はてなキーワード: 有償化とは
Dockerは有償化に伴い、タダ乗りユーザーがグズグズ文句言いながら結局よそに逃げて、ごく一部の心あるユーザーとともに表舞台から姿を消しつつある。
Twitterは「逃げる先のないDocker」みたいなもんじゃないかと思った。
Twitterに競合となるSNSは多々あっても、代替となるサービスは殆ど無い。
blueskyとかまだ始まったばっかりだし、今後どうなるかわからない小規模のサービスばかりだ。
というわけで、今後どうなるか非常に興味深い。
立ち上げ時からビジネスを念頭に置いて開発された代替サービスに取って代わられてDockerの二の舞になるのか、
逃げる先が一向に育たず多少ユーザーが減るぐらいで残ったユーザーがグズグズ文句言いながらとどまるのか、群雄割拠なカオスになるのか。
長男に100円でお風呂掃除頼んだら70円抜いて次男に30円でやらせてたので、「勉強嫌いだけど商才はあるな!」と褒めたら奥様に怒られた人の話
上記記事だけど、そもそもなんで子供に手伝いさせるのに小遣いあげてるの?
だって、毎月小遣いあげてるのに手伝いしたからってプラスアルファさせる意味がわからない。
親のお手伝いなんて、家族として当たり前の助け合いのひとつじゃん。
そういう助け合いまで有償化して扱うことにしたら、そもそも親がなんで子供を無償で養うの?って話になるんじゃ。
だから、そういう扱い(手伝いの有償化)をして一番困ることになるのは結局子供たち側だと思う。
あと、その記事に挙げられた問題も、そもそもは中抜き以前に、家族同士の手伝いを有償化していることが原因だと考える。
つまり、長男と次男をお金の関係にしてるのは親が小遣いで手伝いさせてることが原因なのだ。
また、家族同士でも有料じゃないと動かないという考え方は、奥様の手伝いを無償ではしない旦那(もしくはその逆)を作りそうに思われる。
Oracle JDK はもともと無償版と、テクニカルサポート付きの有償版があった。
Java11の際に、属に「有償化」と言われたのは、無償版を OpenJDK 移管して、 「Oracle JDK」は有償版だけが残った状態になったことをいう。
Oracle 自身は無償で Oracle OpenJDK をリリースしていた。
この話にはもうひとつ LTS (Long Term Support : 長期サポート版) という要素があって、Java 9 以降、Java は半年ごとの定期アップデートと、3年に1度の長期サポート版(3年サポート)という仕組みになったんだけども、Oracle は無償版をOpenJDKに移管して半年ごとのnon-LTS版しか出さないと発表した。
無償版のLTSはサードパーティに任せたわけだが、当初、この無償版LTSはどこがやるとも定まっておらず混乱が生じた。
後にいくつかのサードパーティが無償版LTSを発表して混乱が収まったわけだが、この時に「有償化!」と騒ぎ立てたニュースが、普段Javaを使わない層には強烈な印象となって残ることになった。
この間ずっとJavaは無償で使うことができたが、センセーショナルに煽りたがるインフルエンサーは「そのうち有償化する!やめた方がいい!」と煽り続けて今に至る。
悪の帝国 Oracle が Java を有償化し重税を課そうとしたその時、正義の勇者 Amazon が立ち上がり新しい Java 実装 Corretto を無償で広めて救ったのだ!
……という情弱が好きそうなデマがあるんだが、こんな陳腐なシナリオに喜んでいるようではインチキなテック系 YouTuber に食い物にされてしまうぞ☆
Oracle レジスタンスはいた。彼らは Oracle の中に潜んでいたんだ。
時は2005年に遡る。
Java を開発した 米 Sun Microsystems は赤字にあえいでいた。
2004年に Java 5 (目玉機能はジェネリクス) がリリースされてしばらくの頃だ。
この頃、ひとつのオープンソースプロジェクトが立ち上がる。名を Apache Harmony という。
開発は2005年5月に開始され、2006年10月には Apache 財団のトップレベルプロジェクトとなった。
Sun は多数の企業をまきこみ、いろんな企業に Java™ をライセンスしていた。
Java の実装は Sun が持っていたが、各社が独自に実装したり、Sun と契約してコード提供を受けたりしていた。
Java™ を名乗るためには Technology Compatibility Kit (TCK) という互換チェックをパスしなければならない。
初期の Java はオープンソースではなかった。誰もが自由にコードを参照し用いることができるものではなかったんだ。
これをオープンソース化しようという野心で始まったのが Apache Harmony プロジェクトだ。
Java の実装をいちから書き起こしオープンソースの代表的な Apache License Version 2 ライセンスで提供したのだ。
しかし、Sun は Apache2 ライセンスを良しとせず、Harmony に Technology Compatibility Kit (TCK) を受けさせなかった。
なるほど。彼らが Java をオープンソース化したレジスタンスだったわけか?
