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【火曜特集】(180) スマホゲームが飽きられたからスポーツ事業へ…ミクシィ、競輪リゾート開発の“銭失い”

20200630 10
IR(※カジノを含む統合型リゾート)の実現を前にして、異色の“ギャンブルリゾート”が、岡山県南部の人口6万人弱という瀬戸内の町、玉野市に誕生しようとしている。同市が運営する『玉野競輪場』の建て替えに合わせて、ホテルを併設する事業の開発を請け負ったのが、『ミクシィ』の子会社『チャリロト』であると報じられたのだ。玉野競輪場は1950年開設。今年が70年目の節目ということもあり、DBO(※公設民営)方式で老朽化した施設の建て替え基本計画が練られたのが昨年3月。その後、チャリロトとの間でホテル併設の計画案が浮上した。計画によれば、ホテルは8階建て100室余りを予定し、目前には瀬戸内海、眼下にはレース場が一望できるという。レース場の再整備費20億円は玉野市が支出し、ホテル建設20億円は事業者側の負担。収益については、毎年3億円を事業者側が市に保証し、不足分は補填する。3億円超の場合は、超過分の30%以内で事業者側が得る形で、2022年3月の開業を目指す。ここで出てくるのが、「何故ミクシィが競輪に?」という疑問だ。SNSの『mixi』が凋落する中、同社の収益の柱はスマートフォンゲーム『モンスターストライク(モンスト)』になっている。「2020年3月期第3四半期は純利益97.5%減と惨憺たるものだったが、偏にモンストの売上減によるもの。同社のゲーム収益は、5%に満たないヘビーユーザーがその殆どを稼ぎ出すという歪な構図」(証券アナリスト)。そこでミクシィでは、次の事業の柱としてスポーツ事業に傾注。2018年6月にモンストを立ち上げた木村弘毅氏が社長に就任すると、ほぼ同時にスポーツ事業の執行役員に就任している。

2017年には、男子プロバスケットボールのBリーグ『千葉ジェッツふなばし』とスポンサー契約を結んだ後に実質的なオーナーになり、サッカーJ1の『FC東京』ともスポンサー契約を結んでいる。更に昨年8月には、5ヵ年計画でプロ野球の『東京ヤクルトスワローズ』買収計画が同社内で進行していることも報じられた。今回の競輪リゾートも、その延長線上にある。ところで、実際の開発を行なうチャリロトは、昨年3月にミクシィが買収した。元々、競輪とオートレースの重勝式投票券(※複数レースの先着を纏めて予想する)を販売する為に、2006年に設立された。親会社の粉飾決算で切り離され、2016年に投資会社の『ジャフコ』に買われていたものだ。同年に65年の歴史を閉じた『船橋オート』に代表されるように、公営競技は自治体の運営では限界があり、民間に委託する傾向にある。更に、2005年にオンライン銀行の利用が導入されると、『ソフトバンク』・『サイバーエージェント』・『DMM』といったIT企業の参入が相次いだ。そして、今回のミクシィの参入。前出のアナリストが語る。「ミクシィは本業が不安定とはいえ、1200億円超の余剰金を持つキャッシュリッチ企業。ヤクルト買収を含め、スポーツ事業に多額の投資を行なう余力は未だある」。しかし、玉野市関係者はこう疑問を抱く。「玉野は、盛況の瀬戸内国際芸術祭の玄関口に近い為、観光客を取り込めるとの触れ込みだったが、素通りされているのが現実。玉野競輪も、ここ3年間は年6億円近い利益が出ているが、インターネット経由の無観客で行なわれるミッドナイト競輪の調子が良いからで、レース場の集客と無関係」。玉野市は民間委託を数年前から検討していたというが、当初の計画案にホテル建設はなかった。となれば、玉野市がミクシィを手玉に取ったとも言える。モンストで積み上げた資産は、競輪に費消されてしまうことになりそうだ。 (取材・文/フリージャーナリスト 横関寿寛)


キャプチャ  2020年6月号掲載

テーマ : 経済ニュース
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【火曜特集】(179) 官邸に魅入られた外客誘致のイデオローグ…インバウンド“お雇いイギリス人”の評判

コロナ禍で一気に消え失せた訪日外国人観光客。しかし、それまでは空前のインバウンド需要が到来。そこで俄かに注目されるのが、『ゴールドマンサックス』出身のデヴィッド・アトキンソンなるイギリス人だが、その評判は――。 (取材・文/本誌取材班)



