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はてなキーワード: ハトとは

2026-01-20

ハトになったつもりで生きると結構やれる

まず自分魔法軍七崩賢・黄金郷のマハトと思い込む

そして心の中にヴァイゼの領主・グリュックイメージする

やらなければいけない事や仕事に取り組む時、イメージを働かせる

心の中で会話する

リュック「これを夕方までに片付けなければならない」

ハト(僕)「そうか」

リュック「お前にはできるか?」

ハト(僕)「当たり前だ」

リュック「マハト、私はここの領主だ」

ハト(僕)「仰せの通りに」

そして仕事を始める

めちゃくちゃ集中できる

俺はマハトから

人間なら骨の折れる仕事でも朝飯前だ

2026-01-18

キジバトさんに年始挨拶をしたかったのと、先日図鑑に載っている野鳥171種を2年かけて探すというすばらしい記事を読んで鳥に会いたくて仕方なくなってしまったので、お土産の横濱レンガ通りをポケットに忍ばせていざ出発、人間の心が蒸発して霞になりそうな実にいいお天気だ。

いつもの噴水近くの場所には案の定キジバトさんはいなかったので(もうここには現れないと思ったほうがいいのかもしれない)、今日はもう少し先の大きめの自然公園に向かった。園内にあるちょっとしたハイキングコースの坂を上り、中腹の展望から向こうの景色を見渡すと確かにオモコロのすばらしい記事に書いてあった通り、木々の葉っぱがないぶん冬の方が鳥さがしには適しているのかなと思った。双眼鏡がないし最近メガネ度数が落ちてきているしで鳥がいるのはパッとわからない、多分そんなにいないと思うが、見晴らしがいいことは間違いなかった。背高のっぽのメタセコイアが風にあおられてゆらゆら揺れていた。

辺りに響き続けているさえずりは7割8割がヒヨドリさんの元気でやかましい声なのだが、耳をすませるとジージージーという変わった鳴き声がきこえて、調べるとそれはヤマガラさんの地鳴きだとわかった。どちらかと言うと虫の鳴き声に近い気がするなあと思いつつ、ヤマガラさんはとても小さいか目視では見つけられなそうだなあ…とざんねんな心地で砂利道を歩いていた。

と、その時!

5メートル先くらいに一羽のハトらしき大きさの鳥が地面を突いているのが見えて、逃げられないように静かにそろりそろりと近づいてカメラで拡大ズームをしてみると、キジバトさんだった!!ようやく会えた!あけましておめでとう!こんな山奥で出会えるなんてとてもうれしいと感動していたのも束の間で、上から降りてきた夫婦の方の足音キジバトさんはバサッと飛び去ってしまった。でもすぐそこの木の枝に止まったのが見えた。

しばらく周辺をうろうろしていてわかったのはこの辺りにはけっこうな数のキジバトさんが生息しているということだった。おなじみのホーホホッホホーのさえずり、笹やぶの上を歩いている時のガサガサ音、それに求愛か威嚇の際に出るといわれるあの「ぷぅ」も生で聞くことができた。すごいすごい。キジバトさんの楽園かここは?やはり餌も水辺も豊富から過ごしやすいのだろう。ちなみに持参した横濱レンガ通りは開封して欠片を投げてみたら普通に逃げられてかなしかったので僕が全部食べた。

さらに周辺をうろうろしている最中に、ヒヨドリぐらいのサイズ背中灰色と茶褐色交じりでお尻付近の両側の先端が白くなっている鳥が笹やぶの中にいるのを見つけた。初めて見る鳥だ…!と慎重に近づいたけど全然逃げないので写真もばっちり余裕で撮れて、拡大すると下嘴が黄色だということがわかった。ChatGPT5.2thinkingに撮った写真とその特徴を伝えると、これは高確率シロハラです、と答えてくれて、どれどれとググッてみるとまさにシロハラさんだった。さっきは後ろからしか見てなかったので改めて前から確認すると、たしかにおなかが白くてかわいかった。シロハラさんはずっと笹やぶのところをガサガサしていた。

