【令和時代の人生百年計画】(35) 男子がバスに乗り遅れるのは何故か?
男と女ではリスクの取り方が違う。それは恐らく(※少なくとも半分は)、進化の過程でヒトの脳に埋め込まれたものだろう。だとすれば、この性差は私たちの日々の生活にどのように影響しているのだろうか? イギリスの人類学者たちは、大学生の登校を観察することで、この疑問に答えようとした。リバプール大学は、学生が多く住む住宅地から2.5㎞程離れており、バスを利用するのが普通だ。研究者は冬の4ヵ月間、男子学生と女子学生が午前9時40分発のバスに乗る為にどのような行動をとるかを調べた(※サンプルは計20日間で男子524名、女子475名)。キャンパス行きのバスは平均して定刻の12分前にやって来るが、日本と違って、満員になると出発してしまう。その為、寒い季節には、学生は次の条件を考慮しなくてはならない。Ⓐ早めにバス停に着けば確実に乗れるが、その分だけ寒さに震えることになる。Ⓑぎりぎりにバス停に着けば待ち時間は最小になるが、乗り損なうと次のバスまで15分程待たなくてはならない――。学生たちの登校には、単独、同性グループ、カップル、男女混合グループの4タイプがあった。女子学生は男子よりも、グループでやって来る割合がかなり高かった(※女子の42%、男子の28.6%がグループ登校した)。その結果を示したのが図①で、定刻の何分前にバス停に到着したかが示されている。バスの出発時間の統計をとると、定刻5分前なら確実に乗車できるが、4分前だと乗り損なう恐れがある。女子学生はこのルールを経験的に知っているらしく、1人でバス停に来る時はほぼ5分前に到着した(※リスクとリターンの比率を最適化していた)。
それに対して、男子学生がバス停に到着したのは、10回に1回程度は乗り損ねる4分前だった(※過剰にリスクをとった)。日本でも、女子学生が余裕をもって駅(※或いはバス停)にやって来るのに、男子はぎりぎりに駆け込んでくるというのはよく見かける光景だろう。これはイギリスも同じで、男が日常的にリスキーな行動をとるのは世界共通なのだ。同性グループでは、女子が定刻の4分30秒前に到着したのに対し、男子は5分30秒前と大幅に早く着いている。女子グループの到着が1人の時より少し遅れるのはわかるとして、男子グループがずっと早くバス停にやって来るのはおかしいと思った人もいるだろう。これはその通りで、研究者によれば、男子グループは早く着いているのではなく、前のバスに乗り損ねて授業に遅刻しているのだ。何故こうなるかは、3つの理由が考えられる。ひとつは、男はグループになるとより大きなリスクを取るようになること。2つ目は、女子がバスを待つ時間を社交に使うのに対し、男子はそうした交遊に興味がないこと。最後に、約束した時間に誰かが家から出てこなくても、全員が揃うまで待とうとすること。実際には、これらが相俟ってバスに乗り損なうことになるのだろう。ベトナム戦争の時、ベトコンは意図的にアメリカ兵の足を撃ったという。アメリカ軍は負傷者を見捨てることができず、1人が動けなくなると部隊全体が停止するからだ。スポーツチームや不良集団も同じで、仲間を見捨てることは男にとって最大の恥辱とされている(※女子学生が約束の時間に遅れた友人をどうするかはわからない)。興味深いのはカップルで、男は彼女に合わせて定刻5分前にやって来る(※女が彼氏に合わせてぎりぎりにやって来るわけではない)。自分のせいでバスに乗り遅れると彼女に怒られるからだろうが、集団の呪縛から逃れると、男も冷静にリスクとリターンを計算できるようになるということでもある。男女混合グループでは、女子が多い時には定刻5分前に到着するが、男子が多いとバスに乗り損ねる羽目になるらしい。もうひとつの調査では、大学キャンパスを横切る交通量の多い道路で、男子学生と女子学生が歩行者用信号を無視する度合いが調べられた。その結果を示したのが図②で、状況によってノーリスク(※車が来ていない)、ローリスク、リスキー、ハイリスク(※車が迫っている)の4つに分けている。ここからわかるのは、安全に道路を渡れると思えば、イギリスの女子学生は男子と同じように信号無視をするということだ。ローリスクやリスキー状況でも性差は見られないが、ハイリスク状況では男子学生のほうが明らかにリスクを取っている(※走ってくる車の前に飛び出すようなことをする)。次に研究者は、観客効果を調べた。交差点を渡る時、周囲に人がいると、男子学生も女子学生も信号無視の回数が減った。
【地方銀行のリアル】(34) 広島市信用組合(広島県)――大いにワケありの17年連続増益
“信金・信組業界の商工ローン”――。口さがない金融筋の間では、こんな誹謗中傷も飛ぶ。何しろ、取引開始から2年以上の企業に対して、最大2000万円までカードローンで事業性資金を貸し出す主力商品は、無担保とはいえ、年利9%超。「街金並み」(事情通)だ。個人向け営業も超攻撃的。年収が300万円前後でも、融資額2500万円までくらいなら住宅ローンの供与を厭わない。但し、年利は2.5~3.5%。銀行界平均の倍以上の“暴利”だ。地域金融機関がマイナス金利の逆風に悶絶する中、高利回りを維持しつつ、収益を伸ばし続けている信用組合がある。広島市中区に本店を置く『広島市信用組合』だ。地元では“シシンヨー”の愛称で知られている。2019年3月期における貸出金利回りは年2.61%。前期の2.72%からはやや低下したものの、メガバンクや地銀を1.5ポイント超も上回る。期中に叩き出したコア業務純益は、前期比4.5%増の94億8500万円。17年連続の増益だ。レベルも高い。地銀中位行並みの水準で、九州地盤の『大分銀行』にほぼ匹敵する。大分銀行の3月末時点の貸出資産は1兆8462億円。これに対してシシンヨーは、その3分の1未満の5624億円に過ぎない。それでいて、同行と遜色ない利益を叩き出しているのだから、その高収益ぶりには恐れ入る。2020年3月期のコア業務純益目標は95億円。上期(※2019年4~9月)終了時点で既に48億3700万円を稼ぎ出しており、18年連続増益の達成も「ほぼ確実」(シシンヨー関係者)な情勢だ。
