■ 名波浩選手 引退試合J1通算で314試合で34ゴール。J2通算で17試合で0ゴール。国際Aマッチは67試合9ゴール。J1で4度目ベストイレブンに輝いて、フランスワールドカップを目指した日本代表チームでは背番号「10」を背負ったMF名波浩の引退試合が行われた。会場は静岡県袋井市のエコパスタジアム。
エコパスタジアムに行くには、東京方面からの場合は、東海道新幹線の静岡駅の次の駅となる掛川駅で降りて、そこから東海道本線に乗り換えて愛野駅で降りる。一方、名古屋・大阪方面からの場合は、東海道新幹線の浜松駅で降りて、そこから東海道本線で愛野駅に向かう。愛野駅からエコパスタジアムまでは一直線で、徒歩で約15分の距離である。
#1 スタジアムの道のり
■ ステッレ・ジュビロ15:03キックオフ予定のこの試合は、ステッレ・ジュビロとアズーリ・ジャポーネが対戦する。
ステッレ・ジュビロは2002年に両ステージ制覇を成し遂げたジュビロ磐田の黄金時代のメンバーが中心である。アトランタ五輪代表のDF鈴木秀人選手は、先日、現役引退を表明したばかりである。
スタメンGK 1 大神友明
DF 15 森下仁志
DF 2 鈴木秀人
DF 20 大井健太郎
DF 14 山西尊裕
MF 8 成岡翔
MF 19 三浦文丈
MF 18 清水範久
FW 29 奥大介
FW 13 川口信男
FW 11 松原良香
途中出場GK 12 山本浩正
DF 3 大岩剛
DF 5 田中誠
DF 6 服部年宏
MF 4 河村崇大
MF 7 名波浩
MF 16 脇田寧人 (ペナルティ)
MF 10 藤田俊哉
MF 23 福西崇史
FW 9 中山雅史
FW 32 高原直泰
FW 17 桜井和寿 (Mr. Children)
#2 エコパスタジアム
■ アズーリ・ジャポーネ一方の、アズーリ・ジャポーネは1998年のフランスワールドカップに出場した日本代表メンバーが中心となる。
フィールドプレーヤーの10人は、このままフランス・ワールドカップ初戦のアルゼンチン戦のスタメンであったとしても、全くおかしくは無いほどの豪華メンバーだった。スタメン11人で現役はわずかに2人だけ。時の流れの早さを感じさせる。MF名波、FW中山の2人は前半はアズーリ・ジャポーネ、後半はステッレ・ジュビロの選手としてプレーする。
スタメンGK 1 佐藤洋平
DF 2 名良橋晃
DF 4 井原正巳
DF 17 秋田豊
DF 3 相馬直樹
MF 6 山口素弘
MF 10 名波浩
MF 7 中田英寿
MF 15 森島寛晃
FW 9 中山雅史
FW 11 三浦知良
途中出場DF 5 柱谷哲二
DF 21 小村徳男
MF 8 北澤豪
MF 12 澤登正朗
MF 13 望月重良
MF 16 本田泰人
MF 19 中西永輔
MF 22 平野孝
FW 14 岡野雅行
FW 20 西澤明訓
FW 23 前園真聖
FW 24 土田晃之
FW 99 矢部浩之 (ナインティナイン)
FW 18 城彰二
#3 エコパスタジアムの正面
■ 2ゴールと2アシストよくもこれだけのメンバーが集まったな、と感じるほど豪華なメンバーが揃った試合は、役者たちが期待通りのプレーを見せる。
前半18分に左サイドを突破した横浜FMでプレーするMF清水範久のグラウンダーのクロスを元FC東京のFW川口信男が決めてステッレ・ジュビロが先制するが、その直後にアズーリ・ジャポーネがMF名波のパスからFW三浦知良が決めて同点に追い付くと、さらに前半25分にもCKの流れからMF名波のクロスを元鹿島のDF秋田が得意のヘッドで決めて2対1トが逆転に成功する。アズーリ・ジャポーネは前半42分にもMF中田英寿のパスを受けたFW三浦知良が決めて3対1と突き放す。
後半になると、MF名波はステッレ・ジュビロでプレー。MF名波、MF藤田、MF奥、MF服部と伝説の「N-Box」が復活し、さらに、ゴン・タカの2トップも実現。後半7分にDF岡野雅行のクロスからMF前園真聖が決めて1対4となるが、後半13分にMF名波のPKで1点を返すと、後半23分にMF中山、後半40分にFW高原が決めて4対4の同点に追い付く。
