『創価学会』が訴えたり訴えられたりする裁判で露呈する教団への疑念――本尊の真偽で寄付金返還訴訟、『聖教新聞』座談会記事の敗訴
18万余の宗教法人を数える中、原告・被告の席を交互にして出来する裁判件数の多さは、『創価学会』が断トツである。ここ30~40年、裁判が途切れなく続き、幕を閉じることが無い。組織の図体も大きいから、比例して裁判所に正邪の判断を仰ぐようなトラブル発生のケースが多く、昨年1年間を振り返っただけでも、様々な裁判が展開された。香川大学教育学部の高倉良一教授が原告になり、創価学会の池田大作名誉会長、原田稔会長等を訴えていた名誉毀損裁判がある(※最高裁判所判決で原告敗訴、最新準備中)。又は、創価学会本部の職員たちが、“職員解雇無効”等で訴えた損害請求訴訟も注目された。創価学会と法の関係について、同会が飛ぶ鳥を落とす勢いで会員を急増させていた1970年代前半まで、実は組織内では“法”に関し、次のような“教え”が浸透していたのだ。出典は明らかにされず、多分に都合よく作った教えとも思われるが、人や社会を裁く時に仏法律・国法律・世間法律という“三法律”があるという。どんな法律なのか。元古参幹部が次のように説明してくれる。「つまり、創価学会に対して世間の評価がどう下されようと、国が法律でどう判断しようとも、最も怖いのが日蓮大聖人の説く“仏法”の裁きということですね。要するに、『仏法律という大きな枠内に世間法や国法がある』という考えです。もう少し平たく言うと、『世間法や国法よりも仏法の法が上で、仏法を守る為には、極端な話、世間法や国法を犯しても構わない』と教えられたものです」。
実際、同会にはそうした教えがきっちりと“教義本”に残されている。会員が布教時にバイブルの如く活用していた『折伏経典』(戸田城聖監修・教学部編纂、昭和33年再版、宗教法人創価学会発行)がそうで、その中に『三法律というのは何か』のタイトルで、こう堂々と記されていた。「世の中には世間法律・国法律・仏法律の3つの法律がある。この世間法と国法と仏法とを網にたとえれば、世間法律は大きな目の網で、国法律は中ぐらいの目の網、仏法律はごく細かい目で、絶対にこの法律をのがれることができない。…最高の仏法律に従うといえども、世間法・国法が仏法律の一部分であることを忘れてはならないことである。一切法これ仏法である。特に世間法にそむき、国法に背くことがあってはならない。ただ仏法を護らんためには、世間法にも背かねばならないこともあるのである」。つまりは、「創価学会を守る為に、世間法に背くこともあるし、また国の法律よりも、寧ろ“仏法律”を恐れよ」という教えだ。一般社会では通用しないだろう独善的な教えである。尤も、近年になって、創価学会もいつの間にか、この三法律の教えを引っ込め、今日ではほぼ完全に姿を消した。三法律は、同会組織の基礎を築いた2代会長、故・戸田城聖の発想と思われるが、この三法律が組織から消えたもう1つの理由は他でもない。創価学会自身が被告や原告になり、正邪の判断を委ねる裁判件数が頻繁に重なり始めたからだ。最早、裁きの最高機関が仏法律等と言えるゆとりが無くなってきたのである。創価学会が裁判という形で国法律の舞台に登場したのは、早くも1950年代後半からだ。学会の信者が一斉に伝統仏教寺院の墓地に対して、その使用権を要求した訴訟で、その数は100件を超したと言われる。次いで注目されたのは、1972年秋頃からの同会の関連団体である『民主音楽協会』(略称“民音”)の職員だった松本勝弥氏が提訴した板本尊真偽訴訟や、御供養金返還請求訴訟」だろうか。それらの訴訟の内容を簡単に説明すると、創価学会は1965年、信仰の対象にしていた日蓮正宗総本山(宗門・静岡県富士宮市)に大伽藍『正本堂』を寄進する目的で、会員から御供養金を集めた。原告の松本氏は、1957年に創価学会に入会し、青年部の幹部等を務めながら、民音企画部に勤務。学会活動も熱心だった松本氏は、家族で正本堂の御供養金400万円を納めた。50年前の400万円である。決して小さな金額ではない。それから数年、松本氏は宗門の“大御本尊”を研究している間に、本尊の真偽に疑問を抱く。若し誤りであったら、創価学会は“錯誤”しながら会員から御供養金を集めたことになり、それなら会員の寄付行為は無効であるとして、返還訴訟を起こしたのである。この裁判経過は、松本勝弥著『訴訟された創価学会』(現代ブレーン社)に詳しいが、同著を読むと、創価学会は未だ裁判には慣れていなかったようで、こんな一面が活写されている。