【劇場漫才師の流儀】(318) 祇園花月でスベる
何度、経験しても落ち込むものですね…。先日、祇園花月でスベりました。今回のケースは原因がわからんかったな…。何度もやっているネタだったんですけど、5~6分して「このネタじゃないほうがよかったな」と漫才中に考えてしまって、その迷いがお客さんに伝わってしまったのかな。最後まで諦めずに一生懸命やったんですけどね。
僕らの後の出番だった吉本新喜劇の出演者にLINEで聞いたんですよ。〈2回目のお客さん、難しなかった?〉って。そうしたら、〈いつもと違うところで笑ったりしているというのはあったかもしれません〉という返事でした。後日、座長のアキちゃんも「あの日のお客さんはいつもと違いましたね」と話していて、ちょっとホッとしました。
祇園花月はとても古い建物で、普通の劇場とは造りがちょっと違うんです。というのも、楽屋から10歩くらいで舞台に上がれるくらい、楽屋とステージが近い。出囃子が鳴ってから楽屋を出ても十分に間に合います。そんな環境なので、前の演者のネタを舞台袖で見ないんです。
『なんばグランド花月(NGK)』なんかだと、前の演者のネタが始まったら楽屋を出て、長い階段を下りていって、袖で待機します。そこで5分ほど、前の芸人さんのネタを見て、そこでお客さんの様子も何となく把握するわけです。お客さんというのは、自分が面白いと感じても周りが笑っていなければ、「自分だけ笑ったらおかしいかな」みたいな空気になるもんなんです。
当然、逆もあります。周りが笑っていると、つられて笑うことがある。空気が温まっているというのかな。そういう時は、めちゃめちゃやり易いんです。お客さんが重くなってしまう要因として、トップバッターや前半組の出来不出来も大きい。この前もNGKで、そこそこ名前の売れているコンビが前半組だったんですけど、楽屋でのモニターで一生懸命さが感じられなくてね。
前半組でお客さんが冷めてしまうと、その後の演者が頑張っても中々お客さんが乗ってこなくなってしまうんです。がっかりしちゃうんでしょうね。トップというのは謂わばその回の“つかみ”なので、下手でもええから大きな声を出して、一生懸命やってお客さんの意識を集めてくれんと。
トップがドカンといくと、後は非常にやり易いんです。お客さんがわくわくしているのも伝わってきますしね。この前も何とかリカバリーしようとはしたんですけど、無理でしたね。相方の阪神君はメニエール病を患っていて、大きな拍手とかはわかるらしいんですが、お客さんの笑い声は殆ど聞こえないそうなので、スベっていても気づいていなかったと思います。
だから、僕だけで何とかしようとしても、中々難しいというところがあるんです。元々、阪神君はあんまり出来不出来を気にしないほうですが…(苦笑)。でもまあ、毎回、お客さんの反応が違うというのが劇場の醍醐味でもあるんですけどね。 (聞き手・構成/ノンフィクションライター 中村計)
オール巨人(おーる・きょじん) 漫才コンビ『オール阪神・巨人』のボケ担当。1951年、大阪府生まれ。大阪商業高校卒業後、1974年7月に『吉本新喜劇』の岡八朗に弟子入り。翌1975年4月に素人演芸番組の常連だったオール阪神とコンビを結成。正統派漫才師として不動の地位を保つ。著書に『師弟 吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年』・『さいなら!C型肝炎 漫才師として舞台に立ちながら、治療に挑んだ500日の記録』(ワニブックス)。近著に『漫才論 僕が出会った素晴らしき芸人たち』(ヨシモトブックス)。
2024年10月7日号掲載
僕らの後の出番だった吉本新喜劇の出演者にLINEで聞いたんですよ。〈2回目のお客さん、難しなかった?〉って。そうしたら、〈いつもと違うところで笑ったりしているというのはあったかもしれません〉という返事でした。後日、座長のアキちゃんも「あの日のお客さんはいつもと違いましたね」と話していて、ちょっとホッとしました。
祇園花月はとても古い建物で、普通の劇場とは造りがちょっと違うんです。というのも、楽屋から10歩くらいで舞台に上がれるくらい、楽屋とステージが近い。出囃子が鳴ってから楽屋を出ても十分に間に合います。そんな環境なので、前の演者のネタを舞台袖で見ないんです。
『なんばグランド花月(NGK)』なんかだと、前の演者のネタが始まったら楽屋を出て、長い階段を下りていって、袖で待機します。そこで5分ほど、前の芸人さんのネタを見て、そこでお客さんの様子も何となく把握するわけです。お客さんというのは、自分が面白いと感じても周りが笑っていなければ、「自分だけ笑ったらおかしいかな」みたいな空気になるもんなんです。
当然、逆もあります。周りが笑っていると、つられて笑うことがある。空気が温まっているというのかな。そういう時は、めちゃめちゃやり易いんです。お客さんが重くなってしまう要因として、トップバッターや前半組の出来不出来も大きい。この前もNGKで、そこそこ名前の売れているコンビが前半組だったんですけど、楽屋でのモニターで一生懸命さが感じられなくてね。
前半組でお客さんが冷めてしまうと、その後の演者が頑張っても中々お客さんが乗ってこなくなってしまうんです。がっかりしちゃうんでしょうね。トップというのは謂わばその回の“つかみ”なので、下手でもええから大きな声を出して、一生懸命やってお客さんの意識を集めてくれんと。
トップがドカンといくと、後は非常にやり易いんです。お客さんがわくわくしているのも伝わってきますしね。この前も何とかリカバリーしようとはしたんですけど、無理でしたね。相方の阪神君はメニエール病を患っていて、大きな拍手とかはわかるらしいんですが、お客さんの笑い声は殆ど聞こえないそうなので、スベっていても気づいていなかったと思います。
だから、僕だけで何とかしようとしても、中々難しいというところがあるんです。元々、阪神君はあんまり出来不出来を気にしないほうですが…(苦笑)。でもまあ、毎回、お客さんの反応が違うというのが劇場の醍醐味でもあるんですけどね。 (聞き手・構成/ノンフィクションライター 中村計)
オール巨人(おーる・きょじん) 漫才コンビ『オール阪神・巨人』のボケ担当。1951年、大阪府生まれ。大阪商業高校卒業後、1974年7月に『吉本新喜劇』の岡八朗に弟子入り。翌1975年4月に素人演芸番組の常連だったオール阪神とコンビを結成。正統派漫才師として不動の地位を保つ。著書に『師弟 吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年』・『さいなら!C型肝炎 漫才師として舞台に立ちながら、治療に挑んだ500日の記録』(ワニブックス)。近著に『漫才論 僕が出会った素晴らしき芸人たち』(ヨシモトブックス)。
