はてなキーワード: 元祖とは
前作から参戦予想として挙がりやすかったけど、ディスカバリーで味方としてのワドルディ像が強調されて以降、グッズ・コラボでもワドルディの登場頻度が高くなり、地位が相当上がった感あるので、ワドルディ代表として満を持して参戦すると予想。
功罪は色々ありつつも、日本ゲーム文化の一つとなったソシャゲから誰か出すなら、まあまず彼らかなあ。技のネタはGBVSやリリンクから取れるし、ドラガリでサイゲと任天堂の縁もある。リリンクのアッパー版がSwitch2で出るからその宣伝にもなるし。
まあそれ抜きにしても、ここ十年くらいの日本ゲームを代表する存在の一つであることは間違いない。エヴァ新作の脚本やるなどヨコオタロウの知名度も上がってるし。
ストファイ、KOF、鉄拳と来たら次はギルティギアじゃね?(異論は認める) 最新作のGGSTが評判良いし、壁破壊ギミックとかはステージでの原作再現が捗りそう。ロマキャンをどう落とし込むかが悩みどころではあるが。
―――――↓これ以降大穴枠↓―――――
色々言われそうではあるがなんやかんや期待したい。マイクラ、(Miiコスだけど)Undertaleと、同人ゲーの参戦も増えてきたので、そろそろ日本の同人ゲームを代表する存在である東方が来てもおかしくないのかなと。
大元がエロゲーだので色々言われそうではあるが、昨今の大手中国ソシャゲなど、世界的に影響与えまくってる存在ではあるし、あってもいいんじゃないかなあ。
・蛍/空(原神)
中国でのスイッチ関連サービスが停止したことから、任天堂の中国上でのビジネスがあんまり上手くいってない感ある上、チャイナリスク的なアレも多分あり、下手したらソラ以上に参戦難易度がハードになってそうではあるが、3Dアニメ調ソシャゲブームを起こし、近年のゲーム業界に衝撃を与えた存在ではあるので、ワンチャン参戦しねえかなと思っている。
・花海 咲季(学園アイドルマスター)
「何言ってんだお前」と言われるのはわかってる。わかってるのだが、何か彼女の生き様見てると、もはやなんかスマブラでもやっていけるんじゃないかと思い始める。アイマスは、ラブライブやバンドリ、プロセカのような二次元音楽コンテンツの(多分)元祖であり、格も十分だと考える。ステージも映えそうだし。格闘技もやってたみたいな設定にすればいけるよ多分
久っしぶりにお友だちと焼き肉的ないわゆる肉を焼くのが最大のおもてなし当時貴重な獣の脂を火で炙ってまでしてわざわざ落してまで我が国は豊かなんですよ!なアピールの名残の名物料理でもある、
今じゃ脂ってなんか敵対視されちゃってお馴染みなその焼き肉なんだけど、
最近の新しいお店は
一杯目グラスで瓶ビールが支給される飲み放題形式あれ要注意だと思うサインだわ。
そういうお店だったらあんまり良くない噂が立ちはだかっているのよ。
そんな一杯目グラスで瓶ビール形式の飲み放題のプランってそう言うものなのね!って
わーい!って暢気にグラスにビールをそれこそルービーを注いでいたのよ。
そんで次からは好きな飲み放題メニューから選んでグラス交換制度でおかわりする形式。
一応ささやかながらコース的な手順でお肉が提供されるんだけど、
塩タンお肉きて次、
ご飯くるの早くね?って明らかに古き良き焼き肉スタイルを崩しているスタイルのこの形態のご飯の提供の早さに、
ドリンクのおかわりは遅いのに、
何故ご飯だけ高速で炊いて持ってくるのか!
