
8月6日
この日がまたやって来た。
70年目の原爆の日
あの日と同じ暑い朝。
人類初の原子爆弾が広島に投下された日だ。
8時15分
黙とうをしながら、涙があふれてきた。
それは、
この70年間、平和で安定した社会を送れているのは、
戦争で亡くなった多くの人の犠牲の上にあること、
そして、今、その平和が脅かされようとしていること
亡くなった皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
平和ボケ
結構ではないか
この先、何十年も何百年も平和ボケでいられるなら
それが一番いいではないか核のない世界を
と言いながら、核には核でしか対抗出来ないと
多くの国が核を保有している。
日本でも、技術的には、いつでも核爆弾を作ることは出来ると言われる。
集団的自衛権の行使容認の法律を作っても
現実には、行使したり、戦場に行くことなどない
と安倍政権はいう。
本当にその言葉は守られるのか。
今は、あの時とは違う
などと言って、いつでも自由に戦争への道が開かれる可能性を作ってしまうのだ。
銃を持っている人に襲われたらいけないので
身を守るためだからと銃の所持を認めているアメリカは、
高校生が、銃を乱射して、多くの人を殺すような社会になった。
身を守るためと言っても、
兵器を持ったり、準備すれば、臨戦態勢として
攻撃の対象になる。
広島の爆心地にあった本川小学校の小学生たちは、
一瞬にしてその命を奪われた。
何が、どうなったのかも分からないまま。
あの原爆ドームは、産業奨励館という建物で
その開館を待っていた人は、影だけをその石段に残して
その死骸さえない。
罪のない多くの人が犠牲になり、
生き残った人たちにも、
身体にも心にも多くのキズを残して
戦争のない70年が経過した。
亡くなった人たちは、今の危険な日本をどう思っているのだろう。
今を生きる私たちには、この平和を守り続ける義務がある。