8月15日
本日は、終戦の日。
各地で、戦没者追悼式典が、開催される。
この日、当時の天皇陛下は、
「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び…」
あの玉音放送を通じて、終戦を宣言された。
あれから72年。
我々は、戦争のない穏やかな日々を送っている。
ところが、ここ数日は、不穏な動きに不安が募っている。
それが、北朝鮮のグアム近海へのミサイル発射宣言だ。
これに対して、アメリカのトランプ大統領は、
「北朝鮮が、世界がこれまで目にしたことのないような炎と怒りに直面することになるだろう」
と挑発。
同じ土俵に上がっての挑発合戦となった。
更に北朝鮮は、日本の島根県、広島県、高知県の上空を
ミサイルが通過すると発言。
これに対し、日本政府は、各地にPAC3を配備。
上空に入ったら、撃ち落とす用意があるということを示すためらしい。
撃ち落とすとその破片は、国内のどこかに落下するはずだ。
小さくなっていても、破片や燃料が、広い範囲に飛散するだろうし、
もし、ミサイルに核はさすがに搭載しなくても
細菌兵器や有毒ガスのような物を忍ばせていれば、
その飛散によって、大きな被害が起こるのではないかと危惧する。
ミサイルの迎撃は、安全保障関連法の集団的自衛権の行使と認められると
小野寺防衛大臣は説明している。
存立危機事態にあたるというのだ。
グアムに向かってかなりの上空をミサイルが飛ぶこと自体が、
存立危機にあたるのか。
ミサイルが勝手に上空を飛べば、民間機に何らかの支障があるかも知れないし、
故障して落下する危険性も考えらえる。
しかし、それが存立危機とは言えないのではないか。
攻撃を仕掛けてもいない国から追撃されれば、報復を受けることは必須だ。
これは、交戦の開始となりはしないか。
迎撃は可能なのだということを示しただけだとしても
お前がやる気なら、こっちもやるぞ!
みたいな子供の喧嘩みたいだ。
しかし、これは子供の喧嘩ではない。
多くの国民を犠牲にするかも知れない大問題なのだ。
昨日、北朝鮮の金正恩氏は、アメリカの出方を見るような発言をし、
ややトーンダウンだ。
大国アメリカの大統領が、子供じみた金氏に呼応してしまうことが問題だ。
挑発して対話に持ち込むのは、北朝鮮のいつもの手だ。
いつ何があっても対応できることは大切だが、
拳を振り上げたら、銃を持つようでは元首としていかがなものか。
それに乗っかって、いつでも軍事行動が出来る国であることを示そうとする日本政府。
日本は72年前に、「戦争の放棄」を宣言したのだ。
是非、日本国憲法の第1条の前に書かれた前文を
今一度読んで頂きたい。
これを読めば、いかにこの憲法が国際的に評価されているかが理解出来るはずだ。
戦争で亡くなられたすべての人に合掌。