しばらく休憩スペースで腰を下ろしてゼロの焦点を読みながら鳥たちの鳴き声や笹やぶのガサガサやシロハラさんが飛び立つときの「プペペペ」という声を聴いたりしていたけど、ふつうに足が寒いので帰ることにした。僕が一級魔法使いだったらストーブを出す魔法を使って暖をとりつつ日暮れまでのんびり過ごすんだけどそうもいかない。それでもとりあえずここに来ればキジバトさんには高確率で会えるとわかったので、ほくほく気分で公園を出た。

2026-01-14

anond:20250525210402

GLM-4.7-GGUF:UD-Q2_K_XL

イーハトーヴのある高原の、カツラ菜の花が咲き乱れる村に、みこちという男の子がいました。

こちは、村の中でも一番、といえば一番ですが、とびきり太っていました。まるで夏の終わりに膨らんだ白い南瓜か、あるいは二つならんだ巨大なアメンボのような体をしていて、歩くときは地面を「ドス、ドス」と震わせました。村の人たちは、みこちのことを「デブのみこち」と呼び、少々バカにしていましたが、みこち自身はまったく気にしていません。なぜなら、みこちは、その大きな体の中に、世界のすべての「重み」を包んでいるような、不思議に安らかな気持ちを持っていたからです。

こちの好物は、岩肌に生える薄紫色の「ホシミント」という草を、根ごと掘り出して、その根の甘さをしゃぶることでした。ある晩のことです。みこちはいものように、ホシミントをしゃぶりながら、高い丘の上で星空を見上げていました。

その夜は、空気中に微かな電気匂いがして、星々はまるでガラス水槽の中の金魚のように、冷たく鋭く瞬いていました。

ふと、みこちは、天の川ほとり、カシオペア座の腰のあたりに、奇妙な光を見つけました。

それは、普通の星のようにキラキラと輝くものではありませんでした。長く、長く、銀色の糸のようにのびていて、その先が震えているような、なんとも頼りない、しかしどこか切ない光でした。

「あれはなんだべ?」

こちが独りごちると、空から「ピリリ」と、小さな雷のような音が降ってきました。みこちの大きな耳の中で、誰かが話すような声がしたのです。

『俺は、鼻毛のスイセイだよ』

こちは目を丸くしました。

鼻毛……の、すいせい?」

『そうだ。俺は、六十万年に一度、大宇宙の鼻の穴から、少しだけ顔を出す細い毛なんだよ。まるで、お前の鼻から出ている毛と同じさ』

こちは慌てて、自分の広い鼻の穴を手で押さえました。でも、空の銀色の糸は、ますます美しく、青黒い夜空のスミにしみ込むように揺れています

『俺たち、鼻毛のスイセイはね』——星の声は、風に乗ったオルゴールのように続きました。——『宇宙くしゃみを止めるための、大事なブラシなんだ。もし俺たちがいなかったら、銀河系くしゃみをして、そのたびに何億個もの星が吹き飛んでしまうだろうよ。だから、俺はここで、空気の流れを整えているんだ』

村の人たちは、この奇妙な尾を引いた星を見て、嘲笑しました。

「なんだあれは。まるで年寄りの垂れ下がった髭の毛だ」

「いやいや、デブのみこちの鼻から出した毛が、空に映ったんだろうな」

こちは、そういう悪口を聞くと、胸の中が熱くなりました。彼はゆっくりと、両足で地面を踏みしめました。ドス、ドス。

「それは、ちがう」

こちは言いました。その声は、地鳴りのように、村の隅々まで響きました。

「あの星は、ぼくたちの宇宙を、くしゃみから守ってくれている、尊い星だ。あれは、だれの毛でもない。銀河系の、一番長くて、一番やさしい、祈りの糸なんだ」

こちがそう言った瞬間、高原の風が止まりました。そして、見る見るうちに、あの「鼻毛のすいせい」は、激しく輝き出しました。それは、嘲笑する人々の目に、まばゆい光の滝となって注ぎました。

その光は、冷たくも温かく、みこちの重たい体を、ふわりと包み込みました。みこちは、自分の体が、羽毛のように軽くなっていくのを感じました。村の人たちも、カツラ菜の花々も、そして遠くの山々も、みんながその銀色の光に染まりました。

