東町団地跡(北海道/上砂川町)
北海道の空知地方にある上砂川町は、かつて産炭地として他の空知炭田群とともに石炭産業を通じて日本経済の発展を支えた時代がありましたが、同産業の衰退とともに人口が減少、今では2,400人余り(2024年6月30日現在)の小さな自治体となっています。 町内には主なき家々が散見されますが、その中でも地区全体が無人化した「東町団地」には、ガラス窓が外された集合住宅が立ち並ぶ異様な光景が広がっています。2024(令和6)年4...
北海道の空知地方にある上砂川町は、かつて産炭地として他の空知炭田群とともに石炭産業を通じて日本経済の発展を支えた時代がありましたが、同産業の衰退とともに人口が減少、今では2,400人余り(2024年6月30日現在)の小さな自治体となっています。 町内には主なき家々が散見されますが、その中でも地区全体が無人化した「東町団地」には、ガラス窓が外された集合住宅が立ち並ぶ異様な光景が広がっています。2024(令和6)年4...
少し前の話題になりますが、岡山駅~出雲市駅間を結ぶ特急「やくも」に充当されていたJR西日本381系電車が2024(令和6)年6月15日をもって定期運用を終了、273系電車への置き換えが完了しました。 381系電車は山間の曲線部でも速度を落とさずに通過できる振り子式特急電車として、1973(昭和48)年の特急「しなの」を皮切りに、1978(昭和53)年には特急「くろしお」、1982(昭和57)年には特急「やくも」でそれぞれ運用が...
宮之城線は鹿児島県・川内市(現薩摩川内市)の川内駅から同・大口市(現伊佐市)の薩摩大口駅までの66.1kmを結んでいた路線です。1924(大正13)年の川内町(後の川内)駅~樋脇駅間13.4kmの開業を皮切りに延伸を続け、1937(昭和12)年の薩摩永野駅~薩摩大口駅間18.6kmの開業をもって全通しました。 その後、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1984(昭和59)年に第2次特定地方交通線として廃止承認され、国鉄民営化を...
山野線は熊本県・水俣市の水俣駅から鹿児島県・栗野町(現湧水町)の栗野駅までの55.7kmを結んでいた路線です。栗野側は1921(大正10)年の栗野駅~山野駅間23.6km、水俣側は1934(昭和9)年の水俣駅~久木野駅間14.3kmの開業を皮切りに、1941(昭和16)年の久木野駅~薩摩布計駅間8.3kmの開業をもって全通しました。 その後、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1984(昭和59)年に第2次特定地方交通線として廃止承認され...
「今福線は広島と浜田を結ぶ広浜鉄道の島根県側のルートとして昭和8年、旧国鉄山陰本線の下府駅から石見今福駅までが着工されました。しかし、工事がほぼ完成した昭和15年、太平洋戦争のため中断されました。 戦後、今福線旧線とは別に浜田駅を起点とする今福線新線として工事が再開されましたが、昭和55年、国鉄の慢性的赤字経営の影響により、工事が中止されました。その後、工事を引き継ぐ事業者も現れず未成線として終わり...
豊橋鉄道・田口線は、愛知県・鳳来町(現新城市)の本長篠駅から同・設楽町の三河田口駅までを結んでいた22.6kmの路線です。1929(昭和4)年の鳳来寺口(後の本長篠駅)~三河海老駅間開業の後、部分開業を経て1932(昭和7)年に三河田口駅まで全通しました。 木材輸送を目的として敷設された路線でしたが、1965(昭和40)年に水害により一部区間が不通となり、1968(昭和43)年には全線が廃止となりました。2023(令和5)年8月...
北海道の中湧別駅~網走駅間89.8kmを結び、1987(昭和62)年3月20日に全線が廃止された湧網線の廃線跡を巡る旅。前編に続き後編では、仁倉駅跡の少し先の廃線跡から終点・網走駅までを辿ります。 ▼仁倉駅~浜佐呂間駅間の廃線跡。 ▼仁倉駅~浜佐呂間駅間の廃線跡。 ▼浜佐呂間駅跡。中湧別駅から46.0km地点。1952(昭和27)年の常呂駅~当駅間の開通に伴い開業。 ▼開業当時の駅名は下佐呂間駅で、1963(昭和38)年に浜...
