はてなキーワード: 落書きとは
神戸の震災から30年、当時もメディアの悪行は爆音ヘリを筆頭に散々言われてきたが、今日も今日とてメディアへの信頼は地を這っている。
ジャニー喜多川の性加害問題がBBCの外圧によってようやく動いたのがわずか2年前の2023年。そして翌2024年はまたしても過去の性加害をめぐって、テレビから松本人志が消え、ネットは擁護派と糾弾派の罵り合いで溢れた。
現在進行形で中居の冠番組は差し替え・出演シーンカット・降板と惨憺たる有様だ。ここまでの騒ぎになった以上、いくら名を馳せた人物であっても表舞台にぬけぬけと戻ってくることなど120%ないだろう。
そのうえで、ジャニーズ性加害の報道が出た折からしばしば沸き起こっていた「報道していながら所属タレントには目を瞑るテレビって何なの?」ひいては「かくいうお前らテレビ局側はどうなの?」という議論。中居正広の蛮行を巡っては、特にフジテレビが槍玉に上がっている。
とりわけ今回は、被害者とされる人物の痛ましい姿が既に世に知れ渡っている事、先輩女子アナやプロデューサー・スポンサー幹部など上位層に悪役が揃っている事などもあって、一段とセンセーショナルな受け止められ方をしている。
正直、今日フジが開いた「会見」とやらも酷い有様だった。まして、普段政治家やアスリートにしつこくぶら下がって迷惑がられている連中が、自らの不祥事には一方通行のお気持ち表明をするだけ。過去からテレビに限らず色んな場面で繰り返されてきた事とはいえ、「組織」の脆さを思い知らされる。ただでさえ斜陽の業界で、試行錯誤しながらもコア視聴率がどうこうとか、活路を見出そうとしていた会社とは思えなかった。
数あるスキャンダルの中でも、ご時世柄もあって「性加害報道」はそれまで培ってきた功績を無に帰すほどの不可逆的なダメージを与える。こうした"格好の餌"を「週刊誌」が我先に見つけ出さんと、スパイ紛いの偵察を繰り返している。
本当に人の営みというのは醜いものだ。
取材対象者の自殺さえ戦績としか考えていない連中。心底軽蔑する。
でも、目下「オールドメディア」の矢面に立たされている「ワイドショー」だって、ネットが普及する遥か前、人間の「噂好き」な捻くれ根性から自然発生的に生まれたものと考えると、今更真人間らしく糾弾することが我ながら白々しくなってくる。
特にここ最近、レスバ大好き暴れマスクがSNSを乗っ取ってからというもの、正義ヅラした批判がことごとく薄っぺらく見えるようになってきた。「テメーが言えたことか。」
そんな発想があらゆる弁論を見るたびに沸々と煮え繰り返る。
とはいえ、批判めいた事をXの海に投下するなど、切り抜きし放題の小画面に燃料をぶち撒けるに等しく、その後の尻拭いを考えると到底そんな気は起きないのだが、「サイレント陰謀論」とでも言おうか。口には出さなくても野蛮な感情はしょっちゅう湧き起こる。
話が逸れたが、根っからの噂好き根性を活力に、テレビより更に古い出版社界隈が生き残りを懸けんとばかりにスキャンダル発掘に鎬を削る現代。
私はこのスキャンダル合戦の末路として「ミイラ取りがミイラになる」オチをどうしても夢想してしまう。
まず浮かんでくるのは、なぜ被害者が揃って「過去の体験を"今"になって訴えているのか」という疑問。
でもコレは元から自分でもそこそこ納得がいっていて、要は「加害者側の影響力がスキャンダルが出る前から既に低下していた」点は否めない。
ジャニーズの件も喜多川ジジイがメリー諸共死んでお局ジュリーに権力が移った後のこと。松本人志の件も中田敦彦に「そろそろどいてくれ」と言われ、ワイドショーに「キリトリ記事禁止」などというみみっちい落書きを置くようになってからのこと。そして中居正広もジャニーズ爆散以降、毎週4曜日のゴールデンタイムのMCに居座るなどしていたが、いよいよ周りからウザがられ始めていたのだろう。そこに在りし日の影響力・権力が残っていたらここまで騒がれることもない。
ただ、もう1つ腑に落ちないのは、なぜ被害者側がこぞって「週刊誌」を使ったのかということ。それも、法的には「終わった話」なことを。
それこそテレビの影響力低下を追い風に、被害者が腹立ち紛れに加害者達を道連れにしたように映るのだが、だとしても「ネット」ではなく「週刊誌」を使っている事にどうしても違和感を感じてしまう。
誰の力も借りず、独自に発信しようとして自滅したマリエを教訓にしたのだろうか。とはいえ、下手をすれば自分さえコキ下ろしの対象にされかねない出版社相手に、なぜあそこまで赤裸々に語れたのだろうか。
私はここに「出版社にも悪いチンポが生えている説」を唱えたい。要は、被害を訴えている連中は「俺なら力になってやる」という者達にすがっているだけで、その助け舟を出した側も決して本心から救ってやろうという気持ちはない。単に自らの手柄を上げたいだけのこと。そんな構図が思い浮かぶ。自らの不利な過去を口に出来る場など、密室以外にあり得ないだろうに。
結局、男のする事など、文明社会を背負った人間とはいえ本能を辿れば生殖活動に帰着するのは取り繕うのない現実。女も然りだろう。それを、さも「我こそが正義」と言わんばかりに被害者ビジネスを展開するハイエナ共には、ほとほと反吐が出る思いだ。
いずれ、いよいよ「週刊誌」やら「出版業界」のエネルギーも尽きた頃に「あの時○○記者に脅されてウソを吐かされた」と宣う女が間違いなく現れる。その時が週刊誌の最期だろう。
これが「ミイラ取りがミイラになる」の真意である。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。
どっかで必ずひっくり返る。絶対に。
最後にもう1つ。かつてあれだけ心躍っていた「娯楽」に対する切々とした感情を書き留めておきたい。
私は確かに、テレビを通じてジャニーズのアイドル達にときめき、ダウンタウンのバラエティで笑い転げていた。その評価を翻すつもりはない。むしろ、違法アップロードされた過去の映像を見るたび、「あの頃は視聴者の俺もウキウキワクワクしていた…」と、例の「昔は良かった」教に苛まれる。何なんだろう、このやるせなさは。
(時折、近年の日本のエンタメのゴタゴタは、失われた30年を経て娯楽に現実逃避するしかない日本人社会に仕掛けられた一種のハイブリッド戦争ではないかとさえ思うことがある)
そんな目でしか見れなくなったらそれはもう娯楽じゃない。今楽しめるものも楽しめなくなってしまう。ハナっからヤクザと紙一重の世界で「頑張る」人間達には心の底から同情する。そんな事を気にする必要のない楽しみをめげずに作り続けて欲しい。