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コロナ禍が深刻化していた最中の3月18日、観光庁のホームページでパブリックコメント実施のお知らせが掲載された。内容は『観光地域づくり法人の登録制度に関するガイドライン(案)』についての意見募集。とはいえ、観光地域づくり法人といっても、一般には馴染みが薄いだろう。アベノミクス推進の柱として、訪日外国人旅客数の拡大を目指す政府だが、外客が増えるほど、“東京―富士山―京都―大阪”のゴールデンルート上の観光地に外国人が集中してしまうオーバーツーリズムの問題が深刻化。政府ではルート以外の地域へ観光客を分散させることが課題となっていたが、これまで決定打を欠いてきた。そんな中で期待されているのが、DMOとも呼ばれる地域まちづくり法人である。日本版DMOを支援する『DMO推進機構』等が中心となって、旅館や土産物店といった地元利害者の調整程度の役割しか果たしていなかった地方の観光協会の刷新を目指し、旅行者の主体である都市住民の視点でマーケティング活動をする組織として、海外のDMOの概念を提唱。国がそれを取り入れる形で、2015年11月に観光庁が日本版DMOの推進を開始した。結果、雨後の竹の子のようにDMOが設立され、今年3月末で162もの法人が認定された。そんな中、日本版DMOの在り方に並々ならぬ精力を傾ける一人の英国紳士がいる。デヴィッド・アトキンソン。神社仏閣や文化財等の美術工芸工事を請け負う『小西美術工藝社』の社長である。アトキンソンは1965年、イギリス生まれ。オックスフォード大学日本学科を卒業後、コンサルティング会社勤務等を経て、1990年に来日。ゴールドマンサックスのアナリストを務め、日本の金融機関が隠す不良債権問題を早々に指摘したとされる。

当時、大手証券でファンドマネージャーを務めた関係者が語る。「既にバブル崩壊後だったが、景気は未だ底を打っておらず、金融機関が不良債権を隠しているというデヴィッドの指摘は当初、外国人ということもあって黙殺された。ただ、一部の外資系等は彼の提言に従い、日本株を売って結果的に難を逃れることができた」。そんな凄腕アナリストだったアトキンソンが、縁あって小西美術工藝社に入社したのが2009年。会長・社長として、創業300年超という同社の再建に努めた。中でも彼を勇躍させるきっかけとなったのが、『新・観光立国論』(東洋経済新報社)の出版である。そして、この本に注目したのが官房長官の菅義偉だった。元来、観光事業も縄張りの国土交通族である菅は、アトキンソンと『週刊東洋経済』2019年9月7日号で対談、「感銘を受け、直ぐに面会を申し込んだ」と告白している。菅に見込まれたアトキンソンは、時を置かずして、官邸が主催する『明日の日本を支える観光ビジョン構想会議』に招かれる。その後に続く『観光戦略実行推進タスクフォース』、今では実質的に国の観光戦略の最高意思決定機関である『観光戦略実行推進会議』にも参加。有識者として大きな発言力を得ていく。2017年6月には、観光立国の海外における実行部隊である日本政府観光局(JNTO)特別顧問に就任した。そんなアトキンソンの主張は“情報発信より外客受入環境整備”。ところが、この主張が観光庁を始め、日本の観光業界関係者の間で物議を醸すことになる。「JNTOで“先生扱い”された彼は、『訪日旅客の4分の3を占める最重要ターゲットだったアジアの観光客から、一人当たりの旅行消費額が大きい欧米豪市場を攻めるべき』と主張。実際に国の方針や予算付けもそのようになり、それまで欧米の事務所を閉じてアジアに新事務所を開設していたJNTOが、今度はロシアやスペイン等に相次いで新事務所を開くことになった」(観光業界関係者)。更に、JNTOの次に目をつけたのが、先のDMOだという。別の観光業界関係者が解説する。「昨年、観光庁で“世界水準のDMOのあり方に関する検討会”が開催された際、JNTO特別顧問であるアトキンソン氏は大方の意見に抗って、『DMOは外客受入環境整備に専念して、情報発信はJNTOに一元化すべき』との主張を押し通し、DMOの情報発信機能を、自分の息がかかったJNTOに集中させることに成功した」。その主張ぶりが時に周囲から「威圧的」(同)と捉えられるというアトキンソンだが、「独自の情報発信に成功しているDMOもあり、その努力を無視するような決定」(DMO関係者)には批判ら根強い。しかも、アトキンソンのその仕掛け作りが、冒頭のパブコメではないのかというのだ。

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テーマ : 政治のニュース
ジャンル : ニュース

【火曜特集】(178) 東芝機械で“一敗地”の陰に御用記者…村上世彰を贔屓で引き倒した日経ビジネス記者

能弁、雄弁、多弁はこの“物言う株主”の代名詞だが、それもメディアの拡散があっての物種。ただ、記者が提灯を持つとなると話が違ってくる。しかも、その背後には『日経BP』のお家事情まで――。 (取材・文/本誌取材班)



