【人が集まる街・逃げる街】(174) 大分県中津市…中津城に耶馬渓、観光資源が豊富
中津市は大分県の北西端にある人口約8万3000人の街で、大分市や別府市に次ぐ県内第三の都市だ。豊臣秀吉に仕えた軍師、黒田官兵衛(※如水)が築城を開始し、細川忠興によって完成した中津城の城下町として知られる。大分県と福岡県を分ける山国川の支流、中津川の河口に築かれた“水城”の中津城は、今治城や高松城と並ぶ日本三大水城の一つだ。中津城の天守閣は“模擬天守”と呼ばれる。実は、現在の天守閣は元々あったものの復元ではなく、1964年に観光開発を目的とし、鉄筋コンクリート造で建てられた模擬の天守閣なのだ。その後、城の維持費の問題から2010年に、不動産会社を通じて城の建物が一般に売却され、現在は埼玉県の企業が所有するという珍しい形態になっている。城下町以外の観光資源も豊富だ。市の中心部から山国川に沿って国道212号を南下すると、奇怪な形状の岩石群が現れる。日本三大奇勝に数えられる耶馬渓である。その名は、江戸時代の歴史家であり文人の頼山陽がこの地を訪れた際に、山国谷と呼ばれていた同地を“耶馬渓天下無”と漢詩で表現したことが始まりとされる。耶馬渓を代表する名勝・競秀峰には多くの観光客が詰めかける。その裾野に穿たれた“青の洞門”、江戸時代に羅漢寺の禅海和尚が鑿一本で掘ったというトンネルは、小説家・菊池寛の代表作『恩讐の彼方に』の舞台として有名だ。城下町と渓谷を持つ中津は、観光業を中心とする街作りを行なってきた。
だが、九州の人々には馴染み深い観光地でも、大阪や東京での知名度は低いままだった。交通面は、中津駅へは小倉駅からJR日豊本線特急で30分強、大分駅からは45分程度。2015年3月には東九州自動車道中津インターチェンジがオープンした。年間で約436万人(※2017年)の観光客が訪れる一方、殆どが宿泊せず通過してしまうのが街の課題だ。こうした状況を打破しようと、街は2018年9月に中津市観光振興計画を策定。婚活や就活にかけて、中津での観光に関し“な活観光のすゝめ”と銘打ち、山国川上下流域一体の観光振興をぶち上げた。これまで北部の城下町と南部の耶馬渓の間で観光ルートが繋がっていなかったことに着目し、中津駅から耶馬渓に至るバスやタクシーなどの二次交通を充実させるとした。また、体験型観光を推進することで、滞在時間の増加を目論む。特に耶馬渓では、サイクリングロードを整備し、サイクリストの呼び込みも始めている。こうした努力の一方で、最近の中津は“から揚げの街”として全国区の知名度を得たりもしている。以前からこの地域では、地元でとれるハモと並んで、から揚げが名物料理となっていた。2015年に“中津からあげ”を商標登録した結果、近年のから揚げブームに乗ることができ、“中津といえばから揚げ”というイメージを醸成することに成功している。だが、食のブームは短期間に終わるのが常である。耶馬渓を初めて訪れた時、唐の水墨画にあるような景観に息を呑んだ。から揚げを契機として、中津を国内外の多くの観光客が滞在を楽しむことのできる街にしていってほしい。
牧野知弘(まきの・ともひろ) 不動産事業プロデューサー。1959年、アメリカ合衆国生まれ。東京大学経済学部卒。『第一勧業銀行』(※現在の『みずほ銀行』)や『ボストンコンサルティンググループ』を経て、1989年に『三井不動産』に入社。『三井不動産ホテルマネジメント』に出向した後、2006年に『日本コマーシャル投資法人』執行役員に就任し、J-REET(不動産投資信託)市場に上場。2009年に『株式会社オフィス・牧野』、及び『オラガHSC株式会社』を設立し、代表取締役に就任。2015年に『オラガ総研株式会社』を設立し、代表取締役に就任。著書に『なぜビジネスホテルは、一泊四千円でやっていけるのか』(祥伝社新書)・『2020年マンション大崩壊』(文春新書)等。
2021年5月29日号掲載
だが、九州の人々には馴染み深い観光地でも、大阪や東京での知名度は低いままだった。交通面は、中津駅へは小倉駅からJR日豊本線特急で30分強、大分駅からは45分程度。2015年3月には東九州自動車道中津インターチェンジがオープンした。年間で約436万人(※2017年)の観光客が訪れる一方、殆どが宿泊せず通過してしまうのが街の課題だ。こうした状況を打破しようと、街は2018年9月に中津市観光振興計画を策定。婚活や就活にかけて、中津での観光に関し“な活観光のすゝめ”と銘打ち、山国川上下流域一体の観光振興をぶち上げた。これまで北部の城下町と南部の耶馬渓の間で観光ルートが繋がっていなかったことに着目し、中津駅から耶馬渓に至るバスやタクシーなどの二次交通を充実させるとした。また、体験型観光を推進することで、滞在時間の増加を目論む。特に耶馬渓では、サイクリングロードを整備し、サイクリストの呼び込みも始めている。こうした努力の一方で、最近の中津は“から揚げの街”として全国区の知名度を得たりもしている。以前からこの地域では、地元でとれるハモと並んで、から揚げが名物料理となっていた。2015年に“中津からあげ”を商標登録した結果、近年のから揚げブームに乗ることができ、“中津といえばから揚げ”というイメージを醸成することに成功している。だが、食のブームは短期間に終わるのが常である。耶馬渓を初めて訪れた時、唐の水墨画にあるような景観に息を呑んだ。から揚げを契機として、中津を国内外の多くの観光客が滞在を楽しむことのできる街にしていってほしい。
牧野知弘(まきの・ともひろ) 不動産事業プロデューサー。1959年、アメリカ合衆国生まれ。東京大学経済学部卒。『第一勧業銀行』(※現在の『みずほ銀行』)や『ボストンコンサルティンググループ』を経て、1989年に『三井不動産』に入社。『三井不動産ホテルマネジメント』に出向した後、2006年に『日本コマーシャル投資法人』執行役員に就任し、J-REET(不動産投資信託)市場に上場。2009年に『株式会社オフィス・牧野』、及び『オラガHSC株式会社』を設立し、代表取締役に就任。2015年に『オラガ総研株式会社』を設立し、代表取締役に就任。著書に『なぜビジネスホテルは、一泊四千円でやっていけるのか』(祥伝社新書)・『2020年マンション大崩壊』(文春新書)等。
2021年5月29日号掲載