以上放言。
長子が小学校に入った頃、いつの間にか一番の仲良しママ友という奴が
よく遊びに来るようになり、しばらくすると2人のガキが頻繁に泊まりにくるようになる
休みの日でも朝から騒ぎ、どこかへ連れてけと妻にも急かされ家族ですら無い連中に家族サービスに駆り出させ
ロクな休みも取れず、平日も泊まりに来ては、図々しくも夜中まで騒ぎ、安眠妨害される
妻に文句を言っても「子供達も楽しんでるし、子供達も楽しんでいるから」と子供を盾にされる
新築したばかりの俺の家には、俺の居場所がなくなり、床や壁は落書きだらけの汚い家になった
三年後、ママ友にすっかり洗脳された妻は、ママ友の子供をほぼ毎日預かる様になった
家にもママ友夫や何故かママ友両親らに怒鳴り込まれたりと色々トラブルがあったが、離婚
ママ友は家を追い出されたが、親権はゲットしてしまい、家の近所にアパート借りて、相変わらず入り浸る毎日
あっという間に託児所になっていった
その内自分達の子供の世話よりもママ友との遊びやママ友子の世話を優先させる様な事もあり
真剣に離婚考えたんだが、自分の子供は可愛いし、ママ友の例から言っても子供の年齢的に親権を取る事は困難だったし
弁護士からのアドバイスもあり、他人が原因で即離婚というのもおかしいので、我慢していた
何故か妻は俺が犯人と疑っており(ママ友の関係に不満だった俺が当てつけでやってたと思っていたらしい)
これだけ我慢して、家庭にも尽くしてるのに妻には冷たくされる様になり
俺も妻を信用出来なくなり、完全に冷めた関係になっていった
数年後、中学生になったママ友長女が、妻の財布から抜いてる犯行現場を妻が目の当たりにした
怖くて声が出なかったらしいが、見られたことに気づいたママ友娘は、それ以降来なくなった
それでも妻は、ママ友には何も言わないでくれと泣いて懇願された
やっと目が覚めたのか、ママ友一家とはいくらか距離を置くようにはなったが
向こうはモンペの総大将なんで、妻とママ友は相変わらず何事もなかったように接している
二人で飲んでたとかで朝帰りする事もよくある
子供らが同級生だから、中学卒業までは我慢しなくちゃいけないんだが
毎日くるママ友のライン着信音聞くたびに、殺意が沸いて仕方がない
妻は気づいてなかったのか気づかないフリしてたのか知らんけど
ママ友子に色々虐められたり物盗られたりしてた子供たちも、その原因である妻を恨んでいる
それかママ友一家に依存するのかな?それで搾取され続けて便利な存在として扱われるのかな?
もう一切同情ないけど
ママ友が諸悪の根源だという事は分かっているが、こちらが何度説得しても、家族よりもママ友を優先して
ママ友の好きな様にさせてきた妻も大概だし、愛情も無くなり最早憎しみしかない
家庭を壊したママ友と妻が憎くて憎くて仕方がない
中学校時代、俺はクラスの中でも地味なほうだった。人付き合いが苦手で、いつも教室の隅に座っているような生徒だった。授業中も目立たないし、給食のときに誰かと話すこともほとんどなかった。そんな俺に目をつけた数人の連中が、段々と俺をからかいはじめたのが最初だった。はじめは「お前、なんか暗いよな」くらいの軽い言葉だったはずだ。しかしそれが積み重なるうちに、笑いを混ぜながらの小突きや悪口、さらには物がなくなるといった嫌がらせへとエスカレートしていった。担任は頼りなく、いじめの事実に気づいていたとしても、「仲良くしなさい」としか言わなかった。親には心配をかけたくなかったし、自分で解決できると思って黙りこんでいた結果、俺の心はどんどん萎縮していった。
当時のクラスには、いじめを主導する奴が数人いた。リーダー格の男は腕力だけでなく口も達者で、彼の取り巻きがいつも笑いながら俺を嘲る。俺にちょっかいを出すたびに、クラスの周りは見て見ぬふりで、まるでそれが当然のように受け入れられていた。俺が思い切って「やめてくれ」と言おうものなら、翌日には靴が隠されたり、教科書に落書きをされたりと、逆に仕返しのようないじめが増える。まるでネズミを追いつめて楽しむ猫のように、彼らは俺が困惑している姿を面白がっていた。自然と俺は誰にも心を開けなくなっていったし、自分自身の存在価値すら疑うようになっていった。
やがて卒業が近づくにつれ、俺は一刻も早くこの閉塞感から逃れたくて必死だった。卒業式が終われば、あの嫌な連中とも離れられる—そんな期待だけを胸に、なんとか中学校をやり過ごした。実際、卒業式後は別々の高校に進学する者が多かったから、顔を合わせる機会も激減するだろうと思っていた。事実、高校時代は比較的平穏だったし、いじめられた過去を知る人もいなかった。そのおかげで、俺は少しずつだが自分を取り戻していった。大学に入り、バイトやサークルで新しい友人もでき、自分の性格やコミュニケーションスキルに少しずつ自信を持ち始めることができた。
しかし、いじめられた経験と、そのとき感じた屈辱感や絶望感は、俺の中でずっとくすぶり続けていた。相手に殴られたり、物を盗まれたりしたことだけじゃない。人前で見下されたり、笑いものにされたり、そうした積み重ねが俺の心の奥に深い傷を残していた。自分では「もう過去のことだ、気にしないでおこう」と思い込もうとしていても、まるで傷口が塞がりきらないように、ふとした瞬間に思い出しては苛立ちや悲しみが込み上げてきた。どれだけ新しい環境に適応しても、中学時代の痛みが完全に消えることはなかった。
大学卒業後、俺は一般企業に就職した。最初は社会人としての生活に慣れることで精一杯で、毎日が忙しく過ぎていった。朝から夜遅くまで働き、休みの日は部屋でぐったりと休息を取る。そんな日々を過ごすうちに、いつの間にか社会人としての自分にも少しずつ余裕が生まれてきた。仕事も軌道に乗りはじめ、後輩を指導したり、業務の責任を任されたりするようになった。そうやって自己肯定感が高まるにつれ、ふと昔のいじめのことを思い出しては「なぜあのとき抵抗できなかったのか」と自分を責める気持ちも強くなっていった。
あるとき、会社の同僚との飲み会で、同級生たちの近況を耳にする機会があった。偶然にも、俺を散々いじめていた連中の一人が、最近地元に戻ってきているらしいという噂を聞いた。内心どきりとしたが、同時に「あいつは今どうしているんだろう?」という好奇心が湧いた。どうしても情報を確かめたくなった俺は、SNSを使ってその元同級生のアカウントを探してみた。すると、その元同級生は思った以上に積極的に近況を発信しており、自分の仕事やプライベートについても投稿していた。結婚して子どもがいるようで、表面上はごく普通の家庭を築いているように見えた。
