
1945年8月6日午前8時15分
広島に人類初の原子爆弾が投下された。
いつもと同じ暑い夏の朝。
人々は、いつもと同じ生活をしていた。
会館が開くまでその前の石段に座っていた人は、
一瞬の光にその身体が溶けたのか、消滅したのか、
その影だけが、この原爆ドームの石段に残された。
学校の校庭で作業始めようとしていた小学生や中学生が、
大きな光に吹き飛ばされ、焼けただれた。
吹き飛ばされたガラスが身体に突き刺さった。
赤ん坊を助けようと抱きかかえたまま息絶えた母親。
水を求めて川へ入り息絶えていく人々。
爆風と火災。
何が起こったのかも分からぬまま、痛みと苦しみが襲う。
やがて真っ黒な雲が覆い、黒い雨が降る。
あれから69年。
43年ぶりの雨の平和祈念式典が開催された。
8月6日の広島は、それだけ雨の降らない日なのだ。
広島以外から訪れる観光客が口にする。
「良かったですね。原爆が落ちた所はこんな広い公園だったんだから」と。
それは違う。
今平和公園として整備されているこの公園は、
中島町という広島一の繁華街だったのだ。
それが、跡形もなく焼野原になったのだ。
その地域を公園として残しているのだが、
現在の人からは、元々の緑地だと思われるらしい。
6日に行われた祈念式典には、安倍総理やケネディ駐日大使も参列した。
ケネディ氏は、献花もしなかった。
安倍総理の演説は、いつもと違って用意された文章を読み上げるだけのものだった。
集団的自衛権の容認の閣議決定などのこともあり、
もっと、自分の言葉でメッセージを送るべきだと感じた人は少なくないだろう。
核廃絶を訴えても、国際社会では、持てる国と持たざる国になっているだけで、
持っている国が、核兵器を放棄しようとはしない。
それが、本当に抑止力になるのだろうか。
第一次世界大戦が開戦されてから、今年で100年になる。
来年は、日本にとっては、終戦から70年になる。
イスラエルやウクライナなど、紛争は今も続く。
多くの罪のない人々が戦火に巻き込まれ、
その命も人生も奪われてしまっている。
同じ人間の手で
小さな地球上で同じ人類が、科学の力で戦争をすれば、
多くの命を短時間で奪う。
動物たちも殺し合う(生きるために)が、大量殺戮はしない(出来ない)。
人間には、知恵や理性があるのだから、
もっと、紛争しない方法を導きだせるのではないか。
戦争は、過去の歴史をみても、何らかの利害、つまり自分のために
他の物を奪ったり、他者を排除するためのものがほとんどだ。
命より重いもの、尊いものはない。
そんな無益な争いの結果、人類は滅亡へと向かうのだろう。
戦後、69年戦争とは無縁だった日本も
武力行使へと向かおうとしている。
子や孫、子孫に平和で豊かな社会を残すことが、
今の我々の責務であるはず。
人種や国に関係なく、
人に対する思いやりや、譲る気持ちを持てば、争い事はなくなるのではないか。
人が二人以上集まれば、必ず争い事が起こると言われるが、
それを解決できるのも人の知恵と力だ。
「広島の原爆の日」は、残念ながら広島以外では、あまり大きく意識されていない。
この日を「平和を考える日」として、世界中の人考えてもらいたい。
そんなことを思った8月6日である。