【WEEKEND PLUS】(564) レモンの島“再生”へ奔走…JR西日本社員の内藤真也さん、住民や事業者と対話を重ね
瀬戸内海に“レモンの島”と呼ばれる小さな島が浮かんでいる。生口島(※広島県尾道市)だ。レモンの生産量日本一で、人口は約9000人。瀬戸内海といえば、島々を橋で結ぶ自動車道路『瀬戸内しまなみ海道』が有名だ。1999年の開通後、その美しい景観が人気を呼び、ドライブやサイクリングを楽しむ観光客が増加した。
一方で、生口島はそんな賑わいから取り残された感があった。というのは、しまなみ海道が走るのは南部で、島の中心部は北部の瀬戸田港周辺だったからだ。嘗て瀬戸田近辺は船の発着により人の流れがあり、土産店や飲食店等が並ぶ商店街が栄えていた。だが、次第に活気を失っていった。
そんな折、ある“仕掛け人”が島に降り立った。2016年の夏。「夏休みのよく晴れた日だったが、瀬戸田地区の商店街に人影は少なかった」と振り返る。『JR西日本』の社員、内藤真也さん(44、左上画像)だ。広島市の『瀬戸内ブランドコーポレーション(SBC)』という企業に出向していた。
福岡県生まれの内藤さんは2004年、JR西日本に運転士として採用された、いわゆる鉄道マンだ。JR西日本を選んだのは「旅や人が好きだったから」。また、高校時代からバンドにハマり、ドラマーとして活躍。その趣味とも両立できそうだったのも大きかった。入社後は山口県で車掌等を務めた。
仕事も趣味も充実し、日々の生活に大きな不満はなかった。だが、30歳を迎えた頃から「このままでいいのだろうか」と悩み、退職が頭を過るようになった。具体的な将来像は描けていなかったものの、これまでと異なるフィールドで仕事がしたくなった。上司に相談すると「何をするにしても、お金の動きがわかったほうがいい」と助言され、経理・企画部門で5年半勤務した。そして命じられたのが、SBCへの出向だった。「新たな経験を積める機会だ」と前向きに捉えた。
SBCは、瀬戸内海地域を世界に通用する観光地としてブランド化を進めるのが目的で、観光に携わる企業等を支援する。2016年、瀬戸内海に面した地域の金融機関やJR西日本が設立した。総額98億円に及ぶ『せとうち観光活性化ファンド』を活用し、必要な資金を融資する。
SBCに出向した内藤さんは、融資先となる観光資源を探すファンドマネージャーという立場になった。だが、元々は鉄道マンであり、経理担当の会社員。ノウハウも人脈もない。おまけに“ファンド”と聞いても、小説やドラマで話題になった“ハゲタカファンド”のネガティブなイメージしかなかった。
内藤さんが始めたのは自らの足で現場を歩くことだった。3~4ヵ月かけて自治体や観光事業者等を訪ねた。空き家の増加、少子化による廃校――。地域の課題を聞いて回った。農家には「人手が足りないから耕作地を縮小する」と打ち明けられ、クルーズ会社では「船を買いたいが元手がない」という愚痴の聞き役になった。次第に「この地域の役に立ちたい」という思いが強まっていった。
訪れた場所の一つが、生口島の瀬戸田港だった。JR尾道駅前の船着き場から約40分。島を案内してくれたのは、尾道市との合併前に旧瀬戸田町長を20年間務めた和気成祥さん(※2023年に死去)。ある古い建物の利用について相談を受けた。
それは、嘗て豪商の住まいだったという堀内邸。港の傍に位置し、製塩や海運を手掛けた堀内家の邸宅で、長年空き家となっていた。築年数は140年。元町長は、「こんなに素晴らしい建物なのに誰も使っていない。事業を営んでくれる人をずっと探している」と熱っぽく語った。内藤さんもどうにかできないか、考えを巡らせた。
そんな時、上司に「瀬戸内海で宿泊施設の建設を検討している事業者がいる」と聞かされた。その会社はホテル運営を手掛ける『ナルデベロップメンツ』(※京都府京都市)。内藤さんはリゾート地として相応しいスポットをリストアップし、生口島の堀内邸が担当者の目に留まった。
ナルデベロップメンツの経営者は、東南アジアを中心に高級リゾートホテルを展開する『アマングループ』で活躍した経験があった。同社の共同代表の岡雄大さん(38)は、こう語る。「アマンは光が当たらなかった場所や文化に注目し、現地の人々と一体でリゾートを創り上げる手法を取っていた。我々も同じ考え。瀬戸田には海や港、商店街がある。地域に溶け込んだ施設を始めるのにイメージ通りの場所」。
つまり、瀬戸田の歴史を生かした地域活性化を検討するというのだ。世界的な画伯である平山郁夫(※1930-2009)の生誕地で、その美術館もある等、文化の面でも申し分ない。内藤さんも共感し、連携を深めることとなった。2018年にはSBCが共同提案者となり、土地取得等の事業が動き出した。総事業費は数十億円規模に上った。
だが、予想外のことが起きた。建設計画は関係者だけで進められ、地元への説明会等を開いていなかった。環境を大きく損なうものではないと判断したからか。見慣れないスーツ姿の男達が闊歩するようになった。「地域の誇りのような建物なのに。好き放題にされてしまう」。住民の一部は、見知らぬ事業者の動きに不信感を抱くようになった。