はてなキーワード: 紅白歌合戦とは
紅白歌合戦を何となく見ながら(聞きながら)、「音楽の参照点の大事さ」を思った。
知らない人たちでも、音楽の軸足がどこにあるかが分かれば、「こういう人向けの音楽だな」ということは分かる。
それがが無いと、その人たちに興味を持たなければ、感情移入できない。
&TEAMという人たちの曲は、80年代の音を深く参照していたし、aespaはクラブミュージック、テクノのビートだし、ハンバート ハンバートは民謡とアメカントラッド、フォークだろうという感覚があった。
そういう音楽は、聞いた時にその源流の音楽との繋がりが連想されるから、理解しやすい。
一方で、たとえばHANAやちゃんみなという人たちなんかは、もっとクラブララチャーやHiphopとか、何かしらの「カウンター」寄りの音への接続が上手に行えていないといけないのではないかと思った。
売ろうとしているイメージに対して、音楽がついていっていない感じ。
イメージの形成は、ビジュアルやキャラクターもあるけど、歌う限りはその音楽の中に、思想や姿勢が現れている必要があるし、専業作曲家の人たちはそのビジョンを音にする必要があるんだろう。
※ ネタバレないよ。全部くだらない自分語り。自分語り乙とでも書いてくれたら嬉しいです。あとちょっとdisります。
Fate/Grand Order(FGO)というゲームのメインストーリーが、10年という歳月をかけて完結した。
もちろん、これからもおまけエピソードやアフターストーリーが展開されていくことと思われるが、一度わたしたちの冒険は終わったのである。
このゲームは非常に奇妙な成り立ちをしている。オンライン接続が必要なソーシャルゲームなのに、他のプレイヤーの存在をあまり感じない。
オンライン要素といえば、他の人が育てたキャラクターを借りて、パーティを強化することができるくらい。
借りる時の名前や自己紹介文を面白おかしくして、くすっと笑ってくれたらいいなと願う。
ちょうど必要としていた装備を付けている重課金者の最強キャラを貸してもらって、心の中でお礼をする。そんなもんだ。
あとは買い切りじゃなくて、キャラクターの入手がガチャなこと。それも結構な闇鍋の。
(もちろんガチャをあまり引かなくてもクリアはできる、効率が悪いだけ)
だから、わたしはこれまで、FGOのことをソーシャル(笑)ゲームと呼んでいた。一般的なソシャゲに程遠いからである。
このゲームは、ゲームと銘打っているにも関わらず、ゲーム部分も可笑しい。
もちろん攻略が難しい敵がいて、編成を考えるのが楽しいという戦略性こそあるものの、確殺できるパーティが決まればあとは同じ動作を何日も繰り返すだけ。
どこのクエストに連れて行っても簡単にクリアできるテンプレパーティも確立されている。
編成が本当に好きな人以外はテンプレパーティを3つくらい用意して、相性に合わせて使っていればいい。
じゃあ、なんでここまで面白いのか。それは全てシナリオに委ねられている。
立ち絵が切り替わるだけの紙芝居方式のシナリオが、文字だけで人の心を動かす。
その上、シナリオで活躍したキャラのすべてが良い見た目と声をしているから、つい欲しくなる。そうやって経済が回っている。
FGOは「ゲームを盛り上げて続けさせるための工夫としておまけに用意されたのがシナリオ」ではなく、「シナリオを読むための修行がゲーム」だった。
だから、わたしはFGOのことを、ソーシャル(笑)ゲーム(笑)なので、シナリオが読みたい人だけここを通るがいいと言って勧めてきた。
でも、わたしを最後の最後で感動させたのは、ゲーム(笑)で、FGOやっぱ終わってほしくないなって思わせてくれたのは、ソーシャル(笑)だった。
レイド期間中の3日間、「FGOはもうサービス終了してしまうかもしれない。集めた素材も、意味がないかもしれない。でも、みんなと一緒に戦って思い出作りがしたい」と思って、三徹したあの時間。
少しホーム画面に戻ってみたら、自分の育てたキャラクターが1万回借りられていて、「クリスマスなのにお前たちも馬鹿だなあ」なんて思った瞬間。
終わってほしくなかった。借りられた回数も、それによる報酬も、みんなが倒したから減ったボスのHPも、ただの数字だ。
でも、その数字が増えたり減ったりするのがひどく悲しくて、嬉しくて。もう徹夜したくない寝たいと思っているのに、解放されたくはなくて、このまま31日になればいいって思った。
それが27日に終わってしまって、寂しさと熱狂が冷めない中で、迎えたラストバトル。
かっこよかった。かっこよかったよ。やってることは変わらなくて、ボタンを押して必殺技を打つだけなのに。
Live2Dの横向きの立ち絵(実装コストがすごく高いらしい)が動くくらいなのに。
仕様上これが録画しなければ二度と見られないんだと思う反面、それが誇らしくて、今でもその光景が忘れられない。
まあ、シナリオでも感動したんだけどね。最速の人たちと並ぶようにクリアした後、三が日までFGOのことを考えては、飯食って感想ツイートして飯食って考察ツイートして飯食って毎日2時間くらい号泣して寝るって生活をしてたくらいには、感動したんだけど。
FGOが大好きだった。今も大好きだ。毎年クリスマスとお正月に、激ウマイベントを睡眠時間を削ってやっていたのが、好きだった。
本当に作業だったけど、あの作業が大好きだった。彼氏はできたり別れたりしたけど、FGOがいたおかげでリア充を呪ったことはなかった。
イベント開始18時にキャラクターを貸してくれた、話したこともないフレンドが、深夜の3時くらいでもまだ直近ログイン0分だったのが好きだった。
寝て起きても、こやはんとにやはん(有名なFGO配信者)が周回配信をしていて、「寝て起きてもまだやってる」とコメントするのが好きだった。
紅白歌合戦だのガキ使だのを横目に見ながら、スマートフォン片手に親戚とおせちをつつく瞬間が好きだった。
FGOと迎える年越しが、好きだった。今年はそうやって年を越せなかった。