炊飯器の高速炊きモードでもそれをも凌駕するご飯の提供するされるその早さに、
一堂顔を見合わせて礼をする始末よ。
そんな一瞬ありがたいご飯をよそに、
なんかワザと遅くさせている作戦の飲み放題の形式を謳っておきながら遅く提供させてセコくあんまりお客さんに飲ませないところってあるじゃない。
あれよくないと思うなー。
たくさん食べてたくさん飲んでってのがスタイルであり焼き肉であり、
当時貴重な獣の脂をわざわざ火で炙って焼いて脂を落してまで我が国は豊かなんですよ!ってのがアピールであり焼き肉の醍醐味味のタレに漬ける、
あれ最初に3つの仕切りになっている小皿のタレが入っているのを店員さんが持ってきて、
タレたちの紹介をしてくれるじゃない?
もう誰も聞いてないから、
あとからこれこのタレ何に付けて食べるタレだっけ?って忘れがちのあのタレ!
その真ん中が確か醍醐味味だったと思うのよね。
その醍醐味味にたんと私はタンじゃない赤身の肉をちょいと付けて食べるのが、
そしてルービーを同時にキメるのが、
左手にルービー右手に箸で持ち上げた肉を掲げてまるで海賊スタイルのような、
よーし!野郎ども!樽を回せ!って、
あの音頭でお馴染みのビールを回せ底まで飲もうって三貴哲成さんの熊をも倒す「すごい男の唄」じゃない意味での、
大航海時代当時、
港で汲んできた新鮮なお水をキープするために甲板の上で水の入った樽をコロコロと回して樽の中の水を動かして新鮮さをキープする方の樽を回せ!の号令。
3つの仕切りの順に違う種類のタレが入った真ん中の醍醐味味のところにその肉をダイブさせてそのタレの味にして食べるのがこの焼き肉の醍醐味なのよね。
って、
そんな勢いづかないぐらい私はルービーのジョッキを掲げたい勢いは加速させようと思ったのに、
グラス交換制度を利用して早く待ち構えているおかわりのルービーは
まだかまだかといつまで経ってもやってこなくて、
みんなのハイボールとかも遅いし、
セコく1杯目のスタートはグラスに瓶ビールで選手宣誓をさせたり、
いきなりご飯がやって来てこれで腹を多少お腹いっぱいにさせて、
飲み放題だけどあんまりお客さんにたくさん飲ませないようなセコい作戦なの?って気付きだしたの。
そんなお店もあるのよね。
私がたまに通う好きな
台湾料理屋さんは、
私は席に座るいや着席するや否や同時にグラスと瓶ビールが注文まだしてないのに持ってきてくれるところまでお互いのお客とお店の店員さんの息が合ったところまで通うところまでがセット!ってお店あるじゃない。
早いとか遅いとかなくない?
飛行機でさ、
着陸しますその際はシートベルトしっかりしてランプの合図が消灯するまでシートベルトは外さないでくださいね!ってアナウンスでるじゃない?
着陸したと同時にカチャ!って音がしてはずそうとする人たまにいない?
たぶんそういう人ってファーストドリンクに重きをいや命を賭けている人だと思うので、
さすがに私は周りを見てしっかりと状況を把握して
おお!やってますな!って夕方とか夜の恐らくみんな帰り道の新幹線では楽しくやるのは良いけれど、
サンドイッチの横についている薄ーいアルコールのお手拭きで手を拭いてサンドイッチを食べましょう!ってよりも凄い早さで缶ビールを開けちゃうんだけど、
さすがに私も空気が読めるので、
プシュ!って朝からそんな音を立てるわけにはいかない常識は持ち合わせてあるから、
中の炭酸がシューっとそーっと密かに息をするように開栓するの。
そうしたら、
朝から豪快にやってますな!いいですな!って隣のサラリーマンに肘掛け横取りされる意地悪されなくて済むのよ!
開封のプシュって言う音は消せても、
パッケージに缶に書いてあるビールの銘柄のスーパードライってのは消せないのよね。
結局バレてしまうの!