20200630 06
『東芝機械』(※4月から『芝浦機械』に社名変更)と“物言う株主”こと村上世彰が関わる投資会社の2ヵ月に亘る闘争は、東芝機械に軍配が上がった。3月末の東芝機械の臨時株主総会で、旧村上ファンド系投資会社の子会社『シティインデックスイレブンス』(東京都渋谷区)が実施した株式公開買い付け(※TOB)に対する買収防衛策が可決され、投資会社は戦略の練り直しが必至となった。この激しい攻防戦の裏側で、あるメディアの偏向ぶりが話題になっている。「日経ビジネスが村上氏に肩入れしていることは、業界では周知の事実でした」。あるメディア関係者はそう明かす。『日経ビジネス』は1月21日、“東芝機械に敵対的TOBの村上世彰氏、狙いを独占告白”と題した独自記事を電子版に掲載した。村上が拠点を置くシンガポールから、電話によるインタビューに応じたという。この日は投資会社によるTOBの開始日。TOBを正当化する村上の主張に合わせて、「ありとあらゆる手段を使って、こんな悪弊(※買収防衛策)が行なわれないように頑張ります」という、宛ら決意表明を大々的に報じた。この記事を執筆したのは、同誌記者の奥貴史。「日本経済新聞証券部等に所属し、2年前から日経ビジネスに出向しています。スクープが飛び交う企業のM&A取材に、並々ならぬ熱意を注いでいます」(日経関係者)。その一方で、「ネタをくれる情報源を担ぎ過ぎる」(同)との声に加え、こと村上に関しては「ホットラインがあることを誇らしげに語っていた」(市場関係者)とも。評判通り、今回のTOBを巡っても、その習い性は貫かれたようにも見える。

独占インタビュー配信の翌日、1月22日、“東芝機械に敵対的TOBの村上氏が新提案”との記事を掲載。村上は「買収防衛策導入の賛否を問う臨時株主総会を開催してもらっても構わない。そこで正々堂々と白黒つければいい」と、22日に再び応じた電話取材で述べたという。連日に亘り、当事者一方のみの主張を報じることは、曲がりなりにも中立公正を是とする新聞系の媒体では珍しい。臨時株主総会直前にもバランスを欠いたような報道ぶりが窺える。3月16日の日経ビジネス電子版の見出しは、“焦る東芝機械、余裕とジレンマの村上氏側 新型コロナで戦況変化”。然も村上側が有利なようにも読める。しかし、ほぼ同時期のライバル誌の見立ては真逆。3月20日の『ダイヤモンドオンライン』は、“コロナで旧村上ファンド窮地、東芝機械TOB撤回のための「奇策」とは”と題し、既に投資会社が撤退を検討している様子を詳報した。日経ビジネスの記事からは、村上側の焦りはほぼ伝わってこない。そんな「献身的なサポート」(前出のメディア関係者)が裏目に出たとの見方もある。今回の攻防では、TOBが外為法に抵触するかどうかも焦点のひとつ。外為法では、外国投資家が外為法で規制する工作機械を製造する東芝機械の株式を10%以上取得するには、財務省への事前届出と承認の必要があると定めている。東芝機械側は、TOBの実施主体の投資会社は、実質的にシンガポール在住の“外国投資家”である村上の支配下にあると、主張する一方で、村上側は「TOBを実行する投資会社は村上氏の支配下にはない」と反論した。しかし、東芝機械側には、日経ビジネスのインタビューに応じた村上の言動が矛盾を示していると映ったようだ。村上のインタビューでの発言を拾うと、「東芝機械株はだいぶ前から持っています。そしてずっと対話を希望してきました。ですが全然応じてくれません」(※1月21日)、「東芝機械の社長と公開討論しても構いません。…そのためならシンガポールから帰国します」(※同)、「TOBが終わる前に株主総会が開けるよう、TOB期間を延長しても構わない」(※1月22日)等と、村上が主導的な役割を果たしている上、シンガポールが拠点であることが公然と述べられている。関係者によると、東芝機械は1月末の財務省や経済産業省への外為法違反の調査申し入れの際に、これらの発言も外為法に抵触する証拠として報告したという。「この疑惑が浮上して以降、村上氏のメディア露出は減った」(同)。喋り過ぎた村上に、書き過ぎた日経ビジネス。まさに“贔屓の引き倒し”のような皮肉な一側面と言える。買収防衛策可決後の3月30日の記事には、敗戦した村上の口惜しさを代弁するかのように、辛辣な言葉が躍った。見出しは“海外投資家に衝撃 東芝機械はブルドッグになるのか”。2007年のブルドックソース事件を引き、「がっかりだ」「アンビリーバブル…」「あきれてものが言えない」等といった海外投資家の失望の声を紹介し、再び日本株離れに繋がると警鐘を鳴らした。