ありがとう、みこち。俺の名前を、正しい名前で呼んでくれたお前の心臓は、本当に美しい星みたいに輝いている』

星の光は、いつしか夜明けの空の中に溶けていきました。けれど、みこちの胸の中には、あの銀色の糸が、いつまでも切れずに残っていました。

それからというもの、みこちは、村の人たちに「デブのみこち」と呼ばれても、全く悲しくなりませんでした。彼は、広い鼻の孔を大きくして、高原の風や、星空の匂いを深く吸い込みます

こち深呼吸をするたび、世界はどこかで安らぎ、大きな宇宙も、もう一度くしゃみ我慢するのだといいます

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2026-01-12

セスの曲がフリーレンに合ってないって決め付けてる人は

青のすみかを聴いてこんなキラキラした青春ソング呪術廻戦に合ってないって言ってそう

黄金郷編はデンケンと、マハトとグリュックの悪友関係がメインだからあれでいいと思うんだけど。

2026-01-09

マンション階段ハトの死骸があるけどどうすりゃいいの

2025-12-18

anond:20251218123842

竹本泉ハト型異星人はデー、デー、とか言ってたような

2025-12-16

犯罪者ハトと同じ

一度盗みが成功すると同じ所で何度も盗む。

ハトも一度ベランダウンコすると縄張り意識で立て続けにウンコする。網張っても何が何でもそこでウンコしたいから網に首ツッコんで死ぬ

 

犯罪者ハトと同じ頭のレベル

2025-12-14

秋葉原ハトは黒っぽいのが多い気がする。黒っぽいドバトさん、季節柄人間も黒い上着を着ているのが多いからお似合いだなあと思う。

今日は午前中雨が降ったから、そのせいで羽が湿ってずぶ濡れっぽくなり羽の灰色が濃くなっているドバトさんもいる。こういうのは弱っている個体なんだよと以前教えてもらってそれ以来ずぶ濡れのハトを見ると可哀想な感じがする。

僕の目の前に降り立ったドバトさんがまさにそんな感じで、灰色が濃いというか全体的に濡れていてダークグレーな見た目だったんだけど、それを見た通行人のおばさんが、

「私あの色のハトダメなんだよ、濃い色のハト、なんか強そうじゃない」と連れ添いの人に向かって早口で言っていた。

色が濃いハトは強そうに見えるというのは初めて聞いたのでちょっとおもしろいなと思った。

2025-12-13

死んだ親戚が団塊のクソビッチだったことを知った

親のハトコという遠い親戚の女性(以下おばさん)が春に死んでいたらしい。

一時期家が近かったこととその人の子供が自分年子だったこから増田が小さい頃には交流があったが、葬式にも呼ばれない程度の親族なので喪中の連絡として先日知った。

おばさんは団塊の世代にぎりぎり入るくらいの年齢だった。陽キャっぽいミーハー雰囲気のおばさんという認識だった。

喪中の連絡をきっかけに、思い出話というよりおばさんの子供も含め今後親戚づきあいもないし、時効の話として親が愚痴半分で彼女やらかしを教えてくれたが「昔陽キャだっただろうおばさん」のビッチエピソードだつた。

つの時代ビッチっているんだなというエピソード面白かったのでここにお焚き上げしておく。

高校の頃から家に毎回違う男を連れ込む

携帯がない時代から家の固定電話に男から電話がかかってくるが、男の名前がすぐに変わる

卒業時に地主的な名家の男を捕まえるも短大(専門学校?)に進学後名門私大の男に乗り換えて地主親族がやる飲食店デートをして本人的にはマウントをとる

高校から短大時代ムーブにより地元ビッチ血筋親族全体が評判になりおばさんの姉が外聞が悪すぎるとして破談、同時期に地元企業内定を取り消しをされた親族もいておばさんのビッチが原因との疑惑がある