でもそれをまた良いアイデアがあって、
冷たい物を直接に手で持って触ると冷たいですからね!って配慮で自分のハンカチで缶ビールを覆ってしまうという荒技に出たら、
きっと隣の人もまさかビールを飲んでいるだなんて思われないから、
隣のどっちがどっちの人の肘掛けか分からない状況の位置でも私が意地悪されなくて肘掛けを使うことがたまにできるのね。
って、
そのぐらい新幹線発車1秒でルービー開栓しちゃうぐらいのスピードにこだわっているぐらいなほど、
拘っている人がいるから私たち的にはここの焼き肉屋さんはちょっと残念な結果でもあり私たちのチームはここで敗退することになったの。
悔しいです!って
焼き肉の会はお開きになったけれど、
やっぱりなんか客層年齢層ベテランが行くようなお店の方がドリンクにも神経行き渡っているような気がするわ。
その焼き肉探検家の人は翌日もその焼き肉屋さんの感想戦をしていたので、
もうさ、
焼き肉ってそこそこ食べてお腹いっぱいになって持て余しちゃうときあるでしょ?
もう誰も網の上で肉焼いてない状況のとき、
そんなときは
グラスの中の氷を網の上に乗せて焼き氷をやるのが、
私はその焼き肉の網の上で溶ける氷を見つめながら、
お腹いっぱいよ!って思いつつルービーはあと1杯ぐらいは行けるのになぁって、
ドリンクの遅さに痺れを切らす前に飲み放題の時間がタイムアップしたのね。
ちょっと心残りだわ。
私はそう網の上でまだ溶けきれない氷をよそに、
もうここのお店はよしておきましょう!って厳しい判定を下していたのには、
怒っちゃうぞプンプン!って。
私は暢気にルービー飲めて良かったなって思ってたのに。
暢気にルービーっていってないで、
私も焼き肉眼を付けた方が良いのかも知れないわ。
うふふ。
2ドルは高いわーって思いつつ、
朝ご飯は家でしっかりご飯炊いてこしらえてきて食べようかなって思うけど、
なかなか時間が無くって、
シュワッと美味しく冷たいのがキマってくる季節かな?って
だんだんと暖かくなる感じの今の気候が過ごしやすくていいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
https://x.com/mononoke_2525/status/2045779908778209777?s=20
"博多に来て色々食べたんだけど結構「東京で食べるのとあんま変わんないな〜」という印象で、残念というより"物流マジでいつもありがとう"という感じだった"
まぁ東京は、色々なジャンルご飯食べられるし、おいしいもの沢山あるのは、その通りだと思うが、
・はかたや:ラーメン290円
290円でラーメンが食べられる。東京にこんなお店があるわけがないのよ。
薄くもなく濃くもなく、臭すぎないけどちゃんと豚骨香るし、麵の量も多くもなく少なくもなく。ちゃんと美味しい。
安いお店で言うと、他にも下記が安くておいしい。
臭い系で言うと、
豚骨を一番感じるお店。東京には絶対にないです。こんなのが近所に出来たら公害です笑
好きな人は好きらしいよ。僕は苦手だったけど。
ラーメンに関しては、以前書いたものがあるので、こちらを参考にしてもらえれば!
https://anond.hatelabo.jp/20251231135113
でも、牧のうどんは郊外のお店の方が、牧のうどんって感じがして良いんだけど、まぁしゃあなしよね。
家族連れが座敷で食べてる感じとか、
おばちゃんが機嫌よく接客して、お姉さんがキビキビ接客して、おじさんが黙々と麺を打って茹でてる姿をカウンターで見るのとかがおもろいんだけどね。
軟麺(やわめん)中麵(ちゅうめん)硬麺(かためん)が選べるが、
初めてはちゅうめんが良いと思う。
軟麵は本当にやわくて、かなり癖ある。
軟麺にして、好みじゃなかった時は大惨事になるので注意必要。麺が一生減らない。
あんま美味しくなかったっていう印象を持って帰って欲しくないから、最初は中麺で!