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テーマ : テレビ・マスコミ・報道の問題
ジャンル : ニュース

【教科書に載らない経済と犯罪の危ない話】(167) 老舗旅館の再訪で思い出した今はなき親分との出来事

久しぶりの羽田空港は閑散としていて、異様な光景だった。これから福岡に向かうのだ。JALの座席は2席に1人ずつ座るようになっていて、広く快適なのだが、企業の採算的には心配になる。航空会社も新型コロナウイルスで淘汰と再編の時代を迎えるのだろうか――。そんなことを考えているうちに福岡空港に到着した。博多に来たのは20年ぶりくらいである。前回はタイガー・ウッズと食事をしたのだが、ゴルフにも彼にも興味はなかった。今回、博多を訪れたのは、4週間程前に採取した幹細胞の成長を確認する為である。銀座で採取された筆者の幹細胞は、博多にあるラボ(※培養施設)ですくすく成長しているらしい。ラボは厳重な管理がなされていて、培養室はガラス越しに見ることしかできない。覗いてみると、全身防護服姿の女性2人が何やら作業をしている。全身防護服はコロナ禍で見慣れた光景だが、間近で見ると緊張感が漂う。映画でよくある、悪の組織が細菌兵器を開発しているシーンのようだ。ラボの入り口に貼ってある黄地に黒の、一見すると家紋のようなバイオハザードマークも緊張感を高めている。培養中である筆者の幹細胞を直接見ることはできない。顕微鏡写真で説明を受けたのだが、海ぶどうのようだった。兎に角、筆者の幹細胞は順調に育っていて、あと2週間もすれば体内に戻せるらしい。ラボ見学の次に向かったのは、楽しみにしていた『シュネコカフェ』である。シュネコカフェは、筆者が幹細胞治療を受けている『朱セルクリニック』の経営する猫カフェだ。

シュネコカフェは、動物再生医療の発信基地であると同時に、病気の猫たちを救う施設でもある。動物専門の再生医療クリニックの準備室としても機能しており、腎臓病から見事に回復した猫とも遊べる場所だ。シュネコカフェはマンチカンやミヌエット等、脚の短い猫を専門としている。店のキャッチフレーズも“短足ネコ専門”だ。ところが、店内には脚の長いシュッとした猫もいる。「脚の長い猫がおるやんけ」。筆者は店員にツッコんだ。「何世代かすると脚の長い子も生まれるんですよ」。店員は申し訳なさそうに答える。こういう時に、ついツッコんでしまうのは関西人の性である。短足(※一部脚長)の猫たちと戯れて満足すると、博多での予定は終了した。折角九州まで来たからには、温泉にでも浸かろうと考えた。湯布院なら車で走れば1時間半程で行ける。6月5日から営業を再開した『亀の井別荘』の離れを予約できた。湯布院御三家宿の一つである亀の井別荘は大正10(1921)年創業の老舗旅館だ。亀の井別荘には、30年近く前に一度だけ訪れたことがある。筆者が未だ20代半ばの頃だ。温泉を楽しむとかの優雅な旅ではない。株取引で大きな損失を出したことを出資者に報告・謝罪する為だ。相手は、横浜を拠点とする組織の親分である。東京から飛行機と車を乗り継いで、亀の井別荘に着いた時、相手は丁度食事をしているところだった。「まぁ、飯でも食ってゆっくりしていけ」。事の顛末を説明する筆者に、相手は怒るどころか、そう言った。恐縮して早々に引き揚げる筆者に、連れの若い女性が封筒を渡してきた。帰りの車中で封を開けると10万円が入っていた。粋とはこういうことなのだろう。その親分も、10年程前に亡くなってしまった。あの時と同じ18番館という離れは、畳だけが新しくなっていた。 (http://twitter.com/nekokumicho


キャプチャ  2020年6月30日号掲載

テーマ : 温泉宿
ジャンル : 旅行

【僕が親ならこうするね】(44) 苛めの解決は難しい…ならば親ができることって?