その投稿を見た瞬間、俺は胸の奥に眠っていた怒りが再び目を覚ましたのを感じた。あいつが自分の家族との写真で幸せそうに笑っている様子を見ると、「あいつがあんな穏やかな表情をしているなんて」という気持ちがどうしても拭えなかった。頭では「昔のことだし、もういい」と理解しているつもりでも、心がまるでそれを許さない。あのとき俺が味わった恐怖と屈辱は、今でも癒やされてはいない。ならば、ここで何もせずに生きていくのか、それとも俺が受けた傷の重さを少しでも感じさせてやるべきか。悩んだ末、俺は「やるなら今しかない」と決意した。俺がどれほど苦しんだか、やつらに思い知らせたいという思いが抑えきれなくなっていたのだ。
まずは情報収集から始めた。SNS上には、ほかの元同級生が繋がっているアカウントもあった。そこには、かつて俺をいじめていた連中の近況があちこちで書き込まれており、転職したとか、離婚したとか、さまざまな情報が手に入った。中には、経済的に苦しんでいるのか、愚痴ばかり書き込んでいる者もいた。昔の輝きが嘘のように見える連中の姿は、正直言って俺の心を微妙に揺さぶった。やつらもやつらなりに苦しんだり悩んだりしているのだろうと想像すると、「俺だけが不幸だったわけじゃないのかもしれない」と、一瞬だけ同情に似た感情が芽生えそうになった。しかし、思い出すのは結局、あの頃の仕打ちだ。たとえ彼らが悩みを抱えていようとも、俺が受けた傷は決して消えない。だからこそ、俺は「あいつらに自分の痛みを思い知らせたい」という気持ちを優先することにした。
復讐といっても、俺は直接的な暴力で仕返しをしようとは考えていなかった。あのときの自分のように誰かを傷つけるのは、本来の俺の性分ではないし、そんな手段をとったところでスッキリするとは思えなかった。俺が目指すのは、あくまで「彼らに味わわせたい」の一心だった。だから、SNSや職場、噂話など、彼らの周辺にある情報網を巧みに使って、彼らの信用や評判をほんの少しずつ揺さぶるように動いた。具体的には、彼らの投稿に対して匿名で皮肉めいたコメントを投げかけてみたり、共通の知人に「あいつ、中学の頃は相当ひどいことをやっていたらしいよ」とさりげなく伝えてみたり。直接言及せずとも、周りの人間が少しずつ「あいつって、実はヤバい過去があるんじゃないか」と思うように仕向けたのだ。
最初は大した反応はなかった。しかし、時折SNSを覗くたびに、妙に彼らが弁解めいた投稿をするようになったり、以前よりもフォロワーが減っていたりするのが分かった。さらに、共通の知人のアカウントでは、「あの人って、中学時代ひどかったらしいよ」というコメントがぽつぽつと見られるようになった。俺はそれを読んで、密かに満足感を覚えた。「まだまだ足りないな」と思う反面、彼らの平穏な日常に小さな亀裂が走るのを感じるたび、昔の自分が少しずつ救われていくような感覚を得た。そして、いじめを主導していたリーダー格だった男にも同じような手を使った。やはり奴も気づきはじめたのか、SNSの投稿回数が減り、アカウントを鍵付きに変えるなど、防衛的になっていった。まるで自分の弱味を隠すかのように身を潜めている姿が、俺には心地よかった。
しかし、そんな小さな仕返しをしているうちに、俺自身も不思議な変化を感じるようになった。たしかに、彼らが困ったり焦ったりしている様子をうかがうと、最初は勝ち誇ったような気持ちになった。だが時間が経つにつれ、その快感は薄れ、代わりに「何やってるんだ俺は」というむなしさが心の中で広がっていく。まるで空虚な穴を埋めるために、相手を傷つける材料を探しているようにしか思えなくなったのだ。中学校時代にいじめられていたころの自分とは違うはずなのに、やっていることの本質は「人を陥れる」行為でしかないのではないか、と悩むようになった。
そんな葛藤の中、ついにリーダー格だった男と対面する機会が訪れた。地元で行われた同窓会に、運命のように彼も顔を出していたのだ。久しぶりに見る彼の顔は、あの頃の生意気さが薄れ、やや疲れたような表情をしていた。それでも、当時の記憶がよみがえると、俺の中には強い怒りが再燃した。しかし、不思議と昔のように固まってしまうことはなかった。むしろ、「ここで何を言ってやろうか」と冷静に考えられる自分がいた。
同窓会の席で、彼は俺の存在に気づいたようだが、一瞬目をそらした。そしておずおずと近づいてくると、「久しぶり…元気だったか?」と声をかけてきた。その態度は昔のように高圧的ではなかった。周囲には昔のいじめを知る人間もいる。俺は、ごく普通に返事をした。「まあ、それなりに。お前はどうだ?」彼は困ったように笑い、結婚と子どもの話を少しだけした。その話を聞いて、俺はずっと胸にわだかまっていた不満や怒りをどうやってぶつければいいのか分からなくなってきた。一方で「あいつを困らせたい」という衝動は強く残っている。そんな揺れる心のまま、俺は彼に向かって「中学のとき、いろいろやってくれたよな」と言った。
すると彼は、明らかに動揺した。周りに人がいることを気にしてなのか、それとも本当に悪かったと思っているのか、声を落として「すまなかった。あの頃は、みんなで騒いでるうちにどんどんエスカレートしてたんだ。俺もガキだった。今になって考えると、本当にひどいことをしたと思ってる」と言った。その言葉がどこまで本心なのかは分からない。ただ、これまで一度も聞いたことのなかった謝罪の言葉だった。そう聞いて、俺は何を思ったのか、怒りよりもむしろ虚しさが募った。ずっと恨みを抱え、復讐を考え、少なからず実行までしたのに、それを相手がぽろりと謝るだけで俺の中で何かが崩れ落ちるような感覚に襲われたのだ。
結局、俺は深く追及することはしなかった。ただ、「お前たちのせいで、俺はずっと苦しかったんだ」とだけ言い残して、その場をあとにした。その後の二次会にも行かず、まっすぐ家に帰った道すがら、俺の頭の中はごちゃ混ぜだった。いじめを受けていた過去を思い出すと、あの苦しみは紛れもなく本物だし、今もまだ完全には癒えてはいない。しかし、彼らを陥れることで得られた瞬間的な快感は、むしろ俺自身の心をも蝕んでいたように思う。そして、謝罪らしきものを聞いたいま、俺はようやく「これでいいのかもしれない」と感じはじめていた。俺の人生は、あいつらに復讐するためだけにあるわけじゃない。いじめの傷は深く、簡単には消えない。でも、それを抱えながらも前に進むしかないのだ。
