衛星放送の事業に失敗した後、再起をかけてDVDのAV作品に挑戦しました。それまでのビデオと段違いに長い収録時間が魅力だったのです。今ではDVDは一般的なソフトになっていますが、その頃は未だビデオが主流の時代でしたので、DVDなど海のものとも山のものともわからずに、見向きもされませんでした。また、市場に出たばかりのDVDプレイヤーも20万円を超える高額なもので、ソフトが見当たらない中では、殆ど普及もしていませんでした。ビデオの普及の草創期を知る私は、であればこそ、今がチャンスだと考えたのです。ビデオレコーダーの普及をアダルトビデオが支えたように、将来、ビデオに取って代わるであろうと言われるDVDにも、アダルト映像は不可欠だとの確信がありました。そこで、50億円の借金を背負った身ではこれしかないと、DVD映像に挑戦したのです。かき集めた5億円のお金を元に、DVDで可能となった片面2層4時間16分の大作を5作品制作しました。が、いざ作り上げた映像をDVD化するには、予想外の時間がかかりました。『パナソニック』の大阪工場に依頼したのですが、理論的には可能な筈でしたが、実際に世界初の片面2層の長尺ものを製品化するには、技術的に困難な問題が発生したのです。
解決に2ヵ月余りの時間を必要としましたが、漸く製品化に成功したとの知らせが届き、いざプレスを依頼する段になって、また別の問題が起きました。製造価格が1枚3800円するというのです。50円を切る金額でプレスができる時代を迎えているこの頃では、考えられないような高額な金額ですが、“史上初”ということで、価格も好き放題につけられているという印象がありました。定価5800円で販売する予定のものに3800円の製造費をかけていては採算が取れません。が、折角作り上げたものをそのままお蔵入りさせておくわけにはいかず、仕方なく将来もっと価格が安くなることを期待して、製造を発注したのです。ところが暫くして、CDを製造販売している業者の男が訪ねて来て、「台湾なら800円の割安な金額で製造を請け負ってくれる会社がある」と言うのです。その会社は『フォックスコン』といい、既にアメリカの映画会社から大量なDVD製造の受注を受けているという話でした。ならば、と早速台湾に渡り、そのフォックスコンなる会社を訪ねました。台湾から車で1時間程走った丘陵地帯の一角に、その工場はありました。迎えに出た責任者に近代的なデザインの工場内部を案内してもらいましたが、驚いたことにDVD製造のプレス機はパナソニック製で、盤面印刷機は日本の大手印刷会社のものだったのです。何のことはない、日本の製造機器を使い、日本の5分の1の価格でDVDを製造していたのでした。
村西とおる(むらにし・とおる) AV監督。本名は草野博美。1948年、福島県生まれ。高校卒業後に上京し、水商売や英会話教材のセールスマン等を経て裏本の制作・販売を展開。1984年からAV監督に転身。これまで3000本の作品を世に送り出し、“昭和最後のエロ事師”を自任。著書に『村西とおるの閻魔帳 “人生は喜ばせごっこ”でございます。』(コスモの本)・『村西とおる監督の“大人の相談室”』(サプライズBOOK)等。
2022年12月1日号掲載
テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体