https://nikkan-spa.jp/1677344


キャプチャ  2020年6月30日号掲載

テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

【戦後75年】第1部・憲法改正(04) 自民、長い不作為の歴史

20200630 05
自民党総裁の首相・安倍晋三は、「憲法改正は立党以来の党是だ」と繰り返し強調する。昭和30年の立党時に策定した公式文書の一つである“党の使命”は、「現行憲法の自主的改正を実行する」と記載している。しかし、今年で65年となる党の歴史を振り返れば、改憲を前面に掲げたのはごく最近でしかない。立党時の熱が冷めた昭和40年頃からは、改憲に反対する社会党等の野党が国会で3分の1以上を占め、改憲の国会発議に必要な3分の2以上の壁であり続けた。軌を一にするように、高度経済成長で国民は豊かさを享受し、国際情勢に目を向ければ米ソ冷戦の真っ只中。冷戦終結頃までの約30年間は、自民党も含め、主体的に“国のかたち”を考えず、改憲は不急との“思考停止”に陥った。後に首相の座を射止めた中曽根康弘は、若手だった昭和31年、自ら作詞した『憲法改正の歌』を発表した。その党内随一の改憲派も、5年近い長期政権下では憲法に触れなかった。就任直後の昭和57年12月、国会で「現段階で内閣としては憲法改正問題を政治的日程にのせる考えはない」と明言した。何故か。中曽根は、議員引退後の平成16年に出版した共著『憲法改正大闘論』で、率直にこう語る。「行財政改革という大問題が目前にあったから、それを遂行するのが第一でした。とても憲法までは手がまわらなかった【中略】。まあ、やむをえなかったとはいえ、ここは私も反省しているところです」。昭和50年出版の『自由民主党二十年の歩み』は、党内で改憲が軽視されていたことを如実に示す。巻頭言に登場した総裁の三木武夫ら幹部は、誰一人として改憲に触れていない。800ページ超もある冊子での言及は、立党時の“党の使命”を掲載している程度だ。

改憲に逆行するような記述さえあった。冊子の中の意見広告では、「戦後、日本に自由と人権が確立され、市民社会が力強く、かつ厳然として成長し、戦前に例を見ない自由で平和な時代を作った」のは、「日本国憲法に負うところが多大」と強調している。“立党以来の党是”どころではない。党が節目に発行してきた他の自民党史も事情は同じで、改憲を特別に扱った記述は見当たらない。改憲を党是とした記述の登場は、第1次政権の安倍が総裁だった平成18年出版の『自由民主党五十年史』を待たなければならなかった。政党の基本理念を示す党綱領に改憲が登場したのも、平成17年に策定した新綱領が初めてだった。ここ15年で漸くスポットライトが当たるようになったに過ぎない。平成21年秋、野党に転落した自民党の総裁に就いた谷垣禎一は、総裁室に政調会長だった保利耕輔を呼び入れた。「党是として憲法改正がある。憲法について少し勉強してくれませんか?」。党憲法改正推進本部長に就任した保利が憲法全文を書き直した“保利私案”が、平成24年4月発表の『日本国憲法改正草案』の叩き台となる。党内ではリベラルで知られる谷垣は、何故改憲を重視したのか。保利は、「他の野党とは違う自民党というものを出さなければならないという気持ちが、谷垣さんにはあった」と振り返る。草案作りを通じて結束を強めた自民党は、平成24年12月の衆院選で大勝し、政権に復帰した。再登板した安倍は、就任間もない平成25年2月の施政方針演説で、こう力強く訴えた。「憲法改正に向けた国民的な議論を深めよう」。自民党の首相が国会の場で改憲に前向きな発言をしたのは、立党直後の鳩山一郎以来だった。しかし、野党時代の草案は保守色が強いとの批判も出て、改憲に慎重な野党を交渉のテーブルに乗せるべく、改憲4項目が纏められた。それでさえ実現の見通しは立っていない。「憲法制定から70年余りが経過し、時代にそぐわない部分、不足している部分は改正していくべきではないか」「憲法改正への挑戦は決して容易い道ではないが、必ずや皆さんと共に成し遂げていく。その決意に揺らぎは全くない」。安倍は今月3日の改憲派集会に寄せたビデオメッセージでこう訴えたが、自身の総裁任期満了は来年9月に迫る。安倍が去った後、“冬の時代”が再び自民党を包み込む可能性は否定できない。 《敬称略》


キャプチャ  2020年5月5日付掲載

テーマ : 政治のニュース
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【戦後75年】第1部・憲法改正(03) 活発な改憲、世界の常識

