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我が家の献立はカレーライスです

スパゲティ派「我が家の献立がカレーライスだというのは隣の家に押し付けられたものです。自分たちの献立は自分たちで決めるべきです」
カレーライス派「我が家の献立は今までずっとカレーライスで特に問題も起きていないのですから、カレーライスのままでいるべきです」
スパゲティ派「ご近所との関係が変化しているので献立はスパゲティミートソースが良いと思います」
カレーライス派「ご近所がどうであろうと我が家の献立はカレーライスであるべきです」
スパゲティ派「スーパーでスパゲティが安売りしているので献立はスパゲティにしましょう。ご近所と材料をまとめ買いするととても安く済みます」
カレーライス派「ご近所とまとめ買いをしても安くなるとは限らないでしょう?ご近所と我が家では使っているスーパーが違うんですよ」
スパゲティ派「ご近所と一緒に買わないと、飢えて死んでしまう可能性があるんです!」
カレーライス派「それをどうにかするのが家計を預かる者の責任でしょう?他のスーパーを探すとか、もっと努力するべきです」
スパゲティ派「そもそもカレーライスとは何でしょうか?炭水化物の上にソースがかけてあるもののことです。スパゲティミートソースも炭水化物の上にソースがかかっているので、スパゲティミートソースもカレーライスです」
カレーライス派「わけのわからないことを言うな!カレーライスとスパゲティミートソースは全く別の料理じゃないか!」
スパゲティ派「わけのわからないことを言っているのはカレーライス派の方だろうが!私はスパゲティが食べたいと前から言ってるんだよ!どうしてもスパゲティが食べたいんだよ」
カレーライス派「お前がスパゲティを食べたいのは、ご近所がみんなスパゲティを食べているからだろうが!我が家の献立はカレーライスと昔から決まっているんだから、ご近所がどうであろうとスパゲティはダメなんだよ」
スパゲティ派「何でスパゲティがダメなんだよ!スパゲティは世界標準なんだよ!カレーライスとか言ってるのは我が家だけじゃないか」
カレーライス派「我が家の献立がカレーライスであるという事は世界的に評価されているんだよ、むしろ世界にカレーライスの素晴らしさを広げるべきなんだよ」
スパゲティ派「そんなわけないだろ、世界の流れはスパゲティなんだよ、もういい、お前とは話にならない、投票で決める」

投票期間中

スパゲティ派「皆さんのおこづかいを上げるために頑張ります」
カレーライス派「我が家の献立はカレーライスのままにするべきです」

投票結果 スパゲティ派圧勝

スパゲティ派「ほら見ろ、みんなスパゲティが食べたいんだよ!」
カレーライス派「お前投票期間中に献立の話なんかしなかったじゃないか!」
スパゲティ派「私がスパゲティミートソースを食べたいのはみんな知っているはずだから、あえて言わなくてもみんな分かっているんだよ、私が勝ったという事はスパゲティが食べたいという事なんだよ」
カレーライス派「投票期間中にそれを言わなかったのは卑怯だ、これではスパゲティが選ばれた事にはならない!」

意識調査

おこづかいが上がるのを支持しますか…多数派
献立はカレーライスのままでいいですか…多数派

スパゲティ派「私は真剣に我が家の献立を考えているんです!ミートソースが良いと言い続けてきているんです!カルボナーラとかボンゴレとかスパゲティのメニューの代案を出してこないカレーライス派は無責任です!」
カレーライス派「私は献立はカレーライスのままで良いと言っているんです!カレーライスが良いと言っているのに、スパゲティのメニューの中から選ばせようとしているスパゲティ派とは議論ができません!」
スパゲティ派「スパゲティ!スパゲティ!!スパゲティ!!!」
カレーライス派「カレーライス!カレーライス!!カレーライス!!!」
 ニューヨークで始まった「ウォール街を占拠しよう」というデモが、世界各国に広がっているようです。
 このデモ、始まったのは良いのですが段々と主張がバラバラに出てきていて運動としての統一性を欠いている、という指摘もあります。
 ある人は格差社会に対する問題を訴え、別の人は戦争反対を訴え、他の人はまた別の事を訴えている、というような具合。
 日本でも反原発が混じったりしています。
 主張はバラバラですがとりあえず共通しているのは現代社会に対する問題意識、という事でしょうか。

 このデモに関しては人それぞれに色々な見方がありそうなのですが、個人的にこの格差社会の問題をもう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
 現代社会、特にアメリカを始めとする先進国は基本的には「資本主義」で「民主主義」です。
 資本主義にも民主主義にも基本的なルールがあります。
 資本主義でよく言われている一般的なルールの一つが「リスクとリターンは等しい」というもの。
 多くのリターン(見返り)が欲しければ、それに見合ったリスク(危険)を引き受けろ、というものです。
 「ハイリスクハイリターン」「ローリスクローリターン」と一括りに使われる事もある言葉です。
 現代の社会で大きな格差が生じてもこのリスクとリターンが等しいのだから当然、という考え方が浸透しているわけですけど…
 この「リスクとリターンは等しい」というのは本当なのでしょうか?

 大金持ちはそれ相応のリスクを取っているからリターンが大きいのは当然、という事になっていますが大金持ちと言っても様々な人がいます。
 様々な人というとちょっと曖昧なので「お金持ちになる方法は人それぞれである」とここでは解釈してください。
 この人それぞれの方法なのですが、具体的には「起業する」とか「投資する」というのが一般的でそこにそれぞれに大きなリスクがある、という事になっています。
 起業する、というと確かにリスクがあります。
 成功するか失敗するかわからない事に自分の人生を賭け、自分の資金を賭け、場合によっては借金もするでしょう。
 これがリスクです。
 起業して失敗すれば自分の人生が大変な事になる、だから成功したならそれ相応のリターンを得て当然、という考え方です。
 この考え方は間違ってはいないでしょう。
 とは言ってもビル・ゲイツのような人を見ていると個人的には「この人何兆円も稼ぐほどのリスクを取ったのだろうか?」という素朴な疑問はありますが。
 彼が取ったリスクって多くても数千万円ぐらいのような気がするので、リターンが大き過ぎるのではないかという気はします。
 しかしそれでも、リスクは取っているし、もしも会社が潰れれば彼はすべてを失うでしょうから、ある程度なら彼のような起業家が大きなリターンを得るのは正当な対価と考えられます。
 もう一つの投資家はどうでしょう。
 有名なのはウォーレン・バフェットやジョージ・ソロスでしょうか。
 彼ら投資家も大きなリターンを得ていますが、当然それにふさわしいリスクも取っています。
 株にしろ為替にしろ先物にしろ、投資というものは自分の資産(もしくは誰かから預かった資産)を運用するわけで、失敗したらそれらをすべて失うかもしれません。
 信用取引をしていたら、元本だけでなくそれ以上の借金を抱え込む可能性もあります。
 リスクに対してリターンが多過ぎるかどうかはともかく、やはりそれなりのリスクを取っているので彼らの得ているリターンも正当な対価と考えられるはずです。

 起業家や投資家が大きな報酬を得ているのは、程度に問題はあるかもしれませんが正当な報酬と考えても良いと思うのです。
 しかし、世の中には「それ、本当にリスクを取っていると言えるの?」という不思議な人たちがいて、大きなリターンを得ていたりします。
 私が個人的におかしいと感じるのは「創業者ではない経営者」です。
 特にアメリカの経営者は時として100億円を上回る報酬を得ていたりします。
 自動車などのメーカーなどだけでなく、リーマンショックを引き起こした金融関係の経営者にもこの手の人がたくさんいます。
 彼らを擁護する人たちはいいます。
 「莫大な報酬を用意しないと優秀な経営者が雇えない」と。
 彼らの主張によると彼らの莫大な報酬の正当性の根拠は「彼らが優秀だから」という事になります。
 資本主義のルールは「リスクとリターンが等しい」というものであって、「優秀さ(自称)とリターンが等しい」というものではありません。
 変な言い方ですが、「どんなバカでもリスクを取ればそれに見合ったリターンを得る資格がある」というのが資本主義のルールです。
 現実にはバカなのにリスクを取るだけで成功する可能性は低いですが、どんなに低かろうと、それが実力ではなく運によるものであったとしても、リスクを取っていればリターンを得る事は正当と言えます。
 逆に言えば、どんなに優秀であってもリスクを取らなければリターンを得てはならない、という事にもなります。
 さて、「創業者ではない経営者」の人たちは果たしてリスクを取っているのでしょうか?
 また、本当に彼ら自身がいうように「優秀」なのでしょうか。
 まず第一に「優秀」に関しては疑問符が付きます。
 少なくともサブプライムローンというものを作って勝手に売りさばいて破たんさせ、リーマンショックを引き起こしたのは「失敗」です。
 本当に優秀ならばそういう失敗は避けられたでしょうし、例え避けられなかったとしても結果として「失敗」をしたのだからそれにともなう責任を取りリスクを負わなければなりません。
 もし起業家なら会社が潰れて借金が残るかもしれません。
 少なくとも資産の多くは失うでしょう。
 投資家も同様です。
 それがリスクを負う、という事です。
 ではこの「創業者ではない経営者(自称優秀)」な人たちはどんなリスクを負ったのでしょう?
 100億円を報酬として受け取っていたような人たちです。
 リスクとリターンが等しいのならば、100億円を失うぐらいの状態にならないとおかしいはずです。
 しかし実際は…
 一時的には報酬が下がった事もあったでしょうが、職を追われる事も無く自らの資産を大幅に毀損する事も無く、いつの間にやら高額報酬が復活しているような人たち、もいるようです。
 リスクとリターン、等しくないですよね?
 さらに言えば金融関係は公的資金の注入という形で税金を使って助けてもらっています。
 事実上、リスク取っていませんよね?
 お金の問題だけでなく、起業家のように自分の人生が台無しになるかもしれないというリスクも負っていなければ、投資家のように自分の資産をすべて失うリスクも負っていない。
 なのにリターンだけは起業家や投資家のようにガッチリと貰っているし、以前から貰い続けていた。
 サブプライム以前は「リスクを取っているのだからリターンを得るのは当然」と主張し莫大な報酬を得ていて、いざ有事の際には「リスクを取らずに国に助けてもらい」、にもかかわらず「相変わらずリターンは得ている」…
 リスクとリターンのルールはどこへ?
 明確なルール違反ですよね?

 また、「自称優秀」な人たちは莫大な報酬の根拠の一つとして「大きな責任を負っているから」という理由づけをする事もありました。
 いわく、「私が判断を誤れば社員全員が路頭に迷う」というもので「私は社員全員の人生に責任を持っているので高い報酬を得るのは当然」という論法です。
 …これ、正しいの?
 社員全員の人生に責任を持っている、という主張はウソですよね。
 少なくてもこの言葉を使うのならば「景気が悪くなったから社員を解雇」という選択肢は選べません。
 でも現実には選んでいる。
 もう一つ、「大きな責任」という言葉も見過ごせません。
 この責任が社員に対するものなのか株主に対するものなのか社会全体に対するものなのかはわかりませんし、その責任がそれなりに大きいものだ、というのは理解できます。
 が、それは果たして100億円を超えるほどの責任なのでしょうか。
 例えば同じように大きな、否、それ以上に大きな責任を負っていそうな人物がいます。
 「アメリカ大統領」です。
 他の国の国家元首でもいいです。
 この人たちの報酬、確か数千万円ですよね?
 でも責任は重大です。
 何せ国民全員の人生を全部背負っているわけですから。
 アメリカの全人口は3億人程度のようです。
 3億人の人生を背負って報酬は数千万。
 これをベースに考えると100億円を受け取っていい責任の基準は人口300億人以上という事になります。
 今現在の世界の人口が70億人ぐらいと言われていますから、「自称優秀」な人たちはその報酬を正当化するには地球4個分以上ぐらいの責任を負っていないとおかしい、という事になるはずです。
 明らかに貰い過ぎです。

 一方、デモをしている人たちは経済的には成功をしていない人たちだと思われます。
 貧困層とまではいわなくても、要するに「普通の人」たちという事になります。
 リスクとリターンのルールで考えると、「普通のリスクを負っているから普通のリターンを得ている人たち」という事になります。
 彼らは現在深刻な状況にあるはずです。
 失業したり医療費が高くて病院に行けなかったりという人もいるでしょう。
 場合によっては生活が危うい→そのうち食事に事欠き生命も危うい、という事になるかもしれません。
 そこに増税という可能性もあるわけです。
 彼らの基準からすればかなりのリスクを負っているとも言えます。
 そのリスクに対して、彼らはどの程度のリターンを得ているのでしょうか?
 「自称優秀」な人たちは「リスクを取っているフリをしてリスクを取らずにリターンを得ています」、ならば「リスクを取っていないように見えてリスクを取らされている普通の人」はそれなりのリターンを得ていないとおかしいはずですが、得ていないからデモをしているわけです。

 「資本主義」、という意味ですでにルールが破られています。

 「民主主義」はどうでしょう?
 「反ウォール街デモ」では「我々は99%だ」というスローガンが掲げられています。
 これは多くの富を1%の人が独占している、という主張の裏返しなわけですが、民主主義という点で見るとちょっと奇妙です。
 民主主義は多数決です。
 民主主義の理想では「全員で納得する事」が目標でそのためには多数派の意見だけでなく少数派の意見も尊重しよう、という考え方があります。
 往々にしてこの理想は破られ少数派の意見は無視され、数の暴力がまかり通る、というのが民主主義の欠点と言えます。
 さて、99%。
 額面通り受け取れば「圧倒的多数派」です。
 民主主義で考えれば勝利間違いなし、という数字です。
 その人たちがデモをしている=その人たちの主張が社会に反映されていない、という事と考える事も出来ます。
 …えーっと、「民主主義が機能していない」という事でしょうか?

