名寄本線の廃線跡~中編
▼上興部駅~西興部駅間の廃線跡。
▼「瀬戸牛川橋梁」が残されています。
▼西興部駅跡。名寄駅から45.2km地点。1921(大正10)年に瀬戸牛駅として開業。駅の痕跡はありません。
▼六興駅跡付近。1959(昭和34)年に六興仮乗降場として開業、1987(昭和62)年の民営化と同時に駅へと昇格。
▼六興駅~中興部駅間の廃線跡。
▼廃レール?を使った謎の構造物が残されています。
▼中興部駅跡。名寄駅から52.2km地点。
▼1921(大正10)年の上興部駅~興部駅間の延伸開通と同時に開業。
▼駅舎が現役当時の状態で残されています。
▼駅舎は個人所有となっているため内部を見学することはできませんが…。
▼ホーム側に回ると、レールこそ撤去されていますが…。
▼竣工年月が記されたプレートとともに…。
▼ホームが残されています。
▼無造作に倒れている電柱を見やった後…。
▼先へ進むことにしましょう。
▼班渓駅跡付近。1957(昭和32)年に班渓仮乗降場として開業、1987(昭和62)年の民営化と同時に駅へと昇格。
▼班渓駅~宇津駅間の廃線跡。
▼班渓駅~宇津駅間の廃線跡。
▼低い橋脚が並んでいます。
▼さらに廃線跡を進むと…。
▼宇津駅跡。名寄駅から58.6km地点。
▼1921(大正10)年の上興部駅~興部駅間の延伸開通と同時に開業。
▼空地となった駅跡には、建物を解体したと思しき木材が置き去りにされています。
▼宇津駅~北興駅間の廃線跡。
▼北興駅跡付近。1957(昭和32)年に北興仮乗降場として開業、1959(昭和34)年に駅へと昇格。
▼興部市街に入ると、廃線跡はサイクリングロードに転用されています。
▼廃線跡を跨ぐ跨線橋の欄干には…。
▼「国鉄名寄本線」と刻まれた銘板が。
▼興部駅跡。名寄駅から67.8km地点。
▼1921(大正10)年の上興部駅~興部駅間の延伸開通と同時に開業。
▼1985(昭和60)年に廃止された興浜南線の分岐駅でもありました。
▼駅跡は「道の駅おこっぺ」として整備されています。
▼一角には、名寄本線で使用されていたキハ22形気動車が静態保存され…。
▼ライダーハウスや休憩所として利用されています。
▼また、バスターミナルを兼ねた建物の一角には…。
▼「興部交通記念館」が設置され…。
▼興部における鉄道の歴史を現在に伝えています。
▼続いて、興部駅跡の北側にある…。
▼国道239号線の「興部跨線橋」にやって来ました。
▼跨線橋から名寄(興部駅跡)方面を望む。同じく跨線橋から反対方面を眺めると…。
▼サイクリングロードはそのまま興浜南線の廃線跡を活用して左手に逸れて行きます。
▼名寄本線の廃線跡は右手に逸れて行きます。
▼旭ヶ丘駅跡付近。1956(昭和31)年に秋里仮乗降場として開業、1987(昭和62)年の民営化と同時に駅へと昇格。
▼旭ヶ丘駅~豊野駅間の廃線跡。
▼旭ヶ丘駅~豊野駅間の廃線跡。残されているのは…。
▼「藻興部川橋梁」です。
▼竣工が1981(昭和56)年3月ということは…。
▼8年ほどしか使用されていないことになります。
▼橋上をよく見てみると…。
▼レールは撤去されていますが、枕木は残されています。
▼旭ヶ丘駅~豊野駅間の廃線跡。
▼旭ヶ丘駅~豊野駅間の廃線跡。
▼豊野駅跡付近。名寄駅から73.0km地点。
▼1947(昭和22)年に豊野仮乗降場として開業、1950(昭和25)年に駅へと昇格。
▼沙留駅跡。名寄駅から77.7km地点。1921(大正10)年の中湧別駅~興部駅間の開通と同時に開業。
▼駅跡は町営住宅の公園として整備されています。道道名に鉄道の名残が。
▼富丘駅跡。名寄駅から81.4km地点。1956(昭和31)年に富丘仮乗降場として開業…。
▼1987(昭和62)年の民営化と同時に駅へと昇格。ホームへ向かう階段を上ると…。
▼駅跡は築堤上の空き地になっています。
▼「農業基盤整備」をPRする看板の絵には、通勤電車風の鉄道が描かれています。後編に続きます。
訪問日:2023年5・6月
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