20200630 04
憲法は国のかたちを明記したものだ。時が流れれば国家の在り方は変わる。憲法を尊重しつつも、熟議を経て、時代に合わせて改めるのが、世界では常識である。ワシントンD.C.近郊で2月末、大統領のドナルド・トランプも出席した保守勢力の年次大会『保守政治行動会議』が開かれた。会場の大型スクリーンで流された“大統領選挙人制度を守れ”と訴える映像に、参加者が拍手した。11月の大統領選を前に、選挙人制度の見直しが、1787年制定の合衆国憲法修正に絡む“隠れた争点”になっている。日本と異なり、アメリカでは保守が護憲勢力だ。きっかけは2016年の前回大統領選。有権者の投票総数は、民主党のヒラリー・クリントン(※元国務長官)が共和党のトランプを約290万票も上回ったが、トランプが勝利した。選挙人の獲得数で、トランプ(※306人)がクリントン(※232人)を上回ったからだ。今回、民主党候補指名を前副大統領のジョー・バイデンと争った急進左派の上院議員のバーニー・サンダースは「相手より約300万票も多く取った候補が負ける制度は擁護し難い」、左派の上院議員のエリザベス・ウォーレンは「国民の一票が確実に生かされるよう憲法の修正を」と其々訴えた。バイデンは憲法修正に慎重だが、党を結集させてトランプに勝利するには左派の意見も無視できない。選挙人は各州を代表して正副大統領を選ぶ形式的な存在で、合衆国憲法第2条第1節3項、修正第12条に規定がある。総数538人が全米50州と首都のワシントンD.C.に割り当てられ、各州等での一般投票で最多得票の候補が原則として選挙人を総取り。過半数の270人を得た候補が当選する。

一般投票ではなく、選挙人の多い激戦州を効率よく押さえれば、トランプのように“捻じれ現象”での勝利が可能だ。2000年大統領選でも、民主党のアル・ゴアが共和党のジョージ・W・ブッシュに一般投票で勝ちながら、激戦州のフロリダ州を落とし、選挙人数で敗れた。共和党や保守派は「憲法を護持することがアメリカの理念の保守に繋がる」との立場から、政治的な都合で憲法を修正しようとする民主党に強く反発する。政治評論家のジョナ・ゴールドバーグは保守系誌への寄稿で、「選挙人制度を廃止すれば、大衆迎合的な政治家が(当選に向けて)人気取りや個人崇拝を志向するようになる」と警告した。アメリカ憲法史に詳しい同志社大学特別客員教授の阿川尚之は、「合衆国建国の父たちが選挙人制度を設けたのは、民衆に投票をするチャンスを与えるが、賢明で慎重な人が選挙人になって大統領を選ぶ為であった」と解説する。但し、殆どの州で選挙人の“勝者総取り”方式をとる現在では、こうした“フィクション”は成り立たなくなっているという。それでも、阿川は「フェデラリズム(※連邦主義)の考え方をなくせば中央集権国家になってしまうので、敢えて憲法を改正することは無理だと思う」と話す。州単位の選挙人が投票して大統領を選ぶ制度を、全国での一般投票に改めることは、州が構成する連邦国家という伝統を壊す。選挙人制度の見直しは、単に選挙制度の変更ではなく、“国のかたち”に関わる憲法論議である。アメリカは過去に27回、憲法を修正した。奴隷制の禁止、後に廃止された禁酒修正条項等様々だ。ドイツでも、憲法にあたる基本法が、1949年の制定以来、64回改正された。頻繁な改正に関し、公法学の権威であるフンボルト大学教授のクリストフ・メラースが、昨年9月、衆議院憲法審査会の調査議員団に説明した理由の一つが“政治の在り方”だった。ドイツは連邦制の国であり、連邦と州の権限分配の見直しに関わる“技術的”改正の多さが、回数が増える要因となっている。同時に、政治色が強い改正でも、保守系の『キリスト教民主・社会同盟』と中道左派の『社会民主党』の二大政党間で、「其々が改正したいと思う項目についてギブアンドテイクで妥協点を探るということも行なわれてきた」とメラースは言う。具体例の一つは、1960年代に行なわれた緊急事態条項の整備だ。同盟が実現を目指し、社民党は否定的だった。だが、最終的に社民党が求める、国民が憲法裁判所に人権救済を訴えることができる制度の導入を認めることで、緊急事態条項の容認に転じさせた。メラースは、「ドイツ人の中で“自分たちが作った憲法”という意識が非常に強い」とも解説する。ドイツの世論調査機関『インフラテストディマプ』の調査によると、国民の9割近くが基本法を評価している。米独での活発な改憲論議は、憲法が社会のありようを形作る、国民に寄り添う存在として定着している証左と言える。 《敬称略》


キャプチャ  2020年5月4日付掲載

テーマ : 国際ニュース
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【戦後75年】第1部・憲法改正(02) 国防任務、制約に縛られ