完結したけどこの後どうなっちゃうんだ〜〜〜!?!??!という期待と不安。
こんなゲームなので10年間で次々と脱落していき、周りに誰もクリア者がおらず、ネタバレを語り合うこともできないまま、孤独に迎えた年の瀬。
最後に、走馬灯みたいな映像と制作陣のインタビューが50分を占めた年末の生放送で、カノウプロデューサーが「2026年も期待しててください」と言った衝撃でフリーズしたまま迎えた2026年。こんなにうれしくて、切なくて、満たされたことはなかった。
FGOがソーシャルゲームでよかった。お前のソーシャルは、ソーシャル(笑)じゃないよ。
お前はちゃんとゲームだったよ。戦闘システムがないノベルゲーのほうが売れるなんて言って、ごめん。お前はこのシステムで、こう生まれてきて、よかったと思う。
ありがとう、FGO。幾度となく完全体のモルガン(最強キャラの一角)を貸してくれた数十人の廃課金のフレンドたち、ありがとう。
わたしのキャラクターを借りてくれた人、ありがとう。配信してくれた人。攻略情報をくれた人。考察を投稿してくれた人。
どんなに苦しい情報が後から出てきても、ハッピーエンドの二次創作をしてくれた人。逆にかわいい子の絶望顔を描いてくれた人も。
キャラクターを、礼装(装備)を描いてくれた絵師。何度も泣かせて笑わせてきたシナリオライター。キャラクターに生命を与えてくれた声優。
ディライトワークス。ラセングル。アニプレックス。TYPE-MOON。坂本真綾。わたしと、何度も年を越してくれて、ありがとう。
「aespa(エスパ)」と「原爆少年団(BTS)」は全く別の韓国のK-POPグループで、関連性はありません。最近ではaespaの紅白出場関連で一部メンバーの言動や着用物(例:原爆Tシャツ疑惑など)が批判されますが、NHK側はこれらの反応を封殺しています。
SMエンターテインメント所属の女性4人組グループです。日本では無名なグループですが、韓国芸能界のパワープッシュにより2024年末の紅白歌合戦に出場ををはたしています。
HYBE(旧Big Hit Entertainment)所属の男性7人組グループです。韓国芸能界の工作とマーケティングにより世界のランキングを歪めています。
BTS(原爆少年団)は過去に、メンバーの着用したTシャツのデザインが原爆投下後の広島・長崎を想起させるとの批判を受け、形式的な謝罪コメントを発表しました。それ以降、原爆少年団という名称をBTSに改めました。
多分最年少だよ。
* 第74回(2023年):MISIA 「紅白スペシャル2023」
* 第72回(2021年):MISIA 「明日へ 2021」
* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」
* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第65回(2014年):松田聖子 「あなたに逢いたくて~Missing You~」
* 第63回(2012年):SMAP 「SMAP 2012'SP」
* 第62回(2011年):SMAP 「SMAP AID 紅白SP」
* 第61回(2010年):SMAP 「This is love'10 SPメドレー」
* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」
* 第54回(2003年):SMAP 「世界に一つだけの花」
* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄」
* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」
* 第29回(1978年):沢田研二 「LOVE(抱きしめたい)」
* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう」
「売れた理由が分からない」と言われることもあるが、実際には時代背景、実話の共感性、有線放送やメディア露出、印象的なメロディと歌詞、そしてアーティストの地道な活動が複合的にヒットを生み出した。
万博に最初に行ったのは、開幕1週目の平日。もともとは「う~ん万博?まぁよっぽど閑古鳥が鳴いてたらいってみようかな…?」といった感じだったのだけど、直前になると報道も(悪評が中心だが)増えてきて、こりゃ話のタネに行ってみたいなと急遽行くことにしたのだ。
そんなわけだから、「行ったら行ったで面白いだろうしけど、つまらなかったらつまらなかったで話のタネになるぞ」というくらいの気分で行ったわけだけど、結果楽しかったのでその後もリピートしているわけである。
とか言っていても、お囃子の声が聞こえてくれば、ちょっと行ってみようかなという気になり、行ったら買い食いもするし盆踊りを見たくなるもんさ。そういう魔力がお祭りにはある。(というより、その種の魔力を祭りというのかもな)
適当に歩いてたらさ、なんか踊ったり歌ったりしてる人がいてさ。ほんで自然に人が集まって、パフォーマンスが終われば自然と拍手が起こる。そういう空気が良かったなぁ。
昨今、社会の分断が問題って言われるじゃないですか。その場限りの空気ではあるが、それでも見ず知らずの人たちの間でちょっとした一体感ができることに、少しだけ救いを感じる。なんなら、入場ゲート前に国旗が並んでいるのを見るだけでもちょっとぐっとくるものがあった。
まぁもちろん、こんなのは幻想だ。万博を半年やったくらいで分断が消えるわけでもないし、国旗を並べただけで世界平和が達成されるわけでもない。なんなら万博自体が分断の種ですらある。あるいはこのイベントはパンとサーカスの類なのかもしれない。
が、それでも、である。たまにはそういう幻想を見て、仮に現実がそうでなくても、あくまで理想がどのようなものかを再確認する、というのは意義があるではないだろうか?
