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宮之城線の廃線跡

 宮之城線は鹿児島県・川内市(現薩摩川内市)の川内駅から同・大口市(現伊佐市)の薩摩大口駅までの66.1kmを結んでいた路線です。1924(大正13)年の川内町(後の川内)駅~樋脇駅間13.4kmの開業を皮切りに延伸を続け、1937(昭和12)年の薩摩永野駅~薩摩大口駅間18.6kmの開業をもって全通しました。

 その後、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1984(昭和59)年に第2次特定地方交通線として廃止承認され、国鉄民営化を目前にした1987(昭和62)年1月10日に廃止されました。廃止から36年余りが過ぎた2023(令和5)年7月某日、薩摩山崎駅~ 針持駅間の廃線跡をピンポイントで巡りましたので、その時の様子をご紹介します。

 ▼いきなり別日の訪問時のもので恐縮ですが、入来駅跡。川内駅から18.7km地点。
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 ▼1926(大正15)年の樋脇駅~宮之城駅間開通と同時に開業。駅跡は「入来鉄道記念公園」として…。
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 ▼枕木をイメージした歩道や蒸気機関車を模した建物などが整備されています。
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 ▼薩摩山崎駅跡。川内駅から23.4km地点。1926(大正15)年の樋脇駅~宮之城駅間開通と同時に開業。
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 ▼駅跡には宮之城線や薩摩山崎駅の紹介看板の他…。
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 ▼石碑や車輪…。
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 ▼レプリカと思われる駅名標などが置かれています。
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 ▼薩摩山崎駅~船木駅間の廃線跡。盛土が出現します。
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 ▼盛土にのぼって薩摩山崎駅方面を望む。
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 ▼薩摩山崎駅~船木駅間の廃線跡。
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 ▼竹林の中を進むと…。
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 ▼レールが残されているではありませんか!
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 ▼薩摩山崎駅~船木駅間の廃線跡。
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 ▼レールが残されている区間はしばらく続きますが…。
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 ▼いったん引き返して、レンタカーを駐車してある場所に戻ります。
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 ▼宮之城駅跡。川内駅から29.3km地点。1926(大正15)年の樋脇駅~宮之城駅間開通と同時に開業。
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 ▼駅跡の一角には、レールや車輪、踏切の警報機や腕木式信号機の他…。
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 ▼蒸気機関車の頭部のみが保存されています。
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 ▼そして、バス待合所が併設されたこちらの建物内には「宮之城駅鉄道記念館」があって…。
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 ▼宮之城線で使用されていた物品や、宮崎実験線におけるリニア車両の模型などが展示されています。
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 ▼駅跡付近の信号機には、今も「宮之城駅前」の文字が。
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 ▼佐志駅跡。川内駅から32.4km地点。1934(昭和9)年の宮之城駅~薩摩鶴田駅間開通と同時に開業。
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 ▼駅跡には石碑や車輪…。
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 ▼宮之城線や佐志駅の紹介看板などが設置されています。
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 ▼続いて…。
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 ▼薩摩鶴田駅跡。川内駅から36.9km地点。1934(昭和9)年の宮之城駅~薩摩鶴田駅間開通と同時に開業。
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 ▼駅跡にはレールや車輪、踏切の遮断機などが保存されています。
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 ▼広橋駅~薩摩永野駅間の廃線跡。
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 ▼続いて見えてきたのが…。
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 ▼薩摩永野駅跡。川内駅から47.5km地点。1935(昭和10)年の薩摩鶴田駅~薩摩永野駅間開通と同時に開業。
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 ▼薩摩永野駅は現役当時、スイッチバック方式の有人駅でした。
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 ▼付近に金山があって住民も多かったため、薩摩大口へ向かう途中で経由するためにできたものです。
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 ▼スイッチバックの象徴でもある「シーサスクロスポイント」が保存されています。
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 ▼こちらの建物は「永野鉄道記念館」。
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 ▼ただし現役当時の駅舎は既に取り壊されており、この建物は廃線後に新たに建てられたものです。
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 ▼建物内部はバスの待合室になっている他…。
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 ▼宮之城線で使用されていた物品が展示されているスペースがあります(立ち入りには鍵が必要)。
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 ▼構内には…。
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 ▼黄色い作業用車両が保存されていたり…。
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 ▼レプリカと思われる近隣駅の駅名標も設置されています。
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 ▼また、車掌車は内部をのぞくことができる他…。
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 ▼腕木信号機やその付随設備、車両の連結器部分なども保存されています。
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 ▼さて、薩摩永野駅跡に別れを告げ…。
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 ▼引き続き薩摩大口方面を目指します。
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 ▼薩摩永野駅~針持駅間の廃線跡。廃線後しばらくは生活道路として使用されていたようです。
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 ▼廃線跡の先が暗くなっているのは…。
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 ▼トンネルがあるからでした。新地トンネルの川内側。
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 ▼針持駅跡。川内駅から54.9km地点。1937(昭和12)年の薩摩永野駅~薩摩大口駅間開通と同時に開業。
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 ▼駅跡には石碑が設置されている他、踏切の警報機や車輪が保存され…。
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 ▼レプリカと思しき駅名標も置かれています。
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 訪問日:2019年12月・2023年7月

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