職場の同期先輩と片っ端から交際し、そのうち実家が太い次男結婚

地元の人や職場食い荒らしメンバーも全員結婚式に招待、参列し地獄結婚式が行われるも本人は他の男にマウントを取ったつもりのため気まずさに気づかず

父親は恥ずかしい尻軽の娘と思ってたらしいが母親の中では「美人で男が放っておかない自慢の娘」という歪んだ認知をしていたため結婚式に地元元彼の親まで招待する

・その後不倫するも親がお金解決する、ただしそのとばっちりで弟は学費が足りず奨学金を借りる

などなど……あとは忘れた。

真実小説より奇なりとはこのことかと思った。

聞く方としては笑えるが、親戚づきあいや近所付き合いが多かった当時は増田の親や他の親族としては笑い事ではなかったそうだ。

今だったらSNSマウント取りまくった後に個人情報晒されて炎上していただろう、しかし周りが迷惑を被るのは何時の時代も変わらない。

すぎのおばさん、あの世では男でトラブルをおこすなよ。

2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室 化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作 キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬 アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1 新潟VS山口 総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

2025-12-06

千葉市動物公園あきらめて今日のんびりまつやのとり野菜みそで鍋を作ってそれをつつきながら嘆きの亡霊でも見よ、と思って、スーパーへ買い出しに行く途中、ファミマの手前のなんでもないようなところでドバトさん(単独)に遭遇した。ここでドバトさんを見たことは今までになくちょっとびっくりした。体はほっそりしていて胸元の紫がひときわ鮮やかなドバトさんだった。

スーパーから帰る途中の橋のところにハクセキレイさんを見つけた。川の上に架かっている名前の知らないパイプ(水管橋と言うらしい)のうえにも一羽いた。チュチュチュッ、チュチュチュッ、と地鳴きしていて、互いにコミュニケーションを交わしているようにも見えた。僕は買ったばかりの白菜のびらびらの部分をあげようと思って近づいたが、普通に逃げられた。この人間こわい!気をつけろ!と警戒されたのかもしれない。

もう少し進むと信号待ちで止まっている車のかげからドバトさんがよちよちと横断してくるのが見えた。紫が鮮やかだったからおそらくさっきのドバトさんだろう。赤信号とはいえあぶないことするなあ、というかまだここにおったんかい、と思った。このドバトさんならもぐもぐ食べてくれそうだし白菜の切れ端を与えてもよかったが人目が多く、ええ年して公衆面前でコラ!ハトに餌付けするな!と怒られても嫌なのでドバトさんにはわるいが黙って通り過ぎることにした。それにしてもこのドバトさんはこんな何もない周辺で何の目的でうろうろしているんだろう。

2025-12-02

アンサイクロペディア浸食 - side C -

アンサイクロペディアAI侵略するノイマン氏を悲劇人物に仕立て上げる、元側近ウソディアンを名乗る人物による気持ち悪い記事がXのタイムラインで流れてきた。

読んでみると、そもそも私信と思われる情報暴露することの背信からして、恐らくはノイマン氏に身バレする前提での捨て身の特攻をしたのだろう。それにしても第三者は真偽を検証不能であり、気持ちの悪い記事であった(※1)。当のノイマン氏も「反応に困る」と書いている。

Side Uなるものは、第一人気投票1位という経歴はあの人も同じなのを知ってわざと被せる高等芸でもやっているのかしらね?何にしても反応しにくい書かれ方だけど、ブレーキをかける真似をしつつ私を殴り抜いていくスタイルだよね、あれ。真正から対立勢力なら風刺記事かにやすいけど、ああいうのは反応しづらい。

ウソディアはかつてハトレーペディアとも呼ばれ、当時のアンサイクロペディア北朝鮮であるなら、こちらはシンガポールといったところであった。開発独裁ならぬ開拓独裁毛沢東ならぬ開拓東、MuttleyならぬHuttley。

ウソディア5chスレを探していくと、このような記述はいくらでも見つかる。アンサイクロペディアノイマン氏=ウソディア開拓者氏の活動は、確かにコミュニティを発展させたが、ただそれ「だけ」であり、そもそもから本音で支持されている人物ではなかったのではなかろうか。

本稿では、そのノイマン開拓者氏に、かつてBakaba氏の名の下で侵略を受けた一借民の視点からノイマン氏はそもそも「昔からああだった」と主張したい(※2)。

「正しさ」だけで動く人物

ChakuwikiにおけるBakaba氏は、確かにLTA:ANTIRXYとしてChakuwikiでのMuttley氏を追い詰めた人物であり、鉄槌後のアンサイクロペディアンも概ねその見解を支持しているように見える(※3)。また、いずれも議論は紛糾したものだが、移転問題ライセンス問題、どちらにおいても「結論だけ見れば」Bakaba氏の意見は正しかった。確かに「正しかった」のである