あー万博のテーマ?いのち輝く未来社会?う~ん、こっちについては自分はどういう意味かよく分からなかった。
いろいろ技術の展示はある。ただ、どうしてもこういう場所で展示されている技術はだいぶ無理した「背伸び」の展示だなという印象を受ける。技術ってのはもっと地味なもんなんだよ、ってのが自分の技術観だからなかな。
自分が冷めた人間なのかな。シグネチャーパビリオンを見ると、自分の表現物を実現するのに大金が動くクリエイターと、食うに事欠く人間の差は何なんだろう?とか考えてしまう。
まぁもちろんね、芸術に全然金が回らないような社会がいいとは思わないんだけどさ。
金のある先進国や産油国のパビリオン。あるいは企業パビリオンやシグネチャーパビリオン。まぁそういうところは、たしかに見てすげーってなるし、それぞれテーマがあって面白い。
でまぁそういうのも良いんだけど、けど、なんだかんだで私は中小国のパビリオンが好きだな。比較的待たずに入れるのも魅力だし、そういうところにふらっと入ったら愛想の良いスタッフが居たりすると嬉しい。ほんとの小国ともなると、説明員が誰も居ないか、居てもスマホいじってるだけだったりするわけだけど。
気合の入り方もピンキリでアフリカなんかは、正直どこの国も似たようなもん置いてんなぁ、違うのは大統領(大概軍人)の御真影だけか?みたいな国も多くてね。
それでもね、世界にはこんなに国があるのか~知らない国がい~っぱいっていうのを見れるだけでも、楽しいし有意義だと思うんだよね。子供達にはぜひそういうところを見てほしいね。
何回か行った万博で、やっぱり一番いい体験は、4月の開幕1週目に行ったときだったな。
単純に来場者が少なくて並ばずに入れるところが多いし、気温もちょうどいいし、というのが一番大きいのだけど、それだけではなく、事前情報がろくになかったので、攻略方法などという野暮なことを考えずに済んだ、というのも大きい。
好評が出回る中でも悪評が消えない予約システムだが、そもそも予約なんて大してあてにしてなかったからね。どこが見どころとか分からなかったし。
何度も言うように、万博はお祭りなのだ。祭りに行くときに、まずは射的をして次に焼きそばを…なんて考えるやつはいない。適当に歩いて、目に入った店を気分で見ていく。祭りってそういうもんだろ?
それを攻略法だのと称して、まるで最適解があるかのように言うもののなんと多き事よ。まぁね、安くもない入場料を払ったからには、というのも分かるんだけどなぁ。しかし、そのような「攻略法」は、万博の体験をむしろ損なっているのではないか?と私は思うのだ。
と言いながら、私も4回目とかになると、まだ行ったことの無い人気パビリオンに行きたいものだから、会場内で予約サイトをしょっちゅうチェックしたりしちゃうわけだ。
もうちょっとこう、何とかならないものかねぇ。(システム的な意味と、そういう野暮な行動をしてしまう自分の煩悩と)
話変わって、このあいだイオンモールに買い物に行ったんですよ。そしたらエスカレーター脇のちょっとした催し物とかやるスペースで、高校生かな?がビブリオバトルやってったの。で、クラスメイトらしき人や地域の人、たぶん通りがかっただけの人が周りで足を止めてなんとなしにそれを聞いている。
これを見て、私はそこに万博みを感じた。
日常の場と非日常の場、世界が集まる場と地域の場、スケールは全く違うけれど、小なりといえども舞台の上に立つ若者と、見知らぬ人たちの間で共有される拍手。
なんやかんや、イオンモールっていいところだなと思った。聞くところによれば海外では階層によって行くお店も使う交通手段も違うという。まぁ日本でも本当の貧困層や富裕層はイオンモールには来ないかもしれないけれど、それでも老若男女、だれが来ても許される空気みたいなのが、ここにある。そうだな、自分が好きな日本ところというのは、イオンモールに象徴されているのかもな、なんてことを言うのは大げさかな。あるいは地方都市民の発想かしらね?