・ウエスト
ウエストは、サラリーマンがお昼とか仕事帰りとかに、特別な感じもなく食べるお店。
なので、観光にきて食べるほどでもない気がする。
・資(すけ)さんうどん
僕は資さんうどん派なんだけど、
関東にも出店しはじめてるし、あえていかなくてもいい気がする。
・釜喜利うどん
そのおかげなのか、飲みに使ってる人も結構いる。
まぁというか、二〇加屋長介っていう、うどん居酒屋を福岡で展開してる
麺は平打ちっぽく、つるふわ。美味しい。
味だけ考えるとこのうどんが一番好き。
麺はつるとろ食感。本当につるつるしてて優しい食感。かなーり美味しかった。
丸天の味も抜群。魚の味がしっかりするし、ふわふわだし。ごぼ天もおもしろ形状だし、味も良い。衣は薄めでしっかりごぼうの味が楽しめる。
ただちょっと高いか?880円あったらウエストならミニカツ丼セットぐらい。コスパ考えるとちょいと微妙だけど、味は非常に良い。
2店舗しか行っていないが、なんかもうこれより上は無さそうな気がする。
・やま中も美味しいけど、東京で食べられそうだなぁって感じだなぁ。値段もそこそこするし。
・もつ鍋一藤。やま中とあまり違いも感じられないかも。いや美味しいんだけどね。
スープの味がどんどん変わるの最高。
鶏肉も色んな部位が食べられて面白い。結構味が違うので楽しい。
ただ1か月前とか、かなり早めに予約しないと空いてない。
煮込みすぎなんだろうけど、骨がボロボロになっていて、口の中入ってくるの最悪だった。
水炊きはもう少しお店行ってみたいなと思う。サンプルが少ない。
・やんだ竜の字:一人5000円程度
食べログ3.16
・六本松 一福:一人6500円程度
食べログ3.06
かなり美味しかった。おすすめ。こじんまりしてて、丁寧な仕事。
器とかもなんか可愛らしくて、お店の雰囲気にあっててよかった。
凄くいい店ってお店がゴロゴロある感じ。(特に天神とかから少し離れるといいお店が多い)
食べログ3.74。
さばも普通。感動は無かった…。
接客も微妙。店内狭くて、店員が背中にバンバン当たるけど、すみませんの一言もない。
最初にビール中瓶頼んだら、お一人様ワンドリンクは必ず注文くださいね。みたいなことけんか腰で言い始めたしね。
こういうお店があるので、福岡の居酒屋は、食べログを使ったら駄目です!!
美味しくもないし、安くもないのだけど、まぁここでしか経験できないし、楽しい。
長浜屋台街のまで行くと、観光客はいないと思うから、よいお店になってくるかも?
(詳しい人教えてほしい)
・スーパーで苺(あまおう)を買う。1パック400円で買えるのは確実にお得。
あと鳥刺しを買ってみるのもいいかも。僕はあんまり好きじゃなかったけど。
・Joyfullは地場チェーンだけど、まぁ行ってもいいし、行かなくてもいい笑。
都心のジョイフル(警固公園店ぐらしかない)は混んでるし、無理していくもんじゃないかなぁ。
・天ぷらひらお
行くなら、空港近くのお店(たぶん本店)が店舗デザインが面白くておすすめ。
カウンターが30mくらい並んでて、圧巻。
交通手段が無くて困るが…。
スリランカカレーのお店が沢山ある。ココナッツ効いてるカレー。
あと、お洒落スパイスカレー屋さんも沢山ある。(これから色々行こうと思ってる)
とりあえず、
・クヮッチースパイス ユクル
ってお店は、めちゃくちゃよかったので、おススメです。
まぁ観光来てカレー食べるのもちょっと違う気もするので、スルーでよいかもだけど。
店内にメリーゴーランドが日本で唯一設置されてて、動いてる。写真で見るより5倍くらいピカピカしてます笑
もし混んでたら、今の季節ならテイクアウトして大濠公園で食べても良いと思う。
・大濠公園
池の周りに柵とかがないから、なんか開放感がすごい。
調子に乗ってはしゃぐと、池に落ちそうになる。
あと草間彌生のかぼちゃあるので、そこで写真撮ってアート感じればOK笑
僕は乗ったら、手を振りまくってる笑
意外とみんなレスポンスくれる。
・アクロス福岡の山に登る
オープントップバスの待ち時間に、(オープントップバス乗場である福岡市役所のすぐ脇にアクロス福岡がある)
アクロス福岡の山に登るのありかも。
14階分登るので結構大変だが…。
・福岡競艇場
時間があって興味があれば笑
沖の方にでても面白くなかったので。
太宰府天満宮いくなら、ついでに九州国立博物館も行くのおススメだなぁ。
かなり大きいので、しっかり見ると時間かかるが…。