そして、試合終了間際。左サイドのDF山西のクロスをMF名波が得意の左足でジャンピングボレー。これが鮮やかにネット突き刺さって、そのまま試合終了。劇的な幕切れで5対4でステッレ・ジュビロが勝利した。
#4 試合前
■ MVPは鈴木秀人MIPを獲得したのはアズーリ・ジャポーネで2ゴールを上げたFW三浦知良。そして、MVPを獲得したのは、DF鈴木秀人。誰もが決勝ゴールをマークしたMF名波自身が受賞するものと思ったことだろうが、実にMF名波らしい心使いだったと思う。
ちょうど2日前の1月8日に現役を引退することを表明したDF鈴木秀人。DF田中誠、DF山西とともにジュビロの3バックを支えた功労者の1人であり、DF田中誠とはアトランタ五輪でもコンビを組んだ。昨シーズンに磐田から戦力外通告を受けて、その後は移籍先を探していた。
#5 ステッレ・ジュビロ
■ フランスワールドカップへの道のり長く苦しい戦いだった1997年のフランスへの道のり。その時のメンバーに、特別な思いを抱く人は少なくない。サポーターも苦しんだし、選手も苦しんだ。全く道が見えないままで戦い続けるしかなかったあの頃のこと。背番号「10」を背負った彼にかかるプレッシャーは相当なものだったに違いない。
アジアの中堅国に対しても苦戦を強いられることが多かった日本代表チーム。それまでのドーハ組と比べて、精神的な面でも未熟さが指摘されたこともあったが、厳しい予選を通して、たくましくなっていった。19997年11月16日のジョホールバルでの出来事は、日本サッカーにとって最もメモリアルな日となった。
アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと戦うことが決定し、岡田監督は「<3-5-2>システム」と「FW城とFW中山を2トップ」を選択した。もし、この6人でスタメンを組んだとしたら、いったい、どういう結果になったのだろうか?という夢を抱かせる攻撃陣だった。
#6 6人の創造者
■ 2つの史上最高チームレバノンで行われたアジアカップ2000の日本代表チームは「日本代表史上最高のチーム」という呼び声が大きい。
サウジアラビアに「4対1」、ウズベキスタンに「8対1」、カタールに「1対1」。準々決勝のイラクに「4対1」、準決勝の中国に「3対2」、決勝のサウジアラビアに「1対0」。結果と内容を両立させたこのチームは、当然のようにアジアチャンピオンに輝いた。
そして、2001-2002頃の黄金時代のジュビロ磐田。鈴木政一監督の下で、「N-Box」といわれる新しいサッカーを展開。この2年間のリーグ戦の通算成績は52勝6敗2分け。合計60試合で135得点56失点。このチームを「Jリーグ史上最高のチーム」と表現する人も多い。2002年には、史上初の両ステージ制覇を成し遂げた
いずれのチームもタクトをふるったのは、MF名波浩。これは、もちろん偶然ではない。
#7 試合終了後のセレモニー
#8 2人のカリスマ
#9 さらばレフティ
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サッカーの話ではないのですが、年上の方々が良く、「あの頃は良かったぞ」「俺の時代はもっと活気があった」のような類の話をよく聞きますが、聞く度に今も昔も良くはないのかとか、自分の自慢と見せかけての自分はあまり貢献してないくせの過去の自慢だったりでげんなりします。
しかしながら、名波が居たあの時代。
あの頃は最高でした。
ドーハよりも身近で、ドイツよりも情熱的でちょうど良く感情移入できました。
僕もそろそろ「あの頃は良かったぞ」と言ってしまいそうです。
あの最強ジュビロがもしもクラブワールドカップに出ていたら?
アジアカップ時の状態でワールドカップに出ていたら?
イタリアではなくて、他の国に行っていたら?
名波は世界基準ではないけど、基準が世界でも日本でもない感じがします。
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