【The CONFIDENTIAL】(43) 起死回生を狙うヤフー(中)…43歳新社長への“遺言”
来月、『ヤフー』社長に就任する副社長兼COOの川辺健太郎(43)には、胸の中にしまっていた後悔がある。学生時代に自分を見い出しくれた恩師との再会。そして、些細な行き違いで起きた“裏切り”。いよいよ表舞台に立つ、その前に伝えたいことがあった。
1999年4月、川辺は早稲田大学で開かれたカンファレンスに、学生ベンチャーの『電脳隊』社長として招かれた。この時24歳。最前列でメモを取っていた男が、講演の後に話しかけてきた。「君の話をもう少し聞かせてくれないかな?」。男の名は佐藤完。『ソフトバンク』の経営戦略室の者と名乗った。川辺が率いる電脳隊は、当時としては珍しいモバイル関連のウェブサービスを手掛けていた。その年の1月に『NTTドコモ』が『iモード』を発表し、モバイルインターネットに先鞭を付けていた。佐藤は、モバイルで巻き返す為の種を探していたのだ。佐藤は早速、恵比寿にある電脳隊のオフィスを訪れた。モニター画面と複雑に伸びた回線。そして、コンピューターが好きでたまらないといった風情の学生たち。「なるほど、人が集まっている。この男は間違いない」と確信したと言う。その4年程前の1995年11月23日午前0時。『マイクロソフト』の『ウィンドウズ95』を求める若者たちが、夜の秋葉原を埋め尽くした。その場にいた川辺は予感した。「これからインターネットの時代が始まる」。青山学院大学3年生だった川辺は、友人の伝手で慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに田中祐介を訪ねた。「映画を作ってインターネットで流したいんだ」「面白いね、それ」。2人が作ったのが電脳隊だ。初代社長となった田中は、「インターネットで面白いコンテンツを流せないかと。ベンチャーと言ってもサークル活動みたいな感じでした」と振り返る。この4月に川辺からヤフーの動画配信子会社『Gyao』の社長を託され、2人で語った夢は現実となる。
実は、佐藤より少し前に異能集団の実力を見抜いた人物がいる。先月、『KDDI』社長に就任した高橋誠だ。当時は旧『DDI』の課長。ホームページの作成代行で日銭を稼いでいた電脳隊の腕を見込み、初めてモバイル関連の契約を交わした。「あの当時は、モバイルと言えば得体の知れない連中ばかりで、川辺君たちもそう(笑)。でも、何故かシンパシーを感じた」と言う。どうしても電脳隊を手元に引き入れたいと思った佐藤は、ソフトバンク子会社のヤフーによる買収を提案する。会計畑出身の佐藤が弾き出した金額は54億800万円。株式交換方式だが、当時のITベンチャーへの買収としては最大規模だった。2000年のことだ。同年9月に電脳隊はヤフーに買収され、佐藤もソフトバンクからヤフーに合流し、経営戦略部長となった。ヤフーでどう腕を振るうか? 川辺がモバイル担当プロデューサーの肩書を与えられた直後に誤算が生じた。ソフトバンク社長の孫正義が、ADSL方式を使ったブロードバンド回線に新規参入したのだ。孫は、高止まりするインターネット回線に価格破壊を仕掛けたが、ブランドに使ったのが『ヤフーBB』だった。ライバルは巨艦NTTだ。「我々にとって桶狭間の戦い。グループから集められるだけ人を集めろ。人間なら誰でもかまわん」。ヤフーからも多くの人材が割かれた。川辺ら新参の“モバイル屋”も例外ではなく、存在感は次第に薄れていった。ヤフーがモバイル事業に力を入れる気配はない。宙に浮いた川辺の興味は拡散し始める。若いIT経営者たちと共にのめり込んだのが、プロ野球再編だった。2004年6月13日、『大阪近鉄バファローズ』と『オリックスブルーウェーブ』の合併交渉が報道で明らかになる。丁度、この年の初め頃から、『楽天』に在籍していた小沢隆生(※現在はヤフー常務執行役員)や川辺らが“日本のプロスポーツを面白くするには”という勉強会を頻繁に開いていた。楽天もヤフーも、当時は共に『六本木ヒルズ』に入居していた。プロ野球界で議論されていたのは1リーグ制等、球団数の削減やリストラばかり。川辺や小沢の考えは違った。インターネットを通じて球団経営を活性化し、軈てアジアや世界に打って出る――。如何にも拡大志向のIT起業家らしい発想だった。『東京ヤクルトスワローズ』の主力選手だった古田敦也が選手会を代表し、球団数削減に真っ向から反対し始める。そこで川辺と小沢は、勉強会を通じて知り合った選手会の担当弁護士と連携を取り合い始める。6月25日夜、佐藤の携帯電話が鳴った。川辺からだった。「このままいくと、次のオーナー会議でオリックスによる近鉄の買収が決まって、球団数が減ります。それを遅らせる為に、『ヤフーがバファローズを買収する』と宣言できませんか?」。ヤフーによる球団買収は社長の井上雅博まで上がった模様だが、結果はNOだった。「その代わり…」と言って、佐藤は川辺に伝えた。「三木谷さんと堀江さんに相談してみたらどうだ?」。楽天社長の三木谷浩史からは返事が無かったが、やはり六本木ヒルズに入居する『ライブドア』率いる堀江貴文からは翌朝、僅か4文字のメールが返ってきた。「買います」。
