた格好だ。2人は夏休みになると、家族ぐるみで避暑地を訪れ、バーベキューパーティーを楽しむ間柄であることも、間もなく社内で知られるようになる。“お友達疑惑”は深まるばかりだった。このケースは、単なる同僚同士が飲みに行くのとは訳が違う。一方は巨大上場企業における執行の最高責任者であり、他方は世界中の株主からその監督を託された社外取締役である。親密過ぎる付き合いは、経営のガバナンスに疑念を生じさせる。嘗て、日本の大企業の社外取締役は「外部の意見を聞きました」というアリバイ作りの為のお飾りで、執行部の意向に逆らわない“お友達”が大半を占めた。その頃の常識なら、車谷氏と藤森氏の親密な関係も“よくある話”の一つだった。だが、昨今は外国人株主が増えたことで、事情が変わってきた。利害関係のない独立した社外取締役が取締役会の過半数を占め、執行部を厳正に監督。必要とあらば、執行の最高責任者であるCEOの解任も辞さない。こうした米欧スタイルのガバナンスが日本の大企業でも常識となりつつある。社外取締役がお友達では、適正なガバナンスとは見做されない。粉飾決算で株主の信用を失った東芝なら尚更のことだ。ガバナンス改革が掲げられ、取締役会12人のうち10人を社外取締役にしていたものの、いくら数を増やしたとしても、CEO自らが馴れ合っていたのでは話にならない。実は、Xにはもう一人、常連客がいた。CVC日本法人の代表、赤池敦史氏だ。CVCの幹部を務めた3人が共にグラスを傾ける姿は何度も目撃され、海外投資家の間で問題視されていた。そして、今年3月18日にもこの3人はXに集まっている。東芝で臨時株主総会が行なわれた、まさにその日である。
【佐藤祥子の「力士、燃ゆ」】(26) 貴景勝(常盤山部屋)――綱取り目指す“佐藤クン”の進化
15日間のうち五度も流血する程に気迫のこもった相撲で、13場所ぶり三度目の賜杯を胸に抱いた貴景勝。相撲の名門である埼玉栄高校の後輩でもある気鋭の琴勝峰を下し、大関の貫禄で優勝をもぎ取った初場所だった。「結婚してから初めての優勝なので、嬉しいです。誰でも大関になれるわけではないですから、重圧を感謝に変えて頑張りました」。横綱・照ノ富士が休場し、御嶽海や正代が大関陥落した中、ひとり大関としての責任をしっかりと果たしたのだった。土俵上での真摯な態度と佇まいは、まるで古武士のようなのだが、一度土俵を降りるとお喋り好きの好青年でもある。小学生時代、栃ノ心や栃煌山(※現在の清見潟親方)のいた春日野部屋に合宿に行った際のこと。稽古後に昼寝をする関取達の横に張り付き、坊主頭の佐藤少年は、ひたすら話し掛け続けたという。「お前も、もう寝ろよ~」と笑いながら呆れられたというエピソードがある。母親のような年齢の筆者にも、いつも人懐こい笑顔で挨拶してくれるのが貴景勝だ。“大関”と呼ばなければならないところ、ついつい「おぉ、佐藤クン!」と話し掛けてしまうほど。「元気ですか、佐藤サン!」とこれまたフランクに、子供のような笑みを湛えて返してくれるのだった。そんな彼も、今では一児の父となった。夫人は元大関・故北天佑の娘さんだ。テレビ番組での共演で知り合い、持ち前の人懐こい笑顔を武器に、臆することなく話し掛け、“大金星”を手に入れたのは想像に難くない。来たる3月春場所は、綱取りの懸かる正念場となる。175㎝・165㎏の丸い体躯は、決して大きくはなく、手脚の長い器用なタイプでもない。過去の例を見ても、突き押し相撲一本槍での横綱昇進は難しいと言われる相撲界。しかし、初場所千秋楽での一戦では、左を差して鮮やかな掬い投げで相手を仕留める。得意の突き押しからの“二の矢”の攻撃に進化を感じさせ、新たな貴景勝の一面を見て取れた。「佐藤クン!」と気軽に話し掛けられるのも、これまでか。「横綱!」と呼べる日が来るのを心待ちにしている。
佐藤祥子(さとう・しょうこ) 相撲ライター。日本相撲協会認定・相撲健康体操指導員。1967年生まれ。週刊誌記者を経て、1993年からフリーに。著書に『相撲部屋ちゃんこ百景』(河出書房新社)・『知られざる大鵬』(集英社)等。
2023年4月号掲載
佐藤祥子(さとう・しょうこ) 相撲ライター。日本相撲協会認定・相撲健康体操指導員。1967年生まれ。週刊誌記者を経て、1993年からフリーに。著書に『相撲部屋ちゃんこ百景』(河出書房新社)・『知られざる大鵬』(集英社)等。