 アメリカという国は一般的なイメージの置いて「資本主義」と「民主主義」のお手本のような国、となっているはずです。
 そのアメリカにおいて資本主義のルールが破られ、民主主義が機能していないというのは、冷静に考えると恐ろしい事です。
 デモを起こしている人たちの現代社会に対する違和感の根源にはこの「ルールが守られていない」という怒りが含まれているのではないでしょうか。
 今まで資本主義や民主主義を標榜していて、格差問題を含め様々な社会的矛盾が「ルールに則っている」という事で納得させられてきたのに、ここに来てルールが全く守られていない事が明らかになってしまったわけです。
 これに対して怒るのは当然ですし、そういう怒りが根底にあるのならばこの問題はなかなか解決しないのではないでしょうか。
 少なくとも「自称優秀」な人たちはルールを守って自らの失敗に相当した「リスクを負う」もしくは「ペナルティを払う」かをしなければ「99%の人たち」を納得させるのは困難だと思われます。
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 野田総理大臣が誕生し新政権が始まったわけですが、これで何かが変わるのでしょうか?
 つい先日まで「菅さえ退陣すればすべてが上手く行く」とか「菅以外なら誰でもいい」とか与野党・マスコミ揃って言っていたわけですから、野田内閣が発足した以上何もかも上手く行くんですよね?
 個人的には全くそんなことは無いと思うのですが、皆さん先日までそう言っておられたわけですからこれで上手く動かなかったら「全員でウソを吐いていた」という事になるわけですけど、そうなった際にはどう責任を取るつもりなのでしょう?
 …多分責任なんか取らないのでしょうけど。
 何だかここ数年次から次へと総理が変わっているわけですけど、こういう無責任発言が世の中に氾濫しているのも原因の一つのような気がするのですが。
 「青い鳥症候群」というヤツでしょうか。
 与野党・マスコミ・国民世論揃って青い鳥症候群というのはかなり深刻で、そっちの方が本当の意味での国難だと思うのですけど、どうでしょう?

 さて、何はともあれ発足したわけですけど、この内閣ってどうなんでしょう?
 見たところ地味。
 まぁそれは良いでしょう。
 見た目が仕事をするわけではないでしょうし。
 問題は実力があるのかどうかですけど、よく知らない人が多いのでその辺は未知数。
 小渕内閣の時のように最初誰にも期待されずに「冷めたピザ」と酷評されても、何だかんだで頑張って評価が上がっていく、というパターンを期待したいところですけど新聞などに発表された各大臣の経歴を見ると「ミスマッチ」なのではないか、と思う事もあります。
 例えば経済系の閣僚のプロフィールに経済に詳しそうと感じさせる要素が無かったり、元官僚と思われる人が入閣していたり。
 もちろんプロフィールにないからと言って実は密かに勉強していて「知られていないけど実は詳しい」という事もあるかもしれませんし、元官僚だから即ダメというわけでもないでしょう。
 ただ、民主党はずっと「政治主導」と掲げてきたわけですからその分野に詳しくなさそうな人とか元官僚というような人材を大臣に据えてしまうと、政治主導が官僚主導に逆戻りしてしまいそうです。
 官僚主導でも上手くやっていけるのならば構わないのですけど、これだけ行政改革とか抜本的改革という言葉が十年以上も前から叫ばれている状態で上手くやっていけるとは思えない。
 特に財政面では官僚主導による支出のカットなど大胆に実行できるとは思えず、結果的にすべて増税という形で片付いてしまいそうです。
 この内閣の顔ぶれで日本の財政再建ができるのかどうか、無駄を削減できるのかどうか、疑問です。

 行政改革の問題はともかくとして、今日本が置かれている状況は正直誰かがどうにかする事で解決できるような状態では無いのではないでしょうか。
 例えば円高。
 この状態は産業界にとっては非常に困りものですけど、原因は日本にあるのではなくむしろ海外。
 欧米諸国の経済不安から「比較的安全と思われている円」に資金が流入しているのが原因と言われています。
 「比較的安全と思われている」という所がポイントで、要するに「日本も危ないけどその他の国はもっと危険」というわけです。
 これを根本的に改善する方法は、海外の国が経済的な危機を脱するか、日本の経済状況が海外以上に悪くなるかという二択しかないのではないでしょうか。
 海外が経済危機を脱するのはまだまだ時間がかかりそうですから、そうなると残る手段は…
 逆説的な暴論ですが、むしろ日本の財政をさらに悪化させた方が経済的にはプラスになる?という珍説でさえ一理ありそうに感じてしまいます。
 むしろこの状況下でまかり間違って財政再建に成功などしようものなら、世界中の資金が「日本が一番安全だ」と雪崩のように押し寄せて、とんでもない円高に繋がってしまうのではないでしょうか?
 そんなおかしな珍現象は起きたりしませんよね?
 財政再建する事がむしろ危険、などという意味不明でトンチンカンな状況にはならないんですよねぇ?
 順番に考えて行くとなぜかこういうおかしな仮説が出てきてしまうのですけど、気のせいですよね?
 逆にこの説を前提に逆手にとって対外的に「日本は危険だ」とアピールする事で円安になって、日本の産業界が活気付いて税収が上がって財政再建、などというウルトラCは起こりませんよね?
 最近の世界経済を見た上で物事を順序立てて考えて行くと、どうにもこういう「ありえない方向」に思考が進んで行ってしまうのですが…
 例えば数日前のアメリカの株価。
 一年ほど前にも同じ状況があったのですが、「経済指標が悪くなると株価が上がり、経済指標が良くなると株価が下がる」という珍現象が起きていました。
 この珍現象の原因は「経済指標が悪い→政府が対策を出すはず→景気が上がるはず→株価上昇」という思考パターンによるものであり、その逆は「経済指標が良い→政府は助けない→景気が上がらない→株価下落」という思考パターンです。
 つまり「状況が悪ければ悪いほど助けてもらえるから大丈夫」という考え方であり「状況が良いと助けてもらえないから危険」というわけです。
 理に適っているというかアホというか…
 似たような事は欧州でも起きています。
 こちらも昨年の話ですがドイツやフランスが輸出が好調だったのはユーロが安かったら、と言われています。
 で、ユーロが安い原因はギリシャとかスペインなどPIGSと呼ばれた国が足を引っ張ったから。
 こちらの場合は「ダメな奴が足を引っ張れば引っ張るほど追い風になる」という珍現象。
 アメリカの市場やヨーロッパの経済でそういう逆転珍現象が起きてしまっているわけですから、この珍現象が他の国際経済や日本の経済にそのまま当てはまってもおかしくないかもしれません。
 こんな明らかにおかしな理屈がまかり通るとも思えませんが、「日本の経済・財政を良くしようと思うのならむしろ悪化させた方が上手く行く」という日本語としてもおかしな状態が最善の策、などという妙な考えに取りつかれそうです。
 もしこの珍策が正しいとすれば、むしろ新政権がダメであればあるほど良いという事になり、ダメでいいなら菅で良いだろとか、菅が上手く行かなかったのはダメじゃなかったから、とか頭がおかしくなりそうな感じになりそうですけど…
 という事は、もしかしてこの国をここまでダメにしてきた「自民」とか「官僚任せのやり方」がダメであるがゆえにそのダメさが原因で日本の救世主になるかも…
 イヤイヤ違うな、そんなバカな。
 段々訳が分からなくなってきた。
 一体何が正しいのでしょう?

 行政改革や経済も気になりますけど原発もどうするのか…
 この問題に関しては野田総理大臣今のところ目立った発言はして無さそうなんですよね。
 震災の復興と福島の原発をどうするのかは今現在最も気になるテーマですけど、これは一朝一夕にどうにかできるような問題では無いです。
 どうするにしても時間がかかる。
 さらに言えばその先、日本のこれからのエネルギー政策をどうするかという問題にまで繋がっているはずです。
 原発を使い続けるのか否か。
 使い続けるとすれば「国土が狭く地震の多いこの国でどうやって安全を保つのか」と「放射性廃棄物の処理」の問題が付きまといます。
 アメリカやロシアや中国のように国土の広い国ならば、極端な話例え原発事故が起きてもその一帯を封鎖し住民を移住させる事が可能です。
 しかし、日本の場合は国土が狭いので事故が起きてしまった場合失う国土の比率が大き過ぎます。
 国土が広い国ならば半径100キロ圏を失ったとしても国土の1%以下で済むかもしれませんが、日本で半径100キロの国土を失うというのはかなり致命的。
 そんなものを日本中いたるところに万遍なく配置している上にこの国は地震多発国。
 全部、とは言いませんが後数か所で福島のような事が起きたら行き場を無くした人が溢れかえるという事にもないかねません。
 さらに放射性廃棄物。
 放射能を完全に無害化する事が現在の技術ではできない以上、いつかは廃棄物の保管場所が足りなくなります。
 しかも放射能は数千年とか、酷い場合は10万年も有害なまま。
 まだ数十年間分ぐらいは保管場所は確保できるでしょうけど、未来永劫この技術を使い続けるわけには行きません。
 使い続ければ「人間が住める土地が無くなる」事になるわけですから。
 かと言って他の発電技術にもそれぞれに問題があります。
 火力発電所は温暖化に繋がり、これもやはり最終的には「地球に人が住めなくなる」という事態になりかねない。
 水力はダムを作るために自然が壊れるしや風力は発電量が不安定。
 太陽光発電は天気に左右される上にコストも高い。
 メタンハイドレートはまだ実用化の目途が立っていないし…
 最近は地熱発電が有望視されているみたいですけど。
 日本にとってエネルギーの問題は非常に重要なはずですが、新内閣はこの問題に関してはどのような考えをしているのか全く不明。
 思い付きとはいえ「脱原発」を表明した菅の方がまだマシという見方も出来ます。
 思い付きだろうが実行不可能だろうが、一度そういう方向にすると決めてしまえば周りの人間は嫌々だろうと何だろうとそれに従わざるをえず、僅かずつであってもそっち方向へ進んで行かざるを得ないわけですから。
 例え「脱原発」という最終目標が実現不可能の絵空事であったとしても、何も目標が無いよりはマシという考え方もできるでしょうし。

 他にも少子高齢化は止まっていないし、若年層の貧困化や格差の拡大の問題もそのまま。
 外交も領土問題等で難問山積ですし、議員の人数を減らすというような議会改革も全く進んでいません。
 やらなければならない事はたくさんあり、しかもそれらは昨日今日出てきたような新しいテーマではないのに、それらの問題に関してどうするのかというような話は出て来ていません。
 それどころか発足直後から失言らしきものが飛び出したり、野田総理自身も献金疑惑を抱えているらしく…
 本当にこの内閣、「菅よりマシ」なんですか?
 「菅以外なら誰でもOK」の結果としてこの内閣で大丈夫なんでしょうか。
 とりあえず菅総理に浴びせられていた文句である「復興のスピードが遅い」とか「官僚を使いこなせていない」とか「リーダーシップが無い」とか「独断で暴走する」とか「言う事が毎日変わる」という事は無いわけですよね?
 民主党の議員さんたちも党首選の時に候補者全員が「党が一つにまとまって…」というような事を言っていて、皆さんそれにしたがって誰かに投票したわけですからまさか「俺が総理になったらお前ら全員俺に協力しろ、ただしお前が総理になった時に俺は協力しないけど」というような意味ではありませんよね?
 当然誰が総理になったとしても「党一丸となって…」という覚悟でしょうし、当然民主党全員で野田総理を支えて行くんですよね?
 マスコミや世論(つまりは多くの国民のみなさん)も「菅以外なら誰でもOK」みたいな事を言っていたわけですから野田総理が全く役に立たなくても「菅よりはマシ」と支持していくんですよね?
 …とてもそうは思えませんけど。

 ところで最初に書いた「青い鳥症候群」ですけど、最近の政治の混乱の原因って根本にあるのはやはり国民の多くが「青い鳥症候群」になっているのが問題なのではないでしょうか。
 財政にしろ行政改革にしろ経済にしろ、何をやるにしても解決には時間がかかるはずです。
 少なくとも2年とか3年は待たないと結果が見えてこないはず。
 ですが、最近は国民の世論というものが半年ぐらいで「ダメだ」と判断してしまいます。
 ちょっと判断を下すのが早過ぎます。
 そして、改革などをして欲しくない人たちから見れば、この国民のせっかちは追い風になってしまいます。
 国民が数年間見守る覚悟ならば官僚にしろ野党にしろ抵抗をし続けるのは大変ですが、仮に最初から1年とか半年だけ抵抗すれば総理が変わるとわかっていれば、その間だけ必死に抵抗すればいいだけなのでかなり楽です。
 時間があればかなり深いところまで総理や内閣も踏み込めるでしょうけど、半年や一年ではそんなに深くは踏み込めない。
 そしてようやく深い所に踏み込めそうという矢先に国民が「遅い」とか「無能」とか言い出して総理が変わって振出しに戻る。
 それを繰り返してきただけのような気もします。
 もちろん「遅い」とか「無能」の前に自分で問題を引き起こしている場合もあるので、そういう時は論外ですが…
 野田総理に期待しようがしてなかろうが構いませんが、「ダメだ」と烙印を押すのは2年ぐらい待ってからにしませんか?
 その前にスキャンダルなどで自爆したり外交などで致命的なミスを犯したなら話は別ですが…