“最後の砦”――。県内中小・零細企業の間で、シシンヨーはこう呼ばれている。繰越欠損金を抱えていたり、赤字企業、時には債務超過に陥っている企業でも、貸せると見たらリスク覚悟でカネを出す。金利は高いが、企業にとっては先ずは生命維持だ。その面目躍如と語り草になっているのが、『広島大学』発の再生医療ベンチャー『ツーセル』(広島市南区)を巡る融資だろう。創業以来、赤字続きで、2016年3月期末には債務超過に転落。メガバンクや地銀に門前払いを食わされ、倒産寸前だった同社へ、ポンと1億円の融資に踏み切ったのだ。これで一息ついたツーセルはその後、膝軟骨再生細胞治療製品に関する『中外製薬』とのライセンス契約獲得に成功する等して、事業が軌道に。今や上場も視野に入る。“最後の砦”たるもう一つの所以は、融資のスピードだ。商工ローン並みとはいかないものの、新規融資の審査期間は原則3日以内。まさに即断即決だ。シシンヨーは“足で稼ぐ現場主義”がモットー。公的機関の『信用保証協会』を基本的に使わない。その分だけ手続きが簡略化でき、審査期間が短くて済むというわけだ。中小・零細企業は「板子一枚下は地獄」(『広島商工会議所』関係者)。資金繰りは綱渡りだ。シシンヨーのスピード感ほど心強いものはなかろう。とはいえ、ここまで過大とも言えるリスクを取って、果たして財務の健全性は保たれるのか? そんな中、取り入れてきたのが、不良債権のバルクセールの積極活用だ。融資が不良債権化したら、実現損の発生を恐れることなくサービサー等債権回収専門会社に担保付きで売り払って、オフバランス化する。2001年以降、取り組んできたもので、これまでに叩き売った不良債権の累計額は、簿価ベースで700億円に迫る。その効果だろう。ピーク時には390億円と、総与信の17%超にも達していた不良債権残高比率は、昨年9月末には142億円と2.45%にまで縮小。信組業界の平均とされる3.9%と比べ、相対的に高い健全性が維持されている。貸出債権は、債務者の同意なしに第三者に譲渡しても、一般的には何ら問題はない。ただ、強引に事を運べば後々、揉め事を招き易い。この為、シシンヨーではバルクの前に必ず取引先の了解を取り付けるようにしているとか。関係者の一人は、「これまでに大きなトラブルは一度も起きていない」と胸を張る。過大とも言えるリスクテイクを可能にしているもう一つの要因は、信用リスク以外のリスクを殆ど取らない、その特異なビジネスモデルだ。
【地方大学のリアル】(01) 名古屋大学(愛知県)――岐阜大学“合併”の焦燥と挑戦
年の瀬になって大学入学共通テストの記述式試験の実施見送りが決まったが、受け入れる大学側にとってはそれほど大きな問題ではない。大学業界、中でも国立大学の関係者が今年の動きで最も注目しているのは、『名古屋大学』と『岐阜大学』の合併である。両校は4月1日に『東海国立大学機構』を設立させ、揃って傘下に入る。地方国立大学の存続が危ぶまれる昨今ではあるが、旧帝国大学であり、押しも押されもせぬ地域トップの名大が何故、岐阜大との合流に踏み切る必要があったのか? 名大は旧帝大の中で最後(※1939年)に設立され、学生数や国からの運営費交付金の支給額は、7帝大の中で最小だ。一方で、名大は今世紀に入り、6人ものノーベル賞受賞者を輩出した(※出身者・所属者を含む)。教員一人当たりが獲得した科学研究費補助金、350万円(※2018年)という金額も、『東京大学』や『京都大学』に次ぐ数字である。つまり、名大は国内有数の研究拠点であると同時に、我が国の製造業の中心地とも言うべき東海エリアにおいて、重要な理系人材の養成所になっている。事実、『トヨタ自動車』には約1700人もの名大OBがおり、一大勢力になっている。こうした状況を見ると、名大の置かれた状況は恵まれているようにも見える。それでもなお危機感があるのは何故か? 4月から新機構の機構長になることが決定している、名大の松尾清一総長が語る。「超少子高齢化が進み、国からの財政支援は今後一層厳しくなる。これまでの継続だけでは、大学としての機能を上げるには限界だ」。
寧ろ、未だ余裕のある今こそ変えなければ、未来を確保できないという焦燥感である。欧米では大学(群)の研究開発、人材養成等と、地域の産業の再生成長が連動、好循環しているところが近年、目立ってきている。東海地域は自動車を筆頭に県境を越える広域で総合的な産業クラスターとなっており、このような地域の産業構造の形と連動して大学が役割と機能を果たしていく為には、最早名古屋大学単体の力では不十分という状況もある。更に、その視線はアジアや世界をも睨む。中国や東南アジアの大学が世界レベルの人材獲得を繰り広げ、評価を得ていることは知られている。一方で、日本国内の大学の多くが、島国の中だけで競争を続けている。松尾総長らは、名大の現在の国内での評価や状態を維持伸長するということではなく、世界的視野から大学の未来像を描き、それに向けて大学の改革・成長を進める考えだ。前述した通り、名大は国内トップレベルの研究大学だが、国際的な評価はまだまだ十分とは言えない(※イギリスの『THE世界大学ランキングズ』301位等)。