英語圏で ''Mochi'' という語がかなり餅アイス寄りの意味で使われています。
焼き餅、雑煮、大福の皮、和菓子の材料。そういう広い食文化の語です。
日本では、餅アイスのことを単に「餅」と言うことはまずありません。
ところが英語圏では、''mochi'' という語から「小さくて丸い甘いデザート」、とくに餅アイスを連想する人がかなり多いように見えます。
これは単に人気商品が広まったというだけではなく、
本来は上位概念である「餅」という語が、その一種である餅アイスに食われている、ということです。
''the original Mochi Ice Cream creator and company''
と表現していることです。
少なくとも公開されている時系列だけ見れば、日本側のほうが先です。
しかもMikawaya側で流通している話では、1984年に日本で「餅にアイスを入れたらどうか」と着想したことになっています。
だとすると、雪見だいふくの発売後です。
もちろん、公開情報だけで「見て真似した」とまでは断定できません。
ロッテを見学したとか、説明を受けたとか、技術提供を受けたという証拠は確認できませんでした。
それでも、
「先に日本で存在していたのに、後から自分たちを元祖のように語る」
のはかなり不誠実に見えます。
ここでよくあるのが、
という話です。
たしかに特許は国ごとの権利なので、日本で守られていても海外では止められないことがあります。
でも、ここで問いたいのは法的な白黒だけではありません。
この問題をさらに悪くしたのが、Netflix の ''Waffles + Mochi'' だと思います。
この番組の Mochi は、ただの「日本の餅」ではありません。
ピンクで丸い小さなキャラクターで、しかも ''Land of Frozen Food'' の住人です。
どう見ても、伝統的な餅そのものというより、冷凍デザート寄りです。
しかもこれは、Michelle Obama が前面に出た子ども向け教育番組で、Netflix で多言語配信されました。
という雑な理解を、
つきで補強してしまったわけです。
この件で本当に嫌なのは、
ことだけではありません。
むしろ多くの人は、
くらいまでは思っているはずです。
でもその具体像が、
に縮んでしまっている。
つまり、
中身はだいぶ別物になっている。
この問題は、単にお菓子が海外で売れたという話ではありません。
要するに、
''Mochi'' という日本語の上位概念が、後発の商品物語と商業イメージによって細く書き換えられてしまった、
ということです。
dorawiiより
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コーパス(小納言)だと「頭の中がお花畑」という用例が2005にある
一方で、国会図書館デジタルコレクションで揶揄する意味の「お花畑」の用例は、1990~2026の範囲で探した限りこれが最古だった。(追記メモ:「最古」って表現が後から読み返したとき誤った印象を生む?調べ始めるとっかかりとして最新から眺め、2000の用例を見つけ1990まで遡り手応えが全然ないので検索打ち切り、その範囲でもっとも時代が古いくらいの含意)
これが一番典型的な用例か
樋口, 直人 (2015-09-25)
。ネット右翼が「お花畑」56という表現で二分法に対する懐疑を揶揄するの…えてりゃいいやっていう、そういう時代じゃない。平和ボケっていわれる人たちがね、何とか気づいて
「平和ボケ お花畑」「右翼 お花畑」「左翼 お花畑」「学生運動 お花畑」で検索した (そう、学生運動付近の出来事を指して「お花畑」と言及する検索結果が見当たらないのよな、だから語彙として新しい?という予断になっている)
どうしても本物のお花畑とか「高山植物の群生地」が混ざるから捗らない
しかし、どうにも「のんきな」みたいな、小馬鹿に……と言うと明らかに言いすぎなのだが……するようなニュアンスと解釈できなくもない用例もまれにあったんだよなあ
成人男性に対して「少女趣味」というような感じというか、ちょっと違うか どれだったかな、メモっておけばよかった、また検索結果を舐めなきゃ
真面目にやるなら
「お花畑だ」「お花畑な人」「お花畑に行った」「頭の中がお花畑」のように前後の構文まるごと確認して分類分けとかしなきゃいけないのだろう
