【劇場漫才師の流儀】(207) 劇場漫才で培った技
『M-1グランプリ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)王者の後に漫才をするの、プレッシャーなんです。先日のNGKの特別興行も豪華なメンバーでしてね。僕らのふたつ前が『ミルクボーイ』、ひとつ前が『銀シャリ』という出順だったんです。ちょっと前にも『和牛』・『フットボールアワー』・銀シャリときて、僕らがトリを務めるという順番の時がありました。和牛は王者になっていませんが、僕の中では2017年のM-1王者は和牛でした。ファイナルジャッジは4票対3票という僅差で、上沼恵美子さん、松本人志君、僕の3票で“名誉ある敗退”と言われたとか(笑)。劇場に来られるお客さんの多くは、インターネット上で香盤表を見て「和牛が出る!」とか「銀シャリが見れる!」と思ってチケットを購入されると思うんです。彼らが舞台に登場した時の拍手の量でわかります。ワーッて盛り上がるんで。僕らはというと、出ていった時はワーッではなくて、オーッザワザワって雰囲気なんです。ただ、拍手で大事なのは、ネタが終わってハケる時のほうの拍手なんです。僕らは“ハケ拍手”と呼んでいるのですが、色んな方によく「ハケ拍手は阪神巨人が一番多かった」と言っていただきます。M-1王者の後に出ていって、そう言ってもらえたら、それは嬉しいものです。「ベテランもやるやろ!」ってね(笑)。デビュー当時は、「僕らのことを知っている人は拍手して下さい」みたいなツカミをやっていました。拍手が少なかったら、僕らの時代は「まだまだテレビのない家もあるようですね」とか言ったり(笑)。もう今はやりませんが。
僕らは劇場をメインに活動しています。テレビは基本的にネタ時間が短いんですが、劇場では15分はできるので、僕らの漫才の良さはそこでこそ伝わると思っているんです。最近の若手は長いと時間を持て余してしまうようですが、僕らは寧ろ長いほうがやり易い。前の演者が大爆笑を取っていても、空気を変えられますしね。劇場でいえば、西川のりお兄さんが爆笑を取りはった後は難しいんですが(笑)、そういう時は出だしの2~3分を普段よりもゆっくり喋るようにしたりします。そうしているうちに、お客さんもクールダウンしてくる。45年以上も漫才をやっていると、そういうテクニックが色々つきますね。でもね、年に1~2回ぐらい、クスリともしないお客さんの時があるんです。そういう時はどうするか。諦めます(笑)。NGKでは、企業がお得意さまを招待して貸し切りにすることがあるのですが、そういう時に偶にそんな雰囲気になります。嫌々来てはるわけではないと思うのですが、積極的に笑おうって感じでもないんかなぁ。M-1王者の後より、ああいう時のほうが嫌やね。でも、この年になると、ウケなくても自分たちを責めるなんてことはもうしません。「今日はお客さんが重かった」と、お客さんのせいにしちゃいます(笑)。これも長年、漫才をやってきた芸人の“奥義”のうちのひとつやな。
オール巨人(おーる・きょじん) 漫才コンビ『オール阪神・巨人』のボケ担当。1951年、大阪府生まれ。大阪商業高校卒業後、1974年7月に『吉本新喜劇』の岡八朗に弟子入り。翌1975年4月に素人演芸番組の常連だったオール阪神とコンビを結成。正統派漫才師として不動の地位を保つ。著書に『師弟 吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年』・『さいなら!C型肝炎 漫才師として舞台に立ちながら、治療に挑んだ500日の記録』(共にワニブックス)。
2022年2月7日号掲載
僕らは劇場をメインに活動しています。テレビは基本的にネタ時間が短いんですが、劇場では15分はできるので、僕らの漫才の良さはそこでこそ伝わると思っているんです。最近の若手は長いと時間を持て余してしまうようですが、僕らは寧ろ長いほうがやり易い。前の演者が大爆笑を取っていても、空気を変えられますしね。劇場でいえば、西川のりお兄さんが爆笑を取りはった後は難しいんですが(笑)、そういう時は出だしの2~3分を普段よりもゆっくり喋るようにしたりします。そうしているうちに、お客さんもクールダウンしてくる。45年以上も漫才をやっていると、そういうテクニックが色々つきますね。でもね、年に1~2回ぐらい、クスリともしないお客さんの時があるんです。そういう時はどうするか。諦めます(笑)。NGKでは、企業がお得意さまを招待して貸し切りにすることがあるのですが、そういう時に偶にそんな雰囲気になります。嫌々来てはるわけではないと思うのですが、積極的に笑おうって感じでもないんかなぁ。M-1王者の後より、ああいう時のほうが嫌やね。でも、この年になると、ウケなくても自分たちを責めるなんてことはもうしません。「今日はお客さんが重かった」と、お客さんのせいにしちゃいます(笑)。これも長年、漫才をやってきた芸人の“奥義”のうちのひとつやな。
オール巨人(おーる・きょじん) 漫才コンビ『オール阪神・巨人』のボケ担当。1951年、大阪府生まれ。大阪商業高校卒業後、1974年7月に『吉本新喜劇』の岡八朗に弟子入り。翌1975年4月に素人演芸番組の常連だったオール阪神とコンビを結成。正統派漫才師として不動の地位を保つ。著書に『師弟 吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年』・『さいなら!C型肝炎 漫才師として舞台に立ちながら、治療に挑んだ500日の記録』(共にワニブックス)。
2022年2月7日号掲載