現在でも留学生が2000人を超えているが、優れた人材として地域で十分活躍できている例は少なく、こうした“財産”を今後生かすのだという。設立準備室長を兼務している名大理事の上月正博氏が語る。「大学だけでなく、地元の財界へも協力を要請している」。2018年に合併計画を発表する前後から、地元自治体や財界への説明も丁寧に行ない、寄付等での協力を依頼するだけでなく、今後は豊富な企業経験を有する人材の大学本部役員への受け入れも計画されているという。“教育の質”も変化させる。名大には比較的優秀な人材が集まっており、他の旧帝大同様、学生に対して手取り足取りの教育はしてこなかった。これは、“研究機関”であることを優先してきた結果だ。多くの学生が名大に入学した時点で満足し、そのままトヨタや『中部電力』、『JR東海』という地元有力企業に入っていくという光景が繰り返された。結果、名大出身者には「優秀だけど…」「覇気がない」「言われたことしかできない」といった評価がついて回る。こうした点を変え、研究機関であると同時に、優れた教育機関、人材育成機関も目指すという。それに寄与するのが岐阜大の教育ノウハウだ。入試偏差値で言えば名大に劣る岐阜大では、入学時から卒業まで学生の到達度合いをきめ細かくチェックして、フォローするシステムが確立されている。これを名大にも導入し、積極的に学生を育てることを目指す。合併に向けて、国からのバックアップもある。文部科学省は、今後の国立大学行政の試金石と捉えており、昨年には国立大学法人法を改正して機構設立を支援。また、昨年度から始まった経営改革を支援する国立大学改革強化推進補助金では、全予算額40億円の内、11億円を名大に投入する等、財政的にも後押しする。但し、国立大学であることでの制約も未だに多い。“単年度予算主義”で内部留保を将来への投資に回すことができない他、私立大のように子会社設立による資金獲得もままならない。また、学費が一部自由化されたとはいえ、値上げ幅が20%までに制限される等、所謂経営努力がし難い制度になっており、これが今後の課題となる。当面、合併による組織上の大きな変化は、事務機構の効率化だ。国立大学では、大学、学部、学科毎に事務局が置かれ、其々が独自の方法で管理部門を担っていることが多い。このような無駄が、国立大学経営における癌とも言われる。
【WEEKEND PLUS】(50) ボランティアも応援演説も無能ばかり! N国党首・立花孝志の選挙ボランティアをやってみた
『NHKから国民を守る党』の立花孝志代表が出馬して話題となった神奈川県海老名市長選。是非ともこの男に市長になってほしい――。そんな願いから選挙ボランティアをしてきました。彼を応援する人とも交流しました。 (取材・文・写真/本誌編集部)
11月10日に投開票が行なわれた海老名市長選。「NHKをぶっ壊す!」でお馴染みの立花孝志が出馬したことでニュースになりました。「海老名をドバイにする」という公約を掲げ、縁も所縁もないド田舎・海老名のことを懸命に考えておられましたよね。しかし、結果は惨敗。それも、供託金を没収されるレベルの大敗北です。この結果を受け、一部メディアやSNS上には立花孝志の落選をバカにしたり、喜んだりしている輩で溢れていますが、何とも酷い話じゃないですか。本誌は違います。立花孝志が漢になる瞬間をこの目で見てみたい! そんな心からの想いで、こっそりと選挙ボランティアをしていたのです。ホリエモンやメンタリストのDaiGo等、インテリっぽい人に評価されているみたいだし、立花孝志ってきっと凄い男に違いない――。政治や演説術等を学ばさせて頂きます! 11月某日12時。初めてのボランティア日です。早速、立花孝志のツイッターでボランティア募集要項を確認します。が、どこにも見当たりません。仕方がないので、N国党の公式ホームページに記載されている電話番号に問い合わせます。「もしもし、立花先生の海老名市長選のボランティアをさせてもらいたいのですが」「あー、はいはい。17時から海老名駅前で演説しているので、勝手に声をかけてもらえればできますよ」。えっ、そんな適当な感じなの? 取り敢えず、言われた通りにアポなしで向かうことにします。17時、海老名駅着。いました! イガグリ頭の恰幅の良い男が。1000円カットでしょうか? 近くで見ると意外と小柄です。演説に力が入っていたので、邪魔をしてはいけません。近くでビラを配っているボランティアリーダー的な雰囲気を出している人に声を掛けます。「こんにちは、ボランティアをさせてもらいたいのですが」「おっ、立花さんのファンの人? この黄色いジャージを着てビラを配って」「了解です。ボランティア名簿はどこですか?」「ん? 何それ。そんなのないよ」「政策秘書の方はいらっしゃいますか?」「うちはお金をかけない選挙だからねぇ」「凄くお詳しいですね。若しかして立花さんの側近の方ですか?」「いや、只のファンだけど」「りょ、了解です。ビラ配り頑張ります!」。本当に選挙中なのか不安になってきました。