湧網線は北海道・上湧別町(現湧別町)の中湧別駅から同・網走市の網走駅までの89.8kmを結んでいた路線です。1935(昭和10)年の湧網西線(中湧別駅~計呂地駅間16.5km)・湧網東線(網走駅~卯原内駅間13.2km)の開業を皮切りに東西両側から延伸を続け、1953年(昭和28)年の佐呂間駅~下佐呂間駅間16.7kmの開業により全通しました。 その後、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1984(昭和59)年に第2次特定地方交通線に...
「庭箱鉄道では谷汲駅の地域活動の拠点としての活用を目指し、保存活動を超えた活用方法を模索し日々活動しております。現在は主に第三日曜日の駅務室の営業、資料室の開放と毎年秋に行われている赤い電車まつりなど各種イベントの企画・運営を行っております。また、貨物鉄道博物館から維持のため借用させていただいているアントの整備も同駅で行っております。」(公式HPより) 2023(令和5)年10月15日(日)は旧谷汲駅構...
かつて旧国鉄・足尾線(現わたらせ渓谷鐵道)の神土(ごうど、現神戸)駅~沢入(そうり)駅間は、現在とは別の経路を辿っていました。1973(昭和48)年、ダム建設に伴い草木トンネル経由の新線に付け替えられると旧線はその役目を終え、1978(昭和52)年の草木ダム完成とともにほとんどの区間が水没してしまいました。 それでも一部の区間は水没を免れ、特に神土駅側の旧線区間は遊歩道として活用されています。2023(令和5)...
大井川鐡道・井川線の閑蔵駅近くには、かつて学び舎だった建物が今も残されています。「井川村立井川小学校閑蔵分校」跡、1965(昭和40)年の閉校だそうです。2023(令和5)年10月某日に訪問した時の様子をコメントなしで順にご紹介したいと思います。 訪問日:2023年10月...
JR東日本・田沢湖線の赤渕駅から北西の方角約1kmのところ、国道46号線から少し山へ入ったところに廃駅跡が残されています。盛岡駅から生保内駅(現在の田沢湖駅)を経由して大曲駅に至る路線の途中駅として計画された「橋場駅」です。 1922(大正11)年に「橋場線」として盛岡駅から当駅までが開業しましたが、翌1923(大正12)年の関東大震災の影響で延伸工事が中止、戦中の1944(昭和19)年には不要不急線として雫石駅~橋...
「明治44年から平成11年まで90年間にわたり、名鉄美濃町線は市民の足として親しまれてきました。美濃—新関間の路線廃止に伴い、歴史ある駅舎を整備し、美濃町線にゆかりのある『モ512号』『モ601号』『モ593号』の路面電車3両及び電車に関するパネルを展示しています。美濃市出身の歌手 野口五郎さんの『私鉄沿線』の舞台として五郎ファンからも熱い支持を受けています。」(「美濃市観光協会」HPより) 2023(令和5)年10月...
「川根小山駅から徒歩5分のところには『牛の頸』の地形を活かして、明治43年に日英水電によって作られた小山発電所跡があります。大井川水系初の発電所で、昭和11年まで島田、浜松方面に送電していました。近辺には、貯水池跡、旧井川線のトンネル、小山の吊橋の先に、発電所建設の構想を進めた鈴木久一郎翁の記念碑があり、ちょっとした散策におすすめです。」(「川根本町」HPより) 2023(令和5)年8月某日、大井川鐡道・...
幌内炭鉱はかつて北海道・三笠市にあった炭鉱で、1879(明治12)年に官営炭鉱として開山、3年後の1882(明治15)年には石炭輸送のための幌内鉄道(後の幌内線)が幌内駅まで全通しました。これは東京(新橋)~横浜間、大阪~神戸間に次ぐ日本では3番目、産業用としては初めての鉄道であり、北海道開拓史を語る上でも欠かせない存在となっています。 炭鉱の遺構のいくつかは地元市民団体などの手により維持管理されれいます。20...