 「急いては事をし損じる」という言葉がありますが、日本の抱えている問題は解決に時間がかかるものばかりです。
 この言葉を国民全体で噛みしめる必要があるのかもしれませんよ。
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地デジ化の疑問

 被災地の東北3県を除いてアナログ放送が止まりました。
 被災地を除けば完全地デジ化完了です。
 ところで今更なんですが、地デジ化って誰が得をしたのでしょう?
 今一つわかりません。
 一応大義名分としてはアナログ放送よりもデジタル放送の方が電波の使用周波数帯域が少ないので、アナログをデジタルにすれば電波の使える部分が増えるので、その余った部分を使えば通信など他の分野の成長が見込めて新しいサービスを国民が受ける事が出来る、というものです。
 まだその新しいサービスというのが始まっていないしそれがどんなものなのかもよくわからないので何とも言えませんが、将来のためには必要な事なのでしょう。

 とはいうものの、本当に地デジ化って必要だったのでしょうか。
 ある報道では、徳島県で今までは計10チャンネルが視聴可能だったのに地デジ化した事で3つのチャンネルしか見れなくなった、との事です。
 それに対する対策はケーブルテレビに加入するしかないとの事。
 徳島、悲惨です。
 いくら映像が綺麗になったとかデータ放送が見れるとかマルチチャンネルが使えるとは言っても、視聴可能チャンネルが急激に減ってしまうのはメリットとは言い難い。
 視聴できるチャンネルの減ってしまった地域では「余計な事をしやがって」というのが本音かもしれません。

 また、国民に大きな出費を強いたというのも忘れてはいけません。
 まだ使えるテレビを地デジに対応させるためだけに買い替えさせたり、買い替えなくてもチューナーなどを新たに備え付けさせたり、ビデオやDVDレコーダーなどにも対策が必要になったなど色々と出費がかさんだはずです。
 アンテナを工事する必要のある家だってありました。
 ケーブルテレビに加入した人は月々の出費が新たにかさむ事になります。
 国民の経済的負担という面ではやはり「余計な事をしやがって」というと感じている人も多いでしょう。

 ゴミの問題も出てきています。
 まだ使えるアナログテレビやレコーダーなどが大量にゴミとして排出されたはずです。
 「もったいない」と感じるのは私だけではないでしょう。
 環境保護という面から見てもゴミが増えるのは問題です。

 現時点では国民の側にはあまりメリットが感じられません。
 まぁ、電波の有効利用などの本当のメリットは今後出てくるので現時点では仕方がないのかもしれませんけど…

 ところで、この地デジ化で得をした人はいたのでしょうか?
 普通に考えれば家電メーカーなどの業者は仕事が増えて儲かっていそうですが、これも報道によっては各メーカー共に値下げ競争に巻き込まれて思ったほど利益が出ていないとか。
 一方で韓国製や中国製の割安なテレビも出回っていました。
 それらの国からすれば今回の地デジ化はビジネスチャンスだったのでしょう。
 無理やり買い換えさせられた国民がとりあえず安いテレビで様子見、と考えてこれらの国のテレビを買ってみて、もし「意外と海外製の安いテレビでも問題無いじゃないか」と感じるようになれば、長い目で見た場合国内メーカーにとってマイナスに作用するかもしれません。
 今までは食わず嫌いで敬遠していた海外製の家電を地デジ化で「試しに使ってみた」ところ、「意外と大丈夫じゃないか」となれば、将来的に他の分野も含めて日本メーカーのシェアを減らす事になるかもしれません。

 テレビ局は利益が出るようになったのでしょうか?
 一時期耳にしたのは「余計な設備投資が増えた」とか「キー局は大丈夫だが地方局は設備投資の費用のために経営が厳しくなった」というような話です。
 デジタル放送になり画像が鮮明になったので、誤魔化しが効かなくなったというような指摘もあるようです。
 テレビ局はマルチチャンネルを使う事で理屈の上では今までよりも多くの番組を放送できるようになったわけですが、その一方で単純に考えればチャンネル数が増えればその分視聴者は色々なチャンネルを見るようになるので、一つのチャンネルの視聴率は下がります。
 仮にチャンネルが5つしかなければ、全視聴者を5つのチャンネルで奪い合うわけですが、これが10個のチャンネルに増えれば当然競争は激化し1つのチャンネルごとの視聴率は低下するはずです。
 これは広告料で稼いでいくビジネスにとってはかなり辛いのではないでしょうか?
 かといって前述の徳島のようにチャンネル数自体が減ってしまうと、テレビ離れが進みテレビ局のビジネスモデル自体が崩壊するかもしれません。

 地デジ化って一体誰が得をするのでしょう?
 何だか疑問が残ります。
 が、こういった事情とは別に世界の流れというのもあります。
 海外の国ではテレビのデジタル化というのは進んでいるので、アナログからデジタルへというのは世界的な潮流のようです。
 何でもかんでも海外に合わせれば良いというものではないでしょうけど、世界の標準に合わせていくというのもそれなりに必要なのかもしれません。
 ただ、少し気になるのが、海外のデジタル化の多くは「地デジ化(地上波デジタル放送化)」ではなく「衛星デジタル放送」や「ケーブルテレビ」が主流という話です。
 何だか話が少し違うような…
 そういえば日本の放送でも新聞のテレビ欄には「BSデジタル放送(衛星放送)」の欄があったりします。
 …あのう、本当に「地デジ化」って必要だったんですか?
 「デジタル放送化は世界の潮流」「電波の有効利用」というのならば「完全地デジ化」じゃなくて「完全衛星デジタル化」でも良かったんじゃないでしょうか?
 「衛星デジタル化」ならば、すでに設備投資も済んでいたでしょうからテレビ局も新たな負担はそんなに無いはず。
 国民の側も衛星放送のアンテナを付けて配線をする必要はあるでしょうが、「テレビをすべて買い替える」とか「アンテナ工事」などの費用や手間と比べれば「地デジ化」よりも「衛星デジタル化」の方が負担が小さかった気がしますし、仮に費用を多めに見積もったとしても総額で考えれば「地デジ化」と同じぐらいのはずです。
 「衛星デジタル化」ならテレビもそのまま使えたかもしれませんし、もしそうならゴミも出なかったはず。
 メーカーや販売業者は地デジ化という商機が無くなってしまいますが、元々こういう「短期間で一気に買い替えが進む」という現象は数年単位で考えると需要の先食いになってしまい、今後数年間テレビの買い替え需要が無くなるというマイナス現象も起こります。
 ビジネスという視点で考えるならば、短期間で急激に売れてその後パッタリと止まるよりは、長い間安定して売れていく方が良いはず。
 「衛星デジタル化」でもデータ放送はあったはずですし、画像だって綺麗です。
 電波の有効利用だって「アナログ放送分より少ない」どころか「アナログ放送分が全部空く」という事になるのではないでしょうか。
 アナログ放送分も地デジ放送分も全部丸ごと周波数帯が空くのならば、地デジ化以上のメリットがありそうに思えます。
 衛星放送ならば難視聴地域というのも少ないでしょうし…
 なぜ「地上波デジタル放送化」だったのでしょう?
 「衛星デジタル放送化」ではダメだったのでしょうか?
 素人目には「衛星デジタル放送化」の方が周波数帯という面でも経済的な面でもメリットが大きいように見えるのですが…
 「衛星デジタル化」ではダメで「地上波デジタル」でなければならなかった理由というのがあるのでしょうか。
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 ほとんど暴論なのを承知で書きますが、仙台にオリンピックを誘致してはどうでしょうか?
 石原東京都知事は2020年の東京オリンピック誘致にいまだにこだわっていて、今度は震災の復興のシンボルや祝いのイベントとして誘致しようというような事を言っていますが、東京でオリンピックをやったところで復興の記念などにはなりません。
 それをやるなら仙台です。
 最近の報道では福島の原発ばかりやっていて、正直仙台が現在どういう状況にあるのかはよくわかりませんが、おそらくまだ復興の道筋すら立っていないでしょう。
 そんな状況で何がオリンピックだ、と言われそうですが、逆にだからこそオリンピックを誘致するのです。
 もちろん状況が状況なので、今までのオリンピック誘致のように県や市だけでどうにかしようというのは無理です。
 だから国が国策として前面に出てやるのです。

 私は個人的にはどのような状況でどこでやるにせよ、基本的にはオリンピックを誘致するという行為自体に反対です。
 というのも、一般的に誘致したいと言っている人たちの多くは経済効果を期待するのですが、多くの場合オリンピック開催まではスタジアムの整備などで経済が潤うのですが、オリンピック終了後はそれらの施設の維持管理費などで赤字が膨らみ、長期的に見てオリンピックというのは収支がマイナスになる可能性が高いというのが反対の根拠です。
 それでも、今この時期に仙台にオリンピックを誘致するのだけは賛成です。
 震災直後のこの時期ならば、経済効果だけでなくあらゆる面で収支のマイナスよりも得るものが大きいだろう、というのが理由です。
 仙台の地理に詳しくは無いのですが、震災直後のニュースの映像などを見る限りあの辺りには甚大な被害が出ています。
 津波によって無残な姿になった映像は世界中に配信され、街は跡形も無くなりゼロから作り直さなければならない、というような状態でしょう。
 その復興案として一部ではコンパクトシティーとかエコな街づくりとか色々と案が出ています。
 このコンパクトとかエコという発想、都知事が提唱していた「新しいタイプの五輪」とほぼ同じではないでしょうか。

 今現在被災地は復興の目途も立っていないようですし、このような状況では被災者の人たちも明るい希望なども見出しにくいでしょう。
 ですが、ここで国が「仙台でオリンピックをやる」と言い出したらどうでしょう。
 言った直後は「何言ってんだバカ野郎、それどころじゃねぇよ」と非難されそうですが、オリンピックをやるというのは復興した後の姿を具体的にイメージできる一つのアイデアだと思うのです。
 しかも2020年。
 被災者の方の「この生活がいつまで続くんだろう…」という先の見えない不安に対して、「とりあえず2020年までにオリンピックが出来るところまで復興させる」という声明を出すことになるわけで、全く希望が見えずともすれば「もしかしてこのまま国に見捨てられるんじゃないだろうか」という不安さえ抱きそうな被災者に対して「国は絶対に見捨てない」というアピールにもなります。
 「あと9年で街が蘇る」というのは被災者の方にとっても一つの目標になるのではないでしょうか。
 そしてもちろんただ街を復旧させるだけではありません。
 今までの街を元通りにするというのではなく、さらに今まで以上のより良い街を新しく作り出すわけです。
 こういう言い方は被災者に対して失礼ですが、津波で街が無くなっているからこそ色々とやりやすい、という側面もあるでしょう。
 瓦礫の撤去と同時に新しい街をゼロから計画的に作り出す非常に稀有な機会、と捉える事も出来ます。
 コンパクトシティーという街全体をコンパクトにまとめるという21世紀型の新しい街並み、原発や化石燃料に頼らない自然エネルギーを中心にした街づくり。
 送電網は送電ロスの少ないスマートグリッドを整備し、日本の最先端の技術を結集したような街を作り、そこでオリンピックを開催するわけです。
 場合によっては東京からリニアモーターカーを走らせる、ぐらいの事を計画してもいいかもしれません(さすがにリニアモーターカーは時間的に間に合わないかもしれませんけど)
 もしそういった事がすべて可能になったらどうでしょうか?
 オリンピックという世界的に注目しているイベントが仙台で行われる。
 そしてそこに現れた仙台の街と日本の技術は世界最先端で溢れている。
 例えば、コンパクトで機能的な街並み。
 例えば、オリンピックという大イベントさえ自然エネルギーのみで賄える技術力。地球環境にやさしいライフスタイルやイベントの形。
 さらにあの悲惨な状況からわずか9年で立ち直ってしまった日本という国の力強さ。
 成功させればこれ以上ないぐらい「日本という国はスゴイ」というのを世界中に見せつける事ができるわけです。