秘書がおらず、ボランティアを束ねる人が不在です。しかし、 ビラ配りくらいなら1人でもできます。張り切って撒いていきますよ! 「ねぇねぇ、ちょっと君。ダメだよ!」。30分程ビラ配りをしていると、50くらいの顔面のあらゆる肉が垂れ下がったボランティアのジジイに呼び止められました。「あのね、ビラは強引に渡さないの。声もそんなに張らなくていい。興味ある人は向こうから寄ってくるからさ」「ご、ごめんなさい」「自民さんとかはそうだけど、うちはそういう方針じゃないの。それと、ジャージも拙いよ~。党名が書かれたジャージでビラを配るのは公選法に引っかかるから」。初耳なのですが。「ジャージを裏表ひっくり返して着てちょうだい」「わかりました。気をつけます」。ビラって、興味なさそうな人にも配らないと支援の輪が広がらないのでは? 声を張らないと候補者の名前を知ってもらえないのでは? それと、何で皆、タメ口なの? ジャージを裏返しても党名が透けていますけど! そう言いたいところをグッと我慢して、ビラ配りを続けます。何だか想像していたボランティア活動と違うぞ!でも、確かに他のボランティアの人を見ると、皆、突っ立っているだけです。特に、80歳くらいのお爺ちゃんボランティアの方は、寒空の下、微動だにしません。動いた時は少し感動しました。立花孝志を本気で漢にしたいと思っているのは本誌編集部員だけのようです。海老名市民の方から「海老名から出ていけ!」と熱い応援を受けながらビラを配布していきますが、受け取るのはYouTuberや中学生、DQNばかり。若しかして、立花さんのファン層って特殊過ぎ? そうこうしている内に立花孝志の演説が終わり、撮影・握手タイムとなりました。ボランティアは支援者の列を作る仕事に回ります。この仕事は正直暇なので、他のボランティアの人に話を聞いてみました。すると、ここでも普通のボランティアとは違う実態が明らかに。なんでも、本誌編集部員のような一般のボランティアは3名しかおらず、残りの7名程度のボランティアは皆、N国党の市議の人。つまり、利害関係があるから立花孝志の選挙を手伝っている人ばかりなのです。立花孝志の同級生や友人、奥さん等が全くいないのです。若しかして、立花孝志って人望なさ過ぎ? 21時。撮影・握手タイムが終わり、討論会に入りました。立花孝志が集まった人と意見交換をする場です。
11月10日に投開票が行なわれた海老名市長選。「NHKをぶっ壊す!」でお馴染みの立花孝志が出馬したことでニュースになりました。「海老名をドバイにする」という公約を掲げ、縁も所縁もないド田舎・海老名のことを懸命に考えておられましたよね。しかし、結果は惨敗。それも、供託金を没収されるレベルの大敗北です。この結果を受け、一部メディアやSNS上には立花孝志の落選をバカにしたり、喜んだりしている輩で溢れていますが、何とも酷い話じゃないですか。本誌は違います。立花孝志が漢になる瞬間をこの目で見てみたい! そんな心からの想いで、こっそりと選挙ボランティアをしていたのです。ホリエモンやメンタリストのDaiGo等、インテリっぽい人に評価されているみたいだし、立花孝志ってきっと凄い男に違いない――。政治や演説術等を学ばさせて頂きます! 11月某日12時。初めてのボランティア日です。早速、立花孝志のツイッターでボランティア募集要項を確認します。が、どこにも見当たりません。仕方がないので、N国党の公式ホームページに記載されている電話番号に問い合わせます。「もしもし、立花先生の海老名市長選のボランティアをさせてもらいたいのですが」「あー、はいはい。17時から海老名駅前で演説しているので、勝手に声をかけてもらえればできますよ」。えっ、そんな適当な感じなの? 取り敢えず、言われた通りにアポなしで向かうことにします。17時、海老名駅着。いました! イガグリ頭の恰幅の良い男が。1000円カットでしょうか? 近くで見ると意外と小柄です。演説に力が入っていたので、邪魔をしてはいけません。近くでビラを配っているボランティアリーダー的な雰囲気を出している人に声を掛けます。「こんにちは、ボランティアをさせてもらいたいのですが」「おっ、立花さんのファンの人? この黄色いジャージを着てビラを配って」「了解です。ボランティア名簿はどこですか?」「ん? 何それ。そんなのないよ」「政策秘書の方はいらっしゃいますか?」「うちはお金をかけない選挙だからねぇ」「凄くお詳しいですね。若しかして立花さんの側近の方ですか?」「いや、只のファンだけど」「りょ、了解です。ビラ配り頑張ります!」。本当に選挙中なのか不安になってきました。
秘書がおらず、ボランティアを束ねる人が不在です。しかし、 ビラ配りくらいなら1人でもできます。張り切って撒いていきますよ! 「ねぇねぇ、ちょっと君。ダメだよ!」。30分程ビラ配りをしていると、50くらいの顔面のあらゆる肉が垂れ下がったボランティアのジジイに呼び止められました。「あのね、ビラは強引に渡さないの。声もそんなに張らなくていい。興味ある人は向こうから寄ってくるからさ」「ご、ごめんなさい」「自民さんとかはそうだけど、うちはそういう方針じゃないの。それと、ジャージも拙いよ~。党名が書かれたジャージでビラを配るのは公選法に引っかかるから」。初耳なのですが。「ジャージを裏表ひっくり返して着てちょうだい」「わかりました。気をつけます」。ビラって、興味なさそうな人にも配らないと支援の輪が広がらないのでは? 声を張らないと候補者の名前を知ってもらえないのでは? それと、何で皆、タメ口なの? ジャージを裏返しても党名が透けていますけど! そう言いたいところをグッと我慢して、ビラ配りを続けます。何だか想像していたボランティア活動と違うぞ!でも、確かに他のボランティアの人を見ると、皆、突っ立っているだけです。特に、80歳くらいのお爺ちゃんボランティアの方は、寒空の下、微動だにしません。動いた時は少し感動しました。立花孝志を本気で漢にしたいと思っているのは本誌編集部員だけのようです。海老名市民の方から「海老名から出ていけ!」と熱い応援を受けながらビラを配布していきますが、受け取るのはYouTuberや中学生、DQNばかり。若しかして、立花さんのファン層って特殊過ぎ? そうこうしている内に立花孝志の演説が終わり、撮影・握手タイムとなりました。ボランティアは支援者の列を作る仕事に回ります。この仕事は正直暇なので、他のボランティアの人に話を聞いてみました。すると、ここでも普通のボランティアとは違う実態が明らかに。なんでも、本誌編集部員のような一般のボランティアは3名しかおらず、残りの7名程度のボランティアは皆、N国党の市議の人。つまり、利害関係があるから立花孝志の選挙を手伝っている人ばかりなのです。立花孝志の同級生や友人、奥さん等が全くいないのです。若しかして、立花孝志って人望なさ過ぎ? 21時。撮影・握手タイムが終わり、討論会に入りました。立花孝志が集まった人と意見交換をする場です。