20200630 03
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、自衛隊員は空港での検疫や、海外からの帰国者が検査結果判明まで滞在するホテルでの生活支援等に日々従事している。この1年は、豪雨で街中に流出した油の除去から、豚熱(※CSF)発生に伴う豚の殺処分まで任務は多様化し、感染症対応も加わった。「自衛隊イコール災害派遣隊ではないのだが…」。幹部自衛官は自嘲気味にこう語るが、内閣府が平成30年に行なった世論調査では、自衛隊に期待する役割は“災害派遣”がトップの79.2%。“国の安全の確保”は60.9%だった。自衛隊は軍事装備を所有する国防組織でありながら、憲法上は軍隊ではない。矛盾を生んでいるのは、「陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない」と規定する憲法9条2項だ。国防任務や海外活動は様々な制約を受けてきた。平成16年4月15日昼、イラク戦争後の復興支援活動の為、陸上自衛隊が派遣されたイラク。日本人が武装勢力に人質に取られる事件が発生する等、緊迫の度を増す中、拠点を置く南部・サマワを陸自の車列が出発した。記者10人を乗せた車両の前後を別の車両が挟む形で、空港まで約100㎞の悪路を3時間かけて進み、記者は航空自衛隊機で国外に退避した。輸送の名目は“復興支援活動を円滑に進める為の広報の支援”だった。「若し襲撃されたら正当防衛で守る。実際は自衛隊による防護と輸送だった」。派遣部隊長としてこの邦人輸送を担った現参議院議員の佐藤正久は、こう振り返る。後に改正されたが、広報支援としたのは、海外の日本人を陸上輸送で避難させる任務が自衛隊法で規定されていなかったからだ。

苦肉の策を捻り出した例は他にもある。平成14年12月に東ティモールで暴動が発生し、レストラン経営の日本人が現地にいた自衛隊員に救援を要請。自衛隊員は「休暇中の隊員を探しに行く」との理由を付けてレストランに車で赴き、帰りに“序でに”余っている座席に日本人を乗せた。9条が実態にそぐわない背景には、その特異な制定過程がある。日本国憲法は『連合国軍総司令部(GHQ)』の占領下で作られた。昭和21年2月、最高司令官のダグラス・マッカーサーは部下に憲法の草案作成を指示した際、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄するとの原則を示した。昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると、態度を変えた。日本駐留のアメリカ兵が朝鮮半島に出兵する一方、警察予備隊の創設を日本政府に指示。改組を経て昭和29年に自衛隊となったが、9条は維持された。侵略戦争は否定するが、自衛の為、必要な最低限の実力組織としての自衛隊は容認する――。これが政府による現在の9条解釈だが、抑々、憲法は日本が軍事力を持つことを想定していない占領下で制定された。日本を取り巻く国際情勢も激変した。30年近く前に米ソの冷戦は終結したが、東アジアの“力の真空”を埋めるように、中国軍戦闘機や艦艇が日本周辺や南シナ海で挑発を繰り返す。自民党は平成17年の『新憲法草案』で、9条2項を削除し、“自衛軍”の保持を明記した。野党時代の平成24年の『憲法改正草案』は、国を守る組織であることを明確にする為、“国防軍”に改めた。党憲法改正推進本部長だった保利耕輔は、国防軍の意図をこう語る。「他党と協議をしていく中で、『国防軍ではきついから自衛軍にしたらどうか』と言われれば、『それで結構です』という譲り代だ」。ただ、その後、改憲議論の場である衆参憲法審査会で9条が取り上げられたことは、殆どない。事態打開の為、首相の安倍晋三は平成29年5月3日の憲法記念日に、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」と提案した。これで自衛隊が軍隊と位置付けられるわけではない。矛盾は解消されないが、他党、特に9条改正に慎重な公明党が同意し易い案にする狙いがあった。2月2日、情勢が悪化した中東に派遣される海上自衛隊護衛艦『たかなみ』の出航式が行なわれた神奈川県の横須賀基地近くの公園で、社民党党首の福島瑞穂らが“憲法違反!!即時中止を”のプラカードを掲げた。3月22日、安倍は防衛大学校の卒業式で、この場面を引き合いに、「隊員の子供たちも目にしたかもしれない。どう思うだろうかと思うと言葉もない。隊員が使命感を持って任務を遂行できる環境を作っていかねばならない」と語った。しかし、安倍が3年前、“自衛隊の明記”と共に“新憲法施行の年”と掲げた今年は、コロナ禍対応に追われるまま、もう半分が過ぎようとしている。 《敬称略》


キャプチャ  2020年5月3日付掲載

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【戦後75年】第1部・憲法改正(01) 憲法の不備、コロナ禍で露わ

日本は今、新型コロナウイルスとの戦いに直面している。戦後の復興、バブル崩壊、度重なる大きな震災――。戦後75年、幾度の危機を乗り越えてきた日本だが、一貫して変わらないものもある。昭和22年5月3日施行の日本国憲法だ。憲法を始めとする法の不備が、コロナ禍でまた明らかになっている。