まあ真剣にやると疲れるんでね……
偽善の爆発 (ラッコブックス. 初級人間学講座 : 時事問題講義 ; 1)
関連があるかどうかはわからないが、この文脈、ニュアンスが合流した可能性も今は否定できない もっとしっかり調べないと
青空文庫は軽く探したが手ごたえなしだったのでしっかり舐めて見ていない
この検索結果を見るに
・2000~2005年の間にネットスラングとして一般化していそう
・遅くとも2015年には政治的なニュアンスが付与されていそう
今となっては個人ブログ、まとめブログなどから探す手法が現実的か
なにかの漫画とかアニメとか小説とかドラマとか、あるいは有名人の発言とかがきっかけで一気に普及した可能性も否定できない
嘘、しない
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「お花畑」の検索結果(2,902件) - はてな匿名ダイアリー - 146ページ
匿名はてなダイアリーだと2007-01-07が最古
2007年1月のいくつかの投稿を見るとすでに揶揄としての「お花畑」が定着していることがわかる
しかし今2026と微妙に構文が異なる気がしないでもない 興味深い
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mixiだと2005年に「電波お花畑」のような表現を拾えた……そうか、「電波」かあ
新しい検索キーワードに気付いたとき『都市伝説解体センター』みたいだなと思い少し笑う
1990~2000頃だけ使われた示準化石めいた死語があれば検索に便利なのだけれど
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2chにそのものずばり「電波・お花畑板」ってのがあったのか!
ずいぶん遠回りしてしまった
無知による恥の感情を今感じているが、必要経費 むしろ倒錯的に「私は無知です!だから今調べてます!学び!」という電子的露出狂めいた感情に昇華していく
しかし、1999年時点で板の名前になる程度にはスラングとして成立していたということ?
1990~くらいのサブカル?スピリチュアル?とか、そこらへんに源流があるのだろうか
「サブカル」が曖昧な言葉、具体的に何を指すか分解した方がいいはず
これまでまったく触れてこなかった領域だな この時期の情報はインターネットに表れにくいので文献など資料にあたる必要が出てくる
なんだろう、宝島とか、ムーとか、と学会とかそこらへん?全然詳しくない、一旦この時期のサブカル文化を説明した本とかに目を通して全容を把握できると嬉しいのだけれど
知っている人は知っているというか、ここらへんの事情に詳しい生き字引が普通にどこかにいそうな気もするわね
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「「現実を直視しない/都合のいい解釈をする人」を指す侮辱・嘲笑語の歴史」を追いかけているのと同じだな、これ……「平和ボケ」「電波」「お花畑」
そういえばある時期のサブカル文化はめちゃくちゃ露悪を是としていた、みたいな話を聞いたことがあるような そこに接続するのか? 延々と掘れるなこの話 面白い
「鬼畜系」ね
露悪な趣味の文化圏にいる人が露悪でないモノを指すときにもっぱら多用していたワード、というものがあるのでは……という勘
この勘に拘泥せず違うっぽいとなれば即棄却すること
『ゴーマニズム宣言』を通読したら「お花畑」という言葉選び登場しそうな気もするのだけど(やりたくないなあ) 『SPA!』とか『朝まで生テレビ!』とかそういうのに登場しそうな言葉でもある
うーん調査打ち切ろうかな、深追いしたら悪意に触れすぎて精神の健康に影響を及ぼすかも とりあえずデジコレで追えるぶんだけ追ってみるか 『週刊現代』だとスラングの「お花畑」の用例無かったがなあ
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頭の中に咲くイメージと頭の外とか上とかに咲くイメージとでズレ、シフトがある 面白い
漫画的表現で頭の上に一輪〜数輪、花が生えてる描写は確かにある←「直系」と考えてよい?どうやればそれを評価できる?なんか類似の話を探す グーグルスカラーとかで
ビジュアルイメージの検索はデジコレでは出来ない、探す場所を変える必要あり←どこ?