2023年4月号掲載
【法隆寺管長エッセイ】(05) 聖徳太子1400年御遠忌
2021年は聖徳太子1400年御遠忌の大きな節目だった。コロナ禍の中で3日間にわたる法要を無事に執り行うことができた。法隆寺では新暦で聖徳太子の命日にあたる3月22日、太子の遺徳をたたえ供養する『聖霊会』を営んでいる。毎年、聖霊院で小会式を営み、10年ごとに大講堂で大会式を執り行う。1921年に営まれた1300年御遠忌は渋沢栄一氏が尽力し、1週間にわたって法要を行った。我々もがんばろうと大野玄妙・前管長と一緒に3年前から準備を始めた。この時には、よもや私が全てを担うことになるとは思わなかった。だが大野前管長は急に体調を崩して入院し、2019年10月に急逝。執事長だった私が代表役員代務者を引き受けた。突然のことに気持ちも収まらないまま、慌ただしく日々が過ぎた。大野前管長の遺志を継ぎ、心を引き締め行おうと覚悟を固めて第130世住職、聖徳宗第七代管長に就いたのは2020年10月。半年後の2021年4月に1400年御遠忌に臨んだ。コロナ禍のもとでの開催だ。夢殿から大講堂へと向かう行列は人数を半分程度に減らした。管長は本来は輿に乗るが、8人あるいは16人が密集して担ぐことになる。輿には乗らず歩くことにした。ご招待する人数も絞り込み、舞楽奉納の演目も減らし、五重塔から散華をまくのもとりやめた。多くにご迷惑を掛けたが、法要自体は簡略化せず基本的な構成を守った。3日間の会期中は緊張の連続だった。朝の第一声が発せられ夢殿から行列が出発してから、行列が夢殿に戻って一日の予定を終えるまで、周囲を意識する余裕すら無い。全てを無事に終えた時にはほっと胸をなで下ろした。長引くコロナ禍で多くの方々が苦しんでいる。当寺も厳しい財政状況が続く。クラウドファンディングで浄財を募ったところ予想を超えて多くの方からお志を頂戴した。感謝とともに、法灯を守り継ぐ責任を改めて感じている。 =おわり
古谷正覚(ふるや・しょうかく) 1948年、大阪府生まれ。1971年に龍谷大学文学部卒、1974年に高野山大学大学院修士課程中退。1999年から聖徳宗宗務所長、法隆寺執事長として古刹を支えた。2020年から現職。
2022年8月26日付夕刊掲載
【法隆寺管長エッセイ】(04) 妙高高原の太子講祭、緑の季節に20回通う
聖徳太子を尊ぶ大工さんなどの集団『太子講』は今も各地で信仰を紡いでいる。太子信仰の盛んな土地のひとつが新潟県妙高市だ。法隆寺では執事長が毎年6月、緑のすがすがしい季節に妙高高原商工会工業部会が主催する『太子講祭』に参加し、太子をまつる太子堂にお参りするのが恒例となっている。私は2019年まで20回も通った。太子堂から車で15分ほどの所に日本美術史研究の開拓者、岡倉天心を顕彰する岡倉天心六角堂がある。彼がこの地で静養中に没したのは1913年。六角堂では毎年、天心忌が催されている。太子講祭に参加するようになったのも30年ほど前、当時の高田良信管長が天心忌に招かれてお参りしたのがきっかけだった。毎年6月22日は早朝に奈良・斑鳩をたち、昼すぎには妙高高原に到着。太子堂と六角堂、明治時代に建てられた聖徳太子の石碑、杉野沢にあるもう一つの太子堂をお参りする。翌日は妙高高原中学校で2年生に聖徳太子や法隆寺について講義している。生徒たちは次の年、修学旅行で斑鳩を訪ねてくれる。生徒たちに「妙高山は須弥山とも呼ばれる。仏教世界の中心にある山だ。あなたたちはそんな場所に住んでいるのですよ」と話すと「うちのおじいさんも同じ話をしていた」と教えてくれた。やはり地元でもそう語り継がれているのだろう。天心が最期の地に選んだのも、雄大な山々に囲まれた理想郷という思いがあったからではないだろうか。六角堂が1959年に建てられた時、法隆寺から法灯を火縄で運んで天心像の開眼供養や御堂の落慶式典が執り行われた。地元の郷土史家に頼まれて記録を調べると、落慶式典には法隆寺管長が所用で出席できず寺の僧2人が代理を務め、うち1人が私の父だったことが分かった。不思議なご縁があるものだ。太子講祭はコロナ禍で2回中止されて今年3年ぶりに復活した。ただし当寺から参加したのは私の後任、大野正法執事長だ。テレビで妙高高原の風景が映ると今も目が引き寄せられる。再訪して懐かしい人々にご挨拶したいと願っている。
2022年8月25日付夕刊掲載