後にフォークでは実際に広告が導入されているが、Bakaba氏はそれすらも予言している。

しかし、旧ドメインを取得し、更には公開がより早かったことによる優位性を有するフォークにしても、中の人の噂の確度は高いようですから永久広告なしで無償提供するほどの善意の有志だとは考えにくいです。

だが、その際に反発していた吉田宅浪氏への返答には、「どうしてこいつ分からないの?」という苛立ちが発言の節々から透けて見える。

ただ、「私がやるから」という理由で反対することがそんなに重要ですか?「誰がやるか」ではなく、「何が必要か」で物事を考えるようお願いいたします(※4)。

一般論としても、我々で独自ルールを作ることにこだわった場合、良く練り上げられたCCライセンスに比べると何らかの隙や不備、矛盾等が生じやすいため、コミュニティ全体が移転などの重大な決定に迫られたときの足かせになりかねません(※5)。

からすれば、吉田宅浪氏は、自分の考えを丁寧に練って納得したうえでステップを積み重ねたいだけの、職人気質の人に見える。Bakaba=ノイマン氏は、初めからそのような丁寧さや「過程」に対して、「正解」や「最終結果」が一瞬で見えてしまうがゆえに「なんでそこで止まっているの?」というのを根本的に理解できない人なのではなかろうか(※6)。

AIによる「加速」

そのような「正しさ」だけで生きる人間Bakaba氏を、ノイマン氏が用いるAIは「加速」させたに過ぎない。一定以上の品質記事を安定して生産し、助役CU管理者誕生を推薦を通じて支援するその姿は、確かに形式的には「正しい」活動である。にもかかわらず、ノイマン氏は「正しさ」だけですべてを破壊していくように見える。

これはあくまでも私のカンしかないのだが、ノイマン氏は根本的に異常に頭の良い「浮きこぼれ」だったのではないかと思う。例えばアンサイクロペディアDiscordサーバーでは、「ごめん、灘には負けるけど安定して東大いってる...」と発言したスーパーカリ~シャス氏に対して、以下のような返信を残している。

東大全体なら三桁からスタートラインだぞ

このような発言をして、自分自身へのブーメランにならずに平気でいられるルーツを持つ人間はかなり絞られてくる。そして皮肉にも氏は、そのようなルーツに該当しうる学校記事アンサイクロペディアで三つも立てている。

麻布中学校・高等学校 - 開成桜蔭を手掛けてきた私ですから、当然の如く他の名門校推しますわね?--/* ノイマン */ import 👤, 💬; var 🖊=2,219;■ 2025年11月5日 (水) 14:19 (JST)

英語圏とのコミュニケーションが求められ、唯一の日本人であることが買われたMirahezeなどでは、その「正しさ」「浮きこぼれ」が役に立ったのだろう。そして同じく「正しさ」でものを考えるAIは、ノイマン氏にとっては非常に頼れる、下手したら唯一信頼できる相棒ですらあるのかもしれない。

しかしながら、チャクウィキアンサイクロペディアのような伝統的な(※7)コミュニティにおいては、「正しさ」だけでなく、「手垢」や「お気持ち」、そして「過程」が大事であることをノイマン氏は理解できていない。ノイマン氏は、そこに無関心であるか、意図的無視すらしているようにも見える。

編集画面にも「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と明記されており、それはライセンス的にも正しいことの訳ですから、その意味では「{{rewrite}}を使え」という方がそれこそ「紳士協定」なのかな、と思わなくもないです

総本数 - これは諸刃の剣で、もっとAI君書いて全体指標を上げようぜ、という方向にも持っていけます。というか総本数を根拠にするなら、それが合理的解決策ですらあり得ます

ノイマン氏の理屈は、確かに終結果に照らせば「正しい」のだろう。だが、「正しさ」だけでは人間は生きていけない。そうした風潮への反発は、今や反AI、反ポリコレ、反wokeなどとして、アメリカ西海岸価値観への反発の形を取って世界なうねりになっている。人間というのは、そこまで理性的動物ではない。それは、自作記事の一つでこう書いた氏自身も深層ではよく理解しているはずである