1999年4月、川辺は早稲田大学で開かれたカンファレンスに、学生ベンチャーの『電脳隊』社長として招かれた。この時24歳。最前列でメモを取っていた男が、講演の後に話しかけてきた。「君の話をもう少し聞かせてくれないかな?」。男の名は佐藤完。『ソフトバンク』の経営戦略室の者と名乗った。川辺が率いる電脳隊は、当時としては珍しいモバイル関連のウェブサービスを手掛けていた。その年の1月に『NTTドコモ』が『iモード』を発表し、モバイルインターネットに先鞭を付けていた。佐藤は、モバイルで巻き返す為の種を探していたのだ。佐藤は早速、恵比寿にある電脳隊のオフィスを訪れた。モニター画面と複雑に伸びた回線。そして、コンピューターが好きでたまらないといった風情の学生たち。「なるほど、人が集まっている。この男は間違いない」と確信したと言う。その4年程前の1995年11月23日午前0時。『マイクロソフト』の『ウィンドウズ95』を求める若者たちが、夜の秋葉原を埋め尽くした。その場にいた川辺は予感した。「これからインターネットの時代が始まる」。青山学院大学3年生だった川辺は、友人の伝手で慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに田中祐介を訪ねた。「映画を作ってインターネットで流したいんだ」「面白いね、それ」。2人が作ったのが電脳隊だ。初代社長となった田中は、「インターネットで面白いコンテンツを流せないかと。ベンチャーと言ってもサークル活動みたいな感じでした」と振り返る。この4月に川辺からヤフーの動画配信子会社『Gyao』の社長を託され、2人で語った夢は現実となる。
実は、佐藤より少し前に異能集団の実力を見抜いた人物がいる。先月、『KDDI』社長に就任した高橋誠だ。当時は旧『DDI』の課長。ホームページの作成代行で日銭を稼いでいた電脳隊の腕を見込み、初めてモバイル関連の契約を交わした。「あの当時は、モバイルと言えば得体の知れない連中ばかりで、川辺君たちもそう(笑)。でも、何故かシンパシーを感じた」と言う。どうしても電脳隊を手元に引き入れたいと思った佐藤は、ソフトバンク子会社のヤフーによる買収を提案する。会計畑出身の佐藤が弾き出した金額は54億800万円。株式交換方式だが、当時のITベンチャーへの買収としては最大規模だった。2000年のことだ。同年9月に電脳隊はヤフーに買収され、佐藤もソフトバンクからヤフーに合流し、経営戦略部長となった。ヤフーでどう腕を振るうか? 川辺がモバイル担当プロデューサーの肩書を与えられた直後に誤算が生じた。ソフトバンク社長の孫正義が、ADSL方式を使ったブロードバンド回線に新規参入したのだ。孫は、高止まりするインターネット回線に価格破壊を仕掛けたが、ブランドに使ったのが『ヤフーBB』だった。ライバルは巨艦NTTだ。「我々にとって桶狭間の戦い。グループから集められるだけ人を集めろ。人間なら誰でもかまわん」。ヤフーからも多くの人材が割かれた。川辺ら新参の“モバイル屋”も例外ではなく、存在感は次第に薄れていった。ヤフーがモバイル事業に力を入れる気配はない。宙に浮いた川辺の興味は拡散し始める。若いIT経営者たちと共にのめり込んだのが、プロ野球再編だった。2004年6月13日、『大阪近鉄バファローズ』と『オリックスブルーウェーブ』の合併交渉が報道で明らかになる。丁度、この年の初め頃から、『楽天』に在籍していた小沢隆生(※現在はヤフー常務執行役員)や川辺らが“日本のプロスポーツを面白くするには”という勉強会を頻繁に開いていた。楽天もヤフーも、当時は共に『六本木ヒルズ』に入居していた。プロ野球界で議論されていたのは1リーグ制等、球団数の削減やリストラばかり。川辺や小沢の考えは違った。インターネットを通じて球団経営を活性化し、軈てアジアや世界に打って出る――。如何にも拡大志向のIT起業家らしい発想だった。『東京ヤクルトスワローズ』の主力選手だった古田敦也が選手会を代表し、球団数削減に真っ向から反対し始める。そこで川辺と小沢は、勉強会を通じて知り合った選手会の担当弁護士と連携を取り合い始める。6月25日夜、佐藤の携帯電話が鳴った。川辺からだった。「このままいくと、次のオーナー会議でオリックスによる近鉄の買収が決まって、球団数が減ります。それを遅らせる為に、『ヤフーがバファローズを買収する』と宣言できませんか?」。ヤフーによる球団買収は社長の井上雅博まで上がった模様だが、結果はNOだった。「その代わり…」と言って、佐藤は川辺に伝えた。「三木谷さんと堀江さんに相談してみたらどうだ?」。楽天社長の三木谷浩史からは返事が無かったが、やはり六本木ヒルズに入居する『ライブドア』率いる堀江貴文からは翌朝、僅か4文字のメールが返ってきた。「買います」。