DF/MF 中島浩司 (仙台・市原(千葉)・広島)
→ 仙台・市原(千葉)・広島の3チーム全てで存在感を発揮した。182センチとサイズに恵まれていたが、高さを活用するスタイルではなくて、テクニックや判断の正確さで勝負する技巧派だった。ボランチや最終ライン(=3バック)の中央で起用されることが多かった。2009年に広島に移籍したが、2009年が30試合、2010年が32試合、2011年が33試合に出場している。キャリアの中で30試合を超えているのは、この3年間だけなので、「広島時代がもっとも輝いた。」と言えるのかもしれない。
1996年に仙台に加入。当時はJFLに所属しておりブランメル仙台という名前だった。2003年に市原に加入しているので、元日本代表のイビチャ・オシム監督と同じタイミングである。イビチャ・オシム監督の愛弟子の1人であるペトロヴィッチ監督(現浦和)に重宝されたが、ボランチや最終ラインの選手に高い判断力が必要とされる「オシム・サッカー」や「ペトロヴィッチ・サッカー」にマッチした選手だった。リーグ2連覇を決めた最終節の鹿島戦(A)の終了間際に登場したが、これが現役としての最後の試合となった。
DF 三木隆司 (平塚→大分→名古屋→徳島)
→ 滝川第二高校出身でG大阪のDF加地の1年先輩となる。2008年は名古屋でプレーしたが、リーグ戦は4試合の出場にとどまった。名古屋ではDF吉田(サウサンプトン)の台頭もあって活躍はできなかったので、印象的なのは、やはり、2000年から2007年までプレーした大分時代と2009年から2013年までプレーした徳島時代である。179センチとCBとしては大きな選手ではなかったが、非常に安定感があって、堅実なプレーでチームに貢献した。結局、徳島のJ1昇格を見届けてから現役を引退することになった。
2009年に徳島に加入したが、徳島は前年まで3年連続で最下位だった。負け癖が付いていて、どうしようもない状態だったが、同じく新戦力だったGK上野やDFペ・スンジンらと組んで守備力アップに大きく貢献。チームは(18チーム中で)9位と大躍進した。徳島は2013年のPOを制して初昇格を決めたが、躍進した2009年と昇格に大きく近づいた2011年がクラブとしてのターニングポイントだった。万年下位のチームからJ1昇格を狙えるチームに引き上げた功績は非常に大きい。
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◆ まとめ #703 2013年限りで現役を引退した名選手たち (上) (2014/2/8)
→ 2013年限りで現役を引退した選手をピックアップしました。(上)と(下)で合計10名を取り上げていますが、(上)では、MF中島(広島)、DF三木(徳島)、MF櫻田(群馬)、GK櫛野(千葉)、MF戸田(ウォリアーズ)の5人です。いずれの
選手もJ1やJ2で活躍した思い出に残る選手です。
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