「この橋は旧国鉄根北線のために昭和14年に着工完成した10連アーチ橋で、全長147m、高さ20mあり、当時のコンクリート建築技術を伝える建造物として、また戦時下の過酷な労働を伝える歴史遺産として貴重なものです。 根北線は昭和32年に斜里~越川間が開通しましたが越川橋梁までは線路が延びず、昭和45年に廃線となっています。その後昭和48年の国道244号線の拡幅工事のため橋脚が2本撤去され現在の姿になりました。」(現地の...
万字線は北海道・岩見沢市の志文駅から同・栗沢町(現岩見沢市栗沢町)の万字炭山駅までを結んでいた23.8kmの路線です。万字炭鉱からの石炭輸送のため、1914(大正3)年に万字軽便線としてに全線が開通、これを契機に沿線では炭鉱開発が進み、美流渡炭鉱や朝日炭鉱など多くの炭鉱で採掘が始まりました。 その後、炭鉱の閉山により旅客・貨物量ともに減少を続け、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1981(昭和56)年には第1...
北海道の名寄駅~遠軽駅間・中湧別駅~湧別駅間の全長143.0kmを結び、1989(平成元)年5月1日に全線が廃止された名寄本線の廃線跡を巡る旅。中編に続き後編では、富丘駅より先の廃線跡から終点の遠軽駅までの廃線跡を辿ります。 ▼富丘駅~渚滑駅間の廃線跡。こちらは「円野川橋梁」。 ▼他にも、小川に架かる橋梁や…。 ▼橋台が残されています。 ▼富丘駅~渚滑駅間の廃線跡。渚滑川を渡る手前。 ▼渚滑駅跡。名寄駅か...
北海道の名寄駅~遠軽駅間・中湧別駅~湧別駅間の全長143.0kmを結び、1989(平成元)年5月1日に全線が廃止された名寄本線の廃線跡を巡る旅。前編に続き中編では、上興部駅より先の廃線跡から富丘駅までの廃線跡を辿ります。 ▼上興部駅~西興部駅間の廃線跡。 ▼「瀬戸牛川橋梁」が残されています。 ▼西興部駅跡。名寄駅から45.2km地点。1921(大正10)年に瀬戸牛駅として開業。駅の痕跡はありません。 ▼六興駅跡付近。1...
名寄本線は北海道・名寄市の名寄駅から下川・興部・紋別・中湧別などを経て同・遠軽町の遠軽駅までを結ぶ本線138.1kmと、同・上湧別町の中湧別駅と同・湧別町の湧別駅までを結ぶ支線4.9kmとで構成されていた路線です。 1915(大正4)年に遠軽方の遠軽駅~社名淵駅間4.5kmが、1919(大正8)年に名寄方の名寄駅~下川駅間16.5kmが夫々開通、以降延伸が進められ、1921(大正10)年の上興部駅~興部駅間28.9kmの開業を以って全通、1...
JR四国・内子線は今でこそ松山~宇和島間の特急「宇和海」の走行区間として重要な役割を果たしていますが、この短絡ルートが開通する1986(昭和61)年までは愛媛県・大洲市の五郎駅と同・内子町の内子駅とを結ぶ僅か10.3kmのローカル線でした。 一部区間は新線に付け替えられ、旧線の一部は今もレールやトンネルが残されています。2023(令和5)年6月某日、旧線唯一のトンネル(二本松トンネル)と旧内子駅との間を歩いてみま...
北海道の深川駅~名寄駅間121.8kmを結び、1995(平成7)年9月4日に全線が廃止された深名線の廃線跡を巡る旅。中編に続き後編では、添牛内駅跡の少し先の廃線跡から終点・名寄駅までを辿ります。 ▼大曲仮乗降場跡付近。深川駅から72.2km地点。1955(昭和30)年開業、1976(昭和51)年廃止。 ▼添牛内駅~共栄駅間の廃線跡。 ▼廃線跡は再び国道275線の下を潜ります。 ▼初瀬尾跨線橋から…。 ▼廃線跡(深川方面)を望む...