ホモ・サピエンス(homo sapiens)とは、バグだらけのレガシーソフトウェア

そこで筆者は、マリーダ・クルスの以下の発言ノイマン氏に贈る。

お前の言うことは間違っていない。正しい戦争なんてない。でも…正しさが人を救うとは限らない。

光がなければ人は生きていけない

終わりに

鉄槌を受けたMuttley氏は「隕石落とし」をしようとしたシャアであった。Muttley氏には、曲がりなりにも本人個人の「熱い正義」があった。

今、ノイマン氏はしばしばMuttley氏の同類、鉄槌の再構成などと言われるが、私は正確にはそうは思わない。ノイマンからフル・フロンタルのような冷たさを感じる。

いつか、ノイマン氏が人間の心を理解することをただ祈ることしかできない。

脚注

2025-11-30

多摩動物公園ハトを眺めていた。カラスバトさんとソデグロバトさんとアオバトさん。

カラスバトさんは名前だけだとカラスなのかハトなのかわからない紛らわしい名前だが、目が黒くてクールハトだった。お馴染みのドバトさんみたいに緑色と赤紫色の光沢があって綺麗だった。

檻の中には一心不乱に餌箱の餌をぱくぱく食べている個体止まり木の上でじっとふくらんだままの個体がいた。

同じ檻に手乗り文鳥をそのままデカくした感じのイワシャコさんがいたけど、喧嘩したりしないのだろうかと思った。

ソデグロバトさんは名前にクロってあるけど見た目は真っ白でふわふわ可愛いハトという感じだった。翼の袖の位置にあたる羽根は確かに黒かった。ソデグロバトさんは止まり木の上に見張りみたいにずっといた。ここもコサンケイさんが同じ檻にいたんだけど、石の後ろに隠れたままで姿は見えず。

アオバトさんは嘴が青く羽はくすんだ黄緑色といった見た目で、通る人たちがみな口を揃えて「綺麗ね〜」と称賛するくらいに綺麗だった。途中で20秒間くらいにらめっこしていて、アオバトさんが羽づくろいを始めたので僕の勝ちになった。

その隣の檻は別のカラスバトさんの檻で、ニジキジさんというキジシェアルームだったがニジキジさんは奥のほうでじっと固まったままだった。

ここのカラスバトさんは僕のほうを見つめてしきりにホウーホウーと鳴いていて、これは友好の挨拶をされているのか威嚇されているのか判断がつかなかったが、ずっと見つめ返しているといきなりおじぎするみたいにこくこく頭を下げてきたかカラスバトさんなりの小粋な挨拶だったのかもしれない。

お腹が空いたんで今は売店で体によさそうなカレーを食べているところ。またハトさん見て、そのあとぐるりと他の所を見に行こう。

そういえばキジハトエリアの隣のサル山でハクセキレイさんを見たんだよね。また尾羽ふりふりを見られてうれしかった。でも間も無くしてめっちゃ金玉かいニホンザルが声荒げながらガチいかけっこしてたのに驚いて飛び去ってしまった。残念〜。

2025-11-19

駅に向かって歩いていたら民家の車の影からスズメさんがピューって僕の目の前を横切って飛び出してきてけっこうビビった。しかもそのスズメさん、車道のど真ん中で着地するもんだからさらビビった。車きたら轢かれたらクチャッてなっちゃうよ!危ないなあもう。

そういえば以前、駅のバスロータリーハトさんと思しき灰色の羽毛がアスファルトにこびりついているのを見かけて、うわー轢かれて死んだのかなーってちょっと悲しくなってしまったよ。

ところで鳥が車に轢かれたらパァンと破裂すると聞いたことがあるけど本当なのかなあ。まあその真実は知りたくもないけど。

そんなことを思いつつ駅周辺に来たら西の方からキジバトさんのほーほっほほーって鳴きごえが聞こえてきた。どこにいるかはわからなかった。声が聞けてうれしいなという気持ちと、最近姿を見てなくて寂しいなという気持ちがぐるぐるしていた。

2025-11-16

うーん今日ハトを見かけなかった。しょんぼり

今日は別の方面に用があったのだけどキジバトさんがいたらいいなあと思って遠回りしていつもの道を通ったものの、キジバトさんはいなかった。このまま年内はもうずっと会えないのかもしれない。