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1月29日。政府がチャーターした全日空機が約200人の邦人を乗せ、羽田空港に着陸した。新型コロナウイルス感染が拡大した中国の湖北省武漢市からの邦人退避の第1便。到着ロビーで、厚生労働省職員が乗客に東京都内の医療機関で検査を受けるよう“お願い”した。だが、2人は拒んで帰宅。「感染しているかもしれない人が市中に出た」との不安が広がった。翌30日の参議院予算委員会。首相の安倍晋三は、こう答えるしかなかった。「相当長時間に亘り説得したが、法的な拘束力はなく、残念ながらこういう結果になった」。厚生労働大臣の加藤勝信も、「これ以上、私どもの法的な権限はない」と言い切った。第1便は搭乗前に検査の誓約をとらず、政府の反省点もあった。ただ、第2便以降もより強く要請するようになったに過ぎず、「人権の問題もあって踏み込めないところもある」(首相)ことに変わりはない。3月20日。スペイン旅行から帰国した10代の女性は、成田空港で受けたPCR検査の結果が出るまで待機を要請されたものの、待たずに羽田経由で沖縄県の自宅に帰宅。その後に感染が判明した。さいたま市では22日、格闘技『K-1』のイベントが約6500人を集めて開催。3日前、政府の専門家会議が“慎重な対応”を求め、会場を所有する埼玉県は主催者に自粛を要請したが、知事の大野元裕は記者団にこう嘆いた。「要請に強制力はなく、あくまでお願いだったが、聞き入れてもらえなかった」。政府が4月7日に発令した緊急事態宣言も大差はない。外出自粛は“要請”しかできず、従わなくても罰則はない。外出禁止令を出したフランスでは、特例で外出する人は証明書の携行が義務付けられ、警察官が街中を巡回。悪質な再犯者には、最高3750ユーロ(※約44万円)の罰金が科せられる。日本は自粛を強制できる法的な枠組みすらない。

教訓を生かしたのか、それとも泥縄式の対応か――。日本は、大規模な自然災害等の度に、法律が想定していない事態に直面し、事後に制度を改めてきた。平成7年1月17日の阪神淡路大震災では、避難や安否確認の為のマイカーで幹線道路が渋滞し、救急や消防、自衛隊の車両が現場に辿りつけない事態が起きた。その11ヵ月後、政府は災害対策基本法を改正し、都道府県による災害時の一般車両の通行制限措置を容易にした。災害対策基本法自体は、昭和34年の伊勢湾台風後に制定し、ハイジャック防止法や原子力災害対策特別措置法も事後的な対応だった。事前に政府の強い権限を規定しておけば、犠牲を抑えられるのではないか。自民党は、こうした緊急事態条項(※国家緊急権)を憲法に明記するとの立場だ。“事前の想定”には限界があるとの考えに基づく。野党第一党の立憲民主党代表・枝野幸男は新型コロナウイルスに絡め、「必要な措置はあらゆることが現行法制でできる。憲法とは全く関係ない」と話す。一時的に私権が制限されることもあるが、“何か”が起きてからでは遅い。それなのに、同じ轍を踏もうとしている。東京五輪が開かれた昭和39年に出版された作家・小松左京の『復活の日』は、ウイルスが蔓延し、人類滅亡の危機に直面した世界を題材としたSF小説だ。死者が続出する事態への日本政府の対応として、次のような記述がある。「情勢は今の所、悪い方へ拡大して行くばかりで、恢復のめどは立たない。――たかがかぜぐらいで、非常事態宣言は大げさすぎると思うだろうが」。感染が爆発的に拡大する恐怖、機能麻痺に陥った文明社会。ウイルスの発生原因や感染規模は異なるが、その描写はSFと切り捨てられない現実味がある。緊急事態対処の示唆に富む半世紀前の小説と、新型コロナウイルスが猛威をふるう今も、法の不備という面ではあまり変わらない。平成21年の衆院選で大敗し、野党に転落した自民党は、憲法改正草案作りに着手した。平成23年3月11日に東日本大震災が発生すると、「後手に回る対応から抜け出さないといけない」との声が相次いだ。平成24年4月公表の『日本国憲法改正草案』に、独立章として“緊急事態条項”を設けることが決まった。

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【言論StrongStyle】(90) 安倍応援団の自称保守が何を喚こうが、予想通り河井夫妻は逮捕された

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https://megalodon.jp/2020-0629-2057-35/nikkan-spa.jp/1677312/2


キャプチャ  2020年6月30日号掲載

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