北海道の深川駅~名寄駅間121.8kmを結び、1995(平成7)年9月4日に全線が廃止された深名線の廃線跡を巡る旅。前編に続き中編では、新成生駅跡周辺から添牛内駅跡の少し先までの廃線跡を辿ります。 ▼新成生駅跡周辺。深川駅から39.9km地点。1955(昭和30)年に新成生仮乗降場として開業。 ▼続いてやってきたのは幌加内駅跡。 ▼深川駅から43.7km地点。1929(昭和4)年の鷹泊駅~幌加内駅間の延伸開通に伴い開業。 ▼レー...
深名線は北海道・深川市の深川駅から同・名寄市の名寄駅までの121.8kmを結んでいた路線です。1924(大正13)年の深川駅~多度志駅間14.0kmの開業に始まり、1926(大正15)年に多度志駅~鷹泊駅間13.3km、1929(昭和4)年に鷹泊駅~幌加内駅間16.4km…と延伸を続け、1941(昭和16)年の初茶志内駅(廃止前の天塩弥生駅)~朱鞠内駅間35.8kmの延伸をもって全通しました。 木材輸送やダム建設のために敷設されましたが、林業の衰退...
山形県・鮭川村の羽根沢温泉近くには、かつて学び舎だった建物が今も残されています。「鮭川村立鮭川小学校羽根沢分校」跡。閉校時期は不明ですが、閉校後に宿泊施設か研修施設として活用されていた時期もあったようです。2023(令和5)年5月某日に訪問した時の様子をコメントなしで順にご紹介したいと思います。 訪問日:2023年5月...
広島県・広島市安芸区瀬野町の住宅地「スカイレールタウンみどり坂」への交通手段として、1998(平成10)年に開通した広島短距離交通・瀬野線のみどり口駅~みどり中央駅間1.3km。通称「スカイレール」と呼ばれるこの路線は、JRの最寄駅である山陽本線・瀬野駅(みどり口駅に隣接)と住宅街の高低差160mを克服するコンパクトな交通システムとして、神戸製鋼所と三菱重工業が開発しました。 建設費や運営費が安く工期も短いと...
2024(令和6)年3月31日の運行を最後に廃止されることが決まったJR北海道・根室本線の富良野~新得間81.7km。正式な廃止まで残すところ1週間あまりですが、「惜別:根室線」も今回で最終回になります。最終回の第7回は落合駅です。 ▼落合駅前に列車代行バスが到着しました。 ▼落合駅。1901(明治34)年の開業。 ▼開業当初は北海道官設鉄道・十勝線(現在のJR北海道・根室本線)の終着駅でしたが…。 ▼1907(明治40...
2024(令和6)年3月31日の運行を最後に廃止されることが決まったJR北海道・根室本線の富良野~新得間81.7km。「惜別:根室線」の第6回は、幾寅駅をご紹介したいと思います。 ▼幾寅駅。付近の踏切からホームを望む。 ▼1902(明治35)年に開業しました。 ▼駅舎からホームへは階段を上って行きます。 ▼豪雨により運休している区間になるため、レールは錆びてしまっています。 ▼さて、この幾寅駅舎は、1933(昭和8)...
北海道の八雲町立黒岩中学校は、1947(昭和22)年5月に八雲中学校黒岩分校として黒岩小学校に併置されたのが始まりで、翌1948(昭和23)年4月に黒岩中学校となり、1956(昭和31)年6月に黒岩小学校の移転により独立校となりました。 その後、建物の老朽化により1964(昭和39)年11月に移転、生徒数の減少により2004(平成16)年3月31日に閉校、八雲中学校に統合されました。1949(昭和24)年に初めて卒業生を送り出してから延べ...
2024(令和6)年3月31日の運行を最後に廃止されることが決まったJR北海道・根室本線の富良野~新得間81.7km。「惜別:根室線」の第5回は、東鹿越駅をご紹介したいと思います。 ▼東鹿越駅。 ▼付近で採掘される石灰石を発送するため…。 ▼1941(昭和16)年に東鹿越信号場が設置されたのが始まりです。 ▼乗降人員の増加により、1946(昭和21)年に正式な駅となりました。 ▼その後、石灰石輸送はトラックに取って代わ...