こうしてキジバトさんに会えるか会えないかでその日一日の気持ちがなんとなく浮き沈みするのを、自分でも実に不思議だなあと感じる。ただの野生のハトに何の特別感情を抱いているのだろう。

駅の周りにドバトさんくらいはいるだろうと思ったけどドバトさんもおらず。一体どうなっているのか。

2025-11-04

黒月のイェルクナハト (漫画)

1話見て、これパクリなのでは?と思って「作品名_月姫」で検索したら沢山出て来て吹いた。

これだけ炎上して今も連載してるのが凄い。やっぱ世の中やったもん勝ちだよなー。もしカドカワなら即刻終わってたと思う。

2025-11-03

珍しい。駅前に行ったらハトが一羽もいなかった。こんなこともあるんや、と思って北口の方も確認したけどいなかった。

今日ほとんどドバトさんの姿を眺めて癒されるつもりで出かけたからちょっぴり寂しい気持ちになった。マリビスケットも持ってきてたのに。

諦めきれないので駅前のベンチに座っている。ざっと15分くらいハトさんの姿を探したけどやはり見つからない。

空は雲ひとつない爽やかな秋晴れ。とはいえ風がすこぶる強くて普通に寒いハトにしてみたら強風の日に飛ぶのは結構しんどいだろうし、活動を控えめにしているのかもと思った。

2025-10-29

anond:20251029133344

大変興味深い質問です。

ナチス高官のIQに関するデータは、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判の際に、心理学者グスタフ・ギルバートによって実施された知能検査(ウェクスラーベルビュー成人知検査ドイツ語版)の結果として残されています

この結果を現代スコアに変換したという直接的な研究は見当たりませんでしたが、先の回答でご説明したフリン効果考慮して、当時のスコア現代でどのように見なされるかを考察することができます

ニュルンベルク裁判被告IQスコア

順位人物役職(当時) 測定されたIQスコア
1位 ヒャルマー・シャハト (無罪) ドイツ中央銀行頭取 143
2位 アルトゥール・ザイス=インクヴァルトオーストリア総督 141
3位 ヘルマン・ゲーリング国家元帥 138
同3位 カールデーニッツ海軍元帥 138
5位 フランツ・フォン・パーペン (無罪) 副首相 134
最下位ユリウス・シュトライヒャー シュテュルマー紙オーナー106
平均 被告人全体 - 128

現代スコアへの考察(フリン効果適用

IQテストは、その時代集団の平均が100になるように調整(標準化)されていますニュルンベルク裁判が行われたのは1945年1946年で、現代2020年代)まで約80年が経過しています

1. フリン効果による上昇率の仮定

一般的なフリン効果の上昇率(10年で約3ポイント)を適用すると、80年間でのIQスコアの素点の上昇は以下のように推定されます

上昇ポイント ≒ (80年 / 10年) × 3ポイント= 24ポイント

2. 現代テストでの推定スコア

これは、1940年代の平均100の集団が、もし現代テスト標準化なしで受けた場合、平均124スコアを取るということを意味します。

逆に言えば、当時の高いスコア現代尺度評価する場合、この上昇分を差し引く必要があります

3. ナチス高官の「現代換算」IQ推定

当時のスコアからリン効果による上昇分(約24ポイント)を差し引くと、現代標準化されたテストで測定した場合相対的位置けが推定できます

人物 測定されたIQスコア推定される現代相対的IQスコア (約24P減算)
ヒャルマー・シャハト 143 119
ヘルマン・ゲーリング 138 114
被告人全体(平均) 128 104
ユリウス・シュトライヒャー 106 82