 もちろん上手く誘致できるかどうかはわかりませんが、この誘致に関しても震災はプラスに働く可能性があります。
 先のオリンピック誘致で東京が破れブラジルが選ばれた時の理由の一つに「南米で初のオリンピック」というキーワードがありました。
 また、サッカーワールドカップの南アフリカ大会の時もそれに近い要素がありました。
 今国際社会ではこういう大規模なイベントを決定する際に「他の候補を黙らせるぐらいの強力な大義名分」というのが重要になっているのではないでしょうか。
 その点仙台は震災直後です。
 「わずか9年で大規模な震災から立ち直った都市で開催する」というのは立派なアピールポイントになりそうに思えませんか。
 南米初とか途上国であるとかいう大義と同様に、「人類は自然の猛威にさらされても立ち直る事が出来る」というのは世界中に対しても大きな希望を与える事になるはずです。
 そういう点を前面に押し出していけばオリンピック委員会だって興味を示すでしょうし、選ぶ際にも「人類の転機になるかもしれない」とか「ただ単純にあの状態から復興できるのか見てみたい」というように選びたくなりそうな理由はいくらでも出てきます。
 そして開催されるのは上に挙げたような最先端の技術で彩られたオリンピックです。
 今までの20世紀型のオリンピックとは違う、21世紀型の環境にやさしくコンパクトなオリンピックです。
 そこで海外の人が見るのはオリンピックというイベントだけではなく、21世紀の人類はこういう生活を営むのだ、という新しいライフスタイルの提示でもあるわけです。
 そのライフスタイルを支えるのはメードインジャパンの技術力です。
 国際的な舞台で日本の最先端の技術をこれでもかというぐらい見せつけるわけです。
 日本という国の技術力をアピールするにも最適です。
 さらに震災から9年での復興。
 津波で押し流され何もなくなったゼロからの復興です。
 今でも日本という国は「戦争に負けて焼け野原になったのに短期間で経済大国になったスゴイ国」というイメージが国際的にはあります。
 その伝説を再び行うわけです。
 何せあの震災と津波の被害は世界中に知れ渡っています。
 さらに原発の問題も起きました。
 それらを踏まえてなお、「わずか9年で復興し脱原発まで成し遂げた」という実績を作れれば新たな「日本の奇蹟」と言われるようになるでしょう。
 日本国内にとってもこれはいいイメージになるはずです。
 戦後焼け野原から経済大国になった、というのは日本人にとって大きな誇りとなっています。
 しかし、そういう体験をしている人たちも高齢化しそういった話は「過去の栄光」となっています。
 さらには失われた20年とか言われてバブル崩壊以降日本にというより日本人には元気がありません。
 そこへ「震災から9年でオリンピックを行うという奇蹟」という経験は、今を生きている日本人にとって共通の成功体験となり、日本人であるという事を誇れるような自身にも繋がるでしょう。
 そういう国民全体で共有できる成功体験というのは、日本人全体を必ず元気にしてくれるはずです。
 どうでしょうか、このアイデア。
 オリンピックなので短期的にはスタジアムなどの建設等で経済効果が期待できます。
 被災地に無理矢理に雇用を生み出すことにもなるでしょう。
 9年後にオリンピックを行う、という目標を提示すれば被災者の人たちにとっても励みになります。
 国際的に見れば「日本はやっぱりスゴイ国だ」という尊敬を集める事が出来るでしょうし、環境保護などでの技術力を世界的にアピールする絶好の機会になります。
 そして長期的に見れば、日本人全体に成功体験をさせる事で日本人としての誇りを持ち、日本全体に自信と元気を生み出します。
 そこで日本が提示する21世紀のライフスタイルは、世界中から羨望の的となるでしょうし、たくさん仕事も舞い込むでしょう。
 「9年後に仙台でオリンピックをやる」現状を考えれば夢物語ですが、こういう事を成功させてこそ本当の意味での復興であり、世界に「新しい日本」や「日本再生」「日本復活」という強いメッセージになるはずです。
 さらに大きな視点で見れば人類全体に対する希望にもなるでしょう。
 「環境を守りながらでも最先端の文明を享受する事は可能なんだ」
 「自然と共存しながらでも科学は発展できるんだ」
 「人間は自然の猛威にさらされても立ち直る事が出来るんだ」
 こういう、今人類全体に取って必要なメッセージを日本人が送る事が出来る、そしてそのチャンスが目の前にあるという風に考えるのは、とても前向きで力強い姿勢なのではないでしょうか。

 昔から「政治家は夢を語るべきだ」とか「ビジョンが重要」と言います。
 「9年後に仙台でオリンピックを」…これほど明確でわかりやすい夢やビジョンはないのではないでしょうか。
 オリンピックの誘致や具体的な「コンパクト五輪・エコ五輪」といったノウハウは東京都が持っているはずです。
 それをベースに日本中のあらゆる最先端の技術を投入し、仙台で21世紀型のオリンピックを開催する。
 脱原発や自然との共存は日本全体で2020年までに達成するのは難しいかもしれませんが、仙台周辺だけ、オリンピックだけという範囲限定でなら完全に行う事が可能かもしれません。
 その「仙台スタイル」とでもいうべきシステムそのものを成功例・モデルケースとしていくというのも人類の将来にとってプラスになるはずです。

 ただの夢かもしれません。
 無茶で無謀かもしれません。
 でも、これぐらいの事を言ったりやったりしないと日本は元気になりません。
 「頑張れ」とか「元気を出せ」などという中身の乏しい言葉よりも「9年後に仙台でオリンピックやるぞ!」の方が気合が入ると思いませんか。
 例え周りから無理だとか無茶苦茶だとか言われても、総理大臣のような人間が暴走気味にでも「やるぞ!」と前進していけば結構どうにかなるのではないでしょうか。
 そして、それが成功した時に日本と日本人が得るものはものすごく大きい。
 「日本の技術力の証明」
 「日本に対する国際的な信用と尊敬」
 「日本人自身の尊厳と自信と元気」
 今の日本と日本人にとって足りなくて必要なものがすべて手に入るような気がします。
 無茶を承知で賭けに出るのも悪くないでのは無いでしょうか。
 「9年後に仙台でオリンピック」…チャレンジするだけの価値はあるはずです。
 とりあえず「誘致のノウハウ」「大義名分」「新しく街を整備しやすい」など条件は揃っていると思うのですが。
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 「9年後に仙台でオリンピック」…スローガンとしても使いやすいし、政治家よ、これくらい夢のある事をぶち上げてくれ、国民に目標や勇気や元気を与えるのもお前らの仕事だぞ。
 「送発電分離」が話題になってます。
 今までは一社の電力会社がそれぞれの地域の送電と発電を独占してきたのですが、それを分離して電力を自由化しよう、という事のようです。
 メディアではそうする事によって電気代が安くなるとか、風力発電や太陽光発電のような再生可能エネルギーの導入に弾みがつくとか、今までの癒着構造を変える事が出来るとか、いい事ばかりを強調しています。
 中には電力が自由化すれば日本の産業界の構造に革新的な変化が起きるとか、今までの癒着構造の中で出来上がった既得権益や非効率的なシステムなどが無くなり、いわばかつての「抵抗勢力」と言われていた人たちみたいなものが無くなって日本社会全体が変わるようなイメージを伝えていたり、社会の腐敗構造にメスが入るみたいな言い方の人もいます。
 そういった人たちによれば、今までは電力自由化などと叫ぼうものならさまざまな嫌がらせを受けたり左遷されたりして社会の隅に追いやられたりしたり、電力が自由化されていないから日本の産業界の競争力が損なわれている、というような事が日本では今まで起きていたそうです。

 おそらくそういった面もあるのでしょう。
 だからと言って電力を自由化すればすべての問題が解決するかのような言い方や、現在の電力の在り方が悪の巣窟であるかのような言い方にはちょっと疑問が残ります。
 この電力自由化論はいい事ばかり並べていますが、では自由化した時のデメリットは無いのでしょうか?
 ご存知の方もいるとは思うのですが、当然デメリットはあります。
 日本よりも先に電力が自由化されたアメリカではかつて大きな問題が起きています。
 それもそんなに昔の話ではありません。
 わずか10年ほど前の事です。
 詳しい事はウィキペディアで「エンロン」「カリフォルニア電力危機」「電力自由化」といった項目を読んでいただければわかると思うのですが、ものすごく大雑把に説明すると「かつて電力などのエネルギーを作って供給していたエンロンという会社が、自分でエネルギーを作って売るよりもどこかから安く買ってきてそれを売った方が儲かると、製造業から商社のような状態へと変わってしまい、さらにマネーゲームにのめり込み電力価格が乱高下したり、その影響で他の電力会社にも影響が出て電力の供給が足りなくなり、最終的には大規模な停電が頻発して社会全体に影響を与え、さらにはエンロン自体も破綻し金融界にも大ダメージを与えた」という感じの出来事です。
 電力自由化の負の部分です。
 これはアメリカの話であって日本では起きない、などと言えるのでしょうか?
 日本にもライブドアのように本業そっちのけでマネーゲームにのめり込んだ企業がありました。
 そのような企業が再び現れて市場を通じて電力業界に変な影響を与える、という可能性がゼロと言えるのでしょうか?
 また、そのような事が起きなかったとしても電力が自由化され価格競争が起きる事で市場原理が働き、電気料金が下がるはずだ、というような主張もありますが電力価格が価格競争にさらされた結果安いが供給能力の低い会社に顧客が殺到し供給が足りなくなって大規模停電が起きたり、価格競争を続けた結果経営が立ち行かなくなった電力会社が潰れて大停電が起きたり金融界にダメージを与える、というような事が無いと言えるのでしょうか?
 もちろんそれらのリスクを承知の上でなお電力は自由化するべきだ、というのならばかまいませんがそのリスクというのが具体的にどういうモノかわかっているのでしょうか?
 例えばマネーゲームによる金融界へのダメージ。
 ライブドア事件の時もかなりのダメージでしたが、電気という公共性の高く時価総額も大きいであろう企業による市場・金融界へのダメージはその比ではないでしょう。
 市場の混乱だけではありません。
 電力やガスなど公共性の高いインフラ関連の銘柄は経営が安定しているので、年金や保険などの基金の投資先として選ばれることが多いです。
 そういうところが破たんする。
 という事は、貰えるはずの年金が減ったり無くなったり、受け取れるはずの保険金が減額されたり受け取れなかったりもするわけです。
 保険の中には生命保険や医療保険など命に関わるものや損害保険など生活に関わるもの、さらには養老保険とか学資保険など人生設計に影響を与えるものも含まれます。
 そういったものに影響が出るという事はライブドア事件の時のように、一部の投資家の人たちが酷い目に遭ったという程度の被害では済みません。
 場合によっては日本人全員の人生に少なからず影響を与えてしまうかもしれないわけです。
 そしてもう一つ停電に関して。
 先の震災の際の計画停電でもわかりましたが、現在の日本人の生活というのは電力に大きく依存しています。
 前もって「何月何日の何時からどこで何時間停電します」とわかっていた「計画停電」でさえ、あれだけの混乱とクレームを巻き起こし産業界にもダメージを与えました。
 あらかじめ分かっていたにもかかわらずあの騒ぎです。
 そのような停電が自由化によって「いつどこでどの程度の時間停電しているかわからない」というような状況になったらどうなるのでしょう?
 日本社会はその停電に対応できるのでしょうか?
 日本は今まで電気代が高いとは言いながらも、世界的に見て最高品質の電力供給を受けていました。
 それは電圧が安定していて停電もまず起こらないという、我々からすれば当たり前に感じていますが世界的に見てかなりハイレベルな電力事情のようです。
 そして日本社会のシステムはそのハイレベルな状態を「当たり前」とし、そのハイレベルな状態が永遠に続くという事を前提に設計されています。
 計画停電の時に問題視された事を思い出してみてください。
 電車が定時に来なかったり町が暗くなったり…
 まぁその程度ならいいでしょう。
 しかし、医療機関が停電になって患者さんの命が危うくなったり、自宅で療養介護している人の生命維持装置に影響が出たりという、人間の命に関わるような事も起きました。
 信号が止まり交差点で事故が起こりそうになったりもするでしょう。
 家電が壊れたり、場合によっては通電再開時に発火するというような危険もあったそうです。
 一部地域では水道も止まったそうですし、エレベーターも使えません。
 コンビニのレジも機能しないでしょうし、自動販売機や自動改札などどうなるか分かったものではありません。
 計画停電であらかじめ分かっていたからこそ大きな混乱も無く対策を準備する事で対処する事も出来ましたが、自由化による大規模停電はいつ起きるかわかりません。
 突然電車が止まって閉じ込められたり、エレベーターが止まって閉じ込められたり、帰宅できなくなったり、自宅の家電が燃え上がって火事になったり、生命維持装置が止まって病人が無くなったり、信号が止まって交通事故が多発したり…
 さらにはそれらの情報を得るためのテレビやラジオも使えないかもしれませんし、電話なども使えず連絡も状況把握も難しくなるかもしれません。
 現在の日本で電力がある日突然広範囲で長時間止まる、というのは何が起きるかわからない可能性が高いです。
 それが一度ぐらいなら何とか耐えられるでしょうけど(実際、電線がクレーンによって切断され電気が数時間止まったという事件もありましたが…)、数カ月から数年に渡って頻繁に起きるとなると日本社会は耐えられないのではないでしょうか。
 電力自由化をする事が悪いというつもりはありませんが、メリットだけでなくデメリットも説明し、そのデメリットに対する対策をあらかじめ取れるような仕組みを作っておく(例えば、各家庭や会社に自家発電機や蓄電池を備え付けるなど)というような事も必要なのではないでしょうか。
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 菅総理、ボロクソに言われています。
 リーダーシップが無いだとか、人間的に問題があるとか、無能だとか…
 まぁ、確かに何となくパッとしません。
 今現在彼が何をやっているのかはよくわからないし、これからどうやって復興させようとしているのかもよくわからないし、そもそも事態が収束に向かっているのかもよくわからない。
 ボロクソに言われても仕方がないのかもしれません。
 無能なのかもしれません。
 それでもあえて言います。