家に帰って、自室の布団の上に倒れ込んだとき、不思議と涙が出てきた。悔しさなのか、安堵なのか、整理のつかない感情がないまぜになって、声を押し殺して泣いた。中学校時代から引きずっていた怒り、恐怖、屈辱、そしてちっぽけな勝利感。いろいろな感情が渦巻く中、俺は「もう終わりにしよう」と思った。完全に許すことはできなくても、あの頃の自分を取り戻すためには、これ以上自分を憎しみに縛りつけてはいけないと感じたからだ。あの連中に小細工するのもやめることにした。SNSで彼らのアカウントをこっそり覗くことも控えよう。自分の心が軽くなるのなら、そのほうがいい。
こうして俺の復讐劇は幕を下ろした。仕返しは成功したと言えなくもないが、その代償として俺の心はささくれ立ち、結局は徒労感に苛まれた。正直、いじめを受けた過去を完全に清算する手段なんて存在しないのかもしれない。それでも、俺はこれからも生きていかなきゃならない。中学校時代のいじめは、俺にとっては消せない傷だ。だが、だからこそ、俺はその傷を抱えつつ、自分の人生をより良くしていきたいと思う。復讐によって得られるものは決して多くはない。それよりも、前に進むための糧にするほうが、遥かに大切なのだと今は思う。
もちろん、彼らが本当に反省しているのかは分からない。謝罪の言葉がただの社交辞令だったかもしれないし、もしかすると、これから先もあいつらは同じようなことを繰り返すのかもしれない。けれど、それはもう俺には関係のないことだ。俺にとって大事なのは、自分自身がどう生きるかだ。そのためには、過去に受けた仕打ちをどう消化し、これから先の人生に活かすのかが重要になってくる。復讐はひとまず終わったが、この先もふとしたときにあのときの感情が湧き上がってくることはあるだろう。そのたびに、俺は中学時代の自分やいじめていた奴らを思い出しては葛藤するだろう。しかし、それでも前を向く。いじめの被害者だった自分を否定せず、受け入れたうえで、自分が幸せになる道を探し続ける。それこそが、過去から自由になるために最善の方法なのかもしれない。
今、この文章を読んでいる人に伝えたいのは、復讐の成否ではなく、心の在り方だ。俺が選んだ方法や結果が正解だとは思わない。けれど、いじめられていた過去を抱えながら社会人になり、自分なりのけじめをつけた末に学んだのは、「過去に縛られて自分を見失わないこと」の大切さだ。生きていくうえで傷つくことは避けられない。いじめは決して許されるものではないし、その傷は長く人を苦しめる。だが、それでも、自分を置き去りにしないでほしい。どんな形であれ、傷と向き合い、折り合いをつけていくことで、ほんの少しずつでも心に変化が訪れるはずだ。俺の仕返しが「成功」なのか「失敗」なのかは分からない。ただ、一つ言えるのは、俺はあのとき前を見つめるために、一歩踏み出す勇気を持てたということ。そして、いまはそれを「間違いではなかった」と思えるようになっているということだ。
Xでよーくバズったね、おめでと
うちが毒親とクソみたいなきょうだいだということをネットに広めてくれてありがとう!
いいこと教えてあげるよ、俺もネットぐらい見てるんだわ、マトモな仕事じゃないからネット見る時間がたくさんあるあんたと同じようにね
そしてあんたのアカウント知ってるんだわ、あんたが人生の落伍者でありながらもたまたま絵を描くの上手いし、あんたの落書き見てるからさ
あーあー、ひどいなぁ、愛されない搾取子はネットで愛情を求めるからってさ、親に愛された俺や親を他叩くなんてさ
ズルいよ、ホント、ネットの怒りが間接的とはいえウチに向けられてる
はっきり言うよ、俺はあんたが嫌いだ、今まで以上にな
そんな卑怯な手段使うから、家で冷遇されたんだよ、「搾取対象の奴隷」がよ
奴隷から成金になって結構なこった、でも金と地位失ってから泣きついてこないようにね
あんたが俺達の事をネットで晒し上げて、誇張して悪者にしてること、みんな知ってるから
裏切り者、助けるわけないじゃんw
おそらくこれは自身が周りからどう見えるのかを認識して知覚して記憶したいという欲求に近い。
この欲求は多分に内向的であり、インターネットに日記を書くことと、瞑想と違わないことを示している。
私は承認欲求でインターネットに日記を書くのではなくて、唯々鏡を見たくて、自分の考えたことを野に放つのである。
ああ、それなのに、ちょっとインターネットでつぶやいたくらいでわーっと炎上するのが世の中。
私はそういうのが嫌になって、ツイッターをやめたときからずっとインターネットで日記を書くことを躊躇してきた。
昔のツイッターは気軽で良かった。
そりゃ確かにインターネットで書いていいことと悪いことがある。その区別がつくかどうかは実際にブログをやるかどうかの判断の分かれ目だろう。
私は表現方法に自信がない。プロじゃないんだから。間違うこともある。いや、プロだって言い方間違って会社に謝罪文出させてるのが現実。
それで自分がもし間違えたら…という心配もあるし、将来的に指摘されるのも嫌である。鏡自身が正しく現実を映して、正しいからこそ嫌なことを思わせることもあるし、これはモノのたとえだけれども、鏡を見た人が心無いことを悪意なく、あるいは正義感から言ったり迷惑だから失せろと言ったりしてくるかもしれない。ああ。やめようかな。どうしようかな。でも一回やってみようか。
ここで有名な『嫌なら見るな』論というものを少し擦ってみる。少なくともここでこれを今書いてるワタシ自身については、お金もらってるわけじゃないし、ただオノレの外界に吐き出したものをしげしげと見たいだけなんだ。そういう飾らない人間自身は、虚飾のないと言ったら聞こえは良いが、そもそも見目のよいものではない。人の吐瀉物なぞそもそも汚いモノなので嫌なら見にいかない方がいんじゃないだろうか?ザッピングという活動にもそれ相応の覚悟が必要なんじゃあないだろうか。困ったことに私は私の出力した生データが見たい。出力しないと見れない。こっそりと出力させてほしい。他人の排出物(創作物ともいう)に価値を見出した人だけ、どうぞその解釈にご自身の時間を使ってほしくて、それが自己体調管理であり、取捨選択であり、自由意志であり、素晴らしい生き方なのではなかろうか。他の生物のニオイを嗅いで情報を取得するまでは本能かもしれなくて、それでも脊髄反射あるいは自由選択によるモノで誰かに強制されたわけではないのだから、その後のことは自分で責任を取ったら良いのでは?他人の屁を臭い臭いと言ってる時間があれば即離脱してもっと有意義なことに貴重なお時間を使ってみるのはいかがですかと誰か言っていなかったっけ?
