Category: 街角探検
まだまだ弘前
今回の宿泊、晴れていれば岩木山が見える、こんなに広いツインルームのシングルユース。
夕朝食付きしかも津軽三味線の生演奏が聞けて、税込8,000円でした。酒込みで9,800円。
朝食は最上階のバイキングです。
八甲田山方向。前回泊まったホテルが目の前にありますが、遠くの山々は見えません。
寒々しい風景です。
朝食。本当はガッツリ食べたかったのですが、この日は昼からグルメチームと合流予定、控えめにしておきます。
岩木山が一瞬だけ、ちょっとだけ裾野を見せてくれました。
その後天気は良くなったのですが、逆に岩木山は雲の中へ。
ホテルをチェックアウトし、駅へ向かいます。
街の皆さんも、雪かきで大忙し。
荷物をコインロッカーへ入れ、バスで次の目的地に向かおうとしました。
学生ボランティアのような好青年が一生懸命調べてくれましたが、結局適当なバスがなく、タクシーでこちらへ。
弘前学院大学です。
此処に目当ての建物が。
説明書きが全く読めませんね。
弘前学院外人宣教師館。
大学のキャンパスの片隅に建っていました。
ウィキペディアから。
弘前学院外人宣教師館は、青森県弘前市にある歴史的建造物。1906年(明治39年)、弘前女学校(現:弘前学院大学)にアメリカ婦人伝道局から派遣されたメソジスト派の婦人宣教師の宿舎として建設されたもので、2004年(平成16年)からは同校の資料館として保存・一般公開されている。1978年(昭和53年)国の重要文化財に指定された。
木造2階建てで、南西隅に配置された八角形の尖塔が特徴的な建築物である。館内は下足で1階集会室は畳敷きとなっているなど日本の様式も見られるが、屋根はトラス構造となっており、尖塔先端の突針飾りや尖塔脇の煉瓦積煙突、淡黄色の下見板壁に葡萄色の柱や土台、また半円形の欄間窓など、全体的には西洋館が強くイメージされた意匠となっている。なお、設計者は櫻庭駒五郎と言われているが、意匠や構造手法、駒五郎の遺物等から、アメリカのメソジスト本部で設計されたものを駒五郎が日本の大工が施工できるように設計図を描き直したものという説もある。
1970年(昭和45年)から6箇年をかけたキャンパス移転当時には老朽化が激しく解体除去される予定となっていたが、保存の声の高まりや文化財としての価値が認められ国の重要文化財に指定されたことを受けて、1978年(昭和53年)から3か年をかけて現在地に移築・修復され本部として利用され、2004年(平成16年)からは弘前学院資料館として保存されるとともに創立以来の史料や所蔵文庫等が一般展示されている。
東北学院大などにも似た様な施設があるんでしょうね。
そして15分ほど雪道を滑りながら歩いて、此処。旧弘前偕行社。
これも堀江佐吉の作品だそうです。明治末期の建築。
中には入れませんでした。
再び、ボブスレーコースへ。天気が良いので寒いけど長閑です。
また15分ほど歩いて弘前駅に戻ります。
今回のルートマップです。
右下の三角を押すと、歩行が始まります。左上のスケールのフェーダーをスライドさせることで、縮尺を変更可能。右上のボタンで速度も変えられます。
弘前駅から弘前学院大学までの行きだけがタクシー、あとは全て徒歩です。
ここでついに弘前に別れを告げ、在来線の鈍行で青森へ向かいます。
途中また少しだけ岩木山の裾野が見えました。きっとまた来ます。
青森に近づくに連れて天気が悪くなり、おまけに青森駅構内でポイント凍結。
45分ほどで着くはずが一時間強かかって青森駅に到着したのでした。
新青森駅は大混乱だったそうでした。しっかりしろ、JR!!