 「菅はそんなに無能ですか?」

 状況だけ見れば有能とは言い難いです。
 私も彼が極めて有能だと言うつもりはないですし、そんな根拠もありません。
 私が言いたいのはつまり、

 「じゃあ、誰ならいいの?」

 という事です。
 言い換えるなら

 「他に誰がいるの?」

 であり、

 「他に何ができるの?」

 です。
 状況を一応整理すると、今回の大震災は「大地震」と「大津波」と「原発事故」の三点セットです。
 被災範囲は広範囲に広がり、原発は事態解決には程遠い感じで、電力不足というオマケまで付いています。
 間違いなく、戦後最悪でしょう。
 だからこそ強いリーダーシップが求められている、というのはわかるのですが、では実際今何ができるのでしょうか?
 例えば原発です。
 水を注ぐ、冷却のための電力を復旧させる、汚染された水を処理する…
 報道などを見ていると「こんな事しかできないのか?」と思うような事ばかりです。
 事故後しばらくの間は「なぜこの時代にこんな原始的な対応策しかできないのだろう…」と感じるようなモノもありました。
 でも、原発に関わっている人たちだって素人ではないはずです。
 プロが集まって専門技術を結集して、それでもあんな事しかできなかったという事は、アレが現代の人類の技術の限界という事なのでしょう。
 一連の対応を批判している人に聞きたいのですが、他に何か対処法があるのでしょうか?
 あったらすぐに教えてあげてください。
 もしかしたら専門家が思いつかないようなコロンブスの卵のようなトンデモナイ解決策がどこかにあるのかもしれません。
 でも、そんなものはおそらく無いのでしょう。
 無いから今現在もこういう状況なわけです。
 菅内閣はダメだ、だからすぐに退陣せよ、というのは簡単なのですけど、菅が退陣すると原発が大人しくなるのでしょうか?
 他の誰かが総理になると原発がどうにかなるのでしょうか?
 …何も起こらないですよね。
 鳩山だったら何か解決策があるんでしょうか?
 「トラストミー」とか言っておしまいなんじゃないでしょうか?
 小沢だったら何かできるのでしょうか?
 復興にかこつけて私腹を肥やすかもしれません。
 麻生だったらどうでしょう?
 病気でやむを得ず働けないような人たちに向かって「何で俺が払った保険料が働きもせず飲んだり食ったり寝たりしているだけの奴らに使われなくちゃいけないんだ」と暴言を吐いたような男です。
 今回だって「原発で補助金を受け取っておいしい思いをしてきたんだからこれくらい我慢しろ」とかそういう非道な事を言うかもしれません。
 福田だったらどうでしょう?
 「あなたとは違うんです」と迷言を残していましたが、ねじれ国会の折「誰と話をすればいいのかわからない」とか「どうすればいいんですか?」みたいな逆切れもしていました。
 原発に向かって「原発君が言う事を聞いてくれない」とか「他にやりようがない」と言うだけかもしれません。
 安倍だったら…震災直後にストレスでお腹を壊して退陣したかも…
 小泉だったら被災地に直接行って被災者に向かって「大変だけど頑張ろう」と声をかけて終わりかも…
 確かに菅はダメなのかもしれない。
 でも、原発に関してはおそらく誰がやっても同じ対応しか取れないのではないでしょうか?

 仮設住宅の建設が遅れているとも言われています。
 こちらもリーダーシップを発揮してどうにかして欲しいところです。
 ところで、報道によるとこの仮設住宅もなかなか難しい状況のようです。
 津波で大部分が被災しているので仮設住宅を建てる場所がなかなか見つからないとの事です。
 建てられるならどこでもいい、というのならばともかく、余震は続いていますし津波だってまた来るかもしれない。
 仮設住宅を建てるためには「津波が届かないような安全な高台」が必要です。
 そういった場所は思いのほか少ないのでしょう。
 それだけでも大変なのに被災者の人数も桁外れです。
 少ない高台にたくさんの入居希望者。
 これは総理が無能とか、そういう次元の話ではないでしょう。
 また、仮設住宅を作るための資材を供給する会社が被災しているとか、いろいろな材料を作るための工場が電力不足で十分に機能できていない、という話もありました。
 これも総理の能力とは無関係です。

 何が言いたいか。
 つまり、

 「誰がやっても同じ結果」

 だという事です。
 菅は無能なのかもしれない。
 仮にものすごく無能だとしましょう。
 ですが、現状を考えるとどんなに有能な人でも出来る事は限られていて、おそらく結果は大差ないはずです。
 もしもオバマ大統領が陣頭指揮を執っていても結果は変わらないでしょう。
 無能無能と言われながらも、それでも少しずつですが状況は改善しているはずです。
 多くの人が罵っているからには、そのスピードは期待ハズレなぐらい遅いのでしょうが、それでもどうにか前に進んでいるのも事実です。
 無能と批判したくなるのはわかるのですが、ならばその他に何ができるのかという代案を具体的に提示していないのでは、菅が無能であることを証明した事にはなりません。
 むしろ、この状況下で総理が交代したら混乱に拍車をかけるだけなのではないでしょうか。
 総理が退陣し次の総理を決めるための権力争いが行われる、その間復興は停滞するかもしれません。
 その権力不在の間に余震で被害が出るかもしれません。
 原発の状況が悪化するかもしれません。
 新しい総理が決まっても、また現状把握などの情報収集を再度始めなければならないかもしれません。
 時間のロスが大き過ぎます。
 「菅はダメ、退陣すべき」と言うのは構いませんが、彼が本気で嫌になって「やーめたっ!」と投げ出したらどうするつもりですか?
 そっちの方が余計状況が悪くなるのではないでしょうか。
 このような誰もが放り出したくなるような最悪な状況の中で、批判されながらもとりあえず総理として何とかやっているというのは、それだけでそこそこ立派と言えない事も無いでしょう。
 能力的に十分とは言えないかもしれませんし、満足できる結果を出しているとも言い難い感じではありますが、ここ何年か続き伝統となりつつある「政権放り出し」をこの期に及んでやっていないというのは、国民からすればそれなりに助かってはいるし、それが権力への妄執ゆえだとしても結果として「責任ある態度」と呼べない事もないでしょう。
 まぁ「投げ出すような奴よりマシ」という程度なのかもしれませんけど、それでも「マシ」は「マシ」なのです。

 「責任」という点から見ると自民党はどうなのでしょうか?
 何だか最近の菅バッシングを見ていると「地震を起こしたのも菅で、津波が起きたのも菅のせいで、原発を作ったのも菅だ」みたいな「大怪獣カン・ナオト襲来」みたいな雰囲気になってますけど、違いますよね?
 地震と津波は天災で、原発を作ったのは自民党政権です。
 天災の方はどうしようもない、とも思えるのですが「災害時の避難」や「天災への備え」という意味で政権交代後民主党は何かやったのでしょうか?
 多分やっていませんよね。
 それはもう皆さんが「無能だ」と言いたくなるぐらい民主党政権は政権交代後目覚ましい成果を上げていません。
 もう本当に、事業仕分け以外何もやってない。
 当然「災害時の対応マニュアルを一から考え直す」とかそういうやっておいて欲しい事もやっていないはずです。
 覚えている範囲だと事業仕分けで「備蓄用の塩だか米だかの量が多過ぎるから削減すべき」という程度です。
 今回塩とか米とかが足りない、という話は聞きません。(支援物資が届かないという声はありましたが)
 民主党政権が災害に対する備えという点で何か足を引っ張るような事をあらかじめしていた、とも思えません。
 とすると、今回のこの混乱は「元々作られていた防災対策の方法が不十分だった」とか「そういった重要な引継ぎを政権交代の折にやっていなかった」とかそういった事なのかもしれません。
 もしそうだとするなら、自民党にだって責任はあるはずです。
 もちろん「政権交代したんだからありとあらゆる国難に対する対応策ぐらい自分たちで考えておけ」という理屈も成り立ちますが、国民の命がかかっているのですからそういう出し惜しみは無責任でしょう。
 原発に関しても同じです。
 今まで長い間「原発は安全」で「地震や津波が来ても大丈夫」と言い続けてきたのは自民党です。
 さらにリスク管理という意味では致命的な「一か所に集中させる」という方針で「原発銀座」を作ったのも自民党でしょう。
 その辺の責任はどうなんでしょう?
 変な喩かもしれませんが「治療不可能なぐらい病状を悪化させた患者が手遅れになってから医者に掛り『治せないのは医者が無能だからだ』」と非難しているようなものです。
 ちょっと横暴過ぎませんかね?
 自民党は一生懸命菅バッシングをやってますけど、そもそもこのような事態を招く遠因を作ってきたのは自民党ではないでしょうか?
 原発の災害に対する見通しが甘かった、という意見も出ていましたが、その見通しの甘い原発を作ってきたのは自民党です。
 経済産業省の幹部が電力会社に天下りするからチェック機能が失われた、とも言われていますが、それも自民党政権時代からの慣例です。
 もちろん民主党は政権交代時に天下り根絶と言っていたわけですから、政権交代直後に天下りを根絶し原発を始めあらゆるチェックを強化していたらもしかしたらこのような事態になる前に対応策が打てたのかもしれませんけど、政権交代後わずか2年でそこまで期待するのは難しかったのではないでしょうか。
 やはり根本的な問題は自民党政権時代に遡って考える必要があるはずです。
 それなのに自民党からはそういう事に対する反省の弁は聞こえてきません。
 「菅はダメ、退陣すべき」と言っているだけです。
 同じ政権交代を目指すのでも、「自民党の今までのやり方が間違っていた。このような事態を招いたのは自民党の責任なので、自らの失敗の尻拭いを自分たちで行うために政権交代してくれ」というのならばまだ理解できるのですけど…
 民主党内の反対派、例えば小沢氏とかにも言えるのですが、「菅はダメ」というのならば「自分ならこういうやり方でやる」と具体案を出すべきでしょうし、またこのような国難の状況において「私のアイデアを菅に真似されて手柄を横取りされるのは嫌だ」とか、そういう些末なメンツにこだわっている場合でもないでしょう。
 アイデアがあるのならば出し惜しみせずドンドン出して使ってもらうのが本当の意味での「滅私奉公」であり、国民の利益のはずです。
 自分のメンツなどを考えて出し惜しみなどするのならば、そっちの方が国賊モノでしょう。

 多くの人が「菅はダメ」というのならば菅はダメなのかもしれません。
 ですが、ダメだからと言って交代させるのはこの非常時にはマイナスです。
 むしろ「バカとハサミは使いよう」という言葉のように「ダメな菅をどうやって使いこなすか」ぐらいの発想でこの事態の収拾に協力する、という態度が重要なのではないでしょうか。
 菅はダメなのかもしれません。
 しかし、ダメなものを使いこなせない人もまた同じように「無能な人」なのではないでしょうか。
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 国会、低迷してますよね。
 あまりにも酷すぎて文句すらも出てきません。
 最近では前原さんが外務大臣を辞任しているわけですけど…
 辞める直前に言い訳みたいな形で言っていた言葉が気になります。
 「福田さんもやっていたじゃないか」と。
 ちょっとよく覚えていないのですが、自民党の福田康夫元総理大臣も以前外国人からの政治献金を受け取っていたらしいんですよね。
 確かに民主党は酷い。
 今回の前原さんだって凡ミスとはいえ法律違反は法律違反です。
 でも、それを追求する自民党だってよくよく考えてみれば似たようなもので、同じような過去があったりする。
 全く違う話なのですが、この問題の少し前に議会で自民党の小泉議員が「公約を守らないのは絶対に許せない」と発言して拍手喝さいを浴びていたのですが、私は覚えていますよ、数年前にこの人のお父さんが「公約を守らないのは大したことじゃない」と大声で叫んでいたのを。
 …何なのですか、これは?
 この議会は?
 壮大なコントですか?
 何年も前に仕込んでおいたネタをここに来て一気に爆発させるというコメディか何かですか?

 民主党も自民党もお互いに脛に傷があり、その傷を突き合って足を引っ張り合っているだけ。
 これがこの国で最も重要な議会である国会のあるべき姿なのでしょうか?
 自民党の議会戦術とかも、かつて与党時代に民主党に苦しめられたからとその時のやり方をそのまま真似しているように見えます。
 議会戦術として、政権を奪い返すための作戦としては有効なのでしょう。
 が、そこに国民の事を思う視点が感じられません。
 今政界で、本当の意味で国民の事を考えている政党はあるのでしょうか?
 今、仮にもう一度政権交代をしたとして、その時民主党はおそらくまた同じような事をするのでしょう。
 野党が与党の弱点を突いて苦しめて、議会の進行が滞る。
 このパターンを攻守を変えて延々と繰り返すだけ、というのが国会の仕事なのでしょうか?
 一部の若手議員たちの中からは、例えば予算委員会では予算以外の問題を扱うのは止めよう、という至極まっとうな意見が出ていたようですが、当然のようにその意見は黙殺。
 そして繰り返される足の引っ張り合い。

 足の引っ張り合いが功を奏してか、民主党の自殺点か、内閣支持率は低下の一方。
 で、「解散総選挙だ」とか「内閣総辞職だ」とか騒いでいるわけですが、それで何かが変わるのでしょうか?
 総選挙やってどうしますか?
 民主党の支持率は下がっています。
 でも、自民党の支持率は上がっていません。
 増えているのは無党派層だけ。
 国会で馬鹿な事を繰り返せば繰り返すほど、国民の国会離れ・政治不信が広がっていくだけです。
 現に、地方では小さな地域政党が猛威を振るい始めています。
 「維新」とか「減税」とかを旗印にしている勢力が既存政党を駆逐する勢いで支持を集めています。
 これらの地域で言われているのが「既存政党離れ」です。
 国民のほとんどはもう「民主か自民か」ではなく「今の人たち全取り替え」を望んでいるのではないか、とすら思えます。
 残念ながら地域政党は国会に影響力を持つほどの力は持ち合わせていません。
 一部賛同する国会議員もいますが、地域政党が国政に直接立候補してくる、というだけの力は無いでしょう。
 地方議会では既存政党に嫌気がしている人たちの受け皿として、これらの新興勢力が力を伸ばしていますが、国政の方には受け皿不在です。
 この状態で解散しても、余計に事態が混迷するだけなのではないでしょうか。
 民主も自民も過半数が取れず、連立も上手く調整できず年がら年中空中分解…
 議会の脳死状態です。
 だからと言って総辞職したって次がいない。
 次がいたって、自民党が戦術を変えない事にはまた同じような混乱が続くだけ。
 どうするの、これ?
 やっぱり民主とか自民とかの既存政党ではどうにもならないって事なんでしょうか?
 せっかく根付いた二大政党制、選択肢は「最低と最悪」…
 どっちも選びたくないんですけど…

