山野線の廃線跡
その後、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1984(昭和59)年に第2次特定地方交通線として廃止承認され、国鉄が民営化された約1年後の1988(昭和63)年2月1日に廃止されました。廃止から35年が過ぎた2023(令和5)年7月某日、久木野駅~湯之尾駅間の廃線跡をピンポイントで巡りましたので、その時の様子をご紹介します。
▼久木野駅跡。水俣駅から14.3km地点。1934(昭和9)年の水俣駅~久木野駅間開通と同時に開業。
▼石碑が建てられている他…。
▼腕木式信号機や付随設備…。
▼車掌車が保存されています。
▼車掌車の車内。
▼久木野駅~薩摩布計駅間の廃線跡。
▼橋梁が残されています。
▼菜ノ木橋梁という名称があるそうです。
▼この先、廃線跡はループ線へ向かって行くのですが…。
▼通行禁止のチェーンの傍らにご覧の看板が。いったん廃線跡から離脱します。
▼ループ線を遠望。画像中央の横のラインがループ線の大築堤です。
▼第1大川トンネル(482m)の栗野側。
▼トンネル出口付近では廃線跡の両脇に櫓のようなものが建てられています。何かの栽培でしょうか。
▼第1大川トンネルを後にして…。
▼廃線跡を進みます。
▼加工が施された木片。枕木でしょうか。
▼しばらく進むと…。
▼見晴らしの良い場所に出ます。先ほどの遠望で写っていたのはこのあたりです。ベンチが置かれています。
▼さらに進むと見えてくるのは…。
▼第2大川トンネル(180m)の水俣側。
▼再び廃線跡から離脱し、少しワープします。
▼久木野トンネル(1,236m)の栗野側。
▼廃線跡は既に鹿児島県に入っています。
▼さらに進むと…。
▼ホーム跡が見えてきました。
▼薩摩布計駅跡。
▼水俣駅から22.6km地点。
▼1935(昭和10)年の山野駅~薩摩布計駅間の延伸開通時に開業しました。駅跡には石碑の他…。
▼現役当時のものかは不明ですが、駅名標や車輪…。
▼ホーム跡が残されています。
▼薩摩布計駅~西山野駅間の廃線跡。堂原トンネルの水俣側。
▼芝尾トンネルの水俣側。
▼芝尾トンネルの栗野側。
▼西山野駅~山野駅間の廃線跡。牛ノ河川橋梁です。
▼山野駅跡。水俣駅から32.3km地点。1921(大正10)年の栗野駅~山野駅間開通と同時に開業。
▼駅跡には石碑が建てられている他…。
▼駅名標(おそらくレプリカ)や車輪、踏切の警報機などが保存されています。
▼鹿児島県・伊佐市の大口市街までやって来ました。
▼薩摩大口駅跡。水俣駅から37.0km地点。1921(大正10)年の栗野駅~山野駅間開通と同時に開業。
▼廃止1年前の1987(昭和62)年までは宮之城線の乗換駅でした。
▼駅跡には腕木式信号機や…。
▼車掌車が保存されています。
▼車掌車は1978(昭和53)年の三菱重工製。
▼車内を見る限り、保存状況は悪くないようです。この後、少し飛びまして…。
▼湯之尾駅跡。水俣駅から49.1km地点。1921(大正10)年の栗野駅~山野駅間開通と同時に開業。
▼駅跡には腕木式信号機の付随設備や…。
▼車掌車などが保存されています。
▼こちらは別日の訪問になりますが、稲葉崎駅~栗野駅間の廃線跡。奥に見えるのが栗野駅。
▼肥薩線の現役の信号機(右)と山野線で使われていた信号機(左)。
▼丸池下川橋梁。橋台が残されています。
訪問日:2023年7月・2024年7月
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