Category: 神社仏閣教会
来たかった長床
寒くなり温泉に入りたくなって、21日に会津に行くことに決めた。
吾妻山
その日は水曜日でテニスの日だったのだが、同じ時間に病院の消化器科で、数週間前の胃カメラ検査結果を聞く必要があったのだ。
結果は特に問題もなく、一年後の予約をまたして、昼前に家を出発できた。
磐梯山
夕飯の時間に腹を空かせておく必要があったので、昼は早めに。
結局仙台宮城インター前のファミレスへ。
カットステーキ丼、754円。
東北道で福島西インターまで走り、土湯峠を越える。道の駅でトイレ休憩。
県道で猪苗代、磐梯を通り抜けて、喜多方の南。
新宮熊野神社に着いた。
観光客も多く、拝観料300円。
大イチョウが有名な神社だ。
ウィキによると、新宮熊野神社(しんぐうくまのじんじゃ)は福島県喜多方市慶徳町新宮にある神社。「新宮」と称しているが、本宮・新宮・那智の熊野三山を祀っている。
国の重要文化財に指定されている熊野神社長床(くまのじんじゃながとこ)と呼ばれている拝殿があることで有名である。現在は、長床のほか、熊野三社本殿、文殊堂、観音堂が残されている。
また、長床前にある大イチョウは高さ30m・根本周り8.1mで樹齢は600年といわれ、喜多方市天然記念物に指定されている。
新宮熊野神社は、平安時代後期の天喜3年(1055年)前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年)後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したという。
この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営したが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られている
慶長年間に入り蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給されたが、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊してしまった。その後、慶長19年(1614年)、蒲生忠郷によってかつてのものよりも一回り小さい拝殿(長床)が再建され、会津松平氏時代は祈願所とされ、度々藩主の代参が行われた。
明治時代初めに廃仏毀釈のあおりを受けて多くの仏像や文化財が失われてしまったが、神社は存続し、現在は神社近辺の集落住民で結成された保存会によって維持管理されている。
長床は、昭和38年(1963年)に国の重要文化財に指定され、同46年(1971年)~49年(1974年)にかけて解体修理復元工事が行われて、かつての姿に復元された。
長床の平面は、間口27m・奥行12mの長方形で、直径1尺5寸(45.4cm)の円柱44本が10尺(3.03m)の間隔で10列×5列に並び、柱間はすべて吹き抜けで壁がない。柱上には平三斗(ひらみつと)の組物が置かれ、中備(なかぞなえ)には間斗束(けんとづか)が用いられているなど純然たる和様建築である。
イチョウの黄葉はすでに盛りを過ぎていて、半分以上散った状態。
犬たちにとっては天国だったようだ。
吾妻山
その日は水曜日でテニスの日だったのだが、同じ時間に病院の消化器科で、数週間前の胃カメラ検査結果を聞く必要があったのだ。
結果は特に問題もなく、一年後の予約をまたして、昼前に家を出発できた。
磐梯山
夕飯の時間に腹を空かせておく必要があったので、昼は早めに。
結局仙台宮城インター前のファミレスへ。
カットステーキ丼、754円。
東北道で福島西インターまで走り、土湯峠を越える。道の駅でトイレ休憩。
県道で猪苗代、磐梯を通り抜けて、喜多方の南。
新宮熊野神社に着いた。
観光客も多く、拝観料300円。
大イチョウが有名な神社だ。
ウィキによると、新宮熊野神社(しんぐうくまのじんじゃ)は福島県喜多方市慶徳町新宮にある神社。「新宮」と称しているが、本宮・新宮・那智の熊野三山を祀っている。
国の重要文化財に指定されている熊野神社長床(くまのじんじゃながとこ)と呼ばれている拝殿があることで有名である。現在は、長床のほか、熊野三社本殿、文殊堂、観音堂が残されている。
また、長床前にある大イチョウは高さ30m・根本周り8.1mで樹齢は600年といわれ、喜多方市天然記念物に指定されている。
新宮熊野神社は、平安時代後期の天喜3年(1055年)前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年)後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したという。
この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営したが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られている
慶長年間に入り蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給されたが、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊してしまった。その後、慶長19年(1614年)、蒲生忠郷によってかつてのものよりも一回り小さい拝殿(長床)が再建され、会津松平氏時代は祈願所とされ、度々藩主の代参が行われた。
明治時代初めに廃仏毀釈のあおりを受けて多くの仏像や文化財が失われてしまったが、神社は存続し、現在は神社近辺の集落住民で結成された保存会によって維持管理されている。
長床は、昭和38年(1963年)に国の重要文化財に指定され、同46年(1971年)~49年(1974年)にかけて解体修理復元工事が行われて、かつての姿に復元された。
長床の平面は、間口27m・奥行12mの長方形で、直径1尺5寸(45.4cm)の円柱44本が10尺(3.03m)の間隔で10列×5列に並び、柱間はすべて吹き抜けで壁がない。柱上には平三斗(ひらみつと)の組物が置かれ、中備(なかぞなえ)には間斗束(けんとづか)が用いられているなど純然たる和様建築である。
イチョウの黄葉はすでに盛りを過ぎていて、半分以上散った状態。
犬たちにとっては天国だったようだ。
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