 政界の中の幕末マニアな方々は「竜馬」だの「薩長同盟」だの「維新」だのという言葉を好んで使っていますが、それをそのまま当てはめるならば「現状の議会=末期の徳川幕府」であり、竜馬・薩長同盟・維新に相当するものはおそらく議会の外側に存在しています。
 「政治と金」の問題は「安政の大獄」のつもりでしょうか?
 彼らが幕末ごっこに興じている間に外から誰かがやってきて「大政奉還」になる可能性だってあるわけです。
 …もしかしたら国民はそれを望んでいるのかもしれません。
 それが地方で「政治家らしくない知事・市長」が誕生している原因なのかもしれません。
 徳川幕府…じゃなかった、現在の国会は、もう少し真面目に「議会」というものを考えて仕事をしてくれないと本当に国民に愛想を尽かされますよ。
 困った事に諸外国が日本に対して強圧的に出てきているのも幕末そっくり。

 …国会に勝海舟はいないのか?
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 何だかTPPという制度に日本が参加するべきか否か、という事が問題になってます。
 TPPっていうのは「環太平洋戦略的経済連携協定」というのが正式名称のようで、簡単に言えば「加盟国間では関税を撤廃し貿易を促進しよう」というような制度です。
 で、参加すると日本の輸出産業(自動車とか電気製品など)には追い風になるのだけど、農業のような国際競争力のない産業には壊滅的な打撃を与える可能性がある、という事で揉めています。
 今回はその辺の問題ではなく、このTPPという仕組みが何だか嫌な気配のモノとよく似ている、という点について。

 先に結論から言うと、「TPP」って「ブロック経済」と同じじゃないの?という事です。
 ブロック経済というのは『自国と友好国を「ブロック」として、関税障壁を張り巡らし、他のブロックへ需要が漏れ出さないようにした状態の経済体制(ウィキペディアより)』というものです。
 ものすごく簡単に言えば、仲の良い国同士だけで貿易をしてその他の国は仲間外れにしましょう、という制度です。
 ブロック経済の場合は自分たち以外の国に対して高い関税をかけるという方法で、TPPは自分たちだけは関税を無くすという逆の方法なわけですけど、関税を上げようと下げようと結果として「自分たちだけが他の国よりも税率を低くする」という意味では似たようなものです。
 ブロック経済と違い他国を完全排除、というわけではないですが目指している方法は同じでしょう。

 さて、このブロック経済というもの、一般的にどの時代の制度の事を指すかというと1929年の大恐慌後の1930年代の頃を言います。
 そしてこのブロック経済が第二次世界大戦を招いた、と言われています。
 何だ嫌な感じがしませんか?
 ・大恐慌→ブロック経済→第二次世界大戦
 ・100年に一度の危機→TPP→(…世界大戦?)
 素人目には同じ図式に見えるのですけど、どうでしょう?
 さらに、第二次世界大戦の頃には共産主義が台頭してきましたけど、現在は中東のイスラム圏で色々と揉めています。
 この二つも、経済的社会的弱者による反乱、という意味では似ています。
 また、当時はソ連とアメリカという超大国が二つ、現在は中国とアメリカが二大国として存在感を持っています。
 …何か似てませんか?
 今のところ他の地域でTPPのような仕組みが導入されているというわけではないのでしょうけど、このまま進んでいくと何かが起きるような気がします。
 当時と現在とでは状況は違いますし、似ているからと言って必ず同じようになるというわけでもないでしょう。
 ただ、当時ブロック経済を導入した人たちがどういう気持ちだったのかはわかりませんが、現在TPPを導入しようとしている人たちに「世界の事を考える」という視点があるようには思えません。
 皆この仕組みの中で自国の国益をどうするかという事ばかり考えていて、この制度で蚊帳の外になってしまった人たちが今後どういう行動に出てくるのか、という視点は欠落しています。
 このような状態ならば蚊帳の外になった国々がそれぞれでTPPのような制度を導入し、最終的には世界経済がブロック経済当時のように分断されてしまう、という可能性は十分にあるでしょう。
 そうなったさらにその先に何が待っているのか…
 そういう視点を持つのも大事なのではないでしょうか?

 第二次世界大戦は植民地主義を終わらせ共産主義が台頭してきました。
 この先終わるのが資本主義なのかそれ以外の何かなのか、台頭してくるのは中国なのかイスラムなのかそれ以外なのか、具体的な事はハッキリしないのですが何か危険な臭いだけはしているのではないでしょうか?

 TPPに参加するのかしないのか、という議論も大事ですが世界情勢が現在のような状態なのですからTPPという制度そのものの是非を問う、という視点があっても良いのではないでしょうか?
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増税の恩恵

 増税、するのでしょうか?
 新しい内閣の顔ぶれから「増税内閣」と考える人もいるらしく、また経済界からも消費税を上げるべき、との声が出ているみたいです。
 確かに、日本の現状を考えると増税は不可避といったところ。
 それでも「増税」という言葉には嫌な響きがありますけど…
 ここで少し考え方を変えてみましょう。
 そのために「増税の恩恵」というあまり聞かない言葉を持ち出してみました。
 普通「減税の恩恵」というような言い方をすると思うのですが、税金というものの本来の意味を考えると、大きな視点で考えれば増税・減税のどちらも国民の利益につながっているはずなんですよね。
 税金とは何か、と考えた時に「国民が受ける行政サービスを維持するための費用」と考えればわかりやすいと思います。
 減税は手元に残るお金が増えるので一般的に恩恵を感じやすいわけですが、増税だってそのお金が行政サービスとなって国民に還ってきている、と考えれば立派に恩恵なわけです。
 「独裁国家」や「恐ろしく非効率な行政システムによる無駄遣い」という例外を除けば、増税だろうが減税だろうが「富の形が変わるだけ」で「国民全体の富」が減っているわけではないでしょう。
 税金を「行政サービスを受けるための代金」と考えれば、必ずしも不利益とは言えないはずです。
 もちろん個人個人では損得が生じ、恩恵を大きく受け取れる人とあまり受け取れない人がいるのは事実ですが、これは「そもそも社会とは何のために存在するのか?」という視点で考えればそれぞれに答えが出るのではないでしょうか?
 人間は一人で完全な存在というわけではなく、それぞれに優劣もあれば老いたり病になったりもします。
 人間が社会を形成するのはお互いに助け合うためであり、その方法の一つが富の再分配という社会のシステムであるはずです。
 なので個人個人の損得を強調したい気持ちもわかりますが、ある程度は「社会とはそういうものだ」と受け入れるのも大事でしょう。
 ただ、問題なのはそのサービスを受けているという実感が社会全体として無かったり、代金が上がったにもかかわらずサービスが向上していない、と多くの人が感じる場合です。

 ここ数年社会福祉などを語る際に北欧諸国の社会システムが比較対象として出されています。
 いわゆる「高負担高福祉」というヤツです。
 北欧では消費税が20パーセント以上の国もある代わりに、社会福祉が手厚く老後の不安などが無い、などと言われています。
 ただ、そういった国も最初から「高負担高福祉」という社会システムではなかったそうです。
 最初は日本同様「低負担低福祉」だったそうなのですが、長い期間をかけて国民を説得し徐々に「高負担高福祉」の現在のような仕組みにしていったそうです。
 これらの国の人も最初は増税反対だったのでしょう。
 それを少しずつ税率を上げ、同時に社会サービスを向上させることで「税金を払った分だけ社会が豊かになった」という実感を国民全体に植え付けていったそうです。
 そうすることで「税金を払う事=社会を支える事=自分たちが豊かになる事」という意識を国民全員が共有することができたそうです。
 さて、日本です。
 かつて日本には消費税などというものは存在しませんでした。
 それから税率3パーセントの消費税を導入し、それが5パーセントに上がりました。
 …で、国民の生活は豊かになったのでしょうか?
 高度成長期も終わり、バブルも弾け、中国など新興国も台頭してきて日本経済の成長が低迷している、という不利な要因はあるとはいえ、消費税導入による恩恵というものを感じている人は少ないのではないでしょうか?
 「増税反対」という言葉の一番の理由はこの「実感のなさ」によるところが大きいのではないでしょうか。
 「高負担高福祉」が実現している国と違い、日本はまだまだ過渡期です。
 しかも、政権交代や内閣の退陣などで方針が変わる可能性があり、今現在国家としてどちらの方向へ向かっていくのかがハッキリとしていません。
 そのため多くの人は行政サービスに頼っていいのかどうかわからず社会システムが信用できないので、「自分の事は自分で考えるしかない」と必要以上の貯蓄をしている、という側面もありそうです。
 もしも「老人ホームが無料、医療費も無料、生活するのに困らない程度の年金」があらかじめ保証されているのならば、多くの人はお金を貯めこんだりはしません。
 ですが、日本にはそういう保証が無い。
 その上、その「行政サービスの代わりにするための自己資産」が増税によって削られる、というのですから誰でも増税に反対します。
 増税をするのならば、まずそれによってどの程度生活が改善するのか、という説明を国民にする必要があるはずです。
 とは言うものの、日本の現状は「税金=サービスの代金」という状態ではなかったりします。
 増税の理由が「財政再建のため」というのが一番で、それはつまり「税金=借金の返済」なわけです。
 借金の返済なので、いくらお金を払っても新たにサービスが受けられるわけではありません。
 しかもその借金は世代によっては「自分たちで作った借金」ではなく「親とか祖父母が作った借金」だったりするわけです。
 若い世代からすれば「私の名義で借金して自分たちは豊かな生活をしておいて、支払いは私持ちってどういうこと?」という意識になります。
 ますます「増税反対」ですよね…

 今、政界などでは「徐々に税率を上げていく」という考え方が主流です。
 おそらく経済界なども同様でしょう。
 ですが、これだといつまで経っても「借金の返済」ばかりで「増税の恩恵」を受けられません。
 かなり乱暴な考え方なのですけど、どうしても消費税を上げるならばあえて一気に数十パーセントに引き上げてしまう方がいいのではないでしょうか?
 もちろん大反対が起きるでしょうし、生活が大変にもなるでしょう。
 が、同時に「これだけの税金を取る代わりに、これだけの行政サービスを提供します」と「しっかりと恩恵を感じられる」ようにすることで国民に「税金を払う事=自分たちが豊かになる事」という意識を植え付けるわけです。
 当然ですが北欧諸国と違い「借金返済分」が含まれているので、税率の割には北欧ほど豊かな行政サービスを受けられるわけではないでしょう。
 「こんなに払っているのにこの程度しかサービスが受けられないの?」という風にも感じます。
 それでも今のような「代金を払っているのにサービスが受けられない」というような状態よりは、受け取るサービスが値上げ分ほど向上していなかったとしても、わずかでも向上する分だけマシ、という気がします。
 ものすごく乱暴ですが、仮に消費税を50パーセントとかそれ以上に引き上げる代わりに「医療費無料、老人ホーム無料、教育費無料、年金は生活に困らない程度支払う」と「超高負担高福祉」な負担と福祉のバランスを欠いたものであったとしても、目に見えて「お金がかかる社会システム」が改善されていくのならば、反対派が消えるとまでは行かなくても賛成派が大きな声を上げる程度にはなるのではないでしょうか。
 その後、財政問題が改善してくれば福祉のレベルを下げない程度に減税(つまり北欧並みの負担)すればいいわけです。
 税率を徐々に上げていくというだけでなく、一気に引き上げてその後下げる、という方法も考えてみてもいいのではないでしょうか。
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 蛇足

 ところで、北欧の高負担高福祉も万能ではないようです。
 噂では、風邪をひいても病院に電話で予約して3日後ぐらいにならないと治療が受けられない、という事らしいです。
 さすがに命にかかわるような急患ならばそういう事は無いとは思いますが、ちょっとした病気や怪我だと時間がかかる、というようなデメリットもあるようです。 