テーマ : NHKから国民を守る党
ジャンル : 政治・経済
【創価学会は今】(06) さらば池田大作!? 創価学会が“日蓮世界宗”へ大転換の衝撃
今、公明党・創価学会が大転換を図ろうとしているが、大新聞を始め、メディアは殆どこの動きを報じようとしない。先ず、公明党が先月14日から15日にかけて行なわれた、皇位継承の重要祭祀『大嘗祭』の中心儀式である『大嘗宮の儀』に正式に出席したことだ。1990年11月の前回は、公明党として不参加を決め、議員が個人として出席することは容認した。当時の海部俊樹政権は自民党単独政権であり、公明党は野党だったこともある。だが、『創価学会』は日蓮宗の系統に属する宗教団体であり、嘗ては神社の鳥居や寺院の山門も潜らず、地域の祭りに参加することや神輿を担ぐことも禁じられていた。「前回、公明党が不参加を決定したのは、神道色の濃い大嘗祭への公費支出が現行憲法にそぐわないとの判断があった為だ。今回、山口那津男代表は『政府・与党で取り組むのが基本方針だ』と述べているが、明らかに政権を担う立場から判断を転換させたと言っていい」(創価学会元幹部)。背景には1991年、日蓮正宗が創価学会と『創価学会インタナショナル(SGI)』を破門したことを契機に、創価学会が地域社会の様々な行事に積極的に参加するようになったことがある。1999年の自公連立によって、この傾向は更に加速した。ある宗教評論家は、「それまでの創価学会は他宗教を排他的に見る面が強かったが、皮肉なことに、自民党議員に対する選挙応援により、積極的に社会参加を強いられるようになった。20年間に亘る政権与党入りで、創価学会の宗教理念も変わらざるを得なくなった」と分析する。
創価学会本体についても、大きな転換期を迎えている。先月18日、創価学会は創立89周年を迎えた。来年は90周年にあたり、更に来年5月は池田氏の会長就任60周年にあたることから、大々的な行事が続くと見られている。そんな中、創価学会は会長選出委員会を開き、全員一致で原田稔会長(78)の4選を決定した。任期は2023年11月までとなる。学会ウオッチャーは、「今後のことを考えると、創価学会は大改革に取り組む可能性がある」と見る。それはずばり、創価学会が長年使ってきたこの名称を捨て、新たな名前で再スタートを切るのではないかという見方だ。この学会ウオッチャーによれば、「最有力候補は“日蓮世界宗”という名称だ」というのだ。例えば最近、こんな動きがあった。池田大作・香峯子夫妻が9月28日、信濃町に竣工した『創価学会 世界聖教会館』を初訪問したという。この施設は『聖教新聞』の旧社屋をリニューアルしたものだが、最近建設される創価学会施設には“世界”の冠が付くことが多い。池田氏は、この世界聖教会館を「新たな言論の聖地になる」と考えている。4階には礼拝室『言論会館』があり、ここで勤行・唱題が行なわれる。2年以上の工事を経て、先月18日に開館した。創価学会関係者は、「池田氏が世界聖教会館を訪れる際には、同館から見える創価世界女性会館を自ら撮影したとされる。機関紙には創価学会の三色旗が翻った会館の写真が大きく掲載されていたが、何れも世界聖教会館という名称が強調されていた。執行部は最近、“世界広布”という言葉も多用しているが、今後は世界宗教を強調していくつもりではないか」と見る。実は、創価学会は既に特許庁に“日蓮世界宗”や“日蓮世界宗創価学会”等の商標登録をしている。そのきっかけは、前述したように日蓮正宗・大石寺との戦争が激化し、池田氏が次を見 越して様々な名称を届け出たことに始まるという。その中には、日蓮宗の題目である“南無妙法蓮華経”を登録する動きもあったが、流石にそれは断られたというのだ。そんな中、今、商標登録された内で有力なものが日蓮世界宗である。創価学会会則の前文には、次のような文面もあった。「池田先生は、創価学会の本地と使命を“日蓮世界宗創価学会”と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布していく仏意仏勒の教団であることを明示された。そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を“世界総本部”とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された」。ポイントは、原田会長が4年前に実施した人事組織改編にある。会則によれば、会長任期は5年から4年に短縮されたが、会長の権限は寧ろ強固になった。池田氏の存在は、初代・牧口常三郎氏、2代・戸田城聖氏と共に“3代会長”として祀り上げられ、創価学会会長の統制下に入ることになった。池田氏は今も創価学会名誉会長であり、『創価学会インタナショナル(SGI)』会長の肩書きを持つが、「権力構造の中では、完全に“棚上げ”された」(事情通)のだ。
【創価学会は今】(05) 母体の教団の教えにも公明党の党是にも反してさえ自民党に擦り寄った真の狙いは何か?