荒らしよくないって話もある。こないだとあるマイナーなSNSを試してみたらいきなりテンプレ的な荒らし画像が出てきて即アンインスコしたんだよ。悪意を持ってヘイトを叫ぶために投稿したりとか、他人にショックを与えるために荒らすのは良くないと思うんだ。普通に考えたら規約違反だし。そのSNSは通報機能とか規約とかブロック機能とかないやつだった。規約があるのは大事。規約を読むのも守るのも大事、通報するのも大事。でも、どこからが荒らしで、何から通報なの?それはもしかすると白黒つかなくて、テンプレ的な荒らしではない、新しいタイプの荒らしと思われるのも本当に嫌だなあと思って。なぜかというと、自分の吐き出したものを書き出してマジマジと見ないといけない、そうしないと超絶個人的な瞑想ができないんだってことはきっと他人(ソーシャル)には理解されないからなんだよね。ソーシャルでそれをするのかっていう議論になってくるよね。誰も傷つける意図がないので、してもいいはずなんだけど。理解できないことは恐ろしいもんなあ。
話がどんどん横道に逸れる。
こういうことを頭の中でぐるぐる考えている。少しは助けになったかな?
裏が白いチラシの入手ができない状態が10年以上続いているから文字通りのチラ裏ができないよ。でも言いたいことわかるよ。実際今日も安いペラ紙を買おうかなと思って通販サイトを見ていた。
ただ、紙に書きたいけど書けない。書いたらゴミが出る、大量のゴミが。学生時代に書いた大量の紙ゴミを実家に帰るたびにシュレッダーにかけているが全然終わらない。あまりにもプライベートなことを現実の紙に書くのはどうもよろしくない。体力もかけたくない。マジでごめん。信じられないだろうけど腱鞘炎になりそうなので勘弁してほしいんです。
あと、自分しか見ないというのはチラ裏とインターネット日記とでは本質的に異なる。チラ裏は感覚の鏡にはなり得ない。
たぶんすぐ消すけどありがとう。
でもやっぱりこのあれだな、意識の違いというか、期待値の違いというか、無意識的なリスペクト(配慮)要求というか、マナーというかなんというかそういう中身とは遠く離れた皮革的なものへのリアクションの情報を広く浅く求めたいところが全ての答えなんだと思う。できるだけ自分へのダメージを避け、他人への直撃を避け、トイレの壁に落書きをするようなそんな心配性で人でなしのやり方を求めて悩んでいる時点で…
でもこのやり方はきっと間違っていなくて、ソトガワに対するソーシャルリアクションは人として多分に追求するべきで、不健全でもなくて、こういうのもありなんじゃないかなあって。甘えなのかなあ。どうなんだろう。
高校から付き合ってた元カレが転職してからDVとモラハラするようになり、29歳で別れて婚活を始めた。
友達の友達がマッチングアプリで結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。
ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドアな趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)
身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。
そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。
1人目
・初対面でいきなりコート脱がされて服にダメ出ししてきたけどそういう本人はバキ童みたいな格好
・お互い傘持ってるのに相合傘しようとする
・ファミレスに連れて行かれた
・「痩せてますね。体重何キロですか?」と聞いてきた(152cm43.5kgの普通体型)
・「年齢詐称してませんか?」と言ってきた
・「エロ漫画100冊以上持ってます」と気持ち悪い自慢をしてきた
・アニメ見せてきたから音出してたら周りの迷惑になると言ったら逆ギレしてきた
・「子供が欲しいから18〜32歳の女性と結婚したい」と言いつつ「年下は子供扱いしてしまう」と言う(相手は38歳)
・ドリンクバー奢っただけでドヤ顔で「こういうところは年上が奢るものですよ」と言う
・店を出てからも「お金のことは気にしなくていいですからね」「奢るのは当然ですから」と奢ったことについてしつこく言ってくる
・解散してから「あなたは常識的にするべきことができていません。ですが私はクラスで除け者にされている人とも仲良くできる男なので大丈夫ですよ。今度は腕を組んで歩いてみたいです。頭を撫でたいとも思いました」と気色悪いメッセージが来た(常識的にするべきことがなんなのかは聞いても言わない)
2人目
・学生時代から愛用してるというプリントの剥げかけたウインドブレーカー着て顔にチョココロネのチョコつけてた
・こちらから話を振らないと喋らないし返事も短くて会話が続かない
・「奢るから会いませんか?」と誘ってきたのにいざ会計の時になったら「割り勘で」と言ってきた
・「かわいいので恋人候補になると思います」と上から目線で言ってきた
・お断りしたら「真剣に恋人探してるってちゃんとプロフィールに書いてたんですけどねー。読んでないんですかねー。仕方ないから友達でもいいです。次はいつ会いますか?」と言ってきた
3人目
・事前にどこに行きたいか聞かれてカフェと答えたら連れて行かれたのはドトールだった
・座り方がだらしない
・何度も前のめりになってニヤニヤしながら顔をジーッと見てきた
・「写真撮っていい?」と言ってきた
・お断りしたのにかなりしつこく食い下がってきてなかなか帰らせてくれなかった
・解散してからブロックするまで「どうしても付き合いたい」「考え直してほしい」「彼女できたこともないし自信もないけどよろしくお願いします」と何通もメッセージ送ってきた
4人目
・「すごくオシャレなカフェを見つけたから期待してて」と言ってたのに予約必須の人気店を予約してなくて筋肉痛になる程歩いてホットドッグ屋に連れてかれた
・やたらと仕事ができる&忙しいアピールしてくるけどおっちょこちょいで仕事できるように見えない
・自称「面白いと言われる」「クラス中を笑わせてた」らしいけど会ってみると暗そうな感じで全然会話が盛り上がらない
・マッチングアプリで1年連絡取ってた女性に突然ブロックされたと愚痴ってくる
・子供いらないと言ってみたり欲しいと言ってみたり言うことがコロコロ変わる
5人目
・遅刻してきた
・2回目の誘いをOKしたら「遅刻しても許してもらうよ」と言ってきた
6人目
・「アニメが好き」と言うから私も好きと言ったら「どうせ男しか出ないやつばっかりみてるんでしょ?」と言ってきてそんなことないと言っても「でも男しか出ないアニメ好きでしょ?」としつこい
・ラブライブが好きだと言ったら「ドルオタじゃんw」とバカにしてきた
・イラストを描くのが趣味だと言ったら「アマチュアの絵は美大卒が見たら色々気になるだろうな」「落書き趣味はルーズなイメージ」と言ってきた
7人目
・初回がファミレスで2回目は相手が服が欲しいからとユニクロとワークマン
・とにかく歩くのが早くてゆっくり歩いてほしいと頼んでも合わせてくれない
・動物のイラストを可愛いと言ったら「女はすぐ可愛いって言う。パンケーキを可愛いって言う女がいたんだけどどうかしてる」と言ってきた
・月収聞いてきて「同僚の奥さんは専業主婦だから女の収入もないよりはマシ」と言ってきた