 もう一つ蛇足

 日本の貯蓄率が高いのは将来に不安があるからだ、という説があります。(儒教の影響、という説もありますけど)
 この説だと日本の消費が活性化しないのは将来に不安があるのでお金を貯めこむからだ、という事で逆に将来への不安が無くなれば消費が活性化して景気が回復するはずだ、という事になります。
 正しいのかどうかわかりませんが、仮にこの説が正しかったとして、日本人が将来に不安を感じなくなり預金をせず資産を消費に回したら、当然銀行の預金残高は減りますよね?
 日本の国債がこのような財政状態にもかかわらず非常に低い金利に設定されているのは、国債のほとんどを国内で消化しているからだ、と言われています。
 国債のほとんどを国内で消化できている原因は諸外国に比べて高すぎるとまで言われている個人貯蓄量なわけですけど、もしもこの個人貯蓄が消費に回ったら国債を国内で消化できなくなって国債価格が暴落し金利が暴騰するのではないでしょうか?
 そういう危険性は無いのかな?
 それとも消費が活性化して個人の貯蓄が減っても、その分景気が回復し企業からの預金が増えるはずだから大丈夫、というような事になっているのでしょうか…
 ちょっと不安。
 今年一年の政治、一体何だったのでしょう?
 印象としては「小沢に始まり小沢に終わった一年」という感じです。
 政治と金の問題にいつまで経っても決着がつかず、ようやく政倫審に出るというようなことが決まったかと思えば官房長官の辞任問題も絡ませるという手の込みよう。
 「政治のための政治」というか「政局のための政治」というか、大切なことが何一つ前に進んでいないような気がします。
 他にやることがないのでしょうか?
 そんな事は無いはずなのですが、どうも政界にはそういう意識が無いようです。
 それとも「やることがない」のではなく「できることがない」というのが本当のところなのかも…
 尖閣問題や北方領土の件に関しては明らかに内閣のミスだとは思います。
 民主党には外交能力は期待できないかもしれません。
 ですが内政に目を向けると必ずしも民主党が悪いとも言い切れない感じです。
 もちろん成果は思ったより上がっていません。
 事業仕分けも思ったほど成果が上がらず、その上一度仕分けた事業がゾンビのように復活しているとも報じられていました。
 だからダメだというのは簡単なのですが、その間他党は何をしていたのでしょうか?
 例えば事業仕分けで漏れたような問題を発掘してきたりとか、そういった動きは見られません。
 自民党は昨年まで「政権担当能力がある」と豪語し、官僚も使いこなせていると言わんばかりでしたが、結局そういった人脈を使って新たな無駄の削減案を提示するとか、そういった前向きな行動が出てきたわけでもありません。
 傍目に見ていれば何もしていないようにしか見えない。
 そんな状態にもかかわらず一部では連立だの大連立だのと言っていますが、この状態でそういうことをしたところで一体何かが変わるのでしょうか?
 内政に関する問題の主要部分は財政問題です。
 何をやるにしても結局「金が無い」というのが最終的な問題として挙がってきます。
 仮に連立だの大連立をしたところでこの財政問題が片付くわけではありません。
 もしも民主党と自民党が大連立をして政局が安定したところで、それで何かが変わるのでしょうか?
 財政を悪化させ続けてきた政党が与党にいようが野党にいようが悪化した財政が改善するわけではないでしょう。
 そして財政問題が片付かない限り、この国が明るい方向に向かっていくのは難しいように思えます。
 もしもこの財政問題が改善するような妙案があるのならば連立でも大連立でも何でもいいから好きにやってくれと言いたいところですが、そういった妙案があるようには思えない。
 こんな風に考えていると「ひょっとして政治家っていらないんじゃないのか?」という疑問が出てくるのですが…
 そういう考えの上でさらに穿ったものの見方をすると「政界ではもうすでにできることが何もないので、小沢問題で騒ぎ続けることで仕事をしているかのように振る舞い、そうすることで国民の意識を『政治家は不要かもしれない』という疑問から目を背けるためにやっている」という風にも見えてくるのですが、気のせいですよねぇ?
 最近は「政治主導」という言葉も空しく響いていますが、この考え自体は悪くないはず。
 来年は「どうやったら政治主導にできるのか」と「そのための人材育成・政治家の質の向上はどうすればできるのか」というような建設的な発想になってくれるといいのですが…
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 もう、グダグダです、国会…
 柳田稔法相が、法相は「個別の案件についてはお答えを差し控える」「法と証拠に基づいて適切にやっている」という二つの言葉だけ覚えていればいい、などと暴言を吐いたそうです。
 最悪です。
 でも、実際政界なんてこのレベルなのかもしれません。
 おそらくこの二つの言葉の他に後三つ言葉を足せば、多分政治家は務まるんじゃないでしょうか。
 残り三つは、
 ・選挙の際の「お願いします」
 ・困った時の「秘書に任せています」
 ・嘘が吐けなくなった時の「記憶のございません」
 の三つです。
 多分この計五つの言葉で事足りるのではないでしょうか?
 …なんというか、情けなさ過ぎて涙が出てくるような話ですけど。

 この法相も法相ですけど、それを責める自民党だってかつては似たようなものだったでしょう。
 ナントカ還元水とかわけのわからない事を言ったり、飲んではいないけどゴックンしたとか言ってみたり、有権者に皆さんには選挙の日には寝ていてほしいと言ってみたり…
 与野党問わず同レベルにしか見えないのですけど。
 そもそもこういうアホな人たちがのさばっている原因が「官僚主導」の政治体制だったわけですよね。
 政治家は選挙に集中していれば、その他の事は全て官僚が上手くやってくれていた。
 その結果、役人天国になりどうにもならなくなってしまった。
 それをどうにかしようと「官邸主導」とか言ってみたけど、結局何もできずに政権交代。
 ついにようやく「政治主導」と思いきや、当の民主党にはそれだけの能力が備わってなかった…

 政治家は本来、当選してからが大変なはずです。
 ですが、官僚主導の時代には当選するまでが大変で、その後は官僚任せで全て済んでしまっていたのでしょう。
 当選するまで…もうちょっと詳しく言えば政党に公認されて立候補するまでが一番大変だったのではないでしょうか。
 で、一度公認され、上手い具合に当選できればその後は基本的に楽が出来る。
 次の選挙に向けて落ちないように努力する、というのが政治家のお仕事で本来やるべき議会の仕事は二の次三の次という状態。
 そんな状態なら柳田稔法相でも何の問題も無かったでしょう。
 しかし、今はそういう時代ではありません。
 そういう政界の状態が嫌になった国民が「政治主導」に夢を託して政権交代をさせたわけです。
 そして、政権交代直後から「政治の仕事が出来る人」を大臣などの閣僚ポストに配置していったはずだったのですが…
 どうやら人材が足りなかったらしい。
 だからこんな「旧時代の遺物」みたいな人が法相になってしまっている。
 多くの人は民主党が政権交代を本気で目指し始めてから、それなりの年月が経っているのでもう十分に勉強をし実力を蓄えているのだろうと期待していたのですが、どうやらちょっと過信していたようです。
 政治主導と言い始めた時点から大臣の仕事が今までとは全く違う激務になるであろう、という事は国民の目から見ても明らかだったわけです。
 政界にいた政治家たちにそれが理解できていなかったわけでもないでしょう。
 それなのに法相がこのレベル。
 さらに最近、枝野幸男幹事長代理が、「与党になって、こんなに忙しいとは思わなかった。『政治主導』とうかつなことを言い大変なことになった。今、何よりも欲しいのは、ゆっくり考える時間と相談する時間だ。ゆっくり考え相談して、皆さんの声に応えないといけない」と発言。
 政権交代のための準備不足がハッキリしてきたという感じでしょうか。
 それだけでなく悪い事に、政権交代前には情報公開をするべきと言い続けてきたのに、最近は情報を隠す傾向になってきていますし、企業献金も廃止しようと言っていたのになぜか復活。
 段々自民党化してきています。

 何なのでしょうこの状態は?
 民主党が悪いとか自民党が悪いとかではなく、与党になると感染する「与党病」みたいなものでもあるのでしょうか?
 もうどの政党が良い悪いという次元ではなく、「政界にはまともで有能な人間がいない」というような状態なのでしょう。
 こうなってくると政権交代とか選挙で民意を反映とか、そういうことではもう対処のしようがないのではないでしょうか。
 そういったまともな方法での社会の改善が望めないから、あちらこちらで妙な動きが出ているのかもしれません。
 先の尖閣ビデオの漏洩もそうですが、政治家に頼れないから個人が社会を変えようと勝手な行動をしている、という例が増えている気がします。
 そして国民もそれを支持してしまっている。
 政治家が「国民一人一人が国に対して何が出来るか考えよう」とか「国家が自分に対して何をしてくれるかではなく、国家に対して自分が何を出来るか考えよう」というような政治家が昔から言っているような詭弁のような言葉を、多くの人が本気で実践しようとしてきている結果が情報漏洩とかその擁護、デモ行進といった形になって現れているのではないでしょうか。
 今はまだ、社会は秩序を保っていますけど、このまま放っておいたら色々な人がそれぞれに「勝手な秩序」を作り出し、無法状態に近くなっていくのではないでしょうか。
 完全なる無法地帯ではなく、それぞれの地域なり集団なりがその場その場で国の法律とは関係の無い「秩序」を生み出し、それに従って行動するというような国の分裂みたいな形の無法地帯化が進んでいくような気がします。

 政界は、この国の仕組みがいつまでも現状のまま続いていくと思い込んでいるようですけど、このまま行くとこの国は何がどうなっていくか全くわかりませんよ。
 経済の方ではグローバル化という言葉で国境の融解みたいな状態が始まっているわけで、このまま行くと例えば「自分の住む国や従うべき社会制度は自分で決める」と有能な人間ほど自分の気に入った国や社会制度のある国に移民として国外へ出て行ってしまう、というような状態になり国の形そのものが歪んでいく可能性だってありそうです。
 政治不信が原因の移住、というのは今のところ聞いたことがありませんけど、数年先にはそういう人が出始めるかもしれません。
 そうなった時に今のような政治家たちは一体どうするつもりなのでしょうか?
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議員力検定

 何だか面白そうなものを発見しました。
 「議員力検定(←リンク)」です。
 ネット上でやっているような「なんちゃって検定」ではありませんよ。
 ちゃんと試験会場に行ってテストを受けてくるような検定試験です。
 検定ブームもここまで来たか…という感じです。
 実学的なものから完全に趣味的なものまで多種多様です。
 数年前から起きているこの検定ブーム、批難も出ていますよね。
 お金儲けに走っているとか、資格を持っている人が役に立たないとか、天下りの温床になっているとか…
 数多くある検定の中には内容がスカスカで役に立たないものや、逆に細か過ぎてわけがわからないもの、そもそも存在する意味がわからないものなど玉石混合です。 
 本当にどうしようもないような内容の検定というのもありますが、それでもこの検定ブームは個人的に意味があるとは思っています。
 私が個人的に考える検定ブームの功績、それは「それまで雑多で整理されていなかった様々な知識をとりあえず体系化している」という点です。
 検定試験に合格すればそれでOKというわけではないし、検定試験に受からないからと言ってその分野の実力が無い事にもならないという事はあるでしょう。
 それでも、いままであらゆる分野で拡散していたような状態で、どこから手を付けていいのかわからない状態の各分野の知識を初心者でも学びやすいように体系化した、という点は高く評価できるはずです。
 …もちろん「内容スカスカ」は論外ですけど。

 そして議員力検定です。
 政治家としての能力が検定試験ごときで判断できるのだろうか、という疑問もありますが「知識の体系化」という視点で見れば、これはこれで有効なのではないでしょうか。
 例えば、今ここに「社会を良くするために政治家になろう」と志した人がいるとして、その人は何をするべきでしょうか?
 どこかの政党に行ってみるとか、仲間を集めて見るとか、政策を考えるとか、色々考え付きそうではありますがそのどれもが確実に政界に繋がっているかというとちょっと疑問。
 また政界に繋がっていたとして、その人が政治家としての能力を高める事が出来ているかという点にも疑問符が付きます。
 議員の仕事はどういうもので、そのためにはどういう知識が必要なのか。
 今すぐ正確に答えられる人は少ないと思います。
 そういうところにこの議員力検定です。
 議員力検定のサイトをちょっとのぞいてみたのですが、なかなか有益っぽい感じです。
 検定のレベルがジュニア級・一般級・議員級に別れていて、一般級と議員級はさらにそれぞれ3段階になっているようです。
 内容のレベルとしては一般級の一番上の次が議員級の一番下という事のようですけど、必ずしも上下関係にあるという感じでもなさそうです。
 一般級の方は「一般人としてこのくらいの政治に対する知識と意識を持っていれば良い」という事で、議員級は「議員として活動しているならばこのくらいは出来ていないと困る」という事のようです。
 サイト内に問題の一部が公開されているのですが、一般級の方は「市民として政治にどう関われるのか」という視点なのに対して議員級は「議員としてこの問題にどう対処すべきか」という視点になっています。
 前述のように「検定」は内容が重要なのですが、この議員力検定なかなか内容は濃い感じになっています。
 議員級は明らかに「議員の質の向上」を狙っているように思えますが、面白いのはこの検定、議員級であっても「誰でも受験できる」というところです。
 しかも下から順に受験しなさいというわけでもなく「いきなり最上級の受験も出来る」との事。
 ちょっと良心的かも。
 この検定、論述問題もあるのですが、必ずしも正解というのがあるわけではなさそうです。
 何が正しいのか、ではなく一つの出来事に対してどういうアプローチができるか、というのを問うているような問題があります。
 政治は当然それぞれに主義主張があり、どちらか一方が正しいという判断が出来るものではありません。
 が、法律に基いた上で解決に向けてどういう思考プロセスを踏むべきか、というのはある程度共通しているでしょう。
 この検定はその能力を試しているようです。
 なので、この検定に合格している人というのは主義主張は別として「法律に基いて物事を順序立てて考える事が出来る」という証明にはなるのではないでしょうか。
 内容は国会議員向けではなく地方議員向けのようなのですが、かなり濃い感じです。