デジコレにしろコーパスにしろ検索対象のデータの偏りは意識すること
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お花畑 | ブログ | 小林よしのり全宇宙(漫画家小林よしのり公式サイト)
例えば「憲法9条があれば、他国は日本に攻めてこない!」といったような、極めて現実味に欠けた定番の左寄り思考を指す「お花畑」という表現はすっかり定着しています。
「すっかり定着」という言葉選びから「昔は定着していなかった」というニュアンスに読み取れる
なんというかいかにもこういう言葉が飛び交いそうな世界にいるであろう人がその認識なら、スラングとしての成立は比較的新しそうにみえる、という予断を補強する内容ではある←ブログ著者に詳しくない、あとで調べよ 「大須賀淳」……参画は比較的最近? 情報として弱くなったか
『危険な思想家』の呉智英もそうだが登場人物の名前で調べると同じ名前が関連項目に登場しがちというか、「界隈」がありそうというか この感覚は予断か
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「頭に花が生える」という漫画的表現の初出を調べるなら以下を参考に行うこと
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - posfie
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そういえば「お花畑」で調べていたが「花畑」で調べるのを忘れてた これは重大な見落とし 後で調べる この検索結果によっては方針が大きく変わるかも
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NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 単行本(ソフトカバー) – 2014/10/9
宮沢 章夫 (著, 編集), NHK「ニッポン戦後サブカルチャー史」制作班 (著, 編集)
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あっそうだ
『花』が“夢見がち・非現実的”というニュアンスを帯びる用例がいつ頃から見られるか?について調べる……とすればいいのでは?
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インターネット普及後の時代だと「コーパス/デジコレに載らない類の情報はある」というのはイメージできるのだけど
「コーパス/デジコレに収録されるような文献に記載されない戦後〜インターネット普及以前に使われた語彙」とは何?をしっかり自分がイメージできていないのかもしれないな
それをしっかり言語化して、どこを探せばいいかを認識して、場合によっては草の根をかきわけるような調査をしないといけない、ということかも……か
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解消のため一旦塩漬けにして全然別の別のこと考えよう 保留にしていた「日本の江戸、明治、大正、昭和(戦前、戦後)で「静電気」という概念がどのように変化していったのか」とか 途中まで調べてて読むべき論文が沢山出てきたから中断したんだったな メモをまとめるのにObsidian使ってみるか WIP
連続起業家ってさ、複数事業を上場なりそれなりにさせてから名乗るもんなのかなって思った。
山田進太朗氏→分かる
國光宏尚氏→うんうん
って感じで名前が出てくるのはどれも分かるんだけど、
件の溝口さんはさ、ちょっと違わない?お前連続起業家を名乗るの?
上の人たちは少なからず社会に影響を及ぼしてる複数の事業を起こしたから分かるよ。
でもさ、資金調達までじゃん。ゴールじゃないじゃん。資金調達は預けてもらっただけだからさ。
BACKSTAGEもWEINもさ、なんていうかそこまでじゃないじゃん。
なんかさ、格が落ちるというか。
クッキングマインみたいな番組で桜餅の葉っぱはなんのためって三択クイズがあって、本で読んだから迷わず桜の香りをつけるためを選んだら全部が答えだった。
なんだ騙したのかと本を再度読んでみると、桜の葉っぱが余ってたから使ってみた、桜の香りが評判で人気になった、とは書いてあったが、確かになんのためとは明言してないな。
とはいえ、元祖道明寺の人が型崩れを防ぐためとか水気を吸うためとか考えていたとは思えない。これは中日ドラゴンズの論理ってやつではないか?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260221164551# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaZlisQAKCRBwMdsubs4+ SJWcAQD1U5oBvgogJMD2H7ATHQEfjQmAEQ4Dxmf8KKc32HwksAD/YEYJPlHRAfyf bP4BfVFPTZeixJPxieBKJwF05DSCUgw= =Zl/U -----END PGP SIGNATURE-----