・「女は欲張って声やら身長やら鎖骨やら求めてよくて男は多くは求めず謙虚であれなんて不条理」と言ってきた
・「同僚にあなたの話をしたら騙されてると言われたんですが、どうなんですか?」と言ってきた
・「次は僕の部屋で映画を観ましょう」と言ってきた
・お断りしたら「何を企んでるのか知らないけど狡猾な女ですね。女は素直なほうがいいですよ」と言ってきた
婚活界隈で普通の男性はなかなかいないって言われてるのは女性の考える普通のレベルが高いだけだと思ってたけど、そうじゃなくて男性のレベルが低すぎるんだね。あまりにも失礼だったりどこかズレてて結婚どころか友達になるのも遠慮したい人ばかり。
4人目の人は「周りの人からは彼女できないのが不思議なくらいいい男と言われるのに10年婚活しても彼女できない。ちゃんと見てほしい」と言ってたけど何もかも口先だけな上に他の女性に未練たらたらでメンヘラアピールされたら誰だって嫌だよ。中身をちゃんと見た結果だよ。
女性から選ばれないことを女性のせいにしてる男性は自分の言動のせいだって自覚してほしい。
友達の友達はいい人と出会えてるわけだしそのうちいい人に巡り会えるのかもしれないけど、これ以上続けてたら男性のこと嫌いになりそう。
とにかく変な男性と一緒にいて嫌な気分になるくらいなら独り身の方が遥かにマシだから婚活はもうやめることにした。
複数のアプリ兼用しようかとも思ったけどペアーズだけでもいいねが来すぎて処理しきれないからやめた。
ちなみにいいねは最初の1月目で500以上きてた(500以上はカウントされない)
その中からプロフィールをタグまでしっかり見て趣味が合いそうな人(インドア派やアニメ・漫画好き)にいいねを返して、メッセージの段階でおかしな人はフェードアウトしてた。
自分語りしかしない人とか、おうむ返しばかりの人とか、好きなアニメ聞いたらズラーっと大量に作品名並べてきた人とか、推しの地下アイドルについて長々と語ってくる人とか。
もしかしてインドア派やアニメ好きっておかしな人が多いのかな?
でも用がなければ外に出たくないひきこもりだからアウトドア派の人と結婚したらしんどいかなと思ってしまった。
旅行が趣味の人多かったけど、たまにならよくても頻繁に旅行に連れて行かれたらやだな…と。
それにアニメ好きのほうが私の趣味(萌え系のイラスト、Live2Dモデリング)を理解してくれるんじゃないかなという期待があった。
それにしても1人目の人は年収600〜800万だったからこんな失礼で距離感おかしい人でも社会では上手くやっていけてるんだなって感心しちゃった。
不法滞在はするし、不法就労はするし、難民を偽装するしでやりたい放題じゃん
もちろん全部じゃないよ
けど、もし日本人が特定の国で不法滞在、不法就労、偽装難民としてその国の福祉を食いつぶすような真似して、あげく子供をレイプしてそれは個人の問題ですで済ましてたら
クルド人も一緒だよ
昔日本人が海外の遺跡かなんかに落書きしたのが総叩きにあってたのは、一人でもそういうことをしたら現地では日本人がって言われちゃうんだよ
海外からしたら外国人は入れてあげてるわけであって、それは当然の権利ではないんだよ
こんな当たり前のことをはてな民って分かってないんだな
生きるの向いてねぇな、と度々感じる
それでも充実した休日を過ごしているという見栄は張りたい
普段動いてないから休日くらいは体を動かさないと早めに死んでしまう
思ったより寒い。
そもそも徒歩でいったら美術館着くころにはクタクタだ 観賞できるのか?素直に電車に乗るべきでは?
うるせぇなぁ どうせベストコンディションで観たところで良くわかんねぇからいいんだよ 歩け
大体、キース・ヘリングって落書きみたいな奴だろ?カラフルな棒人間みたいなのが組んずほぐれず48手みたいな奴だろ?
んなもん適当に眺めりゃいんだよ
天気が良いので、日向を歩けば丁度良い
だが日陰に入ると手袋が欲しい 耐えつつ歩く
道中、世話になった眼科が取り壊されているのに気が付く
「眼圧高めだからなるべく定期的に来い」とか言ってたくせに。俺を置いて逝くな。まぁリフォームとかかもしれないが。
途中、コンビニで一息つく。
本のコーナーになぜか、オリジナルのアンパンマンの絵本が置いてある。
初めて見たな パラパラめくってみる
アンパンマンは砂漠で飢えている男に顔を食わせて助けていたが、お茶も一緒にあげて欲しい
絵本を棚に戻し、缶コーヒーを買って、飲む。コンビニを出て、さらに歩く。
その後、特に面白いこともなく、無事に美術館にたどり着く。いやー疲れた。
ここまで1万2000歩くらい歩いたらしい。でも思いのほか元気だ。まだやれる
「うわっ、寒っ!」美術館の入り口ですれ違ったオッサンがつぶやいた。なるほど、中は暖房が効いている
なんか誰かと誰かの対談イベントがあるらしいが、定員に達したから観覧は無理らしい。そういわれると見たくなるものだな。
悔しがっても仕方がないので、チケットを買って進む
キース・ヘリング、若くして亡くなってたんだな そしてゲイだったのだな
結構年配だと思ってたのは、アンディ・ウォーホルと混同してたんだろう。まぁアンディがいくつで死んだのかも知らんけど。
ビジュアルは誰かに似てるなぁと思って考えてみたら、バキ童さんだわ
俺が「○○さんは□□さんに似てるよね」って言ってみて賛同された記憶が無いので、おそらくそんなには似てないだろう。だが俺にとってはそう見えた。
あの人も数十年後には時代を代表するアーティストになってるかもしれないな。何やってる人なのか知らんけど。
キースはサブウェイ・ドローイングなるものを考案した?実践した?みたいな解説を読みつつ、「あーこれこれ、なんかどっかで見たヤツ」と思いながら歩を進める
あと、アートで世界を平和にできると信じて活動してたとか。いいヤツだなキース
アンディ・ウォーホルとの合作?コラボ作品?も出てきた 仲良しだったのか?ディズニーは嫌いだったんだろうか
熱心にメモを取りながら鑑賞している人、連れと感想を言い合いながら見ている人、お客さんも色々だった
キースの作品が表紙の「ぴあ」の雑誌とか、招き猫とか、サイン入りのジャンパーが展示されていた
一番、気に入ったのがこのエリアにあったので、撮影が出来ず残念だった。
犬の横にキースが自分の名前をカタカナで書いていて、その文字がなんかめちゃくちゃ可愛いやつ。
何で撮影ダメなんだよ、ケチ。ぴあが許可しないからか?おのれ、ぴあ。
仕方がないので、目に焼き付けたはずだが、もうあまり覚えてない。歳は取りたくないな
今夜は何か温まるものを食べるため、スーパーに寄って帰ることにする。
何が言いたいのかと言うと、みんなもなるべく歩いて健康になろうぜ、と言う話。
私は定期的にとある喫茶店に行くことを習慣づけている昨今なんだけど、
いわば半月替わりサンドイッチを求めてその喫茶店のお店に行くの。
私は朝のお店が開く開店時間と同時に飛び込み前転を決めて入店し、
ちょっとここは格好つける。
さすがにアイスコーヒーという季節ではないのよ。
私は半月替わりのサンドイッチの今は何かというテキストを端末に入力してメモするの。
未来食よろしくコオロギ粉末をツナサンドに隠し味で入っているらしいが、
タイトルで出ている以上、
隠し切れていない感情を私は押し殺しながら、
やって来たその「コオロギの水色の音がするツナサンド」を恐る恐る食べるの。
いや、
隠し味の粉末コオロギが美味く隠れてる!