記録的な大型台風が全国各地に深い爪痕を残した。その対策に追われていた10月27日、安倍晋三内閣改造後、初の国政選挙が実施された。参議院埼玉選挙区だが、投票率は20.81%。有権者10人の内、2人しか投票所に足を運んでいない。8割が棄権したのである。今年春の統一地方選挙(※道府県議選)の投票率も戦後最低。夏の参院選でも48.8%と5割を切り、戦後、過去2番目の低さになった。消費税の導入を始め、憲法9条等、論戦のテーマはいくらでもあったのに、国民の半数が国会議員に白紙委任状を与えたようなものだ。民主主義勝壊の序曲が始まったといったら言い過ぎだろうか。その10月に、自公政権が成立して丁度20年を迎えた。時系列に沿うと、20年の政権時代は、小渕恵三内閣でスタートし、森喜朗内閣、小泉純一郎内閣、第1次安倍晋三内閣、福田康夫内閣、麻生太郎内閣、その後、3年2ヵ月続いた民主党政権を奪還して、安倍晋三内閣が返り咲いた。安倍内閣は軈て、第2次から第3次内閣、第4次内閣へとほぼ順調に政権を維持して、現在に至っている。長期化している自公政権だが、この20年間の政権を支えてきた屋台骨は、自民党と選挙協力を進めてきた『創価学会』の組織票に他ならない。その点、見方を変えれば“自創政権”とも言えようか。周知の通り、この公明党は1964年11月、学会の池田大作第3代会長によって創設された。創立者が指針とした党の精神は“大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく”という、弱者を味方にした格好いい反権力の姿勢だった。
実際、自民党議員の金銭武腐敗等が公になると、公明党議員たちは国会で、入手した資料類を振り翳しながら激しく追及し、“爆弾男”の異名を持った党議員もいた程である。議員同士の宴会政治とも無縁で、自民党議員が酒席に誘うと、「公明党議員は裃を着て飲んでいる」と揶揄された。それほど公明党議員の立ち位置は潔白で、純粋な議員も多かったのである。しかし、創価学会支持で支えられたその公明党が、いつの間にか“大衆”から少しずつ距離を離しながら与党の自民党に歩み寄り、自公政権20年の年を重ねてきた。安倍首相は、この自公連立政権を“ビューティフルハーモニー”と表現した。公明党の山口那津男代表は、「政権のブレーキ役として、日本政治史に大きな業績を残した」と自画自賛する。果たしてそうだろうか? どの政党にしても、党を立ち上げて政権を目指すには、党是を基調にして国政に参加し、国民の支持を増幅させながら政権獲得のチャンスを狙う。ところが、創価学会を母体にする公明党は、立党の誓言に“仏法民主主義”や“王仏冥合”(※政治と宗教が合致した国政)を掲げて、政権を狙った。しかし、憲法第20条の“信教の自由、国の宗教活動の禁止”の観点から、国会や国民の批判を買い、同党はこの用語や党是をあっさりと死滅させてしまう。それまで金科玉条の如く、毎日のように載せていた『聖教新聞』や各種機関誌からも、宗教性が色濃い王仏冥合の文字を消滅させた。代わって公明党は、“社会福祉の党”・“大衆の党”・“平和の党”等といったスローガンを表看板にして、政治に参戦してきたのである。基礎にしていた立党精神が形骸化したことは、柱を失ったようなもの。党の存続目的が半減してしまい、公明党を気に支援してきた支持母体の創価学会員も、さぞかし戸惑ったに違いない。ただ、自民党政権にあれほど批判的だった公明党が、立党目的を喪失したとはいえ、何故自民党に近付き、あろうことか連立政権を組むに至ったのだろうか? まるで180度も違う変節である。マスコミや政治評論家たちも一様に驚きを見せた。「心して政治を監視せよ」との遺言まで残した2代会長、故・戸田城聖に逆らい、公明党は国民から監視される側に転向したからである。公明党・創価学会は何故、政権側に舵を切ったのか? アメリカに靡く右寄りの自民党が提示する各種の政策に共鳴、賛同したとは思えない。この連立の動機に正鵠を得た書籍を残した人物は矢野絢也氏だ。1932年、大阪生まれの矢野氏は、京都大学を卒業後、『大林組』に入社した。創価学会学生部や青年部の幹部を経験し、大阪府議会議員をスタートに、公明党が衆議院に進出した1967年に当選。竹入義勝委員長の下でコンビを組み、1986年までの20年間、書記長を務めた。その後、党委員長や常任顧問を歴任し、1993年に政界を引退。テレビ番組のコメンテーターとして登場する等、政治評論家として活動していた。その最中、創価学会との間で不協和音が生じ、『海外特派員協会』のゲストに招かれた際、「創価学会から政治評論活動を止めろと言論圧力を受けた」と公表し、同会とは裁判を起こすような対立の構造を形成した。
【ときめきは前触れもなく】(12) 集り散じて人は変れど
元々、人の集まる場所が苦手だ。忘年会や新年会といった組織内の行事には、できれば出たくない。その意味では、今の若者の気持ちがわからなくはない。日頃仕事で顔つき合わせている上司や部下と、また忘年会や新年会で一緒になり、気を遣わねばならない。今は強要されることは少ないだろうけれど、ビールや酒を注ぐのが嫌で、私は知らん顔をしていた。私自身が酒が強かったので、飲むのに忙しく、そっと他の器に飲まないで移し変えることもあった。頃を見計らってスマートに姿を消す。そんな男が魅力的だった。私がアナウンサーだった頃は、宮田輝や高橋圭三という両雄が相並んでいる時代で、宮田さんの司会で、当時流行りの松尾和子のムード歌謡『誰よりも君を愛す』を私が歌ったりということがあった。芸達者が多かったので、それなりに楽しくはあったが、私もトイレに立つふりをしてさっさと姿を消すのが得意だった。今は個人的な集まり以外はあまり出かけない。ただ、2つの新年会を除いて。一つは、もう40年も続いている『話の特集新年福引句会』と、もう一つは『NHK文化センター』で25年続いている『下重暁子のエッセイ教室』の新年会である。句会の方は、月一回、四十数年前から続いていて、長年の間にメンバーも随分変わった。