考察結果

リン効果考慮すると、当時の「非常に高い」スコア(130台後半〜140台)は、現代尺度では平均より少し上〜高い(IQ 115〜120程度)という位置づけに下がる可能性があります

anond:20251029124912

高いんじゃないの麻原はデータないけど高学歴信者まとめてたかIQ高そうだけど

ナチスに関しては裁判にかけられた奴らがIQ検査されてるけど

ヒャルマル・シャハト博士 143

アルトゥル・ザイス=インクヴァルト博士 141

ヘルマン・ゲーリング 138

みたいに高かったみたいだよ

2025-10-17

鳥のブクマカさん(随時更新

kurotsuraherasagiさん:クロツラヘラサギ

sonzincさん:ドバト

lliさん:カモメウミネコ

monotonusさんコウテイペンギン

dazz_2001さん:ペンギン

matubuseさん:ワシミミズク

aekaさん:フンボルトペンギン

about42さん:スズメ

as62さん:オニオオハシ

chico_chicaさん:カモメ

hideaさん:キングペンギン

oritakoさん:ジェンツーペンギン

pollyannaさん:スズメ

RondonZooさん:ワシ

seven_czさん:ジェンツーペンギン

shimasobaさん:アカショウビン

taro-rさん:キングペンギン

uehajさん:スズメ

utsuroさん:キングペンギン

yas-malさん:クジャク

kkobayashiさん:ニワトリ

ootsukawaiwaiさん:オウム

sheaさん:カモメ

hatophoneさん:ハト

penguin_daneさん:コウテイペンギン

mobanamaさん:シロハラインコ

border-dwellerさん:コウテイペンギン

YQsanさん:ペンギン

naruruuさん:フクロウ

highPlace_famさん:ウロコイン

 

あんまりいなかった

犬のブクマカさんとか猫のブクマカさんの方が多いか

(251018追記

↑そうでもなかった! 

コメントの人、トラバの人、教えてくださりありがとうございます

2025-10-09

anond:20251009074231

SNSの利用が特定心理的メカニズムと非常によく似ているという指摘は、多くの心理学者行動経済学者が着目している点です。

「何もない部屋で、退屈を紛らわすために自ら電撃を選ぶ」という実験は、人間が何もしていない状態(退屈)を極度に嫌うという事実を示しています

SNSは、この「退屈」という苦痛から逃れるための手軽な逃避先を提供します。投稿スクロールすることは、ある意味で「刺激」を求めて自ら電撃を食らいに行く行為に似ているかもしれません。

実験では、特に男性が退屈な状況で自発的電気ショックを選ぶ傾向が強かったという結果が出ています。これは、一般的男性が「刺激追求」や「リスクテイク」の特性をより強く持つ傾向と関連している可能性があります

ボタンを押したら餌が出たり出なかったりする(ランダムな)装置のほうが、餌が確実に出てくる装置よりも中毒性が高い」というハト実験は、心理学で「間欠強化スケジュール」と呼ばれています

これはギャンブル依存メカニズムと全く同じです。

1. 確実な報酬(常に「いいね!」がつく): すぐに満たされ、やがて飽きる。

2. ランダム報酬(たまにバズる、通知が来る): 次に成功するかもしれないという期待感ドーパミン放出)を持続させる。

SNSの「いいね」「コメント」「リツイート(リポスト)」の通知や、たまたま自分投稿がバズったとき快感は、まさにランダムに与えられる「餌」です。

この「いつ、どれくらいの報酬(刺激)が得られるか分からない」という仕組みこそが、私たち無意識に何度もSNSを開いてしまう行動を強力に駆り立てていると言えます

この二つの心理的な罠(退屈を嫌う心と不確実な報酬への依存)の組み合わせが、SNSの止められない魅力を作り出しているという解釈は非常に的を射ていますね。

2025-10-08

anond:20251008024101

ちょっと前までは合法だったんだよ。

その法律罰則規定がない理念法だったし、今だってネズミとかは自分駆除するように。

で、今法に触れるのは、「愛護動物

愛護動物とは

 1 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

 2 その他、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬虫類に属するもの

牛も馬も豚も、その辺で野生化したやつはいないけど、注意が必要なのが犬、猫、ウサギハト

2の規定はヒトが占有している、つまり所有権がはっきりしてる動物だけなんだけど、犬、猫、ウサギハトは所有者がわからなくても、害獣害鳥として駆除しちゃダメでさ。

保健所に連れて行っただけでダメかというと、厳密にいうと放さなくちゃいけないってだけで保健所につれていったことが罪を増やすわけじゃないんで、そこについては要するにカスハラ、単に業務妨害しかないんだが。

もう一度いうと、野良猫愛護動物

一方で、へずまりゅうが言ってる鹿とかは、宗教上の理由奈良公園の中では保護してるだけで、あれは害獣

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