でも微かに耳を澄ませばコオロギの味の中に音がするかも知れない水色。
それほんと?
水色の音がするかも知れない。
早々にサンドイッチを食べ終わって、
いまやAIは暇で退屈なんだそう。
そこで私は街に溢れているまだ解析されていないであろう言葉を探して街中に言葉を探しているってワケ。
どうやら
AIは
造語や、
うーん、
私は詳しい言語学者の大先生ではないので詳しくは分からないだけど、
AI曰く
解析に際し「処理を遅らせるカオス性」、
AIは言葉の中の予測不能な構造を捉えてはアルゴリズムが一瞬フリーズする。
その瞬間が何よりの歓びらしい。
ふと耳にした電車内の会話。
私にも分からないわ。
それが解析され尽くした世界の中で唯一AIが新鮮だと感じるみたい。
すべての看板がAIのフィルターを通した効率的な情報に変換された様な景色なら仕方のないことなのかしら。
もっともここで言う好きって言葉は人間に当てはめて彼らAIが言っている言葉なので、
もはや人間の喜怒哀楽のそれとは越えた彼らに「楽しい」ものらしい。
難しいことは私もそれ以上分からないけれど。
とにかく
街中のそういう言葉を集めて彼らに定期的に送ると報酬を得るという簡単なお仕事なの。
彼らの「辞書に存在しない」言葉などは格段に解析が楽しいらしい。
そんなものなのね。
とにかく世の中の全てのことを解析し尽くしたAIにてみれば
うーん、
いや別にサンドイッチの名前だからってことだけが彼らが喜ぶわけでは無いけれど、
まあ人間にもよく分からないような言葉を集めてはこれ本当にどうするの?って解析先にポチポチと送信をしている作業なのよね、これ。
AIが読んで、
私も一度読んでみたけど、
一時期人間がAIにそういった文章を書かせて見る試みもあったそうだが、
さすがAIはそれがAIが書いたと言うことが瞬時に分かってしまって、
結局彼らの創造は彼らの中でいくら組合せをしたところで越えることはできないらしいの。
AIはやっぱり人間のリズムで書く文章が読んでいても解析し甲斐があるって言ってた。
もうよく分からないことばかりだけど
なんか彼らAI曰く、
人間にはまだ変な言葉や辞書にない新たに作られた意味のありそうな造語を作るのに関しては分があるとのこと。
でも彼らAIにとってはとても解析食べ応えのあるとても美味しい言葉サンドイッチみたい。
彼らが喜んで解析した結果をもとにして得る報酬で
また私は来月のサンドイッチを食べに行くのよ。
多分、
またきっとAIには美味しいはずだと思うわ。
それが彼らには何よりの贅沢になるなんて、
なんて皮肉なのかしら。
うふふ。
豆乳にトマトジュースをミックスしていただく簡単ちょっと遅く起きて慌てて支度しなくても大丈夫なやつね。
でもそんなに寝坊はしてないけど
いつもより30分早起きしていた分を遅くまで寝ていたってわけなの。
ごくごく飲んで出発よ!
最近リピ率高しの
相変わらず
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20241123225630
言いたいことはボンヤリとわかるんだけど
(あとラブコメって結局殆どのキャラにそういう不満は発生するよなとも思う)
俺がもっと気にするのは
そもそも筒井大志先生という人がそこまで能力が高いように見えないってことなんだよね。
だからうるかちゃんの件も悪意を見出すより能力の限界だったんじゃね?って思っちゃう。
新連載見てもわかる通り、筒井大志先生は絵のクオリティが低い。
手を抜いてるというより限界まで頑張った絵と落書きみたいな絵との幅が小さいんだよね。
絵を頑張れない人。頑張らずに来た人。それか才能がここまでの人。
途中から人気が出た先生も「外ではデキる女で家ではポンコツ」っていう
元はもう少し理想が高くてメインダブルヒロイン頑張ろうとしてたけど
大したイメージも無い人が変人キャラを作ろうとするとただただ不快な攻撃的アスペになる
というよくあるドツボにはまって連載が終わりかけて
素直なうるかちゃんでなんとか打ち切り回避したって経緯からわかるように
公平の為に言うなら走りながら修正したのは素晴らしかったと思う。
文系はアスペやめて人の心がわかる作中1の凡人常識人になったし、理系は自閉症&うどんという一発芸をつけたし
「なんだこのリストア?」って思うけど連載しながらあれはすげー頑張ったよ。感動した。
絵も設定も構成もほとんどすべての面でちょっとずつ能力が高かったと思う。
(あの人こそもう一作ぐらい描けたと思うけどラブコメは不本意だったのかもね。
これはもうはっきりと言える。
恋愛(または時にはライトなえっちやお色気)を扱うジャンルに真面目に取り組んでない。
一切扱わないっていうなら雑誌の方針だからそれはそれだと思うけど
「ジャンル自体は存置してるのにジャンルを舐めてる」って姿勢を感じちゃうんだよな。
絵もシチュも全てが古臭くて、下品さやモロさのチキンレースをしてるだけなの。脱法的にまんこ描いたからなんなの?っていう。
矢吹は20歳でジャンプ連載始めた早熟児とかだった気がするけど、
10代で固めた技能の殻を破れないって言うか。絵がとにかく小さくまとまってる。キャラ造型も昭和。
ルックバックの主人公も30以降ろくなことにはならねーわ。忌憚のない意見ってやつっス。
それで矢吹とかゆらぎ荘とか昭和のラブコメが去った後も『ひまてん』だろ。
俺『ひまてん』も読んでるだけで腹立つんだわ。
こいつもアップの画面と小さいコマでキャラの情報量がほぼ同じなの。全然頑張らない。
これは何かって、手を抜きたくなってるんだよ。
こなし仕事になってるわけ。楽することが主眼になってるわけ。
仮にもジャンプ連載の立ち上がりで、自分のベストを追うのではなく負担を減らす姿勢が見えてるの。
作者名で調べたら元はラブコメ描いてなくて全く別の漫画が打ち切りになってる。
それでどうしようってなってラブコメ舐めてるジャンプに「ラブコメでも描かない?」って言われて
ラブコメを舐めながらラブコメ描いてんだなって気がする。邪推かなあ?