“集り散じて人は変れど”――早稲田大学の校歌のように、様々な人が入れ代わり、最初からのメンバーは元『話の特集』編集長で、この句会の仕掛人の矢崎泰久氏一人になってしまった。小沢昭一さんも、私をこの句会に連れていってくれた永六輔さんも既に亡く、私と同い年の和田誠さんも昨年いなくなった。女では、大好きな岸田今日子さんが脳腫瘍で亡くなった。NHKの頃からご一緒した山本直純さんも岩城宏之さんも、一頃は渥美清さんも来ていた。冨士眞奈美さんや吉行和子さんもこの頃、姿を見せない。今は常連として、黒柳徹子、中山千夏、田村セツコ、矢吹申彦、平松尚樹、松元ヒロ夫妻、そして私と連れ合い等、夕食を共にしながら、作句よりお喋りに忙しい。一月句会は福引句会で、1人5000円ぐらいの賞品を持参する。「○○とかけて××と解く、そのこころは…」と賞品を結び付けるのが、句を作るより難しい。もう一つは、NHK文化センターの新年会。山形県鶴岡、栃木県日光、長野県上田、静岡県浜名湖等全国から集まっているので、年一回、連れ合いが福引賞品を用意して労う。第1回から四半世紀通ってくれている塾長を始めとして、エッセイの他、メールで『あかつき句会』もやっている。新人が入り、辞めていく人もいるが、おかげさまで3年待ちや出戻りもOKだ。来る者拒まず、去る者は追わず。今年も淡々と過ぎていく。
下重暁子(しもじゅう・あきこ) 作家・評論家・エッセイスト。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、『NHK』に入局。名古屋放送局や首都圏放送センターを経て、1968年からフリーに。『家族という病』(幻冬舎新書)・『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)・『夫婦という他人』(講談社+α新書)等著書多数。
2020年1月31日号掲載
“集り散じて人は変れど”――早稲田大学の校歌のように、様々な人が入れ代わり、最初からのメンバーは元『話の特集』編集長で、この句会の仕掛人の矢崎泰久氏一人になってしまった。小沢昭一さんも、私をこの句会に連れていってくれた永六輔さんも既に亡く、私と同い年の和田誠さんも昨年いなくなった。女では、大好きな岸田今日子さんが脳腫瘍で亡くなった。NHKの頃からご一緒した山本直純さんも岩城宏之さんも、一頃は渥美清さんも来ていた。冨士眞奈美さんや吉行和子さんもこの頃、姿を見せない。今は常連として、黒柳徹子、中山千夏、田村セツコ、矢吹申彦、平松尚樹、松元ヒロ夫妻、そして私と連れ合い等、夕食を共にしながら、作句よりお喋りに忙しい。一月句会は福引句会で、1人5000円ぐらいの賞品を持参する。「○○とかけて××と解く、そのこころは…」と賞品を結び付けるのが、句を作るより難しい。もう一つは、NHK文化センターの新年会。山形県鶴岡、栃木県日光、長野県上田、静岡県浜名湖等全国から集まっているので、年一回、連れ合いが福引賞品を用意して労う。第1回から四半世紀通ってくれている塾長を始めとして、エッセイの他、メールで『あかつき句会』もやっている。新人が入り、辞めていく人もいるが、おかげさまで3年待ちや出戻りもOKだ。来る者拒まず、去る者は追わず。今年も淡々と過ぎていく。
下重暁子(しもじゅう・あきこ) 作家・評論家・エッセイスト。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、『NHK』に入局。名古屋放送局や首都圏放送センターを経て、1968年からフリーに。『家族という病』(幻冬舎新書)・『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)・『夫婦という他人』(講談社+α新書)等著書多数。
2020年1月31日号掲載
【WATCHERS・専門家の経済講座】(51) ユニコーン、日本で育つか――坂井知倫氏(『あずさ監査法人』パートナー公認会計士)
「ユニコーン企業と呼ばれる会社が注目を集めています。株式が未上場の新興企業であるにも拘わらず、企業価値が10億ドル(※約1100億円)以上ある大規模な会社を指します。現在、日本にユニコーン企業に相当する会社は3社あります。何れもAIを活用したビジネスを手がけています。AI技術を開発するプリファードネットワークス(東京都千代田区)、ブロックチェーンのシステムを構築するリキッド(同)、ニュース配信アプリのスマートニュース(東京都渋谷区)です。ユニコーン企業の数を国別にみると、アメリカと中国が頭一つ抜けています。CBインサイツによると、世界のユニコーン企業約430社の内、アメリカが200社超、中国が100社超に上り、米中だけで7割強を占めています。他の国では、イギリスがユニコーン企業の育成に積極的に取り組んでいる。規制緩和を実験的に取り入れ、新事業の創出を促すサンドボックス制度を活用しているのが特徴です。インドや韓国、インドネシア等、アジアでもユニコーン企業は増えています」。日本政府は2018年の成長戦略で、2023年までにユニコーン企業を20社創出する目標を掲げた。「日本政府も、サンドボックスの導入や新興企業への投資に対する税制優遇等の支援に力を入れています。ですが、未上場企業に対する投資家の姿勢は、他国に比べ、未だ十分とは言えません。理由の一つは、未上場企業への出資に対する抵抗感でしょう。未上場企業に出資した場合、株式を上場している企業と違い、株を市場で売買できないので、株を売却する際に買い手を探す必要があります。その為、企業側も、お金の集まり難さから、規模が小さくても早く上場してしまうことが多いのです」。