違う。話はそんなにシンプルではない。
2006年 Sun は Java をオープンソースにする意志があると発表した。
Sun は Java を リンク例外付きの GNU General Public License でオープンソース化することにした。
Harmony のライセンスは自由な改変を認めるものだった。
OpenJDK のライセンスは派生物を作ったなら、そのソースコードの公開義務がある、という点が大きな違いだった。
OpenJDK は出た当初はまだ Sun の JDK との非互換が多かった。しかしこれが現代まで続く OpenJDK の始まりだったのである。
2007年11月 GoogleがAndroidを発表した。 Android は Java 言語で開発することができる。
そのベースとなったのは Sun との火種くすぶる Apache Harmony だった。よりにもよって!
(後にGoogleが負けて賠償し、現在のAndroid は OpenJDK ベース)
その渦中、赤字に喘いでいた Sun はついに身売りを決断する。2009年のことである。
当初 IBM との交渉が報じられていたが金額で折り合わなかったようだ。
そこに颯爽とあらわれたのが Oracle である。 Oracle が Sun Microsystems を買収することになった。
しかし Oracle にはよくない噂がある。敵対買収してプロダクトを潰してしまうという黒い噂だ。
Sun の Java も Oracle に食い物にされてしまうんじゃないか、いわゆる 「悪のOracle」 のイメージはこの頃からのものだ。
しかし、 Sun はすでに Java をオープンソース化していた。 派生物もオープンソースにしなくてはならない OpenJDK で!
Oracle は Java を Sun 社ごと買ったが、 Java はすでに独り占めできるようなものではなかった。
Sun 本家の JDK を引き継いだ Oracle JDK と、OpenJDKがついに統合される。
Oracle がソースコードを OpenJDK に寄贈し、 Oracle JDK も OpenJDK ベースとなった。
ここに OpenJDK への移管は完全となり、Javaのオープン化は成就した。
それまでの OpenJDK は Oracle JDK との非互換が不安視されていたわけだが、Java11 からはその不安もなくなった。
こうして完全にオープン化された Java は、各サードパーティーからディストリビューションが出るようになった。
Java11 での Java のオープン化を経て、Javaはディストリビューション乱立時代へと突入する。
Amazon Corretto もそうした OpenJDK の派生ディストリビューションのひとつである。
OpenJDK の開発は今なお Oracle が主力となって牽引している。
Java を解放しようとしたレジスタンスは、赤字に喘いでいたSunの中にいた。
たとえ Sun が身売りをすることになろうとも、Java を邪悪な独裁者の手に渡さないように。
Sun が倒れてしまう前に Java はオープン化された。Javaの仕様策定は Java Community Process (JCP) にて行われる。
Javaの仕様策定は Oracle の独断で進めることはできない。 OpenJDK の開発も Oracle の独断ですることができない。
GNU General Public License でオープンソース化された Java は、派生物のライセンスもGPLが強制されソースコードを公開しなければならない。
そんな OpenJDK をリリースした、当時の Sun の中の人達こそがレジスタンスだったんだ。
ahamoの有償サポート化には賛成してバリアフリー運賃上乗せにも賛成する感覚がわからない。
障害の有無?
どっちも自力で解決できない「弱者」なら「どっちも」救うべきじゃないの?
ahamoサポートの有償化に賛成するなら車椅子サポートも有償化で良いとはならないのは何故?
ケータイなんてインフラに近いのだから分からない人が非MVNOで高い料金払うのは車椅子での利用制限や事前連絡に近いものがあると思うのだが……
なんというか理解できん
路上にゴミを放置していることに飲食店が立腹しているのはまだ理解できるのだけど、
路上飲みがけしからん、は単にコロナで店内で落ち着いて飲食できないからでは?
そう考えると、飲食店が立腹しているのは、なんで俺の店の中で飲み食いしないんだ、けしからん、にしか読めないんだが
日本って他の国みたいに路上でアルコール禁止みたいなのあったっけ?