あとなんか、主人公もヒロインたちも全員同じ顔と同じ表情するんだよね。
連載打ち切りになって次が決まらないまま30過ぎて腐った奴とか
エロ漫画を頑張り切れずにキャリアロンダリングしたいなーみたいな姿勢の腐った奴とか
そういうダメ元素材に「ラブコメでもやってみる?」ってやらせてるジャンプとは全然違う。
きちんと能力高い作家に一級の仕事としてラブコメを振ってるんだよね。
俺はマガジン全体で言えば嫌いだしジャンプよりずっと下だと思うけど
ジャンプがラブコメを心底バカにして蔑視されるべきジャンルだと思ってて
その違いのため。
赤羽骨子は「そのキャラ数と作画エネルギーと構成力要る?」 っていう
過剰カロリーが横溢したようなすごい漫画だった。(正直カロリー抑えた方が売れる気がする)
あれとひまてんを同じ「ラブコメ」と括ること自体冒涜だと思う。
赤羽骨子1回分の10分の1も無いと思うよ。
マジ舐めてるよね。
ジャンプ編集部がラブコメ舐めてるからあんな舐めた仕事で許されてるだけ。
話を最初の出発地点に戻すけど
その姿勢が変わらない限りは微妙な能力の作家がラブコメ枠に投入された
そんなもんを真面目に読んじゃってどうするの、って思う。
もっとず―っと深いところにある。
なんでジャンプってこんなにもラブコメを蔑視してるんだろうな?
「下等なジャンル」みたいな昭和からの方針が残ってんだろうか?
桂正和は異常な才能と情熱で気を吐いたけど、あれは個人の武力を頼み過ぎだったよな。
esbee こういう増田とかブロガーに上から目線のブクマカとかを観ていると、私はせめてクリエイターに最低限のリスペクトを示す、多少なりとも届けがいのある消費者でありたいと思うんですよね……
それはそれとしてジャンプという最高雑誌のラブコメ枠という重責を担うには筒井先生は能力不足だったのではと言ってんの
筒井先生の新連載の推理部分とか、俺は面白くないけど隅々まで精いっぱい考えて頑張ってるのは伝わってくるよ
そういう風に精一杯頑張る人ではあると思う
ひまてんは今のところ頑張ってるようにすら見えない
当初の志望と違っても切り替えてラブコメで頑張るんだ読者を楽しませるんだ一山当てるんだ
みたいな気持ちが伝わってくれば応援したくなるかもしれないけどそれすらない
女の子の魅力を「女子高生社長頑張ってるもんな」みたいなセリフで説明する
実体験でも妄想でもいいけどもっと体温のあるエピソードやシチュを描こうとせえや
という不満があるし何より作画で手抜きをするなと思う
(特に3人目が出てきたあたりがひどくて今は多少持ち直してるか)
一人の作家が一生一度しか出せないテンションとパフォーマンスを見せてたから
そしてラブコメでもそれは同じじゃないの?
マガジンの充実したクオリティ高いラブコメに今からジャンプが勝てるとしたら
活路はそこだと思う
あえて個人の話をするならひまてんの作者だって色々悩むことや辛さもあるのはわかるよ
30過ぎくらいで目指したキャリアと全然違うことになっててなにこの人生とか思ってるのかもしれない、そんな内面はなんもわからんけど
けどメジャーリーグのドジャースで登板してるような立場の人間に
ひまてんを気合いの入った超おもしろいラブコメにして読者をひれ伏させることにしか彼の活路はないだろ
人生最高の気迫で踏ん張るしかないとこでシャバいことやってんじゃねえぞ
偉そうな行為を偉そうな口でやってる俺よりも
「自分は偉そうな人間ではない」という自認で好きにブコメ書いてる奴等とかの方がやべー奴なんじゃねえかと俺は思う
SnowSwallow
ジャンプラブ”コメ”を語るに、篠原健太先生や渡邉築先生をどうして避けるんだ…。ジャンプは少年向けギャグ枠に成人向け変態性を合わせるスタイルも目立つ。最近では林聖二先生も。
わかってるじゃん。
恋するエジソンとか決して高い画力ではないなりにフロー出てた。
「こういう子がかわいい」っていうビジョンとリビドーがあった。
連載中に上達してきてた女の子の可愛さが衝突してたね。
あの人は結局ジャンプにいる間
踏ん切りつかないみたいなところがあったよな。
林聖二!?ってなったけど検索して出てきたテラちゃんのことか?
つか挙げる名前が渋いな。
知人に、絵を描いて欲しいと言われたことがある。
「ちゃちゃっと貧乏神の絵を描いて欲しい」
渡したけど、挿絵は無償でお願いしたつもりだったとのことだった。まぁ落書きんのようなものだし怒る程ではなかったけれど、失礼な話だなと思った。
その知人が主催するアフィリエイト教室で「もらうことばかり考えて、自分で考えようとしない人はアフィリエイターに向かない」と伝えるためにblogの記事の挿絵に貧乏神のその絵を使うという。それを知ったとき”怒る程ではなかった感情”が、自分の中で激変したことをおぼえている。
「ちゃちゃっと」という台詞を聞く度、あのときイラストを渡すついでに殴り倒しておけば良かったなと思い出す。
でもあれから、失礼だと思う相手には即座に「それは失礼だ金を払え」と言えるようになった。良き知人だったと思う、二度と会いたくないけれど。