 この議員力検定、現時点ではあまり知名度が無いようなのですが、もうちょっと有名になって市民権を得れば面白い事が起きそうな気がしませんか?
 現在の日本の政界の場合、無名な人が立候補しても当選できる可能性はかなり低いです。
 結果、政治家としての能力が疑わしい「ただ有名なだけの人」や世襲議員などが増えてしまっています。
 有名でもなく世襲でもない普通の人が当選する方法としてもう一つ効果がありそうなのが「松下政経塾」のような所に入ることです。
 実際完全に無名の人でも「松下政経塾出身」というのはある種の権威や安心感に繋がっています。
 無名の候補者の中に一人「松下政経塾出身」と書いてある無名候補者がいれば、その人は他の無名候補者よりは有権者に対して信頼感を与えるでしょう。
 松下政経塾のような組織にはそれだけの権威がありますし、政党の方でも松下政経塾から人材を探しているようです。
 しかし、松下政経塾のようなところは誰でも入れるわけではありません。
 入塾審査もありますし、その後一定期間勉強するために時間が取れる人でなければなりません。
 ある意味ちょっと閉鎖的です。
 もしこの議員力検定が知名度が上がり市民権を得て、松下政経塾並みの権威を持つ事が出来たらどうでしょうか?
 誰でも受験が出来て、しかも勉強もどこでも出来るわけです。
 仕事をしながら勉強する事もできるし、子育て中や介護をしている人でもちょっとした合間に勉強する事が出来ます。
 そしてそういう人が合格し、この検定の合格証を一つの武器に選挙に立候補するようになったら…
 社会が少し変わっていく気がしませんか?
 完全に無名の人が立候補しても落選は目に見えてますが、もしも選挙ポスターに「議員力検定・議員1級合格」と書いてあり、投票する側が「議員一級受かってるんなら、まぁある程度実力はありそうだな」と信頼感を持って投票できる、そういう風になれば選挙は確実に変わるはずです。
 現在、一般の人が立候補するのはかなりリスクが高いですし、立候補するにしても当選したとしても何をどうしていいのかがよくわからない、というのが大半でしょう。
 でも、この議員力検定ならどういう能力や知識が必要なのかがとりあえず理解できます。
 そして政界には色々な経験をしている一般人の感覚が必要なケースも多々あるでしょう。
 例えば社会福祉関係とか。
 そういった分野に政治の知識と現場の経験を合わせ持った議員を送り込む、という事も可能になるかもしれないわけです。
 また、この議員力検定は当たり前ですが個人で取得するものです。
 世襲だろうと有名人だろうと実力が無ければ合格しないでしょう。
 逆に言えば、世襲だろうと有名人だろうと、この検定に合格をしていれば「私には実力がある」と胸を張っていられるわけです。(…合格した後怠けてしまう、では困りますがそれはまた別の話なので)
 この検定の合格していれば「どうせ世襲だろう」とか「有名人だから無能でも当選できたんだ」などと批難されても反論できます。
 私には実力があるのだ、と。
 政界における実力というものが、必ずしもこういった知識と関わっていると断定はできません。
 しかし「政治に関して勉強はしているし、社会問題に対する意識も高い」という証明にはなります。
 それだけでも今までのようなわけのわからない人が立候補して当選する、という状況とは一線を画す事になるでしょう。
 どこぞの有名人が当選してから「これから勉強します」などと言ったりしていて、一部では「勉強してから立候補してくれ」と批判が出ていましたが、この検定を通っていれば「政治に関して勉強してきました」と言えるでしょう。
 こういう検定があっても世襲や有名人が有利である事には変わりませんが、世襲や有名人の人こそこういう検定を受けて実力を高めるようになってくれれば、それはそれでOKです。
 国民にとって重要なのは「有能な人」が政界にいてくれる事であって、有能でさえあれば無名だろうと世襲だろと有名人だろうと構わないわけですから。
 そしてこの検定は思考力や社会問題に対する関心の高さを測るような問題があるので、合格者は議会でもある程度の能力を発揮してくれるはずです。
 こういう検定が市民権を得てくれば、社会は変わっていくのではないでしょうか。
 一般級の方も合格するためにはかなりの知識が必要でしょうし、この検定の受験者が広まれば「有権者のレベルが上がる」ので、欧米のようなレベルの高い選挙や議論が出来るようになるはずです。
 さらに、この検定が有名になれば政党の方でも候補者を公募する際に「議員力検定に合格している事」という条件を付ける様になるかもしれません。
 そうなれば全く能力が無いような人がなぜか議員になってしまう、というような不条理も無くなるでしょう。

 この検定が議員になるための必要条件という風になるのは法律上問題ですが、多くの候補者が当然のようにこの検定に合格しているような状態になり、その上で候補者の主義主張を良く知った上で投票するというような社会になれば、きっと日本社会は今よりも良くなっていくはずです。
 「議員力検定」…「英検」や「漢検」並みに有名になって欲しいところです。
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 …開いた口がふさがらない。
 鳩山前総理引退撤回、だそうです。
 理由は「国難といえる時に自分だけ辞めていいのか」だそうです。
 …辞めて良いです。
 辞めて下さい。

 そもそも、元総理だの前総理だのが影響力を残しているような政治は良くない、というのが民主党の考えだったはず。
 それを一切無視した発言です。
 国難といえる時に辞めていいのか、って言葉は立派ですけどアンタ総理大臣の時一体何をやってたの?
 国難といえる時に自分の金銭問題やら小沢やらで国会審議を止めていたのはお前じゃないのか?
 政治主導で迷走して混乱させたのもお前じゃないのか?
 この国難を招いたのが鳩山だ、とまでは言わないけど、総理の時に大きな功績を残せなかった人が一議員として何か出来るの?
 むしろここで総理を辞めて、総理経験者が政界を離れた上で国に対して出来る事、というまったく新しい道を探っていく事の方が長い目で見て国家の役に立つんじゃないの?
 どんな人間でも総理経験者は総理経験者なのだから、個人的に海外に行ったとしてもそれなりの対応はしてくれるはずだ。
 海外の偉い人にだって「会って話をしたいのですが…」といえば邪険にはされないだろう。
 もしかしたら政界を引退しているからこそ聞ける本音というのもあるかもしれないし、議員じゃないから出来る事というのもあるかもしれない。
 海外の有力な政治家には結構そういうタイプの人もいたはずだ。
 例えばアル・ゴア元米副大統領とか。
 鳩山家には財産もあるし知名度も人脈もあるのだから、その気になれば社会運動を起こす事だって可能だろう。
 「年越し派遣村」みたいなものを自分で指揮する事だって出来るだろうし、そういった人たちをいろいろな方面からサポートする事だって出来るはずだ。
 政界にいなければ社会を良くする事が出来ない、というわけでもないだろう。
 それなのに、引退撤回…
 これでまた自民党が「嘘つき」とか言い始めて政治が変な風に混乱するのだろう。
 この「国難といえる時」に自ら火種をバラ撒いてどうする?
 ただでさえ民主党への信用がなくなってきている時に、さらに信用を無くすような事をしてどうしようというのだろう?
 まったく理解できない。
 さすが「宇宙人」
 民主党もこの人をかばっていると一緒に落ちて行ってしまう気がする。
 いっそ離党勧告でもすればいいのに。
 せっかくだから弟さんと二人で新しい政党でも作ったらどうでしょう。
 ついでに小沢さんも誘って…
 …与党が割れるとマズイかな?
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 検察が何だか面白い事になってます。
 先の大阪地検特捜部の証拠改ざん事件に絡み、前副部長佐賀元明容疑者の意向で弁護士が取り調べの完全可視化を要求したそうです。
 検察といえば今まで取り調べの可視化には消極的でした。
 理由としていつも挙げられているのが、容疑者との信頼関係が築けない、という部外者からすればよくわからないもの。
 で、今回可視化を要請したのはつい先日まで検察のエライ人だったお方。
 副部長というのが検察内でどの程度のポストなのかは定かではありませんが、まぁそれなりの幹部クラスなのでしょう。
 そういう地位にいた人なら当然在職当時は「可視化なんてとんでもない」と主張していたはずです。
 そういう人からの可視化要請…
 何か、今までの検察の問題点をこの行動が全て物語っているように思えるのですが気のせいでしょうか?
 つまりこういう事ですよね。
 検察の取り調べが密室化している事は「検察にとって大変都合がよく、容疑者にとっては非常に不利益である」と。
 そうでなければ内実を良く知っている元検察副部長が取り調べの可視化など要求するわけが無い。
 この人は「取り調べの密室化がいかに理不尽か」という事を、よ~く理解しているので可視化を要求したのでしょう。
 実際にこの要求が通るのかどうかは不明ですが、この人のこの行動は検察という組織の内情を知るヒントとしては極めて重要なのではないでしょうか。
 先日まで「可視化する必要は無い」と言っていたであろう人が、自分が容疑者側になった途端に方針変更。
 この行為一つとっても常識的に考えて「検察の密室内の取り調べが異常」という事を表しているのではないでしょうか。

 時を同じくするように民主党の小沢さんにも強制起訴という判断が下されました。
 政界では早くも「小沢有罪」という雰囲気ですが、当然これも違いますよね。
 起訴されただけで有罪というわけではないのです。
 そしておそらく小沢さんは有罪にはならないのではないでしょうか。
 今までの検察の「確実に有罪に出来るまで起訴しない」という姿勢の元、何度も不起訴になっているということは小沢さんを有罪にするだけの証拠が集まっていないのでしょう。
 なので、実際に裁判になったら証拠不十分という事で無罪になるのだと思います。
 でも、問題はそこではないのではないでしょうか。
 検察審査会が何を思って小沢さんを強制起訴にしたのかはわかりませんが、国民の感情として小沢さんの行動が不自然だから真相を明らかにしてほしい、という思いがあるのではないでしょうか。
 今までは司法という場所は「有罪か無罪か」を決める場所であり、どういうわけか検察は「有罪にする事」に異常なこだわりを見せ、その結果「有罪率99%」という先進国の中でも明らかに異常な数字を作り上げ、その裏では「有罪にできそうに無ければ不起訴にする」という自ら勝手に裁判所の役目を担う様な行為をしたり、有罪に出来なければ無能と見られるという変な空気を検察内に作り出し、その結果が証拠の改ざんや強引な取り調べに繋がっていたりするのでしょう。
 今まで何となく「検察=正義」というぼんやりとしたイメージを持ち続け、それをさらに理想化しようと検察が変な方向に頑張って来た結果が現在の状況です。
 取り調べの可視化は拒否して強引な取り調べをし、証拠を改ざんし、自分たちで自主的に有罪無罪を決めてしまうという裁判所に対する越権行為…これが現在の検察の醜い姿なのでしょう。
 この状況は明らかに異常なのに、なぜか日本社会では今までほとんど問題視されておらず、そういった意識さえないため政治家たちですら「起訴=有罪」というおかしな先入観で平然とものを言っている。
 どこからどう修正をしていけば良いのかすらわからないぐらいの、全方面での事実誤認。
 本来ならば有罪か無罪かを決めるのは裁判所なので、検察は逮捕した容疑者はどんな状態でも100%起訴すべきです。
 もし誤認逮捕をしてしまっても、「これは誤認逮捕でした」という証拠を一緒にして裁判所に行き、裁判所が「あなたは誤認逮捕なので無罪です」と判決を下すのが、本来あるべき司法の姿のはずです。
 そういった面倒だけど正規の手続きをなあなあで誤魔化してきたツケが一気に回ってきているのではないでしょうか。
 そして、最近の裁判に対する意見として「真実が知りたい」という欲求が高まってもいます。
 殺人事件の被害者遺族からも「事件の真相が明らかになる事」を望む声が頻繁に聞かれるようになりました。
 この事や、取り調べの可視化、そして小沢さんに対する強制起訴などはすべて「真実が知りたい」という国民の欲求が背景にあるのではないでしょうか。
 かつての司法の場は「有罪か無罪か」を決める場所であり、その中身はブラックボックス化していても国民は気にしませんでした。
 しかし、ここ数年においては「有罪か無罪か」ということよりも「真実は何か」という事を重視している傾向が強くなっていると思われます。
 国民の多くは「何が起きているのか」という事に対して非常に敏感になっているのでしょう。
 通り魔事件が発生すれば「なぜそのような事が起きたのか」という点に注意が行き、政治家の不正が起きれば「なぜそういうことをするのか、悪事の手口はどういう方法なのか」といった点の解明に注意が行っているのでしょう。
 その期待に応える方法の一つが取り調べの可視化でもあるのです。
 小沢さんの問題にしたって、有罪か無罪かというよりは「なぜあのような不自然な金の流れがあるのか」というのが、気になっている理由の主なところでしょう。
 なぜ政治に金が必要なのか、なぜ不自然な金の流れがあるのか、そういった国民の疑問に対してきちんと向き合っていないから強制起訴をされるのです。

 国民はおそらく「社会がどうなっているのか」という事を正確に理解しておきたいのではないでしょうか。
 それゆえに今まで不透明で不自然だった物事に対して違和感を覚え、真相を知りたいと感じ始めたのでしょう。
 以前から政界に対して「クリーンである事」を国民は望んでいますが、それは同時に「すべてがオープンである事」を望んでいるとも言えるでしょう。
 昔なら「クリーンなイメージ」だけで良かったのですが、最近は「本当にクリーンである事」が要求されています。
 それを確認するためには「オープンである事」が求められ、同時に「わかりやすい事」も求められています。
 そういった要請に政界が応えないから「裁判で真相を明らかに」という要求をされる。
 そして司法に求めているのが「真相を明らかにする事」なので、取り調べの可視化を要求している。
 「有罪か無罪か」は確かに重要ですが、それ以上に「真相を知りたい」という要求の方が大きくなっている。
 これはもしかしたら国民の物の考え方が大きく変化しているのかもしれません。
 以前の国民ならば「司法が下した事が正義」と、正義という価値観でさえ受身でした。
 が、今は「真相を明らかにせよ」と要求している。
 これはつまり「正しいかどうかは自分たちで判断するので、その判断材料を示せ」と自発的に物事を考えるようになったのかもしれません。
 お上が決めた「正義」を盲目的に信じる受動的な態度から、何が「正義」かは自分たちで決めるという能動的な態度に国民の意識が変化し始めているのかもしれません。
 「国民主権」という意識がようやく根付いてきたのかも。
 反面、こういう「何が正しいかは自分たちで決める」という姿勢は「正義の暴走」という事態を生み出しやすく、一歩間違えれば社会全体を危険な方向へ押し流してしまう恐れも含んでいます。
 自分で物事を判断するのは大切ですが、同時にその事の危険性も認識しておく、そういう意識を持つのが重要な社会情勢になってきたのではないでしょうか。
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