というか、コロナの前は路上で飲んでるとか、歩きながら飲んでる奴って迷惑な奴が多い印象はあったけど、
こういう状況になると普段店内で落ち着いて飲んでた人でそうなる人が出てきてもおかしくはないし、
まあ、酔っ払って路上に飛び出すとか、そういう確率が増えるのはやっぱり勘弁してくれなんだがなあ
というか、飲食店もそうだが、コロナを言い訳にして色々やるのやめてくれないか、とさえ思ってる
非接触決済だから、みたいな理由でクレカとか必要のないポイントカード作るのを普段よりも多く勧められるようになった気がする
コロナと関係ないが、袋の有償化でエコバッグみたいなの持ち歩くのも凄い面倒
寝具とかで普段使っている袋に入りにくい大きい商品を買ったとしても、店は無償でビニール袋に入れてくれるわけでもなく、
先日、買い物袋を持参して、ある日用雑貨チェーン店で買い物をした。
これには驚いた。
つまり、客であるこちらは、商品の山の下から袋を取り出して、つめる作業が待っている。
それをその店員はぼーっと突っ立って見ていて、フリーズしている。
それによって、多少気分がよいのか、あるいは単純に頭が悪いのかは知らない。
ワイ「すいません、客の持参の袋には入れてはいけないってルールなんでしたっけ」
ワイ「なるほど、その時の気分で入れたり入れなかったりできるんですね」
これは店員がわるいというより、経営オペレーションの話である。
「5年以内にセルフレジに完全移行し」
先日職場でお前はなぜマスクをしないのか、せめて通勤中はしたほうがいいと指摘された。とうとう来やがったか…と思いつつ手持ちあんまりないんで…と言い訳したら俺のをやるよと数枚渡された。オーキドはかせか?
ご存じの通りマスクは感染者の拡散防止にはなるが予防にはならない。これは新型インフルエンザの時にもさんざん言われた既知の情報である。そして今は非常事態宣言も取り下げられ、感染拡大のペースも十分に落ち着いており「感染者がそこら中にいて自分も感染者の可能性が高い」という状況でもない(そんな状態ならマスク以前に外出禁止令を出すべきである)。緊急事態宣言前の増加を続けていた時期ならまだしも、このタイミングでマスクがどうこうと言い出すのは全くの意味不明でノコノコ職場に来て顎にマスクをひっかけて鼻口を出して電話している姿は滑稽の極みだ。もちろん俺は別にコロナ恐るるに足らずとは思っていない。今でも外出は控えているし手洗いとうがいは意識的にやっているし他人にあまり近づかないようにしている。俺が言いたいのは意味のないことはするなという話だ。
上司はマスクを俺に渡しながら通勤中に他の乗客に白い目で見られるぞ、と付け足した。これだ。結局はマナーの話なのだ。この人たちは疾病と戦っているのではなく、世間体とか不安感とかそういうものに対処しているだけなのだ。だからマスクにこだわりながらも非常事態宣言が終わったからと在宅勤務を減らして出社し得意先と対面して打ち合わせを再開してしまう。在宅勤務は制度やインフラまで整えるのは大変だが、マスクは簡単にできるからだ。
ほんの僅かな効果を理由にそれが最も簡単なやっている感アピールになるとそればかり推進し、肝心のやるべきことをやらないのはいつもの事だ。最近強制され始めたレジ袋の有償化もそれで、環境問題としての石油消費量の中でも微々たる量のレジ袋を制限して何かやっている気になっている。やらないよりマシだから、とお茶を濁してやった気になりすべき事を為さないのは何もしないより有害である。
ほぼ意味のない行為を、意味がないと知りながら強制されるのは苦痛だ。屈辱的でさえある。不安だとか、世間の目だとか、そんな気持ちの問題で文字通り息苦しい目に遭わされてたまるか。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051001317&g=soc
消費税10%引き上げ分の見返りとして政府が来年度から実施する大学無償化法案.すでに5月10日の参院本会議で与党などの賛成多数で可決した.
その実態は優秀な東大生や国立大生をむしろ有償化することで得た金を,馬鹿な私立大生や短期大学,専門学校生にバラまくことによって「実務家」「産業界出身者」を天下りさせるための餌に他ならない.
根拠.
東大は以前から授業料免除を行っており,その基準は年収400万円以下全員としている.東大以外の全ての国公立大も授業料免除を行っている.
現在の基準は398万以下が多数,上は634万以下までであるが,来年度から始まる大学無償化法案(年収270万以下対象)で統一されることでかえって無償化対象が狭まるという奇妙なことになる.
これまで授業料免除されていた学生が来年からは""有償化""されてしまうのだ.
また大学無償化により利子ナシの奨学金(第一種奨学金)を借りることはできなくなる.これまでは国立大で授業料免除を受けつつ第一種奨学金を借りることができたが,来年からは利子アリの奨学金(第二種奨学金)を借りるしかない.