ところで今回雪国に行って歩きながら、そう言えば最近、暖かい下着の宣伝を良くテレビCMで見ていたことを思い出しました。あれ買って着てくれば良かった。
夕朝食付きしかも津軽三味線の生演奏が聞けて、税込8,000円でした。酒込みで9,800円。
朝食は最上階のバイキングです。
八甲田山方向。前回泊まったホテルが目の前にありますが、遠くの山々は見えません。
寒々しい風景です。
朝食。本当はガッツリ食べたかったのですが、この日は昼からグルメチームと合流予定、控えめにしておきます。
岩木山が一瞬だけ、ちょっとだけ裾野を見せてくれました。
その後天気は良くなったのですが、逆に岩木山は雲の中へ。
ホテルをチェックアウトし、駅へ向かいます。
街の皆さんも、雪かきで大忙し。
荷物をコインロッカーへ入れ、バスで次の目的地に向かおうとしました。
学生ボランティアのような好青年が一生懸命調べてくれましたが、結局適当なバスがなく、タクシーでこちらへ。
弘前学院大学です。
此処に目当ての建物が。
説明書きが全く読めませんね。
弘前学院外人宣教師館。
大学のキャンパスの片隅に建っていました。
ウィキペディアから。
弘前学院外人宣教師館は、青森県弘前市にある歴史的建造物。1906年(明治39年)、弘前女学校(現:弘前学院大学)にアメリカ婦人伝道局から派遣されたメソジスト派の婦人宣教師の宿舎として建設されたもので、2004年(平成16年)からは同校の資料館として保存・一般公開されている。1978年(昭和53年)国の重要文化財に指定された。
木造2階建てで、南西隅に配置された八角形の尖塔が特徴的な建築物である。館内は下足で1階集会室は畳敷きとなっているなど日本の様式も見られるが、屋根はトラス構造となっており、尖塔先端の突針飾りや尖塔脇の煉瓦積煙突、淡黄色の下見板壁に葡萄色の柱や土台、また半円形の欄間窓など、全体的には西洋館が強くイメージされた意匠となっている。なお、設計者は櫻庭駒五郎と言われているが、意匠や構造手法、駒五郎の遺物等から、アメリカのメソジスト本部で設計されたものを駒五郎が日本の大工が施工できるように設計図を描き直したものという説もある。
1970年(昭和45年)から6箇年をかけたキャンパス移転当時には老朽化が激しく解体除去される予定となっていたが、保存の声の高まりや文化財としての価値が認められ国の重要文化財に指定されたことを受けて、1978年(昭和53年)から3か年をかけて現在地に移築・修復され本部として利用され、2004年(平成16年)からは弘前学院資料館として保存されるとともに創立以来の史料や所蔵文庫等が一般展示されている。
東北学院大などにも似た様な施設があるんでしょうね。
そして15分ほど雪道を滑りながら歩いて、此処。旧弘前偕行社。
これも堀江佐吉の作品だそうです。明治末期の建築。
中には入れませんでした。
再び、ボブスレーコースへ。天気が良いので寒いけど長閑です。
また15分ほど歩いて弘前駅に戻ります。
今回のルートマップです。
右下の三角を押すと、歩行が始まります。左上のスケールのフェーダーをスライドさせることで、縮尺を変更可能。右上のボタンで速度も変えられます。
弘前駅から弘前学院大学までの行きだけがタクシー、あとは全て徒歩です。
ここでついに弘前に別れを告げ、在来線の鈍行で青森へ向かいます。
途中また少しだけ岩木山の裾野が見えました。きっとまた来ます。
青森に近づくに連れて天気が悪くなり、おまけに青森駅構内でポイント凍結。
45分ほどで着くはずが一時間強かかって青森駅に到着したのでした。
新青森駅は大混乱だったそうでした。しっかりしろ、JR!!
ところで今回雪国に行って歩きながら、そう言えば最近、暖かい下着の宣伝を良くテレビCMで見ていたことを思い出しました。あれ買って着てくれば良かった。
- 関連記事
-
- ここまでだって (2011/06/15)
- 寄らば大樹の陰 (2011/05/20)
- 青葉まつりはなかった (2011/05/19)
- 藤を求めて12キロ (2011/05/15)
- 元気です米沢 (2011/05/09)
- 青葉山通行止め (2011/04/17)
- アザヴ・ジュバン キャフェ・デュ・リュバン (2011/02/12)
- まだまだ弘前 (2011/01/21)
- 電気空想物語 (2011/01/20)
- そんな時代もあぁったねと (2011/01/19)
- 一之宮へ初詣 (2011/01/03)
- 周平文学の情景が (2010/11/10)
- ハイカラ鶴岡 (2010/11/09)
- みんなで来ないとね (2010/09/20)
- わりと普通の街でした。 (2010/08/18)