「新興企業向けの株式市場として、東京証券取引所が運営しているマザーズ市場には、企業価値100億円程度で上場するケースがよくみられます。上場すると、知名度が上がる他、創業者にとっては手元の株式を市場で売って現金化できるメリットがあります。しかし、株式を上場すると、株が市場で売買されるようになる為、株主を選ぶことはできません。短期的な利益を重視する株主がいれば、その株主の意見も尊重しながら事業戦略を練る必要があります。思い切った投資や、戦略的な広告宣伝等、目先の利益に繋がり難い取り組みを理解してくれる株主ばかりではなくなるのです。未上場企業の魅力は、経営の自由度の高さです。社会的な信用力が乏しくても、技術やアイデアで幅広く支持を集められれば、十分に成長できます。アメリカのグーグルやAmazon.com等といったGAFAも、元々は未上場の新興企業です。日本でも大手企業の間で、IT分野を中心に新興企業と連携しようという動きが広がっています」。海外ではユニコーン企業のブームに陰りが出ているとの指摘もある。「アメリカのシェアオフィス大手、ウィーワークを運営するウィーカンパニーを巡るガバナンスや業績不振の問題は象徴的でした。上場の直前に、創業者が不適切な不動産契約をした疑いが浮上して、ガバナンスが問題視されました。創業者の強いリーダーシップの負の側面が表面化したのです。ユニコーン企業は上場を控えた優良企業と言われ、超低金利が長く続く中で、多くの機関投資家がこぞって投資してきました。しかし、ウィーカンパニー等の不祥事を背景に、“ご祝儀相場”はこのところ落ち着いてきています。機関投資家も経営やビジネスの内容を厳しく見るようになっており、新興企業は成長戦略を改めて考える必要が生じています。そうした中で選択肢となるのが、M&Aを通じた成長です。日本の新興企業は直ぐに上場することが多いですが、ある程度の時間をかけ、M&Aを通じて規模を拡大し、ユニコーン企業を目指す道も探ってもらいたいと思います。例えば、商社等と組めば、海外ネットワークを生かして市場を広げることができる。日本の新興企業の育成に力を入れようとしている海外企業の支援を受けるのも、更なる飛躍に繋がる筈です。創業者にとっては、株式を公開すれば投資資金を回収できますが、経営の自由度がある未上場であることを生かしつつ、ユニコーン企業を目指すことも有力な選択肢です。その為にも、投資家等周囲の厳しい評価に堪えるようにしなければなりません。新興企業が自ら適切なガバナンスを利かせながら、透明性の高い経営をして、幅広い投資家から後押しを受けられるようにすることが大事です」。 (聞き手/経済部 関根晃次郎)
2020年1月22日付掲載
【AGAIN 2020】(08) 親子鷹、負けても立つ
国内でのBSE(※牛海綿状脳症)発生に端を発した『雪印食品』の牛肉偽装事件。得意先の不正の告発に踏み切ったのは、従業員20人ばかりの倉庫会社『西宮冷蔵』(兵庫県西宮市)だった。あれから18年。西宮冷蔵は2度目の休業に追い込まれている。社長の水谷洋一(66)は、偽装現場となった6号倉庫で切り出した。「何の後悔もない。もう一度、這い上がるのみ。今度は息子が先頭に立って」。2002年1月、報道陣にマイクを向けられた水谷は、衝撃的な告白を始めた。「社会悪が手前どもの倉庫内で行なわれようとしている」。積み上げられた雪印食品の段ボール箱を前に、偽装の手口を詳らかにした。想像以上の波紋だった。信用が地に落ちた雪印食品は、約3ヵ月後に解散した。他の食品大手による偽装も発覚した。水谷は“正義の告発者”と喝采を浴びた。半年が過ぎた夏頃、逆風が待っていた。告発前、従業員が雪印側に依頼され、輸入肉の在庫証明書を国産と書き換えていた。倉庫業法違反だと国に追及された。納得できず、国土交通省の立ち入り検査を拒んだ。「告発者を守る法律を」と国政選挙にも打って出た。だが、食肉業界を敵に回したことで荷主が離れ、休業を余儀なくされた。告発から10ヵ月後のことだった。
1937年に祖父が創業した西宮冷蔵の3代目。幼い頃から、武家の血を引く母親に「自分の一義を貫きなさい」と育てられた。家計は窮迫し、家族で倉庫の事務所に住んだ。高圧電力を使う倉庫業。電気の基本料金が月20万円に上り、自ら送電停止を申し出た。明かりは懐中電灯。ストーブの上のアルミ鍋で野菜や肉を煮炊きした。それでも水谷には一家団欒だった。「正直者が馬鹿をみる世であってはいけない」。その一義を忘れる気は毛頭なかった。冬は寒風が吹き、夏は灼熱となる大阪駅前の陸橋で、東北の大学から呼び戻した息子の甲太郎(38)を連れて座り込み、支援を募った。「負けへんで!」。傍にはいつも、黒地に黄色い文字が躍る幟が、力強くはためいていた。「食の安全を脅かす偽装をよく告発して下さった」「焼け石に水でしょうが、カンパさせて頂きます」。励ましの手紙が続々と届き、寄せられたカンパは1000万円に達した。2004年春、1年4ヵ月ぶりに営業再開。倉庫は氷点下30℃を取り戻して運転を始め、一家は近くの団地に居を移した。不屈の再建劇に邁進した皺寄せが家族に及んでいた。2006年夏、娘の真麻が団地の最上階の廊下から飛び降りた。17歳だった。「コンビニに行く」と外出した直後だった。経済的な理由で希望校への進学を断念させた。それが理由か。「娘を振り回してしまった」。水谷は十字架を背負った。重度障害で寝たきりとなった真麻の介護に専念する為、一線を退いた。会社を託された甲太郎は、取引を告発前の7割まで戻し、約8年間踏ん張ったが、大口荷主の撤退が響き、2014年5月に再び行き詰まった。「休業は全滅玉砕ではない。天が与えてくれた新たなる旅立ち」。2度目の休業から5年半が過ぎ、空っぽの6号倉庫で、水谷は甲太郎と再び勝負に出る意気込みを語った。別の会社で生計を立ててきた甲太郎。新たに設立した会社の社長に今月から就き、家業の再興を目指す。社名は『Just.ice(ジャストアイス)』。ピリオドを外せばジャスティス(※正義)になる。親子の一義を忍ばせた。水谷は、31歳になった真麻の介護を続けながら、後方支援する。倉庫の補修にかかる3億円の工面等、厳しい船出が予想されるが、父の背を追ってきた甲太郎が続けた。「負けても負けても立ち上がる」。雌伏の時を経た親子鷹が、雄飛を狙う。 《敬称略》 (中西賢司) =おわり
2020年1月13日付掲載