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/campuslife/tuitionwaiver/
http://miyamototooru.info/miyamoto/wp-content/uploads/2019/03/56184e038faf4572ce8a984085829966.pdf
私立大学,短期大学,専門学校も来年度からの大学無償化の対象であり,東大や国立大と同じ基準の年収270万以下の世帯が対象となる.
これは定員割れに直面しているFランク校や地方の学校にとっては渡りに船だ.
現状,定員を埋めるために1400人の留学生を受け入れ失踪させているような有り様の学校を救済するために消費税引き上げ分の税金が流れ込む.
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16219382/
その条件として政府が提示しているのが「実務経験のある教員」による講義を増やすこと,理事に「産業界等の外部人材」を複数任命していることや,学生のGPA,出席率の高さである.
実務家という名の天下り素人や産業界理事が教育をめちゃくちゃにするのは論外として,この制度を設計した文部科学省の官僚は東大法学部出身が多いと思われるが,自分たちは学生の頃授業に出席していたのだろうか.
東大、とくに法学部はシケタイ等で難しい試験の対策をし,授業ではなく各々で学習している学生が多く実情にそぐわない無意味な規定である.
またGPAが下位4分の1の場合には無償化が打ち切られるがこれも実情にそぐわない.
Fランク大学のような簡単な試験で好成績を修めることでき他の学生もまともに勉強しない環境下と,東大のようなただでさえ進振り競争で受験勉強以上の学習を周囲が行っている環境下では,
GPA下位4分の1という条件の難易度が圧倒的に異なってくる.
大学無償化対象に,高校が推薦するための在学中の成績条件もまた極めてずさんである.まず評定が平均3.5以上,それを下回る場合はレポート又は面談により「進学後の学修継続の意志」を確認する.即ち教師が話してみてこいつ大学入っても勉強しそうだなーと感じればそれでOKである,
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/hutankeigen/__icsFiles/afieldfile/2019/05/22/1417213_01_1.pdf
最初に挙げたように,今回の大学無償化によって彼らが目指しているのは,これまで「やりすぎだった」国立大の授業料免除を縮小し有償化することである.
今回と同様の問題は以前にも指摘されている.
これまで給付型奨学金の対象だった高卒認定試験合格者や浪人生が今回の大学無償化法案の対象に入っていないことが問題となり,文科大臣は「対象に含めるかは未だ検討中」と答弁した.
https://togetter.com/li/1306471
消費税10パーセント引き上げを国民に納得させるための口実として利用しつつ,これまで無償化の対象だったものを対象外にし,有償化することが「大学無償化法案」の目的である.
実務経験教員を入れろとかで天下り陰謀論はどうなん。だから競争避けてポストを守りたいだけのポジショントークって言われるんだよ。実務経験有無で知の社会実装力に差があるのは間違いないぞ
実務経験を豊富に積んできたパソナ竹中平蔵教授から学べる東洋大学生は幸せですね.退学勧告で学生に社会の厳しさを叩き込むとはやはり実務家教員の知の社会実装力はスゴイ.
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12151-175766/
その数字は現在大阪大学が行っている授業料免除の基準額であり,来年の大学無償化からは年収270万以下に縮小となる.ここで問題なのはまさにその縮小によって有償化されてしまう学生の存在なので,指摘の意図がよくわからない.誤読しているのでは.
日本語もまともに書けない数千人の外国人留学生をタコ部屋のような教室に押し込み,バイト漬けにするのは学生の学力に合わせた素敵な大学教育です.
https://bunshun.jp/articles/-/11475
大学を金儲けの道具とする経営者がいるが,専門学校はどうなるのか.アニメ,ゲームの専門学校や声優養成学校は無償化の対象外にするようだが.
https://mainichi.jp/articles/20180418/k00/00m/020/093000c
なんでみんなF欄を目の敵にするのかね。私はFラン公立医学部を出て別のFラン公立医学部で働いてるけど、学生さんみんな真面目でよく勉強してるし、卒業生は地域医療で活躍してるよ
ボーダーフリーで定員割れにあえぐ公立医学部が存在するとは.まさかネットのMarchはFラン日大はFランの基準でモノを言っていませんよね.それどころか本文を読めばわかるように原義通りまさしくBFのFランク大学が大学無償化の対象になることを問題にしています.そしてFランク大学,さらには短大や専門学校は経営が厳しく教育環境として崩壊してる所が多いこの惨状を知った上で勤務先の公立医学部を「Fラン」と呼んでいるんですか